はてなキーワード: レコーディングとは
だれ?私の大好きなビャンビャン麺風カップラーメン1.5倍を事務所のデスクに置いていった人は!?
なんて日だ!ってね。
意外とまだ梅雨入りしていないので、
今のうちが洗濯しておかないとって思うので、
洗濯ものは貯めてしまわないってことが一番の洗濯物を貯めない方法だわ。
そうそう、
オリジナル曲は無しで
ライブで歌ってくれる曲を中心にまとめたって感じの
楽しめるは楽しめるんだけどね。
でもそれは当の本人が一番分かってるはずだと思うので、
ここはあーだこーだ言わずに
なぜそう言う制作に至ったのか?って深く考えて
ぜんぜんオリジナルが無くなってくると言う
うーん、
なんだか言っちゃー中途半端というか。
まあこれもあーだこーだ言わずに
静かにニューアルバムの発売をお祭り騒ぎして楽しむのがいいんだけどね。
ライブとかも
だんだんと解除されてこないだも制限はどこにいったのかしら?懐かしいわね!って思うほど
でもこれは分かっているの。
これはビジネス的にマニーを稼ぐためのライブだって思うと白けちゃうけど、
要は私は大きなホールよりも
でさあと、
バンド編成も昔のフルバンドメンバーよろしく派手にやっていた頃とは違って
少数の構成であるのもなんか物足りない原因の一つかも知れないわ。
昔のバンドの編成の方が私は好きだわ。
いろいろな変化があって仕方の無いことかも知れないけど、
私が消して耳が肥えてきたというわけではないディズニー映画のダンボだ!って言いたいわけでもないのよ。
思いっ切りハードル上げてる割りには
シーディーをさプレイヤーに入れてどんな曲が出てくるのか楽しみな日々だった頃が懐かしいわ。
そうね、
それを引っさげてまたライブやるだろうけれど、
いつも歌ってくれている曲ね。
いいんだけど
いいんだけど、
まったく目新しさがないのは
産みの苦しみなのかしら?
創作活動って大変だと思うけど、
うーん、
蓋を開けたら、って感じね。
うーん悶々とするわ。
まあお祭りには変わりないので、
そう思ったわ。
物足りないところはあるわね。
気を付けて。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
演奏不可能の作品(えんそうふかのうのさくひん)とは、さまざまな理由により演奏が不可能、あるいは困難な音楽作品のことである。
クラシック音楽の世界では、演奏が不可能(または困難)な作品が多数存在する。演奏不可能な作品の中にも、仮に演奏されたとすれば傑作と評価され得るだけの芸術性を備えた作品は多く、これらは安易に無視できない存在となっている。巨大編成の作品や演奏時間の長い曲とも密接に関係があり、イギリスのソラブジの作品はその3要素が完全に組み合わさり、初演できないものも多数ある。
現代のポピュラー音楽の場合には、作曲家、作詞家、編曲家といった独立した職能も存在するものの、作品は演奏との一体性が強く、コンサート、ライブでの生演奏や、演奏を収録した媒体(CD等)という形で公表される点で、クラシック音楽とは様相が大きく異なる。このため、ポピュラー音楽においては、作品を聞くことができるという意味で、ほぼ全ての作品が演奏可能であるといえる。その一方で、媒体への収録(すなわちレコーディング)に際しては多重録音をはじめとする種々の編集が行われるとともにに、演奏においてはシーケンサー等の自動演奏が積極的に利用されるので、純粋に人のみによって演奏することが不可能あるいは困難である作品も多い。このような作品をコンサートやライブにおいて生演奏する際には、自動演奏やテープなどを用いてレコーディングされた作品を再現するか、生演奏が可能なようにアレンジを変えることがよく行われる。また、一時期のXTCのように、高度なスタジオワークを行うミュージシャンの中にはライブを行わない者もいる。
