はてなキーワード: ラストチャンスとは
日本がラストチャンスとばかりに開始した「日の丸半導体」ラピダスに多大な公費が追加されていることが話題を集めている今日この頃。
心無い専門家たちからは必ず失敗するだの金ドブだの批判殺到中だが、本当に日本(経済産業省)主導の国家プロジェクトは今まで成功しなかったのだろうか?
この記事では主に経済産業省、旧・通商産業省が中心となって始めた国家プロジェクトを振り返る。
大規模集積回路(LSI)の研究、特に基礎研究に力を入れた国家プロジェクト。
当時、半導体弱小国であった日本で700億円以上の金を基礎研究に投資するのは挑戦的であったが、電子ビーム露光技術などの研究レベルのアイディアを実用・量産レベルに持ってくることに成功。
よく「日本は半導体生産はダメだが、生産機械はまだシェアがある」というが、この40年前の国家プロジェクトの技術的成功がかなり大きく、現在でも半導体製造機械はこのプロジェクトに関わった企業が上位にいる。
この成功をバネにして1980年台の日本は半導体生産の8割を占めることとなった。しかし鮮やかすぎる成功体験と日本政府の政治的脆弱性により、90年台に入ると見る影もなく没落したのはあまりにも有名。
通産省は前述の大規模集積回路(LSI)の成功体験を強く意識し、コンピューター技術の「進歩段階」は大規模集積回路が「第4世代」、そしてAI技術が来たる「第5世代」であると想定した。
「仕様書を読んでプログラムを作ってくれるすごい機械」を目指し、500億円規模の国家プロジェクトに踏み切った。
しかし当時の通産省は何もかも見通しが甘かった。大規模集積回路の次がAIというのも謎の括りで、ハードウェアとソフトウェアを混同していた。そもそもなにを研究するのか?という具体的な内容すらあやふやで、やがてはスパコンをよせ集めてもそんなものは出来ないという技術的課題に直面。
現在でいう自然言語処理などのソフトウェア開発を散発的に行い、難航。
それぞれが独自のプログラム言語を作ったりOSを作ったりしたが、特に統合されることも活用されることもなく、「ソフトウェアはむずかしい」ということだけが判明し、放棄された。
なお、唯一の結論「ソフトウェアはむずかしい」ということですら後に生かされることはなかったが、通産省は成功したと主張している。
「10年後にはソフトウェア技術者が60万人不足して、日本は技術的に取り残される–––」
この現代でもよく聞くようなフレーズに慌てた日本産業界は、ソフトウェア技術者の育成に熱い視線を向け始めた。
そこに通産省が入り込むと、さまざまな思惑が一致し、ついには国家プロジェクトとして250億円を投入するΣ計画が発足。日本はソフトウェア技術者の天国となる予定であった。
ソフトウェアという実態の見えないものに予算をかけることへの抵抗感からか、対象は主にハードウェア系企業に集中。
ソフトウェア技術者を増やすという本来の目的は曲解され、最終的には「安価な計算機を普及させる」というハードウェア重視の目標にすり替わっていた。
その結果としてΣステーションと呼ばれる計算機が誕生したが、特に安いわけでもなく、規格が致命的にガラパゴスだったので、ほとんど普及せずに失敗した。
失敗した後も地方を名目としてダラダラと予算が積み重ねられたが、何の成果もなかった。
日本のソフトウェア技術の息の根を止めたとして有名なプロジェクトである。
日本がIT技術に致命的に遅れていることにようやく気づいた通産省は、起死回生の一手としてIT技術に約500億円をかけることを決定。これを「リアルワールドコンピューティングプロジェクト」と名づけた。
しかしそもそもこのプロジェクトには、何の見通しも何の戦略もなかった。
約50個の研究が「リアルワールドコンピューティングプロジェクト」の内容であったが、その実態は検索ソフトから光ファイバーまでバラバラであり、散発的かつ無計画に予算をばら撒くという意味不明な行為は、もはや単一の計画である必要性がなかった。
この計画は最終的に10年にもわたって継続されたが、特に何の成果もなかった。そして膨大な予算とともに記憶の彼方へと消えた。
2000年に入ると、経済産業省は「かつて世界一だった日本の半導体産業を復活させる」という妄想に取り憑かれるようになる。
その数はまさに膨大である。
「みらい」プロジェクト(2001年)に465億円を注ぎ込むも見事に失敗すると、「はるか」プロジェクト(2001年)、「あすか」プロジェクト(2002年)、「DIIN」プロジェクト(2002年)、「あすか2」プロジェクト(2006年)、「つくば半導体コンソーシアム」プロジェクト(2006年)などが代表で、そのほとんどが失敗はまだしも、なんの検証もなく消えさった。
「アスパラ」(2002年)はかなり象徴的で、日本の先端半導体企業が集合して日の丸半導体企業を作ろうと国費315億円を費やしたが、2006年には泡の如く消えた。
これらの膨大な失敗は特に顧みられることもなく、なぜ失敗したのかいう考察もなく、ただ予算ともに忘れ去られた。
いったい何故だろうか?
