はてなキーワード: リー群とは
私は図書館を愛用しており、よく通っていた。
ある日の休日いつものように本を借りに行くと目当ての本はなく、貸出中だった。仕方がないので予約しようと司書さんに話しかけると「あれ?」と首を傾げた。なんでも確認するとその本は貸出中にはなっていなかったらしい。お互い怪訝に思いながらも仕方なく、確認しておくとのことでその日は別の本を借りて帰ることにした。
あくる日、同様のことが再びあった。貸出中ではないはずの本が無かったのだ。私はその本に限ってはどうしても目を通したかったので、なんとかならないものかと詰め寄った。しかしそうした本は不思議にも数日後には戻っていることが常だったらしく、数日後には戻ってきますよと軽い態度で対応された。私は憤り、運営の仕方を非難すると図書館側もなるほどと頷き、こうした事態が何度も続くようでは困るとのことで、対策を取りましょうと言ってくれた。私が借りようとしていた本のジャンルには偏りがあり(そのとき借りようとしていたのはリー群に関するものだった)、以前に借りようとして無くなっていた本も同じジャンルの本といえた。
そこで図書館側は数学書をマークすることにし、自然な形で司書さんがその棚を監視することになった。その後、確か三日後だったと思う。高校生が犯人だったことがわかり、彼は万引きのようにして本を借りていた。
そう、万引きではなく、借りていたのだ。
彼は図書カードがないため、借りたい本がある場合には本を鞄へ入れて持ち帰り、後日こっそり元の場所へと戻していたのだという。
確かに無くなっていた本はいつの間にか戻っており、盗まれたわけではなかった。
それでも図書館側は事態を重く受け止め、少年の高校へと連絡することになった。少年は必死に自己弁護し、本は盗んだわけではなくちゃんと返しているじゃないかと言い迫った。しかしそれでも万引きには違いないとして、結局高校へと連絡をしたそうだ。
後日その少年が捕まったことを聞いた。彼は高校を退学となり、それで何もかもが嫌になり、犯行に及んだそうだ。
それを聞いたとき、私は良心の呵責を感じた。直接的でないにしろ彼を退学に追いやったのは私だ。
無くなっていた本が数日後には戻っていることには私も気が付いていたのだ。だからあのとき、私が「どうにかしてくれ」と強く願いでなければ、おそらくあの少年は本を借り続けることができ、そして退学になることはなかっただろう。
そうした自責の念が今でも脳裏を過ぎり、もう遠い昔のことだが、それでも今となっては昨日のことのように思い出す。
私はあの時、どうすればよかったのだろうか。
公理から初めて論述によって命題を示すという手法は現代数学の基本
ユークリッド幾何学では厳密な論証を学ぶことができる
もしユークリッド幾何学を学ばなければ抽象代数学などが理解できなくなることは明らか
微分積分などだけを教えていると群論やガロア理論などが理解できなくなってしまう
ガロア理論では作図が主に扱われるからユークリッド幾何学応用になっている
ユークリッド幾何学はまず中初等教育において論述を教える題材として適している
代数などはただの計算であって厳密ではないがユークリッド幾何学は公理から始めて曖昧さなく命題を示す
これは現代数学の基本であって群論やガロア理論を学ぶ際に必要な能力
代数では多項式とは?集合とは?などが厳密に説明されていないがユークリッド幾何学には曖昧さは無い
ユークリッド幾何学が扱う題材は図形であって初等教育にも馴染みやすい
現代数学を厳密に展開するには公理的集合論まで遡らねばならないが
このような条件を満たす単元は他には無い
群論やガロア理論などの抽象代数学はユークリッド幾何学の考えを継承している
これらが確立されたのは18世紀であり微分積分などはそれよりも大分昔の理論だから厳密性がない
ユークリッド幾何学は現代数学のモデルであるから論述を教えることができる
群論やガロア理論は対称性を扱う数学で対称性とは回転や相似変換などの一般化だから
やはりユークリッド幾何学を学ぶことは群論やガロア理論を学ぶことに役立つ
特に群論では、群の正規群(特異点を持たない群)による商で対称性を分類する
この割り算にはユークリッドの互除法のアルゴリズムを用いることができるからユークリッド幾何学の応用になっている
群論の一部であるリー群ではユークリッド空間の回転である直交群を扱うからこれもユークリッド幾何学が直接役に立つ
ユークリッド幾何学では公理系から始めて命題を証明するがこれは現代数学の基本
群論やガロア理論もこのスタイルを継承していてユークリッド幾何学を学ばないと抽象代数学が理解できない
