はてなキーワード: ミルグラム実験とは
追記でコメントを拾われてる。独り言と言うか、どこかで見てるかも知れない神様への発語にすらお目を通していただけたようで慶賀の限り。アドレナリンいっぱい出てそうで楽しそうだ。 増田 メタ
この増田への 【追記あり】教養って文化資本に恵まれた奴がマウントを取るための道具... 言及だ。
私は以前から、はてなブックマーカー達は上から目線が過ぎるのでは。と思っていた。
増田など名もなきブログ筆者に対して、現実の赤の他人には決して言えないような暴言を聞こえよがしに言うことがある。
ブクマカは通常、言い返されない。
何を言っても、受忍される。
そういった犯罪者は被害者が悪いことをしているから狙った、被害者のせいで捕まらなくてもいいのに自分は捕まった、このような主張をします
そしてこれは根拠がなく調べたわけでもなく取材したわけでもなく、私の妄想みたいなものになりますが、少年犯罪に他責的、被害者意識が強い者が多いのは、そこを漬け込まれたのではないかと考えています
若者が金が無いのは老人のせいだ、あの年寄は金を持っている、本来は若者が受け取るべき金なのに老人に金が集まっている、若者が金を使った方が経済はよくなる
いわゆるオレオレ詐欺、特殊詐欺の受け子・出し子はそのようにそそのかされて犯罪に加担した者が多くいます
もちろん偶然などではなく必然です
胴元は被害者意識を利用することは非常に有効であることを知っていて、犯罪へとかどわかすのです
いわゆる心理トリックの一つですが、一般に犯罪や間違いと考えられるものを行わせるには、ミルグラム実験のような状況を作り上げるよりも被害者意識を利用する方が効果的なのでしょう
現代では実験により確認することは無理ですが、現代のプロパガンダを鑑みれば同意してもらえると考えます
しかし、被害者意識を煽り立てる言動は、意図しているかは別として、肥大化させた被害者意識が犯罪者の胴元に利用されることを知るべきです
犯罪者の胴元でなくともアジテーターは被害者意識に訴えることが既に有効だと知っています
伴い、ならなくてもよかった人物が犯罪者になるケースが増えると予想されます
医学生物学論文の 70%以上が、再現できない - 目次 | Nature
心理学の研究結果、6割以上が再現不可能 検証調査 写真1枚 国際ニュース:AFPBB News
心理学研究の信頼性に疑問を呈した論文は「誇張」、米ハーバード大研究者ら 写真1枚 国際ニュース:AFPBB News
再訪 ミルグラムの服従実験 : 実際のところ何を証明したのか?
Did Stanley Milgram's Famous Obedience Experiments Prove Anything?
「スタンフォード監獄実験」は“世紀のイカサマ”だった!? | 世界的に有名な心理学実験の「巨大なウソ」を暴く | クーリエ・ジャポン
スタンフォード監獄実験は仕組まれていた!?被験者に演技をするよう指導した記録が発見される : カラパイア
うっひーマジっすか。行動経済学は再現性皆無、カーネマン&トヴァースキーもかなり悪質なチェリーピッキングしていて、鉄板と思われていた損失忌避すらかなり怪しく、ナッジなんて現実ではほとんど効かない! うーん。アリエリの不正問題は知っていたが、こんな本丸まで揺らいでいるとは!