摩訶不思議なことに、ソフトウェア技術者が致命的に不足していた日本においては、国産の検索エンジンが誕生しなかった。
中国やロシアが自前の検索エンジンを開発し始めると、日本でも国産検索エンジンを作るべきという安全保障上の発想が経済産業省に芽生える。約300億円をかけて国産検索エンジンを開発することにしたが、当時普及し始めたネット界隈はこれを激しく批判。
失敗続きの国家プロジェクトと比較されるが、経済産業省は「かつての国家プロジェクトとは違う!」と強い自信を見せた。
しかしなにも成さず、なんの検証もなく、予算とともに忘れ去られた。
ラピダスにおいては、経済産業省主導の国家プロジェクトは失敗するという根拠のない批判が多い。
しかしこうしてまとめてみるとどうだろうか?
膨大な数の実績が経済産業省には積み重なっている。
少しは信じてあげよう(完)
退職を切り出すのって、意外と体力要るんだな…
後から思った疲れた理由は、新卒で入り、学生の時に学んだことを活かしながらの仕事ができると意気込んでたのに、最初は良くとも予期せぬ異動の数々で嫌気が差しながらも、己を見つめ、何がしたいのかの思いを固め直して定め、心の杖にしていた目標に引導を渡したからか…
一応社内的には、それこそ学生時代からの専門にも近く、自らの興味にも近い将来技術開発のうち、開発の中のある領域での残り一人になってたから形通りの引き留めもきた。
「(日本の技術屋部門のトップ)に掛け合って、希望する部署に異動ならどう?」
まさに想定通り。いや、個人的には日本部門長の名前出してくると思ってたから1段下か。
「それができるなら、なぜ10/1付けでそうさせてくれなかった? 今更ながら、内定の通知きた時期と異動内示の時期が被ってたから返事を待って貰ってたんですけどね」
と返した。
「自分の置かれてる状況を鑑みて、可能性のある方に賭けることにした。正直、新卒から結構な期間居たんだから残れればよかったけど、制度がそれを許さないから辞める他ない」
と答えた。
「現在地と目指してきた目標との乖離が大きいままだし、今後の修正の道筋が社内で確実に見えてない」
と申し上げた。
それ以外にも実家の事情をはじめプライベートの面の様々なことで、いずれ地元に戻りたいと思ってたこと。
そんな中で社外に向けてもチャンスを探して、今までの経歴を買ってくれて、地元に近いところで働けて、開発する製品こそ違うけど、技術屋として関わりたい方向に行けて、(年収もキープか頑張って上げることが見込める)案件から内定を得た。
年齢的にも外に移るにはラストチャンスだった。
それを申し上げて、一旦終わって、今は課長預かり。
辞める意向と共に、辞める予定日と、最終出勤予定日を伝えたけど、そこに対しての希望は通るか?
