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2023-05-18

ヨルシカコンポーザー:ナブナが紡ぐ歌詞マジで良い

俺はヨルシカコンポーザーであるブナが大好きで、中でも特にその歌詞が好きだ。特にボカロ時代歌詞が好きだ。なので、俺が良いと思った歌詞ランキング形式で紹介する。

ヨルシカコンポーザー:ナブナについて

ヨルシカボーカルのsuisとコンポーザーはn-buna:ナブナ構成されており、もともとナブナボカロPだった。Pだった頃から”ウミユリ海底譚”や”夜明けと蛍”などの曲で人気を博していた。ヨルシカ代表曲は”僕は音楽をやめた”や”花に亡霊”。

第5位

背景、夏に溺れる(2013/8/20発表)

夏の終わりを歌った曲だ。歌詞は情景描写に終始していて、極めて抽象であるのにも関わらずびっくりするほど切ない気持ちにさせる。歌詞に時折現れる「君」との……これは何だろう? 別れではない、まるで夏の間だけ現れる神秘的な何かとの出会いと別れ? かな? 

こんな風に、よくわからないのになんかよくわかりそうで、聞き手想像余地を多分に与えている点がこの歌詞のよいところ。

“君の声が響く 夏の隅を

街に泳ぐさかなのように”

一番のサビの締めくくりの歌詞だ。この歌詞センスヤバい

君の声が響く 夏の隅を

の”隅を”のワードチョイスがすごい。通常”夏の”に続く言葉ではない。

“街に泳ぐさかなのように”の”街「に」”の”に”がすごい。普通なら”街「を」泳ぐ”としてしまいそうなところを”に”にしている。ほんとすごい。ほんと良い。

原曲と、俺が一番いいと思う歌ってみたリンク(りぶが歌ったやつ)を掲載しておく

原曲

https://www.nicovideo.jp/watch/sm21638600

りぶが歌ったやつ↓

https://www.nicovideo.jp/watch/sm24409321

第4位

始発とカフカ(2015/8/31)

 カフカの「変身」をモチーフにしたリズミカルな曲だ。しかしその陽気な曲調と歌詞のどことなく闇を感じる歌詞が独特の魅力を生んでいる。

“伝えたい事しかないのに何も声が出なくてごめんね”

“見返すには歩くしかないのに上手く足が出なくてごめんね”

これは毒虫になってしまった歌詞主人公言葉であるのは間違いない。とりあえずこの歌詞はなんかいい。すごくいい。

興味深いのは”見返すには歩くしかないのに”の”見返すには”という部分だ。ここに歌詞の中の主人公、あるいはナブナ自身の何かに対するコンプレックスや、攻撃的な意思の顕れを見ることができる。

https://www.youtube.com/watch?v=j-cQ97A0OPM

第3位

メリュー(2015/5/12)

リズムの感じはウミユリ海底譚と似ているような気がする。なんか良いんだよな……(語彙力の消失)。この曲の歌詞マジでいい。

灯籠の咲く星の海に心臓を投げたのだ

もう声も出ないそれは僕じゃどうしようもなかったのだ”

心臓が痛いから死んだふりの毎日を見なよ

もういっそ死のうと思えたなら僕はこうじゃなかったのだ”

“どうせ死ぬくせに辛いなんておかしいじゃないか

俺のお気に入りはこの中の”どうせ死ぬくせに辛いなんておかしいじゃないか”という歌詞だ。生きるのも死ぬのも嫌だった高校時代めっちゃ共感したのを覚えている。

https://www.youtube.com/watch?v=Jak2qiq_jJo

第2位

ウミユリ海底譚(2014/2/24 発表)

独特なテンポが特徴的な、900万回再生された大ヒット曲である

この曲は……アイデンティティ確立ができていない、モラトリアム期間にある少年少女が抱く不安の歌と考えればいいのか? わからん

サビで繰り返される”僕の歌を笑わないで”という歌詞がナブナ自身の思いだと推察するのは妥当だと思われるが、初音ミクが歌っているのに胸に迫るような感じがするからすごい。

“僕を殺しちゃった 期待の言葉とか

聞こえないように笑ってんの”

Cメロにあるこの歌詞を初めて聞いた時、やば!!!! と思った。人をほめたり期待したりすることも罵倒否定と同じように、その人を縛り付ける呪いになってしまう……みたいな。そういう感じ、な気がする。

https://www.youtube.com/watch?v=7JANm3jOb2k

第1位

ラプンツェル(2016/7/6)

つい最近、偶然町田ちまというvtuberが歌った「ラプンツェル」がランダム再生で流れてきて、歌詞ものすごくいい、誰が書いた歌だろう? と思ったらナブナだった。ガチビビった。

以下この曲のネタバレを含む。

この曲は童話ラプンツェルモチーフとしており、そのテーマ性はラプンツェル物語を知っていればそれほど難解ではない。すなわち、叶わない、あるいは叶ってはならない恋の歌……であると思われる。一見童話世界の歌だと思わせておきながら、Cメロ

“空いた灰皿やビールの缶が示した心象風景は”

という歌詞差しまれる。これによって舞台現代であることが明らかになり、一気に物語が具体的な様相を呈してくるのはこの歌詞の興味深いところだ。

さて、第一位にふさわしい、俺が最も好きな歌詞は二番のサビにある。

“僕の目に君が見えないなら

何が罰になるのだろう”

この歌詞を聞いた時、戦慄した。こんな日本語があっていいのか? 夏目漱石I love youを「月が綺麗ですね」とか訳したらしいが、もうそんなの比にならないレベル天才的な表現だ。この言葉意味を俺自身説明するのはあまりにも無粋なので、ここでは控えておく。

短歌でやり取りして恋情を婉曲に表現しまくってた平安時代貴族でも卒倒するくらい良い言葉だ。主人公の痛ましい想いがこれでもかというほど伝わってくる。

原曲

https://www.youtube.com/watch?v=1okLHuZUftU

町田ちまver

https://www.youtube.com/watch?v=XlUhsBX2bLY

2023-05-15

メンタル放火魔が許せない

あるきっかけ。感じた怒り。それを消化というか消火できずにいると、それはやがて自分人生上の怒り、というところまで拡大していく。そしてそれが解析困難だと、あらゆる意欲を失っていく。意欲の失い方、堕落の仕方は完璧だった。投げ出したんじゃない、先延ばしし続けたのだ。その結果、人生を諦めて放棄したように錯覚するところまで行き着いた。あまりにも自然にそこまでフェーズを移してしまった。

怒りを感じて、怒りをどうすることもできないと感じると、無力感を生じる、そうして問題と向き合うのを先延ばしするうちに無気力になっていく。

もう届かない怒りをどうするのか?

結論は?

