はてなキーワード: メルボルンとは
おじいさんそれはさっきメルボルンって書いたでしょ
予め宣言しておくと 皆が口を揃えて言う「雪質が最高だから」という理由は当たり前すぎて聞き飽きているだろうから、それ以外のことを書く。
自分はバックパッカーでアジアの遺跡や寺院巡りを中心にいろいろと旅している。寒いところは大の苦手だ。
その数々の旅の中で印象的で記憶に残っているのが5年くらい前にミャンマーかラオスかのゲストハウスのドミトリーで同室だったオーストラリア人との会話。
会話前略
豪人「Yeah! I went トーキョー アァンドゥ ヌィスィクォ」
ニセコが外人に人気だということは当時知らなかったし、確かまだ民主党政権下の円高で訪日外国人客もそんなに多くない時代だった。
(・・・・・逆にバックパッカーにとっては円高の恩恵を受けて非常に楽な時代だった)
東京はさておき、京都でも沖縄でも奈良でも広島でもなく謎のピンポイントの地名らしき名前を言われて混乱した。
最初は聞き間違えかと思ったが何度か聞き直した挙句、北海道のニセコという超マイナーなスキー場ということがわかった。どうやら雪質が良いらしい。
当時は「ほーん、雪質が良いってだけでわざわざ赤道超えてはるばる来るんやなぁ スキーヤー、スノーボーダーの熱意は大したもんやな」程度に捉えていた。
しかし、今年ようやく念願叶ってニセコに行くことが出来たことでほとんどの疑問が解決出来た。 これは確かにニセコに外人が押し寄せるわけだ・・・。
卵が先か鶏が先か、というツッコミを受ける話になってしまうのだが・・・・
スキー場スタッフはおろか 山小屋 レストラン 町中のタクシー ホテル 温泉 飲食店に限らないスキー場周辺の一般住民 ほとんど全てのに対して英語が通じる。
メニューや標識看板、放送などもほぼバイリンガル。 英語が公用語ではないアジアの他の観光地と比べても遜色ないレベルかもしれない。
そのへんのホテルの中にある売店(ビールとかおつまみを買うところ)でも使える
たしか、ゲレンデのレストランはSuicaだのEdyだのiDだのも使える機械があったと思う・・・けどちょっと曖昧。違ったらごめんなさい。
ゲレンデに適切に配置されたロッジの中に暖かくて清潔で広いトイレがあり、かつ十分に数があって全く並ばない。
個室の中もそれなりに広く、重ね着していても快適に用を足すことが出来る。
スキーウェアを着ながら用を足したことがある人にしか伝わらないかもしれないのだけれども・・・
うんこを愛する増田達にはきっとこの素晴らしさは伝わると願っている。
単に広いというと禿山に広がる広大な斜面を想像されるかもしれないのだが
独立した4つのスキー場がところどころで繋がっていてかなり自由に行き来することが出来る(特に東から2番めのヒラフは桁違いに広い。完全立ち入り禁止のとこも勿論あるので全部が全部入れるわけではない。)
コースとコース、スキー場とスキー場の間に生えている木々がちょうど良い塩梅の間隔でコース間滑走が楽しい。
この木々の間隔をうまく伝える語彙力の低さを強く自覚していて、非常に歯がゆい。死語だがボキャ貧。
全部が全部ではなく一部のリフト等は15時半あたりから終わってしまうのだが、かなりの広範囲のコースでナイターが楽しめる。
そして、友人曰く珍しいことなのだがリフトのみならずナイターでも一部ゴンドラが動いている。
朝に羽田から新千歳に飛んで、昼過ぎとかから20時半とかまで滑れる、しゅごい。
他にもフードが着いていて雨風を避けられるリフト(座ってても寒くない)をはじめとするスキー場のインフラ面が他のスキー場と比べて秀逸。
4つのスキー場を結ぶNIZEKO UNITED シャトルは、全スキー場共通のリフト券を持っていれば無料で利用可能。 時間もスキー場によっては23時過ぎまである。
例えばナイターのないニセコ花園リゾート近くの宿に宿泊していても、夜までナイターのあるヒラフで滑ってそこからバスで晩飯食べに行ってからバスで温泉行ってバスで帰ってくるみたいなことが可能。
あとは若干行動に制限が生まれて不自由ではあるが、スキー場とスキー場の間にある宿であってもだいたい近くに停留所はあるので宿の選択肢を広く持てる。
需要があるから供給もあるという話ではあるが、温泉や日帰り温泉を受け付けているホテルが多い。朝6時から24時までやっているところも。
私が行った温泉はすべて休憩室が完備されており、湯上がりにビールでも飲みながら暖かく快適に友人を待つことが可能だった。(仮眠も可能)
余談になるが、温泉が好きなのは日本人だけであって"西洋人は公衆の場で裸になるのに対して恥ずかしいと感じる"という思い込みがあったのだがニセコで完全にそのバイアスが崩れた。
あいつら温泉に酒持ち込んでめっちゃリラックスして楽しんでやがる・・・・もしかして日本に来る人は特別なのだろうか。
もう一つ余談。 温泉等に良く付いている有料のマッサージ機について。
私の観測範囲内では今まで国内旅行においてほとんど誰も使ってるところを見たことがなかったのだが、ニセコでは外人が凄い高い頻度で利用していた。 技術立国、クールジャパン!
