はてなキーワード: ランドマークとは
そもそも、文化盗用の概念を厳格に適用すると、もうだいたいのものは殴れちゃうからな
例えば、グラディウスシリーズでモアイ像らしき敵が口から輪っかを吐き出してこちらを攻撃してくるから破壊しよう、というのはイースター島の住民が抗議したら引っ込めるべきなのか?
スマホゲーのチャリ走で各国のランドマークが描かれたステージをチャリに乗った棒人間が走るというのも「アイデンティティがどうたらこうたら」とか言えば配信停止に追い込まれるべきなのか?
多くのものに当てはまる原則を、しかし個別の事例に適用して殴るか殴らないかは所詮お気持ち次第でしかない
ならもう堂々と「俺はこれが気に食わないんだ」と言えばいいだけなのに
先日ホッテントリした「何故北海道のニセコに外人が大枚をはたいて押し寄せるのか10の理由」 https://anond.hatelabo.jp/20180115135418 は地元民が読んでとても新鮮だったのでローカルからも書かせていただこう←頼まれてない
冬のスキー場は外国である。リフトに乗り合わせた観光客に遠慮の無い英語で話しかけられることも普通。一人でリフトに乗れないスキースクールの子供と同乗して、これまた遠慮の無い英語がさっぱりわからない、というのもよくあることだ。
ここ数年でアジアシフトが進み、中国、香港、マレーシア、インドネシア、タイ、台湾など東南アジア比率が高くなってきた。しかしそのほとんどは英語が堪能なので実践の場はいくらでもある。
http://www.town.niseko.lg.jp/machitsukuri/tokei/post_113.html
ケンブリッジ大学の教育学部を首席で卒業したようなとんでもない人が英会話スクールを経営されている。
ニセコ町にはインターナショナルスクールがある。
Hokkaido International School Niseko
http://home.his.ac.jp/niseko/seasonal-school-japanese/
旦那さんが海外から、奥様は日本人というパターンのハーフが知り合いにもたくさんいる。田舎暮らしの一番のデメリットは子供の教育の選択肢が少ないことなのでこういう存在は大事。
観光客や宿泊施設の急増に対して、労働者の増加が追いついていない。
求人倍率は北海道倶知安町(≒NISEKO)で2.3になることもあるので仕事は選ばなければいくらでもある。英語学習という観点からすると飛び込んで働きながら、実践で英語を身につけるには最高である。
北海道は本州に比べると賃金がとても安いが、ニセコに関しては人手不足もあり高めである。。
例をあげるとスーパーのレジ打ちで1000円、コンドミニアムのクリーナー1,200円とか。(このへんは英語はできなくてもこの時給)
宿泊業関係は、英語ができる日本人を雇うよりも、そこそこ日本語のできる東南アジアの子を雇った方がコスパは良いかも知れないが。
日本百名山の一つでもある羊蹄山がランドマークとなり、周りには田園風景が広がり、温泉も豊富。場所にもよるが600円程度で日帰り入浴もできるので毎日温泉というブルジョワな暮らしも可能である。毎日入ったって1ヶ月2万円かからないのよ!
冬は観光客が多くてガチャガチャしているが、夏は静かで最高だ。個人的には夏のほうが良い。日本海へも太平洋にも1時間ほどでゆけ、天気を見てシーカヤックなど海遊びもできる。
サミットが行われた洞爺湖も1時間圏内。こちらはニセコよりのんびりした雰囲気で良い。
東京住まいの人からすると不便に感じるかも知れないが、新千歳空港までも車で2時間かからないし、札幌も同じくらい。自家用車は必須だがあと20年以内に新幹線の駅もできるし、高速道路も近くまでつながる。
数年前までのアパート不足はこの2年ほどで解消されました。
文字通り空き地があればアパートが建つ。大T建託さん、にんまりです。
結果過剰供給となり、部屋が埋まらなくなってきています。単身向けアパートが多いようですが、新築敷金無し物件などもでているようです。
一軒家はありません。倶知安町、ニセコ町内は絶望的にありません。
従業員寮のレベルも昔と比較すると改善してきているので働く分にはそこまでの思いはしないかもしれません。
意識して良い面ばかりを書きました。
ニセコのように景気の良い地域にももちろん問題は山積みですし、うんざりすることも多いです。それはどの町でも、国でも同じこと。
結婚式に限らず、お葬式で「ご愁傷様です」も、死んだときの報告時でいいやんと思う人かな?
まぁ葬式じゃなくても、大きなランドマークのビルの竣工式なんかでも芸能人が来て「おめでとうございます~」っていう合図でテープカットするよね。
逆に、新郎新婦側も「ありがとう」「来てくれてありがとう」と何度も言ったり、葬儀も喪主や親族は「いらしてくださりありがとうございます」はよく言う。
おめでとうございます、ご愁傷様です、ありがとうございますなど、相手のことに対する賛意、敬意、労い、感謝など、人に寄り添った言葉を発するときは場所や状況などそんなに左右されず何回でも言ってあげることのほうがいいから、みんないっぱい言うんじゃないかな?
