はてなキーワード: ヤマハとは
https://anond.hatelabo.jp/20230105180645 の続き
カフェレーサーというのは1960年代にイギリスで流行ったロッカーズという街道レーサー達の乗っていた改造バイクで、ハンドルを下げて前傾姿勢にしてロケットカウルを付ける。因みに当時の英国ではモッズという改造VESPAやランブレッタスクーター乗りのもいて、両者は反目して喧嘩ばかりしていた。モッズとはmodern+sである。
カフェレーサーで使われるロケットカウルはセパレートハンドル、通称セパハンとの組み合わせが前提だ。フロントフォークの上に付く一本バーハンドルを取っ払って両方のフロントフォークに直接短いハンドルを付けて高さを下げるのがセパハンだ。
このロケットカウルを族車ではプレスライダー由来の上向き絞りハンドルと組み合わせてしまう。
すると、カウルのハンドルの逃げの切り欠き位置が合わないのでハンドルが切れない。
そこでハンドルの逃げの位置が合うようにカウル高さを上げる→族車の珍奇なデザインの完成だ。
珍奇とは他と違うという事だから、所属を表す象徴の作用が出てきて、要するに「カウルがより高い方が暴走族的である」という文脈が出来てくるんである。「過剰」の意味付加である。
これはバックミラーを鬼のように付けたモッズのベスパも同じだな。歌舞伎のすみとりとか戦前の祭りの山車の高さとか豪華なのに耐火性が消えたうだつとかもそうだ。実用や元の文脈から切り離されると非実用的であることが意味を持つので「過剰」が持て囃され時には粋の評価がされる。
一方で上り龍のようにとんでもない高さにカウルを上げる族車バイクもあるが、これは実は実用の問題が絡んでいる。
カウルの真ん中にはヘッドライトがあるので、ある程度の高さまでカウルが上がると前が見えなくなるんである。当たり前だ。
だから更に上げたい場合は前が見えるように目の位置より上にヘッドライトが来る高さまで上げるって事である。
あんな高い所にカウルとヘッドライトがあったら、スラロームしたら慣性が凄そうなんだが、スラローム中に取れちゃったりしないんですかね?ハリボテエレジーの悲哀再びである。
車両からは離れるんだが、google:image:コルク帽とかコルク半と呼ばれるヘルメットについて。被ってると暴走族に狩られるってやつ。
これは確か昔、増田かどっかで詳しい説明のエントリがあったはずだが忘れてしまった。
もともとレースでの保護帽というのは革帽子だった。保安性は余りなく、頭を強打すれば脳がやられて死んでしまう。
次に出来たのが半帽で、半球型のプラスティック保護帽に革の耳当てと顎ひもが付いたもので、1950年代~60年代のバイクレースで使われた。クロムウェル(Cromwell)というメーカーが有名だ。ヤマハSRなどに乗る人らに好まれている(危ないから使うべきではない)。
これは内装材がコルクだった。発泡スチロールが普及する前の製品だ。
次に保護面積が大きくなったジェットヘル→フルフェイスと進化してきて、内装材は発泡スチロールと発砲ウレタンになった。
現在ヤンキーの間でコルクと呼ばれているのは、半帽にツバ(前バイザー)がついて端をビニールテープで巻いてあるという簡素な製品(但し端部の始末はクロムウェルなども同じ)で、元々主婦向けである。
1968年に富士重工がラビットスクーターをディスコンにし、イタリアのランブレッタも1971年にディスコンになるとスクーターはベスパ以外製造されない時期が続いた。
ホンダはここにバイクと無縁な主婦の市場があると見抜き、1976年にラッタッタでお馴染みのソフトバイク、ロードパルを開発した。因みにラッタッタというのはエンジンスタート用のゼンマイを足でキックして巻く動作の事で、軽量化と低価格化の為にバッテリーを搭載せず、キックスタータより楽な始動方法としてゼンマイスタータを採用したのだな。足でゼンマイを巻いてハンドル部のボタンでリリースする。
この当時、原付にはヘルメット装着義務はなかったが、広告などでは安全の為にヘルメットを被る写真が使われた。当時はすでにジェットヘルが一般的だったがそれだと軽快感がない。気軽に乗れます、バイクとは違うものですってイメージにならない。