ttps://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/hiyori13/status/1435954260882067458
「行動経済学は死んだ」騒動のメモ|ふろむだ@分裂勘違い君劇場|note
ttps://b.hatena.ne.jp/entry/s/note.com/fromdusktildawn/n/nbecfb941b31e
https://www.consultsourcing.jp/8129#dm7
職場でパワハラを経験したのでパワハラに関心があり、結構調べてたんだけど、ちょっと足らないなと思った。
1、コミュニケーション不足
3、被害者意識
だそうで、まあそれはそうだろうなと思うんだけど、気になるのは、パワハラの責任がパワハラを行った当事者にのみあるみたいな雰囲気。勿論やったやつが悪いんだけど、環境にも問題がある。
そんで、現実を見てて思うのは、「パワハラをやるやつにはバックがいる」ということ。パワハラって、さすがに相手が苦しんでるのはやってるやつも認識してる場合が多いので、「ちくられないかな」みたいなことを思うこともあると思う。
そんなときパワハラ野郎が思うのは、「自分の上司は、自分と部下だったら自分のほうを信用してくれる」というもの。なのでパワハラに踏み込める。つまり、この、「パワハラ野郎とパワハラ被害者のうち、パワハラ野郎のほうを信用する上司は結構悪」という話。
でもこういう構造は結構あると思う。パワハラ野郎は管理職であることが多いので、誰かがパワハラ野郎を昇進させてる。優秀だと思うから昇進させるのであって、何か揉めた場合も信用する可能性が高いだろう。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/ミルグラム実験
ミルグラム実験をご存知だろうか。詳細はリンク先を読んでほしいが、これは「閉鎖的な状況における権威者の指示に従う人間の心理状況を実験したもの」であって、簡単に言うと「人は後ろ盾があるとひどいこともできるようになる」という話。俺が言いたいのはこういうこと。
パワハラが起きたとき、責任の一旦はパワハラ野郎の上長にもかなりあるみたいな感じになってほしいと思う。そしたら必死で防ぐんじゃないか。揉み消したりもしそうだが。
以前から、セクハラの線引き問題を筆頭にして「他人と関わるリスク」は認識されていたが、コロナウイルスの存在により、それは物理的にも正当化されることになった。
その結果、危機感にも煽られて、他人は感染源で迷惑で税金泥棒でワガママだといった妄想意識は、正当なリスク認識とぐちゃぐちゃになったまま、行動で示されるようになった。
例えば、電車車内でのマスク無しの咳に対する叱責なんかは、感染するリスクを権威者とした社会的ミルグラム実験に、そういう意識をこっそり載せたようなものだろう。
https://okuranagaimo.blogspot.com/2020/04/blog-post_18.html?m=1
ところで、上記ブログはコロナウイルス後の世界について書かれたものだが、各論に基底として在るものの、そこに明示されていない事項は、「人間嫌い」に対する社会的容認が進むということではないのだろうか。
テレワークの話なんかはまさにその通りであるし、ナショナリズムの拡大も、人間から組織へのシフトと考えればそうなるだろう。政府のやることにつべこべ言うな!という意見も、まさにその現れだろう。
こういった、自分以外の人間は汚らわしいという意識は、政治経済よりも根源的である人間関係の在り方をも変えてしまうだろう。あんなに親しい家族でさえ、ウイルスを持ち込むリスクになるのだから。
インフルエンザの頃から、子供が学校でもらってきた、といった例があったが、これが致死傷になるのであれば、まず家族を持つことに躊躇いが生じる。一人暮らしのスタイルは優位性を持つだろう。
その結果、少子化対策には国民の理解が得られなくなる。そして、まさに濃厚接触である生殖行為も、個人的行為のまま遠ざけられていく。その結果、人間においても人工受精が進むだろう。
「平常に帰る」ことはない、それが一番大きく現れる分野は、まさに自分と他人の人間関係においてだと思ったので、とりあえず急いで書いてみることにした。
アメリカ合衆国初代大統領ジョージ・ワシントンはインディアンに対する差別や黒人奴隷プランテーションを大々的に行ったから、建国の父として讃えられることは間違っていると主張するニュース記事を見た。
個人的にはアメリカにもワシントンにも思い入れはないので、別に彼を擁護するわけではないのだが、このような考え方には違和感を覚える。あなたが彼だったとして、あの時代に生きて、奴隷制に反対という立場を取るだけの勇気があったのか?と偉そうなことをいってみたくなるのである。よく言う、時代性を考えれば妥当じゃないかというやつである。
どうして時代性という考えが生まれるのか。我々の倫理観はどうして進歩するのか。
人は、環境によってその生き方を変える。アイヒマンという有名なナチ高官がいた。彼はもともとは穏健派でマジメな公務員タイプの人間で、ユダヤ人はアーリア(ドイツ)人と隔離して生活させるべきという思想こそ持っていたが、虐殺することはやりすぎだと当初は考えていた。しかし、他のカリスマある過激派幹部党員たちと討論を重ねた結果、ユダヤ人はやはり根絶やしにするべきだと意見を翻す。
結果としてユダヤ人を虐殺する命令書にサインした彼は、当然のことながら裁判にて死刑を言い渡されるが、のちに、彼と同じような圧迫状態に置かれたときに人間が倫理にもとる行動を取るかを調べた、いわゆるミルグラム実験において、人間の多くは道徳より権威・安全・保身を優先することがわかった。
人を、倫理を、道徳を規定するのは環境だ。では環境を規定するのは何か?一体何が奴隷という怖ろしい制度を肯定する道徳を生むに至ったのか?