もちろん、今後の生活を見据えた「がんばって」という煽情も相応しいと思う。
ちなみに、「あけましておめでとう」だけは、「あけまして」と「おめでとう」で分かれているのではなく、「あけましておめでとう」と言う一つの慣用句に近い気がする。
初めて匿名ダイアリーを使って自分用メモ。これは推奨する記事じゃないです。
自宅のある駅から少し離れた都市へ行き、マクドのポテト(大好き)を食べながら会員制出会い系サイトの掲示板に内容と場所、何時頃までいるかを書き込み募集をかける。
ガンガンくるメールを見て、条件の良く今から会える人をピックアップし返信、約束を取り付ける。
サイトの掲示板を見る限りたくさんお金をもらって体を売ってる同年代の子もいるみたいだけど、自分は手コキまで。
で、わかりやすい駅やランドマークを拠点に周辺でちんこ握らせてくれる男の人をはしごする。
疲れたら帰る。
相場はよく分からないけどだいたい3〜5千円くらいでやってる。まあ10代で黒髪なんで高校の時の本物の制服を着て行くこともできるから、色つけてくれる人もいる。
車の中や多目的トイレを指定されることもあれば、ラブホでやる人もいる。ホテルは若いおにーさんに多いかも。
「人肌が恋しい」と言ってキスして自分を抱きしめて自分はホテルの映画見てるだけで1万円くれた人もいた。変わった人だなと思った。
コツは自分のキャラをちゃんと決めること。SかMかはもう演技力がダイコンすぎて変えられないと自分は思ってるので、上京したばかりで怖いですう〜とか言ってた田舎っ子なのにちんこ握ったら超ドSとか、黒髪ボブの大人しそうな優等生なのにオラオラ系とか、なんかギャップがあるといいかもしれない。普段の自分とは全く違うキャラだと色々傷つかない。
気をつけてるのは世間話に色々聞かれてもフェイク入れられるように架空のプロフィールを考えておくこと、携帯は身につけとくこと。
自分は大学の専攻が割と特殊な学問なんで「文学部です」とか、世間話程度ならごまかせる程度に知識のあるどこにでもある学部を言っとく。実際、司☻遼太郎が好きすぎて死にそうだった時期があるのでだいたい大丈夫。坂の上の雲とか燃えよ剣とかベタだけど最高だよね!携帯は普通に危ない時使うと思うし、金取られても携帯あれば通報できるから。まだないけど。あってたまるか。
どうでもいい自分の話でなんでプチやってるかっていうと、自分は金遣いが荒い。というか、管理がうまくできない。(どうでもいいがこれはADHDってのもあるかもしれない)
しかも多趣味だから金がガンガンなくなるんだけど、それを賄う為に始めた。接客バイトの給料が入るまでのつなぎに、月数日って感じ
将来どうなるかわかんないけど自分レズでちんことかまっっっっったく興奮しないしおっさんがイく為に乳首いじらせてとかほんと不快すぎて2万くらい吹っかけで断られたら帰るくらいだし、ちんこ握って食って行く気はさらさらないんで大学のうちにやめると思う。お金の管理ができるように訓練してるけど、なかなかうまくいかない。
なんで発達障害の話になったんだろう。以上です。
良い子は真似しないでね。悪い子もできたらやめた方が賢明だよ。
フェス限ヒロインガチャ(通常の2倍の石10個で回せる期間限定ガチャ)について、公式生放送で山本大介プロデューサーが全キャラ
究極進化するとおよそ3ヶ月にわたって繰り返し宣言してガチャを煽ったにもかかわらず、実際に究極進化したのは一部キャラのみで
更に山本大介プロデューサーが「あれは言い間違いでした許して」とユーザーの怒りに火を付け優良誤認の返金騒動へと発展。
https://twitter.com/DaikeYamamoto/status/835385151957827584
3月になり一転して全キャラを通常進化から究極進化に変更(ただし性能据え置き)、進化に使った分のアイテム等の返還で幕引きを
図った案件だったが、ようやくお役所の方で仕事が終わって時間差コラボが発動した。
通常進化はレベルキャップまで経験値を重ねなければ進化できないが究極進化はレベル1からでも可能なので消費者庁では優良誤認と
判断したのかもしれない。しかし、通常進化の場合は更に将来に究極進化でのパワーアップを残しているとも考えられ、性能据え置き
のままで通常→究極となったのはユーザーにとっても重ねて不幸な結果となった。
また、この程度で(一部)ユーザーが大きくアクションを起こすのはパズドラ運営・山本大介Pが長期間の運営の間にユーザーからの
不満を溜め込んでおり何かあれば簡単に着火炎上してしまうためである。ゲーム運営の長期化にあたっては社員個人のスタンドプレー
が業績に影響しないような仕組みにじよ目のつけどころがおシャまんべ。((時事ネタ解説追記:ユーザーとツイッター担当との距離感の例として、にじよめちゃん、シャープ公式の片方、まんべくんを挙げた。))
実施回数 | 日程 |
第1弾 | 2016.11/7(月)メンテ後~11/20(日)23:59 |
第2弾 | 2017.2/13(月)0:00〜2/26(日)23:59 |
第3弾 | 2017.5/22(月)0:00~6/4(日)23:59 |
生放送「ヒロインガチャキャラ全部究極進化」発言(消費者庁PDFより)該当の生放送過去分は再生禁止済
2016.11/30 | 山本大介プロデューサー生放送発言 |
2016.12/25 | 山本大介プロデューサー生放送発言 |