コンビニのセイコーマートがあるヒラフ十字路近辺には流しのタクシーが高頻度で走っているし、電話したら各ホテルやレストラン、温泉まで来てくれる。
湯上がりに外を歩くと髪の毛が凍るレベルの外気なのだが、23時を超えて温泉から宿までのわずか数百メートルのためにタクシーが来てくれた時は有り難さで涙が出た(初乗り+割増の660円だけで申し訳ない気持ちだった)
「北海道なんだから当たり前だろ!」と思われるかもしれないが、スキー場から歩いて行ける範囲内で美味しい店が多いという条件って実は意外と難しい。
繋がってるスキー場を渡った上で、理由6のシャトルバス運行をうまく絡めると無料でさらに選択肢が広がる。
"「雪質が最高だから」という理由以外のことを書く" と言ったな あれは嘘だ
正直雪質が良いって言われても初心者だからそんなんたいして違いとかわかんないわー 関係ないわーって思ってたんス
でも、初心者こそパウダースノーで雪質の良いところで練習すべき! こけても全然痛くないし、痛くないからちょっと大胆なことも練習出来るし上達も早い!何より滑るのがチョー気持ちいい!
毎日大量に雪が振るからシーズン中(2月途中くらいから悪くなるらしい)は新雪でフカフカだし、朝に頂上まで行ってそこからヴァージン・スノーのみを使って下まで降りるのが至福の快感。
絶対に人生で一度は行ったほうがいい。凄い貴重な体験が出来る。超絶オススメ!!!!!!思いっきり背中押すから若いうちに行っとけ!!!!
http://tech.s-cubism.jp/blog/archives/3723
以下、ニセコに限らず日本全体に当てはまることではあるのだけれども理由追加。
10の理由と言ったな あれも嘘だ
オーストラリアとは2時間差、ニュージーランドは4時間差らしい。
たしかになーと納得。
日本人が軽井沢に行く感覚・・・というよりは夏にスイスやフィンランドに行く感覚?
自分の経験だけど、今シドニーとかメルボルン等の都市部ではランチでお高くない普通の店でも2000円を軽く超えてくる。(だからこそ日本のラーメンが1杯1000円超えてても人気だったり)
あとは本題と外れるけど、ホノルルのワイキキで丸亀製麺に行列が出来てたりで現在海外における日本料理の一部は所謂日本にとって一昔前のマクドナルド的な存在だったり。
日本人からするとスキー場のラーメン1000円とかカツカレー1500円って 「うげぇぇぇぇぇえ」ってレベルだけど、彼らからしたら安いのだろう。
らしいのでそうなのかな。他の観光地も組み合わせた上で、夏も寄ってみたいって思いました。
おそらく最大の理由。全ての理由を経て、来訪した経験者の満足度が高かったんだろうね。
その満足度の高さが、さらに客を呼び好循環を産み出している最強の状態。
台湾やタイ、マレーシア他東南アジア等暑い国々のお金持ちが涼みに来る とか
そういうのではなく、ニセコは本当に肌感覚として明らかに白人が多いんです。英語も超綺麗な発音でネイティブ。
純粋にスキー、スノーボードが大好きな欧米人が遊びに来てるな!!って今回の旅行で印象を受けました。
若干日本人と比べてマナー悪い部分とかも無くはないんですが(セイコーマートのコンビニの灰皿とかゴミが投げ入れられていて惨状だった・・・・) 文化の違いも体験出来るし素晴らしいところです。
重ね重ね、一度は冬のニセコに訪れて見ることを強くオススメ致します。
乱筆失礼致しました。
気付かぬ間に400近くもブクマが!!
