はてなキーワード: ラテン系とは
何やら「アメリカの人種ヒエラルキーではアジア系は黒人より下で、黒人と白人の両方から差別されてる」などという与太が出回っているようで。
これは嘘っぱちですのでご注意ください(個々人の経験は別として、全体から言えば)。
むしろ、アジア系アメリカ人が他の人種的マイノリティ、特に黒人に対しての差別者であるとの認識すら、決して珍しいものではないのです。
※注意:この増田では基本的にアフリカ系アメリカ人のことを黒人と呼称します。
アメリカにおけるアジア系アメリカ人はその高い学歴、経済的成功から、他の人種的マイノリティより高い階層にいるとみなされています。
これは"中間層マイノリティ/Middleman minority" (Bonacich 1973)や"人種的ブルジョワジー/Racial bourgeoisie" (Matsuda 1993)といった呼び方や、"アメリカの人種的ヒエラルキーにおいて白人と黒人の間のどこかを占める、第三の存在" (Kim and Lee 2001)という評価など、古くからの認識です。
Bonacich, Edna. (1973) A Theory of Middleman Minorities” American Sociological Review 5: 583–594.
Matsuda, Mari. (1993) We Will Not Be Used. UCLA Asian American Pacific Islands Law Journal 1: 79–84.
Kim, Claire Jean, and Taeku Lee. (2001) Interracial Politics: Asian Americans and Other Communities of Color. PS: Political Science and Politics 34 (3): 631–637.
モデル・マイノリティ(ここで言う"モデル"とは"見本"のようなニュアンスです)という言葉もあります。ポジティブなステレオタイプを持つマイノリティのことで、アメリカではアジア系を指すことがほとんどです。
勤勉で、まじめで、よく働き、自立していて、etc., etc...ポジティブなステレオタイプゆえに支援の手が伸びにくかったり、ステレオタイプの押し付けが起きやすかったり(褒めてるんだからいいじゃん!的な)、ネガティブなステレオタイピングとはまた別の問題があります。
これは他のマイノリティをディスる、さらには人種間の対立を煽るのに使われる――アジア系の連中はあんなに成功しているのに、黒人はどうして貧乏なままなの?努力が足りないんじゃない?――場合があります。
一方で、このステレオタイプは就職等でプラスに働くこともあり、一筋縄ではいきません。
アジア系の中には上記の対立煽りを真に受けたり、黒人への蔑視を白人と共有する人も存在します。
アジア系アメリカ人の人種差別に関する意識は白人と近く、2008年の世論調査(***)では黒人の65%、ラテン系の55%が「人種差別は未だ、我々の社会における重要な問題である」と答えたのに対し、アジア系と白人でそう答えたのは33%でした。
また、「人種差別は存在するが、もはや重要な問題ではない」という答えは黒人で23.9%、ラテン系37.8%、アジア系50%、白人60%でした。
しかし、やはりマイノリティー、被差別者としての側面もあり、上記のステレオタイプの押し付け、落伍者への冷たい目、キャリアにおける差別("竹の天井"と呼ばれます)が存在します。
さらに、アジア系は集団内の格差が激しく、日中韓印系とそれ以外で状況は違うにもかかわらず、アジア系全体の恵まれたイメージから支援が届きづらいことがあります。
黒人たちと同様、シンプルで醜悪な人種差別にさらされることだって当然あります。
また、コロナパンデミックにおけるアジア系の人たちへの差別で、黒人が声を上げなかったとするのも間違いです。
100 Black Menという市民団体はAsian American Business Development CenterおよびHispanic Federationと共同声明でアジア系差別を批判してますし、黒人コミュニティや個々の黒人もtwitterなんかで差別を批判してます。
ただし、アジア系の人々が今まで黒人を差別していた/黒人差別に声をあげなかったという理由から、彼らのために声をあげたくないという黒人もいます。
例えば、黒人コメディアンのGodfrey氏はinstagramに投稿した動画で「エボラのパンデミックの時、君らはどこにいた?我々が警察に殴られているときには?」と述べ、「君たちのスーパーヒーローにはなれないよ。他にやること(無数の差別への対処)がいっぱいあるんでね」と答えています。
※トランプの"中国ウィルス"呼びを肯定していたり、中国人の食生活や、パンデミックに対する中国の責任、中国から入ってくる安い商品等への批判もしているため、単なる反中国論かもしれませんが。
アジア系アメリカ人とBlack lives matter (以下BLM)の関係もまた歴史的に複雑な背景を持ちます。
BLMが使われだすずっと前ですが、ロス暴動の前日譚として黒人と韓国系アメリカ人の間の緊張状態および、韓国系アメリカ人による黒人少女Latasha Harlinsの射殺事件がありました。
2014年の黒人射殺事件は中国系アメリカ人警官によってなされました。新人警官のPeter Liangが同僚とパトロール中、ガールフレンドとデート中のAkai Gurleyと暗がりで鉢合わせ、つい射殺(直撃ではなく跳弾)してしまったのです。
Liangは過失致死で有罪判決を受け、それに執行猶予5年がつきました。
この事件は中国系アメリカ人と黒人の両方から批判を浴びました。
中国系アメリカ人側は「白人なら起訴されないのに中国系ならされるのか」と起訴の取り下げを要求し、黒人側はBLMを掲げて射殺に抗議しました。
ジョージ・フロイドの死に関しても、関わった4人の警官のうち一人はアジア系アメリカ人のTou Thaoです。