歴史は長く、J.S.バッハの諸作品、モーツァルトのオペラフィガロの結婚や魔笛、ベートーヴェンのピアノソナタ第21番、第29番、ピアノ協奏曲第1番や交響曲第7番・第9番などが古典的な例とされる。
ロマン派では、ロッシーニの「セヴィリアの理髪師」の第19番のアリアは良く省略され、シューベルトの魔王や交響曲第9番「ザ・グレート」、パガニーニのヴァイオリン曲、ロベルト・シューマンの交響的練習曲の第2変奏曲や2点へ以上の音域がある4本のホルンとオーケルトラの為の協奏曲作品86、リストの一連のピアノ曲、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団に演奏不可能と宣告されたブルックナーの交響曲第2番、ブラームスのピアノ協奏曲第2番やヴァイオリン協奏曲またピアノソナタ第3番の冒頭部、チャイコフスキーの諸作品、マーラーの交響曲、ラフマニノフのピアノ協奏曲第3番等があったが、それらは現在では演奏技術の発達により演奏不可能と見なされることはなくなった。しかし、プッチーニの「ラ・ボエーム」第一幕のエンディンクは、未だに半音下げて歌われることが多い。
近代ではストラヴィンスキーの春の祭典、シェーンベルクのピアノ協奏曲やヴァイオリン協奏曲、モーゼとアロンがあるが、「春の祭典」と「モーゼとアロン」は演奏技術の発達により現在では演奏会での一般的な曲目になっている。意図的に作曲された例としてアイヴズの歌曲「義務」があるが、今日では演奏家は内声などを省略するか、アルペジオで演奏するか、アシスタントを設けるかで解決されている。彼のピアノソナタ第2番等も同様であるが、本人は「間違った記譜もすべて正しい記譜である」と友人に説明している。プロコフィエフのピアノ協奏曲第3番の第3楽章にも2度の音階的な走句があるが、「困難だ」と結論付けて全てアルペジオで演奏する者もいる。ラフマニノフのピアノ協奏曲第三番第三楽章の冒頭のパッセージは身長が170cmないと物理的に不可能であり、体格の小さなピアニストやテクニックに不自由したピアニストは左手の音をずらして演奏することが慣例化している。
演奏不可能の作品という概念は現代では新しい複雑性と深く関係している。ファーニホウの諸作品は非常に高度な演奏技術を要するが、彼の音楽に要される困難は主に読譜に集中するため決して不可能な音楽ではないとされる。しかし逆説的に言えば、演奏不可能の概念は、今日例えばパソコンのシーケンサーなどに自分で四分音符をメトロノームに合わせてキーボードで打ち込んでも決して4分音符や強弱が正しく出てこないという経験から、人間が演奏する限りにおいて全ての音楽に当てはまるという事も言える。その外シュトックハウゼンの「7つの日々からNr.26(1968)」の「金の塵」が奏者に演奏の前に4日間の断食を強要していると言う点で事実上の演奏不可能の作品である。
今日最も演奏の難しい現代音楽は、クセナキスの諸作品と言われている。第1曲目のピアノ協奏曲にあたる「シナファイ」、チェロ独奏の為の「ノモス・アルファ」、ピアノ独奏曲の「エヴリアリ」、「ヘルマ」、「ミスツ」、ピアノ独奏が重要な働きを担う「エオンタ」及び「パリンプセスト」等がその例である。クセナキス自身はテレビのインタビューで、これらは演奏困難にさせることを目的として作曲された作品であると語っている。
しかしこれらの作品群も、近年の若手演奏家の技術向上やCDリリースを参照する限り、徐々に不可能とは見なされなくなる日が近づいているのは確かであるが、逆にどんな簡単な作品も人間が演奏する限り100%の完全なる再現は厳密には不可能である。
前述の通りポピュラー音楽はクラシック音楽とは事情を異にする。とは言え、カバー曲やカラオケなど、オリジナル以外の奏者による演奏がまったくないわけではない。