若者のスノボ離れとかウィンタースポーツの国内人口現象とか言われてるけど、なんだかんだ皆さん興味はあるということでしょうか
(それともはてな村の平均年齢が・・・・・ おっと誰か来たようだ)
https://www3.nhk.or.jp/news/business_tokushu/2017_0227.html
やっぱ資本の力が大きいんですね。やや不動産価値がバブってるってのも含めて理解が深まりました、URLの紹介、有難うございます。
他の方が指摘されてるように、日本人にとってのハワイみたいな位置付けがオーストラリア人他外人にとってのニセコなのかもしれませんね。
>超マイナーうんぬん
釣るつもりは全くなかったのですが、寡聞に付き大変失礼致しました。
当時まだ若く、関東からちょっと足を伸ばせる範囲の群馬長野新潟のスキー場数個(白馬、湯沢、水上など)くらいしか知らなかったので完全に無知でした。
あとなんか積雪量の関係で新潟とか日本海側が最強で北海道は劣るとか思い込んでました・・・・。
無理に他のスポーツに例えるならばサーフィンをほとんどやったことない人が「青島?どこそこ?」みたいなレベルの話です。
完全に東京中心の悪い意味での中華思想でした、お詫び申し上げます。
釣るつもり・・・・・といえば逆にトイレの項目で、はてな村の皆さんが大好きなうんこネタを振ったのに誰も食いつかなくて寂しいです(`;ω;´)
やはり漏らさないと駄目なのか。
8月29日、思ったより拡散したため追記。自分ではネタバレなしのつもりで書いて、ツイートにもそう明記してしまったが、ネタバレという言葉には個人差があることをすっかり忘れていた。ネタバレ見たら死ぬタイプの風上にも置けない。地雷を踏んでしまったら申し訳ない。配慮したつもりですが、どうぞご注意ください。太ももの話以外もします。
サンダンス映画祭直後、賞賛と祝福の声とともに、あまりの刺激のために悩殺されてしまったという感想ツイートが散見されて、映画祭参加の幸運に預かれなかったファンはもどかしさに身悶えしたのであった。
Call Me By Your Nameは1983年の北イタリアのとある町のひと夏を舞台にした、二人の青年のあいだの恋を描いた映画である。くわしくはimdbを参考にされたい。
http://m.imdb.com/title/tt5726616/
この映画は2016年5月に世界中の一部界隈にて話題になった。言わずもがなアーミー・ハマーファン界隈である。そのあまりに蠱惑的なあらすじにつられて手に取ったのが原作小説である。
そんなごく軽くかつ不純な動機で読み始めたAndré AcimanによるCall Me By Your Nameだが、回顧体で描かれた物語に一瞬で虜になった。
あまりにも印象的な出会い、一生を変えてしまうたった一言から語り始められるその物語は、意識の流れを実に巧みに取り込んだ、プルースト研究者でもある著者ならではの文体で読者を陶酔させる。やがて語り手であるエリオと一体化した読者はオリバーの冷淡さに苦しみ、意外な素顔を見せられはっと息を呑み、ただ呆然と結末を迎えることになる。
ツルゲーネフの「はつ恋」やらナボコフの「ロリータ」やらをこよなく愛するわたしにとっては好み直撃ど直球であり、そのうえアーミー・ハマーの太ももがやばいとあってはなにがなんでも映画を見なくてはという気持ちになった。
しかもネタバレ見ると死ぬタイプのオタクにつき、どうしても世界公開より先に見たいという気持ちを抑えられない。はたしてMIFF(メルボルン国際映画祭、8月3〜20日、CMBYNは4日と6日上映)に飛んだのである。
笑ってほしい。
かなり早い段階でチケットも売り切れ(一度キャンセルが出たが、最終的に上映日までには両日完売!)ていたため、予想はしていたが、当日は冬のメルボルンにて1時間前から長蛇の列である!
