はてなキーワード: ルボックスとは
数種類試せばほとんどの奴に効く薬が見つかるよ
劇的かは個人差が大きいけど、プラシーボでもなんでも多少でも楽になるなら月数千円の出費は安いもんだよね
ほちゅうえっきとう(ツムラなら41番)やジュウゼンタイホトウ(ツムラなら48番)あたりがうつ関係では効くとされているかな
リーマス、ラミクタール、ラツーダ、エビリファイ、セロクエルを試したが双極うつに効果なし
漢方薬は抑肝散加陳皮半夏を処方されたが、非常に弱い抗不安効果を感じる程度だった
双極診断前のうつ病診断時にはルボックス、パキシル、レクサプロ、イフェクサーを十分量、十分期間服用していたが、そこまでバシッとは決まらなかった
色々服用してみて感じたのは、プラセボ効果があるのは服用開始直後のみということだった
短期の仕分けバイトやった程度しか知らんけど、例えばヤマトや佐川が配送料金3倍くらいにしたとしてもすぐに解決するのは無理なんじゃないかって思う。
多分、物を置いておく場所が足りてない。
短期バイトって当たり前だけど繁忙期に雇われる訳だけど、そういう時期のヤマトや佐川、ついでに郵便の何が大変って物を置いとく場所がなくなることだと思うんよ。
置いとく場所がないから、カゴ車(ロールボックスパレット)へ雑でもいいから積み込んで送っとけ! ってなる。
で、雑な積み込みしてるもんだから送った先での仕分けが遅れて、仕分けが遅れるもんだから荷物溜まって、そっちから送り出すカゴ車もぐっちゃぐちゃになって連鎖的に作業が遅れていくんよ。
俺が働いてたのは結構前だから、今はそこまでぐっちゃぐちゃではないのかもしれないけど仕分けが遅れはするだろう。
仕分けが遅れたら当然配達にも影響がでるし、その上で荷物の量自体も多いのだから配達員はもっと大変になる。
しかも俺もそうだったけど、短期バイトなんて仕事覚えた頃にはいなくなってるような連中な訳じゃん。
年末などの繁忙期は仕事量的にも作業する人間の質的にも作業効率が落ちる時期で、その状態で急に荷受量が増えたらそりゃ対応できなくなるよね。
年末商戦やお歳暮の時期なら冬休みの学生とかがバイトに来るだろうけど、ブラックフライデーは時期的に少し前の時期だから短期バイトの集まりも悪そうだし。
こんなふうに俺は考えているので配送料金上げたとしても、劇的に状況が変わるとは思えない。
○○○○円以上なら送料無料! みたいなところが増えて、セールでまとめ買いする人が増えて荷受量がますます繁忙期に偏るだけなんじゃね? って気もするし。
それなりの期間を小売店員として働いていました。
お客様から不審者が居ると言われれば、店はもちろん対応します。
ただtogetterでまとめられていた方のお店の様な対応は、私が勤めていた店では行っていませんでした。
お店の規模や扱う商品によっても大きく異るとは思うのですが、私が勤めていた店の場合の対応を以下に書いてみようと思います。
仮にトイレ周辺の椅子や階段などに座り込んでいる不審な人物が居たとします。
これは実際に腹痛など体調不良が原因で座り込んでいる場合もありますので、その確認も兼ねています。
大抵の場合、この時点で座り込んでいた人物はその場から立ち去ります。
立ち去った場合は基本的に店としての対応はそこまでになります。
店側の人員の都合上ずっとその人物に張り付いて回る訳にもいきませんし、座り込んでいたというだけで警察に通報するという訳にもいきません。
もちろんその人物が同じことを何度も繰り返しているなど、あからさまに怪しい行動を場合は警察に相談します。
まとめのお店の場合はかなり怪しかったとはいえ車のナンバーまで控えて、顔認証システム? で入店拒否もする様にしたとの事なので、最近のお店は結構踏み込んだ対応をするのだなぁと思いました。
問題は立ち去らなかった場合、或いは一旦立ち去った後に戻ってきて再び座り込んだ場合です。
こういったケースでは警備担当者を含む、複数の従業員で対応する必要があります。
ただ万引き犯の場合は店の外に出た時点で犯罪が成立しますが、不審であるというだけ犯罪者として扱う訳にはいきません。
ですので基本的には掃除や消毒など業務上やむを得ない理由で立ち退いて頂くという体で、その場から立ち去る様に促します。
