はてなキーワード: メンタルとは
おう。V豚に何言われてもなんとも思わん位にはメンタルも育ったわ。
40代になって狂いたくない独身おっさんは30代くらいで寝る間も惜しんで仕事に打ち込んで精神を壊しておくといいよ。うつになると感情の起伏がなくなって、性欲も物欲も趣味もなくなるし、仕事でメンタルを止むような弱者が異性から選ばれる訳が無いと言う諦観も生じるから、異性に対するギラギラした感情もなくなる。狂う理由がなくなるから狂わなくなる。狂いたくない独身おっさんは30代のうちにうつになれ。
最初は戻って来れてよかったねそこまでの状態にさせてごめんね……と思ってたけど最近はもう辞めてくれと思い始めてる
以下怨み
・最初はなんと2時間スタートでちょっとメール見て掃除して帰る→まあ最初はそんなもんかそのうちフルタイムに戻るよね……と思ってたけど1ヶ月経ってもまだ3時間しか働いてない このペースでフルタイム勤務に戻れるのはいつなのか
・11:00定時で11:02になると帰る 仕事を残して もう5分無理かな……??
・本人はすごくやる気やります!!!!って言ってる 何なら休み始めて一週間後にはやる気あります!!!って言ってた じゃあ休むな
・就業時間前にTOEICの本を見てる TOEICより覚えることいっぱいあるでしょ!!(英語使う仕事じゃないし)
・雑用ばかりなのが嫌成長したいと訴えたため、雑用は任せられず楽しくて責任のない仕事(の手伝い)ばかりする そりゃ誰もがそういう仕事したいよ……そしてあなたが雑用と思ってた仕事すら覚えれてなくて1人じゃ何もできないし
・休む前に一緒に働いてた先輩をパワハラと訴えた むしろ出来が悪い後輩を一生懸命教えて優しいな〜と思ってたわ あれでパワハラ認定しちゃうのか……
・教えられたことさえ記憶から抜ける そしてえ?聞いてないですけど?という態度をとる
・基本的に全てのことに対して指示されてないのが悪いというスタンス なぜそのメンタルなのに休職することになったのか……
・その日まで締め切りの仕事ができてないのに帰り、次の日すみませんできてません!!と言ってくる なぜ帰る こちらが肩代わりするからできてないことだけでも教えて
学生時代から首・肩・腰の痛みに苦しんでいた。氷河期世代で何とか見つけた就職先では連日連夜の残業から来る首・肩・腰の痛みを発端に体調を崩して30代の記憶があまりない。整形外科で首や腰を牽引したり、温熱療法を受けたり、痛み止めを飲んだり、湿布を張ったりしても効果は一時的だった。処方される湿布は年々価格が上がり、サイズが小さく、枚数が少なくなった。痛み止めの薬もいつの間にかジェネリックになり、リハビリテーションも理学療法士がいなくなり、器具のスイッチを入れるだけのアルバイトに替わってしまった。職場では最近後輩が二人目の育休を取得、仕事の負荷が増してついに肩が上がらなくなった。さらに期待の若手が大企業に転職し、残業がエンドレスになり腰の状態も悪化、メンタルも危うくなってきた。整形外科の先生に痛みとつらさを訴えると、笑顔で「五十肩だね。加齢現象だからしょうがないね」と言われて絶望した。
藁をもつかむ思いで近所に住む義兄が勧めてくれた整体院に行ってみた。地元民でもそれが整体院だとは気付かないほどの地味な外観で、立地が良いわけでもなく、保険も効かないので毎回安くはない施術料を払う必要があるが、リピーターが多く一か月前に予約を取らなければならないそうだ。その施術が魔法ではないかと思った。長年苦しんだ痛みが一回の施術で楽になった。神経の反射を利用した手技らしいのだが、手や足を持って動かすだけで、強い力を加えるわけでもなく特別な器具や装置を使うわけでもない。技術の伝承はすべてその術式の創始者からの口伝に限られており、背景にあるはずの科学的な根拠を記した書籍なども皆無であるにも関わらず、プロのスポーツ選手や医療従事者なども施術を受けに来るそうだ。自分は理系の大学で勉強をして科学の知識はある程度持っていたつもりだったけど、この歳になるまで自分の痛みの癒し方すら知らなかったことに驚いた。
もう一人は二十歳で自殺
二十歳で死んだ人は「この先生きててもつまらないから死ぬね。今までありがとう」みたいな軽いノリの遺書を残した。20歳まで生きたのは親へ「一応20歳まで生きたよでも結局ここまで生きても死にたくなったから死んだよ」ってメッセージだと思う