根源の相手を探すか、他の人に八つ当たりするか、それ以外か。忘れるか。

時間が経てば忘れられる。小さくなって消えていく。だけど直後はそれが判らない。

人間全体が憎くなって、それを晴らす方法も分からない。自分一方的相手からやられ続けるだけだと思うようになる。

怒りと復讐が私の人生のすべてと感じるようになる。

実際は、私の人格は多重複合構造であり、怒りと報復テーマだけで動いているわけではない。

他のテーマ複数ある。

愛と献身テーマだってある。

でも感じられない。どれをとっていいかからないと感じる。どれか一つしか選べないような気持ちになる。あるいは統一できないといけない気持ちになる。

どんなフェーズでもいい、どんな精神状態でもいいから、やるべき行動を続けることを止めないんだという自分への約束無意味なことに感じる。

その決意自体意味があるのかを疑う。

もう一度そのテーマについて1から再検証するべきではないかと感じる。事実3日も4日も自分に課した義務放棄してるのだから、今さらノコノコ元の状態に戻れない、なんの成果もなく元の生活に戻ったらただの損失でしかなくまた同じ事を繰り返すから、あと1〜2日無駄にしてもこの問題に向き合って考えるべきだと感じる。

しかし私は多重複合的な精神構造で生きてる。私の精神状態は常に揺らいでいる。その気になればいつでも問題に正しくフォーカスできるというのは幻想である

それは存外難しく、一度機を逃すと再びそれが上手くいく確率は、実はものすごく低い。それを待っているよりできることをやったほうがはるかに実がある。わかっているのに私は動かない。4日は無駄になったと認めて損失の合計を4日間と計上するよりも、5日間の時間と引き換えに何か大きな気づき悟りや決心やその他投じた時間に値する価値を得る、損失を取り戻すことに執着する。

それは時間が経てば経つほど困難になるほとんど不可能ギャンブルだ。なのに私はいつまでも損失を認めることができない。ただじゃ起きないと思ってる。ただで起きなければ失ったモノが戻ってくると錯覚してる。実際はただで起き上がる方がずっと賢く、失うものは取り戻すより最小限に留めるほうがずっと良いということが判らない。5日かけて何かの気づきを得たと思っても、5日を失ったことに変わりはないことが解らない。

私は精神状態さえ持ち直せれば恒久的に安定して前進を続けられると思っている。

そうした思い込みの末に今の泥沼の中にいる。

「取られるはずなのないもの」に足を取られて、「すくわれるはずのないもの」に足元をすくわれて、「怒るに価しない怒り」のせいで結果自らの人生すら破壊しようとしている。有り得ない有り得ないと喚いている、それが私だ。

私は自分で止めるしかない。自分で違う場所を目指すしかない、怒りだろうと、他のどんなネガティブ感情だろうと、ネガティブ経験だろうと同じ事で、私がそれに“やられて”しまうのを誰も助けないし誰も哀れまないし、誰も意味を与えることもない。私は独りきりだ。誰も私の現状に納得のいく説明などできないし、してくれない。私は放置されているし、見放されている。いや違う、私は関心を持たれていない。私の境遇も、私の過去も、私の努力も、私が怒りを抱えながら藻掻いたり悩み苦しんだり、そういうことに“この世”は関心が無い。少なくとも、私の場合はそうだ。他の人間待遇は知らない。他の人間関係ない。他の人間待遇は違う。他人他人、私は私のこの世での待遇に目を向けるべきだ。私は今はまだ死ねない。かといって生き続けても私の人生がよくなる保証は一切ない。私は産まれる前にありとあらゆる保険を解約したのかもしれない。他の多くの奴らが付帯させてほしいと契約したものを、私は敢えてぜんぶ外したのかもしれない。特段に人生で虐げられてきたとは思わない。特段にひどい境遇というわけじゃない。ただ、保険保障恩恵共同体利益や、そういう皆と同じ輪の中で得られる福利に私は1つもチェックマークをつけなかったのかもしれない。

から私の出す結論は何か。進み続ける、行動し続ける、それしかない。死なないのなら死ねないのなら、怒りすら捨てて、前に進まないといけないのかもしれない。これは崖なのかもしれない。ただただ登るしかないのかもしれない。わけのわからない目的のために、ただもう頂上を目指す、それだけしか残されていないのかもしれない。

怒り。許せない人間、許せない思い。

憎い、悔しい、許せない、私は訴える。

その思いを何とかしないとどこにも行けない気がする、進めない気がする。でも【それを見ているもの】は、ない。

怒りの火種で燃やされて終わってしまうのだとしたら、そんな私に、“なにか言うことはないのか”と私は何かに対して問う。

ない。

私は随時、放火される。放火魔は多くの場合、捕まらない、私は一方的放火される。私が火を消さず怒り狂って地団駄を踏んでいたら、どうなるか?

【そのまま】になる。

私は随時一方的放火される。放火魔はたいてい捕まえられない。もし捕まえて八つ裂きにすると、私の人生も終わる。そんな危機が何度も起こり続ける。それが私の人生で、私の生きている世界だと思う。そこで私は選ばないといけない。放火魔を八つ裂きにするのか、消火して私自身を建て直すのか。この問いを繰り返し繰り返し毎日看板に書いて掲げる必要がある。やるのは無意味かも知れないが、やらないのはそれよりも無意味に思える。無意味の中でも【より意味のあるように思える無意味】を選択する。それ以外にできることはきっとない。最善は選べない。最善を選ぶのは贅沢な行為である。贅沢は贅沢を許される人生に許されている。贅沢を許される時期に許される。私のモラトリアムは終わった。私へのそういったもの支給はもう終わった。私にできる贅沢な選択はない。私にとって最善の選択は、常に【マシな】選択である。こっちよりはこっちが、あれよりはそれが、【比較的】【若干】【ほんの少しだけ】マシに思える。そういうマシな取っかかりや手がかり、足がかりを、私は掴み続けるしかない。崖をよじ登るならそういうことなんだろう。そんな状況でわざわざ私を燃やそうとする捕まえもできないものたちを、私はどうするのか。私に捕まえられない放火犯を分析する余裕は【ない】。

私は割り切らなければいけない。

あの人間は私に火をつけて逃げた。私はショックを受ける。怒りが湧いてくる。火が燃え広がる。ショックで立ち止まったままになる。消火を怠って、延焼を放置して、5日が経った。あの人間は平然と生きている。当然だ。私はそのことを考え続ける。自分より他人のことを思いつづける。私はあの人間なのか?私の人生はあの人間人生なのか?私が私の心を放棄するほど、私の人生はあの人間人生なのだろうか?あの人間人生について考える価値が私の人生以上にあると、私は本気で思い込んでいる。私が陥ったものというのは、そういうものだ。私があのとき立ち向かわなければいけなかった分岐点は、そういうものだ。

「でも、だって、この怒りは抑えられない、どうしようもないんだ」その言葉正統性を知っているのは、私一人だ。誰も私と全く同じようにその思いを分かち合ってはくれない。他人は火を消せという。私ははそれを聞いてもっと怒り狂い、火に油を注がれたと感じる。「火をつけたやつがいるんだ!」と私は叫ぶ。他人は「わかるけど火を消せ」と言う。「何がわかるんだ!上っ面で分かったフリすんな!火をつけて逃げたやつがいるんだ!!」と私は叫ぶ。私と他人永遠に噛み合わない。私は失い続ける。他人への怒りと不信感は膨らみ続ける。それでも誰も私を憐れんではくれない。他人無理解である。だが私はこの世界でその他人と関わって、時に助けを借りなければいけない。それをしたって私が根っこから救われるわけじゃない。ただ、そのほうがマシだからだ。他人を一切閉め出すよりも、他人一定関わるほうが【マシな選択肢】だからだ。私はそういう選択をし続けるしかない。消極的だろうが積極的だろうがそうやって選ばないけといけない。選ばない損失と選ぶことで得られる可能性を秤にかけて行動を起こさなければならない。私がいるのはそういう世界だ。進むしかない。上を目指して登り続けるしかない。私がそういう世界自分で選んだのだ。