特筆される例としてはサザンオールスターズの「Computer Children」(作詞・作曲 桑田佳祐。アルバムKAMAKURA収録)が挙げられる。この曲は、マスター収録の後にエフェクトなどのデジタル編集を行い、その編集後の曲がオリジナルとされている。したがって、ライブ演奏は事実上不可能となっている。ソフトウェア用マスター作成においてデジタル編集を行うポピュラー音楽は近年珍しくはないが、この曲ほど大胆に使用している例は(リミックスを除けば)、稀有である。
作曲家が演奏困難な作品を書くことによって、演奏技術が向上し、それがさらに作曲技法を拡大させるいう面がある。以下の曲の多くのものは今日では演奏やレコーディングの機会も多いが、作曲当時は「演奏困難」ないし「演奏不可能」とされたものである。参考までに掲げる。
指定された速度で演奏するのはほぼ不可能であり、通常は指定よりもやや遅くして演奏される。また、曲が独奏曲にしては長大であるため、高度の精神力が要求されるという点においても彼のソナタの中では最も演奏困難である。演奏技術の発達した現在では、ロマン派以降のピアノ音楽の大家の作品群と比べれば特別難しい曲ではなくなっているが、それでもなお演奏は困難を極める。また、リストがベートーヴェンの交響曲をピアノの為に編曲したものが存在するが、それらと比べれば、このピアノソナタは比較的易しい。
超一流のヴァイオリン奏者、パガニーニが作曲したヴァイオリンの難曲として知られ、作曲当時はパガニーニ自身以外には演奏が不可能であった。しかし、この作品の持つ魅力は多くの音楽家の心を捉え、さまざまな作曲家によって主題が引用されている。この曲の存在によって、作曲技巧や演奏技巧が大きく開拓された面は否めない。現在でも超絶技巧の難曲として知られるが、一流の演奏家の中には完璧に弾きこなしている人もかなり多い。
タイトルからもわかるように、超絶技巧を要することが目的となったピアノのための練習曲である。ピアノのパガニーニを目指したリストの代表曲である。一般の演奏家にも演奏できるように難易度を少し落とした第3版が現在では普及しているが、リストが超絶技巧の極致を目指して作曲した第2版は特に演奏困難とされ、リスト以外には演奏不可能と言われた。現在ではジャニス・ウェッバーとレスリー・ハワードが録音を残している。
演奏不可能とのレッテルを貼られ、当時の第一線のヴァイオリン奏者に初演を断られた作品。しかし現在では、早熟なヴァイオリン奏者が10代で弾きこなしてしまうことも珍しくない。
は第一楽章がオクターヴの速い動きで事実上の演奏不可能の作品である。解決譜としてのOssiaで多くのチェロ奏者が弾いている。
パウル・ヴィトゲンシュタインの委嘱で書かれたが、彼は「一音も理解できない」として取り上げなかったため、作曲家の生前には一度も演奏されることは無かった。ただし実際には、様式上・技巧上ともに特に大きな困難があるわけではなく、演奏は十分可能である。菅原明朗は「この曲こそプロコフィエフの最高傑作だ」と称え、ピアノと吹奏楽の為に編曲したヴァージョンを残している。
十二音技法によって作曲されている。ただし、急-緩-急の3楽章から成り、両端楽章の終わり近くにカデンツァがあるなど、伝統的な協奏曲の構成に従ってはいる。作曲者はヤッシャ・ハイフェッツに初演を依頼したが、ハイフェッツはこの曲を演奏するか否か散々考えた末、結局「研究しただけ無駄だった」として辞めてしまった。結局初演はルイス・クラスナー独奏、ストコフスキー指揮フィラデルフィア管弦楽団により行われた。作曲者自身は生演奏を聴いていないとされる。
1990年代初めドナウエッシンゲン現代音楽祭がカールスルーエの作曲家フォルカー・ハインに管弦楽の曲を委嘱したが、度重なるリハーサルにもかかわらず演奏困難ということでその年の公開演奏が中止になった。次の年もう一度だけ初演が試みられたが結局不可能で、またしても初演を断念させられた。その楽譜は当時の展示即売会で一般公開され、色々な同僚作曲家の意見が聞かれた。現在に至るまで演奏されていない。ブライトコップフ社によって出版されている。