ワシントンの時代、奴隷労働による大規模なプランテーションなしにはアメリカの工業化は支えられなかっただろう。リンカンによる奴隷解放だって、北部の工業化が十分に進んだ結果、奴隷の需要が薄くなったのが原因のひとつだとされている。
彼らは、奴隷労働なしには生きられなかったのだ。少なくとも、奴隷労働なしにはアメリカは今日のような巨大工業国に育つことはなく、このグローバルな科学社会もいまほど繁栄することはなかったであろう。
環境を規定するのは科学技術だ。人類の知恵だ。我々の需要を、その時代の科学技術が満たしきれないとき、我々は一部の社会的弱者に負担を押し付けてやり過ごそうとする。これは時代を超えて起こってきたことだ。日本国内を見ても穢多・非人・部落など枚挙に暇はない。
奴隷労働という『悪徳』の恩恵を享受した我々が、そのことによって得た新たな道徳観で彼らを批判するとはなんだか皮肉だ。回顧主義によって昔の人の悪徳を批判するのもいいが、むしろ未来の人間に批判されるべき悪徳が自らに備わっていないか、我々はもっと考えるべきではないか。
非正規雇用労働者、医学部の不正入試問題、保育士や看護師と言った一部の職業の常軌を逸した低賃金労働、過密環境下での畜養エトセトラエトセトラ……これらは、数十年後科学技術が進歩したときにはおそらくほぼ解決されるだろうと私は考えているし、その暁には未来の運動家たちの回顧的な批判にさらされるだろうとも、私は考えている。
貧困にあえぐ非正規雇用労働者が労働者全体の数十パーセントまでをも占めるのはなぜか。会社に正規雇用者を雇って保険料その他の経費を払うだけの経営的体力がないからだ。会社が流動性の高い人手を求めているからだ。正社員がその要件を満たすようにするための仕組みがないからだ。それらの問題を解決し、全ての雇用者たちに十分な生活物資を与えるだけの生産技術を我々が持っていないからだ。
犬や猫といった一部の哺乳類が動物愛護法で手厚く守られているにも拘らず、同じ哺乳類でも豚や牛は毎日おびただしい数が動物愛護という概念につばを吐きかけるような環境で肥育され屠畜され死んでいくのはなぜか。そうしないと我々は良質かつ大量の動物性蛋白質を手に入れることができず、そして動物性蛋白質を手に入れなければ人は健全に成長することが難しいからだ。
女性が医者になることが嫌われるのはなぜか。女性が妊娠したときに、医療という絶対に穴を開けてはならない業務にできる巨大な穴を埋める方法が現在見つかっていないからだ。そもそも、女性が妊娠したときに長期に渡って休職しなければならないほど、医療技術やリモートワークが進歩していないからだ。
話はそれるが、医学部不正入試の際に、この問題を提起した人が炎上していた。女性が多くなると、その分医療従事者に負担が増えることになり、システム全体が崩れかねないと。日本に生きている以上、誰しもこの構造的な問題の恩恵を受けているはずなのだが、これを一方的に叩いていた人は一体何様のつもりなのか。さぞ時代を先行きする高い道徳心をお持ちなんだろうな、と思いながら見ていた。
もっと直接的な話をしよう。石油資源を燃やさないため、トウモロコシなんかの生物資源から取り出した燃料を使おうという動きはかなり昔からある。だが、もし今すべての車がバイオエタノールを使いだしたら何が起こるか。全ての森林をトウモロコシ畑にしたとしても、我々の消費しているエネルギーを生産するにはとうてい足りないのだ。つまり、バイオエタノール、生物燃料という考え方は(少なくとも現行の技術では)人類を支えるだけの力を持っていない。現在の我々は自らの使うエネルギーを自己生産することすらできないのである。そして、そのつけを払わされる社会的弱者とは、未来人たちだ。彼らは、化石燃料は燃やし尽くされ、大気の汚染され尽くした地球という大きな負担を押し付けられるのだ。
この我々の巨大な『悪徳』に対して、我々は未来人になんと言われるのだろうか。呪詛を投げつけられるのだろうか。それとも、時代性という言葉とともに、やんちゃをしてしまった子供を見るような目で許してくれるのだろうか。いずれにせよ、今のところは物言わぬ存在である彼らからは批判されないのを良いことに、彼らに莫大な負債を押し付けていることは間違いない。