個人的には独身なら死んでもいいだろと思ってる。迷惑かけるとしたら親だけど、親には子供が自殺するような人生にした責任があるから親は死んだ子供に文句言えない
既婚や子持ちは家族や親族に迷惑かけるから自殺してはだめだと思ってるよ。配偶者、子供に迷惑かかりすぎ、無責任すぎるし、自死遺族になってしまったらメンタルにも影響がでる。
何シーズンかぶり(トレーサーのファンタジー風エピックスキンの頃以来)に復帰してライバルプレイを回しているが、TANKdiffだの、モイラやめろだのチャットが飛んでくる。メンタルブロンズの俺はそんなチャットを結構引きずる。
確かに俺は上手くはないが、どう考えても俺だけの責任じゃないのに目につきやすい敗因(のひとつ)をあげつらって指摘してくる。
今負けたのは本当に俺と敵タンクの差だけか?俺がモイラを出してダメージ量とヒール量が同じくらいだから負けたのか?
俺がモイラでフランカーの真似事をしなきゃいけないのは俺のヒールが足りないからか? 相方のキリコのダメージ量が3桁なのは指摘しないのか?
敵タンクを抑えながら高台のヒットスキャンを潰し、味方サポートを守りながらエリアを広げれば勝てるんだろうが俺には無理だ。
ウィンストンが突っ込んだ敵に追撃してくれ。
ピンを立てないならピンに従え、従いたくないならピンを立てろ。
敵ドゥームが暴れてるのにウィドウとアッシュから変えないのは何故だ?
早くちゃんとしたオーバーウォッチがやりたいが、キャリーするほど上手くはない。でも早くここから抜け出したい。
現状ストレス8割楽しさ2割くらい。こんなレートで停滞してる俺に腹が立つ。
まるで俺が足引っ張ったみたいなチャット飛ばしてきたお前、復帰した俺と同じレート帯だぞ。
ゴールドでウロウロしてるお前にタンクの良し悪しなんか分かるか、敵が俺にずっとフォーカスするのは何故かよく考えろ。お前にはライフが250もある。
リグループしろ、フォーカスしろ、ピンを立てろ。何もうまないクソみたいなチャットをやめろ。
オーバーウォッチをやってくれ
Netflix見てる人はほぼ100%同意してもらえると思うんだが
韓国ドラマは日本ドラマより面白い。もはや太刀打ちできないレベル
根拠を4つほどある
アニメにもその差が出てくるだろう
女性が戦闘する系のアニメであれば戦闘力は高いんだけど、内面に弱さがあったりどこかか弱い箇所がある
洋画の女性ほどではないけどね(今の洋画の女性は口でも力でも男をボッコボコにする)
海外にウケるのは強い女性だと思うので、日本の価値観では遅れをとると思う
ヒロインがピンチになるとか、こいつ絶対裏切るやつやんとか、捕まってもどうせ死なないんだろとか、ど定番展開が多い
韓国ドラマは話数が多いのもあってか、意外性がある
他でランキング入りしたのは終末のワルキューレ、わたしの幸せな結婚、ゾン100だ
この国内人気と海外人気のズレは、世界進出に向けて大きく足を引っ張ることになると思う
韓国は先に述べたように、でるドラマがバンバングローバルランキングに載るので、
志向のズレは少ないと思われる
そいや昔増田でかまってちゃんで祝って―っておねだりしたなって思ったらちょうど10年前だった
20代に比べたら30代はいろいろあったなあ
メンタルやんで長期間休職もしたしその途中で無意識で自殺未遂もしたけど最終的になんとか復職できたし
でもいまはそんなお世話になった会社も給料のびないなーと思ってなんとなく転職も考えたりする
相変わらず独り身
髪は少し減ったなー
10年後、まだいきてるかなあ
次はアラフィフかー
でもなんだかんだあっというまなんだろうなー
人生ってほんとはかないわ
世の中には美容を頑張ってる、筋トレがんばってる、子育てがんばってる、仕事頑張ってるみたいな気合いいれてる女子の動画もたくさんあるけれども
ずっとがんばってる、努力している人ばかり見ていると私のメンタルが疲れちゃうので
エミリンのダイエット本を出した後にリバウンドしているゆるい感じはなんとも心地いいのである
岡田斗司夫だってダイエット本出した後リバウンドしてるけど楽しそうに笑って生きている
みんなYouTuberに厳しいなと思う
エミリンを叩いている人は体型が細くて化粧がうまくて、自炊をがんばって、仕事もこなしているのか??
