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はてなキーワード: レインコートとは

2016-09-18

ユニバーサルスタジオジャパン

場内で売るレインコートの色を黒にするだけで雨の日のハリーポッターゾーン雰囲気がぐんとよくなるのになぜその程度のこともやらんのか

2016-06-03

http://anond.hatelabo.jp/20160528201911

ぼくは自転車おじさん。

自転車を乗るときは保管場所から公道に引っ張りだして、ズボンの裾抑えをしたりいろいろ準備がある。

降りるときも置き場を探さなくてはならない、鍵を閉じなくてはならない、で大変。

もちろん、雨が降ったらレインコートを着なくてはならないし、電車に乗せられない。

都会者はキックボードもいいんだろうな。

2016-01-15

電車

 精神障害者のおばあさんが大学生千円札を渡してしきりに話しかけていた。

 おばあさんはピンクレインコートを着ていて、ピエト・モンドリアンの格子の絵のようなパンツを履いていた。

 大学生千円札をもらった後、ひたすらおばあさんを無視していた。うつむいてスマホに集中しているふり。

「元気でね! また会おうね!」

 おばあさんはそう言って電車を降りていった。

 ……朝からやるせない光景に出くわしてしまった。

2015-06-19

レインコート

かわいいレインコートがほしい

かっこいでもいいけど

雨の日の外出、とくに自転車とかってなるとつらいね

2015-02-21

運転席の後ろに隠れる男子学生

とある理由から、私は地方田舎私立大学に編入してぼっちになって浮きました。

その大学は車で通学できるのでいつも車で私は通っていました。

ぼっちになってから友達ができない理由より過去問入手不可のため、精一杯自力勉強しある年に賞をもらいました。

すると急にある男子学生が私によく声をかけてくるようになったのです。

過去問をもっているので、よければコピーさせてあげるよ」

「なにか情報が入ったら教えてあげる」

と親切にも言ってくれるので、わたしも過去問があるならやりやすいかなと思いつつ見せてもらうことが2回ほどありました。

特に親しいわけではありませんが、試験時期になるとよく声をかけてくるので恐縮しつつコピーさせてもらうことをしていました。

それが1年ほど続き、たまにメール学内試験情報連絡を交わしている状態が続きました。

私がぼっちなのは相変わらずです。

ところが、ある夏の日に思案していたことが明確に起こりました。

編入2年後に、私はある難病にかかって通院しながら大学にかよう日々をすごしていたのですが、出席日数はぎりぎりになった状態になりました。

そして、ある実習中に継続して立っていられず倒れてしまったり、早退したりという日々が続いたのです。

服薬すればなんとかたてるので我慢しながら、出席していたのですが、前年度に学内で成績優秀賞のある賞を受賞していたこともあり、周りの人たちがとても中傷したりいやがらせをはじめてきました。

気にすることなく、気丈にふるまいがんばっていたのですが、いじめ(班実習で私にだけ材料を渡さない。物品を潰してくる。ノートを捨てられる)なども耐えて単位のために頑張っていきました。

もともとぼっちではありましたが、いじめや噂話、病気をもっていることの差別中傷が顕著になり、私はかなり学内で浮いてしまいました。

ですから、私と一緒にいる人はみんな私と同類になると周りから判断されてしまうことになるのです。

私は、みんなの前を通行しただけで鼻で笑われたりクスクス笑われるような存在でした。

そんな折、ある夏期試験試験問題についてコピーをさせてくれるとかいうあの男子学生はとても私の予想どうりの行動をしました。

彼は、私に話しかけるときは人のいる学内では堂々と話しかけてはきません。

こそっと誰にもわからないように話しかけてきて味方のような小声をこぼしてきます

過去問を手渡しするときも、学内でぜったい人のいないとこを指定してきます。(病気のこともあり、あまり冷房のない暑い物置小屋や隣町のコンビニまではタクシーで取りに行ったり等会うのが