我々は皆、生きていくために必死だということを言い訳に、平気で他者を踏みにじる、巨大な業を背負った罪人なのだ。そして、そうである以上批判されることはあるし、完全に正しく生きてかつみんな幸せにしようなどという幻想は捨てねばならない。様々な意見を取り入れ、熟慮し苦悩した末の自らの選択は批判されないと思ったら大間違いである。皆あなたと同じように苦しんで、罪を背負って生きているのだ。むしろ、我々の権利とは、自由とは、選択とは、もらった批判を受け入れるか、心の中でくさすか、そこにこそあるのだ。
理想論を語るにしろ、現実論を語るにしろ、それを受け入れるところから始めなくては、現代の社会問題に関する議論は的外れなものになってしまうだろう。
「精神健康の増進」という国民的課題に対して、いちばん当事者意識がないのは東京大学でしょ。
初回のオリエンテーションからひどかった。フィンランドの精神療法のリフレクティングというのやらされました。
こちらは援助職じゃないんです、当事者なんです。当事者に精神療法をやらせる。無茶振りもいいところです。
回りくどいことをやらせずに、ストレートに話をさせ、来たことを褒めてくれれば、いちばん精神衛生にいい。
協働というのは、来ただけでエラいので。自腹で来ているだけでえらいんですから。
ミルグラム実験を思い出しました。閉鎖的な環境下での学者の心理実験には要注意。
非人道的だと思ったら外部に助けを求めること。ぜったい密室にさせないこと。
向こうは「場の安全」とか言いますけど、いちばん危ないのは君たちでしょ。
倫理委員会に「一般から募集した障害者に対して、ミルグラム実験のようなことをやらないでほしい」と相談しました。
しかし倫理委員会によれば、監視対象は研究(主に医学部で行われる)なので、学習は対象外との回答。これはおかしいと思う。
一般から募集した障害者というのはいちばんストレス脆弱性が高い層なので、注意深くあるべき。
第二回からは冒頭で「気分が悪くなったら休んでください」というアナウンスが入るようになったので、多少は気合が入った様子でした。
本当は保健所とか、労基署とか、独立した外部機関が入った方が、ガバナンスとしては正常だと思う。
精神障害者から身体障害者まで、あらゆる障害者を募集しちゃった。
小学校でも、普通の小学校と特別支援学校とでは必要な教員免許がちがうわけですが。
受講生が生物学的に耐えられるかどうかではなく、自分たちの都合(政治的な正しさとか)を最優先した。
いつもの駒場の論理で盛りだくさんのカリキュラムを組み、つめこみ教育をやった。
自分たちは日本でいちばんの大学の教員だから、指導力があるはずと奢っていたんじゃないですか。
一流大学の教員に指導力なんて求められない。応募してきた学生を振るい落とすのが仕事だから、誰だってできる仕事。
生徒ひとりひとりの個性を見抜いて、褒めて伸ばすなんていうことはできない。
受講生同士の横の人間関係を育てるという視点が欠落。ホームルームや学級会に相当する時間をまったく設けなかった。
エビデンスを認めない。文科省の報告書でも「実証」という言葉で叱責されていますが、理屈にこだわる。
建前を向こうは並べ立ててくるんですけど、こっちは体でストレスを感じている。エビデンスベースドで話が進まない。
安冨歩さんの『原発機器と東大話法』を読んでいるんですが、この本は東大人の行動を理解する上で示唆に富んでいると思う。
「対人操作をやる」というのは納得。
交渉力が高い。雄弁・多弁で、すごいしゃべります(文科省は「対話」という言葉で叱責)。感受性は低いです。
それってパワハラなのよ。
「都合のいい福島県民」を見つけてきて、自分たちは東大話法でちゃっかり傍観者を装う。
ただでさえややこしい福島に、ややこしい東大文系が近づき、もっとややこしくする。
そうやって生成された摩訶不思議な「哲学論文」とやらを英訳して海外に発信。
中身を少し読んだが、自己満足の作文って感じだったので、そっ閉じした。
私たちの税金は社会の中でこんなふうに「有効に」生かされているっていうわけ。
https://anond.hatelabo.jp/20170715092225
・増田は状況に呑まれており、マタハラ野郎かどうかという増田個人の価値観と言えるかどうか疑わしい