2017.2/20 | 山本大介プロデューサー生放送発言 |
同日 | 生放送スライド(※注記あり) |
(小さい※で通常進化含むとの表記があるが、スライドにはヒロインガチャキャラ以外も表示されており、この※一つでこれまで
全部究極進化と明言されてきたヒロインガチャキャラが通常進化になるのも許されるというのはガンホーに都合が良すぎる)
テレビ報道でも問題のアレとして映し出されるフリップが出た2/20の生放送。パズドラ5周年記念の生放送は2/19(日)開始だったが
55体究極進化の発表はその翌日。遅くなったのは、AppStoreでの返金申請期限が90日以内であり第1弾ガチャから90日経過させる
消費者庁案件ということで、すわガチャ確率か、と思ってワクワクしたみんな、ヒロインガチャとか訳わからん話ですまねえな。
ガンホーはオンゲ業界団体JOGAの主要企業ながら、ガイドラインの隙をついて全部当たりだから確率表示はしませんという屁理屈で
いまだに確率は不明のまま。また進出先の中国では確率表示義務の法律ができるとわかるとすぐさま撤退した。ガチャイベントでの
超絶↑3UPなども具体的にどういう確率かはユーザーが確認できない。JOGAのガイドラインも「オンラインゲーム安心宣言」も有名
無実化している。
おりしも、パチンコの方では釘調整の禁止や出玉の下方修正など規制が強まっている。業界内での自浄作用・自助努力が働かなけ
れば埼玉県警がお願いに行くかもしれないし、巻頭カラーに使う出版社への抗議の声が高まるかもしれない。((時事ネタ解説追記:性犯罪事件を受けてクジラックスに埼玉県警がお願いという法的根拠のない圧力をかけた件、ジャンプゆらぎ荘のお色気巻頭カラーにクレームがあがった件。時事ネタを入れると書いた本人も思い出せなくなるので脚注追記している。脚注記法がうまく使えない。))
覚醒セレスの初回発表時に、進化に同じガチャキャラを消費するとしたことがユーザーの反発を招き、撤回された。同じキャラを
重ねる事の何が問題なのか宝具5たくさん揃えているマスターには理解しがたいだろう。このときまでは進化にはダンジョンドロップ
の進化合成用モンスターを使用しており、無料で最後まであそべちまうんだ、を地でいっていた。そこへ同キャラ複数引くだけでなく
消費してしまう進化形態の登場は、同じパーティーに同じ英霊を複数入れられるパズドラではユーザーの拒否感が大きく、コンプ
ガチャに抵触するのではないかなど痛くもないビール腹((プレモルうまし))を探られることになった。同一重ねはコンプガチャには当たらない。
同じガチャキャラを複数引いたユーザーへのサービス、という言い訳が後に覚醒というシステムや売却モンポとなり潜在覚醒や
またコンプガチャはキャラ単体の進化素材という形ではなく、特定キャラの組み合わせでパーティーが効率的に回るようにして
ヘビーユーザーがテンプレパーティーを揃えるためにガチャを回すという形に洗練された。
期間限定クリスマスガチャにおいて新登場キャラのサンタジーニャが、通常ジーニャと同名スキルでありながら通常版15ターンの
ところ11ターンで発動可能として公式ページに掲載されていた。排出されたサンタジーニャのスキルは通常ジーニャと同じ性能で
あり気がついた一部ユーザーが優良誤認だから返金しろと騒いだ。
(※サンタジーニャ・通常ジーニャとも性能目当てで使ったりガチャ回したりするような環境ではなかった)
ガンホーは誤りを認め補償を発表したが、その内容が不公平感あふれるもので火に油を注いだ。
「クリスマスガチャでサンタジーニャが的中したユーザーに対して期間中に消費した石を全部返還」
当たらなかった奴は客じゃねえと全ユーザーに喧嘩を売ってしまい、その後補償内容を変更。
「期間中にクリスマスガチャを引いた全ユーザーにガチャ1回分の石返還」
全部返還の発言はガチャ期間中のことであり返還されるからとガチャに全ツッパしたユーザーのヘイトを買った。
Googleに対して返金請求をし返ってきたユーザーもいたようである。Appleは渋いらしい。
「数グループによる2重チェックを徹底するなど、製作物に対する社内の管理・ 検証体制…」
しかしその後もケアレスミスが繰り返され、運営とユーザーで二重のチェックの意味などと揶揄される。
スクエニのスマホゲー、FFクリスタルディフェンダーズ(FFCD)とのコラボで新キャラ曲芸士が登場するも、簡単なパズル要件で
49倍という当時としては破格の攻撃力でユーザーを驚かせ、さらにFFCDには曲芸士が居ないことで二重にビックリだよ。
バランスブレイカーいわゆる壊れキャラを期間限定のコラボキャラで実装したことに対するユーザーの反発が大きく、ガンホー公式
がバランスとか問題ないしちゃんと計算してる角度とかと表明することになった。
当時のユーザーはパズドラのゆるやかなインフレ状態を好ましく感じており、曲芸士以降の加速度的なインフレ傾向を考えると
確かにここがターニングポイントだった。
山本大介PもFFCD側の担当者スクエニのハタケイスケ氏((時事ネタ解説追記:又吉と同時受賞した芥川賞作家とは別人。))も、ユーザーは強いキャラを望むけれどもゲームバランスこそが重要だから
軽率に強キャラ出すわけにはいかない旨の発言をしていたのだが。
オワドラが言われ始めたのはこの頃、長い長い黄金の黄昏の始まりである。