2023-05-07

あなた人生がうまくいかないのは私のせいかもしれない

日本社会人の平均学習時間は1日6分、そのうちの95%の人の学習時間は0分。

これが日本社会現実である。つまり何もスキルを身に着けようともせず、自分学校卒業たころ、自分最初就職たころと似通ったスキルで世の中を渡りきろうとしている人々がいる。あなたはどれほど学習しているか

ほとんどの人は『努力』と『苦行』とを同一視している。これは教育の失敗によるのであろう。努力は苦しみを伴うことも多いが、苦しめばすなわち努力となるのではない。耐え忍べばいつかは救済が来るわけではない。苦行は意味がない。苦行ばかりしている人が多い。『わたしたちはいっぱい苦行をしている』と言い張っている。それは正しい。しか努力をしなければならない。自分の意を通すために必要なことをすべてやる能力努力という。

他責ばかりする者が多く見られる。『他責にするな』というのではない。どうして自分人生のすべての責任を、完全に他人のせいにしてそれを受け入れていられるのか。人生の主導権を手放して、それで満足か。痛めつけられてきて、自らの未熟さを世間から突きつけられ続けたからかもしれない。蔑まれ馬鹿にされ、からかわれ、侮辱される。どうせやっても無駄だと感じているか。無論、社会というものクズに見えるのは仕方がない。クズ人間は目につきやすい。ノイジーマイノリティである悪事千里を走るとも言う。ふざけたどうしようもない人物も実際に多くいる。そういうふうに社会を見れば、社会は「クズ」の総体でできたもののように見えるのも無理はない。「ああ、社会というものはどうしようもないんだね」と思うのだろう。違う。

いつまでも自分モラトリアム期間の中にいて、いつまでも人生猶予されているように振る舞っている輩が目につく。年齢を重ねれば自然大人になるわけではない。大人になろうとしなければ大人になることはできない。知識を重ねさえすれば大人になるわけではない。それはアダルトチルドレンという。どれだけの人々が、愚痴も言わず他人人生を助け、人々を愛しているかをしっかり見ようとしない。気付いてしまえば、己こそが真のクズだとわかってしまうからだろう。社会とは、自分身の回りだけではない。自分身の回り世界ではない。世界のごく一部である

どれほど自分が未熟で、愚かで、他罰的で、人に迷惑をかけ続け、どうしようもない、本気を出せない、信頼を容易く裏切る、クソガキ的存在なのか、そういうことに思い至りたくないのだ。このように言うと、実際反発する人が多いものだ。自分いかに素晴らしく、いか努力をしており、それに比べて他人はどうしようもなくダメで、他人は楽々生きているように見えて、恵まれているくせに、厚かましい無神経なやつばかりなのだと思っている。

「ああ、これは自分のことを言っているのだ」と振り返ることができない。どこかずっと他人である。そういうことは、自分ではない他人がやるべきなのだと思っている。しか他人人生は1つしかない。どうしてあなたのために、他人他人人生犠牲にしなければならないのか。他人にどうにかしてくれという発言は、ドラえもんを求めるのび太の声である。誰かスーパーヒーローがやってきて、自分を救ってくれはしないかと思っている。自分ドラえもんになろうとはしない。

ヒーローはいる。ヒーローは、人知れず人を助けている。感謝など誰からもされない。それこそが大人である。少し探せばいくらでも見つかるものだ。探そうともせず、目が曇っているから見つけられないのだ。自分はやっている、十分やっていると思っている。いいや、全然、やっていないのだ。耐えるだけなのは、怠けているのだ。耐えるだけなら楽だろう。耐えている自分は善で、耐えさせる他人が悪なのだ。そして、素晴らしい人々は、自分とは違う世界の住人だと思っているか。そうではない。身の回りの調度品を注意深く見よ。それはどう作られているかあなたに作れるか。何故それがそこに存在できるのか、安全暮らしていけるのか、思いを馳せない。それが当然のことだと思っているからだ。当然ではない。先人たちの血と努力奇跡結晶を「それが自然の摂理だ」と、誤って学習してしまったのだ。

努力や忍耐など他国の人々もやっている。とてつもなく多くやっている。他国の人は決して無知の民ではない。同じ人間であり、ホモ=サピエンス(知恵のある人)である野蛮人だと思っていたか自分だけだと思っていたか。それだから追い抜かれたのだ。時代のせいにするな。甘えるな依存するな。もうとっくに、昭和ではないのだ。今の社会人は全員が不景気しか経験していない。得など誰もしていない。「他国もっと苦しんでいる人だって頑張っているのに」という言葉を軽く見ている。心が鎖国しているのだ。目を向けなければいけない。自分が、自分が虐げられていることだけが重要だと感じているのだろう。あくま自己が優先。他人など蹴落としてしまえ、他人を虐げてしまってもよいという精神が、他人を容易く批判させる。

大人とは、「あなたは悪くない、あなたは少しも悪くない、悪いのはあなたではないよ、あなたは頑張っているよ、あなたは虐げられているよ、あなたは大変だったね」という悪魔を求めるべきときではない。そんなことは、ほとんどの場合、言われないものだ。当然の如くやるものだとみなされている。褒められもしない。愛されもしない。やるのが常識だと思われる。報われることもない。それでも頑張れるのは、わかってくれる人がいるからだ。自分のことだ。自分が、どれほど懸命にやっているかわかっていれば、それで良いのだ。

社会には大人が少ない。いないわけではないが、割合少ない。見えにくいというのもある。だから大人を求めている。全く割に合わず、非合理であっても、それをやろうとする人間を求めている。自分任務をわきまえて、それを果たせる大人を求めている。年齢的な意味での大人は、見限られていることも少なくない。どうせ言っても無駄なのだ固定観念に縛られて、他者に損害を与え自己利益だけを徹底的に追求する邪悪だと思われている。そのわりに、自分正義だと思っている。だから子どもに教えているのだ。大人は、子どもに救いを求めている。「未来大人たちよ、私達を助けたまえ」と言っている。

俺たちは、もはや助けられる方ではない。助ける方なのだ。誰か助けてくれると思っても仕方がない。なぜなら助けてくれる人が全くいないのだ。日本王国でも帝国でもない。早々に自分人生解決して、他人を助ける側に回らなければならないのだ。進まなければならないし、進もうとしているのだ。耐える必要はない。ただ努力せよ。

もしもそれができないなら、指をくわえてみていれば良い。救ってやろう。守ってやろう。俺たちは大人から、そうしたいのだ。

俺は、この文章意味が、ただ1人にだけ伝わればそれでいい。俺はただ、社会クズものだと思いたくないのだ。世界は素晴らしいのだ。

2023-05-05

少子化対策大学の全無償化無駄

ちゃん学力で分け隔ててやらないと無駄

今なんとなしに行ってる所謂Fランというかただのモラトリアム層は大学に行かせないほうが少子化対策には間違いなくなる

2023-05-04

anond:20230504115518

そっか、まぁモラトリアムいつまで持ち続けるかは個人自由やしな~(相当みっともないけどな!)