だんだん苦痛になったので、このあたりでもう連絡を取り合うのをやめたほうが良かったのかもしれません。何度もそう思いましたが、過去問資料めあてに応じてしまった私も精神的にかなり弱っていたと思います。実際、貰う資料はあまり有用ものでなかったので、独学で良かったのは後から感じた印象でしたが・・・交友関係のないぼっちにはそれがわからなかったのです)

彼は資料を渡すとき、彼自身の友人にすら気取られてはいけない細心の注意を払います

私はぼんやりと、精神的にも当時はボロボロだったのでやさしい言葉や気配りに「配慮してくれてるんだな」と勘違いしていました。

しかし結局はそれは彼自身いじめターゲットにならないようにするための手段だったのでした。

ある夏の日、炎天下駐車場の車内でコピーさせてもらう資料情報を教えてもらっていました。

その時、学生が数人駐車場を歩いていくのが見えました。

おそらく、学内で私も見知った顔の人たちで、彼の知り合いだと思います

エンジンをかけてフロントガラスにサンシェード銀色のやつ)をかけたままクーラー全開にしてるけど、私は運転席に座ったまま見つかることはないだろうと思い、資料を目にしていました。

(当時、たまに具合が悪くてよく駐車場クーラーをかけて休憩していたことの多い私だったので)

しかしその時、彼は私のうしろの席で縮こまっていったのです。慌ててひっくりかえった声でやばいやばい愚痴っていきました。

「見つかるからあいつすごく言いふらす奴なんだ!言いふらされる!」

焦った様子で、後ろに置いていた予備のサンシェードや雨よけのレインコート(私が後部座席においていたもの)を頭からぶって20分くらい彼は身を隠していったのです。

私は、見つかるから、言いふらされるっていう被害めいた言葉にドキンっとしました。

胸が痛くなったのです。

私と一緒にいることで自分被害を受けるんだっていう彼の本心がうしろの席から聞こえてきて目に涙が滲んで行きました。

20分後、駐車場男子学生らが車にのっていなくなったあと、うしろの席の彼は汗まみれになりながらため息をついて安心した様子で起き上がってきました。

私はその間、すごく悲しくて不愉快でした。

しか過去問情報資料を教えてくれるのは助かるけど、逆にわたしもまとめた学内試験ノートやまとめ表を作成し、彼に提供していたのです。

そのまとめ表を複写して周りの人にもこっそり配ってるんだって彼は言ってたことも耳にしていたので、私のノートがみんなに役立ってくれてるんだなって密かに嬉しく思っていたのはたしかです。

(でも、周りはあいかわらず私を中傷したりクスクス笑っていたのでこの辺で私自身の精神ある意味、それ以上考えないよう麻痺していたようです)

からこっそりと、人目をはばかるほうがよいかなと思い、こうして会っていたのですが、これほどまで身近で私と一緒にいるのを人に知られることに恐怖する彼の行動に気分が悪くなりました。

特に好きでもない相手なので思わせぶりな対応をどこかでしてしまったのかもしれないけど、私と一緒にいることをこんなに嫌がられるのを目の当たりにして、涙がとまりませんでした。

運転席からホッとした顔で、冷や汗を垂らしながら「またね」っていうかれに、私は涙を拭って笑顔「ありがとう」って言って帰宅しました。

以後、私は彼とは連絡を立ちました。

病気治療の方に専念し、きちんと出席して単位をとることのほうを選択したからです。

そののち、寛解したあと進級テストで私は合格、彼は留年

私は卒業後、就職先でなんとかうまくやれています

友人も恋人もできて楽しい日々が始まりました。

風の便りで彼はまだ卒業していないそうです。

けれど・・・たまに、当時のあの彼の態度からショックを受けた日々をこうして思い起こしてしまます

いじめ中傷されてたり、ぼっちになっている人と一緒にいることを、周りに知られることをとても恐怖する人は確かにいました。

狭い団体とはこんなものだと今はわりきっていますが、当時の記憶は今でも苦しいです。

いまの友人たちや恋人にも私と一緒にいることをすごく嫌なんじゃないのかって不安になる時もありますが、やはり当時の行動が奇特すぎる環境なんだったんだなって思えるようにしたいです。

高校までいじめ経験したことなかったので、大学で本当に戸惑い辛い思い出ばかりの日々となりましたが、みなさんはいじめられたことはありますか?

