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2023-10-02

【翌朝追記あり】劉慈欣「三体」の好きなところと微妙なところについて

ネタバレ注意!









好きなところ

たった一つの原理から出てくる結論三部作最後まで貫いている

この物語基本的原理は次の通りだ。「宇宙資源は有限であるしかしすべての文明は成長し・生き残りたい。よって、自分が生き残るためには相手を皆殺しにしていい。さもなくば相手に殺される」。そこから出てくる結論は「相手位置がわかったら即座に抹殺するのが最適解」。「相手と対等の立場に立って交渉するには、いつでも相手文明の座標を全宇宙晒す装置を作ればいい」。

これが適用されるのは地球人エイリアン・三体人だけではない。宇宙戦争ののち、孤立した地球人宇宙船同士も相互不信に陥り、突然殺し合いを始める。この原理原則例外はない。

どうしても攻撃したくなければ、相手の脅威にならないと示すため、限定された空間の中に引きこもるしかない。

絶望的な世界観

エイリアンのたった一つの水滴という兵器に、地球の最強の兵器であってもまったく歯が立たない。あるいは、エイリアンが数百年の偽りの平和ののち、地球人を何の共感もなくジェノサイドする・餓死させることを宣告する場面。主要なキャラであっても容赦なく殺してしまう命の軽さ。無意味に死んでいく人々。愛し合うカップルであっても、異なる早さの時間に引き裂かれる。この絶望感こそが本作の醍醐味だ。

さらに、地球人文明通りすがりの三体人とは別のエイリアンの作った名刺大の兵器で、三次元から二次元物理世界に落とされて再起不能になるまで破壊されるシーン、これは最も美しく壮絶な太陽系人類滅亡の場面だ。これを読むためだけに「三体」を買うだけの値打ちがある。

それだけではない、現在宇宙四次元時空で光速が有限なのも、本来は十次元光速無限だった世界が、宇宙戦争で使われた次元兵器による「堕落」の結果だと示唆される。感動的なまでの悲観主義

SF兵器なんでもあり

宇宙戦艦、超兵器エイリアンコールドスリープ、超構造体(メガストラクチャー)、ネトゲなど、絵になる風景ばかりだ。確かにSFモチーフを大量に詰め込むと粗削りになりがちなので、作品によっては一つに絞ったほうがいいと思うこともあるんだけど、これはいい

舞台中国である

これは欧米SFではほとんど見られない。中国が扱われるとしたら古代文明の謎であるとか、悪の共産主義陣営とかで出てくることが多いので、まず中国舞台であるというのが新鮮だ。始皇帝とか荊軻かい名前が出てくるだけでもうれしい。中国から見た日本文化ってのも、なかなか見られないか楽しいケンリュウも書いているけどね。あと、中国からしても日本と言えばカミカゼ忍者茶道なのね。あとは雀魂とか)。

関係ないけど、英語版ウィキペディアは概して日本よりも記事が多いし細かいことが書いてあるが、中国の歴史については日本語版のほうに一日の長があることもある。

あと、文化大革命が背景になる中国小説とか映画とかって、面白いのが多い。

宇宙の最終的な運命まで描き切る蛮勇

クラークとか小松左京とかじゃないとやらないくらいの発想がぽんぽん出てくるのが素晴らしい。

SFリアルさを求めて、技術革命とそれによる社会の変化を描くこともあるし、現実社会問題に肉薄することもある。雑食の僕はそれはそれで面白くて大好きなんだけど、定期的にSFルーツにある「人類の、そして宇宙の終局的な運命とは」「不可解なるエイリアンとの出会い」みたいなテーマ作品をどうしても読みたくなる。

微妙なところ

概して女性の扱いが悪い

第一部でエイリアン軍勢地球に呼び寄せてしまうのは人類絶望した女性科学者・葉文潔だ。「いっそ愚かな私たちを滅ぼしてくれ」と宣言してしまう。第二部ではエイリアンに対抗するために地球資源を使い放題にしていいと許可された「面壁者」羅輯が、どうすればいいかからずに、かわいいだけの理想の妻を求める(一緒に問題を考えるパートナーではない!)。さらに、第三部ではエイリアン和解した人類が、数百年の平和を経て穏やかになっており、「日本韓国アイドルのように」「女性化」していると描写される(前に「原神」のキャラとか”男らしくない”俳優とか実際に規制されてたよね)。

そして、コールドスリープから目覚めた主人公女性・程心もエイリアン文明破壊するための報復装置を、弱気から起動し損なう(これがさっき述べたエイリアンによる人類ジェノサイド宣言につながる)。

同時にコールドスリープしていた軍人は「この社会もっと雄々しくあるべきだ」という趣旨マッチョなことを述べる。2010年SFだけどこれでいいのか。このシリーズ普通に面白いと褒めていいのかオバマさん。僕はジェンダー意識がかなり保守的なほうだと自覚してるけど、これはちょっと弁護できないな(というかこれだけ女性の扱いが悪いと、作者には過去につらいことがあったのか? って心配になる ※1)。

さらに、第三部の主人公・程心は、使者として脳だけになってエイリアン文明に入り込んだ恋人・雲天明が、エイリアン文明の中枢から伝えてきた、人類文明を救うための暗号化されたメッセージを解読し損ない、これも人類滅亡の遠因となる。

まり人類の滅亡の契機は、ほぼすべて女性に起因している(いずれエイリアンに見つかっただろうけれども、直接の契機は女性)。寡聞にして、この点を検討している評論を見かけていないけれど、ググればどっかにあると思う。

三部作全部ドラマ化するとしたら、この辺テコ入れされるんじゃないかな。

※1 同じ心配をしているのが「たんぽぽ娘」のロバート・F・ヤングで、若くてかわいらしい女の子といちゃつく小説がやたらと多い一方で、「ジョナサン宇宙クジラ」では年上の女性たちや・女性上司日常的に暴力を振るわれている描写がある。成熟した女性に対する嫌悪と恐れを読み取ってしまうのは、気のせいだろうか。

被害妄想

エイリアンとの戦争に勝つためにはどうすればいいか軍人議論する中で「エイリアンに負けるかもしれないという精神的敗北者を追放する」「エイリアンシンパスパイ排除する」という結論が出てくるの、なんというか現実中国共産党の発想なんだけど、エイリアンに対してこういう態度を取るのは欧米だと冷戦時代SFが多い(この前のホーガンとかね。でもホーガンは「未来からのホットライン」が面白いよ。「シン・エヴァ」の元ネタだし)。なんというか、「三体」が悪いというより、中国政府がいまだにスパイ大作戦な冷戦世界観世界を見ているという感覚が生々しく伝わってきて幾分げんなりする。マジで共産党が「最善の防御は皆殺し」とか考えていませんよーに。さっきの女性の扱いと含めて、数十年前のSFを読んでいる気分になってしまった。