チャンスオペレーションを厳格かつ極度に徹底したヴァイオリンソロのための作品集で、「作曲するのも演奏するのもほぼ不可能に近い」音楽になることを前提に作曲された。しかし、第18曲目の演奏困難度をめぐって1-16曲目までの初演者ポール・ズーコフスキーと意見が対立し、作曲が中断された。その13年後にアーヴィン・アルディッティの助力で作曲が再開されて、無事32曲の完成に至った。現在この作品の全曲演奏が出来るヴァイオリニストはヤノシュ・ネギーシーとアルディッティの二人しかいない事から考えて、最も演奏不可能に近いヴァイオリン曲といえる。
そもそも録音とライブは完全に別物なので比較すること自体ナンセンス
まず、ライブ演奏の理想系として録音が存在しているわけではない
それぞれの楽器を別々に録音するとかテイクを重ねるとか程度の話じゃない
構成する楽器が異なったり、参加している人間さえ異ったりすることがある
そうして録音されたパーツに対して様々な音響的な処理が加えられたのち、
各楽器のバランスや定位なども丁寧に調整された上でようやく完成する
録音芸術と言われるゆえんだ
別に昨今急激にライブ演奏より録音の方が音が良くなったわけではない
昔からそうだったのだ
CDの演奏の再現を信条としてるバンドでもなければ、演奏は毎夜異なる
ツアーを通して楽曲のアレンジが異なることもある 音楽は生き物だからだ
時には楽曲のテンポが不自然に加速したり、弦が切れてしまうこともあるだろう
それは録音をイデアとする世界観からすれば不完全さの表れでしかないかもれない
二つは全く異なる性質のものであるので、当然好き嫌いはあるだろう
「私はライブより録音の方が好き」なら全然自然なことだし、賛同する人もかなり多いのではないだろうか
ただレコーディングとライブを一つの軸に置いて、片方がもう一方の劣化という説は頷けない
例外として「ライブの録音」というものが考えられるが、そういう話をしているわけではないのだろう
余談だが、ライブ演奏の褒め言葉として「まるでCDみたい!」という言葉がある
斜に構えなければそれだけ上手ということを言いたいだけなのだろうが、
そもそも録音とライブは完全に別物なので比較すること自体ナンセンス
まず、ライブ演奏の理想系として録音が存在しているわけではない
それぞれの楽器を別々に録音するとかテイクを重ねるとか程度の話じゃない
構成する楽器が異なったり、参加している人間さえ異ったりすることがある
そうして録音されたパーツに対して様々な音響的な処理が加えられたのち、
各楽器のバランスや定位なども丁寧に調整された上でようやく完成する
録音芸術と言われるゆえんだ
別に昨今急激にライブ演奏より録音の方が音が良くなったわけではない
昔からそうだったのだ
CDの演奏の再現を信条としてるバンドでもなければ、演奏は毎夜異なる
ツアーを通して楽曲のアレンジが異なることもある 音楽は生き物だからだ
時には楽曲のテンポが不自然に加速したり、弦が切れてしまうこともあるだろう
それは録音をイデアとする世界観からすれば不完全さの表れでしかないかもれない
二つは全く異なる性質のものであるので、当然好き嫌いはあるだろう
「私はライブより録音の方が好き」なら全然自然なことだし、賛同する人もかなり多いのではないだろうか
ただレコーディングとライブを一つの軸に置いて、片方がもう一方の劣化という説は頷けない
例外として「ライブの録音」というものが考えられるが、そういう話をしているわけではないのだろう
余談だが、ライブ演奏の褒め言葉として「まるでCDみたい!」という言葉がある
斜に構えなければそれだけ上手ということを言いたいだけなのだろうが、
音に良い悪いはない。「音像がはっきりしてるか」にイエス・ノーはある。「楽器が出している音以外が入っているか」に多寡はある。
絵画において色や形に良い悪いがないのと同じだ。デッサンなら「対象と同じか」にイエス・ノーがある。ピカソのゲルニカに「発色悪いな」とか「形変じゃない」とか言うやついないだろ?(いるけど、浅いだろ?)