2023-04-30

今日、俺は久々に二郎に行った。アラサー運動不足社畜には量が多い。

小ですら食べきるのはきつかった。脂も胃もたれしている感じがある。

歳だな、と笑ってしまう。

10年ほど前、大学生の時。

大学近くの二郎に友人とよく行っていた。量が多い、2度といくか、なんて言いながらも月1回は行ってたっけ。

講義終わりとか、講義サボって開店前に並んだりとか。

あの時一緒に行っていた友人とは、働きだしてからだんだん疎遠になっていった。たまに飲み会で集まるだけ。飲み会半年に1回、年1回、コロナ禍で途絶えてそれっきり...

コロナが無くても会社結婚育児で途絶えていたんだろう。


今年の年初に引越をした。同じ東京でも駅が変わると生活が変わる。そして今の最寄駅には二郎がある。友人とはもう行かないけど、名前を聞くと久々に食べたくなったのだ。

食べてみると、麺の硬さやにんにくのキツさなど、嫌なところばかりを感じてしまう。冒頭に書いた通り胃もたれもした。

それでも、これが懐かしい味なんだ。あの、モラトリアム青春の日々を思い出す。

次に食べにいくのはいつになるんだろう。あの頃と同じ気持ち二郎には向き合えないけど、またいつか行こう。

2023-04-17

氷河期の人たちって大変だね。

※これはコロナ以前2018年頃の話しです。

自分はいわゆるゆとり世代2013年新卒希望通りでは無かったが、特段苦労する事もなくトントン拍子で中堅の会社就職した。周りをみても、就職活動の苦労は、第一希望業界会社入社することは出来ないがどこで折り合いをつけるかだった。無い内定の友人達は、どうしても希望職業に就きたいかモラトリアムを延長したいかと言った感じ。

モラトリアム謳歌した友人達も、自分で何か始める、または数年遅れですんなりと就職

一方、自分の親はバブル世代で、自分逆立ちしても入れない企業たちから囲い込みされてその中の一社入社したらしい。親の就活話しを聞くと、羨ましくて自分達は苦労したものだと思っていた。

ちなみに母親新卒時に超大手企業に勤めていたため、子育てが終わってから再就職経験を買われた為、用意だったらしい。

会社に入ってからは、いわゆる氷河期世代人達もいたが、自分達や親世代と同じようだと思っていた。たまに飲み会で当時の就活苦労話等も聞いたがイマイチよくわからなかったし、今思えば、彼らは氷河期でも勝ち組人達だったんだなと思う。

しばらくして、違う事を経験してみたくなり退職職業訓練校に通う事になった。

そこで初めて、就職氷河期の苦悩を目の当たりにする。

訓練校では生産管理を学んでいた。クラスメイト構成は、バブル世代3割、ゆとり世代3割、残りは氷河期世代だった。バブル世代の面々は、リストラにあった人もいたが、子育てが終わり早期退職し、今後はゆっくりしたい人や現場から管理職キャリアアップしたい人達だった。一方のゆとり世代は、自分のように違う事を経験したくなった人、モラトリアムを味わいたくなった人、結婚を機に退職した人、フリーターから正社員を目指す人々だった。

自己紹介で今までの経歴を話すのだが、もちろんゆとり世代学生に毛が生えた内容だった。

バブル世代は華やかな経験や経歴、職務内容だった。

驚いたのは氷河期世代で、華やかな経験を持つ人達もいたが、就職に失敗しその後派遣転々としているとか、40代過ぎてバイト面接も受からないだとか、就職を諦め今まで資格取得の勉強をしてたが年齢的に諦めたとか、ブラック企業を超える漆黒企業で長年勤め身体を壊したとかだった。

今まで、正直、氷河期とか言ってるけど結局は自己責任じゃないか?と思ってたが、こうも世代が偏ると明らかに平等さが際立っていた。

氷河期世代人達愚痴っぽく、ゆとり世代の呑気さや、バブル世代の経歴について、よく愚痴を吐いていた。気の毒だとは思ったが、話を聞くのは正直辛かったし、氷河期世代で無くてよかったと思った。

訓練校生の就職活動は、ゆとり世代若さを買われ、バブル世代経験を買われトントン拍子に進んでいった。

氷河期世代は、漆黒企業専門職経験者以外は、苦労していた。若くも無く、経験技能を持たないものは選ばれないのか。

見ていて辛くなったが、どうする事も出来なかった。

本当に失われた世代だし、この世代の方々はババを引かせられ続けてるのだと感じた。

2023-04-14

いい加減生き甲斐を決めたい。

生きるとはなんぞやと言う事を思春期の頃にずっと考えていた。勉強より遊びより人付き合いより、何より大事問題だった。

50周ほどして結局生きる意味などない、自分で作らねばならないという結論に至った。

理屈ではダメだ。理屈で考えれば答えなど出るはずがない。

納得だ。「納得」は全てに優先するぜッ

人は理屈で喜び、理屈で苦しみを感じる訳ではない。いつだって感情が先だ。感情論理に先立つ事はない。

いつかは人の頭が解き開かれ、全ての規範記述に塗り潰されるかもしれない。でもそれは今じゃない。「今」は今考えられる事が全てだ。

何を拠り所にするのか。他者から承認か、存在も確かめられない神様を信じるのか。

どれも腹落ちしない。内から発せられる心の底から確信、納得でなければ。

どれだけ強固に思えた確信でも揺らがないとは限らない。年老いるごとに考えが変わってしまった、今までの人生とは何だったのかとこぼす者も少なくない。肩肘張ったって幸せになどなれない、気楽に生きようと言う人もいる。