第一からエイリアンの超粒子で地球文明監視されて物理学の発展が阻害されるんだけど、これも敵のスパイに見られているという被害妄想的な感じがする。

深読みすれば、共産党監視されている国民の恐怖・心象風景なのかもしれないけどね。

ときどきトンチキ

SFってのはある程度ブラフ必要で、トンチキな場面も出てくるんだけど(それをどうやって読者に悟らせないか仮定文学であるSFテクニック)、たとえば第一部で地球文明を隅々まで監視できるだけの技術文明を、地球ナノワイヤで倒せるってのは、ちょっと無理があるんじゃないか?(追記。せめて向こうでナノテクが発展していないエクスキューズがほしいよね)

総評

人類に対して敵意を持っている宇宙の中での、人類の行く末について最後まで描き切った蛮勇がとても好き。三部作の壮大さのおかげで、隠せない欠陥にもかかわらずこの作品を気に入ってしまっている。第一部よりも第二部、第三部の順で面白くなっているのもいい。自分の中では★二つから★四つ半くらいまで評価が上がっていった。作家として器が大きくなったって感じたよ。

ラストの逃避にも似た、小さな農園を備えた小宇宙も、中国伝統的美意識神仙思想隠遁に繋がっていていい。美意識が共有できると嬉しいよね。

全体として思ったのは「これって炒飯ラーメン餃子の特盛セットじゃん」ってことだった。みんながSFと聞いて思いつくネタをがっつり取り込んでいる。読んだSFの冊数が増えると、青椒肉絲とか麻婆豆腐とか黒酢酢豚とか、燕のスープとかフカヒレかいろいろあるのがわかってくるし、全部乗せを馬鹿にしたくなる気持ちも出てくるけど、なんだかんだで小さい頃に食べた大味な全部セット無性に食べたい日もある。

読書楽しい

時々どうしても受け入れられない価値観出会うこともあるけれど、なぜそう考えるようになったのか? なぜ自分不快と感じるのか? と考えると、共感的に理解できるかもしれない。少なくとも自分価値観あぶり出される。

過去批判し、そのうえで現代をよりよくしていこうと思うが、だからといって過去を見くだしたいとは思わない。好きなところ、好きになれないところ、両方を検討するのは楽しい作業だ。

本を読んだときはたった一つの気に入った言葉があればいい。映画を観たときは一つでも好きな場面を見つけられたら良しとする。美術展に出かけたら、一枚だけでも気に入った絵があれば外に出た甲斐がある。

こうして欠点もあるけれども面白かった作品について書いてみて、「もういいや」って思ってた外伝にも、手を出したくなってきた。

それではまた。

前回

今さだらけれどセンスない認定されたSF作品を弁護したい

お昼の追記

「三体」人気すごいなあ。久しぶりにバズったよ。

以下ブコメレス

人によっては人物名前を同定できるかがハードルになりそう。

これは外国文学を読むとき鬼門で、自分三国志ゲームとか小説とかで親しんでたからなんとかなったけど、そうでないとしんどいかも。

おすすめロシア文学もなかなか読んでもらえないのもこの辺りに理由がある。

基本的にはメモしたり声に出したりしてその国の言葉リズムに慣れるのがおすすめマニアになってくるとジョンとヨハネイワンが同じ起源だとか気にし出すけど、これが通用するのはアラブ世界までだしね。

この方が好きなSFもっと知りたい。

SFじゃないのも含むけど、

必読書コピペにマジレスしてみる・自分のオススメ41冊編(1)

必読書コピペにマジレスしてみる・やっぱりオススメの21冊編 (1)

あとは、

必読書コピペにマジレスしてみる・海外文学編(1)

必読書コピペにマジレスしてみる・日本文学編

必読書コピペにマジレスしてみる・ミステリ編

必読書コピペにマジレスしてみる・哲学編

これは読書リスト

2022年に読んだ本

ではでは。

夜の追記

良くも悪くも手触りが野蛮な旧世代SFなのがむしろSFクラスタ外にもウケた理由なのかもしれないとは思う

これはちょっと思った。原初SFにある奔放な想像力、よくそんなネタ思いついたな! みたいなのがたくさんあるのが「三体」のいいところ。

で、それがモヤモヤする理由でもある。SFが洗練されてくると科学的正確さとか政治性とかを無視するわけにはいかなくなる。自分と異なった属性に対して誤った知識が広まらないよう、表現ルールがあるのは大切だと信じる一方、気持ちの面では想像力が羽ばたくのを少しも邪魔されたくない自分もいる。だから、反発する人の気持ちもわかる。

なので、正確性とかに気をつかったSFに慣れた身からすると「こんな粗削りでもウケるんだ! 売れるんだ!」という意外さと、先を越された悔しさがある。だから元増田みたいにSFの外にまで広がった作品を「センスがない」とディスりたくなるのかも。

でも、僕も最初はそういう作品から読み始めたわけだし、重箱の隅をつつくような外れ値の古参よりも、作品を買ってくれる新しいファンがどんどん増えたほうがジャンルは育っていくし、若いファンは「にわか」呼ばわりするのを恐れずどしどし読んでほしい。

思い出したこと

そういえば第三部でアボリジニおっちゃんが出てくるけど、欧米作品だったらもっと白人文化に対して批判的だっただろうし、なんだったら三体人に押さえつけられるときももっと痛烈な言葉をはかせていただろうな。より強い文明出会たことによる悲劇メタファーとしては扱いが若干雑だ。

欧米作品とのこの辺の感覚差異面白い

他に書いた文学関係増田

村上春樹のヒロイン・登場人物たちのつながり

カズオ・イシグロ大体読んだけど好きかわからなくなった

以上。

翌朝追記

おすすめの本のリスト追加したよ。

2023.10.12追記

早川書房翻訳SFファンタジイ編集部ツイッターに捕捉されてて吹いた。

2023-09-29

anond:20230929051710

比喩隠喩メタファーも無い世界に住んでるとかマジで本読んだことなさそう

あとたぶん悪口としてすっげえハエとかうんこ蝿とか言ってくるけど

ここ数年レベルで見たことないか全然ピンと来ない

もしかしてあなた生活圏ではコバエとかうんこ蝿がぶんぶん飛んでるの?