しかし、そこから何件も辞める予定日よりも先の仕事に関する問い合わせが来まくってるので、早いところ確定させて、周囲に告知して、引き継ぎたいんだけどね。
35歳の見た目のとても悪いおじさんです。今は、親戚がやってる法人で、週1くらいのリモートワークで何とか職歴を繋いでいます。
彼女いたことなし。友達は、たまーにzoomで話す親友が1人だけ。
・4留して一流大学卒業 → 一流企業へ就職もパワハラで2年で辞める。
・修士の一流大学大学院に行きながら、アメリカの一流大学にも留学 → 一流企業へ就職も、仕事が覚えられず過剰労働に耐えかねて半年で辞める
・奇跡的にAI系の仕事で役員待遇で某メガベンチャーに就職するも、会社が不正をしているのを指摘すると社長からの怒られが発生し、半年で退社。
・博士の学生としては研究は順調で論文も数本出している。しかし、職歴がないのがやばいと感じ、親戚のやってる法人でリモートワークで週1で一応ここ2年働いていることになっている。実際はほぼ仕事していない。
まず、自分は、パワハラ受けて新卒企業を辞めているが、明らかに相手をイライラさせる話し方なんだと思う。見た目も弱者そのもの。
ちなみに、格闘技では関東大会で優勝するくらいの肉体はあるが、見た目が気持ち悪い弱者。
世の中には、こういう弱者をいじめたくなる人がいて、そういうのに目をつけられて自分はいじめられる。
次に、仕事を覚えられない。普通の人が、普通にやることに、いちいち疑問が生じて、自分でやるのをためらう。
「それって法律違反じゃないか?」とかが目についてしまう。それでIT企業はクビになった。
そもそも、面接とかは自分はすごくうまく切り抜ける。パッと見の経歴がすごそうで、人当たりもいいのだ。
そういうのに対処するには、「みんなと同じことをする」だろう。
「みんながおかしなことをしている」と思っても、「自分もとりあえずみんながやってるようにやる」ことだ。
そうやって、表面的に辻褄が合ってれば、とりあえず、仕事は流れていくはずだ。もし、ミスなどあれば、その都度相談すればいい。
「とりあえず、表面的に全てのフラグが立っている」状態が大事だ。
とは言っても、自分も博士をとったら、35歳。まともな職業にはつけないだろう。とりあえず就活はしてみるが。
就活うまくいかなけりゃ、あるとすれば、研究者だが、日本では厳しい、やはり、海外に行くしかないだろう。博士の中では論文出してる方だから、いけるかなあ。海外。
海外で、何となく過ごすだけでも、一応、日本では尊敬されるっぽい「海外経験」ってやつだ。
海外経験あるなら、40近くても、「ま〜普通の人にはない経験したのかな?」で雇ってもらえるだろう。
それが、多分、自分の人生のラストチャンスかなあ。まともに雇ってもらえるとしたら。
そこで、うまく適合できなきゃ終わりか。
だとしても、IT機器やAIデバイスが進化してるし、その時は自分の弱点もAIとかに補ってもらえるんじゃないかなあ、コミュニケーションとかもchatGPTみたいなやつが勝手にやってくれるとかさ。
アラサーになったころから、自分の身の振り方を考え始めて、転職に目を向ける人は少なくないと思う。
ただ、個人的に転職を決意するハードルになっているのが、配偶者のキャリア形成だ。
地方都市においては、職種は選ぶことができても職場はえり好みできるほど数がない。
・思い切って別業種を探す
・引っ越す
となる。とくに収入を上げたり大きな仕事をしたいとなれば「引っ越す」可能性が高くなるし、実際に周囲にその選択をとった人もいる。
引っ越すとなれば配偶者の仕事にも当然影響するから、転職のハードルは高くなる。
現状は共稼ぎ世帯が多数派にもかかわらず、職を変える選択肢が取りにくくなってしまう。
これが東京や大阪の大都市であれば引っ越さずとも何とかなるんだろうなと想像してしまう。
一方で政府は
・地方創生
・少子化解消
・職の流動性アップ
あたりは目指していて、残念ながらどれも現状からは遠いように見える。
→トヨタは豊田にあって自動車王国、IT企業はシリコンバレー みたいな?