レコーディングされた音源は、音楽と工業の産み出した素晴らしい製品だ。「音楽」ではない。CDやディジタルデータが音楽になるのは再生された時。環境によって異なるスピーカーやアンプを通して、空気が振動した時に「音楽」になる。
一方ライブでは演者が「何でどうやって空気を振動させるか」を選び、観客と共有する。
もっといえば、音を聴いた人がどう動くかが重要なんだ。そんなに工業製品が好きなら愛でたらいい。音楽とは奏者から市井を流れるものだ。
https://togetter.com/li/1843557
童顔なせいもあってか、年男にして30代に見られることがほぼないため、自分が実践していることをあげてみる。
結局口周りのトラブルの原因はほとんどひげ剃りによる乾燥・肌荒れなのである。
将来ひげが要らないなら、まずひげ剃りの手間を無くすのが時間のないおっさんには一番効果的。
自分の場合は池袋のクリニックで10回くらい医療レーザー当てたら青ひげが解消した。
基本的にネットで入手できるし、忙しいおっさんはなんかごちゃごちゃ塗るよりサプリ飲んで内面から改善したほうが続くと思う。
→幸い、いまのところハゲてない。髪のボリュームダウンも老けて見える一因である。
→L-システインは飲みすぎると白髪の原因になるため、本来の規定量の2/3飲んでる。
→(はてなーが嫌いな)DHCのタイムリリースタイプを飲んでいる。白髪にも良いと言われている。
→亜鉛が髪と下半身にめっちゃ効く、まじで精液増えてビビる。たぶん便通にも良い。
→マツキヨに売ってる。風呂上がりと出かける前に顔から首にかけて塗る。
個人的に塗るのはこれだけで良いと思う。
曲作りをするに当たって『機動戦士ガンダム00』のアニメスタッフと合同会議をしたが、アニメスタッフとの合同会議は今回が初めてである。そのためか、このシングルのキャッチコピーや曲の歌詞の一部は『機動戦士ガンダム00』の主人公のライバル、グラハム・エーカーがファーストシーズン最終話で発言した「愛を超越すれば、それは憎しみとなる」という台詞に非常によく似ている。
真太郎(ドラムス)は「当初作っていた違う楽曲もあったんですが〈宇宙戦艦ヤマト2199〉により合う楽曲を作りたくて、楽曲を書きなおしました。“Fight For Liberty”を完成させるにあたってレコーディングでの音作りなど細かい所にも苦戦しましたが、結果本当に満足いく楽曲が出来たので楽しみにしていて下さい」とコメントしている。
ちゃんと寄せてんじゃん。
小山田さんは「そこまでして記事が形にならないのは……」と言ってくれ、
ライターの僕のために、レコーディングに入っていたにもかかわらず、
二度目の取材に応じてくれた。
「でもパチンコ屋の店員って、すっげー合ってるような気がするな。
いわゆる……根本(敬)さんで言う『いい顔のオヤジ』みたいなのに絶対なるタイプって言うかさ」
―――もし対談できてたら、何話してますか?
でも分かんないけど、今とか会っても、
なんか分かんないけど。
『今何やってんの?』みたいな(笑)。
『玉拾ってんの?』とか(笑)。
きっと、そうなっちゃうとおもうんだけど」
―――やっぱ、できることなら会わないで済ましたい?
沢田に会いたいな、僕」
―――特に顔も会わせたくないっていう人は、いない訳ですね?
「どうなんだろうなあ? これって、僕って、いじめてる方なのかなあ?」
確かにヒドイことはしたし」
―――やましいかどうかっていう結論は、自分の中では出てない?
「うーん……。でも、みんなこんな感じなのかもしれないな、
なんて思うしね。いじめてる人って。
僕なんか、全然、こう悪びれずに話しちゃったりするもんねえ」
―――ええ。僕も聞きながら笑ってるし。
『俺ら殺されるわ』とか言って。
ホントにいなくなったっていうのは、僕も誰かから聞いてたんですよ。
誰も連絡とれなくなっちゃったって。
だから噂が流れて」
―――いま会ったら、何話します?
とりあえず『ごめんなさい』って。
でもそんな朴とか、一緒に遊んでたからな。
あやまるっていう程でもないかな」
パラリンピックそんな興味もってた?(anond:20210717091928)
パラリンピックは税金が使われているイベント・障がいがあっても世界的なチャレンジができるイベント以上の関心はないけど
コーネリアスは関心あるよ。何度も書いてるけどメインストリームじゃないけど海外でもそこそこ知名度があるアーティストで
グラミーにノミネートされたこともあるし海外フェスやラジオにも出たり海外アーティストのリミックス曲を手掛けてたりする
日本好きの海外アーティストがよく名を口にするアーティストで最近では Porter Robinson が Nurture のライナーノーツで
▼ Nurture |Porter Robinson
これはコーネリアスを初めて聴いた後にできた曲。よくある話だけど、絶対気に入るよってみんなに言われ続けて、でも逆にそれがうっとうしくて避けてきたっていう状況だった。それでようやく聴いた後に、この曲を8時間で書き上げた。ローラーブレードで近所を走り回ってるみたいに、とにかく自由で、子供みたいな感覚になれる曲なんだ。
▼Tender (Cornelius Remix) (2012 Remaster)
ブラー (Blur|https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%96%E3%83%A9%E3%83%BC) の テンダーをコーネリアスがリミックス
▼ Corneliusが国内アーティストでは初めて「Spotify Singles」に登場(2018年5月16日)
世界のトップアーティストがSpotifyユーザーのためにレコーディングしたオリジナル曲とカバー曲を2曲セットで配信する人気プログラム「Spotify Singles」に、この度、国内アーティストでは初めてCorneliusが参加しましたのでお知らせします。Cornelius の「Spotify Singles」は本日 5月16日より配信しています。
▼ コーネリアス、グラミー賞ノミネート!|HMV & BOOKS onlineニュース
CORNELIUSの映像集「Sensurround + B-sides」が、アメリカ「第51回グラミー賞」最優秀サラウンド・サウンド・アルバム賞にノミネート!
