はてなキーワード: レアルマドリードとは
「ーー俺は檸檬堂がいい」
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"キリンチャレンジカップなんて"
そうだ。キリンチャレンジカップなんて、調整不足の国々を招くイロモノ大会に過ぎなかったのだ。メッシが来てもロナウドが来ても、みんながみんな時差ボケに苦しみながらサッカーをして、勝利国にはチューハイ1年分を譲渡されるのがキリンチャレンジカップなのだ。
手記にそう書き留めた時、強烈なヘディングシュートが侍ブルーのゴールネットを揺らした。
「戦う!最後まで戦うよ!!」
気づけば声を張り上げていた。バルベルデ?レアルマドリード?そんなことはどうだっていい。俺はただ、キリンチャレンジカップの景品が檸檬堂なのか氷結レモンなのかが激しく気になっていた。
最近の檸檬堂の勢いには目を見張るものがある。レモン一点張りの潔さ、缶デザインも抜かりない。「9%はちょっと…」という方も安心できるアルコール7%の選択肢をもたせたところがニクい。
…そんなことを考えていたとき、目の前で左SBの伊藤が鋭いインナーラップを魅せた。三笘が極上のパスをつけると、伊藤は前を向いてドリブル。ウルグアイに即刈り取られた瞬間、俺は卒倒した。
深い眠りから目覚めた時、試合はすでに終わっていた。起きた瞬間、選手に向けて発していたはずだが、意識が混濁していたのだろう。何を話したのか覚えていない。
救護班に担架で運ばれている最中、心配そうに見つめるキリンの会長と目があった。今このとき動かなければいつ動く。俺はバッと身を起こし、全霊を込めて語りかけた。
…そのときの、まるでガンジーのような会長の表情を、俺は生涯忘れることができないだろう。
会長は、息を深く吐いたのち、俺に対して諭すように言った。
---キリンチャレンジカップは、また来年も開催される。
意識がまた朦朧としてきた。俺は最後の力を振り絞り、震える手でこう書き留めて眠りについた。
と。
最高のベンゼマ
2009年夏にレアルマドリードに移籍したカリム・ベンゼマが2010年夏、シーズン開幕前に同チームのサイトに掲載されたインタビューで語った言葉。
リンク切れ http://www.realmadrid.com/cs/Satellite/en/1330010321108/noticia/Entrevista/_This_is_going_to_be_my_year_.htm
引用記事 https://sports.yahoo.com/blogs/soccer-dirty-tackle/karim-benzema-promises-best-version-karim-benzema--soccer.html
I have played for this team for a year now and my Spanish is much better, which makes me feel more integrated. I think this is going to be my year at Real Madrid. [...]
Individually speaking, they [the fans] should know that they will see the best version of Benzema.
引用Tumblr.: http://just4anna-blog-blog.tumblr.com/post/888343962/karim-benzema-i-hope-to-score-a-lot-of-goals-for
最高の…ってところを実際はどう発言したのか気になったがthe best version of…だとは思わなかった。
"they should know that they will see…"は"…を約束する"と訳されて日本で広まった。
元のインタビューが英語だったのかスペイン語だったのかフランス語だったのかは追えていない。ベンゼマはフランス/アルジェリア人。