そういうとき優しい言葉をかけてくれる人をどうやったら信じれましたか

私は今でも、大学時代のあの環境でのかけひきの残酷さにときどき思い出しては苦しんでしまます

2013-09-10

ceroLIQUIDROOM Ebisu

2020年東京オリンピックが決定した9月8日早朝。その日、我々日本人否が応でも7年後の日本想像せざるを得なかったわけだが、日本未来を予感させる出来事は同日夜の恵比寿リキッドルームでも起きていた。

今回のライブは、ceroとして久しぶりのワンマンライブだった。タイコクラブに始まりライジングサンに至るまで、全国津々浦々と様々な夏フェスに出演してきた彼らは、一回りも二回りも成長した姿を見せてくれた。ボーカル高城は自ら今回のライブを「文化祭」と形容したが、オープニングアクト表現(Hyogen)や、サポートメンバーの面々と力を合わせて作り上げられたステージには文化祭のごとく熱いエネルギーが集約されていたと言えるだろう。

満員のリキッドルームで観客たちが開演を待ちわびる中、開幕したステージに現れた高城ZAZEN BOYSよろしく「死ぬほど練習をして、マツリスタジオで練習をぶちあげてきたので」と観客から笑いをとる。そして、告知されていなかったオープニングアクトである表現を紹介するとさっと身を引き、表現演奏が始まる。

アコーディオンバイオリン一曲目のみ)、アコースティックギターウッドベースの4人組からなる表現ceroと関わりの深いバンドだ。ギター古川高城高校の頃からの知人であり、その後もcero表現で互いに切磋琢磨してきた仲だ。お互い尊敬しあえるバンドとして成長を遂げた両者が集い、久しぶりの対バンとして出演する彼らを見て高城舞台袖で涙を流していたそうだ。

さて、表現演奏はというと、全員がコーラスを務めているのが特徴的だ。セリフのような歌詞メンバー全員が声を張って歌いあげる様はまるでミュージカルのようであるスキャットハミングを多用し、途中ポエトリーリーディングのようなシーンも挟まれることによって、声の持つ魔力を改めて感じさせられた。もちろん楽器演奏も素晴らしく、アンプラグド楽器アンサンブルによるオーガニックなサウンドは、その名に恥じぬオリジナルな「表現」となっていた。ceroコンテンポラリーエキゾチックロックオーケストラであるのと同様に、彼らもまた名前通りに素晴らしいバンドであった。

ceroを見に来た観客も大満足のオープニングアクトであったが、ceroの開演までは20分ほどの転換があった。幕の裏から聞こえてくる様々な曲の断片は、これから始まる演奏への期待を高めるには十分だった。

いざ幕が上がり、「セロセロセーロ」と叫び続ける入場曲と入れ替わりで始まった一曲目は“水平線のバラード”。ステージには点滅する6本の蛍光灯を背景に、メンバーが立っており、イントロスタジオ版にないトランペットから始まった。しっとりとした雰囲気で始まったステージだが、ノルウェイの森風のイントロから入り軽快なラップが冴える二曲目“ワールドレコード”でフロアテンションは急激に引き上げられる。続く三曲目“マウンテンマウンテン”の4つ打ち部分では後ろの方までほぼ全員が音に身を委ね踊っていた。

盛り上がった後一息つくかのように挟まれたMCで、高城cero表現の辿ってきた道を振り返る。そして「世界で唯一表現の全員とデュオを組んだことがある人」と名乗る荒内を「音楽ビッチ」呼ばわりするなどしてステージが暖かな笑いに包まれたところで次の演奏へ。

つの間にかステージから消えて戻ってきた高城。傘を片手にレインコート羽織った高城が歌うのは“21世紀の日照りの都に雨が降る”だ。続く“エキゾチックペンギンナイト”では「パーパパパー」と全員が高らかに叫びフロアをより一層祝祭的空間へと引き込む。少し落ち着いて始まった“クラウドナイン”も結局はcero特有の「祭」感へと収束していくのだった。