アジア系アメリカ人団体Asian American CommissionはBLMへの連携を表明した上で、その声明文中にて「アジア系コミュニティにおけるアンチ黒人の深い根」の存在をあげ、コミュニティの変革を求めました。
※「(アジア系は)差別されてきたが、同時にモデルマイノリティ神話等から利益を得てもいる」等の意見も声明文には含まれていることもあり、一部のアジア系アメリカ人はこの声明に反発しています。
勘違いしないでほしいのは私が「黒人がアジア系を差別している」へのカウンターとしてその逆を言っているわけではないということです。
黒人差別に声を上げるアジア系、アジア系差別に声を上げる黒人、当然のようにいます。黒人のレイシスト、アジア系のレイシスト、当然います。白人、ヒスパニック、その他マイノリティも同様です。
昨今の米国でのプロテストに世界が刮目する中、"Black Lives Matter" というフレーズをご存知の方も増えてきたことと思う。
文字通り訳せば、"黒人の命は大切である"ということなのだが、これに対し"黒人だけじゃなくて、白人も、アジア人も、みんなの命が大切なのでは?"と純粋に思われる方もいるだろう。
その通りである。
米国では、"Black Lives Matter"に対し"All Lives Matter" (="みんなの命は大切である") という発言を様々な場所で読む、又は耳にする機会が多数存在する。
日本でも、この運動やその根底にある人種差別問題への関心が少しずつ高まっている中で、"All Lives Matter"という、(恐らく多くの日本人にとって)一見自明で無害のように見える一文の意味するところを、とあるRedditでの投稿を引用する形で紹介しようと思う。
以下引用及び拙訳 (r/explainlikeimfive/comments/3du1qm/eli5_why_is_it_so_controversial_when_someone_says/ より)
Imagine that you're sitting down to dinner with your family, and while everyone else gets a serving of the meal, you don't get any. So you say "I should get my fair share." And as a direct response to this, your dad corrects you, saying, "everyone should get their fair share." Now, that's a wonderful sentiment -- indeed, everyone should, and that was kinda your point in the first place: that you should be a part of everyone, and you should get your fair share also. However, dad's smart-ass comment just dismissed you and didn't solve the problem that you still haven't gotten any!
以下のような状況を想像してみてください。あなたは今、家族とディナーの席にいます。あなた以外には食事が配膳されていく中、あなたの前には何もありません。そこであなたは、”フェアな分量の食事が私に配膳されるべきだ”、と父親に伝えたところ、彼は以下のように応えました。”家族みんながそれぞれのフェアな分量を配膳されるべきだね”、と。確かに、彼の発言そのものは、当然のことであり、素晴らしいですが、この返答には齟齬があります。というのも、ディナーを取り囲んでいる家族のメンバー各自が、(彼の言う様に)フェアな分量を配膳されるべきだからこそ、その一員であるあなたは自分の分量を主張しているのです。従って、彼の返事はあなたの前に食事がないという現実問題に対して無関心であり、何の解決策も提示していません。そして何より、依然としてあなたの前には食事がありません。
The problem is that the statement "I should get my fair share" had an implicit "too" at the end: "I should get my fair share, too, just like everyone else." But your dad's response treated your statement as though you meant "only I should get my fair share", which clearly was not your intention. As a result, his statement that "everyone should get their fair share," while true, only served to ignore the problem you were trying to point out.
ここでの問題は、あなたの”フェアな分量の食事が私に配膳されるべきだ”という発言の真意が、"(他のみんなと同じように、私にも)フェアな分量の食事が配膳されるべきだ"という括弧内の部分を前提に含んでいるにもかかわらず、”フェアな分量の食事が私(だけに)配膳されるべきだ”とあなたが発言したかのように、父親が(あなたの意図に反して)受け取った、という点にあります。従って、彼の発言そのものが真実であることに変わりはないものの、あなたには食事がないという問題は看過されてしまっているのです。
That's the situation of the "black lives matter" movement. Culture, laws, the arts, religion, and everyone else repeatedly suggest that all lives should matter. Clearly, that message already abounds in our society.