9/25-9/29、夏季休暇を取得し、憧れの国ドイツへ旅行してきました。
前夜。
トランジットのため成田から北京国際空港へ。海外で初めて口にした食べ物はピザハットのピザ。政治的事情から各SNSにはアクセスできず、乗り継ぎまで人生の貴重な8時間を出国せず空港内で過ごしました。
中国国際航空を利用しました。何故か機内モードでも電子端末は一切電源を消すよう命じられたため、退屈な機内でした。本を読んでは眠くなるため機内ではほぼ寝てました。また機内食はお粗末なもので、一緒に出されるパンやフルーツの方がずっと美味しく感じました。
9/25
フランクフルト国際空港着💢やはりメルケル氏が当選していました。
新秋のドイツは気温10~15度と寒いので、空港から降りてきた薄着の漢民族は凍えていたようです。
ドイツ鉄道が発行している「ジャーマンレイルパス」を事前に購入していたので、ヴァリデーションを済ませフランクフルトからベルリンへ移動。しかしながら自由席も指定席もほぼ満席状態で、後から乗った私は車内で立ち往生してしまうことに。ベルリンまでの移動時間はおよそ4時間半。全日一等席に乗れる権利を有していたのに惨めな旅だと思っていたら検札に来ていた乗務員が空いている自由席を見つけてくれ、さらに隣に座っていたウルリッヒ・ミューエ似のおっさんもスーツケースを上の棚に入れるのを手伝ってくれました。この時感謝の気持ちを述べた言葉がドイツに来て初めて使用したドイツ語でした。
ベルリン。
インターシティホテルベルリンにチェック。このホテルは2日間滞在していた。一人で予約しているのに何故か掛け布団が二つあったのが気に障りましたが快適に過ごせました。いかんせん成田搭乗から今まで風呂に入る機会が無かったので、ガラス張りのシャワー室でシャワーを浴びる。
行ったところ。
ブランデンブルク門。言うまでもなく、ベルリンの壁を象徴する建造物。これを見るためにドイツに来たと言っても過言ではないくらい見たかったもの。なお、この日から8日後に東西再統一27周年を迎えました。東西融合を祝して、記念に橋を架けました。興味深かったのが、門周辺はイギリスやフランス等各国の大使館がひしめき合っていて、門の直ぐわきにアメリカ大使館では警備員が厳めしく立っていたました。そして、『舞姫』で豊太郎が闊歩したウンター・デン・リンデン通り沿いを100m程歩くと今度はロシア大使館が見えてくるのですが、アメリカ大使館の2倍の敷地で厳重な警備と邸宅さながらの荘厳さがありました。当時ソ連が東ベルリンを統治する上で、東側諸国のリーダーたる威信を発揮しようとしていたかがうかがえますね。
次。DDR Museumという旧東ドイツの博物館。じっくりねっとり展示品を舐め回すように見ながら1時間半くらい経ったところで閉館のアナウンスが。まだ全部見終わってないんですが。
アレクサンダー広場のベルリンテレビ塔、に行く前に広場周辺でカリーヴルストを夕食。正直ケチャップは苦手なのですが、これはケチャップと合いますねぇ!!!!これだけでお腹一杯になってしまいました。
テレビ塔。夜景を期待してわざわざ22時に入場したのですが、ちょっと想像と違っていましたね。
2日目。朝から特急に乗ってチェコに行こうとしたのですが寝過ごしました。ただ、片道の移動時間がこれまた5時間も掛かるので仮に朝一の列車に乗っても、宿泊の都合上、日帰りで帰るとなるとろくに滞在できず一日を列車で過ごしかねないスケジュールでもあったので、正直フイにして後悔はしませんでした。
テレビを点けたらチャンピオンズリーグでバイエルンとアンデルレヒトの試合が中継されていました。2-0でバイエルンが快勝していて流石FCバイエルンでした。
昼。電車に乗ってシュタージ博物館へ。これも東ドイツ関係。『善き人のためのソナタ』にも出てきた建物。写真のネクタイは、よく見ると小さな穴が開いていて、この穴を通してカメラで反体制派の行動を盗撮していたというのですから恐ろしい。