二度目のMCサポートメンバーの紹介から始まる。今までになく多くのサポートメンバーを迎えた今回は、ceroメンバー3人+サポート5人の8人編成だ。トランペットスティール・パンをこなすマルチプレイヤーMC sirafuのみならず、サックスタンバリン担当したあだち麗三郎表現での演奏とは変わってパーカッション古川麦ドラムの光永渉、ベースの厚海義朗という5人のサポートメンバーがそれぞれ紹介される。

ひと通りメンバー紹介が終わると、スタジオ版に比べて遅く重厚な“大洪水時代”のイントロが始まる。この曲から始まったVIDEO TAPE MUSICによるVJは、フェイザーのかけられたノイズギターと相まって、我々を水中へと誘う。そして、ノイズの海の中へと一筋の光が射すかのように響き渡るのは、高城によるフルート音色だ。最後には全員がしゃがみ、背景であったスクリーンが前景化される。水中の映像、そして流水音のSEと水の映像しか受け取ることの出来ない状況はまさに大洪水時代といったところか。そして、海つながりで次に演奏されたのは“船上パーティー”。VJには男女の横顔が交互に映り、高城一人二役セリフを言い合う。スタジオ版でも印象的な「ちょっと待った!」のセリフの後はじれったいほどのタメにより、聴衆をより一層演奏へと引き付ける。そうして引き付けられた我々観客が次に耳にするのは新曲、“我が名はスカラベ”。メルヘンチックな歌詞VJは、初めて聞く我々も十分楽しめるものであり、聴衆はみなceroのニューリリースへの待ち遠しさを煽られたに違いない。

新曲披露後のMCでは、大洪水時代から加わったVIDEO TAPE MUSICの紹介。そして最近高城のハマっている「文化祭」というキーワードに関連してTwitterにおける高校生つぶやきや、ceroメンバーそれぞれの思い出などと話が弾む。

再びメンバー紹介から入った曲は“Contemporary Tokyo Cruise”。本ワンマンライブ表題曲とでもいうべきこの曲ではミラーボールきらめき、最も「祭」感のある曲だったかもしれない。そして音は途切れることなく、思わせぶりな長い間奏から始まったのは“マイ・ロスト・シティ”。2ndアルバム表題曲でもあるこの曲では「ダンスをとめるな」という歌詞、その通り踊り続ける客、ダンスをする人々を映すVJが一体となっていた。

短めのMCを挟んだ後、演奏されたのはまたもや新曲、“yellow mangus”。ムーディーなサックスからまり展開されるのはceroお得意のディスコビート。そしてこれまた長めの間奏からはじまるのは“わたしのすがた”。途中挟まれる8ビートの部分では赤い照明が似合うほど激しい展開で、普段とは違った一面を見せてくれた。

最後の曲の前には今後の活動を仄めかすようなMCを挟み、演奏されたのは“さん!”。観客と共に「いち!に!さん!」と高らかに叫んだ高城は29歳の文化祭最後の盛り上がりを演出した。

しかし、我々の文化祭はまだ終わらない。アンコールを期待する拍手に応えて登場したのは高城橋本。残りのメンバーも続々と登場し、最後最後演奏されたのは“大停電の夜に”。ゆったりとしたメロディーはまるで蛍の光のように、我々を切なくも満たされた気分へと導き、文化祭は幕を閉じた。

実は、最後MCおいてなんとも頼もしい言葉があった。高城は、表現やVIDEO TAPEMUSICのような仲間たちを見ている中で「日本音楽がこれからまたちょっと変わっていくんじゃないかな」という実感を述べた後に、「俺達が変えるぞみたいな気概を感じている」と宣言したのだ。変わりゆく東京風景、そして変わりゆく日本音楽シーン。7年後、東京オリンピック開催を前に我々はこの日をどのように思い出すだろうか。29歳の文化祭には「ここから何かが変わっていきそう」な予感、そして希望に満ちあふれていた。あの晩、もしかしたら我々は時代目撃者となったのかもしれない。

