はてなキーワード: ラルフローレンとは
3年前あたりから夫が変わった
167センチで80キロ以上あった体重が今では50キロ代前半に。
・髪型を変えた
出会った学生時代からスポーツ刈りだったが、髪を伸ばしてマッシュヘアの真ん中分けになった。
・脱毛を始めた
剃っても青髭で体毛も濃かったが、脱毛を始め顔まわりや胸毛などがツルツルになった。
・服装が変わった
吊るしのスーツだったのがセミオーダースーツになり、私服もパーカーにデニムだったのがラルフローレンのセーターにスラックスとかになった。
・小物の趣味が変わった
機能性重視だったが、キーケースやスマホケース、ハンカチがブランド物になった。香水とかつけてるし。
・矯正を始めた
歯並びがコンプレックスだったらしい。
・セックスレスになった
1年間ご無沙汰(T . T)
ラルフローレンのコラみたいにそのうちおじさんがワニに、ワニがおじさんになりそう
お金ないからボロボロのファストファッション着てる。ただ子どものころ買ってもらった大人服のラルフローレンとかが長持ちしてて脳がバグる
①アズって会社のトランクス愛用してる。adabatと書いてある。たぶん10年位同じパンツはいてる。
(枚数は20着くらい取り替えながらだけど)
とても丈夫だ。アウトレットで安かった。普通に定価で買うと3000円位の値札がついているが数百円位で買っている。
それに対して無印良品のトランクスはだめだ。酸素ハイターでゴムがのびのびになってすぐに履けなくなってしまう。
駅ビルに無印があったりして出張の時につい買ってしまったりするけれども。
②無印良品はソックスなんかもこの20年位の間に品質ダウンした。昔のペルー綿ソックスは丁寧に洗濯しているとやっぱり5年位平気ではけたし快適だったが、今のL字型ソックスは普通の洗濯機で脱水してもゴムのところからほつれてきて1年持たない位。
会社的に3足1000円の靴下を5年も愛用されたら経営が成り立たないのはわかるが・・・
ちなみに海外で買ったラルフローレンの靴下(日本製)はよそ行きにしていてあまり履いていなかったのもあるが15年くらいまだ新品みたいな感じ(笑)
しっかりした綿の靴下欲しい。綿麻とかだともっといい。けどどこで売っているのかわからない。
ぼくの父はよく本を読む人だった。
過去形で書いているが、存命だし、わりに元気らしい。母からの便りでは、勝手になかなか高額の生命保険に入って、かつ元気ピンピンらしい。ただぼくの中では、父親はすでに過去の人間なのかもしれない。18で実家を離れ、年に数回しか話さない。実家にいた時にも、自分についてもともと多くを語る人ではなかったが、余計に話すことは少なくなった。話す話題も政治のこと。父の憧れる都会のこと。父親の個人的な話は、ほとんどない。
父親はそこそこ裕福な家庭に育っているらしい。あまり詳しくは知らないが、不動産ももっているので、家賃収入がある。が、多額の借金をしていたこともあるようだ。車は常に外車だし、今でもファッションサイトでラルフローレンなどを購入している。60にしては身なりというか世間体を気にしている。ぼくが古着に傾倒したときには怪訝な顔をしていた気もする。
よく父は本屋に連れて行ってくれた。割と硬派な父のお気に入りの本屋が町にあった。田舎の本屋だ。本屋は好きだった。紙とインクの匂いがぼくを刺激した。いつも父は分厚い本をたくさん買って帰っていった。僕にも「何か買いたい本はないか」と聞いてくれた。当時は系統立てて本を読もうと思ったこともなかったし、今とも読書傾向も大きく違う。おそらく父からみたらどうしようもない本を買ってもらっていたと思う。
父はあまり家にいなかった。というか、父親と母親が夫婦で過ごしている姿を見ることはあまりなかった。自営業の共働きで、母が日中仕事をして、父が夜仕事をする。ぼくが家にいる時間は、父親は家にあまりいなかった。ぼくとしても、父と何を話せばいいかわからなかったから、気が楽だった。気が楽だったから、父親とは向き合わなかった。こうしてぼくの家族との距離感が形成されていったのだろう。夫婦で楽しくしている姿も、父親が家族サービスする姿なんてのも、ぼくの家族像にはない。もっとドライな、共同体だった。結局、父親は何を考えている人かわからなかった。
話はぼくの今の生活にスライドする。今、妻と別居、ないしは離婚の話をしている。重くつらい時間だ。
