はてなキーワード: ルーズとは
誰かが今まさに書いてるであろう他の雑誌と被らなそうな所
漫画アクションは、週刊→休刊→隔週で復刊して発行中、というちょっと特殊な経緯を持った雑誌
双葉社はピンチになると神風が吹く、とも言われて、その神風でほぼ埋まるんだよね
一作者一作品しばりではあるが、このしばりが必要ないんだよなあ
タイトル通りなのだが、今小4の娘がいて、箸の持ち方が良くない。
その箸の持ち方は、妻の持ち方そのままなのである。
自分は両親共におおらかなタイプで、細かく躾やマナーなど教え込まれた記憶がない。(妻もおそらく同様の育てられ方をしている)
ただ、箸の持ち方がなってない=大人として恥ずかしいという意識が、大人になるまでに自然と芽生えたため、自分は自主的に箸の持ち方を直してきた。
結婚生活の中で自分と妻とを比べると、自分の方が神経質で、妻の方がややルーズなところがある。
ただ、結婚生活というのはどちらか一方がもう一方の方に合わせることよりも、お互いの妥協点を上手く見つけることの方がずっと多いのである。例えば家が汚れてるぐらいのことなら、自分は指摘したり注意したりするよりも自分からさっさと掃除したりしている。妻側だって、自分には面と向かって言わないけど諦めていることなど多々あるだろう。
娘には自分から過去何度か指摘したことがあるのだが、普段食事を共にすることが多い母親が同じ持ち方をしているわけなので、結局大して直らず今に至っている。
自分も、ちゃんと箸の持ち方もできないような人間は社会に出ると恥をかくよ、と言いたい気持ちもあるが、それでは妻を不快な気持ちにさせてしまうような気もしている。
こんなに箸の持ち方でモヤモヤしている自分は、変なのかな?少数派なのかな?
娘のためにならないのなら、もっと強く言った方が良いのかなと考え中。
〜追記〜
この間、いつも集金に来る共産党の元町議がやってきて、ついに共産党議員団を解散する、赤旗の配達を終了すると言う話を聞かされた。
ただ、共産党とは外れるけど、共産党とは別の形の地域議員グループとして存続していくと言うことらしかた。
別の人に引き継いで赤旗の購読はできると言われたけど、正直、この議員さん個人にお世話になっているから配達してもらっていただけであって、別にいらないので印刷版の購読は終了することにした。
ここは昔から伝統的に日本共産党の勢力が強くて、共産党系の病院とか、共産党系の農業者団体とかある町なんだけど、
最近、その中心で活動していた共産党議員団の活動がほとんど目に見えなくなってた。
そこでこれである。
伺うと、前から町で活動していた若手の議員グループがいて、そのグループから色々な条例やら活動やらで協力するようになっていたらしい。そのグループは40代から50代を中心として、若い人も入っているグループで、そこから3人町議を送り出していた。
ただ、年寄りが足りない。若い人だけだと仕事もあるので活動が難しい所があった。そこで旧共産党と協力してやる事が多かったそうなのだが、ついに共産党議員団を事実上解体して、そのグループに合流することにしたのだそうだ。と言っても、もう共産党議員団は一番若い議員も74になるし、次の改選になるが引退の意向のようだった。前は4名は送り込んでいた議員も今は2名。会計のチェック能力などは凄い手腕をもってて活動していたけれど活動は弱くなっていた。これを機にメインで動いていた人は引退していくので、事実上の吸収合併と世代交代ということのようだ。
ここが担っていた、共産党系の農業者のグループも同時に解散する事になった。まぁ近頃は確定申告の勉強会ぐらいしか活動やってなかったが。
共産党というとアレルギーを起こす人も多いだろうが、彼らの活動は、議員としては町政の監視と言う事で、ルーズになりがちな田舎の町長を監視するのが主な仕事で、結構成果を上げていた。
例えば、我が町の最大のスキャンダル、土地開発公社に関わる利益供与事件・不正会計は彼らが見つけたものだ。町長が経営する建設会社から町が直接土地を買うと目立つので、土地開発公社に迂回して購入する事で町のルールをバイパスさせたと言う件である。そして土地開発公社は似たような事に使われていたことが次々と発覚して解体させた件だ。
一方で、それ以外は地道な活動が多く、困窮者の支援や、困りごとの相談、本来なら行政がやるべき行政手続きの話のフォローやら、お祭りで屋台を出して盛り上げたり、子ども達の見守り活動をやったり、通学路の草刈りをしたりと、そう言う団代であった。なので地域でもそれなりに一目置かれており、特にまとまりという点ではよい団体の一つだった。