2023-09-27

anond:20230927214311

増田です。ありがとうございます。私の読解としては、筆者は「何かの枠に嵌めて自分が作られる」ということを、主人公の病的な性格(アスペルガー症候群と思われる)とコンビニにおけるマニュアル接客を通じて描いたのだと理解しています。なので、筆者自身コンビニ勤務経験があったとしても、主人公自身描写はそうしたテーマ性に沿ったある種のメタファーであって、必ずしもコンビニ店員や小売業従事者の内面リアルに描くことを意図したものではないだろうということは理解しているつもりです。

ただ、言い訳がましくて申し訳ないのですが、「コンビニ人間」の最初の1ページにおける、お客様の気配を感じ取ってスムーズ接客へと移る描写に対して、小売業従事者としてノックアウトされてしまい、ちょっと感想を書きたくなってしまったというところです。

2023-09-25

anond:20230925115635

中指を立てる」って勃起した男根メタファーだよね、YOU陰茎で表現しちゃいなYO!

2023-09-21

岡田麿里の新作映画たか感想書く

アリスとテレスまぼろし工場』とかいうやつ。

情報劇場でやってた特報のみ。そこから得た印象としては「岡田麿里脚本監督やるらしい」ってことと「なんか陰鬱な感じのパッとしなさそうな謎映画だな」ってことだった。

なぜ見に行くことにしたのかと言えば、「岡田麿里の新作だから」だ。特段岡田麿里が好きなわけではないが、true tearsとらドラあの花面白かったし、花咲くいろは、凪あす、ここさけ等々なんだかんだ岡田麿里が絡む作品を見ていたので、とりあえずいってみるかという感じで行った。

 

で、結論から言うとこの映画は怪作だった。今年一番の怪作といえば『君たちはどう生きるか』だが、この作品も引けを取らないように思う。

以下その理由をのべる。

1.絵がすごいがんばってる

丁寧な作画でよく動く。思いのほかアクションシーンがたくさんあってどれもしっかり動いている。近年流行りのフォトリアルな背景ともよくマッチしていて美しい。めちゃくちゃ金かかってそう。

2.話が複雑でわかりにくい

ちょっとネタバレになるが、つまりこれはたくさん伏線が張られていて後で回収されたり、作品世界における重要真実(=設定)が後々になるまで隠されているタイプ物語ということだ。頭の弱い人だと序盤の地味なくだりで脱落する。

3.フェティシズムやばい

これぞ岡田なのだろう。キショかったり、意味不明だったり、一周回って笑えてくる、関係性、セリフ、展開がこれでもかと突き付けられる。ぜひ高校生カップルデートムービーとして見に行って欲しい。

4.売れなさそう

これはつまりマーケティング問題だと思うのだが、この映画を誰に向けて、どう売りたかったのかがよくわからない。

上で書いたようにこの映画はとてもお金がかかっている(ように見える)。その割には話が複雑でエンタメ性が低いためマスウケを狙っているようには思えない。

そしてオタクウケを狙っている感じでもない。キャラデザが地味でパッとしないので若い子の興味は引かないだろう。

また、ファミリーカップルが見るような映画でもない。だってあの怒涛の岡田なのだから

実際、平日夜の回にいたのはくたびれたオジサン自分の2人だけだった。

5.なにがしたいかからない

この映画が売れ線狙いのエンタメ作品じゃなかったとして、じゃあ何をテーマにしたどういうジャンル映画にしたかったのかがわからない。

これも少しネタバレになるが、中盤から終盤にかけてプロットツイストが畳みかけてくるのでストーリーはわりと面白い。しか世界観とキャラ設定が複雑で感情移入できない。

一応泣きどころのようなシーンも用意されているのだが、複雑な設定と岡田節がノイズとなって感情移入するのが難しい。

男と女。親と子。生きるとは何か。色んなテーマメタファーがあるので考察するのは楽しいかもしれない。

でも単一解釈可能なほどの一貫したメッセージ性はないように感じた。逆に言えば人によって着目する点が変わりうるので色んな批評ができそう。

 

まあこんな感じで、一言でいうと「お金かかっててそこそこ面白いけどたぶん売れなそうな変わった映画」でした。

2023-09-11

エブエブは完全に増田映画だった

ネットフリックスでエブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンスを見た。

 

これは完全なる増田映画だ。

 

俺は増田だ。

そこそこバズったことのある増田だ。

時には年収1000万増田だし、世帯年収600万増田だし、年収300万以下増田だし

フェミ増田だし、アンフェ増田だし、ミソジニー増田だし、反共増田だし、反与党増田だし

システムエンジニア増田だし、教師増田だし、技術者増田だし、公務員増田だし、

反ワク増田だし、アンチ反ワク増田だし、科学信奉増田だし、アンチ科学増田だし

新婚増田だし、限界婚活増田だし、彼氏増田だし、彼女増田だし、兄増田だし、妹増田だし

増田だし、夫増田だし、クンニ増田だし、下方婚増田だし、ポリンキー増田だ。

俺はインターネットを通じて得た知見を基に様々な増田になった。

俺以外にもいるはずだ、別の人間の知見にフリーライドしてさも何者かになったかのように

増田に書き込んでバズを狙ってきた奴らが。

 

この構造は完全にエブエブと一致する。

 

監督ダニエルズが公言している通り、

エブエブのキーになるマルチバースインターネットメタファーだ。

我々はインターネットを通じて今の自分ではない様々な情報知識経験を得ることができるし

様々な人になりきることもできる。

そのすべては「もしかしたら自分だったかもしれない誰か」だ。

しかし、そうして「すべてを知った」時に訪れるのは完全なる虚無だ。

「すべてを知った上で本当に得られる知見」というのは

自分は何者でもない単なる矮小増田しかないということだ。

 

そうして俺はあらゆる人間になって、そうしてそのあらゆる人間の敵と対決した。

常に増田を通じて対立煽り、バズり、相手を打ち倒した気になることで自己確立を目指した。

が、それは間違っているとこの映画は言っていた。

 

作中で対決によって物事解決しようとするエブリンに対し、夫のウェイモンドは

「Be Kind(優しくしようよ)」と訴える。

俺にはそう言ってくれる人間は誰もいなかった。

俺が最初に訪れたマルチバース(通称2ch)ではすべてが闘争だった。

 

で、その辺で寝ちゃったのでエブエブの最後のほうはよく覚えてないんだけど、

うーんこ、れは増田映画だなぁと思ったのでこれを書いた。

2023-09-08

共産党の皆様 可哀想ウマ娘たちを救ってください

彼女たちは、博打の景品で入手した卑猥水着ドレスを着せられ

無理やり3200kmを走らされています

彼女たちは「耳が長い」異型ですが、これは「肌が黒い」

即ち、黒人差別メタファーである事に疑いはありません。

日本オタク共の黒人アリエルへのバッシングを見れば明らかでしょう!)