(収録曲) ↓
▼ CORNELIUS - Fit Song
けど、人としてやってはいけないラインってどうしてもあると思うんだよね
あの雑誌の内容(anond:20210621022518)見て平然と聴ける連中は "そっち側" なのかなぁって思うっちゃう
ただ正直なことを言えば、またコーネリアスは聴きたい
なので、過去犯罪を犯しているのだから、日本の公的な仕事には参画しない(民間主催のイベントはOK)
9割雑誌の誇張で実際には犯罪はおかしていなかったとしても、障害者を馬鹿にし恐喝し虐待した記事を平気で載せたままにしていたのだから、
せめて、『障がい者スポーツ大会であるパラリンピックは辞退する』(9割雑誌の誇張ならパラリンピック以外の公的な仕事はOKだと思う)
そうしたら、コーネリアスがまた素直な気持ちで聴けるようになると思う
彼がやったことは許されることじゃないけど、犯罪者の再チャレンジを許さない社会はそれはそれでヤバいし、
or
これでじゅうぶんな禊ぎにはなると思う
というか、
日本は一部の特権的な人たちのみ犯罪行為をしても公職や公的なイベントメンバーに就任出来るし、
日本は一部の特権的な人たちのみイベントの主役を虐待した過去があってもイベントメンバーに就任出来るし、
日本は一部の特権的な人たちのみいじめ(虐待)が許されるって、
anond:20210716223902 anond:20210717134027 anond:20210717145508 anond:20210717154025 anond:20210717155036 anond:20210717215531 anond:20210718060231 anond:20210718092521 anond:20210718130011 anond:20210718184452
LUNA SEAというバンドのボーカルにRYUICHIという人がいる。またの名を河村隆一という。
2018年の12月、例年通り22日・23日のさいたまスーパーアリーナと31日のカウントダウンライブまで彼は歌い続けた。
なんだか人生を見ているような、魂を懸けた歌声に私などはいたく胸を打たれたものだった。
本当に最後かもしれないと彼は思って歌っていただろうけれども、その時はまだ、観客は誰も知らなかったはずだ。
2019年の年始に肺腺がんであることを公表、1月11日に手術で肺の一部を切除した。そして2月19日たったの1ヶ月程度で彼はステージに復帰してしまった。
しかし同年の確か春頃には、喉にポリープができてしまったという。5月20日の誕生日を記念したライブでファルセットが上手く出ず、苦しんでいた姿が印象深く思い出される。
それでも彼はずっと歌い続けた。ずっとずっと。ライブやレコーディングの予定がひっきりなしに入っていたのだと思う。ようやくポリープの手術をしたのは確か10月だった。
そしてそのときも、彼はものの2週間程度でステージに復帰してしまったのである。
この人は本当に歌うことが好きで、なにせソロで120曲ライブをやったときなどは、本当に1人で8時間歌い続けていたくらいだ。
そんな波乱の2019年、レコーディングが進められていたLUNA SEAの「CROSS」というアルバムが12月に発売となった。僕が歌えなくなったらアルバムが出なかったと彼はどこかで言っていた。
そして2020年、アルバム「CROSS」を引っさげた全国ツアーが満を持してスタートする――はずだった。
コロナウイルス感染症が既に世界で猛威を奮いはじめていた中、2月1日の三郷公演からツアーは開幕したものの、2月27日の宇都宮公演を前にしてイベント等の自粛要請が本格化し、公演前日である2月26日にツアーの延期が発表された。
そうして長く暗いトンネルのようなものが私たちの前に立ちはだかったが、その時の彼らの気持ちを簡単に想像できるとは言えない。
LUNA SEAは早くから活動的だった。河村隆一としても配信ライブを定期的に行い、少なくとも我々ファンにとっては勇気を与えてくれるような活動を続けているように見えた。