http://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/1603/01/news139.html
<コラ>ボキャラでした。後に修正。リーダースキルの名称で良かったよ。まどか衣装のチアリーダー((時事ネタ解説追記:アイマスのパリーグコラボで西武ライオンズではなくアメフトの三菱ライオンズのチア衣装になっていた件。コラボ相手に資料請求せず適当にググって仕上げるとアカンことになる事例。))じゃなくて助かったな石田。
ぶっ壊れとして騒動になった曲芸士は7倍×7倍で49倍リーダーだった。その直後から曲芸士の闇属性対策がされたダンジョンが
続々登場。曲芸士のバランスは問題ないとの公式発言を実証するために実装された同系統リーダースキルのティフォン・ガディウス
は曲芸士に及ばない性能のため今に至るまで陽の目を見ていない。パズドラにストーリーという名のポエムが導入され、その主人公
の2人だったが低性能不人気キャラのためにストーリー自体もぐだぐだのうやむやになってしまった。
究極進化の上を行く覚醒進化、転生進化の実装。ガチャキャラの売却で得られるモンスターポイントで買える強キャラ。Appleに
よるゲーム外コード禁止令による雑誌付録コードAndroid専用化。メダル商法。期間限定コラボキャラの当たりが環境トップ級。
ガチャ石2倍ガチャの広まり。ポケモンGoの影でひっそりと実装されたレーダーといつまで経っても消えないW。進化素材の進化素材
の進化素材集め。2人3人マルチ実装でネトゲでフレンドを引き止める辞めにくい構造。
現在の環境トップはヨグ=ソトースの18倍×18倍=324倍。神話もあらかた消費してクトゥルフに手を出す羽目になった。
なお最新実装の神は日本の造化三神。あんなん逸話も何もないのによくやるね。
曲芸士と現在のインフレは、パズドラ?昔やってたよ的な人へのランドマーク的な状況把握として載せた。また、ゲームの長期運営
においてインフレ傾向の管理と、ユーザー心理の掌握が重要であることの例として挙げた。かつては詫び石いっぱいくれるポカポカ
運営として名を馳せた王者パズドラが悪い文明に染まる特異点。廃ゲーマーを基準としたゲームの複雑化はSTG・格ゲー的ユーザー人口
の減少を招くが、だからと言ってハタ式コンボで540万出ましたとお手軽にしてもヘイトを稼ぐアンビバレンツ。
車に乗ってる際、
これ使うようになってから、
地図なんて一切開かなくなったわよね。
私は断然地図は北固定派!
それはともかく、
もっと遊び心が欲しいところよね。
たとえば、
海の見える道沿いとか、
国道のこの道、始めから終わりまで走りたい浴を満たすことが出来るんじゃないかしら?
そう思うのよ。
あと、私はこっちの道で行きたいのに
こっちの行きたい走りたい道、
ナビがやっと私の走りたい道を分かってくれて
折れてくれた瞬間がなんとも言えないわ。
ナビは便利なんだけど、
そういう融通が利くようになったら楽しいわね。
ナビルーレットとか
そういう機能欲しいわ。
真面目すぎるのよね~。
もっと遊び心が欲しいの、
うふふ。
牛乳買ってきたので、
グラノーラ食べてみました、
が、あれめちゃくちゃお腹ふくれるじゃない!
ちょっとだけだったのに、
この満腹感!!!
ってよく見たら増えるワカメちゃんでした!
てへ!間違えちゃった。
なかなか、美味しいアイスコーヒー作るのも難しいわね。
こちらも絶賛好評生産中の
こちらは、多少茶葉の量がめちゃくちゃでも
味が安定してて美味しいわ。
急須で煎れるよりも、
やったことないのであれば、
試してみてね。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
東京って、遊ぶ「結果」はたくさんあるんだよね。
エントリの中のこの言葉が印象的だった。数年前に東京に移り住んだ自分が感じていた違和感を、みごとに言語化してくれていた。色んな人によって作られたコンテンツという「結果」を消費するだけの街。そこに生きる意味は何があるのだろうと、そんなことを考えることが増えた。だけれども、最近はそれだけじゃないと思うことが増えた。山形でも福井でもなくて、東京だからこその景色が素敵なんだよと。そのことがようやく言語化できたので、この素敵なエントリを書いてくれた方に対して、自分なりの「東京」を伝えられたらなと思って、増田に書くことにした。
私にとっての東京は、たくさんの人の想いによって造られた街だ。どこに行ってもそう思う。そして、それはすごく素敵なことだと思う。
新宿の街を歩く。ネオンが輝き、景観とは何かと問いたくなるほどの広告が目に入る。でもこれは、「何かを伝えたい」という人たちの想いの結果だ。自分の作った製品やサービス、自分のお店、そんなものをどうやって伝えたらいいかを「誰か」が必死になって考えた結果だ。それを考えたのは本人だけじゃない。広告代理店の人や印刷会社の人、裏側のシステムを作っているエンジニアの人、そんな人たちみんなの想いがひとつの広告になっている。そしてそれらが、どこを見渡しても存在している。そこには、人の想いがいやというほど溢れている。誰かに何かを伝えたい。たったそれだけのことなのに、そんなことを必死に考えている人がこんなにもいるという事実が、「東京」なんだと思う。