シナリオは、まるで自ら望んで走っているように書かれています

女性には自由意志存在しないため、これは実質的洗脳

1600万人のオタク一人ひとりがジャニー喜多川なのです。

これは中国民を苦しめる汚染水の話とおなじ

2023-09-05

変てこバービー実在する

バービーレビュー批評を見ていてびっくりしたんだけど世の中の一定数の人は変てこバービーを実際には存在しない、映画のために考えだされたコンセプトか何かだと思っているらしい

一番ぶっ飛んだのは「変てこバービー開脚性的解放された女性メタファー」とか抜かしてたアメリカのクリティックスで大変驚いてしまった

トイストーリーのウッディの足の裏にアンディの名前が書いてあるのはタトゥーが若年層に広がってることのメタファーって言われるくらい変な感じ

もちろん変てこバービーレベル象徴だし表象メタファーがあったとしてもそれよりまず足ぶん回されて関節ぶっ壊れたバービーって単にあるあるでは?

でも確かに映画でも実際の変てこバービー人形の姿では出てこなかったし、もしや変てこバービーが「子供時代あるあるなのはバービーで遊んでた頃に、バービー適用年齢ではないのにバービーを与えられてた赤子の妹か弟がいたか、足や髪を掴んで振り回すのが通常の遊び方だと思ってる乱暴姉妹兄弟がいた人間だけなんだろうか

ちなみにバービー毎日髪を掴んでぶん回してると完全なハゲになります これもあるあるじゃないのかな?

2023-08-30

anond:20230830142907

このトラバで紹介されているのどれも「驚き芸がお上手な人」でしかなくて、感想が上手とは感じなかったな。

「受ける感想パターン学習した読書感想文で良い点が取れる小学生」のまま大人になってしまったような人というか。

要素を分解し、メタファーを炙り出し、展開を整理し、技法解説し、素直に自分の感じたことを言葉にできる人間、それこそが俺の思う「感想の上手い人」なんだけど、それに当てはまる感じの人は最近たんと減ったね確かに

手っ取り早く面白がれそうな文章斜め読みする読者に向けて手っ取り早くバズを稼ぐような「バズ稼ぎ屋」みたいのばっかやわ。

作品ごとに複数人レビューしてるサイトで良い感想書く人を見つけてツイッター行くとかすればワンチャンあるんだろうが、そこまでして探す元気はねえので、最近はもう人の感想読んでねえなあ。

2023-08-23

で、結局お前らはどう生きるわけ???

君たちはどう生きるか」の感想やら解説やらを読んだ。

どれもこれも

「あのシーンはアレのメタファーで~」

「あのキャラクターはあの人がモデルで~」

「あの出来事宮崎駿実体験で~」

みたいな各シーンの元ネタ探しがつらつら書いてあるばっかりで、タイトルにもなってる宮崎駿からの一番デカい問い「お前はこれからどう生きるんだよ??」に答えてる奴は一人もいなかった。

有識者ぶって元ネタ探ししてキャッキャして生きていきます!ってこと?

そんな生き方でいいのか?

俺は今日ちょっとだけうんこを漏らした(パンツに「質量」を感じるほどではないのでこれを「漏らした」とするかは諸説ある)。

俺はそうやって生きていく。

それで、お前らはどう生きるんだ?

映画バービーは単なる人間賛歌モノなのでは?

この映画についての物議・炎上はいくつかあって個人的にも嫌な印象しかなかったんだけど、どうせ自分一人が見ても見なくても日本での売上は芳しくはないだろうと思って見に行ってきた。

そうしたら頭の片隅でずっと考えつづける映画になったので、思うところを吐き出しとこうと思う。

以下うろ覚えながらネタバレしまくる。

深夜の書きなぐりだから色々お粗末だろうが勘弁してほしい。

長いぞ!あと普段このサイトをそんなに見ないので空気感も分からない。



端的に言えば、自分には普通にコメディとして楽しめた。

一番面白かったのは、ケンバービーをやっと惚れさせることができた!!と確信して2時間か4時間ギター弾き語りしてたあたり。

理由はざっくり後述するけど、男社会化したバービーランドで自信満々に振る舞っていたケンが、歌詞では『こんなダメな僕でも愛してくれるかい』みたいな弱気なことを言っていたのが毒っ気があってよかった。

それで、語るに外せないこの映画社会的な側面についてだけど、当然かなり強いメッセージが感じられる映画ではある。

興味深いのはやっぱり、この映画フェミニズム映画として評価されているのと同時に、アンチフェミニズム映画としても評価されているところだろう。

実際映画を見てみて自分も納得した。監督女性で、女性についての映画を撮ることが多いそうだが、実はアンチフェミニズム厭世観たっぷりなオジサンが撮ってますと言われてもまあ分かるような映画だと思った。

バービーが住んでるバービーランドは、完全な女社会だ。もっと言えば、現実の(従来の、あるいは誇張された形の)男性社会の反転だ。

総理大臣、一番偉い検事ノーベル賞受賞者マスコミ工事現場で働く人、幸せ自由住民。そのすべてが女性、つまりいろんなタイプバービー人形である

バービーランドには男性もいる。いろんなタイプの、と言ってもバリエーションは限られ、全員若い男だけだが、ケン達も住んでいる。

しかし彼らはバービーのおまけだ。バービーににこやかに挨拶して、バービーにかっこいいところを見せて、バービーがいなくては生きていけないと言うためだけに存在している。

夜になって、メインのバービー(以後マーゴット)に、メインのケン(以後ライアン)がキス待ち顔をしてみたり一緒に過ごさないか提案してみるけど、ライアンはマーゴットに気まずそうに追い払われる。ライアンはもちろん深追いしたりせず笑顔で去る。全く彼を顧みず女子会に赴くマーゴットにいい感情は抱いていないのだろうけど、その国ではそうするしかない。

そう。この映画バービー付属品ケンたるライアンの、口に出せない苦しみからはじまっている。

そしてその直後に描かれるのが、バービーであるマーゴットの、バービー社会での初めての違和感だ。

バービーが『死について考えたことは?』と口にした途端、鳴り響いていたEDMが止まりパーティーが凍りつく。バービーランドでは多分、深く暗く考えることは好かれることではない。ライアンも後々深く考えるマーゴットは好きじゃないなどと言う。