だがどうやら、生のステージであるライブができないことに彼もかなり苦しんでいたようだ。最近の発言から、そのように感じるようになった。
2020年後半~2021年にかけて、少しずつイベント等の制限が緩和され、十分な対策を行った上でのライブ開催が可能になってくる。LUNA SEAも2020年12月26日・27日にさいたまスーパーアリーナでライブを行う予定だったが、当日である12月26日にメンバーのコロナウイルス感染が判明し、開催延期となる。(後に元気な姿で復帰して本当によかったのだが、ここではその辺のあれこれについては割愛する)
2021年、RYUICHIであるところの河村隆一は何度かライブを行ったが、なんだかおかしい。喉の調子が悪そうに見える。ライブ中に声がかれてしまうことが増えている。
理由は私のような素人に分かる由もないが、ステージをコンスタントにこなすことができないというのはボーカリストにとって非常に不利な状況らしい。
延期後のさいたまスーパーアリーナ公演である3月27日・28日では、声がかれる中、最後まで気力で歌いきったかのようだった。
そのような中でも全国ツアーの再開が発表になり、プロローグでもある有明公演3daysが開催される。初日である5月28日はずいぶん自身をコントロールして歌っているように見えた。3日連続という時間のことをすごく考えたことだろうと思う。彼は3日間を見事に歌いきり、とても美しいステージだったと思う。
有明を終えた1週間後のビルボードライブ東京で歌われた「月はもちろん」は、LUNA SEAのツアーが再開されることへの意気込みを感じさせるようだった。
そしてついにLUNA SEAの全国ツアーが再開される。1年4ヶ月ぶりのことだ。初日は6月12日福岡サンパレス。
私が見たのは「最初から飛ばし過ぎではないか」と思うほど気合の入った歌だった。とにかく気持ちが溢れているように見える。
喜びなのか感謝なのか楽しさなのかは分からない。何かを伝えようとしていたし、それを観客も受け取り、返していたように思う。初日はまるで大団円みたいに終わった。
2日目である6月13日、順調に進んでいるように見えたライブ4曲目の「PHILIA」で突然RYUICHIの声がかすれて上手く出なくなる。ここで休憩を取ってもいいぐらいではないかと私は思ったが、ライブは続行された。
普通、声がかすれしまったらパワーを緩めるのではないかと思うのだが、彼はむしろ、むしろそれまでより全力で叫んだ。「宇宙の詩」を経て6曲目の「静寂」を歌ったとき、一度すべてを壊して作り直すかのように、彼は力の限りを尽くしているように見えた。
いつしかその中で、声が出るようになっていた。
それはとてつもないステージだったのだが……だがこれは、命を削っているのではないかと不安になる。
でも、こんなにも歌に魂を捧げている人が。
こんなにも歌うことに命を懸けている人が目の前にいたら、胸を打たれずにいられるだろうか。
誰が、止められるんだ。
LUNA SEAのRYUICHIであるところの河村隆一とはそういう人だと、今日までを見てきて私は思った。
悪魔が歌か命かの選択を迫ったら命を差し出すような気がするから、そんな日が来ないことを祈るしかない。
こんなに歌うことが好きな人がこの世にいるのか、と思う。
今年もコロナ対応であちこちの音楽コンクールが「録音審査」になりそうだ。
去年は吹奏楽、管弦楽、合唱、アンサンブルなどありとあらゆるコンクールが録音審査になったが、その影響で録音・編集特需が起き、コロナで大打撃を受けた音楽業界の貴重な食い扶持として機能した。
具体的にはパートや人ごとに単独で録音し、それらを繋ぎ合わせ、細かい音程や音量や音質をレコーディングエンジニア側で調整し、あたかも1つの録音作品として作ることだ。
各コンクールには審査規定で「一発録りで、無編集なこと」というのがあるが、機能していない。何千何百とあるコンクール参加団体全ての録音に立ち入ることは物理的に無理だからだ。
そのため、金がある学校や団体は、そのツテをたどって芸能事務所や音楽会社にコンクール対応を依頼する。もちろん箝口令は全方位的に敷いている。
