はてなキーワード: ラーメンとは
ずっと前の話、なんとなく日の出が見たくなって
近所の小さな山のてっぺんに登ると、三角の屋根のベンチでサンドイッチを頬張ってる人がいた
見た目は同い年みたいで、よく見ると目が充血していた。
こんにちは、と挨拶をして「あなたも日の出で見たくなったの?」と聞くと
帰るつもり」とそっけない返事をくれた
「じゃあもうちょいいようかな」となり
二人で日の出を待つことになった
崖の下から見える窓からはまだ灯りが零れていたし、大嫌いでたまらなかった学校には多分誰もまだ来てなかったと思う
しばらくして、私はご飯も食べずに家を飛び出したことを先におなかが思い出したのか
(きゅっ)って痛くなった
それでおなかをさすっていたら、それを心配したのかその子が板チョコをひとかけらくれた
食べたらあまくて、ほっとした
でも段々眠くなって来て、それは隣の子も同じみたいで明らかに目が開いてなかった
でも頑張って起きてようと思ったんだ
だけど、気がついたら私たちは寝ていた
目を覚ましたら既にそこは朝の光が満ちていて
「もう日の出ぇ?」と言っていた
「あらら」
あわあわする私をよそに全く気にしてないみたいな素振りの隣の子だった
じゃあ…ここまで来た意味ってと私ががっくりしていたら
私が言ったら
「だったらカップラーメンを半分ずつ食べればいいいじゃん。僕が買ってあげる」
「いいの?」
そんな会話をして、コンビニで何のだかは忘れたけれどカップラーメンを二人で食べた。
さっき地平線から顔を出したばかりってのに
おひさまったら「ずっとここにいましたよ」みたいな顔して街を照らしていた
遠くにうすくうすく月が見えていた気がする
落ち着いてラーメン食わせろ💢💢💢💢💢💢💢💢💢💢💢💢💢💢💢💢💢💢💢💢💢💢💢💢💢💢💢💢💢💢💢
それは嬉しいんだけど
歌詞がものすごく暗いバラードが流れてくるだけでラーメンが塩味になりそうになる
いや、backnumberとかもいいんだけど
つーわけで勝手に流れてたら私が喜ぶ曲を
下に書いとくね
そろそろ切って次のシリーズへってのはありそうか。
今回のシリーズ、コンサルというかもはやただの評論家になっちゃってた芹沢が現役復帰する話なんかとおもったらなんか過去の因縁あったライバルとかを引っ張り出して断罪するみたいな内容多いんだよな。
だとするとラストに戦うべきは「淡口らあめんを作った芹沢」なんじゃね。結局そこを克服できなかったから藤本に敗れたわけだし、ゆとりのように未来にも進めないわけじゃん。
今回分のエピソードでかつての天才である原田に引導を渡すってやってたけど今回の芹沢のラーメンを現在の芹沢の代表作とするなら戦うべきはもはやどきゅんのオヤジじゃん。
女の子に貢いだ方がよほど有意義な使われ方するし、お金も喜んでるよ。
どうせそのまま持ってても、
カメラか
風俗か
車か
バイクか
釣りか
ギターか
アイドルか
鉄道か
漫画本か
アニメか
ゲームか
ラーメンでしょ
女の子に渡せその金
発見伝:客不信で理想の味から妥協した芹沢vs客を信じて100%の理想の味を出した藤本
あれはどちらも数がなくて希少というのがあって、自分は感覚的なかっこよさというより、希少なマシンをピカピカに磨いて動かしているという状態に心を動かされてしまった...情報を食うラーメンオタクにも近いかもしれない。私はあれを見てあまりにも美しいと思ってしまった... 車を溺愛して維持するということ自体にものすごく美しさを感じる
左手前に飯を盛った茶碗、右手前に味噌汁もしくは汁物を置き主菜をその奥に置く関東の作法に対し、
左手前に飯を盛った茶碗、左奥にに味噌汁もしくは汁物を置き主菜を右手前に置く関西の作法との文化的衝突がここ最近はてな界隈で話題となった。
