はてなキーワード: メンタルトレーニングとは
25年間生きてきて、色々なことがありました。
これから先の人生は大きく変わらないけど、自分の青年時代は自分自身の人格形成に多大なる影響を与えたと思います。
これからの話の説得力を増すために自分に起きた大変だったこと(不幸自慢)を少し。
・新社会人の時の上司が、会社でも有名なパワハラ男、今日もまた罵声が飛び交う
不幸自慢をしたいわけでは無いです。苦しいことは人によってレベルが違うわけですから、生きてるだけで苦しい人だっていていいんです。
私が語り明かしたいのは「苦しくても生きていく方法」です。
私もそうやって生きてきました。自分の考え方、メンタルトレーニングを最近やっと体系的に捉えてきたのでそのお話です。多くの「人生が苦しい」人と話してきて理解を深めてきたつもりです。もしかしたらもう、語られてることかも知れませんが、それでも。
◯悲しみ(苦しい気持ちの素となるものを悲しみと呼びます)は止めれない
「悲しい」気持ちの捉え方です。
例えるなら、美味しいご飯というのは
「お米」という純粋な素材と
「お米」の炊き方で生み出される
のと同じです。
要するに、悲しい気持ちがあったとしてもそれをどう捉えるかによるよねということなんですが。ただそれだけです。
という考えのもと、すごくすごく大切なのは「悲しい」気持ち(以下、感情と呼ぶ)は抑えることができない自然発生的なものだと言うことです。
例えば「誰かに叱られる」、「家庭が崩壊する」ということはどう考えても悲しいことです。こういうことが起きて感情を止めるのは不可能です。どうあがいても悲しいし、感情を無視しようとしても夜になれば思いだします。枕に叫ぶのは気持ちいいですよ。もしあなたがメンタルトレーニングしていなくて無防備にその感情に心を晒せばすっごく苦しいと思います。
じゃあどうするのってことですが、自分の中の感情君を別のものと捉えるんですよこれが。
「あ、今自分悲しいんだな」って第三者の視点から捉えましょう。これを私は『感情の外部委託』と呼んでいます。
第三者の目線から自分の感情が分かれば、あとはそれをどう処理するかです。
それでも泣きたければ泣けばいいし、まあ悲しいだけかぁって思えれば無視すればいいし。
世の中悲しいことからは逃げられません。ストレスはなくなりません。でもそれはあなた自身を直接傷つけることはありません。
冷静になって欲しい、なんでよくわからん外野に傷付けられなきゃいけないんですか?
負け続けている。
「次負けたら終わり」と言われて結構経っているが、やはり負けている。
負けるたびにファンが減っていき、ずっと定額の小金を落としてきた俺が最大スポンサーになりつつある勢いだ。
応援し始めて、最初の頃は推しが負けるのが耐えられないほど辛かった。
辛すぎて実際の試合を見ず、結果だけを布団にくるまりながら見るという風になっていった。
そして恐る恐る結果を確認すると…
負けている…。
俺は悶絶した。
「やべぇよ…」という空気の中、カラ元気で「次はもう、本当に頑張ります!今から練習します!なので…応援よろしくお願いします!」という言葉がむなしく響く。
うん、そうだよね、次を考えよう!とコメントして定額課金。「〇〇さん、いつも本当にありがとうございます!〇〇さんのために頑張ります!」
うんうん、俺じゃなくていいよ。自分のために頑張ってと思いながらまた布団に入る。
そして来るべき試合。
布団の中で結果を待つ。
今度こそ…と思いながら結果確認→負けている…→頑張ります!→〇〇さん、ありがとうございます!