お前たちは完璧なのか??そんなに完璧な人間が見たいなら違う女YouTuberの動画を見ればいいのになんでアンチするためにわざわざ嫌いなYouTuberの動画を見てるんだと突っ込みたい
近しいところだと自分、妹、姪っ子。
でも自分はメンタル不調でカウンセリングには通ったが薬は飲んでないので、鬱と言っていいのか悩む。妹と姪(別の兄弟の子)は医者通いしてるので本当に鬱。
勉強や運動やコミュニケーションができなくてもゲームが得意だから自分はプロゲーマーの素質がある。みたいに思ってる奴。
実際のプロゲーマーは大卒が多いし長時間ゲームプレイするために筋トレしてるし配信で色んな人と絡んでコミュ力が高い。
ゲームに限らず一般業務も最近は自分の短所を克服しようとせず好きなことだけが長所だと思い込んでそれだけを伸ばそうとして短所が求められる場所は自分に合わないだけ、自分に合う場所が必ずあると勘違いしてる。
短所を求められて上手くいかなかった時ネットで相談したり同じ悩みに当てはまる記事を読んで提示される解決策が「合わないと思ったら逃げて良いんです。必ずあなたに合う場所があります」という答えを見てしまうから。
無いぞ。お前に合う場所。
社会は調和で成り立ってる。そして何かに秀でる人間は総合力が高い。
よくスポーツが出来ない陰キャが「運動神経良い奴は脳筋のバカw」と言うけど実際どんなスポーツでも頭を使うからバカじゃ成果は出ない。
単純に筋トレですら効率良く鍛えるために勉強して知識量が多い人ほどマッチョになりやすい。
最近はサッカー部や野球部の陽キャより陰キャの方が勉強の成績が悪いバカが多い。
昔は娯楽があまりなかったからスポーツが苦手な陰キャは実生活が充実できず勉強で見返してやると思っていたからオタクっぽい奴=ガリ勉というイメージがあったけど、
最近じゃソシャゲやPCゲームのオンラインで手頃に承認欲求と自己肯定感を得られる。
その流れで陰キャは勉強もスポーツも出来ないけどゲームは得意だからプロゲーマーを目指すとか言い出す。アニメを大量に見てるから声優を目指す、アニメ絵が好きだから絵師を目指す。
なれないよ。
プロゲーマーは前述した通り頭の良さ、身体の強さ、コミュ力が必要だし、声優も今じゃ総合力を求められる。絵師も売れるためにマーケティング戦略を考えられる計算力と身体とメンタルを維持するために鍛えてる人が多い。
最近は苦手なことはやらなくて良いみたいな風潮あるけど全くそんなことはない。総合力を上げて平均パラメーターを上げた上で自分の能力を特化させないとプロとして場違い。
上川外相の発言「うまずして何が女性か」だけど、メディアの取り上げ方がヘンだという、当たり前のことを、
生みの苦しみという比喩として昔から成立している表現を、まさしくそのような用法で発言しているにもかかわらず、マスコミは一体なんなんだ。
候補の当選によって新たな知事を誕生させたいとの思いがあったとみられるが、出産を願ってもできない人への配慮に欠けるとの指摘が出る可能性がある。
一連の報道で、とても気になったのは「XXへのへの配慮に欠けるとの指摘が出る可能性」という表現。
こうして、「出産を願ってもできない人」というグループを示唆することで、それらが何かしら傷つきやすいメンタルを持っているという、配慮を要する人々としてイメージを固定してゆくのがとても気になる。これは発言の曲解よりも根が深い。(補記:なかなか伝わりにくいかもしれないが、以下で提起している問題は、<ある表現がいかに配慮に欠けるか欠けないか>ではなく、<ある表現が配慮に欠ける>というふわっとした規範的な圧力が、社会的包摂性とか社会経済的な脆弱性の分析を置き去りにして、主に政治的に利用されることの問題点だ)
実際には、出産を願ってもできない人々というのは多様だ。みんないろんな事情があるんだよ。
単に適齢期を過ぎているだけとか、仕事と両立したいなどの理由で機会を逸している、とか、あるいはそもそもパートナーに出会えないなど、
要するに、ないものねだりをしている場合だってある。経済的な問題で躓いているひともいるはずだ。
じゃあ、逆に「出産を願ってもできない人」というカテゴリーにはそういう社会経済的弱者は入りませんよ、というのかね?