それでも「子供を待っている」といった理由で留まり続けようとした場合、後ほどお子様を従業員が案内するので別室で待ってはどうかという体でバックヤードまで連れて行きます。
そしてバックヤードまで連れて行った後に、不審に思われる行動を取っていると店が判断したことを伝えます。
バックヤードに連れて行った後の対応は概ね万引き犯への対処と同じです。
なぜバックヤードまで連れて行ってから伝えるのかというと、相手がパニックに陥った時に売り場に出ていく事を防ぐ為です。
大抵のお店がそうだと思うのですがバックヤードは、搬入路のシャッターを閉めてしまえばほぼ密室化しますし、鍵を掛けられる部屋もあります。
その上でできるだけパニックを引き起こさない様にゆっくりと話しかける様にします。
なぜそこまでパニックを恐れるかというと、パニックになった人間が何をしでかすか分からないからです。
暴れたり泣き出したりならまだ対処のしようがあるから良いのですが、戻してしまって周囲が吐瀉物まみれなんて事もあります。
極稀なケースではありますが、失禁したり脱糞したりという事もあります。
その為、店側としてはパニックにならない方が助かる訳です。
ですので、まとめのお店の警備担当者の対応は私の様な人間からすると、かなり強引な対応の様に見えてしまいました。
警備担当者が元警察官という事でしたから、対象の人物が暴れだしても容易に拘束できるという自信があったという事なのだとは思います。
まとめでも少し言及されていましたが、小さな店舗の場合は警察OBなどではない人物が他の業務と警備担当者を兼任している場合もあり、まとめのお店と同じ様な対応を取るのは難しいケースがあるという事をご留意して頂ければと思います。
最後にバックヤードへの誘導に応じず、その場で暴れだした場合です。
私が勤めていた店の場合、店内で暴れる人間が現れた場合は原則としてお客様の避難誘導をしつつ自分も逃げる事を基本にしていました。
防犯訓練も逃げる事を基本としたもので、ロールボックスパレット(カゴ車、カゴ台車)などを用いて暴れている人物の行動を制限する訓練はありましたが実践的とは言い難いところがありました。
小売店は多くの場合アルバイトの従業員がほとんどですし、正社員だとしても暴れる人間を取り押さえる訓練を積んでいる訳でもありません。
大人数で取り囲めば不可能ではないとは思うのですが、取り押さえた相手が死傷する事故も起こり得ます。
素人が興奮状態の人間を拘束しようとする事は色んな意味で危険なのです。
私が小売店で勤めていたのは結構前ですし会社によって対応も異なるので、もしかしたら拘束を基本としたマニュアルを整えている店舗もあるのかもしれません。
「天地無用」「上積み禁止」「割れ物注意」「この面を上に」「指定時間厳守」「コワレモノ(なぜかカタカナ)」などなど
荷分けしてる時にこういうの全部考慮して積み込むとか無理だから、結局品目で判断するしかなくなる
さっさと片付けないと次の荷物が来て詰まっちゃうから、荷分け担当の人間は常に急かされてる
そんな質の良くない人間がワーワー言いながら、必死こいてロールボックスパレット(カゴ台車とか言ったりするアレ)に荷物を積み込んでいく訳だ
そんなんだから年末年始(お歳暮も含む)やお中元シーズンといった時期はどうしても荷物の扱いは雑になる
繁忙期はトラックから降ろした時点でぐっちゃぐちゃだったりする事も多い
上積み禁止シール貼っていても重たい荷物はどうしたって下の方になりがちだし、割れ物シール貼っている明らかに割れ物じゃない荷物は適当なケースに放り込む事になる
誰が言ったのか知らんけど、シール貼ったら荷物の扱いが丁寧になるなんて事はほとんど無いんだ
つーかね、割れ物や上積みしたら壊れる様な荷物はまず梱包をしっかりしてほしい
テープをケチってるのか数カ所軽く止めてるだけの箱とか、ケチって小さな箱使ったせいではみ出てる荷物とか、米送るのに米袋の口をセロハンテープで止めてるとかやめてほしい
特に粘着面があるからって送り状を箱を閉じるテープ代わりにするのは本当に止めて欲しい
送り状を破かない様に剥がした上でテープで閉じて、送り状を貼り直す必要があるからすんげー手間食うの
割れ物対策は徹底するなら箱を二重にして、梱包材を詰めて内側の箱を動かない様にするのが確実だと思う
要はアマゾンの箱みたいな感じにするって事だな