2013-07-30

フジロック2日目

前日は空が白むのを見てから寝たにも関わらず、暑さゆえに8時過ぎ起床。

テントサイトにて、フジロック初回から参加し続ける猛者たちと杯を交わす。

潰れる一歩寸前まで日本酒を飲み、大声で歌いながらライブ会場へ。


・青葉市子

前野健太ソープランダーズを見逃し、フジロック2日目は森の中の青葉市子からスタート

会場は、青葉市子に似つかわしく、森の中にぽつんとある一番小さなステージ。狭いながらも超満員。

心地良い演奏にうとうととしてしまい、椅子から転げ落ちそうになったため次のライブに移動。

青葉市子の弾き語りは2週間前に下北沢音楽祭で見たし、前日の深夜にもピラミッドガーデンにて見ていたので特に感想はなし。


トクマルシューゴ

なんか日本バンドっぽくない印象。逆輸入アーティストからまぁそりゃそうなんだけど。

日本バンド演奏が上手く、サウンドメイキングにより強烈な個性を出すのは苦手、

そして海外バンドはサウンドメイキングにより表面的な個性を打ち出すのが上手く演奏は下手くそ

というイメージ勝手にもっているのだが、トクマルシューゴ後者に該当した。

演奏は下手くそというとさすがに言い過ぎだが、難しいギターフレーズCD音源のほうが綺麗に弾けてるし、バンドアンサンブルもなんとなくだけどそこまで息がピッタリという雰囲気でもなかった。

前日にギターの達人たちを見たかハードルが上がってたのかな?

しかおもちゃ箱を開けたようなサウンドはライブでも健在であり、楽しいライブであることは間違いなかった。

そういえばドラムの人が目測で身長190以上あって存在感半端無かった。


・SUZANNE VEGA

本当はオレンジコートVERY BE CAREFULというクンビアバンドを見たかったが、豪雨により断念。

フィールド・オブ・ヘブンのTシャツ屋でなんと2時間近く雨宿りをして意地でSUZANNE VEGAを見る。

何度テントに帰りたいと思ったことか。まぁこの時テント雨漏りしまくっていたわけだが。

しか演奏は素晴らしかった。フジロック三日間を通してのベストソングは間違いなくSUZANNE VEGAのLUKAだろう。

LUKAのリリースからは既に26年が経過しており、声の変化が心配だったが、そんなのは杞憂に過ぎなかった。

バンド編成はなんとアコギを抱えたSUZANNE VEGAエレキギターのおじさんのみ。

エレキギターのおじさんはルーパーを巧みに操り1人でドラムベースリズムリードギターをこなしていた。

最初は「おいおい手抜きかよ」と思ったが、今思えば逆にそれが功を奏していたといえる。

このシンプルな構成により、LUKAに限らずSUZANNE VEGAの声が前景化して、より感動的に仕上がっていた。

リバーブが思いっきりかかったおじさんのギターソロも際立っていた。


HURTS

豪雨によりずぶ濡れになった服を着替え、少し遅れてレッドマーキーへ。

ボーカルスーツに黒い革手袋真紅の帳に舞い降りた漆黒歌い手

いやー、モニターに足をかけて客席を指差すとかもう完全にV系です、ありがとうございました。

GLAYTERUみたいな感じとでもいいましょうか。

This song is called〜〜って演奏前にいう感じもなんか外国語ながら中二感を感じざるを得ないw

遅れて行ったからか、Wonderful Lifeが聞けなかった。

まぁ演奏よりも客を煽りまくる感じが気になったかなぁ。


・KENDRICK LAMAR

ビョークはあんまりからないし、死ぬほど混んでいたのでさらにわからないKENDRICK LAMARへ。

なんと10列目でラーメンが食べられるほど空いておりましたが、ライブ自体はとてもよかった。

まずDJセットではなくバンドセットで、B-BOYたちがバンドをやっている姿はなんともシュールだったw

そして、今風なアンビエントR&Bみたいなのを生で初めて聞いたのだが、あの手のものは音圧が半端無いんだということを知った。

Frank OceanとかJames Blakeとかも生で聞いたら恐らく音の風が吹いてくるみたいな感じなんだろう。

KENDRICK LAMARはとにかくアンダーグラウンドのワルみたいな雰囲気で、なぜか雨もやんでいてステージには屋根があるにも関わらず300円のビニールレインコートを着ていたw