席は早い者勝ちなのでみんな普通に必死だ。特に二度目の上映での、劇場をぐるり半周する列は写真に撮らなかったのが悔やまれる。みんなが手の端末にQRコードを表示させ、南半球ならではの冷たい南風に身を縮めながら待機している。
2度のCMBYN上映の他は同じくアーミー・ハマー出演のFinal Portraitに参加したばかりだが、それに比べるとやや平均年齢が下がるかなという感じ。
それでも、老若男女ということばがふさわしい、実に幅広い客層。
そんなことより映画だ。ここからはネタバレはなるべく避けて進める。なにせネタバレ見ると死ぬタイプなので安心してほしい。後日一部シーンバレ感想もあげるつもりでいる。万全の態勢です。
劇中曲について、MIFFのQ&Aにてルカ・グァダニーノ監督が語っていたことだが、基本的には登場人物が耳にした音楽……エリオの弾くピアノ曲、ギター、オリバーが身を委ねて踊るダンスミュージック、家族が耳を傾けるラジオやレコード……に限った、とのことである。それを知らされるまでもなく、最初の楽曲から没入感があり、一息に世界に引き込まれる。
そしてオリバーが現れる。イタリアの太陽である。明るい陽光は主人公エリオのいる部屋の暗がりを際立たせる。
エリオを演じる当時弱冠20歳のティモシー・シャラメは終始少年の健全さと病的な魅力をひとしくたずさえて美しいが、とりわけ夜、ベッドでのシーンでの肌は内部から光を放つようだった。
アーミー・ハマーが、その見せ場においてはつねにイタリアの太陽に照らされて灼けたなめらかな肌とあかるい金色に見える髪を輝かせているのと好対照で、一場面一場面が絵画を見るようだった。あるいは、冒頭でわれわれを一息に映画の世界に引き込む、連続的な彫刻群のショットのようだ。
エリオがオリバーに魅了されるのはかならず真昼の屋外だし、エリオがオリバーを室内に引き込むと、オリバーは初めて(ようやく、と言ってもいい)エリオに見とれるのだ。
野外と屋内、昼のシーンと夜のシーンが交互にさしはさまれて、われわれ観客はふたりのうつくしい青年に2時間超の間目まぐるしくも目移りしてしまうのだった。
しかしいざ太もも談議をするとなると血で血を洗う戦争になるにちがいない。
短いショーツか、あるいは水着でのシーンが大半で、太ももは終始晒されているので各人のフェイバリット太ももがあることだろう。
マイフェイバリット太ももはとある場面にてエリオとともに床にぺったりと座るオリバーの太ももである。だが自分が多数派である自信はない。これについてはまたあとで。
オリバーは原作よりもなお複雑で謎めいたキャラクターになっていると感じる。
原作では物語がすすむにつれ、読者はエリオとともにオリバーの知らなかった一面に驚かされるのだが、映画ではむしろ序盤からオリバーの大人の男としての魅力と奔放な子どものような無垢さが入れ替わり立ち替わり現れてエリオないし観客を翻弄するのである。
(シーンバレありの記事にでも書くつもりだが)序盤からオリバーはエリオよりも幼い子どものようないとけない振る舞いを見せ、グァダニーノ監督の言葉を借りるなら、エリオより「なおイノセント」だった。
(アーミーハマーファンの同志は心してかかってほしい。奇声を発するか原作のエリオの言葉を借りるならswoonに至らないよう上映中握りしめるなり揉みしだくなりできる柔らかい布など持っていくことをおすすめする手ぬぐいとか)
そのような差異こそあれ、アーミー・ハマーのオリバーは原作を読みながら夢想していたオリバーにほとんど完璧に一致していた。
この結論にはアーミーハマーのじつに感情ゆたかな目の表現が大いに寄与しているのだと思う。たとえば「J・エドガー」でのクライド・トルソン役において彼が見せたような目つきだ。沈黙の場面で熱っぽく目が話す。このものを言う目がとくに生きるのは、逆説的だが目の映らない場面で、たとえば映画の中でもひとつのクライマックスにあたる戦争慰霊碑のシーンがその一例だ(トレーラーにも引用されていた)。
もうひとつ、結末に近い重要な場面でピントを外したカメラがオリバーをとらえる。オリバーの顔が長く映されるのだけれど、けして鮮明な像を結ばない。観客は食い入るようにスクリーンを見つめてはじめて、自分がエリオと同じようにオリバーの目に浮かぶ表情を読み取りたいと熱望していることに気づかされる。
目について語るならばティモシー・シャラメにも言及しなくてはならない。
ティモシー・シャラメは今後少なからず目にする機会が増える役者だとつくづく思いしった。身体の使い方が素晴らしく、手足の隅々まで神経を張り詰め、あるいは意図的に脱力し、髪の先まで演技していると感じさせる。(この先エリオの面影を振り払うのが難しいのではとも感じるが、むしろその印象を己に利するものとして使ってほしいしこの期待は報われるにちがいない)
だがなによりも、その目つきである! トレーラーにも含まれていた、踊るオリバーをじっとりと見つめるあの目が全てではない。映画からは小説に通底する一人称の語りが省かれているものの(あれば安っぽくなり得たと個人的には思う)それを補って余りあるティモシー・シャラメの目つき。
まさに小説が羨む技法で、文字で書かれたフィクションを贔屓しがちな身としては、こういった映画化を見せられるとただひたすらに喜びを感じてしまう。