もしかしたら俺の定額課金が負けのジンクスなのでは?と思い、課金額を変えてみたこともある。
しかし。
負けている…。
こうなれば試合会場に直接行って応援するべきなのでは?と思い、有休をとってチケットを取って飛行機に乗り、いってみたこともある。
しかし。
負けている…。
そしてついに、推しの負けが我が事以上に辛くなり、仕事にも支障が出てきそうになった。
そこでメンタルトレーニングの本を買ったり、体験講座に出てみたりした。
アドラー心理学とか、認知行動療法とか、占い師のところに行くとか。
効果は抜群だった。
「他人と自分を同一化しすぎないこと」を学び、実践を通じて習得した俺は、推しの負けに心は揺るがなくなっていた。
占いはまぁ、毛嫌いする人も多かろうが、占い師というのはある意味で「他者と自分を切り分ける」プロフェッショナルなので、定期的にその切り分けテクニックを盗みに行っていた。
これがカウンセラーだと、自分の担当をとっかえひっかえするのは難しいが、占い師は一回数千年~1万円でいける。かなり勉強になった。お勧めはしないけど。
で、推しと自分の切り分けをなしえた俺は、揺らぐことなく推しの負けを受け入れられるようになった。
メンタルトレーニングの間も推しは負けていたが、推しの負けによる心の動揺度がどんどん減っていくのを実感した。
確実に俺は成長していた。仕事でも、同僚が皆嫌がる厄介な取引先に率先して突入することにより、社内の評価も上がった。
ミスをして手ひどく怒られたときも、俺の心は(あんまり)揺らぐことはなかった。
認知行動療法に確かな手ごたえを感じた。
最近では社内のメンタルトレーニングの講師を始めている。そろそろ何らかのメンタル関係の資格も取ろうと思っている。
話は大幅に逸れたが、そんな中でも推しは負けている。
しかし心は微動だにせず、落ち着いて定額課金して、トレーニングで培った圧倒的に暖かいサポートの言葉をコメントできるようになった。
推しもいつも以上に喜んでくれた。
しかし、負けている。
まぁ、別に負けることはそれほど問題じゃない。推しは負けているとはいえ、一般人からすると雲の上の存在だ。実力は凄い。
なにより、俺が推しを応援する理由は強いかどうかではない。勝っているから応援しているわけではないのだ。
人柄とか、話の面白さとか…。
まぁこれ、普通に自分に認知バイアスかかってて「長く応援しているからそれを続けてるだけ」なんだろうけどな。
別に俺が課金をやめたからって推しはそんな気にしないのではないかと思い始めた。
それは当たり前のことかもしれない。
いや、これだめだな。
やめよう。
本当は、「負け続ける推しを応援する情熱を持ち続けるコツは何か?」と聞こうと思ったんだけど、解決してしまった。
アカウントも引き上げるか。
よし終わった。
でも、あれだけ負けてるのに頑張れるってすごいよなぁ。
むしろあの推しこそがメンタルセミナーやるべきなんじゃないかと思うくらいだ。
めっちゃ通う自信あるな俺。
まぁそれはないだろうけど、試合、がんばってほしい。
自分も経験があるし、むしろその主催者側に立ったこともある人間だけど。まちづくりのセミナーや企画イベント自体は良いと思うよ。いろんな立場の人たちを巻き込んで、定期的にやっていくべきだとも思ってる。
いろんな人たちの目線から、地域の課題が掘り起こされて、それをどう解決していくかの意見を出し合い、実現できそうなものは実際に実現するように動く、というのが、こうしたセミナーの本質だと思っている。
初めて会った人たちなのに「今日からあなたたちは仲間です」とか「私たち最高!」みたいな雰囲気。
イベントの最初と最後に「チェックイン」といって意気込みとかを一言ずつ輪になって言ってみたり。
「原体験を自分に聞いてみて、それが本当にやりたいのか考えよう」とかメンタルトレーニングみたいな感じ。
いろんなまちづくり系のセミナーに参加したけど、こんなことは経験ないな~。どんな講師(ファシリ)がやってるのか分からないけど。でも、そんな講師にぶちあたったのであれば、あなたの怒りも分かる気がする。自分も次は参加しない。
その場で思いついたアイデアなんかが、他の人のアイデアと積み重なっていって、その場限りで盛り上がるのはよくある話なんだけど、参加者がアイデアを出しっぱなし、言いっぱなしで、「あー楽しかった」で終わってることが多いし、それじゃまったく意味がない。
まちづくりセミナーや企画イベントを盛り立てる側がやらなきゃいけないのは、場で出たアイデアを具現化して、最終的には参加者自らが実現・実行させることで、「自分たちがこの地域のまちづくりにきちんと参画しているんだ」という課題認識と行動を植え付けること。ここに、業種や立場、年齢や性別を超えた地域活性化(この言葉嫌い)やまちづくりの基礎がある。
だから、「それが本当にやりたいのか考えよう」とか言って、せっかくのアイデアをすべてぶち壊しにするような進行をする時点で、何か違うと俺は思うんだよね。
どうもです。私の元カノとあなたの奥さんでは性格も経緯も全然違うのでしょうが、あなたが陥ってしまった精神的な袋小路に私も一時期いたような気がします。
悩みを伝える元気ができたとのこと、嬉しく思います。ぜひともがんばって下さい。
準備なしに離婚発言を言われると対応できないのでしょうから、自分がどう伝えるのかについて、十分なメンタルトレーニングをしておくといいのではないでしょうか。
それでも伝える自信がない場合は、二人の関係が良好なときに切りだした方がいいと思います。離婚と言われたそのときだけが苦しいのではなくて、前に言われた発言がその後も尾を引いているのですから、関係が敵対的でないときに持ち出しすことは、間違っていません。