ヌードッグシャンプーハットファッションとして着ていたりするが、これもそういうことなのだろうか…


JURASSIC 5

フジロックベストアクト、エンターテイメント部門はJURASSIC 5に決まりでしょう。

途中でタイコクラブで知り合った人に遭遇したり、後ろの人に声をかけられたりとテンション上がりすぎて、いつの間にか持っていたジン300mlをライブ中に飲み干していた…

ライブはショウとして完成されており、DJの二人によるショルダーCDJ!?)とショルダーサンプラーでのライブが挟まれるなど、90分間片時も飽きさせないライブだった。

そして脱退したと思っていたカットケミストが生で見られたのもなかなかに感動的。

前日のDJシャドウは深夜につき断念したが、カットケミストのターンテーブルさばきはしっかりと目に焼き付けた…と言いたいところだが、酩酊状態につきそこまで覚えていないw

DJももちろんすごかったが、前に立つ4MCもKICK THE CAN CREWのように、それぞれキャラけがしっかりとなされており、コミカルボディランゲージと共に最高のフロウを聞かせてくれた。

全てがノンストップにミックスされたライブだったので曲単位でこれがよかった!とかはあまり感じなかったが、BreakのサビやI am sombodyのコールアンドレスポンス酩酊状態だったにも関わらず鮮明に記憶している。

全体的にショウとしての完成度で言えば直前のKENDRICK LAMARを大きく上回っていたな、まぁ比較してもしょうがないが。


この後はJURASSIC 5で声をかけてきた人とそのお友達(みなさん私よりも10歳以上年上…)に二時間以上も絡み続けて、千鳥足テントに向かいましたとさ。

しかし、このおかげで翌日石野卓球まで踊り続ける仲間が出来たのは大きな収穫であった。

2013-01-16

着物が廃れるわけだ

着付けに手間がかかって雨や雪ですぐに駄目になってクリーニング代の高すぎるオシャレ着なんてめんどくさい

ポリエステルだと露骨に見下されるし 何が日本の伝統だ 何が民族衣装だという気がする

洋服の方がやっぱりいい

追記:仕事から帰ってきたので追記

雨の日や雪の日はレインコートプリントしたような着物があればいいと思った 雨や雪の日に絹なんてラララ

着物は女の心の醜さを引き立てることこの上ない資本主義の醜さの産物

 

