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はてなキーワード: リーマスとは

2010-07-09

ほんとに躁鬱だったのかな

ほってんとりに林先生のかっこいい一行ぶった斬りレスを見かけたので久しぶりに精神病について考えたりした。自分のことを考えるのは疲れる。

二年前の今ぐらい、毎日何かしらどこかが痛くて苦しんでいた。胃痛、腹痛、頭痛耳鳴りめまい貧血、ふらつき、そして生理不順。あまりにも胃腸調子が悪くてしょっちゅうはいたり下痢をしたりするので内科にまずかかった。とりあえず点滴されてざっと検査しても異常はなし。ストレスじゃないかと聞かれたけど本人はよくわからなかったのでとりあえず耳鳴りの件で耳鼻科を紹介されていったら、精密検査MRI写真見た医者はため息つきながら「健康そのものです」と残念そうに言った。ちょwwwおまwwwなんで残念そうwwwと思いつつも原因が分からないので不安もあり、とりあえず偏頭痛ですかねお薬だしますねストレスためないようにねと言われて放流。

ついでにさすがに半年周期の生理不順もやばいだろうとおもって婦人科も紹介してもらって検査したけど機能的な問題なし、ホルモンバランスも問題なし。やっぱりストレスためないようにと言われてほぼそのまま精神科へ丸投げされる。

当時、睡眠時間が10時間以上になってて、学生だったんだけどこりゃやばいとは思ってた。内定は出てたから卒業さえできればよかったけど、朝になっても目が明かないし夜になると勝手に閉じちゃう。かとおもえば目を閉じてても寝れない日もあるってんで医者相談したら、抗うつ剤睡眠薬出されたけど睡眠薬が効きすぎてやばいやばい。二時間起きてられない。これが3分だったらウルトラマンレベルとか思いながら医者相談したら抗うつ剤ふやされてきちんと飲んでたら躁転。とはいってもそこまでひどくはなくて夜通し研究するのが一週間とか続いちゃっただけなんだけど、あとで見返したら実験手順がひどいことになっててそりゃー結果出ないわなーみたいなね。あと簡単な会話ならいいんだけど、人の話がよくわからなくなっちゃって、医者に何度説明されても薬のことがよくわからなくてこりゃやばいってんでリーマスが出てくる。それでもしばらくは上がりっぱなしで、日本語認識できなくなっちゃったりとかしてたみたいなんだけど(当時の日記からすると)、日本語は一応かけてて、でも支離滅裂。これはひどい。しかも睡眠薬は寝る前に飲めばいいから覚えてられるけど、食前とか食後とかに飲む薬って忘れるのよな。そもそも食事取ってなかったりしたからあんまり真面目に薬も飲んでなくて、今でも手元にリーマスが200錠くらいある。これはやばい。躁から鬱に移行する時に全部飲んじゃったらどーすんだ先生よ。でも大丈夫ですちょっと眠れるようになってきましたとか眠ってもないのに言っちゃうんだよなぁ。という感じだった。

いろいろあって一応診断は躁うつ病最初にかかった時は強い抑うつ状態にあったってことらしい。驚いたことに医師には十代前半で発症したと思われますとか言われてしまって、マジで?なんで?まぁそうかというか思った。