私の軟弱な心とて、価値ある人生を追い求める疲れに耐え切る保証などどこにもない。結局私も同じ結論に至れば、車輪の再発明だと笑われるかもしれない。

しかし彼らの結論は彼ら自身経験を踏まえてのものだ。彼らには納得を与えても、私にはそうでない。私の人生当事者は私だけだ。

こんな事を真面目な顔で人に語れば、ナイーブすぎるんじゃないと引き気味に諭されるだろう。それはきっと間違いない。だからどうしたというのだ。

価値ある人生などという幻想を捨て、凡庸人生しか送れない事を受け入れる。諦める。それを、折り合いをつけ大人になった事だと言い聞かせる。

それはきっと賢い生き方だ。

しかしその口ぶりはまるで、禁煙した人間タバコ執拗非難するかのようではないか

生き甲斐などという考えは毒なんだろう。少量の毒が薬になるだとか、そんなレトリックはいらない。心の蓋を抑え続けた方が楽に生きられるだろう。

しかしそこから溢れ出続ける一抹の迷いから目を背けて、納得ある生き方をできるだろうか。

今際の際に、生きていて良かったと思えるだろうか。

ニヒリズムなど拗らせるものではないという反省は、人生を使った経験で納得を得るまで何の実感も伴わない。そんな考えは後回しにすればよい。

では、私の心は何を囁くのか。具体的に何をしたらよいのか。

表現行為に答えがあるように思えてならない。

根拠などない。凡庸な発想だ、くりえーたーになってチヤホヤされたいというだけかもしれない。

それが純粋動機かなど、確かめる術はない。

答えは知らぬ。時間もない。そのどれもが誤りかも知れぬのだ。後悔は死んでからすればよい。

好きと憧れを分けるのは就職セミナーだけで十分だ。

生活の気晴らしの趣味は持っている。しかしそれは、生き甲斐と呼ぶにはあまりに心許ない。

生き甲斐なくして生きる価値などない。とはいえいくら生き甲斐が全てに優先すると言っても、目の前の生活をこなさなければそれもままならない。

高校入試大学入試就職活動。

趣味に没頭したいが、いつもそれらが頭を過ぎって水を差してきた。いずれは結婚を焦る事もあるかもしれない。

常に先を考えろという父の教えがなければ今はもっと惨めな生活を送っていたかもしれない。しかし、生き甲斐に殉じようという確信ブレーキをかけてくる。何をするにも、こんな事をしている場合だろうか?と。

楽器をいくつかやってみた事もあった。中級者の壁を超えられるかどうかという境界彷徨っていたが、超える事なく人生イベントを機に中断してしまった。

小説でも書いてみようかと思ったが、これも結局最後まで形になることはなかった。

生活に屈して趣味生き甲斐まで押し上げられなかった。

色んな映画や本に触れてきた。色んな事を思った。そうやって感情を揺らし続けるだけでも人生は満たされるかもしれない。でももう一歩、まだ何か足りない。確信と納得には届かない。

世の優れた表現者達は、きっとこんな人生論をこねくり回す暇があれば手を動かしている、動かさずにはいられないのだろう。純粋な喜び、人生の焦り、衝動、憧れ、何かの感情に突き動かされて。

たった一度限りの人生だ、何かが欲しい。しかしこれきりの人生で何かを捨てるのも嫌だ。大切にしたいからこそ、中途半端な事もしたくない。

自分可能性を疑うのも嫌だが、しかし私はきっとダ・ヴィンチのような万能人ではない。なにか一つに人生を丸ごと捧げて、ようやく自分一人を納得させられる域に至れるかどうか。それだってからない。

それでもどんな可能だって捨てるのはあまりに惜しい。

アンビバレンスに挟まれ決断しかねて長い時間が経った。10代の頃、価値あるものだと確信できる生き方を決意し、もう10年近くの時が経っている。モラトリアムの終わりも近いが、未だ私には何もない。慰めの趣味だけだ。

絵を描くだっていい。物語を書くでも、楽器を弾くでも、曲を作るでもいい。

後世に名を残す傑作など目指さなくていい。ただ、人生これで良かったと確信できるだけの自己満足であればいい。

選ばなければ始まらないが、捨てなければ選べない。あるかも分からないちっぽけな可能だって、私にとっては大事ものだ。

しかいつまでも迷ってはいられない。今の時点で納得ある決断をする事は出来ない。納得できるかできないか、それは後からついてくる。決断しない事には何も始まらない。

しまいにはタイムリミットになるかもしれない。ネットに掃いて捨てるほどいる、何者にもなれかったディレッタント崩れになってしまう。既に片足を突っ込んでいるのかもしれない。

自分には何もなく、評論家を気取って批判にもなっていない難癖をネットの方々に書きこむようになってしまうかもしれない。

生き甲斐を選び取る決断をしなければ。

でないとオレは「前」に進めねえッ!「どこへ」も!「未来への道」も!探す事は出来ねえッ!!

「納得」は必要だッ!

『納得』は『誇り』なんだ!

Choose Lifeだ。私にヘロインはないから。

2023-04-04

普段しない化粧を入念に施して街に出た。

ケンタに並んでたら前にいたおっさん二人が「なんで今日、平日なのに混んでんの?」「おばさん達でしょ」とこっちを見つつ言ってきた

仕方無くコンビニ食べ物を買い、バスに乗る。

本当はクーポンを使い、ツイスターを食べるつもりだった。けれど「あれ等」と同じ空気を吸うのは耐えられない。

バスに乗ると、見覚えのある人が車内で話し始めた。特に挨拶はしない。

時間がまだあるので購買へ。PayPayを使うつもりだったが電子マネーは使えず。振り返るとスイカ対応自動販売機があった。

部屋に入ると、男性が会話していた。特に挨拶はしない。

女性の周囲には男性が5人いて楽しそうに会話している。

終了時刻が過ぎても解散を告げられず、時計をみやる。

バスに乗ろうと歩道を歩いていると警備員に叱られる。バスに乗るが乗客がうるさく、不快になり下車。

電車を降り、駐輪場女性男性に飲みに誘われていた。丁度私の自転車を挟む形で会話しそれを避けて自転車を出した。

帰宅すると、玄関の中に居るはずの犬が外に繋がれたままだ。

餌をやり、母親湿布を与え、本を読んでいると猫に邪魔された。

自分人生とは、何なのだろう。ルッキズム支配された男達が私を蔑ろにし、若さに喰らいつく。無視されるだけならいい。この社会意味を見失いながら腐敗していく。きっと、この次に会う人もそうして足蹴にするのだろう。私というアイデンティティ価値を見出す人がいない。このモラトリアムの中で唯一見出だせたもの、それがこの事実だ。

明日には生きている事を望んではいるが、明日とは昨日とは違う日でしかなく、今日世界の何処かは破壊され作り直されていく。価値を求めたこ世界は、増幅をやめない。

2023-03-14

anond:20230314184213

車輪の下なら読んだことあるけど、村上春樹小説を読んだ時と同種の金持ち坊ちゃんモラトリアム的な物に対する嫌悪感を感じたし共感0だったな。グダグダ下らないこと考えるお暇があって、やんごとなき人は羨ましいですねとしか

2023-03-13

ぼっちとろっくと真の孤独

モラトリアム期間に慣れ親しんだオタクコンテンツから離れて早10年。久々に時間ができたので話題の「ぼっち・ざ・ろっく!」を見ました。

驚きました。面白い

ストーリーギャグの魅せ方が上手い。作画クオリティが高くて、何より音楽が良い!これが現代アニメか……(「Hot knows...」 や「私の恋はメガラバ」みたいな二次創作が見当たらないところにも時代を感じました)。もちろん手放しで礼賛できるコンテンツなどこの世にはなく、作品独特の違和感矛盾存在します。それらのほとんどは「脱臭」の一言に集約され、きららコンテンツ宿命か、すでに論考がいくつも転がっていたので論をそれらに譲るとして、私がここで語りたいのは曲中歌の歌詞メロディーライン編曲クオリティの高さはリョウ先輩が天才からで済みますが、ぼっちちゃんが悩んだ末の自分らしさにしては歌詞踏み込みが足りない。経験裏付けされたリアリティがない。フレーズがふわっとしていて、今の流行りにおもねったファッションみを感じる。真のぼっちは、ロックは、孤独は、そんなものではないはず。