ギャグ文脈でもあるだろうが、ちらほら映っていた重役のバービー達の仕事っぷりもそんなに思慮深そうではなかったし。

そんなマーゴットが抱えた違和感を出発点にして、マーゴットは、勝手についてきたライアンと一緒に、バービーランドを出て現実へ旅立つことになる。現実とはそのまま、人間が暮らす現代社会──もちろんアメリカだ。(この旅の最中も、例えばライアン料理か何かをしている最中にマーゴットはのんびりコーヒーを飲んでいたり、ちょっとした違和感が散りばめられていた。それともこれを違和感と思う自分認識の歪みに気付かされるギミックなのかもしれないが)

そこからはかなり端折って説明する。マーゴットが旅に出たのは自分に起こった変化を治すためだったが、マーゴットは事態解決する人間を見つけてバービーランドへ戻る。ところがそこは、現実の『男が尊敬される』男社会に感銘を受け、一足先に舞い戻っていたライアンによってケンダムケン王国)に作り変えられてしまっていたのだ。

バービーたちは軒並み『洗脳』されており、大統領メイド服ビールを運んだり検事ケンマッサージをしてたりなどなど、変わり果てた有様にマーゴットは絶望するが──『変化』が嫌だと泣きわめいて──しかし、連れ戻った人間バービー達をその洗脳から解き放つのだ。

バービー達はケンたちによる憲法改正を食い止め、バービーランド平和が戻る。

これが大筋だ。

この洗脳下りは紛れもなく『woke』の比喩しかも2重に交錯させた比喩のはず。

wokeとはググっていただきたいが、ざっくり説明すれば、直訳で目覚めた人々を意味し、フェミニズムなどの活動家を指している。侮蔑意味合いで使われることもあるようだ。

表層を見れば、ここで描かれるwokeはバービーたちの方だ。

人間は、ケンダムと化したバービーランドの『おかしさ』をバービーたちにぶちまけて洗脳から解き放つのだが、やってることはひたすら説得である人間はひたすら女性の生きづらさ──家事子育て押し付けられながらも綺麗でいなくてはならないとか、そういう愚痴バービー達に語りかける。それで、バービー達は突然ハッと目を見開く。まるで今ようやく目が覚めたかのように。それで洗脳はとけ、社会を変革しようと活動し始める。

でも、作品の中で一番最初に『目覚めていた』のは、きっとライアンだ。

ライアンは男が立派な仕事をし、女性必死にならず、振り回されず、通行人が丁寧に時間を聞いてくる現代社会に感動して、現代社会を作っていると図書館の本に書いてあったらしい、『男社会』の概念バービーランドに持ち帰った。それは日本で言うところの『海外を見て日本の異常さに気づいた女性フェミニスト』の反転ではないだろうか?

バービーランドで無価値だった自分に気付かされた、ライアンもまたwokeだったのだ。

ライアンが短時間に実際どうやって、ケンたちはともかく、バービーまで男社会に染め上げることができたのか映画の中ではハッキリとは描かれていなかった。(とあるバービーが、バービー達は耐性が無かったのでケン洗脳されたとは言っていたが、曖昧だ)

正直なところ、ここの急展開は若干違和感だった。まるでこの映画を、フェミニズム映画に仕立てるために無理やり男社会と女の生きづらさのエッセンスを詰め込んだシーンのようにも見えて、見ている間はずっと、制作陣はこれを皮肉のつもりで撮っているのだろうか?と勘ぐっていた。

それに、その違和感は多分全く見当違いなものでもなかったと思う。

結局ケンダムの夢は崩れさったわけだが、マーゴット(それか人間だったかも)は今までのバービーランドに戻るのではいけないと他のバービーたちを諭す。

その中で初めてバービーたちは、ケンたちがどこに住んでいるのか自分たちは知らないという事実に気づく。まあ多分、バービーシリーズ商品展開について詳しくないけど、ケンの家は存在しないんだろう。

その結果、バービーたちはケンたちの人権を認めると言う。ケンたちは大喜びだ。ある一人のケンバービーに言う。『おれも最高検事になってもいい?』バービーは真顔で即答する。『それはだめ。でも下級検事ならいいよ』ケンはそれに喜び、ナレーションが入る。『ケンたちはまだまだこれからのようです…』

かなりの皮肉だよね?

口では権利を認めながら、実際は希望の職につけるかどうかは既得権益者の許可制なわけだ。明示的なwokeとして描かれた、女性象徴であるバービーたちがその矛盾、つまり性差別やらかしてる様をバッチリ描いている。結局変わらない憲法も、制限された自由に気づかず喜ぶ被支配者たちも、いびつだ。

これは、目覚めた過激フェミニストたちがこのまま突き進んだって女尊男卑が訪れるだけですよ、なんてメッセージなのだろうか?

支障がなければいろんな人にこのシーンを見てほしい。これは、おそらく確実に、どちらとも取れるシーンだ。そしてその違いはきっと、その人が、今世間にあるフェミニズムをどう捉えているのかにかかってくる。

少なくとも2つの捉え方が想像できた。

このシーンは現実の『行き過ぎた』フェミニズム本末転倒差を指摘するものであるとするものと、あくま現実女性の苦しみのメタファーであるとするものだ。

前者は先程書いた通り。こういう見方をする人は、きっと『何でもかんでも男女差別だという今のエセフェミニストどもにほとほと嫌気が差している』という昨今なのではないだろうか。正義棒を片手に暴れ回る人々の脅威を感じているので、このメタファーが真に迫って見える。

後者は、きっと現実にはこんな女性優位の場所存在していない(あるいはひょっとして存在し得ない?)と思っている人だろうか。だからこのメタファーフィクションとして見れる。現実女性男性をただ反転させて描いただけだと読み取れる。性別を反転させて世の歪さを描こうとした作品はそう少なくはないだろうし、その系列だとも十分読み取れると考えられる。

結局変わらないルール。相変わらず性別の偏った管理職の面々。覚えのある話だろう。

並べてみたが、正解──制作の真の意図はどちらだろうか?

はっきり言って、まるで分からない。そして(驕りかもしれないが)分からないのはきっと自分だけではないと思った。現に全く真反対の2つの陣営評価されているのだし。

この分かりづらさこそ、自分がこの駄文を書くに至った発端だ。


映画バービー』は絡み合った皮肉だ。ただのフェミニズム、もしくはアンチフェミニズム映画だったとして、ここまで現実比喩とを交錯させる必要はないんじゃないか制作陣が描きたかったのは果たしてそのどちらかの主張なのか?