病院では全部しゃべってないというか聞かれなかったから言わなかっただけなんだけど、ほかにもいろいろとあって、

  • とにかく人の話していることが分からない。単語意味は分かるけどそのつながりが分からなくなる。ひどい時は日本語であることが認識できない。
  • 言葉がほとんどしゃべれなくなる。しゃべろうとすると言葉が逃げていく感じ。もともと声が小さいけどほとんど聞き取れないくらいの声になってしまっていたと思う(多分
  • すーっとトラックタイヤとか電車とかに吸い込まれそうになる。ホームの端っことかだと転落するイメージしか浮かばなくて壁際ぎりぎりとかを歩いてしまう
  • なんか知らんがてくてくと遠くまで歩いて行ってしまって疲れて動けなくなる。つうてもほとんど食べてなくて体力がないので、一般的にはそんなに遠くでもなかった
  • とにかく食べない。食べれない。胃が弱っていたのもあって少しでも食べると胃が痛くなったりはいたりする。卒業後今の会社入って検診受けたら栄養失調ですっていわれた。でも見た目は普通にデブなので今や「栄養失調のデブ」を自称している。貧乏で食うや食わずだったんですって一応断りいれてるけど、でもコデブなことに変わりはないしなぁ。
  • 同居人が壁に向かってブツブツつぶやき続けたり壁と対話していたりとかしたのでそれでストレスがたまっていた。声を聞くだけで吐き気がするレベル就職して独り暮らしになったら途端によくなったのであいつのせいだと思う。絶対。
  • 母親境界性人格障害で、まぁいろいろと。簡単にいっちゃうと毒親ですね。自分もその気はあると思う。どうでもいいところで逆上したりとか見捨てられ不安とか。
  • 軽度の妄想というか男性不信?とにかく男性が悪意をもって見ているとしか思えなくなる。職業柄周りは男ばっかなんだけど、今でもこの妄想調子が悪い時には出てきてしまってなんか知らんがすごい勢いで拒絶してしまうので正直すまんかったおれのことは嫌ってくれと思っている。原因は母親が男しかいないようなとこばっかいってくそビッチめしね氏ねじゃなくて死ね今すぐ行って来いとかいったり実際何度も殺されかけたのと、セクハラっつーか恋愛感情がこじれちゃった人に全く気付かないで普通にセクハラくらったのと、あとは昔からおとなしくて声あげなさそうにみえるせいで痴漢に狙われまくったせいなのかなー。とかずっと思ってたんだけど最近父親のせいかもなと思うようになった。どんなに母親から暴力受けててもニヤニヤしてるだけで自分ターゲットじゃなきゃいいやって人だったんだよね。まぁファザコンおつ!ってかんじだけどぉー。まじおやじ洗濯もの一緒にしないでって感じぃー。医者も男だったので最初はものすごく警戒して診察後半日くらい手の震えが止まらないわ汗が止まらないわで大変だった覚えがある。父親のせいかもと気付き始めたくらいからは普通に男の人としゃべれるようになってきたので、ちったあ改善してるみたいですけど、やっぱり苦手なんだよなぁ。
  • 醜形恐怖があってブスに非常に手厳しいコデブスだった。特に太ることにすごい恐怖を抱いていたんだけど、でも全然食ってないのにコデブのままで死にたかったです。今は食いまくってるけど体重変わりません。どういうこと。
  • 増田でひたすらほてんとり入りするような煽り記事を書きまくる。

まぁその他もろもろ。

んでこれらの症状が、特にタイヤに吸い込まれそうになるとか偏頭痛、腹痛とかあたりは確かに10代かそれより前からずっとあったんだけど、就職して独り暮らし始めた途端ほとんどきれいさっぱり消えたんですよ(男性恐怖と生理不順と醜形恐怖のぞく)!薬も飲んでないのに!本当に自分躁うつ病だったのか?と非常に不思議でしょうがないです。単にストレスの原因が消えただけちゃうんかと。おもに母親同居人。でもまぁ相変わらず境界性人格障害ぽいところはあるし、男性恐怖とかは増田煽り記事書くのとかはその辺から来てると思うので、そういう意味ではいつ自殺してもおかしくないんだよなー。リーマスこんなに手元にあっていいのか。でも致死量ではないか。ならやめておこう。

実際のところどれくらい正確に診断ってできるんだろうね。自分がそうだから思うんだけど、特に人格障害根本にあってそこに鬱とかが乗っかってきちゃう人とか、絶対正しい情報医者に伝えてないと思うんだよね。こういえばちょっと良くなったって見せかけられるそうすればよかったですねって言ってもらえるとか思ったらいっちゃうもの。これ言ったら難しい顔されるし、本気でやばい病名をつけられるかもしれないから言わない、だけどこれくらいなら病気だって診断してくれるだろうからちょっと過大気味にいっちゃおうとか。それで躁鬱って判断されたんちゃうかなと今では思う。

最近会社人間関係が非常に良好なせいか人格障害の兆候が多分ほとんど出てないみたいで周りにあまり波風が立ったりしてはいない。もともと自分はあまりしゃべるのは好きじゃないし、自分自身が割とひとに迷惑掛けるタイプだとわかっているので、一人でいるのが好きだったりとかしてあまり深い付き合いをしてはいないんだけどとりあえず嫌いすぎて殺してやりたいとか思う人がいないから大丈夫なんじゃないかなー。とか。嫌いすぎて殺してやりたい人がいる時も別にその人だけを攻撃したりとかしないで全体的に一人で嫌な奴になって悪意を振りまくだけなので、一人嫌われていくだけなんだけどね。