久々に孤独に浸りたくなったおじさんが、酒に酔った勢い自分の好きなぼっちな曲を残します。おじさんは自分語りが宿命なので仕方ないね。なぜ全てボカロ曲か? 10年前の孤独オタク友達がいないのでロックを知る機会がなく、ボカロしか聴かないんです(偏見)。

ああああああああああああ

https://w.atwiki.jp/hmiku/pages/25096.html

作詞:nyanyannyaさん

ぼっちちゃんぼっちをこじらせてリスカしだしたら書きそう度:★★★★

結束バンド演奏してほしい度:★

さっそくロックではない曲から紹介。ほぼ同名の梨本Pの曲とは別です。どっちも知らない? 10年前寝てました? ぼっち精神が崩れるし、不健全オタクなので、自分の気に入った自傷フレーズメモして歌詞に並べてしまます偏見)。厨二病感あふれる歌詞の中で最高に孤独を感じる一節が

『生まれる以外何か悪いことした?』

彼女(彼)は自分なりに他人迷惑をかけないように人生をかけて頑張って、努力して、その終点がこれだったのでしょう。作者の生き様が透けて見えるところがお気に入りです。「善いことをしてきたはず」というエゴが、最高に孤独ですね。

かなしみのなみにおぼれる

https://w.atwiki.jp/hmiku/pages/25140.html

作詞:Neruさん

陰湿いじめにみまわれたぼっちちゃんが書きそう度:★★★

結束バンド演奏してほしい度:★★★

作者のNeruさんは「ロストワンの慟哭」や「脱法ロック」が有名なのでみなさんご存知ですよね。知らない? 初等教育受けました? ぼっちは常に厨二病で、人から見られることを気にする自意識過剰な異常者なので、人生劇場に例えがちです(偏見)。人生の一番底感あふれる歌詞の中で最高に孤独を感じる一節が

教室の隅で読書をする 凛とした長髪のあの子は 僕が恋してると囃し立てられて いじめに遭いました』

歌詞基本的抽象的・婉曲的なのに、ここだけリアリティが突出しています。これ絶対作者の体験談だろ。いじめた方かいじめられた方か、傍観者か。ぼっち社会無関係でいることすら許されない。他人が傷つけられて自分が傷つき、孤独を深めていくところが最高に孤独ですね。容姿端麗な作中のぼっちちゃん絶対に書かない歌詞ですが。

ヤンキーとぼく ~人格形成ニ難アリ~

https://w.atwiki.jp/utauuuta/pages/3300.html

作詞:薄塩指数さん

田舎育ちのぼっちちゃん(男)が書きそう度:★★★★★

結束バンド演奏してほしい度:★★★★★

ここでいきなり重音テト(≠ボカロ)曲を紹介。UTAUジェネリックボーカロイド死にたいようだな? ぼっちは常に社会弱者で、虐げられているのに反抗できない精神弱者なので、いじめエピソードに事欠かない(偏見)。色とりどりのヤンキーヘイトの中でも最高に孤独を感じる一節が

法律が許すのなら 何度だって殺してやる 大げさに聞こえるなら 君は今も理解ってない』

「怒ってない」から「許されてる」わけではないのは作中の歌詞のとおり。前段だけなら「ファッション孤独」でしょう。後段の独特な凄みがこの歌詞真骨頂。加えて1:36から歌詞はとても辛くてとても好きな歌詞なので、ぜひ動画確認してください。

ぼっちになれたら

結局のところ作中のぼっちちゃんは設定上、いじめや「病み」と無関係美人さんなのでこんな歌詞は書かないでしょう。ただ、歌詞はもう少し、作詞者の「ぼっち」な実体験、言ってしまえば「こじらせ」がにじみ出た方が好みです。私の。ちなみに私が結束バンド10年後に歌って欲しい曲は「ナンセンスの塊」(はるふりさん)です。

https://w.atwiki.jp/utauuuta/pages/3699.html

もっと孤独を感じたいので、みなさんの好きな孤独歌詞があればジャンルに関わらずどんどん教えて下さい。「生きてる」を実感しましょう。

2023-03-08

anond:20230304145950

Core30から脱落した最大手斜陽メーカー研究職だったけど、ホワイト薄給なのが知れ渡りすぎて、モラトリアム気分の働く気がないやつばかり入ってきてたな。判断ミスって入った優秀なやつもちらほらいたが。転職は老若男女関係なくしまくってるから、もはやZとか関係なし。

2023-03-07

根本的に人間としての能力が平均層より劣り

その劣等感から思春期の歪んだモラトリアムくる全能感をから脱却出来ず

かといって、他人から褒められる等の成功経験が無いので成長も出来ず

自分他人より劣っている事実を受け入れられず

何かを成し遂げる事で自己確立することもせず

他人攻撃することしか出来ない

2023-03-05

anond:20230305212134

新卒簡単に取ってくれるものでもないし、モラトリアムとしてのJTCの選択肢は捨てたものでもないよ

2023-02-25

現実逃避

小学生

掃除時間寺島から人生で初めて「サボる」という選択肢を教わる

塾をサボりチャリで片道10kmほど走りイオンモール時間を潰す

中学生

部活サボり駅前マックアイスコーヒー一杯で半日読書に耽る

高校生

部活サボりブックオフでウシジマくんとかプンプンを読破する

海を目指して立川辺りから多摩川沿いをチャリであてもなく下るも世田谷辺りで諦める

高尾山に登る

夜中にこっそり家を出て近所の公園東屋でボーッとする

大学

講義サボり終電江ノ島上野公園へ行って夜通し歩き回ったり、ミッドナイトショーをハシゴしたりして始発で帰る たまにサウナに泊まる

夜な夜な多摩川河川敷へ出掛けてトランペットを吹くか夜釣りをする

聖蹟のゆうひの丘で音楽を聴きながら一晩中ボーっと多摩夜景を眺める

こんな事ばっかしてたか菊次郎の夏とかスタンド・バイ・ミーみたいなロードムービーが滅茶苦茶突き刺さるし、思春期モラトリアムを描いた作品が好きで好きでたまらない

2023-02-19

退職D進で必要だったこ

退職して地方国立大学博士課程に進み、今春博士課程取得予定の者です。

巷を見ていると社会人博士は多いですが、退職して(企業後ろ盾なく)D進する人はあまり見なかったので情報共有しようと思います

追記サンプル数=1の標本なので、過度に一般化しないでください。他の退職D進事例を並べて読むことをお勧めします。

お金

お金はどうしても必要です。あなたが親に支援してもらえるならここは読まなくていいです。

私の場合、頭金約100万円必要でした(入学費+前期学費で60万円程度+引っ越し+半年分の生活費)。東京or大阪だと税金住民税+国民健康保険費)や家賃が高いため、200万円は見たほうがいいと思います私立大なら更にこの倍は見たほうがいいかと(あなた家族持ちの場合は、さらにその数倍は必要に思えます)。授業料免除積極的活用すべきですが、入学費と前期学費免除は難しいです。これは、所得課税証明書源泉徴収票)に前年度の社会人としての収入が記されているためです。

入学後もバイトしないと生活は維持できません。私は授業料免除+日本学生支援機構奨学金+TAティーチングアシスタント)をフルに使い、かつ週3(15時間)バイトしてトントンでした。確定申告して気付くと思いますが、収入が非課税ギリギリで同世代の1/5くらいになります比較して心を病まないように。