体や心の障害に起因して、ある意味、病理的な意味で、出産ができない人を指すのだと定義したりしてしまう?
そうすると、今度はむしろ、健常ならできるはずのことができない人々は悔しいと思っているに違いない、かわいそうだから、産むとかそんな言葉に触れさせないよう配慮が必要っていう、潜在意識がますます透けてくる。
でも心身の問題で出産できないというのを、自分にはいかんとしもしがたい宿命的なものして捉えた場合、
それって社会経済的な理由で出産できない場合と実際のところ、地続きだと思える。
例えば、親の介護など家庭の事情で適齢期を逃した人がいたとするよね。それってその人にとっては、自分の意思で選んだわけではなく、自分にはどうにもできなかった、そういう運命だったという意味では、病理的に出産できないという宿命とさほど変わらないようにも思うんだよね。
「出産を願ってもできない人」
産みの苦しみとかいう表現を嫌がるような、そういう配慮を要するグループがあたかも存在するかのように、それを空気のように記事するマスコミのほうが怖い。
障害者や病人ができなそうなことを比喩的にでも表現するのは彼らを傷つける行為だとする空気をまん延させることは、「そういうカテゴリーの人たちを可哀そうだと思うべきだ」とする社会規範を空気として押し付けてくることだ。
そこでは、知らず知らずに、どこまでが可哀そうなグループで、どこまでが身から出たさびとみなすグループなのかの選別が空気として形成される。
実際には、よくよく考えると、どこからどこまでが配慮を要する、などと到底割り切れるものではない。誰かを傷つけるかもしれない、と配慮することはそのイメージから漏れた人を知らず知らずに排除することでもある。その意味で、病理的な意味で出産ができない人に限定して、「出産を願ってもできない人」というイメージを作り上げるなら、それは差別的ですらある。その場の雰囲気で、発言の文脈をよく考えずに配慮を求めることで、逆に、特定のグループを過度に保護し、そのグループを弱者として固定化する結果を招きかねない。
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これなんかも、「受験生」の感受性因子(susceptibility)を過剰に捉えていて、おかしなことになっている。
「出産を願ってもできない人」なんていうふわっとしたイメージは、そもそもそんなに必要かね?
これは、戦時中の、「兵隊さんご苦労さん」っていって兵隊を敬わせて背中を押し、銃後の守りを頑張らせようとするのと近い話で、マスコミは世間の空気をつくることができるのだから気を付けてもらいたい。
「配慮に欠ける可能性がある」という、世論を規範的に誘導する表現は、プロパガンダとしても機能してしまうので、正直、よっぽどのことがない限り使ってもらいたくない。
必要だとすれば、なぜ必要だと認識しているのか、マスメディアにはよくよく考えてもらいたい。
言論空間を浄化して、きれいな発言だけをすればいいというものではない。
浄化できるというのも幻想でしかなく、「女性なら生むべきだ」という固定観念を打破し社会的包摂性に配慮したつもりでいて、内実は単にステロタイプな別の固定観念が形成され、それが政治利用されることもある、ということも頭に入れておく必要があるだろう。
政治家の発言に過度な配慮が求められると、知らず知らずに本来の意図や文脈が歪められる恐れがある。
特に選挙に絡んだ発言については、妙な世論誘導に使われかねない。
自由な表現が妨げられることで、社会全体の健全な議論が損なわれることになる、ということの不利益をちゃんとマスメディアは理解しておくべきだ。