このあたりが継続して行われれば、転職のハードルが下がって給料上げることができてて子供産む見通しも立つんじゃなかろうかという話でした。
個人的にはこう思っているけど、実際は地元から出る気を起こさないまま過ごす人が多いだろうから、目論見通りにいかないんだろうな・・・。難しいね・・・。
全くその通り。
社会人になったら忙しくて出会いが少なくて相手の給料も気にするようになるからな。
高校のうちなら、番茶も出花というやつで多少ブサイクでもアホでも浮かぶ瀬もあるが、社会人でブサイクならほぼ絶望。歳を重ねりゃ益々絶望。
妹から、日プ3に応募しないことに決めたと聞かされた。
もう22歳。世間では十分に若いけど、アイドルデビューには少し遅すぎる。
小学生の頃に少女時代を好きになってから、ずっとKPOPを追いかけていた。
ただのアイドル好きだった私と違って、妹は本気でそうなりたいと憧れていた。
両親は妹の夢をあまり真に受けていなかったようだったけど、せめて私だけでも本気で応援しようと心に決めて数年間過ごしてきた。
一度、韓国アイドルと日本アイドルの区別がついていない父親がAKBオーディションを受けてみたらと言っていたことがあった。
妹は呆れた顔で断っていたが、そのしばらく後にプデュ48が始まり、IZ*ONEがデビューした。
あの時お父さんの言うとおりにしておけばよかったのかなと後悔する妹を見て、こちらまで悔しい気持ちになった。
妹は色んなオーディションを受けていたけれど、練習生にすらなれなかった。
妹は、本当に頑張っていた。努力の人だ。
歌もダンスも上手だし、いつの間にか英語も韓国語も話せるようになっていた。
アイドルになるのだからと彼氏も作らなかったし、SNSも清廉潔白だし、体型維持のためにとお菓子やジュースを摂っている姿はもう何年も見ていない。
それでもだめだった。時間だけが過ぎて努力だけの22歳になってしまった。
まだ手遅れな年齢ではない。でも、大学4年生だ。
卒論や就活、色々なものの兼ね合いをたくさん考えて、悩んで、諦めることを決断したんだろう。
そう決めた妹の意思を尊重したいけど、諦めないでほしいと思ってしまう私のエゴもある。
大学なんて留年しても良いし、就活なんてどうにだってなるよ、と言いたいけど、無責任に妹の人生を振り回せない。
でも、もし、本心では諦めたくないと思っていたら?アイドルになれるとすれば、今回の日プ女子が妹にとってラストチャンスだと思う。
それなら背中を押したい。
他薦してしまっても良いのだろうか。
■MYIY(ミイーイ):やるべき事に着手すべき時が近づいてくるときの圧迫感「もうすぐ・やりたくない・嫌な事を・やらなきゃいけない」の略。
■WYNT(ミント):やるべき事を始めるべき時間になったのに切り替えられない時に感じる後ろめたさを伴うストレス。「もう・やらなきゃいけないけど・Not・着手」の略
■TCJND(ティシジェンド):当初の予定ではバリバリやってなきゃいけない時間帯なのにスマホ等にいじっている時に感じる脳の負荷。スケジュールを組み替えればまだリカバリが可能だと思っている「とっくに・着手してるべき・時間帯なのに・なにも・できてない」の略
■MHYMD(ミハイムド):締め切り前の日曜日の夜9時など、ラストチャンスである事は分かっているのに着手できない時に感じる自分への絶望感を伴う諦念「もう・本当に・やらなきゃ・間に合わないけど・できない」の略
■NDKT(エヌディクト):徒手空拳で提出や報告タイミングが来てしまったときに感じる胸のバクバク感。「なにも・できてないのに・結果を・提出しなければならない」の略
後はこれらそれぞれへの対処法を考えるだけだな。
俺は休日出勤中に何書いてんだろ。
昨年の春から、京都の北のエリアに分譲地を買って、家族で住み始めている。
結婚して数年。子どもが大きくなってきて、アパートでは手狭になってきたし、旦那と私の給料も少し上がっていて、そろそろ時期なのではと思っていた。
シミュレーションでは将来が厳しい可能性もあったけど、思い切ってモデルハウス見学会に参加して、分譲予定の土地を見て、空気がおいしそうなところだったので買うことにした。
今では後悔している。
もっと別のエリアにすればよかったと思うし、情報集めが不完全だったとも感じてる。周辺に公共施設があるとか、道路網の充実とか、ショッピングよりも大事なことがあった。わかってなかった。
近所にどんな人が住んでいるか。異常な人間が住んでいることを把握していればよかった。不動産会社に苦情を言ったけど、「重要事項説明書に書くことでもないですし、もし書いたら人権侵害になりますから」とのこと。大手だと思ったから信用してたけど、そんな甘いものでもないよね…。