学振(DC,PD)は期待できません。社会人から研究持ち込みのパターンでは、ツテもコネもありません。博士に入る前に受け入れ先の先生とよく相談して、研究計画を立てて狙うのが良いと思います

そもそも地方国立大学学振はとれないと思った方がよく、採択されなくても落ち込むことはないです。とれたあなた、相当優秀です。)

研究

おそらく、博士取得のためには論文誌(ジャーナル)X本、国際会議Y回発表というノルマが課されていると思います。それを入学前に確認した方が良いでしょう。なぜなら、論文査読から採択・掲載まで半年持っていかれることはザラにあるため(分野によります)、それを見越しておかないとノルマを達成できないということが起こりえます

旧帝大クラスではX=3が多く(分野によります)、課程博士(3年)の場合は年1本のペースで論文を書かねばなりません。博士スタート場合修士からエスカレーターと比べハードルが高いです。博士に入る前に論文ネタを1本準備しておくなどの対策必須でしょう。

研究室に入った段階で自分研究デザインが出来上がっていたほうがよいです。学振を書く際に必須になりますし、博士審査でもその点は何度も聞かれます

就活

研究所に入る場合先生就職事務相談して空いてる研究ポストがないか探すことになります研究採用一般オープンではないです)。年度末ぎりぎりまで採用が開かれているので(今でも面接しています)、諦めずに頑張りましょう。面接では研究内容を発表する機会が多くありました。自分研究内容をまとめたスライドを作っておくと良いでしょう。

民間企業就職する場合あなたの扱いはおそらく第二新卒になります就業年数にもよる)。新卒というくくりですが、面接では中途とほぼ同様の問答が起きます。たとえば「どうして前の企業をやめたのか」、「なぜ博士に入ったのか」、「あなたのできるスキルは何か」、「前の企業で公にできる成果物はあるか」、「あなた研究は弊社の何に役立つのか」はほぼ確実に聞かれます。このあたりの回答ははっきりさせておくと良いでしょう。職務経歴書の準備も必要です。

中小企業にとってはあなた存在は重く、採用を渋られることが多々あると思います。めげずに頑張りましょう。また、インターンシップの参加は絶望的と思った方がよいです。私は1つも受かりませんでした(私の能力がないだけかもしれません)。企業立場になって考えると、一度社会に出た者にインターンさせてどうするの?というのはあると思います

体調管理

課程は一般的に3年の長期戦になります。体調管理に気をつけましょう。

リタイアした人は、ほとんど精神を病んで大学に来なくなる(連絡も取れなくなる)パターンを踏んでます対策としては、よく先生友達)と連絡をとる、研究以外の趣味を持つ、散歩でもいいので運動する…くらいしか思いつきません。

論文査読審査ではあらゆる点からときには理不尽な)攻撃を受けるので、そのディフェンス能力が試されます博士課程はそういった精神・体調面でも試されていると思います

最後

博士課程は逃げ場や遊び場ではありません。モラトリアムの延長と思って入ると審査で弾かれます

一度博士課程に入ると、あとは自己責任になります先生はある程度の所まで(課程取得のために)サポートしてくれますが、限界があります

退職D進を検討している方。本当に退職して問題いか研究分野が好きか、博士を取れる見込みがあるか、よく考えてみてください。

2023-02-17

anond:20230217011721

それは学生側ってより大学企業側の問題だと思うけどなー

大学って実学的要素が薄くてモラトリアムの延長機関なんだもん

それに企業学生大学で得た知識能力を活かすことができないしね

まあこれ言うと文系ゴミとか言い出す先鋭化された人みたいになっちゃうけど

ブクマカはすぐに「大学就職予備校じゃない純粋に興味と好奇心探究心で学問を学ぶ場だ」的なズレた綺麗事言うけどさー

じゃあなんで企業趣味のために借金した使えねー大卒にその借金考慮した賃金払わんといけんの?

これが例えば趣味パチンコで負けまくって借金してますってやつが会社に入って

「俺が借金返せて子供不自由なく育ててそいつ趣味借金できるだけの賃金払え」

って言ってたらこいつ頭おかしくね?ってなるだろ

モラトリアム真っ最中のガキみたいな気持ち悪い綺麗事言ってないで

高等教育は広い意味社会還元可能な学びの場でありそれを企業活動にも活かせるから適正な賃金を払うべきって言えよ

それ言えないなら黙ってろ大学出ただけの無能ども

大卒がアホだと思われること増えて恥ずかしいわ

2023-02-16

大学無償化よりも

小~高校で習熟度に応じて在学期間を短縮できるようにしてくれんかな

在学期間が短ければ教育コストも下がるし

優秀なら若くして専門分野の研究ができるしモラトリアム謳歌できるじゃん

本人の意思にもよるが就労タイミングによっては財産も作りやすいし早期結婚もしやす少子化にも効くんじゃ

2023-01-24

青春」と言って真っ先に思い浮かぶのは、幼さ故の無根拠な全能感と大人に近づく中で未だ何者でもない焦燥感が入り混じった感情が、時の流れで脚色されたそれはそれはエモーショナル情念

から青春作品」でパッと思いつくのは『桐島〜』とか『ピンポン』とか。ナイーブだけど人生の中核を成す大切な悩みと真摯に向き合えるモラトリアムを描いた作品が好きすぎる。『スタンド・バイ・ミー』みたいな逃避のロードムービーも最高だね。

でも映画なり音楽なり、ポップカルチャーを見渡すと、(勝手イメージが多分に含まれる気はするけど)「青春」と来れば爽やかな恋愛をしただとか、逆にできずに暗黒だったけどそれなりに楽しかったとか、それなりの楽しさすらなかったとか、とにかく恋愛を軸に二元的に語られるような気がする。恋愛こそが自分の思う「青春」を感じられる最たるなものなのかもしれないけど。

後ろ暗い青春バイブルとして銀杏なんかはよく挙げられると思う。これも非モテ恋愛テーマ。まあ彼らも童貞ソングだけではないけど。暗くもエモーショナル青春を愛するオタクくんならゴイステ/銀杏は通っておかないといけないような気がしたけど、なんだかあまりさらなかった。

同じくオタクくんなら愛すべき感のあるナンバガOMOIDE IN MY HEAD今日初めて聴いてみた。歌詞が全く聴き取れんから調べてじっくり読んだら、何故だがどうしようもなく自分の思う「青春」を感じた。夜中にこっそり家を出て目的もなくフラフラ歩き回ってた個人的経験歌詞の断片的な要素と結びついたのかもしれない。それが当時抱いてたそのままの感情を掘り起こして、無性に心が掻き立てられたんじゃないかと思う。

2023-01-20

anond:20230120195413

職業学校卒の労働者が黙々と働くなか、ギムナジウムを乗り越えた途端に勉強しなくなり、税金で色々な大学編入しながら授業だけダラダラ受けて7、8年はモラトリアムを過ごす大学生が大量に発生する国があるらしい。しかギムナジウム以前の選別で落第した人間高等教育を受けることはほぼ不可能