しかし、このような決断に至った理由は、高齢化の話が最も大きいが、やはり県の共産党から降りてくる施策になかなかついて行けないと言うのもある様だった。思想的な話というよリも、組織力が落ちてきている中で、共産党の中央組織はただただ組織の引き締めと称する、要求やノルマを地域に下ろすだけになっているようで、ノルマは当然達成できないし、する気もなくなっているようだった。
それから、この団体の中核を担っていた、社会福祉法人の理事長の代替わりも関係していると思う。どうやら民医連から脱退したらしい。何があったか知らないが(すっとぼけ)
ということで、新しい団体の報告会があるようなので聞きに行ってくる予定である。たぶん、共産党から降りてくるくだらない仕事が消えた分だけ、町政によい影響があるのではと期待している。
伸びてて驚いたので、誤解を生みそうな所を補足させてほしい。
大学2〜3年頃からだったか、ソナチネのたけしに憧れてマジで白シャツスラックスしか着なくなった。菊次郎の夏だったかも。
海沿いで腰掛けてボーッと波を眺めたり、繁華街を練り歩いたりしながら無限に主人公ぶってた。
ヨウジかギャルソンが良かったけど、サイズが合わなかった。ユニクロのスラックスは夏でも快適だ。
同じ格好しかしないからコーディネートの幅は磨かれなかった代わりに、シルエットや丈に異常なこだわりを持つようになった。
オタクが服に興味を持つとそうなるのかもしれない。求める先は異性や他人からのウケではなく。おれの場合はきっかけの時点でもうオタクっぽい。
モサい頭のチビガリだし、たけしのとっぽさにはきっと程遠かった。日中から手ぶらでうろつく姿は変な高校生みたいだったと思う。「主人公」は鞄を持たない。
と思ってた。
最近スタイルというのはもっと必然的なものなんじゃないかって思う。
炭鉱夫はデニムを。軍人は迷彩を。スケーターは動きやすいルーズな服を。オタク少年はママが買ってきたちょっと古いセンスの服を。
そこに演出はなく、その人を取り巻く環境が、生き様が服へと現れる。その自然体こそがスタイルなのではないか。
カートコバーンの真似をしてボロい服を着るのはグランジなのか?なんて語り尽くされた話だ。
スタイルは自分から喧伝せずとも周りが勝手に見出していく。そこには服飾というより精神性としてのかっこよさがある。
ザッカーバーグやジョブズが同じ服ばかり着るのも、彼らの忙しない日々を描くスタイルだ。それをノームコアと囃し立てて、こだわってない風の服をわざわざこだわって選んでもコスプレでしかない。
オタク君の服ってこういうのばっかり、的な揶揄だってベクトルは違えど本質的には賞賛と変わりないのかもしれない。
じゃあおれにとっての環境とは何か。「時代」というのは一つの環境ではないのか。
自我を持って着せ替え人形やコスプレをやるよりもむしろ、服にさほどこだわりのない人が流行に巻き込まれる着る服にこそスタイルがあるのかもしれない。
Twitter(a.k.a 𝕏)で、時代ごとの流行りの比較イラストや写真みたいなのがたまに流れてくる。ファッションは巡るって言説を添えて。
古めの映画を観てても、ジーンズ履いてスタジャンのポットに手を突っ込む若者が妙にかっこよく見える。「その時代の若者」というスタイルが。自分にそういう時期がなかったのがなんか寂しいし、ちょっとコンプレックスですらある。
この際スタイルとかどうでもよくて、能動的なミーハーでもなんでもその時代らしい若者の姿に染まりたいという気持ちがある。
2ch脳拗らせてミーハーを小馬鹿にしてた反動が来たのかも。何なら今だってサンバ履いてゆるいパンツ履いてる連中を若干小馬鹿にしてるけど。いつか自分もそれに倣わなかった悔やむ時が来るのかもしれない。
あの頃もたけしぶってる場合ではなく、若者らしく時代に染まっていれば良かったかな。
と思ったけど、冷静に考えたらそれ以前は「その時代の若者」であった時期もちゃんとあったな。
スラッとしたシルエットにと言われていた筈が、今や掌返して頭でっかちになるとか言われてオワコン扱いを受ける黒スキニーをちゃんと履いていたではないか。1460に捩じ込んで。流行りは3ホールだったけど。チェスターコートも着てた。
げんじファッションの黎明期だ。あれ下半身だけパンクスみたいで面白いな。
服にも強いこだわりは無かったし、自我がないからこその「スタイル」があった。
ミーハー心でyeezyも持ってたしな。QNTM。アレ今でも普通にかっこいいと思う。ブーム末期な上に履きおろさずに売っちゃったけど。
beatsのヘッドホンとかGIATNTSのチャリもかっこいいなと思ってた。まとめサイトの受け売りで情弱向けのゴミ音質とかルック車とか小馬鹿にしつつ、割と欲しかった。
世間でMBTIとやらが流行り出してしばらく経つが、これは一体いつ終わるんだ?