これこそが、"Black Lives Matter" 運動の対峙している状況なのです。文化、法律、芸術作品や宗教、その他全てが繰り返し、みんなの命が大切であるべきだ、と主張しています。米国社会においては、このメッセージは至る所で目にすることでしょう。
The problem is that, in practice, the world doesn't work the way. You see the film Nightcrawler? You know the part where Renee Russo tells Jake Gyllenhal that she doesn't want footage of a black or latino person dying, she wants news stories about affluent white people being killed? That's not made up out of whole cloth -- there is a news bias toward stories that the majority of the audience (who are white) can identify with. So when a young black man gets killed (prior to the recent police shootings), it's generally not considered "news", while a middle-aged white woman being killed is treated as news. And to a large degree, that is accurate -- young black men are killed in significantly disproportionate numbers, which is why we don't treat it as anything new. But the result is that, societally, we don't pay as much attention to certain people's deaths as we do to others. So, currently, we don't treat all lives as though they matter equally.
しかしながら、現実社会においては決してその通りではなく、命の重みは平等ではありません。あなたは、Nightcrawlerという映画を見ましたか?その映画の中で、Renee RussoがJake Gyllenhalに対して、黒人もしくはラテン系アメリカ人が命を落とすような映像ではなく、裕福な白人が殺害されたといったようなニュースが欲しい、と伝えるシーンがあります。実はこのシーンは、ニュースの大部分の受け手である白人層が共感できるような報道を重視するというような、現実に即したメディアのバイアスを如実に反映しています。現実として、若い黒人男性が殺害されることはニュースにならない一方で、中年白女性の殺害事件はニュースとして世間に扱われます。さらに言えば、統計上有意に多数の若い黒人男性が日々命を落としてしまっているという現状において、そういった死のニュース性が少ないということは単なるバイアスとして存在するわけではなく、ほとんどの場合事実なのです。その結果、一部のグループの人々の死に対しては他のグループの人々の死ほどに、私たちは社会全体として注目しません。人の命は本来全て平等であるにも関わらず、現実として私たちはそれらを平等に扱っていないのです。
Just like asking dad for your fair share, the phrase "black lives matter" also has an implicit "too" at the end: it's saying that black lives should also matter. But responding to this by saying "all lives matter" is willfully going back to ignoring the problem. It's a way of dismissing the statement by falsely suggesting that it means "only black lives matter," when that is obviously not the case. And so saying "all lives matter" as a direct response to "black lives matter" is essentially saying that we should just go back to ignoring the problem.
あなたが父親に自分の分の食事を求めた時のように、"Black Lives Matter"というフレーズにも"too"、すなわち黒人の命”も”大切であるという前提があります。他の人種の人々の命と同様、黒人の命も大切に扱われるべきだ、というメッセージがそこにはあるのです。これに対して"All Lives Matter"と応えることは、その根底にある(黒人の命が他の命と同様に大切に扱われていないという)問題を恣意的に無視していることになるのです。そのような問題の共通認識が前提として明らかに存在しているにも関わらず、さも"黒人の命だけが大切だ"という主張であると曲解することで、"Black Lives Matter"という本来の主張を退けてしまっています。"Black Lives Matter"というメッセージに対して、"All Lives Matter"と応えることは、黒人の日々対峙するそのような問題を無視し、そのままの現状を維持しよう、と主張する事と本質的に変わりはないのです。