おちはありません。スマソ。

2009-06-29

たまった錠剤を全部皿に盛ってみた

鼻歌歌いながら作業はしていた

なんでこんなにミスタピングが多いんだろうかうまくかけない

全部同じ薬

不真面目だから、もらっても数日で飽きて飲まなくなる

鬱の時はしっかり飲むんだけど

だからいつも同じ薬ばかりたまる

睡眠薬は一番最初になくなるし医者もあまりくれない

効きすぎて眠り続けるから出してくれなくなった

リーマス200mgが400錠

飲んだらたぶん死ねる。

すぴーんだしてミルクも用意して

ミルクそのまま飲んだらおなか壊しちゃうなとか思いながら、ざくって錠剤の山にスプーン突き立てたら

なんか知らないけど涙がぼたぼた出てきてやめてしまった

しばらく泣いてた

帰ってきた同居人があわてて薬片付けてた

別に死にたいわけじゃないし毎日楽しいのに

なんなんだろ

2009-06-21

http://anond.hatelabo.jp/20090620234519

躁鬱というよりはカフェイン中毒の禁断症状っぽいけど。それでめまい頭痛があったら完璧カフェイン中毒なんだけど。

薬は何飲んでるの?リーマス

自分も躁鬱だけど躁の時は自分が躁に吹っ飛んでることがわからないけどなぁ。

あとカフェイン中毒もやってるけど、躁とカフェインきらした時の状態は全然世界の見え方が違うからなぁ。

2009-01-07

毒親というやつ

前からわかってはいた。母親の仕掛けてくるあれこれに翻弄されて心を病みながらもそれを認められずに生きてきて、去年の夏やっと病名がついた。ほっとしたというよりも恐怖だった。

医者がずいぶん前からかかっていたようだと言った時正直やっぱりなと思うのと同時に安堵した。よく頑張って普通の生活を送ってきましたね、ともいわれた。考えてみれば心を病みながらも大学入試を乗り越え、大学卒業しようとしているのだから心の病にかかってるとは言い難いのかもしれない。自分ではよくわからない。ただ、母親存在自分の毒になっているということがはっきりしたことだけが嬉しかった。

考えてみれば、母親とはまともな会話をしたことがない。いつも物の置き方や歩き方、扉の締め方で機嫌を伺っていた。突然スイッチが入るのだ。それは例えば、あのころはまだ小さかった妹が粗相をしたとか、皿を割ったとか、あるいは父親がへまをしたとかそういう負の原因の矛先が自分に向いていることもあった。たとえば運動会で一番になれなかったとか、マラソン大会で後ろの方を走ってたとか、勉強しているとかそういう自分に原因のある場合もあった。あるいは表情が変わらないとか、びくびくして隠れてばかりいるとかそういう環境による原因から来た自分の状態を責められることもあった。時には鍋が焦げ付いたからとか買ってきたものを間違えたからとか庭の植木剪定がうまくいかなかったからとかそういう母親ミスが原因でスイッチが入ることもあった。いつどこでどういう風にスイッチが入るかはわからなかった。とにかく機嫌が悪ければ、自分に矛先が向いた。うまくことが収まらなければ、ちまちまとためているお小遣いを没収されたり、教科書などの学用品を捨てられたり、あるいは着の身着のままで追い出されたりもした。折檻も受けた。いまだに残っている傷跡もある。でも一番きつかったのは給食費修学旅行費などの学費を出さないと言われることだった。それが一番弱った。

スイッチが入っていなければ普通の、ごく普通の家庭だったと思う。大学にまで行ってるのだから、と人は言うからおそらくは幸せだと考えなければならないんだろう。感謝しなければならないんだろう。そうずっと思ってきた。

学費のことはよく言われた。困らせようとしているのはある程度大きくなったらわかっていたが、しかし実際困った。中学卒業してしまえば、金を出さない働けと言われてしまうとそうするほかなかった。そうしなければならないんだろうと何度か学校をやめようとしたこともあるが、そのたびに誰かに止められた。先生だったり友達だったり、恋人だったり。お金を出してあげるからと言ってもらったこともある。金を出さないという脅し文句は一番卑怯で最も子供に言ってはいけないことなんだから自分が悪いと思う必要はないと諭してくれた人もいた。その中で毒親という言葉を知り自分母親がそうであるということも理解した。