愚痴らせてほしい。おととしの秋だった。思えばラストチャンスだったかもしれない。新家の建築中のこと。不動産会社から連絡があった。「大工さんから情報提供がありまして。夜に、建築中の宅内で翌日の作業準備をしていたところ、ドアがいきなり開いて男が入ってきました」とのこと。男は大工さんと鉢合わせると逃げていったらしい。
まだドアを据え付けたばかりで、電気が通っておらず防犯機能がオフになっていた。警察に言っても捜査は進まない。一応家主には連絡すべきということで、不動産会社が連絡してきた。
旦那には当然報告した。不安そうにはしてたけど、「もう契約したから。不吉だけどこういうこともあるよ」と他人事のような反応だった。ちなみに、ほかのお家は大工さんがすでに引き上げており、鍵がかかっていて無事だったらしい。
今の話をしたい。
結論をいうと、おそらく建築中の家に入ってきた男に苦しめられている。去年の春に越してきてすぐ、近隣の家の人が挨拶にきてくれた。京都市の人って冷たいイメ―ジがあったけど、向こうから来てくれて、親切に暮らしの案内をしてくれた。見知らぬ土地だったので正直ありがたかった。
でも、その折、新しくできた新築家屋をずっと見つめてくる男に気が付いていた。向かいに住んでいる和風の家に住んでいる男だった。道路を挟んで男の家の敷地から見詰めてくる。おそらくだけど仕事はしてる。朝の時間に茶色いツナギ?ていうのあれ……で出かけていくところを見たことがある。
正直気持ちが悪かったけど、いろんな地域にいろんな人がいるだろうしということで我慢していた。いつかはなくなることを信じて。
日曜日に子どもを庭で遊ばせている時だった。向かいの家の二階の窓が開いた。すると、その男がひょっこり身を乗り出した。その男は、ちょっと周りを見渡すと、二階の窓からそのまま……おしっこを始めた。ごく普通に始めた。最初、なにが起きているのかわからなかった。
とにかく、明らかにそれだった。言葉にもしたくない。うちの子どもがそれに目をやっていて、私の方を見て「あれ」と言い始めるところで、手を引っ張って家の中に入った。
なにが起きているのかわからなかった。もう嫌だった。「選択を間違えた」とその時感じた。私は間違えたんだ。なんでもっと、新居を慎重に選ばなかったんだろう。
ほかにも異常な行動はあるんだけど、あとひとつだけ言わせてもらう。
8月だった。日曜日。夫の同僚が集まって庭先でバーベキューをしていた。私も参加させてもらって、賑やかな雰囲気で楽しんでいた。
あれのことが頭をよぎって、向かいの家の二階を見ることが何度かあった。でも、その気配はなかった。あの男が二階から小便をするところは、この時点で3回は観ている。
もし、あれが出てきたらどうしよう。みんなに観られたらどうしようと不安になっていた。
時間が経って何事もなく、安心した気分でバーベキューを楽しんでいたけど突然だった。「おい、お前ら!!」という声が後ろから聞こえた。
あの男だった。道路を超えてうちの敷地内に入ってきたところで旦那が静止した。覚えてる限りでは、
「なんですか、あなた?」
「あの家に住んでます。バーベキューくさいんでやめてくれる?」
「あの家の二階に住んでます。やめてください」
「いや、どう見ても離れてるでしょ。くさくないでしょ」
「ほな警察よぼか!!」
もう辛いので、これくらいにさせてほしい。
その後、本当に警察が来た。あいつが家に引っ込んだ後で通報したみたい。
お巡りさんは、「ご近所トラブルは基本的に関わらないが~うまくやらないと刑事事件に発展して~」みたいなやり取りを旦那としていた。
それからも嫌な事が続いた。何度も。何度も。何度も。
あの男がいる、向かいの和風の家の世帯主との話だったら、とっくにしてる。まったく効果がなかった。漫画で見るような嫌な京都人の象徴みたいなキャラのおじさんだったよ。あの男があと30年経ったら、ああなるんだって感じがした。
どうしようもない状態だ。どうすればいいんだろう。ノイローゼに近くて、仕事の方もうまくいかなくなってきた。
しかも、あいつ以外にも変な人が近所にいる。路線バスの中で自分が車掌になったみたいに振る舞う人とか、信号が変わって横断歩道を渡る時に、ちょっとでもフライングすると大声で怒鳴る人とか……。
アドバイスがほしいとは言わない。私達の問題だから。自分で解決しないといけないんだと思う。
同じ分譲地を買った人も、あいつの言動には腹を据えかねている。今度は行政に相談をしてみる。いや、その前に町内会長さんかもしれない。近所の人に相談したら「間を繋いであげる」って言ってた。