そこで採用されたのが「70年代の半帽」だったのだ。50~60年代の半帽と違うのはポップでツバ付きになってる事。更に旧型品なので安価。どういうのかについては1972年発売のカワサキマッハⅢの広告を見てもらった方が早い。
http://captain-alfred.cocolog-nifty.com/blog/2012/09/post-6b6e.html
歴史上のバイク広告で一番カッコいいんじゃないかこれ。モデルは小川ローザだ。
それで主婦層が乗るソフトバイクの激安ヘルメット=このタイプの半帽というイメージが出来た。主な販売場所はスーパーや自転車屋であってバイク屋ではない。内装はナイロンベルトやプラスティックと布、発泡スチロールなど。
ヤンキー層はその頃はノーヘルやフルフェイスを使っていてこのタイプのは使われていなかった。
1986年に原付もヘルメット義務化されるとノーヘルだったヤンキー層は一番安くてノーヘルに近い効果のこの半帽を被らずに首の後ろにぶら下げて走るというスタイルになった。
こんな安全性が無くて昔の主婦向けのダサいヘルメットを被るのなんて暴走族やヤンキーしかいない。なのでまた所属の象徴化である。それで90年代にはヤンキーや暴走族を象徴するアイテムになった。
だからロードパルが発売されて主婦向けマーケアイテムとして流行した頃から10年以上経っている。「ダサい」が一回りして肯定的意味が出る現象の一つなのだ。
更にこのヘルメット内装にはコルクは使われていない。使われていたのは60年代だ。呼称は60年代を借用して実体のオリジナルは70年代にある、という錯綜した現象なんである。
ついでなんだが、マッドマックス1の暴走族が被ってるようなフルフェイスヘルメットをgoogle:image:族ヘルという。今のものと違って下側の首回りが丸くすぼまっていなくて寸胴になってるのが特徴だ。
70年代末~80年代前半の暴走族もフルフェイスを被っていたので、バイク免許実技試験参考書(大型は教習所では免許が取れなかった)などには「フルフェイスは暴走族的なのでジェットヘルにしましょう」などと書かれていた。安全性より暴走族的でない事の方が重要だったのだ。
このタイプのデザインは今でもレトロアイテムとして人気があるが、危ない代物である。下側がすぼまっていないので、高速で下や後ろを確認すると風圧でヘルメットが浮き上がり、顎ひもで引っかかって脱げ掛かった状態になってしまう。デザインが変更されたのには理由があるのだな。
暴走族が振り回す旗やステッカー見ると、○○レーシングみたいな峠ドリフト小僧的チーム名と○○聯合のような画数が多い漢字の名前と分かれている。
これは前述の通りに街道レーサーチームから変化してきた名残で、別にレースしなくてもレーシングという名前や峠小僧的なカタカナの名前を使う。
一方、時代が下るにしたがって硬派=学ランや右翼に傾倒してきて、軍国主義モチーフや漢籍的な名称が好まれるようになる。夜露死苦とか漢籍じゃない訳なんだがそこは偏差値の問題である。
街道レーサーから右翼標榜へと変化した為に、時代が下るに従ってメカ音痴になっていったという面もある。初めは自分でエンジンも改造してその技術も先輩から後輩へと受け継がれていたが、やがて改造は外見に留まり工具も持っていない、という風になっていく。
こういう風に族車デザインは当初はスピードの象徴であったものが文脈から切り離されて過剰になり、「過剰」それ自体が価値を持つという現象である。
特に大きい影響を残したのがバイク便の前身で「PRESS」や新聞社旗をはためかせてすり抜け爆走していたプレスライダーだった。
カウル昇竜拳みたいなデザインも組み合わせ不可のプレスライダーとロケットカウルを組合わせ、その珍妙さがそれ自体意味を持つようになった為である。
こんな珍奇な族車だが、実は日本のキッチュを好む人々というのは世界中に居て暴走族もその一つとして愛好されているのだ。
試しに「google:image:bosozoku」で画像検索してみて欲しい。多数がヒットするばかりか、自国でBosozokuカスタムをしている変態愛好者もいる。しかもその竹槍出っ歯の車がランボルギーニだったりするのはいかがなことなのか?