アマゾンの箱は二重ではないけど、内側入れるダンボール板に品物をくっつけて動かない様にしてるから破損しにくい
アマゾンの箱は意外と丈夫だしね
通販業者だとオリコン(折りたたみ式のプラスチックコンテナ)を使ってるところもあるな(後でオリコンだけ戻す)
アマゾンの箱やオリコンは大きさや形が揃っているから、他の箱に比べてかなり扱いやすい
逆に無理やり詰め込んでデコボコしてる箱や、ビニール袋に送り状貼り付けただけ(品目が衣類なのに割れ物注意)みたいなのは扱いづらい
「くっそ重いから下の方に積みたいけど、蓋のところからなんかはみ出てるから上にしか置けねぇ!」みたいなのは本当に扱いに困る
もちろん荷分けする人間は丁寧に素早く荷分けしなきゃダメだし、配達する人間も荷物を雑に扱ったりしちゃダメだ
荷分けする時に投げたり蹴ったりする奴が居たり、確認もせずに不在票置いていく奴が居るのも確か
その上で貴方の荷物を安全に確実に届ける為に、とにかく梱包だけはしっかりやってください
どうかお願いします
物心ついて間もない時期に、母から無理心中を迫られたことがある。
死についてよく分かってなかった自分は、「死にたくない」と母に答えた記憶がある。
母はその場で泣き崩れ、何とか死なずに済んだ。
後で詳細を描くかもしれないけれど、自分の生まれた家庭は不完全家庭だった。
とにかく、その日から、死ってなんなんだと考えこむようになった。
幼稚園に上がってしばらくした頃、悩みはピークに達してあまり眠れなくなった。
周りの子供に相談しても不安がらせてしまって、当時の幼稚園の先生からこっぴどく怒られた覚えがある。
書いてて思ったけれど、幼児が眠れなくなるって大ごとだ。
小学校に上がってからの記憶はほとんどない、ただ周りに合わせてテキトーに振舞い続けた。
唯一記憶に残っているのは三年生だった時で、担任が超熱血教師だった。
うちに家庭訪問しに来た時、和室に入った時の言葉は今でも覚えている。
和室にある仏壇を見て、「ああ、創価学会員でしたか、うちは妻が幹部をやっておりまして。ちなみに私は共産党系です。」
当時はあまりピンとこなかったが、しばらく経ってから自分で調べてみた。
親に連れまわされて行っていた会館などの集いも、小学校に上がる前に全力で拒否して行かなくなっていた。
当然親からは殴られた。それでも反抗した。
父はそれほど熱心でもなかった、気が向けば仏壇に手を合わせている程度。
三年生だったころはその熱血教師とも気が合って、それなりに楽しく過ごせた。
でも家庭はぐっちゃぐちゃで、母からよくなじられた。
「お前が(ryから父さんもあまり家庭と向かい合ってくれない。」
父も父で、母に対して気に喰わないことがあると自分を経由して文句を伝えさせようとしてきた。
言わないとそれはそれで面倒なので、父の伝言を母に伝えた。
母は激怒し、私に当たり、そして父にこう伝えろ、と迫る。
そういう板挟みが続いたころ、もうどうしようもなく死にたくなって、自宅で包丁と飛び降りコンボを使って未遂を起こした。
ベランダの上に立って、首を切った瞬間に飛び降りようとしたのだった。
その時、家には誰も居なかったのだが、実行しようとしたタイミングで母が帰ってきていた。
私は母に気が付かず、後ろから羽交い絞めにされた。
母は号泣していた。
この人、昔心中を迫ってきたくせに泣くんだなと思った。
「あなたはこんなことする子じゃないでしょ、何があったの?」
いやいや、目の前でこんなことをしようとしてたのが、アンタの子だよ。
中学に上がってからの記憶もあまりない、気が付いたら中二の年越しで食物アレルギーを起こした。
唯一携帯電話を持っている友人が私の家族に電話しても全く出ず、友人たちは仕方なく私を自宅に運んでくれた。
寒い、寒い、とうわごとを繰り返す私に友人が毛布を掛けて温めてくれる。
両親が帰ってきたのはそれから2~30分後。宗教の集会に行っていたらしい。
そして病院に運び込まれ、友人と両親、私は病院で年越しをした。
「蕎麦アレルギーで年越しとは幸先が悪いね、ハハハ。ところで、その手首の傷は自分でやったの?」
思いがけない質問が飛んできたけれど、意を決して私は頷いた。
あとで知ったけれど、その医師は小児神経科も診ることが出来る人だった。
「…二時間くらい。」
「何とかしたいと思う?」