小学生の頃に英語に興味を持って勉強を続けて弁論大会に出たら「うちの子は英語できるんです」と人前で自慢なのか褒めるのか、そういうのに虫唾が走って英語を止めた。
それから生物学に興味を持って勉強を続けてたら「うちの子は生物に詳しくて将来は理系の大学に進めたいの」と人前で自慢されて、そういうのに虫唾が走って生物学を投げた。
中学生の頃にパソコンの仕組みに興味を持ってプログラミングを勉強し始めて校内行事で3位以内にを入ったら「うちの子はプログラミングできるんです」と人前で褒められたのに虫唾が走ってプログラミングを止めた。
それから近くにラテン系の人のお店があって、そこの人と仲良くなってポルトガル語を喋ろうと頑張ってたら「うちの子はポルトガル語まで喋れるの」と人前で褒められたのに虫唾が走ってお店に行かなくなった。
親から離れるために全寮制の高校に入ったら「うちの子は何でも独りで出来て今の子と違うんです」と人前で褒められたのに虫唾が走って実家に帰らなくなった。
大学に入って英語の授業で朗読をしたら、教授の目がうわっと開いて「きれいな発音だね」って褒められて英語の勉強を再開した。
生物学的ネットワークの現実的なシミュレーションには確率的シミュレーション方法が必要だったから、1週間くらい部屋に籠ってアプリ作ったら教授に「マジすげぇじゃん」って褒められて生物学とプログラミングを両立させることに快感を覚えた。
留学生のブラジル人に片言のポルトガル語を喋ったら心の友だと言われてポルトガル語を勉強するようになった。
実家に帰ったら、うちの天才息子がとか人前で自慢し始めた途端に全てが壊れそうになったから実家から離れた。
褒めることは成長につながるかもしれんけど、褒め方ってあるんだなって話。
たぶん親は俺を褒めてたんじゃなくて、褒める皮をかぶった自慢をしたかっただけなんだ。
そしてその自慢の種は自分の所有物だと思って一人格としての俺を見ていない。
以上、解散。
スペイン語を勉強したらポルトガル語・イタリア語・フランス語・ラテン語あたりの意味もボンヤリわかるようになった
英語の知識だけでわかろうとするのとはかなり精度がちがう たとえば「いつ」の疑問詞はスペイン語だとcuando、イタリア語だとquando、フランス語だとquand こういう基礎文法みたいな部分がかなり似通ってるんで絶対便利 ちょっとでもわかる部分があると結構違ってくる
日本古来の文化ガーとか言いながら係助詞とかを学ぶのは絶対ムダだ
枕草子とか源氏物語、大鏡とか徒然草なんかを多少読むのは全然構わないし、教養として大切だっていうのも頷ける でも古典日本語の動詞活用なんて覚えてどうするんだよ それならスペイン語の前置詞と定冠詞でも覚えたほうがまだしも役立つだろ
マーガレットおばさんが母親代わりとして育てている。母の日にマーガレットおばさんにプレゼントを買う、という発言があった。両親がいない理由は不明。
先日ビルの母親が結婚式(多分再婚)を挙げるエピソードが放送されていたが、最後まで母親の顔は映らず、後ろ姿のみ。
レンキンス夫妻の孫だが両親は全く出てこない。いるのかいないのか不明。
逆にメインキャラではないマイノリティ属性の子供キャラは両親が出てくる。(スティーブ、ベッツィーは白人系、ビルは黒人系、アリーは赤毛にそばかす)
チャイナタウンに住んでいて両親も登場。
徹底している。
下は普通のタイトなスカートだったんだが、上半身はすごい高級そうな黒いブラジャーだけで駅の中を歩いてた。
見た目は若いスタイルの整った美人だったんだが恥じらうでもなく普通にしててギョッとした。
ひょっとしてそういうファッションなのか?と思ったのはその2人の持ち物に女性の上着らしきものが無かったから。
この人だけなら 変なヤツが居た で終わるんだが、8月に京都の南禅寺に行ったときも同じような格好の白人の女性が居た。
男5人女性1人のグループで男は普通にTシャツとハーフパンツなのだが
女だけがなぜか上半身が赤のブラだった。やはり高級感のある一品だった。
共通して自分の格好に何も疑問を持っていない様子だった。真っ昼間から酒を飲んでるようでもない、至って普通。
外人は薄着なことが多いし日本は暑いのは確かだが、だからって下着でウロウロするって文化圏あるの?
ひょっとして俺の知らないところで問題になってたりする?これ。
知人に話したら良いもの見れたな!って茶化されたけど、気分的には中年のデブのズボンのチャックが全開だったのと同じような不快感だけだった。
はあ、女児が普段からディルドやローターで開発するよう義務教育で勉強させれば良いのに。
数え切れないですよ。その子達を救わなきゃ。
そう今日クラブ言ったんですよ、ラテン系の女の子がたくさん来るクラブ。
そこで仲良くなった金髪でクリっとした目の女の子に、結婚にはお金が必要だっていうんです。
でも結婚して賃貸住んで子供も作らなければそんなにお金いらないでしょと言ったら、結婚には持ち家が必須条件なのが当然だしって言われその考えは無かったわ。
周りにいたペルーやコロンビア人もそういうんですよ。別に彼女たち金持ちじゃないですよ。
全くどうなってるんでしょうか。そんなことに金使ってるから南アメリカは貧しいんだ。うそうそ。今後経度単位での土地面積が最も多い地域が勝つからアメリカ大陸はまだまだ有力なんですよ。
ネットワークの発展でね。それぞれの国で生まれる先天的な天才の割合は変わらないと研究出てたよね。そう、みんな同じ能力になったら同じタイムゾーン内でいかにチームワークを発揮できるかが鍵なんです。