ぼくなりにこれまで妻に尽くしてきたつもりだった。その「ぼくなり」の尽くし方が限界にきてしまった。しんどくなった。夫婦生活に疲れてしまったのだ。
妻には「急にあなたの結論をいわれて困っている」と言われた。本当に我ながら自分勝手だなと思う。何を考えているのかわからなくて、結論だけが出てくる。たぶん、父親もそうだったんじゃないかなと、今、想像する。
ぼくも父に似て浪費家だ。好きなことに、思いついたことにパッとお金を使ってしまう。そのことが原因で何人かの人を悲しませたこともあった。痛い目にあって多少の貯蓄ができるような大人にはなってきているが。そして、ぼくは本が好きだ。常に何かしらの本を持ち歩いているし、活字を読むことに楽しみを覚えている。
あんなにも訳のわからない生き物だった父親。しかしぼくが見ていた父親と、今のぼくはそっくりだ。ぼくは父親が苦手だ。でもそんな苦手な父親に似てきていることに、がっかりする。でも今ならすこし理解できそうな感じがする。
こんなことを考えてもなんの足しにもならない。夫婦での話は今後も続く。妻をひどくがっかりさせることも増えるだろう。そういえば、父親も母親をひどくがっかりさせていたな。幼い頃、母を泣かせて父が家を出て行った。母を慰めた覚えがある。木造の古い家でのことだ。
こう考えると、やはりぼくには結婚をする資格がなかったのかもしれない。大切にしたかったものと上手に付き合えない。つらくなると逃げ出したくなる。ダメな人間なのだ。
月収150万の生活から月収5万の生活になり、貯金も底を尽きました!
世間でよく言われてるように「生活レベルを下げられない」とかいうけど、そうでもなかった。それぞれにメリットデメリットがある
▪️贈り物が上手くなった
質の高いものに触れることが出来るから、何を選べば喜ばれるかわかるようになった。
高い服、時短してくれる家電の価値がわかった。ラルフローレンのカットソーは3年たっても伸びないしほつれない。ファストファッションは三ヶ月でビロンビロン
時給3万のために交通費数千円をケチる必要なんてない。お掃除ロボと乾燥機付き洗濯機、食洗機は神だった。
▪️どんな高級な化粧品やエステも、睡眠8時間のまえでは無に等しい
吹き出物や乾燥、毛穴の開きに年中悩まされてたのに、ノーファンデでいけるくらい肌が綺麗になった。
風邪引かなくなったし過敏性胃腸炎もなくなったのでレジャーを楽しめるようになった。早朝覚醒もなくなったし、見た目が若くなった。
▪️どれだけ高い料理を食べても脳の幸せ物質はそれに比例しない
500円から3000円に価格帯がレベルアップしたときと、3000円から3万になったとき、快感はかわらなかった。外食はラーメンが結局おいしいし、たまに食べるチキンラーメンの一口目もそれはそれで美味しい。
「給料日までお金ない絶望感」をまぎらわせるために勉強がめちゃくちゃ捗った。楽しいこと少ないから誘惑がない。
ハロワとか市役所によく行きよく調べるので、行政サービスやお得になる方法を知れた。
中学受験させるような教育ママ向けのサイト内のひと記事を読んでいる、というような夢で、その記事は優秀な息子が親離れしてきて寂しい、とかなんとかいうタイトルだった。
とにかくその息子というのが出来た子供で、礼儀正しく利発そうな顔立ちをしたイケメンで、実際頭が良くて紳士的、ラルフローレンの子供服を着こなすような子だった。 そして凄まじくモテている。教育ママの憧れを詰め込んで結晶化したような存在だった。
そんな息子が最近親離れしつつある。私のことをママと呼んでいたのに母さんと言うようになった、クラスの女の子にも前は冷たかったのに愛想よく接するようになってしまった、と嘆いていた。(そうするよう教えていたようだった。)
息子は映画が好きで、よく親子2人リビングで映画を見るらしい。親離れしつつある今その時間をよったぽど大事にしたいみたいで、殺気迫る様子で映画を選んでいた時に、8歳の娘に話しかけられ本気で怒鳴ってしまったと笑い話のように書かれていた。それだけでもかなりきつかったが、さらに
息子が距離感を置いてくるのは寂しい、だけどそんなに気にしていない、だってこの前も映画を見た流れでセックスしたもん、とあるのを見てゾッとした。この前も、という書き方からして初めてではなさそうだし、映画を選んでいたのはこの母親だったよなとか、だから殺気迫る様子で選んでたのかとかブワーっと情報が流れてきて気持ち悪過ぎて目が覚めた。