日本でも一時流行った巨大フルエアロパーツ、フェイクファー敷き詰め、巨大スピーカー搭載で浜崎あゆみを流すハイエースもBosozoku Vanとしてカスタムカーの一ジャンルになってる上に、タイでは社会現象に近いくらいのブームになっている。バンコクのあちこちが大黒パーキング状態なんである。というかタイ人は日本のキッチュ大好き国民なんじゃないかな?
更にebayで探せばBosozoku刺繍特攻服もわんさか出てくる。 https://www.ebay.com/sch/i.html?_nkw=bosozoku
出品&発送元が中国企業のケースが多い。日本の暴走族ファッションを中国で作って発売して世界中に出荷しているというビジネスだ。色々とおかしい。レディースの特攻服風着物が特に人気のようだ。
そういう訳で、英語が出来る人らは是非海外でBosozoku愛好してるトンチキ変態さんらに、デザインの源流が報道の爆走バイクである事やシルエットフォーミュラの事などを教えてあげて欲しいと思う。
自分の周りでは大ニュースになってる割に世間では全然騒がれてないんだけど、メチャクチャ国際関係にインパクトがあると思われる事件が現在進行形で起きているで紹介したい。
https://www.bloomberg.co.jp/news/articles/2022-10-12/RJNDM6T0G1KW01
https://www.bloomberg.co.jp/news/articles/2022-10-13/RJNXIKDWRGG001
中国で事業を展開している半導体装置メーカーが人員を引き上げるというニュースなんだけど、記事中で取り上げられている装置メーカーのAMAT、ASML、Lam、KLAは世界シェア1位、2位、3位、5位のメーカーであり、それらが人員を一斉に引き上げるという部分にヤバみを感じる。(ちなみに4位は日本の東京エレクトロンだが、アメリカに圧力かけられたら逆らえないのでここも時間の問題)
バイク業界で例えるなら、日本政府の号令でホンダ、ヤマハ、スズキ、カワサキが、一斉に中国からスタッフを全員を引き上げました!くらいのインパクトである。
今回の製造装置メーカーのニュース以外でも、台湾に大規模な工場を2つ持っている米系半導体大手のマイクロンがアメリカに大規模な工場を2つ作る発表を1ヶ月ほど前にしていて、あたかも中国の台湾侵攻に備えた工場疎開のようにも見える。
そんなわけで、業界の知人達とは第二次世界大戦時に経済制裁で日本に工作機械の輸出を止めて兵器の工作精度を落とした流れみたいだなと警戒し合っている。今後も半導体をめぐる米中対立は悪化が続くと予想されるので状況を注視していきたい。
https://b.hatena.ne.jp/entry/kaigainohannoublog.blog55.fc2.com/blog-entry-4078.html
なんか当たり前だと思うんだ。タイトルの「黒人音楽」はちょっと変だけど。
・昭和の頃、可処分所得の結構な割合をステレオセットにみんなつぎ込んでいた。1970年代にはパソコンがほぼなかった。
(それでソニーやヤマハ、山水、オンキヨー、トリオなど多様なブランドが切磋琢磨していた)
・状態のいいレコードが沢山残っているのは往年の音楽ファンが鬼籍に入ったりして中古店に放出されているから。大事に保管されて新品同様の盤がある。
・日本人は世界中の音楽を聴きまくっていた。なんかニューヨークで、ロンドンで、とかいう圧がすごかった。
・なんかお金持ちの人達がニューヨークやロンドンで拾ってきた流行を渋谷とか六本木で再発信するみたいな流れがあったんじゃないか。
・大貫妙子の後ろでドラム叩いてるのYMOの高橋幸宏だし、キーボード坂本龍一だし、ベース細野晴臣だし、クオリティ高くて当たり前じゃないか。