近所のお爺さんが言うには、あの男は高校の用務員をしているらしいとも聞いた。あの親も元公務員で。だとしたら、職場を突き止めて役所に苦情を伝える手もあるのかもしれない。
情報提供しても意味は薄いと思うけど、京都市の北の方の、佛教大学と立命館大学の間くらいの地域になる。地図を見ながら書いてるわけじゃないので、体感の部分はあるけど。同じ失敗を繰り返す人をゼロにしたい。
先達として注意を呼びかけて終わりにする。立地よりも大事なのは、近所にどんな人が住んでいるかだ。今回の失敗を肝に銘じたい。とはいえ、次回がきてもやり切れる自信がない……。
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少しずつ読ませていただいてます。
ポカミスで時系列が変になっていて直しました。住みはじめたのが去年の春先です。
本当読みにくくなってごめんなさい。
元々、4月入り予定だった収入が5月入りに遅れたせいでの実入りが思ったよりも低くて
クレジットカードの支払いを分割にして乗り切ろうと思ってたんだよ。
で、4/28に支払方法の切り替え手続きしようと思ったら「未確定分があるのでダメ」って出たのね。
ふーん、じゃあ後日だなと思って昨日4/30に切り替え手続きしようとしたら「もう確定したからダメ」って出てんの。
で、見てみたら「支払日の5営業日前まで切り替え可能」って書いてあるのね。
俺の契約が15日締めの翌月10日払いだから今月支払い分は5/10払いなの、で、今月GWあるじゃん。
5/9(火曜)、5/8(月曜)、日曜、土曜、こどもの日、みどりの日、憲法記念日、5/2(火曜)、5/1(月曜)
ギリギリ払える。家賃光熱費と合わせてギリギリ払えるけどこれを払うともう3万しか残らん。
1日の食費1000円に抑えたとしても、緊急の支出があったらもう終わり。病院にも行けん。
なぜだ。なぜ4/28まで未確定分の計算をしていた。まだ間に合った、入金がないっていう連絡もクソ遅かったけど気づいた時点ではまだ間に合ったはずなのに、なぜ、なぜラストチャンスの4/28を潰した……
ぐああああああああああああ、1か月3万はマジでキツい。
子のあるなしで女性の価値観に深い断絶ができてしまうんだなと改めて感じさせられた。
今ちょうど自分はどっちの気持ちもちょっと分かる立場にあって、悩ましく思っていることがある。
周囲の友人も大体そんな感じの人たち。というか、子どもができた人とはちょっとずつつかず離れずの距離感になっていって、半分くらい残ったメンツで遊んでいた。
みんな仕事は忙しいけど役職ついてる子たちもいたりして、平日夜に飲んだり休日にお茶して長話したり。イベントに一緒に行ったりする友だちもいた。
だけど最近いよいよ出産するならラストチャンスくらいの年齢になって、自分も子を産んて育休に入った。
正直、子ども一人の世話くらい仕事がなければなんとかなるだろうと思ってた。
実際なんとかはなってるんだけど、なかなか友人と遊びにいく時間まではとれない。
24時間必ず誰かが子を見ていないといけなくて、そうなると私が遊びに行っている間は夫の時間が完全に子のことで取られる。
どうしてもって時はそうしてもらってるけど、じゃあ休日に友だちとお茶するためにそれを頼めるかというと、週に二日しかない休みのうちの半分をくれとは言いづらい。残りの一日で家事とか買い出しとかやらないといけなかったりするし。子どもがいると、家事をしている裏で育児をする人が必要になるんだね。
そうなるともうなかなか友だちとは会えないんだよね。多分この状態が10年は続くよね。
自分に子どもがいないときは、子どもがいる人にあんまり頻繁に声かけたら迷惑かなって思ってた。
実際、今の自分も遊びに誘ってもらったら10件中9件は断らざるを得ない思う。でも今正直猛烈に誰かから誘って欲しい。いや誘われて断るのは申し訳ないし面倒くさいんだけど、誘われなくなって存在を忘れられたらと思うと恐ろしい。あんまり動けないから自分からは誘えない。
でタイトルの件に戻るんだけど、既婚子なしの友だちにはまだ後から声を掛けやすい気がしている。今までみたいに、旦那さんが甘いもの食べないタイプの人とアフタヌーンティーに行ったりとか、休み休み誘える自信がある。
自分より先に子どもができた人に改めて声を掛けるのはそれよりもちょっとハードルが高いと感じる。これまで積極的に声をかけたりしなかったので、自分の立場が変わったからといって急に態度を変えるのは申し訳ない。
そして独身子なしで人生を謳歌している人にはもう、数年もしたら「どちら様ですか」って言われそうな気がしている。この先も、子の様子や帰宅時間とかを気にしないといけない私と敢えて遊ぶメリットが少なくとも私には思いつかない。