私は静かにうなずいた。
私につけられた診断名は自律神経失調症とそれで発生した鬱、そして重度の不眠だった。
治療内容は、ルボックスという抗うつ剤と、生活リズムを記録につけるように指示された。
治療は三歩進んで二歩下がるという感じの速度で進んでいき、気が付いたらリストカットをやめていた。
鬱がひどい時でも気合いのような何かで無理くり体を動かし、学校へ通った。
精神的に辛くて行きたくない時は、母が私をぶん殴って無理やり車に乗せ、保健室に突っ込まれた。
そんな凸凹でも何とか成績は維持していたらしく、高校入試は指定校推薦を受けることが出来た。
ちなみにこの時点でまだ鬱の治療は続いている。
「お母さんの信心が届いたおかげよ。」
この人は自分のやっている事しか見えていないんだな、と思った。
不思議なことに落胆はしなかった。
あきらめていたんだと思う。
高校は楽しい記憶で埋め尽くされていたけれど、相変わらず頭の中は生死の概念を掴むことに夢中だった。
高2の春休みが終わる頃に、自転車で日光に行き、華厳の滝に飛び込んで、すべて終わらせようとした。
夜の7時ごろに家を出て、携帯の電源を切って、ひたすら自転車を走らせた。
国道四号線をずっと北上し、もうそろそろ日光につく頃だったと思う。
東の空が明るくなった。
夜明けだ。
夜明けなら、夜はどこに行ったのだろう?
そう思って反対側を見るとまだ夜だった。
月と太陽が同時に見えた。
その時の自然の美しさに心を打たれてしまって、私はその場で泣き崩れた。
けっこうな時間泣いて、家に帰った。
そんなこんなで、そこから数ヶ月経過した高2の夏休みの最後に、小児神経科の主治医の判断により治療がひと段落した。
希死念慮だけは消えてなかった。
主治医の見立てでは、「まあ何とか乗り切れると思うよ、強いし。」とのことだった。
実際強かったと思う、よく耐えきれたと思う。
大学はかなり白熱した環境だったので研究や学業にのめり込んだ。
2年後の卒業を経て、私は教授のツテで食品物流会社に就職した。
仕事は楽しかったけれど、忙しい部署にいたのでしょっぱなから残業まみれになった。
今度の病名は統合失調症。
そこからは闘病しつつも、ちょくちょくバイトを始めて、そして体力的限界で辞めての繰り返しだった。
統失の治療を始めてから最初の5年の間に、母はがんで亡くなった。
悲しかったけれど、多分一般家庭の子供よりは悲しんでいなかったと思う。涙は一応出たけど。
そこから5年後に、当時所属していたコミュニティメンバーの誘いを受けて、ルームシェアみたいな環境に引越しをした。
そして実家に戻ってきたときに、もう一人友達付き合いが続いていた元恋人が自死。
私が実家に引っ越してから、父の治療は順調に事が進み、抗がん剤と放射線治療、本人努力の甲斐があって腫瘍が消えた。
これには驚かされた、父本人が一番驚いているけども。
あとは5年間再発が無ければ安心とのことだった。
そして現在に至る。
今日は暇だったので、思い出しながら勢いでバババっと書いてみた。
ここまで読んでくださって本当にありがとうございます。
お互い、人生を良い旅にしていきましょう。
主な収益源は、海外大会での賞金や、マウス・キーボード・ヘッドフォンなどの関連デバイスを販売しているメーカーからのスポンサード。
(ブランド名がデザインされたデバイス販売をおこなっている会社もある)
「抜群にプレイのうまい選手達」を集め、定期的に開催される大会で好成績を取らせるという運営形態が多い。
....のだが客観的に見てマーケティングが下手くそすぎるので、誰か頭のいい人に取って代わって現状を打破してほしい。
1. そもそも新規ゲームの発売時に「プロゲーマー」は役に立たない。
視聴する動機が「自分が上達するための参考にしよう。」という人が多く、そのゲームを持ってない人はプロゲーマの存在自体を知らないことが多い。
2. 新規ゲームのPRのためのゲーム実況は、よゐこ濱口さんやヒカキンなどのプロゲーマーではない人がおこなっている。
新規ゲームのPRではリーチ数が重要視され、プロゲーマーが新規ゲームの実況をおこなうのはトーク能力、認知度、信頼性などタレントとしての能力が「専門職」なのに負けてることを表してる。
一方、ダステルボックスさんは飛び抜けたプレイスキルでファンも多くプロゲーマーとしてのタレント力は頭3つくらい抜けてる感がある。