さてトレーラーといえば、あの実に夢見心地で幻惑的で、緊張感とせつない予感に満ちた映像を、わたしだってリリース直後には再生する手が止まらなかったほど熱愛しているが、 本編とは少しトーンが違っているとも思える。
トレーラーから、そして原作から想像していたものにくらべると、より明るく、ユーモアがあり、笑いだしてしまう瞬間がある。
かなりの頻度で笑いが起こっていたが、これは映画祭だったのと、おそらく英語圏中心とおもわれる観客層も関係してくるのかもしれない。
ただ、エリオ家食卓でのとあるシーンについては国内の映画館でも笑いが起きると予想できる。そしてその直後におとずれるエリオとオリバーの官能的な接触に息をのむことになることも。(さてくだんのマイフェイバリット太腿はこの場面で登場する。すくなくとも個人的にはこの場面はお祭りだった。細いのに肉感的な大腿部に釘付けになるあまり台詞をごっそり聞き逃したのだ……)
こういった感覚の急激な転換は映画全体を通して言えることで、一瞬たりとも気を抜けないと感じた。ほほえましく口元を緩めた直後に、心臓が指でひっつかまれるように締め付けられる。
ところどころに埋め込まれた、笑える箇所について、今ふと思ったが、これは原作にて重要な役割を果たしているが本来映画だと表現しにくい「時間性」をどうにか持ち込もうとした結果なのかもしれない。
10代のころの恋愛とか、恋愛でなくてもエモーショナルなやりとりは当時は必死で真剣なんだけれど、そのときの行動を大人になって振り返ってみると、わがことながらおかしくて笑ってしまう、あの感じがよみがえるみたいだ。
そのようなノスタルジーを引き起こす展開に身を委ねるうち、二度の上映は割れんばかりの拍手でしめくくられた。自分も同じように手を叩きながらLater、と軽やかな別れの言葉を脳内で繰り返していた。原作で読んで想像していたよりもなおあっさりと、冷淡で、なのに奇妙に耳に残るオリバーの声。
一夏の客人のその挨拶を、エリオが、母が、父が真似たように、自分もつい口にしたくなるはずだ。
じつは原作を読んだ時から、自分は最適な読者じゃないと思っていた。
小説として心から好んではいるものの、「この物語は自分の物語だ」「この物語によって救われた」「こういう物語が描かれるのをずっと待っていた」と感じる人がいることを、一行読むごとに、確信し続けたからだ。
この映画が現代を生きるごく若いセクシュアルマイノリティに届くことを願っている。
『キャロル』がそうであったように、相手の性別が特別なのではなく、ただその相手が特別だっただけ、ということを描いた映画。だが一方で、両親という存在の描かれ方において、この作品はこれまでのクィア作品と一線を画している。
そして、『ムーンライト』があまりにも普通の恋愛映画であるという事実が特別だったのと同様に、Call Me By Your Nameのエリオの一夏の恋愛は美しいと同時に「ごく普通の青少年が悶々とする」という部分が色濃くて、その事実をとにかく祝福したい。
自分はこの映画をクィア映画だとは思っていないのだとグァダニーノ監督がQ&Aで語っていたが、この言葉がすべてだと思う。
10代の頃に出会ってたら人生が変わっていたなと確信を持つ映画はいくつかあるけれどCMBYNはそのトップに躍り出た。
現在のところレーティングはR18のようだけれど、そこまで直接的なショットはなかったように思う。
何かが起こったこと、そして何が起こったか、から目をそらすという悪い意味での曖昧さは無いが、物語を破綻させないように、そして必要以上にセンセーショナルに煽らないと努めての結果なのかもしれない。
だからこそ、PG12かR15バージョンが作られるといいなと思っている。エリオと同年代の、この映画の肯定感を本当に必要としているひとたちに見てもらいたい。
キャストをきっかけに興味を持ったCMBYNだが、自分の中にそびえる金字塔を打ち立てた。日本に来た時にも従来の俳優や物語やファンに愛されるのはもちろん、新しい映画として多くの観客に愛してほしい。そして本当に必要としているひとにぜひとも届いてほしいと思う。
ちょうどこのレビューを書いている最中(8月23日)にMIFFの観客賞が発表され、Call Me By Your Nameが晴れて1位を獲得した。http://miff.com.au/about/film-awards/audience#
もちろん自分も最高点の星5つで投票したし、あの盛り上がりを考えると納得の結果だ。
アジア内では台湾映画祭での上映が決まっているCMBYN。東京国際映画祭に来ないはずがない、と信じている。
お願いします。
邦訳本もどうぞよしなに。
この間横浜のズーラシアに行ったら、オラウータンが駆け寄ってきて目の前でひっくり返ってくれました。そこで疑問なのですが、動物園や水族館では動物はアクリル板越しの人間を認識できているのでしょうか。私の勘では、動物園は見えていて、水族館は見えてない、ではないかと思います。なぜならば、動物園の動物たちはよく反応してくれるから。江ノ島水族館のイルカはただ水槽のキワを泳ぐのが好きなだけという感じがしました。
ちなみに、国内で一番好きな動物園は野毛山か那須アルパカ牧場です。あと宮崎の野生の馬も相当格好よかったのでおすすめです。海外の一番好きな動物園はカルガリー動物園です。いつかオーストラリアのメルボルンの動物園に行って、見たことない動物見るんだ。
ウェブ系,人工知能系,ソーシャルメディア系の国際会議〆切メモ.