よく考えてみれば、何を言っても言い訳になるようになっている。うまいこところころと人の発言を自分の思う通りに解釈してそれを掲げて人を糾弾するのが得意な人だ。自分が悪いような気がしてしまう。誰かを責めるためなら直前にいったことと180度逆のことも恥ずかしげなく言える人だ。しかしそれはうまくコーティングされて、それが正しいような気がしてしまう。そういう能力に関しては長けている人だ。生きてきた年数分うまいのだろう。

去年の夏ごろ、父親が病気になった。体に多少不自由が残っているが、自分身の回りのことはできる。思うように動けないせいかややひがみっぽいことを言うことが増えたが、命に別条はない。父親も被害者のようなものだった。昔はそうでもなかったような気がするのだが、最近は呆けたような顔をすることが増えた。長年人格を否定され罵声を浴びせられ続けるとあんな空虚な顔になるのだろうと思う。その父親を母親は親の敵のように嫌っている。いや、母親が親に恩など感じているわけがないし自分でもそう言っているのだから、犬猿の仲とでも言えばよいのか。物心ついた時には母親が父親をいつものやり方で責め立てているのが日常風景だった。

正月、正直実家に戻る気にはなれなかった。卒論もあるし、家に帰ったらそれどころではなくなるのはわかっていたのだ。でも帰らなければまたうるさいということもわかっていた。最大限の妥協をして年末の数日実家に帰り年が明けてすぐ下宿先に戻ろうと思っていた。でもやっぱりそうは問屋がおろさなかった。

愚痴を聞くだけなら、かまわなかったのだ。病人を抱えていればそれなりにたまってくるものはあるだろうということは簡単に予想できるから、それを聞くのはやぶさかではないと思っていた。忙しくてあまり帰らず申し訳ないとも思っていた。夏はちょうど私自身も心を病んでいてどん底にいたのであまり父親の病気には関わらなかった。関われなかった。それでもできる限りのことはしようといろいろしたのだ。しかし、それが足りなかったらしい。まずその不満からだった。母親自分のしゃべっていることでどんどん興奮していくたちなのでなだめながら聞いていたが、でもやっぱり駄目だった。父親に向けられなくなった分こちらに向かってくるエネルギーがすさまじかった。私は疲弊した。そんな私を好きなように攻め立て、あらゆる事実を捻じ曲げ、母親は私を糾弾した。薬をいつもより多めに飲んでもそれでも駄目だった。気分が落ち込んでいくのは止められなかった。そんな私に母親はあんたの性格が悪いから病気になるんだといった。薬を飲むのをやめろと言った。医者なんか信用するなと言った。そして、その医者はあんたの好みなのかと聞いて嗤った。それでもおさまらなかったらしく、離婚してやると喚いた。離婚して父親の面倒を押しつけてやるといった。離婚したら結婚も難しくなるあんたはみかけもたいしてよくないし、と言った。父親の面倒をみたら仕事にも支障がでるだろうねと笑った。親が離婚していてさらにその親の介護をしているあんたは嫁にいけないよと言った。仕事にも集中できないから貧しい暮らしになるに違いないと言った。そういいながら笑った。ずっと私は正座し黙っていた。10時間。ひどい正月だった。卒論は進まなかった。たぶん留年すればいいとでも思っているのだろう。そういう人だ。留年したら就職は難しくなるから、これからも矛先を向け続けることができるし、そして逃げ出せなくなるとわかってやっているのだ。わかっていた。だから黙っていた。もう何度死んでくれたらいいのにと思ったかわからない。頭の中でぐるぐるとどうやって殺してやろうかと考えていた。そう考えるだけでずいぶん楽だった。どうやって苦しめてやろうかと考えていた。静かな気持ちになれた。

母親は私を捨ててやるとよく言った。母親は私を不幸にできることを信じて疑わなかった。子供のころはそうだった。しかし、いつまでもそうではないのだ。私は卒業し、就職したら母親を捨てるだろう。徐々に不自然でないくらいゆっくりと捨てるだろう。性急になってはいけない、勘付いて何もかも元の木阿弥になってしまう。母親は困らせればすがりついてくると思っている。またいつもの手を使って絡め取ろうとしてくるに違いない。だが、私は捨てるのだ。なにもかも。親もきょうだいも何もかも捨てて過去は断ち切るのだ。まともな生活を普通人間関係を、得てもいいといろんな人が言った。幸せになっていいんだとたくさんの人が言った。母親が私を評したのとまるで逆のことをいつも他人から言われる。居場所を奪わない人がいる。失敗したら許してくれる人がいる。泣き言を言っても聞いて慰めてくれる人がいる。怒りを向けてもそれを受け止めてくれる人がいる。私のことを思い、傷つかないように言葉を選んで忠告をしてくれる人がいる。世の中にはそういう人がいてそういう人たちにたくさん助けられてきた。普通の、ごく当たり前のこと、そういう幸せを私に与え、私が差し出すものを受け入れてくれる人がいることを私は知っている。ふつうになりたい。いつも切望している。