※社長は奢り自慢をTwitterでおこなって忙しいPRをしてたり、まぁなんかもっと身のある発信すりゃいいのに、とは思う。
3. 一般の人が自分が遊んだことのゲームの大会を見てみよう。という土壌づくりをしてない。
ゲームに限らずスポーツ団体も色々試みていて難しいのは理解している。
でもスマホゲームからコンシューマへの移行を推進するよう働きかけたり、大人の趣味としてブランディングするとか
ゲームは自宅でひっそりできる分チャレンジしやすいと思う。チャレンジしないのは業界の怠慢。
4. そもそも新規ゲーマーへのリーチは狙ってない。とか言いだしちゃう
1-3が台無しになっちゃう。e-sports発展!とか言って、楽しく遊んでてくれって感じだ。
まだまだ上手くなる余地がある!とエンドコンテンツとしての寿命を先延ばしし
既存ゲーマーの定着化を育むことについて、プロゲーマーの価値はあると思う。
でも、すでにファンの人たちよりもゲームで遊ぶ人口を増やすほうがマネタイズもしやすいし業界も潤うしプロゲーマーの価値も比例して向上すると思うんだ。
雇用とも関わるんだけど、大会に勝てなくなったらチームから切り捨てられる。
選手としての価値はないと判断され、厳しい業界ですね。と済ませるのは簡単な話。
一人の10代後半から20代前半として人生にとっても貴重な時間を食いつぶすような運営業態じゃ先はないし、いつか痛い目を見るよ。
ゲームを紹介するタレントとか、スーパーの店頭販売員みたいに店頭でプレイするスタッフとか、ゲーミングライターとか、
プロゲーマーの人のスキルの使い道の方向性は0じゃないでしょ。
ゲーム業界全体を引っ張る意気込みのあるカリスマが不足してんだよ。
本筋とは関係ないけどプロゲーマー団体が募集している求人がある。
起きたらもう始業時間だった。
営業だから多少融通は効くけど、連絡なしで遅刻はさすがにまずい。
ごめんなさい。
上司も先輩たちも優しいけど、原因分からないけど体調不良でって言ってたら、
「私が悪いの?!会社が嫌なの?!」って言われたけど、私はその上司が好きだし会社も楽しいのに。
先日内科でだけど、メイラックスとルボックスとワイパックスを処方されて、弱いって聞いたけど普段薬飲まず効きやすいのかすごく眠くなってしまう。
生命保険のことがあるから、精神科とか心療内科に通えない。通えないから、なんでこんななのか分からない。
ぼーっとして、何もしたくない。文字を読んでないと不安だから、まとめとか小説とかまんがを読むけど楽しくない。前は楽しかったゲームも面白くない。胃がむかつく。たまに動悸がある。循環器科では何もなし。横になったものを縦に直せない。きちんとできない罪悪感でいっぱい。
ただの怠け者なんだろうか?
うつっぽいけど、過食過眠気味。
まるで豚みたいだな、と思う。
恥ずかしくて死んでしまいたい。
うつ病と診断されて1年と少し。
異性関係を含む周囲との摩擦や学業の悩みがきっかけで精神科の門をたたいた。
パキシル→ジェイゾロフト→ルボックス→ジェイゾロフト→ルジオミールと飲んできて、
「そろそろ治ってもいいと思うんだけど、何が増田さんの回復を邪魔してるのですか?」と医師に聞かれる。
いやーわかんないですねぇ、と答えるも、
外にも家にも居場所がないような気がしている。
知人はもとより、家族さえ私がいない時の方が楽しく話しているように聞こえる。
(部屋に籠っていても家族の声が筒抜けになるなんて素晴らしき哉日本家屋)
「楽しく話しているように」なんて、過度に自分で自分を傷つけるだけの妄言で、家族も「そんなことはない」と言ってくれるものの、私はその妄想が真実だと感じている。
ただ、真実だと思っていても家族にそれを伝えるのはもうやめなければならないと思う。
言ったところで家族に負担をかけるだけだし、そろそろ人に縋り付いてばかりいないで自分で立ち上がらなければならないことはわかってるから。
でも辛い。
甘いと言われるかもしれないし「そんなの社会じゃ通用しない」と言いたくなる人もいるかと思う。
だけど助けてほしい時はどうしたらいいんだろう。
http://anond.hatelabo.jp/20081208010900
こういう状態だった↑のが、事態を重く見た同居人が私の母に連絡したので実家に引き戻され、