ガロア理論はユークリッド幾何学と同様に、対称性の公理から作図可能性を論ずる
これはいくつかの公理から始めて可能な手順の組み合わせを厳密に論述することで様々な図形を作図していく
ヒルベルトが提唱した円積問題などもこの応用であって、現代数学において極めて重要
ユークリッド幾何学は公理から始めて論述のみによって命題を証明する
これは現代数学の基本であってガロアの理論やヒルベルトの理論などがその手法を受け継いでいる
ユークリッド幾何学をやらないと抽象代数学などを理解できなくなってしまう
クライアント様企業のわがままに付き合って労働をしていた結果、土/日/月と会社に缶詰になっていた。
豊洲の綺麗な夜景を照らす蛍族としての活動が終わり、ようやく家に帰れることになった。
いっときの開放感にワクワクするものの、このワクワク感を共有していた友達も今では少なくなってしまった。
具体的には他の企業に連れ去られたり、良さそうなベンチャー企業に逃げ込んだり、実家に帰って農家をしたりするようになってしまった。
こういう時に思考は良くない方向に転がり込むもので、ファミマで晩ご飯を選びながら
夏の日の思い出とか、そういうふんわりとした言葉にならないノスタルジックな気持ちでいっぱいになっていた。
しかし、よくよく考えると、夏の日の思い出とか甘酸っぱいエピソードとかそういうのは何一つ無いし、
サークルで合宿だのBBQをやっても後片付けばかりしていたし、未だに好きな女の子と手をつないだこともない。
「良かった」と振り返るだけの青春も自分の手元には残ってはいない。
となると、クライアント企業様にExcelを納品するために生まれてきたのか俺は...?
などと考えているうちに「あっ、もうだめ」と思った。
デブの特権としてアイスクリームコーナーに向かうと、なんとなく"ギャラクティカグレープフラッペ"の文字が目に入った。
2018年宇宙の味と書かれたそのタイトルを見ながら、そういえば、宇宙に関わる学問を自分が専攻していたことを思い出した。
リー群の表現だの共形場の理論だのAnti-de Sitter空間を触っても宇宙のことは何一つ分からなかった。
「よくよく考えても分からないことがある」という事が分かりました。 という感覚のまま大学を卒業して、
「よくよく分からないままExcelを納品する日々」が始まる。
俺は宇宙のことを何一つ分からないまま、何を生み出すかも分からないExcelを納品しながら日々を無意味に費やしている。
俺は気づけばギャラクティカグレープフラッペをレジに持っていっていた。
あのとき知りたかった宇宙のことが少しでも知れるかもしれない。という淡い期待をしている訳ではない。
俺はきっと変えたかったのだと思う。何も出来なかった自分を。何も出来ずにいる自分を。
蓋を開けて、マシンのボタンを押してミルクを入れる。かき混ぜる。
いざ、覚悟を決めて口にした。
宇宙の味は分からなかったが、夏の夜にちょうどいい、爽やかな味。
なんか話が合いそうだなと思ったので返信。増田なのがちょっと勿体ない気もするけど。
ちなみに俺のバックグラウンドを書いておくと、学生時代の専攻は工学系なんだけど、それにしてはオーバースペックなぐらい数学をかじってた感じの方面。あんまり詳しく書くと特定されそうなんでこの程度で勘弁ね。
"Pattern Recognition and Machine Learning"のビショップも物理出身だけど、あの年代は確かにそういう色が強かったのかもしれない。
確かにその種の傾向は上の世代までかもしれないね。
ビショップが物理出身なのは知らなかったけど、それ聞いてなんか合点のいく気がした。何か妙に数学へのマニアックなこだわりの片鱗が見える割に、数学屋から見ると妙な記号法を使うんだよね、あの人。
全然高度じゃないです><
いや、だからあくまで「工学として」ね。線型代数と、微積の「計算」以外を使うことって工学ではそうないでしょ(フーリエ変換とかだって工学の文脈では所詮「計算」だもんね。)。
制御理論とか機械学習では、関数解析の概念がちょっとだけ出てくるけど、あんなんでも数学屋にとってはオアシスだね。
もっとも、カーネル法関係ではいつも申し訳程度にMercerの定理が言及されているのを見ると「なんだかなあ」っていつも思うけど。
そうそう、あれに限らず統計学の理論の一部にはものすごく違和感あるんだよね。
増田だから書けるけど、情報幾何なんて「お前、双対接続って言いたいだけちゃうんかと」って感じだし、他にも色々、何でも抽象化して一般化すりゃいいってもんじゃないんだぞと言いたくなることが色々。