前提として、俺はこういった自分をカテゴライズする系のものは嫌いではない。
むしろ好きな方だ。
高校で出会って今まで一緒に過ごしてきた中では、人の気持ちに寄り添える、良くも悪くも人間らしい愛される存在だった。
そいつは最悪な会社に入ってしまって軽い鬱状態になっていたと思う。
俺や他の友人がいくらやめろと言っても聞かず、結局飯をあまり食べられなくなってから退職した。
そいつはINTJと診断結果が出ていた。
正直なところ俺たちの知っているそいつの性格とは真逆だったが、特に伝えることもなかった。
その辺りから段々変わったと思うことが増えてきた。
複数名で集まる時に、俺たちはざっくりしたことだけを決めて集まっていた。
だらしがないと思う人も多いと思うが、高校時代から遊ぶ時の時間にはルーズなほうで、大体14時くらにここな!とだけ決めるって感じ。
(社会人になってからは流石にいく場所とかもうちょい決めるようになった)
俺の印象だが、そいつも事前にあれこれ決めるのは苦手なのだと感じていた。
だが診断をしてからは次に会う時期を早めに決めてくれ、何するかも決めたいんだよと言っていた。
そいつはまだ心が落ち込んでいる状態だと思っていたから、俺たちはなるべく彼の希望通りにしようと心がけた。
1年以上経った今でもそいつは変わったままだ。
会社の同僚と仲良い環境で働いている奴の前で仕事とプライベートを分けられないのはクソだと言ったりしている。
何を話してもこうすればいいだろ?と言い放ち会話が終了してしまう。
つい昔と比べてしまうんだよな。前のそいつはノリ良くて、その場を盛り上げてくれる奴だったんだよ。
今はなんだかMBTIの診断結果に寄せて行動しているような気がする。
会話していて楽しくないんだ。
もちろん人間だから変わっていくのは当たり前なんだが、それにしたってこんなに変わるか?と思うよ。
こいつとは一生の友人でいられると思ったんだが、もう難しいかもしれない。
奴が変わったんだろうか、それとも俺が変わらなすぎるんだろうか。
世間でMBTIとやらが流行り出してしばらく経つが、これは一体いつ終わるんだ?
前提として、俺はこういった自分をカテゴライズする系のものは嫌いではない。
むしろ好きな方だ。
高校で出会って今まで一緒に過ごしてきた中では、人の気持ちに寄り添える、良くも悪くも人間らしい愛される存在だった。
そいつは最悪な会社に入ってしまって軽い鬱状態になっていたと思う。
俺や他の友人がいくらやめろと言っても聞かず、結局飯をあまり食べられなくなってから退職した。
そいつはINTJと診断結果が出ていた。
正直なところ俺たちの知っているそいつの性格とは真逆だったが、特に伝えることもなかった。
その辺りから段々変わったと思うことが増えてきた。
複数名で集まる時に、俺たちはざっくりしたことだけを決めて集まっていた。
だらしがないと思う人も多いと思うが、高校時代から遊ぶ時の時間にはルーズなほうで、大体14時くらにここな!とだけ決めるって感じ。
(社会人になってからは流石にいく場所とかもうちょい決めるようになった)
俺の印象だが、そいつも事前にあれこれ決めるのは苦手なのだと感じていた。
だが診断をしてからは次に会う時期を早めに決めてくれ、何するかも決めたいんだよと言っていた。
そいつはまだ心が落ち込んでいる状態だと思っていたから、俺たちはなるべく彼の希望通りにしようと心がけた。
1年以上経った今でもそいつは変わったままだ。
会社の同僚と仲良い環境で働いている奴の前で仕事とプライベートを分けられないのはクソだと言ったりしている。
何を話してもこうすればいいだろ?と言い放ち会話が終了してしまう。
つい昔と比べてしまうんだよな。前のそいつはノリ良くて、その場を盛り上げてくれる奴だったんだよ。
今はなんだかMBTIの診断結果に寄せて行動しているような気がする。
会話していて楽しくないんだ。