かかりつけとは別の心療内科にひきずっていかれて薬を処方されて、
http://anond.hatelabo.jp/20081211050010
実家(気を張らずにはいられない!)でこう↑なって
実家と自宅をいったりきたりの生活をはじめて
http://anond.hatelabo.jp/20081226133429
http://anond.hatelabo.jp/20081226151421
このくらい↑まで落ち着いて
http://anond.hatelabo.jp/20081230193358
こんだけ↑元気になった。
まだ一日に二、三回くらいは「死にてえ」っつって呟いちゃうけれど、私は生きている。
一番最初のエントリのブクマコメで心配してくれた人、ありがとう。ほんとにありがとう、って今ならちゃんと思える。
まだ一人で買い物が出来たりはしないのだが、でも私は元気だ。
いろいろ気をつけながらなら、ゆっくりだけど家事もこなせるし、外に出る時はちゃんと薄化粧もする。
ちなみに現在処方されてる薬の量は
朝晩の食後
アモキサン25mg 1錠
ワイパックス0.5mg 1錠
ルボックス25mg 1錠
寝る前
ルボックス25mg 1錠
デジレル25mg 1錠
レンデム0.25mg 1錠
ロヒプノール2mg 1錠
なんかいっぱいあるなあ、と毎日思いながら錠剤を飲込んでいる。
そういえば以前のかかりつけでワイパックスが処方されなくなったあたりから、私は調子を崩したな、と今なら冷静に分析出来る。ワイパックス万歳。
ロヒプノールは、すごい。すごい早さで寝付ける。眠りも深い。効く時間が短いので4、5時間しか睡眠はとれないけれど、でもだからこそ夜に眠くなる。
ちゃんと夜寝て朝起きる生活ができるのがこんなに気分がいいなんて知らなかった。ロヒプノール万歳。
ちなみに成分の名前だけで言えば、デジレルが好きだ。「塩酸トラゾドン」って「輝くトラペゾヘドロン」とかを連想させて楽しい気分になりませんか?
精神科医から「慢性うつ病」と診断されたのは、今から8年ほど前のこと。
その頃はまだ、SSRIと言えばルボックスの事で、パキシルはまだそれほど有名ではなかった。世間の目は今ほどうつ病に対して寛容ではなく、「うつ病=精神病=キチ○イ」の図式が強かった。そのイメージの悪さもあって誰にも相談できず、こそこそと本やネットで色々調べたり、2ちゃんねるや神経症関連の掲示板で心境を告白したり、そんなことをしていた。毎日ルボックスを飲み、就寝前にはレンドルミン(睡眠導入剤)を飲んだ。二週間に一回は医者に行き薬をもらい、ある時は診断と称されて、心理テストみたいなことをやったり心境を語らされたりした。認知療法や森田療法も独学で勉強し、実践した。そんな生活を二年ほど続けていた。
そんな生活を送っていたら、あることに気づいた。毎日抗うつ薬を飲んでいるにもかかわらず、あまり「良くなった」と実感できないこと。相変わらず「死にたい」と思うこと。気力なんかみなぎってきやしないこと。薬に悪影響が出るからと酒をやめ、薬を毎日欠かさず飲み、認知療法をできるだけ実践するようにしたりと、これだけ「うつ病」とやらに金銭と手間ひまをかけているにもかかわらず、リターンが明らかに少ないような気がしてきた。これだったら、「うつ病」なんて言葉すら知らなかったあの頃のほうが良かったのではないか。そう思うようになった。
そこで、「慢性うつ病」という医者の診断を信じないことにした。抗うつ薬も睡眠導入剤も飲むのをやめて、酒も飲みはじめた。眠れない時(ほぼ毎日だったけど)は酒を飲んで寝ることにした。一生無気力でいいやと開き直り、自殺衝動に駆られたら、抑えずに素直に身を任せることにした。何度挑戦してもダメなので、最近では、「自分が自殺すること」に対して希望が持てなくなってきた。そうしたら、「どうせ死ねないんだから生きるしかない」と、嫌々ながらも認められるようになり、ほんの少しだけどポジにベクトルを向けられるようになった気がする。まだ自殺衝動に駆られることはあるから、もしかしたらうっかり死んでしまうかもしれないけど、それでもいい。うつ病だとかうつ病じゃないとか、そんなことはもうどうでもいい。今生きている俺がいるだけだ。
俺はうつ病を信じない。
俺は、俺自身だけを信じる。