7月の頭には、彼と一緒に念願のメルボルン旅行に行く予定だった。
メルボルンに住んでいたことのある彼から話をよく聞いていて、ずっと行きたいと思っていた。
部屋探しもし始めた。ただ、なかなか気に入る部屋が見つからなかった。
私は新しい会社の寮に入ろうか悩んでいたが、彼が
「俺が少し家賃を負担するから、一緒に住む部屋を借りよう」という提案をしてくれた。
彼の態度や発言から、本当は結婚する気なんてないんだろうな、、と思い始めていた私は、
でも、私が一人で一緒に住む部屋を探しに行っている間に、彼は元カノと会っていた。
彼は、私には気付かれていないと思い込んでいたが、私は気付いていた。
別れたなんて言ってたけど、本当は別れていないのかもしれないな、と思った。
でも、元カノのところに戻る事が彼の幸せなら私はそれを応援したいと思っていたし、
そうならそうとはっきり言って欲しかった。でも、会っていた事を問い詰めても、彼は会ってないとしか言わなかった。
元彼がこの世からいなくなってちょうど2年の日、私は彼と一緒に家具や家電を見に行った。
昔から、結婚する相手と一緒に家具や食器を見に行く事は憧れていた。
彼の態度は、どう考えても結婚しようと思っているようには見えなかった。
勢いで結婚しようなんて言ってしまって、後悔してるんだろうなぁ。と思った。
元カノのところに戻りたいんだろうなぁと思った。
この人と一緒にいるわけにはいかない。決断は早い方がいいと思った。
そして私は、「あの部屋は契約しないことにした」というメールを送った。
旅行は一人で行く事にした。ずっと行きたかった場所だし、英語が通じる国なら一人旅でも不安はない。
その事だけ伝えようと思っていたら、彼から電話がかかってきた。
出るつもりはなかったのに、間違ってボタンを押して通話状態になってしまった。
切るわけにもいかず、仕方なく話す事にした。
私は友達にすら戻る気はないと告げたが彼は食い下がり、とりあえず旅行は一緒に行こうと言った。
さて寝ようかという時になって、彼が「やっぱり嫁においでよー」と言った。
まさかそんな事言われるなんて、思ってもみなかった。
色んな感情が溢れて、大泣きした。彼の前で泣いたのはそれが初めてだった。
本当は、彼とずっと一緒にいたいと思っていた。彼のことを思って、身を引くつもりだった。
でも、結局できず、二度目のプロポーズをOKした。
ある時、物珍しさから彼のスマホをいじっていて、偶然発着信履歴を見てしまった。
ほとんど全てが、私以外の女の名前だった。彼は一人ひとりそれが誰であるか説明し始めたが、
ただ一人、全く説明をしない名前があった。それが元カノだった。
発着信履歴の8割がその名前だった。彼からも何回も電話をかけていた。
やっぱり、戻りたいんだろうなー。と、改めて思った。
日本に帰って来た日の夕方に、新居の鍵をもらう予定だった。
でも、部屋を契約したことを後悔していた。
鍵をもらった後、彼と一緒に家具を見に行ったが、全く楽しい気分にはなれなかった。
私から身を引かないといけない、そう思っているのに、どうしても決断できなかった。
使っていたPCの中のデータを全て消して、返さないといけない。
私が彼に送ったメールは、2460通にもなった。単純計算で、1日2~3通。
コンパイル中とか、残業中の息抜きとか、飛行機の待ち時間とか、そういう暇つぶしの他愛ないやりとりが、
いつの間にかそんな数になっていた。そのやりとりに、どれだけ救われたか分からない。
全て消す事で、けじめをつけようと思った。
痩せてサイズが合わなくなり、全く着る事もなくしまったままだった服が大量に出てきた。
その服を着て彼に会った時の記憶が蘇ってきた。全部ゴミ袋に突っ込んだ。
捨てる事で、全部終わりにできると思っていた。
カレーバッシング「失敗」…豪でインド人留学生が激減
【シンガポール=宮野弘之】オーストラリア政府観光局は30日、同国で学ぶインド人留学生数が、2010年は今年よりも20%以上減少し、留学生関連事業の収入も09年より6900万ドル(約63億円)以上、減るとの予測を発表した。
オーストラリアの白人の若者がインド人学生を狙う「カレーバッシング」と呼ばれる暴力事件が頻発したことが影響した。観光客数は10年には4・3%増が予想されるなかインド人学生の減少が目立つ。インド側が人種差別と反発した暴行事件はオーストラリアにとって高くついたようだ。
政府観光局の観光予測評議会は、10年のインド人留学生数は今年より4000人減り09年比で21%減と予測。同年は対前年比35%増だったので大幅な減少だ。AP通信が伝えた。
インド人学生に対する暴行は主にメルボルンやシドニーなどオーストラリアの都市部で発生、地元の若者数人がグループでインド人留学生を襲い、パソコンを奪ったり、ドライバーで刺したりした。警察によると、ほとんどが「愉快犯」といい、合言葉は「レッツゴー・カレー・バッシング」だった。
とくに4月以降は毎月平均40件にも上り、これに抗議する大規模デモがインドで行われたため、シン首相がオーストラリアのラッド首相に電話で早急な対応を求めるなど外交問題にまで発展した。
オーストラリアの留学生関連の教育産業は、石炭、鉄鉱石に次ぐ規模で、07~08年の売り上げは約100億ドル(約9200億円)に上る。
この件でオーストラリア人批判するのはたやすい。しかし当事者にならなければ分からない、実感できない事もある。同じ状況に置かれた時、彼らと一線を画した行動を我々は取れるだろうか?