中目黒の街を歩く。30年前は何もなかった場所なのに、今では多くの人が訪れる素敵なお店や、歩くだけで楽しめる街並みが造られている。でもそれは、街に人を呼ぼうと、街を活気づけようと、当時の役場の方たちが知恵を絞り、地元の人間を説得し、施設を誘致し、ランドマークとなる建物を作り、そして様々な手段でプロモーションを行った結果だ。当たり前のように通っている道のタイルの一つ一つにまで想いが込められていて。そこにどれだけの人間が、それこそ自分の人生をかけて関わっていたのか。そんな街が素敵じゃないわけがないと思う。自分の好きな街を、守りたいと思った街を、見事に守り抜いた当時の彼らのことを思うと私は頭が上がらない。ありがとうといいたい。そんなことは「結果」だけを見ると気付くことはない。だけれども、ふと周りを見渡したり、歴史を見返したりすると、そこには色んな人たちの大切な想いが溢れている。
東京駅で降りる。田舎に帰る前に、人の多さにうんざりしながらも「東京」の縮図を満喫する。これでもかという土産物の多さ。壁に貼られた広告。駅ナカの食べ物屋さんや雑貨屋さん。その全てが、誰かの想いの結果だ。東京駅という、日本で一番利用される新幹線の駅で勝負していくという彼らの強さ。そこに至るまでのオトナなやり取りや、経営面での苦労、お客さんの笑顔。そんなものが詰まった場所が、東京駅だ。地方から来た人が一番最初に触れる東京であり、一番最後に触れる東京にも、人の想いが敷き詰められている。そんなことを思いながら新幹線に乗り、地元に帰る。降りても何もない駅に。その代わり、迎えに来てくれる誰かがいる駅に。
地方とは比べものにならない量の「人の想い」が、東京にはどこの場所にも存在している。そこに迎えに来てくれる誰かはいなくても、たとえ「結果」だけしかないと言われても、コンテンツという形に変えた人の想いが私たちを包んでいる。一人じゃない。どこを歩いても、どの街に行っても、そう思わせてくれる場所が「東京」なんだと思う。「何処かの誰か」が想いを込めて造ってくれた何かが私たちを見守ってくれている。そんなことを思わせてくれる東京の街を、私は素敵だなと思いながら、先人たちに「ありがとう」を伝えたいなと思うのです。
持ち物がいっぱいになってしまって、いままで使ってなかったきずぐすりを使おうと言う事になり、近所にあるポケモンジムに向かう。
全く入った事のない路地であり「ここにジムになるようなランドマークがあるのか?普通に民家の前だったりして、そこでこんな夜にスマホをゴシゴシしてたら怪しいぞ」と思っていたら、そこは小さな公園であった。
「10年以上住んだ近所であっても知らない所はあるもんだな、このゲームや、前身のIngressを開発した人たちも、こういう身近な場所の再発見を望んでいたのかもしれないな」なんてちょっと思ったが、すぐにポケモンバトル!
まだまだ初心者の自分と我がポケモン達は、相手ポケモンチームをあと一歩まで追いつめたが、残念ながら敗退。
ピクシーなんかは頑張ったんだけどな、次は勝てるかもしれない。
なぜニッポンから「腰巻きビル」は無くならないか - Togetterまとめ
このような建築様式を「腰巻きビル」と呼ぶのが一般的なのかどうか分からないのですが、日本国外にまったく例がないわけではありません。
Norman FosterによるHearst Tower (2006) というビルがありまして、これはたくさん賞を獲ったのですね。
マンハッタンのシアターディストリクトとヘルズキッチンの境界、コロンバスサークルから8番街を少し南下したところにあります。
Hearst Tower, New York City | Foster + Partners
何が評価されたのかというと…
要するに、懐古と復興の共存であり、過去と未来の架橋であり、そうなるべき文脈と必然性があったのです。
その観点で言うならば、日本の「腰巻きビル」にも同様の経緯を経たものが少なくないのは周知の通り。
これは歴史建築物を保全する取り組みとして、きわめて先進的であったと言えるのではないでしょうか?
文化財保護の必要性と、都市計画上の要請と、構造設計上の制約、これらの折衷案が「腰巻きビル」であるとしたら、なかなか面白い建築群なんじゃないかと思います。
そういう背景があるとしたら、ですが。
広告料を目当てに「なりすまし」で複数のブログを書いている業者。
ある時は借金持ち、またある時は派遣社員、男だったり女だったり、
末期ガンの家族、障がい児を育てるママ、赤ちゃん待ちの嫁、しがないリーマン、
婚活中の女、メンタルを病む男、嫁を恨む姑、姑を罵る嫁、大家族、一人暮らし、
貧乏、汚部屋、複雑な家族構成、こんな内容の嘘を綴っているプロ業者。
嘘ブログに喜んで広告を出している会社も、ろくなもんじゃねえ。
ブログに嘘を書いても法的には問題がないんだろうが、倫理的な問題は?
驚くことに、こんな業者の男が3月中旬に市のランドマークでセミナー講師で登壇する。
人気サイトの作り方・裏話を披露するようだが、嘘ブログの話をさせるの?
もっと驚くことがある。
このセミナー講師は2014年に経産省のIT関連の賞を受賞している。
こんな嘘を垂れ流す業者を蔓延させる原因を作っているのが一般ユーザー。
法に触れなければ何をやっても許されて、
嘘つき放題で、かえってそんな奴が賞賛されて、
そんな国に未来なんかあるわけない!