夕方。オーバーバウム橋からシュプレー川沿いの「イースト・サイド・ギャラリー」を見学。これも東ドイツ時代の遺産。写真の男性二人(ブレジネフとホーネッカー)が交わしているアツいキスは決して男色を表しているのではなく、共産圏における挨拶の一つだという…。その後はポツダムに移動しサンスーシ宮殿を見学するつもりでいましたが、気付いたら閉園時間が近付いていたため断念。片道1時間の電車を引き返すことに。
夜。ポツダムプラッツのレストランで夕食。ベルリンのピルスナーを堪能。ドイツのビールは飲めるけど、日本のビールは何であんな苦くて不味いんでしょうか。クネーデルズッペ。ブイヨンベースに牛レバーの肉団子というシンプルなスープ料理なのですが、これが非常に美味しかったです。スープ料理で初めて感激しました。最後にベルリン名物、アイスバイン。塩漬けの豚肉を茹でたもので美味しかったのですが、ボリュームに屈し食べきれずギブアップ。すいませんでした。
帰路。連邦議事堂。丁度議会選挙の直後だったのか館内見学の予約が取れず外から見学。
ホテル内。ビールを飲みながらテレビでドルトムントとレアルマドリードの試合を観戦。やはりピルスナーは飲みやすい!それでいて1.03ユーロ(約137円)という驚きの安さ。なお試合は3-1でレアルがドルトムントをボコボコにしてました。
3日目。6時にチェックアウトを済ませ、西方シュトゥットゥガルトへ。メルセデス・ベンツ・ミュージアムを見学しに。ルイス・ハミルトンは好きじゃないですが、メルセデス・ベンツは好きです。前からSLS AMGやAMG GTのロングノーズのボディが気に入らなかったのですが、300SL等歴代の車種を見ていくにつれてこのノーズが力強さが感じられるようになり好きになりました。あと、AMG GTって写真で見るより意外と車体が小さかったです。
博物館を後にし、ケルンへ移動。2時間程移動してケルンのホテル、マテルヌスハウスにチェックイン。受付は愛想が良く好感を持てましたが、部屋がツインダブルベットで虚しさがこみ上げてきました。加えて、もともとコンベンションホールをホテルにした作りなのか、浴室の作りが人工的でこれまたムードダウン。
ケルン大聖堂。二つのアーチがそびえるゴシック様式のローマ・カトリック教会。ブランデンブルク門と並んで見たかったものその2。駅からライン川を渡った先が撮影ポイントで、道行く外国人のスリの恐怖に怯えながら100枚くらい写真を撮っていました。
夕食。『地球の歩き方』にも掲載されている有名店なレストラン。ここではケルシュという地ビールを堪能。フルーティーな味わいで飲みやすいけど、水だと揶揄されてもいいくらい苦味が薄く刺激が弱い。でもボクは好き。
4日目。最終日。朝食はフルーツポンチばかり食べてました。ゆっくりしてからチェックアウトを済まし、フランクフルトへ。
フランクフルト証券取引所。入口前に雄牛と熊の銅像。ブルベア。DAXは8月以降ずっとブルってやがる!館内ツアーガイドがドイツ語で何を言ってるかさっぱり判らなかったです。取引所を後にし、しばらくフランクフルトの金融街を闊歩してからフランクフルト国際空港へ。ドイツ旅行はこれにて終わり。
魔の5日目。トランジットの北京行の便がまさかの遅延で予定の日本行の便に乗れず。後にトランジットのカウンターに行って出発便を振り替えればよいとわかったのですが、何せ初めての事態でかなりアプセット。何とか便を振り替えてもらいましたが、中国人の話す英語が判らず聞き取るのにかなり苦労しました。
19時頃羽田空港着。成田じゃなくてよかったです。ここでクイズ。東京に着いて一番最初に食べたものは?そうですね、ラーメンですね。
初めて一人で行く海外旅行でしたが、正直旅行というより社会科見学に近いものでした。博物館で2時間も3時間も過ごすのでもし人と一緒に来ていたらうんざりするでしょうし、この点は一人でよかったです。完全に自分の時間が流れていました。
しかしながら、やはりトラブルがある時はやはり一人で対処しないといけないですし、当然コミュニケーションは外国語なので言葉がわからないと辛いものがありますね。幸い身振り手振り肉体言語でも伝わるのでこの点は何とかなることはありますが。意外にも滞在期間中一切日本語を喋らなかったのが精神的に辛かったです。