「火の七日間」と呼ばれる最終戦争から千年余り。高度な文明は滅び、世界は瘴気が充満する腐海とその住人である獰猛な蟲たちに浸食され続けていた。そんな腐海のほとりにある辺境の小国「風の谷」は、大国ティターンズとの戦乱に巻き込まれた。「風の谷」の族長レコア・ロンドは、攻め入るティターンズの将軍達に取り入ってかろうじて国を存続させていたが、女将軍エマ・シーン率いる大軍による攻撃で「風の谷」はとうとう滅亡の危機に瀕する。
苦悩の末、レコアは腐海の奥深くに封印されているという古代兵器「パラス・アテネ」を探すため腐海へと赴くが、蟲たちにあっさりと捕らわれるのだった。しかし、人間の女と蟲との邂逅こそが、古代兵器「パラス・アテネ」の封印を解く鍵だったのである。
ただ、事はそううまくは運ばない。蟲との邂逅時、レコアは無垢な肉体ではなかったことによって、「パラス・アテネ」の封印解放は不完全なままに終わり、「パラス・アテネ」は暴走を始める。自ら呼び寄せてしまった「火の七日間」の再来に、既に深く傷ついたレコアはそれでも立ち向かう……。
――シロッコ「フハハハハ!見ろ!クズどもはやはりクズだ!」――
――あのお姉さんは まだオーストラリアにいるのです。たぶん。――
1950年代のオーストラリア、メルボルン郊外にある開拓移民たちの暮らすとある小さな街。界隈では仲睦まじいことで有名なカップル、カツ・コバヤシとサラ・ザビアロフであったが、「結婚するまではダメよ」と頑なに身体を許してくれないサラに対して、カツのフラストレーションは溜まる一方であった。
そんなカツの誰にも言えない趣味は、隣人ベルトーチカ・イルマの寝室を覗くことである。今日もまた部屋の明かりを落として双眼鏡を強く握るカツであったが、黒と赤に染められた服に身を包んだ集団に、ベルトーチカが掠われてしまう現場を目撃する。
忽然として姿を消したベルトーチカ。日が経つにつれて街はその噂で持ちきりになった。ベルトーチカの身を案じ、軍から街へと戻ってきたフィアンセ、アムロ・レイの悲壮な姿に心動かされたカツは、ベルトーチカが掠われた現場を目撃したことをアムロに告白する。「黒と赤」というカツの言葉にはっとした表情を浮かべるアムロ。これによってカツは、思いもよらぬ巨大な暗躍との闘争の中に身を投じることとなり、そこでガール・フレンド、サラとの悲痛な遭遇を果たすのだった……。
――やさぐれたりしたけど、今は反省してます――
ホンコン・シティに住むどうしようもないワルガキ、ヤザン・ゲーブルは、両親にも愛想を尽かされ、13歳の誕生日に、女主人ミライ・ヤシマが運営する更正施設「シャングリラ」に預けられた。
ミライは、持ち前の運動神経も生かしてハングライダーによる宅急便の仕事をやってみたらどうかとヤザンに薦める。迅速な仕事、また、エイのような形が特徴のハングライダー、派手な黄色の仕事服も相まって、ヤザンの宅急便は瞬く間に街で有名になった。しかし、その裏でヤザンは更正施設内で意気投合したダンケルやラムサスらとつるみ、昼間の仕事の傍らで物色していた家に夜中に押し入っては盗みを繰り返し、ジャンク屋ゲモンから盗品と引き替えに回してもらったマリファナを楽しむ日々を送っていた。
そんなヤザンであったが、いつものように強盗する家を物色していたある日、街の学校で飛行クラブに所属しているという女の子、ロザミィに出会う。ヤザンのことを何故か「お兄ちゃん」と呼ぶロザミィを最初は煙たがっていただけのヤザンであったが、ロザミィと徐々に親しくなるにつれ、また、ロザミィの背負う過酷な運命を知るにつれて、次第に更正の道を歩んでいく……。
――愛とは、こういうものか――
最重要国際指名手配犯シャア・アズナブルは、人口の極端な減少でしか、これ以上の地球の汚染を食い止めることはできないという思想の持ち主であり、これまで数々の無差別大量殺人テロおよび要人暗殺に手を染めてきた。その過激だが確固たる思想と綿密かつ鮮やかな犯行によって、市井のごく一部ではあるが影で支持する者が後を絶たないシャアは、クワトロ・バジーナという偽名を取得し潜伏した次の要人暗殺計画先のミラノで、身寄りのない少女ハマーン・カーンと出会う。