自殺したらしい子が通っていた学校、私の友人が、子供を通わせていた幼稚園だ。
最初は、「子供をのびのび育てたいの」程度の、子供が居る親なら誰もが思いそうなことを言ってただけだったんだけど、
そのうち「公立の学校に入れたら子供がダメになる、競争させるなんてイヤ」とか言いだしたり
「幼稚園のママ友は、調味料を一切使わないで無農薬の野菜で料理を作るのよ!」と謎の尊敬をしだした。
塩すら使わない野菜料理は、食べさせてもらったが「野菜だね」とは思ったが美味しい食事だとは思えなかった。
そんな日常から、聖書を読みルドルフ・シュタイナーの本を読み漁り、と言うところまで1年経ってないと思う。
「あなたには分からないかもしれないけど、今の日本で、子供の意思を尊重して育てるのは無理だよ」とか
段々雲行きが怪しくなり、子供をドイツのシュタイナー・シューレに入れると言いだし、
そうして、彼女の夫や、私たち友人が止めることもできないまま、子供をある外国のシュタイナー学校に通わせるために
どんどんハマって行く感じは、どうも、新興宗教や自己啓発にハマる人を見ているようだった。
労働ビザが取れるわけないので、彼女は定期的に帰国する必要があるのだが、帰国時に会うたびに様子が昔とは変わってきて
「良く日の当たる場所で待ち合わせましょう」とか「有機野菜じゃないと食べたくないの」と言いながらずっと水だけを飲んでいたり、
付き合っているのもちょっとしんどくなってきた。こっちは家庭もあるし仕事もあるし俗人の限りなので。
ある時、どうしても平日その日じゃないと会えないということになり、私は出張で出かける用事があったので、
その街のランドマークだしちょうどいいかなと、とあるお寺で待ち合わせでもいい?とメールした。
彼女から「あなたがそんな人だとは思わなかった。私のことや私が今までしてきたことを踏みにじる行為だ」という返事がきた
シュタイナーの人だとお寺は嫌だったのかなぁ、でも他に分かりやすい待ち合わせできる店も場所もないしなぁと
結局、彼女は腹を立てたまま私と会う約束も流し、それからメールも来なくなったしSNSもブロックされ、ブログの更新も止まった。
夫とは離婚することになったらしいと、風の噂が伝わってきた。
それまでは夫が彼女と子供の生活費を日本から送金していたのだが、それが無くなって大丈夫なのだろうかと心配になったが、
色々ブロックされていては何もできることはなかった。
別の友人が、彼女の別のブログを見つけてきて教えてくれて、それを読んだら、昔より目つきが鋭くトゲトゲしく笑う彼女の写真と
毎日コツコツ更新されている様子の、俗人凡人の私には理解ができない精神世界へのこだわりが綴られていて、
そのブログの読者(恐らく日本人のシュタイナーかぶれっぽい人たち数名)が、たまにコメントを残していた。
学生時代の彼女は聡明で可愛らしい人気のある子だったし、ジャンクフードだってお菓子だって好んで食べていたし
誰かの人生に勝手に文句をつけるような独善的な人ではなかった。
どこで何があったんだろうと、今でも抜けないとげのような痛みを思う。何が悪い、何が原因だ、ということではなく。ただ痛みを思う。
中学までは基本的に自分の住んでいる町と親戚の家のあるところ、塾のある駅近辺しかわかりませんでした。
高校生になってから盛り場に行くようになったり違う町の友人のところに遊びに行ったりしてなんとなく東京の地図が広がりました。
大学に入ってから学校の帰りに渋谷に行くようになってようやく渋谷のランドマークはプラネタリウムではないと気付きました。
六本木に行ったことがある?と聞かれてないと答えたところ「うっそ!東京の人って東京を知らないよねー!」と驚かれました。
確かに大学生・社会人になると行動半径が広がるのでいくら東京出身でも18歳以降をその土地で過ごしていないと東京(その土地)を語るのは難しいというのには賛成です。
でもどんな表参道であろうと歩いたら行き着く先には神社が待ち受けているのでどこまでもは行けないんじゃないかなあと思われます。
それが「予定外」に予算が膨らんだんであれば説明されて然るべきだし、
それがなければ叩かれて然るべきだろ。
太陽の塔の維持費って年額いくらだよ。
誰もそれを言わない。反対が70%とか読者に媚びた数字出しやがって。安藤忠雄が会見するって言ってるけど、語ったとしても批判浴びるだろうから書いておく。
都市設計も含むけど、建物っていうのは人が入る箱なので、必然的に人の生活様式を作る。
三谷幸喜監督の「みんなのいえ」って映画の中で、日本人は規格化された住宅に住むから決まり切った生活パターンになり、その人らしさが生まれないみたいな話があった。多様性が生まれないということは生物としては死を意味する。
当然、パーツを組み合わせるだけの建築は低コストだから普及するのだけど、より社会を活性化させるためには自由な建築があってもいいはずだ。
国立競技場は住宅ではないけど、ランドマークとしては日本の均質な安っぽい建築に一石投じるポテンシャルがある。
オリンピック以後もそうやって人に影響を及ぼし続けるものだから、オリンピックに間に合わないとか大きな問題ではない。太陽の塔だって最初は批判されてたけど今や立派なランドマークだ。この世には最初は批判されてたけど後々大切なランドマークになってる建築がたくさんある。人々はそれに気づかない。
今回の競技場の件。大体はJSC(日本スポーツ振興協会)の「新国立競技場設置本部」あたりの組織担当者を追いかけてみると実務面での責任者は見えてくるんじゃないかな、というのが私のような素人の考え。