はいはいさぞかしマナー心得てるんですね おほほほ」

「良い着物着て生地の安い着物着てる人disってるってさ」

成人式に関する反応みてるとつくづくそんな思いが増して着物が嫌になってきた

2011-03-14

取締役が全社員チェーンメール配信してた

こんな内容


防衛庁よりの情報を送ります

原発の爆発で、今後降る雨には放射能物質を含んでいる可能性が大きいので

傘をさしたレインコートを着るなどして

素肌に雨が当たらないよう自衛に務めること

家族にも連絡するように


そもそも監督官庁違うし

よーく考えたら(考えなくても)わかりやすいチェーンメール

こういう事態ではデマを飛ばすのが一番危険情報源を確かめずに流布するのは問題があるなんてことを

やわらかーくたしなめたら

「お前は理屈っぽい、社員やその家族を何としても守るのが俺の仕事だ」

とか逆ギレされた。

中小企業はいえ従業員数300人規模のこの地方ではそこそこ名前の通った会社取締役がこのレベル

辞めたい

2009-06-29

池は見つからなかったけれど

ひとりよがり後日談ブコメ頂き、恐縮です。

昨日、池を探しに行きました。

車で1時間実家の隣町には10年ぶりでした。

雨も降らず、暑い一日でした。

池は、結局見つかりませんでした。

隣町の風景子どもの頃とはすっかり変わってしまって、

池の場所がどこだったのか、思い出すことが出来ませんでした。

時間か歩いて、私は諦めました。

「もう、いいんだ」と私が言い、彼女は「本当に?」と聞きました。

私は頷きました。

それから、ポケットからスルメを取り出して、袋を開け、ゲソを一本咥え、

彼女にも一本差し出しました。

彼女は笑いながらゲソを咥えました。

ゲソを咥えて、私たちは笑いました。周りの人からはきっと変な人たちに見えたでしょうね。

私は、友達の話をしました。

ザリガニ釣りに行った話、同じミステリーを読んでいた話、彼が好きだったポッキー

大好きだった秘密の場所。今は家が立ち並んでいましたが、昔は芝生の畑でした。

こっそり忍び込んで転がって話をするのが大好きだった。

話しながら、私は泣いていました。

涙がぼろぼろ出た。そのうち、泣いているせいで話せなくなった。

私は嗚咽していました。歩きながら、子どものように泣きました。

彼女が静かに私の後ろを歩いていることがわかっていました。それが嬉しかった。

私たちは私の部屋に帰りました。

帰り道無印良品彼女レインコートを、私は黒いナイロンポンチョを買いました。

昨日の夜はいつもと同じ、私たちの静かな夜でした。

今日、雨の中、彼女と海まで歩きました。

レインコートポンチョで、傘はささずに。

フードに当たる雨粒の音と、波の音が重なっていつもの浜辺がどこか遠い国の浜辺のようでした。

家に帰ってシャワーを浴びて、彼女は帰りました。

冷えたのではなく、蒸れたのです。

日本梅雨時、傘を差して歩くほうがふさわしいというのが今日の答えでした。

明日から仕事に戻ります。

昔、友達に話したように、科学者としての仕事を続けていきます。

友達は医者になりたいといっていました。

天国があるなら、彼はそこで医者になれたでしょうか。

いや、天国には医者は要らないですね。そこが本当に楽園ならば。

これでこのお話は終わりです。

最初にひねくれた勢いで書き出したことがきっかけで、

なんだかとても長い旅が出来ました。

ありがとうございました。

コメントを下さった皆様に感謝を。

http://anond.hatelabo.jp/20090626014641

追記

友達の死因は、自転車ハンドルが胸部に当たったことでした。

後ろから来た車のフェンダーミラーが友達の自転車ハンドル右側に当たり、

その反動で私の前を横切るように、左側へ飛ばされたのです。

彼は直接車にはぶつからなかったそうです。

飛ばされてガードレールにぶつかった自転車の突起、恐らくはハンドルが胸にぶつかった。

それが学校先生から聞かされたことです。

このことも、ずっと思い出さずにいましたが、昨日思い出しました。

2008-09-05

地方都市繁華街

地方都市に住んでいる者だけど、先日の話。

彼女入院したのでお見舞いに病院に行き、

帰ろうとしたら雨が降っていた。いわゆるゲリラ豪雨的な。

一応100万都市だけど、交通はあまり発達してなく

自分も含めて、結構な割合の学生原付で移動している。

で、カッパレインコート?)を家に置いてきてしまったので、

近くのコンビニビニール製のカッパを買うことにした。

そのコンビニはいわゆる繁華街の近く、というか繁華街にあり、

キャバクラ嬢とか、ホストとか、あとまぁギャルっぽい人たち御用達みたいな感じ。

店内に入ってすぐ、500円のカッパが置いてあったのでそれを手に、

あと惣菜パンと飲み物を買ってレジに並んだら、

前にいる女の人が、盛りヘアって言うの?

なんだろう、よく最近テレビで見る髪型で、露出度が高い格好してるギャル(?)だった。

そしたらね、僕が並んでいる横から、

その女の仲間が次々と割り込んでくるのよ。

一人が会計している間に、また一人が割り込んでくる感じ。

4人か5人くらい。

みんな同じような格好してた。丈の短いデニムスカートに変な形のキャミソールみたいなやつ。

で、みんなでまとめて会計すればいいのに、一人ずつ割り込んでくるわけ。

黙って見てたけど、なんでこいつら俺が並んでるのに割り込むの?偉いの?