私自身は関東の右利きの人間だが、右手前に味噌汁があるのは食べにくそうなので関西式に味噌汁は左側(左奥もしくは左手前の茶碗の更に左側の手前)に置いて食事をしてきた。
しかし今回の論争を見て、あえて関東式とされる右手前に味噌汁を置く方法で食事をしてみた。
よく言われている「右側に味噌汁があると主菜(おかず)を食べようとして味噌汁をこぼす」という事はなかった。主菜に箸を伸ばすことについて、右手前に味噌汁があることは特に障害とはならなかったのである。
関西式に左奥に味噌汁を置いた場合、味噌汁の椀を取るのは左手のみであった。
関東式に右手前に味噌汁を置いてみると、自然と腕を取るのは両手になったのである。箸を持っていない左手と、箸を持った右手の小指側掌底で椀を持ち上げ、腕が口に着く直前で右手が椀から離れたのである。
噂に聞くところによれば、江戸時代以前まで首都であり文化の中心であった京都を中心とする関西圏では主菜が充実しており、食事は飯+主菜をメインとして左手前に飯、右手前に主催があって、脇役たる汁物は左奥であった。
一方関東では、江戸の町人の食事は朝晩は茶漬け、昼は一汁一菜でありと言われ、昼の味噌汁は主菜であった。
あえて関東式の配置をしてみた時に自然と現れる椀の両手持ちは、まさしく「有難や有難や」と主菜たる味噌汁を両手で持ち上げる仕草なのではないだろうか。
さて、和食の例を離れて、中華や韓国・朝鮮料理ではどうなるであろうか?
これは簡単である。汁物の椀を直接手に持って飲むのは日本独特の作法であり、町中華のレバニラ定食や、焼肉屋のハラミ定食などで登場する中華スープや韓国朝鮮スープは蓮華や朝鮮匙で飲むものである。だから当然のことだがスープは利腕側(一般的には右側)にあった方が良い。
店によってはラーメンを汁物と考えて右側に置くが、これについては「汁」「飯」という発想から離れ、単純に器の高さから判断するべきであろう。
つまり、ラーメンの丼よりもチャーハンの皿の方が低い。利き腕側に低い器があった方が圧倒的に食べやすいので、右利き基準で考えれば右に炒飯、左にラーメンがあるべきなのだ。
ココイチに行くと、あることに気付く。必ずカレーが手前、奥がライスになるようにカレーライスが置かれるのである。そして客は無意識のうちにそれを45度回転させてから食べ始める。
利き腕側をライスにするとライスの消費が早くなり、最終的に比較的少ないライスと比較的多いカレーによって濃い味で食事を終える事になる。
利き腕側をカレーにするとカレーの消費が早くなり、最終的に比較的少ないカレーと比較的多いライスによって淡白な味で食事を終える事になる。
ココイチが客に対してカレーとライスの境界線を水平にするのは、右利きと左利きを差別しないダイバーシティの精神があるのではないだろうか。
自慢だけど僕の肌はよく伸びる
20代後半を迎えようとしてるってのにもちもち。
たまに風俗嬢がびっくりしたりもする
おっさんにつねくられたりする
「なんでそんな肌がもちもちなの?」と言われてもなんでかずっともちもちなのだ
まあ、そんな自慢もほとほどに僕はやりたいことがある。
肌で悩んでる女を嘲笑ってやりたいのだ
するくせに正月に1万円ぐらい貰ったことあるくせに鏡で自分の顔を見ては「またニキビ出来ちゃった…」とため息をつくような女を思いっきり
「ねえ、見て肌がもちもちでしょ?あは」
みたいな感じで
きっとそんな事をされたら多分、その女は必死で自分の肌をどうにかするだろう
そのどうにかする様を想像したいのだ
この感覚はまるでマイフレンドのラーメンを会社のランチに食べている女をバカにしたい気持ちに
よく似ている。
あれも昔は食べていたが、食べなくなってから
あの不味さと悲しさに気づくもので
ていうかあんなもん食べてたらそりゃニキビ出来るわなご愁傷さま笑
今日も鏡で自分のほっぺをつねってはその美肌っぷりに嬉しくなる。
保湿クリームあげるよ笑