9ヶ月にわたった戦いも、はや過去のこととなり、わが清水エスパルスは、今やその任務を果して、ここに今シーズンを終了することとなった。
しかしシーズンは終了しても、そのために我らサポーターの務めや責任が、軽減するということは、決してない。
この残留で収めた成果を、永遠に生かし、さらにチームを強豪にするには、シーズン序盤、終盤の別なく、まずもってチームの主力層に対し、
重要な役目を持つ若手・ユース層が、常に万全の戦力を保持し、ひとたび事あるときは、ただちに、その危急に対応できる構えが必要である。
ところで、その戦力であるが、戦力なるものはただ年俸や名声の物や数によってだけ、定まるのではなく、
百発百中の砲は、一門よく百発一中、いうなればスタジアムに毎節行くサポーターは年間に1度しか応援に来ないサポーター34人と対抗することが
できるのであって、この理に気づくなら、われわれサポーターは無形の実力の充実、即ちリピーターに主点を置かなければならない。
先般わがエスパルスが残留を得たのは、もちろん大榎監督の奮励によるとはいえ、一面また危機的状況下のサポーターの応援によるものであって、
それがあのような事例をもって、将来を推測するならば、たとえ戦いは終ったとはいえ、安閑としてはおれないような気がする。
考えるにクラブの一生は戦いの連続であって、その責務は優勝争いであれ、残留争いであれ、
その時々によって軽くなったり、重くなったりするものではない。スタジアムで試合があれば、声を枯らして戦力を発揮するし、
試合が無いときは、チームの状況を見つめ、ひたすらその本分を尽くすことにある。
過去数ヶ月かの間、風雨と戦い、寒暑を冒し、しばしば強敵とまみえて生死の間に出入りしたことは、もちろんたいへんなことではあったが、
考えてみると、これもまた、長期の一大演習であって、これに参加し、多くの知識を啓発することができたのは、サポーターとして、
この上もない幸せであったというべく、なんで残留で苦労したなどど、いえたものであろう。
もし選手が太平に安心して、目前の安楽を追うならば、補強の外見がいかにりっぱであっても、それはあたかも、砂上の楼閣のようなものでしかなく、
ひとたび引き抜きにあえば、たちまち崩壊してしまうであろう。まことに心すべきことである。
むかしJリーグ創立当初無敵の強さを誇っていたヴェルディ川崎が、数年間は日本を代表するチームであったけれども、一たびオーナーが手を引くと、
たちまちこれを失い、また近世に至っては、ジュビロ磐田が太平になれ、世代交代をおこたると、数人の主力の扱いにもフロントが苦しみ、
また過去様々な下位チームは資金力のあるチームから主力をねらわれても、これに立ち向うことができなかった。
目を転じて西洋史を見ると、スペインサッカー初期から存在するレアルマドリードは、毎年一人はビッグネームを獲得することで強豪チームをゆるぎない
案泰なものとしたばかりでなく、それ以後、下部組織の後進が相次いで、よくその能力を維持し、世運の進歩におくれなかったから、今日に至るまで永く
伝統を守り、名門を伸張することができた。
考えるに、このような古今東西のいましめは、チームのあり方にもよるけれども、そもそもはサポーターが平安な時にあっても、戦いを忘れないで、
チームを愛しているか、どうかにかかり、それが自然にこのような結果を生んだのである。
われ等残留後のサポーターは、深くこれ等の実例を省察し、これまでの応援の上に、残留の体験を加え、さらに将来の進歩を図って、
時勢の強豪チームにおくれないように努めなければならない。そして常にスタジアムに足を運び、ひたすら奮励し、万全の実力を充実して、
時節の到来を待つならば、おそらく、永遠に王国の大任全うすることができるであろう。
神は平素ひたすら鍛錬につとめ、戦う前に既に戦勝を約束された者に、勝利の栄冠を授けると共に、一勝に満足し、太平に安閑としている者からは、
昔のことわざにも「勝って兜の緒を締めよ」とある。