・ブコメで「マタハラ野郎ですありがとうございます」と叩いてるブクマカも同じ状況なら大半は呑まれて似たようなことを言う
・状況が変わったとき、ジョセフ・ジョスター風にいうなら「増田は次に『あの頃自分はおかしかった』という」
中小の超長時間労働の会社に勤めていた時、周りは「まだ電車が動いてるのに、仕事をのこして帰るなんてどうかしてる。ていうか、終電逃してタクシーで帰ってない奴が『頑張ってる』っていうのおかしい」っていう価値観が蔓延してた。
仕事量をコントロールしないで、きたものはやり尽くすっていう方針が問題だったんだけど、そういう状況だと、職務遂行力が高い優秀な社員ほど、この状況に呑まれて行く。
有能だから権限が与えられる(仕事量のコントロールは除く)→責任が増える→達成する→褒められる→自分の異常な量の献身は正しかったと認識を補強される
このレールに乗れないと思った奴は、集団では「扱いづらい変な奴」か「やる気のない意識低い奴」と扱われる。
乗れた奴もいつかブッツリ切れて会社来なくなる。
そして、穴を埋めるための非常事態が発生して、「そもそもおかしいよこの状況」という問いを発する人間は「んなこと今言ってもしゃあないでしょ、正論君さぁ」と言われ、非常事態は日常的にずっと繰り返される。
状況に呑まれて権限に補強されたら人間の価値観は整形されるってのを間近で見て、ミルグラム実験が正しいって実感した。
だから増田が「自分はマタハラ野郎か」と悩んでいるのも気の毒に思うし、叩いてるブクマカも「はー、人間の自由意思や価値観の強固さを信じすぎじゃない?ウブだねー」って思う。
お前の好きなスタンレー・ミルグラムの「服従の心理」が映画化されてるぞ、という話を友人から聞いた。
あれをどうやったら映画化出来るんだ、頭おかしいんじゃねえの?と思っていたら半分マジだったようだ。エロそうだし見に行こうかな。
http://m.cinematoday.jp/page/N0052077
ミルグラムの方の服従の心理は「ミルグラム実験」について書かれたものだ。内容はかったるいのでWikiを読んで欲しいが、まあ善良な一般市民でも偉い人に命令されたら平気でひどいことしちゃう><というもの。
http://ja.m.wikipedia.org/wiki/ミルグラム実験
ここからが本題。ミルグラム実験は別名「アイヒマンテスト」という。Wikiにも書いてあるとおり、「ユダヤ人をガス室に送りまくったアイヒマンさんは地も涙もない根っからのサイコ野郎なの?それとも奥さんに花束をあげちゃう普通の人なの?」というところから始まったらしい。このアイヒマンさん、もし現代日本に生きていたらどうなっただろうか?在日特権を許さない会(笑)とかに入って楽しい活動をしてただろうか?
日々勤労し社畜性を養っている皆様には気をつけて欲しい。僕の大好きな本にこんなセリフがあった(知ってる人も多いかも)
「仕事だから。19世紀の夜明けのこのかた、仕事だから仕方が無いという言葉が虫も殺さぬ凡庸な人間たちから、どれだけの残虐さを引き出すことに成功したか、君は知っているのかね。仕事だから、ナチはユダヤ人をガス室に送れた。仕事だから、東ドイツの国境線警備隊は西への脱走者を射殺することができた。仕事だから、仕事だから。兵士や親衛隊である必要はない。全ての仕事は、人間の良心を麻痺させるために存在するんだよ。資本主義を生み出したのは、仕事に打ち込み貯蓄を良しとするプロテスタンティズムだ。つまり、仕事は宗教なのだよ。信仰の度合いにおいて、そこに明確な違いはない。そのことにみんな薄々気がついてはいるようだがね。誰もそれを直視したくはない」
つまりは何が言いたいかと言うと、陳腐な言い回しだが、「立ち止まって自分の頭で考えない」ことは明確に罪なのだ。
我々「勤勉で真面目な」日本人のこの宿痾をどうしたものだろうか。
とかではなく、働きたくないでござる。ということでござる。僕の就職に対する嫌悪感を婉曲に表現したでござる。働きたくないでござる。働きたくないでござる。
あ、あと服従の心理はめちゃくちゃ面白いのでWikiを読んでわかった気にならずに是非書店に出向いて買って欲しいでござる。内容がだいぶ違うでござる。