多分違うんじゃないかというのが、前置きが随分長くなったが、自分の考えだ。

映画バービーの締めくくりは、なんとマーゴットが人間になるというものだった。

変化の兆しを見せつつあるバービーランドに、マーゴットは上の空だった。あれだけ戻りたがっていた、バービーらしい日常に帰れることへの喜びは見えない。そこへ(詳しくはかかないけど色々あって現実出会っていた)バービー人形の生みの親、ルースが現れ、マーゴットに手を差し出すのだ。

変化するのが嫌だ!と泣いて嫌がっていたマーゴットが──今思えばこの変化を拒む仕草既得権益者側の改革を拒む姿勢メタファーかも──考えが刻々と変わり、喜び、悲しみ、老い、変化していく『生き物』である人間になることを考える。

マーゴットは人間社会に飛び込んだときトレーラーにあるとおり警察に捕まったり、男にセクハラされたり、バービーランドとはまるで違う現実の荒波に揉まれるわけだが、その後、座ったベンチから人間生活のさまを広く見渡して涙を流すシーンがある。

公園遊具で遊ぶ子供たち。親子。親密そうに語り合う若い男性二人。老人も。

どれもバービーランドにはなかったものだ。

マーゴットはそこで初めて、人間というもの理解第一歩を踏み出したのだ。

そしてふと目を開けて、隣に座っていた老女と見つめ合うと、『あなたはきれいだ』と言って涙ながらに笑ったのだった。

このシーンは人生肯定だ。そう感じた。

流し見たインタビュー記事によれば、ここは監督が決して譲らなかったシーンなのだという。少なくとも監督のコンセプトにおいてかなり重要なウェイトを占める場面のはずで、実際演出も印象的だった。

映画ラスト、マーゴットはルースとの対話の末、人間になることを選ぶわけだが、その決断ときにも、人生というものがとても美しく描かれた。

笑顔の子どもたちが映るホームビデオ風の映像がいっぱい流れたのだが、最近こういうの全般に弱くて泣きかけた。

そこで自分は、これは人間賛歌の映画なのだと考えたのだ。

人生に起こるいろいろな問題に苦悩しながらも、人生の素晴らしさについて描く映画一種ジャンルだろう。この映画はきっとそれに位置する。

男女差別についてかかれていたのは、勿論テーマ自体は主役扱いで、不誠実な描かれ方はされていなかったが、他の映画における、例えば叶わない夢の話や、恋、はたまた自然環境仕事社会問題など、『現代社会に生きる人々において共感を得る悩みごと』としてのテーマでもあったのではないか

だってそうじゃないと、マーゴットは、他のバービーたちに背を向けて、バービーランドを抜け出さない。理想郷永遠に住み続けていればよくて、いずれ死を迎える人間になんてならない。この映画が、女性女性理想郷で生きる権利がある、なんて事だけを説く映画なら、そんなエンディングにはしないはずだ。

いま分断社会に生きる我々は日々大いにストレスに晒されている。その中でも、人生が素晴らしいのだと思えるようであってほしいと伝える映画だというのが自分の所見だ。

少し話は戻るが、最後のマーゴットのルースとの対話の中で、細かい流れはうろ覚えだけど、特に印象に残った言葉があった。

人間になりたい気持ちの間で揺れるマーゴットが、バービーとして生まれ自分人間になっていいのか、と産みの親に訪ねる。それに、答えるルース言葉が、

『なりたい自分になるのに許可なんていらない』というものだ。

きっとこれがこの映画パンチラインだろう。

さっきこれは単なるフェミニズム映画というわけではないとか力説したばっかりだが、テストで作者が考えるフェミニズムとは何ですかなどという設問があったら、自分はこれを抜き出して回答する。

男女差別と、人間賛歌という2つのテーマを包括する答えでもあるだろう。

人間はただなりたい自分になりたいだけだ。


フェミニズム女性のためのものか、男性含む人間のためのものなのか。どちらと答えても炎上する今の世の中で、論争を煙に巻いて、たった一つの単純明快フレーズを残したようなコメディ映画だった。

2023-08-08

映画君たちはどう生きるか」のキリコについて(感想文)

映画君たちはどう生きるか」を観てきた。

うまい言葉がみつからないけど、アニメーションとしては、スタジオジブリ集大成といってもいい、すごい映像作品だと素直に思った。

・「インコ」というジブリ史上でもっとキモ可愛なキャラクター爆誕しているので、それだけでも見る価値がある。早くグッズ欲しい。

唐突に色々な出来事モンスターアイテムが目まぐるしく登場するので、初見理解が追いつかない感もあったが、むしろ神話的で良いと、魅力的に感じた。たぶん、わざとそういう配置にしてる。

特に個人的感想として、もっとも印象深かったのがキリコという登場人物だった。

以下、考えたことをメモする。

↓↓↓以下、全てネタバレかつ妄想↓↓↓

 キリコ異世界(塔の世界)に迷い込んだ眞人が最初出会う案内人漁師)であり、『千と千尋』の湯屋女中のような主人公との関わりを連想させるキャラクターだとも思う。後に、その正体は主人公(眞人)と同時に異世界に入り込んだ従者(老婆)であることが作中で明かされている。

 はじめは、この案内人は老婆であったキリコ異世界で変身した姿なのかと思ったが、どうも違う。この若い姿のキリコは(恐らく)数十年前に異世界(塔の世界)を訪れていた、若き日のキリコなのだ

 そして、眞人と同時に異世界侵入したはずの老婆キリコは、若き日のキリコより、木彫の人形として眞人に託される(映画ラストで、この人形が老婆キリコに変化することから、これが依り代のようなアイテムになっていることは明らかである)。

 しかしなぜ、老婆キリコ異世界で木彫り像に変身しなければならないのか?それは、パラドックス回避の為、時空が混然一体となった異世界(塔の世界)には、2回目は入れないルールがあるからではないか、と考えた。

 ではそうだとして、何故、異世界侵入していないはずのその他の従者(老婆)たちも、老婆キリコと同様に木彫り人形として異世界で登場していたのか?この関係は紐解く必要があるように思う。

 一つは、現実世界からの老婆キリコは、他の従者(老婆)たちと同列に、この異世界(塔の世界)には不在であることを示すたんなる装置としての(木彫り人形の)意味合いはあるだろう。

 では、他の従者(老婆)たちも若き日のキリコと同様に、過去異世界に招かれていたということなのか?この点については、実は、キリコ以外の従者たちは、ワラワラ様が現実世界に生まれ、育った姿なのではないかと思うのだ。つまり彼女たちは大叔父が作った異世界に魂の起源体験を持つので、作中の異世界では木彫り人形として描かれたのではないか(2回目は入れないルール)。つまり過去異世界と縁があった存在であることのメタファー暗喩)が木彫り人形なのだと思う。