ただ、もともとJSCはスポーツ振興団体であり、巨大建築物の施工・設計を管理できる能力はなかったと思う。土木・建築とはまるで畑違いなのは、役員一覧を見てもわかる。
http://www.jpnsport.go.jp/corp/koukai/tabid/67/Default.aspx
で、そういう団体に、新国立競技場を仕切らせたのは当時の政権担当だった党で、「スポーツ施設なんだからスポーツ関係者に任せる」という単純発想だったんだろう。(当時の政権担当の、「官僚や経済人の意見を聴く能力のなさ」による失敗は、原発事故・尖閣国有化・沖縄基地問題などでも端的に現れているが、これもそれに通じるのかもしれない。)
参考までに、JSCが競技場のコンペを開催し、最終候補が決まったのが2012年10月、ザハ案に決まったのは11月、当時はまさに、野田内閣が消費税増税を決めて、国民から決定的に支持を落としていた時期だった。結局、翌月12月の総選挙で政権を現政権に譲ったのだが、ザハ案への決定にあたっては、当時、不人気で苦しんでいたその政権担当の思惑もあったのではないだろうか。
JSCは、任命されたら任命されたで、自分の担当する不慣れな任務に対して、「自分に能力がない」ことすら当初は分からなかっただろう(担当者にソツなく仕事を投げればそれで済むと思っていたはず)から、どうやっても間に合わなくなる今年4月まで文科省に本音を言えなかったのは多分、本当だと思う。その意味では文科相も被害者だと言える。
安藤氏は引っ込んでしまったが、それも仕方がない。侠気を出して「俺は東京の後世に残るランドマークを作るためには1千億の負担増なんか全然、許容範囲内だと思ってる」と言ったとたん、マスコミの徹底的な袋叩きに合うし、それは彼の友人や家族にも累が及ぶだろう。一部の著名人が言うような「今回の件では責任をもって進める人が見えない」というのは、「俺らが名指しで人格攻撃できる相手が欲しい」という意味だし、某政治家の「安藤氏はもっと発言を」というのは「俺ばっかり攻撃を受けるのは理不尽だ」と言っているのに等しい。「失敗を認めたら死んてしまう病」は何も官僚だけに限らない。某新聞や記者が記事の捏造を認めたら、その家族や再就職先にまで理不尽な攻撃が浴びせられるように、この国では組織や体制よりは個人を人格攻撃するのが正しく、それを避けるためには何かか問題が起きたら「ひたすら頭を低くして嵐が通りすぎるをの待つ」のが正しい処世術なのだから。
この「真犯人探し」をふくめて、こういう政権や社会やマスコミを育てた、日本国民全員が責任者なんじゃないかと思いました。(小並感)
でも、まぁなんだかんだで2千億円なんて、この国の官僚の手腕にかかれば、実はそんなに大したことなく誤魔化せるんじゃないかな、とも思っている。例えば東京湾アクアラインは、1兆円かけて作られて、今の単体の料金収入では、建設資金の利子ですら賄えない状況なのだが、官僚は数年かけて、プール制から、日本高速道路保有・債務返済機構への合算に持ち込んで、個々の採算を隠して誤魔化すことに成功してしまった。今やみな、本来ではありえない低利用料金で楽しく木更津のアウトレットモールに出かけて買い物を楽しんでいる。
今回の競技場は、北京やロンドンのような郊外ではなく、山手線の内側、東京のど真ん中にできる。東京と政府の官僚が一体になって、国立競技場の運営会社に、周辺の商業施設の管理などもさせるようなスキームを整えたら、案外、採算を合わせることができるのではないだろうか。
ただ、この設立されるであろう、新国立競技場の運営管理会社の出資者として、願わくば、文科相や安藤氏を含め、いわゆる「責任者」はその個人財産を投げうって出資して欲しいと思う。それがもっとも素直な「責任のとり方」ではないだろうか。
攻撃相手を見いだせないマスコミは、増加した建設費で何が他の買えるか、という話で盛り上がっているが、この国の原発が稼働したら数日で稼ぎ出せる金額だし、上海株式市場のこの一ヶ月の株価下落で失われた資産の数千分の一にすぎない。お金の価値は多角的な見方が必要で、卑近な例を持ちだして「このお金で何が買えた」というのはいささか卑怯な言い方だと思う。どの分野にどのくらいお金を出さなければいけない、というのは様々な思惑と政治力の関係によって決まるもので、この建設資金をどうやって手当するか、について影響を及ぼしたいのならば、ブログで騒ぐのではなく政治で働きかけるしかないのではないだろうか。
フーダニットが好きだ、ハウダニットが好きだ、ホワイダニットが好きだ。
クローズド・サークルが好きだ、と延々と続けてもいいが、このへんにしよう。ヒラコーすげえな。
さあ、犯人探しをしよう。
ある程度物語が進むと、大抵はワトスン役が事件のあらましを振り返る。
新しい日本というシンボルであり、世界一の場所であり、オリンピックに対する日本という国の象徴を込めようとした。
字面そのままの国威発揚であり、ランドマークでもって日本の存在感を示す、土建の極北でもあった。
まず、当時とのドルベースでの日本円は、1.56倍となっている。(78円→122円)
1300億円を1.56倍すると、2028億円となる。
これが、ザハ当初案では3000億円規模と言われていた。ドルベースでも1.5倍。
国家を上げての景気向上と、建築難易度と、見込み違いのダブルアップで2.3倍程度に膨らんだ。
さて、3000億円、規模縮小圧縮しての2520億円の目眩ましが見事なミスディレクションとなっている。
1300億円でスタジアムを一つ作るというのは、適切な金額だっただろうか?