追記:

わわわ、ありがとうございます。がんばって逃げます。

icloud 幸せになってほしい。あまり大きな声でいえないけど、計画がうまくいくといいな・・ ・・・・・ところでうちの母もこのような感じ(ここまでではない)のだけど・・・病院につれていってみるかな・・

残念ですが毒親本人はおそらく病院に連れて行ってもせいぜい境界線人格障害と診断?される程度じゃないかと思います。それだったら距離を置いてしまうのがよいのでは。程度によりますが少し距離を置いた方がうまくいったり環境を変えることで寛解することもあるらしいです。

お母様が毒親に苦しめられているということだとしても病院病気になってる人しか助けられないので病名はつけてくれるかもしれませんが原因が取り除かれないことには…。穏やかな日々が来るといいですね。がんばりましょう。

私が飲んでるのはデパスじゃなくてリーマスなんですよね…正真正銘メンヘラです。はぁ。でもたぶんきっと本当に必要なのは、薬じゃなくて簡単になくならない信頼関係なんじゃないかと思うのです。たとえば私は無自覚に誰かを傷つけたり怒らせたりすることはあるわけだけれども、そういう状況になった時にあぁ生活すべてがめちゃくちゃになるこれで何もかも終わりだっていう絶望感にとらわれなくてもよい、という思えることが本当は必要なんです。そういう信頼関係が築ける相手がいることが必要なんです。対立しても怒らせても、ちゃんといいたいことは言って嫌だと思うことは伝えて、そういうことができる関係というのが。

母親自分存在を確かめるために、自分が必要な人間だと思われているということを確認したいがために私を使ってきたわけで、私はあくまでも母親自尊心を確保するための道具だった。必要な道具だったからそこにおいていただけなんですよ。私じゃなくてもよかった。ただちょうどよかっただけで、そのために手入れもしたんだろうし金もかけたから手放すのは嫌なんでしょう。でももし代わりになる道具がでてきて私が必要なくなれば簡単に捨てるだろうってことを私は知ってる。

道具が持ち主を愛さなきゃいけないんでしょうか。しなくてもいいですよね。理解すらしなくていいと思う。泣かせてもエグいとすら最近は思わないです。やりこめることはできる(そのあと包丁が出てきたりとか面倒なことになるので避けることが多いですが)。だって私は道具だし。都合のよいように使えなかったから泣いてるだけでただの子供なんです。あの人は私にとって脅威ではない。ただの面倒な子供で、縁を切ってしまいたい。でもあの面倒な子供は生きてきた年数分だけ聡く狡賢いやり方を知って、攻撃力は半端ないし、私も痛いのは嫌だし職や住まい恋人を奪われるのは嫌なので空気のように消えていくしかないんだと思います。中途半端はよくない。やるなら徹底的に消息を絶たないと、たぶんいろんな意味で殺されるから。

2008-11-28

http://anond.hatelabo.jp/20081128221645

薬で死ぬのはつらいからやめときな。ドグマチールはなかなか死ねないし。

もう少し中毒性の高い薬で定期的に血液検査が必要になるような薬でも苦しいよ。自分は今リーマス200を200錠以上持ってるしある程度血中リチウム濃度が上がってきてるから死ねるとは思うけど。でも死なないよ。

ゆっくり治ろうよ。一緒に。

2008-11-14

また気分が沈んでて、夜に泣きたくてしょうがなくなったので理由を考えたらリーマス錠を飲み忘れていた。

ちゃんと飲んでいるときにはわからないのに、飲まないとすぐに出てくるのはなぜなんだろうね。

リーマス錠は劇薬なのでそんなにたくさん処方されないんだけどちょこちょこと躁になったときに飲むのをやめてみたりなどしてため込んでいる。今たまっているの全部飲めばたぶん自殺できるんだろうなぁ、と頭の中で誰かが言ってる。

馬鹿だよな。なく人の顔が思い浮かぶよ。たぶん声を殺して泣くんだろう。

ごめんね。ちゃんと治すから。もう少し待って。

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