人生の諸先輩方はみんなどうやって自分の交友関係維持してるんですか。
家庭第一になるから遊ばなくても平気になるよっていう意見は今はあんまり聞きたくないかな。
子を産んだことは全く後悔していません。自分の命より大切なものができて、毎日を感動しながら生きてる。
でもさ、できることなら今まで持っていたものを失わなくても済む方がいいじゃん。
精神科の入院は5種類あって任意入院、医療保護入院、措置入院、緊急措置入院、応急入院がその5つ。
医療保護入院→精神保健指定医の診察の結果、精神の病気のために入院する必要があると判断されて、かつ家族の同意がある時の入院
措置入院→自傷あるいは他害のおそれがあると精神保健指定医2人の診察で判断した時の入院。通報などの手順が明確に規定されている。
病院側も体制(精神保健指定医の手があいているかとか)とか空き病床とか都合があるので、その日に入院できるとは限らないので事前相談がある方がありがたい。本人が嫌がる場合だと最初の受診がラストチャンスになりかねないので初回の受診は非常に重要。暴れる可能性がある場合は精神科単科病院(精神科がメインの病院のこと)だと屈強な看護師を待機させておくなど体制を整えてくれる場合もある。ただ、病院側としては診察していない患者さんを相談の段階で「入院できます」とは安請け合いできないので入院について相談員さんの歯切れが悪い場合もあることはご了承を。
暴力や暴言などの状況と何が困っているか、精神症状(妄想、不潔行為(=壁にうんこ塗ったりとか)などがあるか)、物忘れの状況、内科なども含めた既往歴・入院歴、コロナの時代なので風邪症状があるかとワクチン接種歴、内服薬、飲酒歴などは必須。症状はいつから、どのような症状がどれぐらいの頻度であるかなども必要。紙に書いてあると非常にありがたい。ただ、時々あるがA4の用紙で10枚とかを渡されても時間が無限にあるわけではないので読まれない可能性があるためできればA4用紙1~2枚までにしていただきたい(個人的に思っている基準なので精神科医によって個人差があるかも)。
非常に困難なことが多い。ある程度、本人が理解できるようなレベルであれば「眠れないこと」「気力がないこと」などをフックにすることができると良いが、病院サイドとしては自宅まで連れにいくことはできないので、ここは家族に頑張ってもらうしかない。
抗認知症薬(メマンチンなど)と抗精神病薬(選択肢は多岐にわたるが…)である程度大人しくなったり、怒りっぽさが抜けることが多い。認知症は不可逆な病気なので、うまくいかないこともあるし、治療の過程で拘束や隔離などの手段をとることはある。大人しくなった場合は病院側としては退院できればベストだが、長期入院になる場合もあるし、介護施設に転院するパターンもある。認知症ではない場合(せん妄、水頭症など)は完全に病前の状態まで戻る可能性もなくはない。
家族を精神科にかからせることについて抵抗がある場合があるが、個人的には家族にもそれぞれ人生があり共倒れになることは避けるべきだと思うので家族自身の人生も考えてベターな選択肢を考えたほうが良いと思っている。
入院を想定するのであれば検査なども含めて1日あけてくることが望ましい。たまにおられるが「昼から仕事だから早くしろ!」とか言われても困る。
さっき昼飯の弁当を買いに外に出たら寒すぎてサムシングエルスになった。
ここでいう「サムシングエルス」というのは我々の世代ではけっこう売れたバンドで、私が最初に知ったのはNHK「みんなのうた」で流れてた「反省のうた」という曲だった。
けっこういい歌だなーと思って聞いてたのを思い出す。
そんな中、「電波少年」というテレビ番組の企画の中で「ラストチャンス」という曲を作成してミリオンセラー、オリコン1位を取る。
この曲をきっかけにめちゃめちゃ売れた。紅白にも出た。我々の世代でサムシングエルスを知らない人は少ないはず。
こうやっていい曲を作ってるバンドが売れるのはいいことだと思う。
けど、最近ふと思うことがある。
ちょっとしたきっかけがあれば第二のサムシングエルスになっていたかもしれないバンド。
もっと売れてたらもっと長く活動して良い曲を作り続けてくれたかもしれない。
というわけでここでは私が思う、もっと売れてもよかったミュージシャンを勝手に選出するよ。
ブラッツ・オン・ビーも最初に知ったのは「みんなのうた」だったと思う。
私が好きなのは3rdアルバム『ゆらふわ』で、あの頃はヘビーローテーションで聴いていた。
他にも、「世界を変えて」や「ゆらり ふわり 行こう」も好きだった
なんで売れなかったんだろう?