常に冷静沈着なクワトロことシャアであったが、何かにつけて目の前に現れるハマーンに心を許し、うっかりと暗殺計画に関するメモを見られてしまう。ハマーンを始末することを一度は決めたシャアであったが、拳銃を突きつけられてもひるまずに「撃ってみて」と呟くハマーンを見て殺すには惜しいと思い、部屋に軟禁する。
暗殺計画を着々と進めつつ、軟禁したハマーンに対して辛辣に応対するシャアであったが、その裏腹でハマーンにどんどんと惹かれ、ついにはベッドを共にする。事が済んだ後、ハマーンの凛々しくも優しい眼差しに、シャアは、かつて狂おしく愛した女ララァ・スン、ひいては、うっすらとのみ記憶に残る母のぬくもりすら感じるのだった。今や、シャアの精神はハマーンの虜となってしまった……。
サイド2宙域において廃棄されたと見られる小規模コロニーを発見したアーガマ一行は、ティターンズ艦隊の追撃をかわすため一時的に身を隠すこととし、リック・ディアスに搭乗したアポリーとロベルトをコロニー内探索に派遣する。
生命維持システムはいまだ稼働しており、空気も存在し広大な草原が広がっているコロニー内に驚きながらも探索を続けるアポリーとロベルトであったが、突如としてカラス型MA「ユ・バード」を駆るバーバ・ユ・バーバの襲撃を受ける。廃棄されたと思われたコロニーは、巫女バーバ・ユ・バーバを教祖とし、八百万の神々を崇拝する海賊ゲリラ宗教組織「ユヤ」の根城だったのである。
バーバの猛攻をなんとか凌いだアポリーとロベルトではあったが、2人を除くアーガマ乗員は既に「ユヤ」に捕らえられており、投降を余儀なくされる。2人は先の戦闘振りからパイロットとしての腕を買われ、「ユヤ」の新人パイロット養成を言い渡される。
バーバの命令通り従順にパイロット養成を行いながらも、人質解放と脱出の機会を窺うアポリーとロベルト。しかし、バーバは新人パイロット養成と同時に、アポリーにロベルトを、ロベルトにアポリーを名乗ること、アポリーに口髭を伸ばすこと、ロベルトに口髭を剃ることを命じており、2人は次第にどちらがアポリーでどちらがロベルトなのかがわからなくなり、アイデンティティの喪失に悩まされるのだった……。
――シロッコ「ジ・O!動け!ジ・O!何故動かん?!……あ、動いた。」――
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080406-00000016-rcdc-ent
以下、コピペ。
■その1
1956年 メルボルン五輪 選手団が現地に到着後にボイコット(理由は台湾問題)
1964年 東京五輪 ボイコット(理由は台湾問題)■■開会式当日に合わせて核実験強行■■
1976年 モントリオール五輪 ボイコット(理由は台湾問題)
■その2
彼らこそが本物のスターだよ
日本の自称スター達の様子を見てると飽きれるね
普段は狂ったようにラブ&ピース(笑)を謳う
声明を出さないんですか?
そりゃあそうだよな?所詮偽善者の謳うラブ&ピース(笑)なんて
売り上げのための宣伝売名活動にすぎないもんな?
お前らが活動するときは事が終わって完全に安全になってから
お前らには心の底から失望した
抗議した人達こそが真のスターだよ
一応つっこんでおくと、「オーストラリアの地図は上下逆」というのが迷信なのはその通りだけど、リンク先の「解答」もあんまり正解とは言い難いです。
正解はこちら
元は素朴な疑問を抱いた12歳の少年スチュアート・マッカーサーが作り出し、その後、彼がメルボルン大学在席中の1979年、オーストラリア・デーに合わせて発表した物でしたが、話題性と知的議論の喚起用、および、商品デザインの一つとして、彼の国で広く受け入れられ作られ続けているわけです。http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1211859002
いわゆる「アップサイドダウンマップ」は、ジョークや観光みやげのためでなく、よりシュアに政治的主張、メッセージを込めた考えのネタ、宣伝素材ってことですね。