統計学の理論と機械学習・パターン認識の関係は、数理物理・理論物理と実験物理の関係に似てる気がするんだよね。しかも統計学の場合、普遍的に綺麗な構造なんてものがあると思えないだけに余計に始末が悪い。「ひも理論は実験で検証できないから科学ではない」って批判があるらしいけど、統計学にも同じ批判されても仕方ない理論が色々あるよね。データから何かを推定する理論なのに、データがどれだけあっても実用的には絶対まともな結果が出せないモデルとか。
CVのレイトレーシングで経路積分使って云々というのもあったけど(その人はGoogleに言ってアドセンスかなんか作ってるらしい)、あれもまぁ適当なパス空間で平均とるだけって感じがするし…。
CVはまあ何でもありの世界だよね。誰か無限次元リー群とか使ってみてくれないかなと思う。というか俺自身が一度やろうとして無意味なことに気づいてやめたんだけどさ。
イジングモデルとかその辺は不勉強なんであまりよく知らないんだけど、一般的にその手のモデルは、性能が変わらないだけならいいけど、計算量がどうとかデータ量がどうとかで事実上使えなかったりすることが多いんだよね。着想として物理からアイディアを持ってくるのはいいんだけど、物理から持ってきたアイディアなら必ず筋がいいはずみたいな思いこみ(そう思いたくなる気持ちはよくわかるけど)はどうかと思う。
普通に日本の伝統的新卒採用でそういう会社に行く人はいるけど、やってることは工学とかあるいは良くわからない専攻の人と同じな気がする。これはちょっと曖昧だけど。
うん、そうなってしまうのは仕方ないでしょうね。
ただ逆に、変わり種のバックグラウンド持ってる人は道具箱が豊富だから、新しいこと思いつく可能性もあるわけで、採用されるとしたらむしろそれを買われてじゃないかな。俺自身、工学部の人は普通は絶対知らない数学を色々知ってるので、それをどうにか武器にできないかいろいろ試行錯誤中だよ。というか特許とかの形で発表したのもすでにあるけどね。
特に情報系の分野は実装力で評価されることが多いし…。実装力は数値計算得意とかそういうのとは全く別のスキルだよね。プログラミングマニア的な要素が必要。
分野にもよるけどね。情報システムや計算機自体を専門にして、ハードとかインターフェイスに近い部分をやってたらどうしてもそうなるけど、信号とか画像とか音声とか言語とかの処理のコア部分を作るときにはコーディング能力よりも紙と鉛筆の能力の方が大事・・・、だと思いたい。
どうもパソコンマニア的気質は中高生のときに飽きてしまって、「PCパーツの種類とか流行の言語とか覚えたってどうせ10年したらすぐに廃れるんだから」という感じで、余りはてな民的に新しいネタ追いかけたくないんだよね。クロージャって何ですか、ああそうですね閉包ですね、集合の内部と境界の和集合ですねっていう感性の持ち主なので。正直、コーディングは単純作業と認識してます。
こういう経験が多過ぎる。
具体例を挙げると小学生の時は分数の割り算が意味不明で算数の成績も1/5だったのに中学から今までは有理数に対する認識は特に問題がない。アーベル群としての特性は勿論分かるし稠密性も説明できる。ローラン展開して特異点付近の問題も考察できるしリー群を用いた代数解析も可能。
絵心もなくて生まれてから20年以上ペンを放置してきたけど、ある日ネットを通して手書き映像のやりとり(企画のリアルタイム議論)の必要性が出てきたから絵を描く様なガッツリしたペンタブじゃなくて安い奴を買って試しに遊んでると「ん?小さいストロークでペンタブ回転させながら引ける曲線を適当に配置すればそれなりに描けるぞ!?」という事に気付き今ではpixivの被お気に入り数が80人超です。(非コミュのせいからマイピク数とお気に入り数が0なので新着からしか人が釣れません(あー絵描ける人羨ましいわー俺ももっと絵描ける様になりたいわー(棒読み)))
最近まで自分の足で走る速度も運動神経がなくてかなり遅かったけど元々昔から現在までずっと通勤や通学に片道一日10kmばかし自転車漕いでるので取りあえずダッシュしてみたら周囲から「E!?キモピザオタクがどうして人並みに走れるの!?!?!?ていうか豚が人間みたいに速く走れるとかすごい!!!今度の学会で発表するわ!!!!!!!!!!!!」と驚かれた。これは関係ないけど。
何なんだろうね、これ。
今はてブのトップにこれ(http://twitter.g.hatena.ne.jp/maname/20100121/1263854301)あるけどみんなは特に気にする必要ないと思うよ。