ザ・カスタネッツは知っている人も多いと思う。
一番有名なのはアニメGTOのエンディング曲「ねない ねない ねない」かな。
私が好きなのは「ムーンパレス」や「僕はそれがとても不思議だった」。他にもいい曲がたくさんある。
そこそこ売れた印象だけど、やっぱり大半の人が知らないという意味で、もっと売れてもよかったのではと思う。
中村一義はけっこう売れたしコアなファンがたくさんいるが、メジャーにはなれなかった。
オリコン13位の「セブンスター」が一番有名な曲かもしれない。
「すべての人たちに足りないのは・・」のところの歌詞がとても好き。
1stアルバム『金字塔』を初めて聞いたときの衝撃は忘れられない。
これはミスチルを超えるぞ、と本気で思った。
でも、そうはならなかった・・そうはならなかったんだよ・・ロック・・
だから、この話はここでお終いなんだ。
【ニートになった経緯】
高校在学中に日商簿記1級を取れたことで調子に乗り公認会計士試験を目指す→大学在学中に取れず→1年専業するも取れず→方向転換しリラクゼーションマッサージ屋店員になる フルタイム勤務で楽しく働く→コロナでお店が潰れる→両親の「ゆっくりしなさい」の言葉に甘えて家にいたら社会復帰が怖くなる→ニート継続中
【今の生活】
ゆるいデイトレ(株)やたまーに昔指名してくださっていたお客さまに施術したり自営業の両親の手伝いをしたりしている。一応社員という形になっている。
たまに自分がニートであることにヘラって(なら働け)しまうが、両親は「仕事手伝って家事してくれるし何がだめなの?」という感じ。
両親の周りには子供が過労死したとか自殺したという人がちょこちょこいて、元気でいてくれたらそれでいいよと本気で思っているっぽい。
当たり前だけどこのままじゃだめだなと。
今も手遅れ感あるけど、30代になったらこの職歴じゃ就職も厳しいだろうし。
何より、自分がニートであるということで病んできたのがまずい。社会に出る怖さよりもこのまま歳をとる怖さが勝ってきた。今日もこんな時間までちょっと泣きながら起きてしまった。
今は大好きな両親がいるけど、1人になってこんな社会と繋がってないのは本当にまずい。死にたくなるだろうけど死ぬ勇気もないだろうし詰む。
【相談したいこと】
これからどうするか、ない頭で真面目に考えた。以下のうちどれがいいか、また他の道があれば教えてください。
一番現実的だし正直めちゃくちゃ向いてる仕事だと思ってる。今まで受けた中で一番上手いと色んな人に言われたし、しんどそうに来店したお客さまが帰りにはほんわかしている姿を見るとこちらのほうが元気をもらえた。
ただ、フルタイムで長く続けられる仕事かと聞かれるとかなりきついかなと。身体を壊すリスクがあるわりには、指名料などを含めても他業種に比べれば低給なのが辛い。まだ家でデイトレしていた方が稼げる。
簿記以外にも事務系の資格を色々持っているし、今も両親の事業の事務のほぼ全てをやっているので能力的には下の中以上はあると思う。
ただこの歳で雇ってもらえるのかなという。
地頭も良くないし身体も強くはないので、難関資格に挑戦するなら20代がラストチャンスなんじゃないかと思う。
ただ今度ダメなら本当に何も残らないので…
会計士以外には司法書士を考えてる。宅建、行政書士を高校の時に取ったので法律の勉強にまるっきり向いていないわけではないと思う。
④婚活する
アホかと思われるだろうけどこれが一番いいのではと真面目に考えてる。
先に定職に就くのが一番いいんだろうけど、結婚相談所に入ったりするなら若さというカードを使いたい。子供も欲しくないわけではないのでタイムリミットがある。
あと、さすがに他人の人生の一部(というか全て?)もらうならめちゃくちゃ働くしその人にとっていい人生になるよう、良きパートナーであるよう努力できるのでwinwinではないかと思う。