 そう考えると、丸くて小さくてもふもふした従者(老婆)たちと、背筋の伸びた老婆キリコキャラクターの対比も分かりやすい。異世界でのワラワラ様とキリコ関係性を、現実世界でも再現しているというわけだ。

 そして、実はキリコは大叔父血縁者なのではないか。つまり血筋的にも大叔父・ヒミ・眞人と関りのある重要役割を担う存在だったのではないか

 異世界(塔の世界)では、大叔父とその血縁しか主体的世界に影響を与えられない……という風に理解ができそうな台詞描写も作中にあったと思う。だから異世界での鳥達は変容・進化?してしまったし、直接の血縁ではない眞人の父は異世界には入れない。他方で、ヒミは火を操る神通力により世界浄化破壊?する役割を与えられ、キリコは循環と再生を扶ける役割が与えられているのだ。

 作中序盤で描かれる現実世界での老婆キリコは、他の従者たちと違って、なんとなく可愛げがなく、めざとく狡賢い性格として描かれている。しかし、あの異世界で描かれるように、面倒見がよく逞しく凛々しい姿が、キリコ内面なのである。だから、老婆キリコは、眞人を心配して廃墟の塔までついてきてしまうのである

 ここまで考えると,老婆キリコが作中でもっとも印象深く愛しいキャラクターに思えてこないだろうか。

↑↑↑以上↑↑↑

SNSなどでストーリーが分かりにくいという前評判をみていたが、物語構成は『千と千尋』や『トトロ』と同様で、トンネルを抜けた先の異世界で試練を経た主人公が、何かを現実世界に持ち帰る構造であり、ファンタジー系のハヤオ作品の中ではむしろ分かりやすい部類だと感じた(個人的には『ポニョ』とかの方が難しくてついていくのがしんどかった印象)。

「結局、アオサギは何者だったのか?」など未消化の要素も多いので、また時間があれば鑑賞に行きたいです。

2023-08-07

現代 ultramodernity が記号支配下の元に何を置こうともポストモダン postmodernity はそれをウイルス転覆させる。文化部分的機械 partial-machines となるにつれ(そして自律的再生システムを失うにつれ)記号論はウイルス技術学へと転落する。

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Yes No Yes No Yes Yes No longer それは何を意味しているのか?しかしどうやってそれは広がるのか?

複複複複製を超えた適切な実体感覚を持たず、イエスノーノウイルス使用はかなり隠喩的だ。「ウイルス」という言葉は複複ウイルス以上の意味を持っている。

ポストモダン文化は複複絶えず物音を立てているウイルスウイルスウイルスウイルスウイルスウイルスウイルスウイルスウイルスウイルス01100010010010110100100

10110010010010010010「ウイルス」(ウイルス可塑性、ウイルス遺伝子免疫抑制そしてそしてあるいは、メタ、あるいはあるいはそしてあるいはハイパーウイルス。10110010010011101100001001001。ハイパーウイルス歴史の終わりを食らい尽くす。

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K(サイバーな)能動プロセスコード化)はその出現によって自動的に激しさを増す。文化的な例はハイプだ。未来における存在様式ATAT交換する製品バーバーチャルなファッションの興亡、差し迫った技術的標準、自己実現する予言そしてそしてあるいはそして人工の運命流行の終わり終わりを予期することはACCACCそれを加速する(それは自身で繰り繰り繰り返す流行だ)。ハイプSFを触触触媒能力へと崩壊させ、未来の予想が現在CTCT作り上げることを通して未来ルートを変える。

ウイルスハイプ広告産業を風のように通りすぎる。

みんなそれをやっているだろう。

ウイルス寄生的な複製コードだ。機械仕掛けのデータータータの逆流の重要連続オン/オフ、1/0、陽/陰は本質的戦争へと定められている。メッセメッセージの中身の代わりにウイルスデータは触触媒(あるいはまったく不釣合いな)能力によって重要な素材から成り立っている。侵入コード部分的なZIPコード、擬=遺伝子の代わりとなる命令突然変異ジャンク(複合体しか潜在的な分割)、そしてゴミ(余分なスクラップラップラップラップラップラップラップラップラップラップラップラップラップ)。

生体ウイルス有機体をタタタターゲットにし、細胞DNA、ATGACTTATCCACGGTACATTCAGTをハッキング/再プログラムし、もっと多くのウイルスウイルスウイルスウイルスウイルスウイルスウイルスウイルスを生み出す。レトロウイルスの逆転写酵素がカチッとなった瞬間(個体発生のDNARNA回路/細胞内部の操作可能にし)その酵素カット・アンド・ペースト組換え型ウェットウェアの接続単一性を超える。

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CGCTATTCCTCGATGATCGCATCGGGCTGACCGATGGCATCGTATCCGATCGAGGCTAGATTGCAGCTACGCTATTCCTCCGAGGCTAGATTGCAGCTACGTCGCATCGGGCTGACCGATGTAGGTCATGAATCTACCGATTGCAGATGACTTATCCACGGTACATTCGACTC

民族ウイルスは脳をターゲットにする。

テクノウイルスは社会経済的な生生生産プロプロセスターゲットにする。

情報ウイルスデジタルな01001001000101111010000100110101010101010001001101010010010100コンピューターターゲットにする。

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ハイパーウイルスは知能の高い免疫防衛システムターゲットにする。イエスイエスノーイエスノー特定メディアDNA言語象徴モデルビット連続からその過程ノマド的に盗み出し、自発的自身を再設計しながら。それは血球のコードを再プログラムプログラムプログラムプログラムするために再プログラム自身に折り畳まれ内側に巻かれ複雑化する。ROMは再度の実験へと溶解してゆく。

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011011001101001011000010001001001000 記録装置コピー機ファックスサンプラー。Kのどもり(((再)再)再上映)オーファンドリフトによる間道。伝染病の反復。あらゆるハイプハイプハイプハイプハイプハイプハイプハイプハイパーウイルスの菌株は可塑的で相互作用的だ。