いまの日本って取りつかれたように最先端を追求するとかないもんね。お金も時間もないし。ステレオセット置く家もないし。音楽も米国でも
ちょっと前にグランドピアノを買ったので書く。最初に言っておくと、「子供にピアノを習わせたい」とか「大人になったけど始めてみたい」という人にはほぼ役に立たない。どちらかというと「音大出たけど全く別の職についていて今は趣味」とか「音大には行かなかったけど子供の頃からずっとやっている」人向けの話。プロは知らん。
まず、信用できるピアノ技師もしくはピアノ調律師の知り合いを探す。そしてその人に予算を伝えた上で、一緒に楽器店に行く。これが一番重要。
よく「楽器店に行って実際弾いてみましょう。同じ型番でも楽器によって音が違ったりします」みたいなことが言われているけど、これは新品を買うのであれば正しい。ただし、中古を買うのであればこの限りではないので必ず調律師を連れて行ったほうがいい。楽器店は中古で買った楽器を必ず修理する。ここで金に糸目をつけなければかなりよく仕上げることもできる。弦だって変えれば良いしハンマーだって鍵盤だってオーバーホールすることができる。だけど、すべての楽器にそれをやったら、中古なのにどの楽器も新品に負けないくらい高額になってしまう。よって店側もすべてを完璧に修理しているわけではない。だから中古楽器を弾いてみると、「そこまでだなぁ」と感じる楽器が多いと思う。思ったより音が響かなかったり、鍵盤が重かったり、一部で変な音がしたり、ペダルが重すぎ、軽すぎたり……。そこにピアノ技師を連れて行くと「ここは直せる」「これは直せない」「〇〇円でこのくらいまではできる」というのを言ってくれる。もちろん楽器によってポテンシャルは全然違うし、保管状況等によって状態も違う。中古楽器を買うのであれば、店頭に並んだ状態でいい音がするものより、このポテンシャルが高いものを買ってピアノ技師に直してもらうほうが、よほど良い楽器が手に入る。そしてこのポテンシャルは、ピアノを弾くだけの人には絶対わからない、と言われた。
で、実際見に行ってどうだったか。
まず新品を見るために、山野楽器、ヤマハ、スタインウェイ、ベヒシュタインのショールーム行った。ダントツでスタインウェイ、これは間違いない。いくつかの楽器店でベーゼンドルファーも弾いてみたが、そこまで良いベーゼンドルファーに巡り会えず、こちらはそれ以降追わなくなった。
ヤマハ、CXシリーズは何度もいろんなところで弾いたことがあったけど、やはり話にならない。SXシリーズで、「まぁ買っても良いかなぁ」くらいで、これで660万円。S6Xを弾いたけど、まぁまぁ……くらいなんだけど音がうるさい。ヤマハのピアノは響かせるために音を大きめにしている傾向があるんだけど、これがうるさくて上品さにかける。できればCFシリーズが良かったけど、これを買うなら結局1000万円超えるので、それならスタインウェイ買えるし、そっちのほうが良い。
ベヒシュタイン、かなり良い。コンサートシリーズは他の輸入ピアノと同じ金額帯だけど、アカデミーシリーズは500万円程度からラインナップされていて、ヤマハのSXシリーズ買うくらいならベヒシュタイン買おうという気になる。ただできれば、やはりコンサートシリーズのほうが全然良い音がする。
次に中古ピアノを見るためにいくつか店を回った。新品は、ヤマハの大きめの楽器店に行けばヤマハの楽器は全部触れるけど、中古は各店舗によって楽器があったりなかったりするので、いろいろ回る必要がある。そしていくつかスタインウェイを置いている楽器店を見つけ、最終的にA-188かB-211かというところまで絞った。ここで知り合いのピアノ技師に一緒に来てもらい、各楽器を吟味してもらう。「〇〇と〇〇は交換したほうがいい。〇〇は調整できる」みたいな話をしてもらいながら、最終的にはB-211を選ぶことになった。楽器本体とその後の修理費を含めてだいたい1000万弱というところ。