バカなの?→バイト先の中卒フリーターだってそんなことしないよ

じゃあ頭いいの?→俺は国立大工学部。同じ大学医学部の奴だってそんなことしないよ。変態だけど

モテるの?→俺は嫌いだよ

すごい金持ちなの?→金持ちは偉いの?慈善活動とかするなら順番抜かされた俺にも金をくれ

ヤクザ彼女なの?→あーこれは怖いかも

強いの?→俺がもっと強かったらどうするの?スカウターで測るの?

総理大臣なの?→総理大臣なんて簡単に辞めちゃうんだぞ!いなくたって日本は動いてる

偉いってなんだろうって考えた。

誰が偉くて誰が偉くないの?くそぅ、分からねぇ…。

とりあえず俺は偉くはないけど会計の順番を抜かされる筋合いは無いと思うことにした。

そうだ!彼女達をDQNと呼ぼう!偉い偉くない関係なしに。

そうして考えてるうちにレジの順番がようやく回ってきた。

ふと外を見ると、雨が止んでいた。

カッパを買うのをやめた。500円浮いた!ラッキー

2008-08-07

コミケ参加心得は、コミケに限らず夏の大規模イベントに行くときにも

http://anond.hatelabo.jp/20080806004918

初心者向けコミケ案内

すげー参考になった。(まぁ俺は少なくとも後20年は盆暮れにやるコミケには縁のない人だけどさ。アーハッハッハ)

この心得、コミケに限らず行楽地やイベントに行く人は、結構言葉を読み替えればそのまんま適応できるんではなかろうか。

たとえば

あと金の件はコミケほど必須ではないけど、行楽地に行くときも万札ばかりでなく千円札に限らず小銭を用意しておいてくれると、おっちゃん大変たすかる。盆暮れ正月の行楽シーズンは銀行が止まって両替ができないから、普段の十数倍とか大量に用意してあるけど、無くなるときはなくなるので。そうなるとパチンコ屋にいって両替したりして強面のにーちゃんとかに目ぇつけられるのはあんまりたのしくないです……。(なにかトラウマがあるらしい)

コミケには参加したことがないし参加したいができないけど、一般的な行楽旅行イベントの視点で補足すると

  • 方位磁針を用意すべし。知らない土地では方向感覚が狂いやすい。少なくとも同じ場所をループするということはなくなる。
    • 携帯ナビもいいが、止まると方向を感知できなくなるものもある。併用せよ。
  • 背負い鞄利用の際は、外側のポケットに貴重品は絶対に入れない。できたら背負い鞄に財布は入れない。
  • 冷凍する場合はペットボトルを選べ。冷凍可能とされているものを選ぶのが無難。自分で詰めて持って行くならできたら袋系(ウイダーインゼリーが入っているようなやつ)を利用せよ。どうしても冷凍用でないものを凍らせたい場合はせめて四角いお茶系のペットボトルを選択し、特殊形状のペットボトルは絶対避けよ。
  • ポケットティッシュよりウエットティッシュ。
  • ガムは乾きや飢餓感を薄めるのに役に立つ。板タイプは暑さでくっつくので、粒タイプを用意すべし。(ただし始末はきちんと)
  • 靴は足の負担を和らげるのに最重要。疲れ方に激しく影響する。当然もと増田氏の言うとおりスポーツタイプスニーカーを用意せよ。だがクッションのへたったもの、新品は避けるべし。新しく買ったものを一週間程度履き慣らしたものがよい。
  • 日焼け対策も重要日焼けするだけでも体力を消耗すると言うことを肝に命ぜよ。場合によっては薄手の長袖襟付きという選択肢も当然入ってくる。

まぁこういう事を言い出したらきりがないのだが。いわゆる「備えあればうれしいな」というやつだ(違う

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