やはり敗戦国の末路やね

2023-01-15

anond:20230115175139

そうなんだよな、中卒の知識で実は全然働けるという

でも結局、高校大学までモラトリアムの中で学べる人間の方が評価されて高い階層に落ち着きやすいし、実際モラトリアムを過ごせる余裕が人格面にもプラスに働いていることが多い

から学歴が結局、進学できない程余裕のない家庭出身者を振り落とすフィルターとして働いてしまっているのが問題で、かつ改善余地のない状況なんだよな

2023-01-03

令和版『うる星』をアマプラ再生して、2秒以上、直視できなかった

令和『うる星』をアマプラ再生したけど、2秒以上、直視できなかった。

これは原作コミック押井テレビシリーズ劇場版をひととおり見たうえでの話。完全に拒絶反応が出てる。

なぜなら、あれは時代の産み落とした作品で、あの空気感をそのままアニメにするのは、もういくらなんでも無茶だと思ったから。懐古趣味にしても中途半端だし。それだけに『ビューティフル・ドリーマー』は、とても重い作品だった。あれは原作モラトリアムを完全に拒否たから。それで押井守がシリーズ途中で降りてからも、建前としては「るーみっくモラトリアム」が続くわけだけど、その呪縛の中でドタバタもがくキャラは見るに堪えず、痛々しく思えた。

から自分は、やまざきかずお版『うる星やつら』をあまり見る気にはなれなかった。もちろん、その延長線にある令和版『うる星』も。絵はきれいだけど、すごい違和感不快感が出てくる。

手垢にまみれたことを言うけど、それだけ『ビューティフル・ドリーマー』は、最終兵器だったと思うし、罪ぶかい名作だったと思う。

さっき「うる星リメイク話題にならず、ぼっちバカウケしているこの時代思春期を過ごしたかった。生まれ時代を完全に間違えた」という年配オタと思わしきツイートを見かけた。それで自分が思う違和感が分かった気がする。

前提として、アニメキャラは「虚構」に過ぎない。80年代は、そんな「虚構」に埋没して「遊ぶ」ことを発見した時代だったのだと思う。だから80年代無意味能天気キャラ表象が求められた。

でも今の時代おたく文化メインストリームとして躍り出て、そうした虚構は、現実より重くなった。

から現実世界乖離した、るーみっく世界観は受け入れにくくなったのかもしれない。ならば、完全に虚構か、現実に振り切れるかしかない。

話を戻すと、やまざきかずお以降の『うる星やつら』にある違和感は、(個人的偏見だけど)形を守ることに汲々としてて「キャラ蝋人形みたい」だからだと思う。そして令和版うる星の不人気さも、ここいらへんにあると思う。

もはや、誰も感情移入してない。というか、する気力にならない。興ざめもいいところ。つまり、40年を経て良くも悪くも、この手のキャラの魅力が、減価償却したといえる。

結論

うる星、昔は好きだったけど、もう完全にオワコンだと思う。それは「役目を終えた」という意味で決してマイナス意味ではない。ただ、コンテンツとしては、もうお金タンマリ稼いでくれるようなものではないだろう。うる星ほど人気のあった作品が『ルパン』や『コナン』になれなかったのも、そのへんに理由がありそうだ。

コメント補足】

>「ちゃうねん。 令和のうる星やつらはいわば水戸黄門みたいなもんで、オワコンなところに価値があるんや。」

そうか。なるほど。ようするに『サザエさん』のようなテンプレートアニメだと思えばいいのかな。

>「何歳だよ、、、棺桶から増田アクセスしてんのか?」「老人オタクってこうなるんだな まだビューティフルドリーマーって言っとる」

25やで

>「無条件でラムちゃん可愛いからそれだけでもいいじゃん!でも1クール後半から密度濃くなってきて最初紙芝居みたいなのとは比べて良くなってきてると思うよ。1クールの中でも「黄色リボン」「君待てども」「君去りし後」は好きだなあ。面白いの感じ方は人それぞれだけど、なんかサンガツ。気に入ってくれるところがあるといいな!」

サンガツ!旧作でも名作だし、その回は見てみようと思う。

***

http://blog.livedoor.jp/qmanews/archives/52301669.html:くまニュース 2023/01/05

http://blog.esuteru.com/archives/9988702.htmlはちま起稿 2023/01/06

まとめサイト転載されてた。名無しのコメントで納得いったものを載せておく。

61. 名無しさん2023年01月05日 15:37

知り合いで、前のアニメ化の時からずっと押井テイストアニメじゃなくて原作雰囲気再現したアニメ版が観たいっていいつづけてた知り合いがいて、令和版めっちゃ楽しんでる。

元増田はその逆で、原作雰囲気とかどうでも良いって思ってるんだろうね。

66. 名無しさん2023年01月05日 15:51

※61

今更80年代原作雰囲気アニメでわざわざ再現することにコンテンツ縮小再生産以外のどれほどの意味があるって話でないの。

まぁ、なんだかんだ楽しんではいるけど、完全に懐古趣味ファンのための作品だろうし、若い人は食いつかんだろうなって少し冷めた感じはあるわ。

67. 名無しさん2023年01月05日 15:55

ビューティフルドリーマー永遠に続くモラトリアムとの決着をつけたって意味じゃ、アニメ版の最終回とも取れるんだよな。

あれ以降まだドタバタを続けているキャラたちに冷めた目を向けるってのはわからんでもないし、それに対して怒るファンがいるのも納得できる話ではある。

555.はちま名無しさん 投稿日:2023年01月06日 15:23▼返信

時代に合ってない。あの頃だからウケたんだよ。

それを今掘り返しても、共感は得られない。

企画した奴が無能だったという話。

ルパンの子時代もそうだ、誰も求めてないし見たくもない知りたくもない。

669.はちま名無しさん 投稿日:2023年01月06日 16:31▼返信

これはどうリメイクしても駄目だろ。

ビューティフルドリーマーが致命的すぎる。

ドラクエ5映画と同じだよ。

「すべて仮想現実の話でした!」って言われた後で、

もう一度最初から見たいと思わんだろ?

716.はちま名無しさん 投稿日:2023年01月06日 17:04▼返信

うる星ほど人気のあった作品ルパンコナンになれなかった」

これすごい腑に落ちた。

何が腑に落ちたのかもよくわからんけど、

この1文で何故だめだったのかの理由が納得いった。

773.はちま名無しさん 投稿日:2023年01月06日 17:39▼返信

ビューティフルドリーマーこそ過大評価

まり信者が持ち上げるものからどんな物か見てみたが、終始押井のオナ〇ーと高橋留美子原作否定に掛かってるようで見てられなかった。

ありゃ高橋留美子激怒するのも当然だわ。

押井原作からリストラされたんだから押井信者もしゃしゃり出て来ないで欲しい。

786.はちま名無しさん 投稿日:2023年01月06日 17:45▼返信

※773

ただ、ビューティフルドリーマーがあの時代唐突に現れた

アニメ史の中の転換点とも言える強い影響力を残してしまった作品なのも事実

あれで後に多くのアニメ特撮ラノベ業界に関わるようになる人間たちを生み出し

彼らの心に強過ぎる爪跡を残してしまった呪い作品でもある

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