最後に金額感。ヤマハやカワイのアカデミー向けのピアノだと、サイズによるがだいたい200万~500万くらいで新品が買える。スタインウェイ、ベヒシュタイン、ベーゼンドルファーのコンサートグレードだと大体1200万~2200万くらいする。この間の、500万~1000万くらいの価格帯の製品はあまりなくて、ベヒシュタインのアカデミーシリーズや、ヤマハのSXシリーズ、カワイのSKシリーズしかない。
中古だとこの価格帯でベーゼンドルファーやスタインウェイが買えるので、そっちのほうが良い場合もある。
ちなみに重さは350kg。これを運び入れるだけでも10万円以上かかった。
俺も酒場で色んな人の話を聴くのが好きだ。色んな人に色んな人生があって、そういうものは興味深い。
しょぼくれたおじさんが昔は一流企業のバリバリ企業戦士だったけれど、そのレールから外れた経緯とか、中年女性の語る「今までつきあった男のアブノーマル逸話ベスト10」とか、普通のサラリーマンに見える人が若い頃世界を旅してびっくりした思い出とか、そういうの。
もっと地味な「あそこの酒場は良い」とか、「あのスーパーの仕入れ担当は優秀」みたいな小ネタさえ面白い。
酒場というのは皆、誰も彼も、少し誰かと話したい。というか、誰かに自分の話を聞いてもらいたいんですよね。だから俺とか増田のような「聞きたい」という人は聞き上手として好かれるのです。多くの人は聞きたいのではなく話したいから。
書籍でそういう色んな人生を体験できれば酒場に通わずに済むので、多くの人は小説を読む。そこには嘘の話ではあるけれど、誰か参考にしたモデルがあったりして色んな人生を疑似体験できるから。
小説でないものなら岸政彦さんの『東京の生活史』なんていうのは、色んな人生を知ることができる稀な本だと思うが、これも岸さんが酒場をお好きなのと関係しているのではないかと思っている。まあ、その分野の専門家だからってのが一番でしょうが。
増田の質問にもお答えしなければいけないな。俺が話したいことばかり書いてもいけない。増田は聞きたいのだから。
一例を申し上げると、俺は少しの間だけヤマハの大人の音楽教室でヴァイオリンを習っていたのですが、グループレッスンのそこには色んな人がおられました。最初は「ヴァイオリン意外と難しいですよね」みたいな話で仲良くなって、なんでここに通うようになったのかとか、その人の人生譚みたいなのも聞かせてもらえるようになった。これはアルコール抜きで話ができる場所ではないだろうか。でも毎週違う酒場に行って色んな人と出会って話を聞かせてもらうというわけにはいかないですね。メンバーが固定してるかもね。毎週違う楽器を習いに行くわけにも行かないし。
もう一つはボランティア。市のボランティア事務所のようなところに登録しておくと色んなところに行ける。そこで出会う人は様々です。
ボランティアの作業をしながら少しずつ仲良くなって、やがてその人がどうやってこの活動に参加したのか、どんな人生を歩んできたのかを話してくれる人もいる。それも興味深い。
ただし、ボランティアに参加している人はやっぱり優しい人が多いんですよ。労力を無償提供してくれるくらいだから。土木会社の社長みたいな人はいない。社長と名のつく人にボランティアで会ったことはないですね。あいつら自己利益に邁進してるから。
まあ、それ以外だと病者の会とかかな。『ファイト・クラブ』って映画であったでしょう?俺は精神障害者だったことがあるので、そういう場所で色んな人の話を聞く機会にも恵まれたけれど。映画みたいに嘘ついて潜入するのは、やめた方がいいかもね。
ぜんぜん違う話で締めくくるけど
冒頭で「分かりみが深い」と書いたんだけど、あれって「分かり身」?「分かり味」?
どっちなの?