1300億円の予算を組んだ首謀者は、誰だっただろうか?
ザハ・ハディッドは、第一級の建築家だ。脱構築主義建築家としての。
ザハが実力で現在の地位を勝ち取ったことは留意する必要がある。
つまり、コンペでのザハ案は魅力的に見えることが多いということだ。
ザハの案は、脱構築主義建築と呼ばれる枠組みの中では、一級品と言える。
さて、国威を示すために、世界一のナニカをつくろうと決めたのは、誰だろうか?
日本的な何か、機能美的な何かではなく、建築物の美しさを求めたのは、誰だったろうか?
実は、建築関係者が諦めとともに眺めているのには、3つ理由がある。
1964年の東京オリンピック時に、国立競技場こと国立霞ヶ丘陸上競技場はかなりの突貫で作られている。
当時の施工技術と環境を考えると、延命措置は結構無理があると想像できる。
また、コスパ最優先の「機能仕様を満たした競技場」とは、全く違う建築物だろうというのも想像できる。
なので、ザハ以外のどの案が選ばれたとしても、1500億円を下回ることは無かっただろう。
そして、「これ建築難易度高いと思うが」と言う地べたに近い建築家の意見が「アドバイザー」扱いされるコンペだ。
優先順位は明確であり、そうしたコンペはそれほど珍しくはない。
さて、「一番いいデザインを頼む」と言われた建築家が、ドリームデザインを選ぶのは、必然だ。
ラグビーワールドカップ向けの良いヤツを!オリンピックに恥ずかしくない良いヤツを!
そうした、「新国立競技場を決める参加者」の、誰のデメリットにもならないという、不気味な状況になっている。
本来、大学入学祝いに好きなの選んでいいぞって言って息子がベンツCクラスを指さした時には殴るのが親父の努めなハズだ。
例えば、キミが富士鷹ジュビロじゃなかった藤田和日郎のファンで、アニメ化をアレコレ言う立場になったとしよう。
様々な候補の中から、やはり「うしおととら」だと決定した所で、ではどう削るか、という話になったとしよう。
いくらなんでもアニメ化するのにメインである白面の者との戦いは削れない。
前半のクライマックスであるうしおの髪を櫛ですく盛り上がりの為には、各地の少女のエピソードは削れない。
藤田和日郎の連載作家ならではの回り道しがちな癖が絶妙なバランスで拮抗しているが故に、どのエピソードも削り難い。
で、予算が青天井で、必要なエピソードを必要なだけ盛り込む係だとしたら、削る理由がない。
でも、本来は予算配分を考えてリソースを誰かが管理すべきなのだ。
どうやってもこの尺では入らないと、誰かがハサミを入れないと、作品はまとまらないのだ。
押井守みたいに、与えられた予算と期限内で作品を上げるために容赦無く切っていく監督というはむしろ例外的なのだ。
さて、ここからは挑戦状だ。
「新国立競技場基本構想国際デザイン競技」と呼ばれるコンペは、何を目的にし、何に対して責任があるだろうか。
「新国立競技場の建築予算」に対して、予算配分を決めたのは誰で、何に対して責任があるだろうか。
文科相やコンペ審査委員長にスポットライトが当たる中、隠れているのは誰だろうか?
ザハ案が膨らんだ時点で「拒否すべきだった担当」は、どこの誰だっただろうか?
問題点を切り分けるための、簡単なヒントを挙げておこう。
それぞれ明確な責任者が居るが、キミに見つけられるだろうか?
「疑いようのないものを持ってるって素晴らしいことだと思わない?」プラネテスでユーリが九太郎に行ったセリフ。そう思う。このシーンでユーリが語ったことほんとによくわかる。きっと作者も若いころ同じようなことを考えていたんだろう。
世の中の事は厳密に考えると何もわからない。善とか悪とかってなんだろう。人間の価値ってなんだろう。自分はどう生きればいいんだろう。たくさんの生きているうちに答えが見つかるかもわからないような疑問が頭の中をループする。
「疑いようのないもの」ってのは絶対的な何かってことで、いわゆる「神」だ。絶対的なランドマークがこの世にあれば人は迷わずに済むかもしれない。そんなものがあればこんなに悩むこともなかったのかもしれない。
でも本当に「絶対」はいいことばかりなんだろうか。その「絶対」から外れてしまった人間はどうなってしまうんだろう。もし宇宙のどこかに神様みたいなものがいるとして、この世界に「絶対」を創らなかったのは「どこで、どんな人たちのもとに、どんな人間として生まれるかは選ばせてあげられないけど、何を大事にして生きるかは自分で見つけなさい。」ってことなのかもしれない。
今日たまたまストリートビューを見てたら、恋に落ちたような気がする。
その場所は一度通ったことがあるんだけど、別に観光名所でもランドマークでもなんでもない。
その中華屋の前を、スーツの上着を肩にかけ、さっそうと歩く背の高い細身のリーマンらしき男に恋をした、ような気がする。
後姿だ。
なんとういうか、完璧に好みの体型、髪型、頭の大きさ、姿勢だったから、マウスを持つ手が止まった。
中華屋の前にはランチメニューを書いてるらしき看板が出ていて、リーマンの影は北へ向かって短くのびている。
おそらく昼時だ。
今度、平日に有給をとって、昼ごろにあの店の前に行ってみよう。
彼が通らなかったら、中華を食べて帰ろう。