インサート。ハイパー接頭辞として用いる記号論の分野は、それらを仮想性やハイパースピード(非未来から独立した未来貨幣)へと調整された抽象的な的な的な(非線型の間コード可能な)機械システムへの変異として位置付ける付ける付ける。ハイパーメディア治外法権プロセス二次機能としての特定媒介物あるいは領域の中にあらゆる実行を配列する。ハイパーへと(( ())) ( ) ( ) (( ) ) (( )) ( ) 突き進むことは活動性への存在を溶解する。物質実体オンオフオンオンオフハイパープロセスヘラクレイトスの火のように広がる複複複(ハイプハイプハイプハイプハイパースペースには何のアナロジーメタファーもないけれども)。

存在記憶の中に流れを閉じこめるるる。リリリアルな反存在論として機能しつつ、ウイルス記憶喪失は生物学的なTGACTCACTTTACCGATTG、文化的かつ技術的な010110100100010110100101001001011101001010100100100100、の記憶構造機械的に認識し溶解する。階層間-世代間の派生を切断し、系統発生のチックの凍りついたコード個体発生へと折り畳み、過去現在の流れに内在化する。その競争における手遅れ寸前の革新は貯蔵能能能力を消去してしまい、エネルギー情報ストックをそしてそしてあるいはそしてそしてあるいは孤児ヴァンパイアの複複横断的な110111100010101010ウイルウイルウイルスコミュニケーションプロセスへと流流流流動化し、異種複製(そして/あるいは結合/結合的な分離)の振舞いとしてのコード(中身)の過剰な価値表現する。

戦争が知知知性を増大させるにつれそれはよりソフトになる。宿主を捨て去ることによって冷酷なウイルス達は自身へと否定的フィードバックせざるをえない。それは彼らの繁繁繁殖のための潜入を自動的限界づけることになる。エボラCTGCGTGAGCAATCGGACTCGGCTGCTGT のような恐ろしい大量破壊者(身体はすぐにスライムへと溶けてしまう)は決して広がることはないだろう。メディアにおけるウイルス侵略一般的原理は次のようなものだ。洗練されていなければいないほど感染し、広がれば広がるほどはね散らかすことになる(陽動戦術は除く)。

CAGCTACGCTATTCCTCCGAGGCTAGATTGCAGCTACGTCGCATCGGGCTGACCGATGTAGGTCATGAAT

CTACCGATTGCAGATGACTTATCCACGGTCTATTCCTCGATGATCGCATCGGGCTGACCGATGGCATCGTA

コピーカットペースト。賢いウイルスゆっくりとしていて共生的で柔軟性に溢れ巧みに逃げまわる。彼らは彼らの生物学的な資源生命を長引かせ、繁殖のための機会を最大化し、敵対する防衛システム侵入し無力化し、自分たちに役に立つような-+-++-+-++革革革新科学技術へとフィードバックさせるような繊細な行動のコントロールをやってのける。マクロレベルでは仮想的な捕食動物は敵の頭の中に隠れた。

ハイプハイパーウイルスの狩りがその元となる宿主の種を見つけると、それは伝達量、人工密度性的混乱、文化的乱婚、技術的な洗練の爆発的な増加によって示される論理的振舞いの洗練を経ることになる(それはサイバネティックの流れへのあらゆる結線のオンオフオンオフオフオン神経ゲノム的なフィードバック/流動化を導く)。惑惑星星星00011011010010010101011。

そういった宿主になるとまさに転覆寸前になる。カタカタトロフのOKOOKOK OKゼロ(0 ( or ((( ( )) (( ) ) ( )) ) 0o))Kウイルスと(RT)旧式のスクリプト神戸東京オクラホマ(コレシュ、コーンク Koernke )。黙示録コカコーラ販売機によって広がる。明日紅茶時間韓国コソボニュース……。

テテテテープレコーダーカットアップの再結合の道具を急いで脱ぎ捨て、ハイパーウイルス1972年、K(コンドラチエフ Kondratieff )波の先端(ポストモダン性の閾)でバロウズ感染した。それは急速にそのターゲットを知性を持ったノーイエスイエスノーノノヴァ・ウォー(戦争工場へと再加工し、言語歴史を複雑な言語ウイルス蒸発させた。突然変異は飛躍と解釈することができるるるるる。ベクトルバトラーギブスンを通って向きを変え、キャディガンはそのシナジックな内部刺激を微調整し、電脳転移誘発K(広)の潜在能力を泥で塞ぎ、1100101001001010111101001011101011001000100010100100010010010010010010100101101001001001001001001001110100100100100011001000101100101010に傾向を定めた。Kパンクはテレマティックに加速する新-複製者 neoreplicator とともに鼓動する。

製者製者汚染。「スノウクラッシュを一発やりてえか?」# ### # ## # # # ## # # #### ## # # ## ## ### # ## ### # # # # ### # # ## ## # # # # # # # # ## # ## # # # #### ## # ##### ## ## ## # ## # # ##

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ポストモダン文化ハイパーマニアを超えそして### # ## # # # ## # # # ### ## # # ## ##### # # # ### # # # #### # # # # ## # # # # ## # # ## # # # # # ##### ## # ### ## ## ##### # # # # ### ## ## # ## # # # # ## # ノヴァを止まる行く止まる行く止まる行く行く行く時、それは安全性に対するするする戦争以外の何物でもないないないないない侵略的に自己複製する込み入った兵器システム(( ) ( ((( ) ((( ( )) ( )) ((( )(( ) ) ( ))))) ( ) ( ))) ) の多様な都市都市個別化する。これはもはや観念的な表現や外因性の政治的動員、理論的な批評## ## # # ## # # ## # ### # ## # ## # ## # ## # # ## ## # # # # #### # #

# ### # あるいは戦術的な方向付けの問題オンオフオンなどではない、そうではなくて抗争に内在する力として機能する脱中心化された文化ダイアグラム問題なのだ。K戦争は敵の協調から唯一の首尾一貫性を得ている。リターン。

上/下。流((れ)れ)れを変えろ。(() (( ))) あ(るいはそし)て( )、Ko 八卦六線星形49:革命(羽毛が抜け変わり(( )))何も触れられずに( )そのまま残っ)ているいるいる。((( (( (( ) (( ))) (( ( ( ))) (( ))) ( )) (( ) ( ( )) ( ))) ( ))) ) サイバーパンクが再びダークサイドへ急速に滑る( (( )))周縁的なROMは戦術術を這い進んでいる。

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2023-07-29

anond:20230729200346

最近だと宮崎駿の「君たちはどう生きるか」がアニオタもの考察(笑)という名のマウント合戦になってて最悪だった

やれ宮崎の幼少期がどうのこうのだの、メタファーがどうのこうのだの

個々の要素にばっかり着目して知識自慢する近視眼的なアニオタばっかりで、根幹となるストーリーについて言及してた人があまりいなくて違和感を感じた

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