①日本語が甘い
③聞いててこっちが恥ずかしくなってくる
さて、好きな韓国アイドルグループがある。韓国人が多いが、英語や中国語を喋れるメンバーもいるので割りとグローバルだと思う。日本のファンも沢山いる。
彼らのことは大好きだ。セルフプロデュースと銘打って、ダンスの振り付け、作詞作曲等、プロと力を合わせて彼ら自身でコンテンツを作っている。まじアニメなんじゃないの?ってくらい凄い。そして日本を愛してくれている。韓国というとやはり反日教育だとかあんまり良い噂は聞かないが、がんばって日本語覚えてくれたり、アプリの生放送中に流れた簡単な日本語をさっと読んでくれたりする。ちなみに日本で流行ったバブリーダンスをライブで披露してくれるファンサービスなんかもあったりした。すごいな。
しかし、もう日本語で歌わなくていいよ、と言いたい。頑張って日本語でシングルを出してくれる。それも一度きりじゃなくて、何度も続けて日本語verで歌ってくれている。これは本来ならやらなくて良い行為だ。いつも母国語の韓国語で歌ってるのを買っているから、別にわざわざ日本語で歌わなくたって大丈夫だよ。
彼らは、レコーディングのチェックも彼ら自身で行う。作詞作曲をする韓国人アイドルメンバーが、プロデューサーのように指示を出し、確認する。ここで驚きなのが、日本語のチェックも韓国人がやるのである。そうとう日本語を勉強してくれているのは痛いほど分かるし、ありがたい。でも、やはりネイティブではないので、日本語を母国語とする私が聞くと、失礼だが恥ずかしくなって聞くのをやめてしまう。典型的な例をだすと、日本語の「ツ」がほとんど「チュ」になってしまう。韓国人の話す日本語モノマネでよく見ると思う。
そして外国語だと大体意味が分からないので、どんな内容かあまり理解せず聞くことができる。洋楽などもそうだが、意味が分からないから良いのである。彼らのキャッチーなメロディーの歌詞を和訳した字幕がYouTubeで出るのだが、結構日本のアイドルとそう変わらないチープなことばかり書かれていてがっかりした。それから私は歌詞の日本語訳は見ないことにしている。だって大体「君が好きだ」とか「落ち込んだりすることもあるけど前を向こうよ」とかありきたりなのである。あと日本語訳が単にださい。外国だからもっとカッコイイこと言ってるんだろうなという幻想を保つため、歌詞は見ない。MVとコンセプトだけで十分だ。
ただ感動したのが、韓国人、中国人、アメリカ人がいるこのグループで、日本語verの冒頭を歌うのが中国人だったということだ。冒頭の歌詞の四文字目に日本語の「ち」があるのだが、中国人の発音は素晴らしかった。日本の溶けるような柔らかい発音だった。
あとラップは日本語と相性が良くない。刺すような鋭さがあるラップが好きなのだが、なかなか日本語だと難しい。もちろん日本でもラップ文化はあるし某ラップアニメは目の付け所がシャープだなあと思う。
わざわざ日本語で歌わなくても買うんで、歌いやすい言葉で歌ってくださいな、という感想。
口パク、レコーディングで本人達歌っていない等色々アレなジャニーズやAKB等の日本のアイドル達。
確かにアレな日本のアイドルとK-POPはベクトルが違うのだから単純に比較できないのかも知れない。
でもさ、同じように歌って踊るグループとして同じ歌番組に出てきて
そもそもブルーノマーズの新曲かと思うような洗練された楽曲が何故日本のアイドルには出せないのか。
何故音圧パンパンでやたら速い曲ばかりなのか。
K-POPが日本人の若い世代に聴かれている以上「売れないから」ではないよね。
結局良くも悪くも歌謡曲なのか。
J-soul Brothers界隈とかもっと色々やれたと思うけど、どうしてあんなチンピラバラード歌手みたいになっちゃったんだろう。
順不同、敬称略。
今年導入されたTwitterの新機能フリート。24時間で消滅する発信の使い所に期待
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