もちろん人間だから変わっていくのは当たり前なんだが、それにしたってこんなに変わるか?と思うよ。
こいつとは一生の友人でいられると思ったんだが、もう難しいかもしれない。
奴が変わったんだろうか、それとも俺が変わらなすぎるんだろうか。
ふーん、大変そうにゃあ。でも、ねえ、無理して変わろうなんて思わなくてもいいんじゃないかにゃ?人生にゃんて、いろいろ起きるさ。変わり続けるのもいいけど、自分にとって何が大事かを見つけるのも大切にゃあ。昔の自由さやルーズさが恋しいなら、自分の時間を大事に使って、楽しいことを見つけるにゃよ。
家庭もあって、ローンもあるから大変かもしれんけど、日常の小さな楽しみを見つけるのも一つの手にゃ。例えば、趣味を持つとか、新しい友達作るとか、小さな冒険で気分転換するにゃあ。
仕事が面白くないなら、無理して「面白い!」と思う必要もないにゃ。収入が大事ならそれでいいし、家庭が大事ならその時間を優先するにゃ。先人たちがどうしたかなんて気にしなくても良いさ、自分がどう感じて、どう生きたいかが大事にゃんだから。
40歳、子持ち、ローンあり。
まだまだ稼がにゃいかんのに、仕事が面白くないなあ。長く続けてる会社だが、もはや変わってしまって、昔のようなルーズさや自由さがなくなってしまった。「面白い」「すげえ」という奴もいなくなって、数字ばかり追うようになって、集団主義になって。
昔の価値観から抜け出せない、とも言う。変わり続ける奴だけが生き残るとはよく言ったものだ。それでも、残念ながら変わり続けることは疲れを伴い、そして、面白くない。先人たちはどうしてきたのだろう。転職か?独立か?それも本当にすごい選択肢だ。家庭があるのによくできる。今の給与がギリギリなので勇気がいるのと、そもそもモチベーションがない。
緩やかな死というやつか。これが。
ああ、しんどい。どうしようか。
うーん、そんなに違うかな…
擁護が多いのはクリエイターかどうかというより、ブクマカにADHD特性持ってる人が多くて他人事に思えないのだろうと思うけど
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/hochi.news/articles/20191026-OHT1T50069.html
わざとじゃなくてもダメなことだし然るべき処分を受けるべきと思うけど、自分も同じ状況なら似た感じでやらかしそうな気がするので叩く気にはなれんなぁ…。
いやエピソード全部見た感じ重度のADHDでしかないんですけど。電気ガス水道が止まるまで郵便受け見ないとか、コンビを誘われて返辞に悩んで数年放置で疎遠になるとか顕著過ぎる症状出てます
記事読む限りルーズなだけで悪質ではないので、そこまで叩かなくてもいいと思うんだけど、みんなまあ金持ってる奴はとりあえず叩いとけ!な姿勢なんだろうな。
基本はそうだよ?型定義なんかない方が解析が早いからわざわざGoogleが型にルーズなPythonを流行らせたわけだし、
コードが遅いのだって彼らの目的には間に合ってたんだからいいんじゃね?
データ解析系は結果さえ出ればよいので処理時間でのチューニングなんかしないしな(=仕事上・研究上価値がないので高速化の勉強をしない)。
パッとコード書いて試して、違ったらちょっと変えてまた試しての繰り返し、そのサイクルを如何に回すかの世界だ。
もちろん速さが必要な分野、例えば競プロ勢はそこの戦いだからアルゴリズムを爆速で動かすぞ?
まぁコピペが多いとかは限られた時間で問題の答を出さないといけない競プロでは正解になることがあるけど、
それはただプログラミングの経験が浅い人が多いだけで、競プロ・機械学習出身者だからコピペが多いという話なのか?
ただ経験の浅い人が流行り物の競プロ・Pythonとかに飛びついただけの話で、それを機械学習出身者とかってくくるのはおかしい。