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はてなキーワード: ミューとは

2024-04-25

苦手な人たちについて

所謂量産型地雷と呼ばれる人達を見ると苦手意識が混ざり込んでしまう。

数名ほど、SNSで実際に繋がり投稿を見ていた時期もあったが価値観が合わず相互フォローを切った。

私の運が悪く、たまたま出会ったタイプが偏っていたのかもしれない。

ガーリー服装が嫌いなわけではない。服が嫌なのではなくインターネットにいる量産型地雷オタク内面が苦手だ。

単に使う絵文字字体が得意ではないということもあるが、一番嫌だったのは人を馬鹿にして見下していた部分だ。

やれ誰々が痛いだの、やれ同担がきしょいババアばっかだの、やれ芋臭くて痛いだの、それをネチネチ垂れ流してるのが見るに堪えない。

ファンオタクなんてほぼ全員キショいだろ。私もあなたも含め。

普段は苦手なスタンスの人は角が立たないようミュートだけで済ませていたが遂にブロックした。関わらないことを祈る。

再度言うが、私の巡り合わせが悪かったといかうのもあると思う。量産型地雷オタクが全員こうだとは思ってないし、思わないようにしている。

だが見かける人達が軒並みこうなので、もし身近にこうじゃない人がいるなら教えてほしい。偏見を持ちたくない。

嫌いなものをグチグチ言うより好きなものを浴びて幸せになった方が有意義なのでもうやめる。

読んでくれた人ありがとう

2024-04-21

anond:20240421095720

無意識という言葉があるようにみんな脳内ミュートしてるんだぞ

この機能が壊れてるやつがギャーギャー騒いでんだよなあ

不快ものを「ミュート」できる世界

いずれ技術が発展すればSNSミュー機能みたいに、自分が嫌いな要素を予めブラックリストに入れておけば視覚メガネコンタクトレンズ聴覚イヤホン耳栓フィルタリングできる様になるのだろう。

もっと技術が発展すれば嗅覚や味覚のフィルタリング可能なのかも。

なにせ最近の世の中は自分不快にさせる存在を無くそうって人が多数派だ。

不快だと叫ぶ人とと不快だと叫ぶ人の存在不快だと叫ぶ人が、SNSで日々やり合っている。

でも現実的に考えて不快ものを全部無くすのは難しい。

実際SNSミュートやブロック機能不快ものを無くすよりも、不快ものを見ないようにする方が楽だからそちらを実装しているのだと思う。

現実にもミュートやブロック可能になれば、ストレスが軽減されて生きやすくなる人は多そうだとは思う。

でも現実でもミュートが可能になったら、色々弊害がありそうな気もするんだよな。

たとえばホームレスを視界に入れたくないって人が「路上で寝てる人」をミュートしたら、怪我病気で倒れてる人に気づかなくなったりするんじゃないだろうか?

血を見るのが苦手な人が血の色をミュートしたら、痛みが少ない自分出血アレルギーが原因の鼻血とか)に気づかないみたいな事も起こり得るんじゃないだろうか?

死体なんて誰だって見るのは嫌だけど、死体ミュートしてたら通り魔に出くわすまで危険に気付けないって事になりかねないのでは?

と今のところ現実には存在しない技術について、勝手心配になったりしてしまう。

まあ目下の俺の課題は、冷蔵庫の奥になっていて賞味期限が切れるまで気づかなかった卵をどう消費するかなんだよな。

こういう時に現実逃避してしまうのが俺の悪い癖だ。

とりあえずスパニッシュオムレツでも作ればいいんだろうか。

卵の食べ過ぎにならないように、小分けにして冷凍すればなんとかなるのかなぁ。

2024-04-18

anond:20240418223159

友達ってかフォローフォロワーやな。

それ系垢のRTやら署名がどうたらやらが流れてきたらミュートってやってたら結構な数になっとるわ。

まあサークル側が大半だし、趣味でも成果で比較される環境で負荷がかかるとダメってだけなのかもしれないな。

消費者オンリーオタクが虚無らない様ってあん想像できんけど、負荷が無い状態で飽きない限りはオタク趣味を頼りに弱男ロールモデルとか言ってられる可能性はワンチャンあるな。

2024-04-14

anond:20240414153619

派遣業務経験にならないとかどこの業界の話してるんだろう

上級国民はそういう認識なのかな

派遣やってるだけで育ち悪いタグつけてミュートしても許されるような立場じゃないと出てこない発想だよね

ちなみに弊社はパートタイムやってるときの経歴も大歓迎です

多様な働き方を認める社会ならバイトでも派遣でも何やってきたか大事だよね

それを認められないということは・・・

anond:20240414032849

最近は関わったら負け、関心を持ったら負けというのが匂いでわかるようになった

騒いでる連中がリアルで関わる価値のない底辺もしくは自分とは無関係距離を取るべき人間というサインが見える

共同親権は先日の「死んでほしい」みたいな増田でオートミュート(目に入った瞬間に脳内で視界から消す)が発動して

今後関心を持たないことにした

2024-04-13

X(旧Twitter)のミュー機能名前にも適用してほしい

アラビア語?は軒並みミュートしたんだけど、インプレゾンビって日本語でリプしてるから全く役に立ってないんよね。けど、名前にはアラビア語使ってること多いから、そこにミュー機能働いてくれれば、いちいち、ブロックする必要なくなる。

後は、エロ系の「おかず」みたいな単語、NFT、crypto、株、配当FX、BTC、仮想通貨あたりもミュートしてるが余裕で貫通してくるのストレス

ミューワード

コナン

コナン 映画

キッド

怪盗キッド

KID

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ネタバレした奴はただちに生きたまま桜の木の下に埋める

くれぐれも気をつけるように

2024-04-11

HSPについて(愚痴)

これはあくまでも私の愚痴であって、特定の人に対してのヘイトではありません。

私にはHSPの人の思考が全く理解が出来ない。

この事をTwitter(現X)などで呟いた瞬間、HSPへのバッシングとみなされ、袋叩きに合うのは分かっているが、どうしても繊細で感受性が強いから私はこうなんです!と押し付けてくるフォロワーに対して何とも言えない感情限界を感じただけだ。

私自身、メンタルがそこまで強いわけではなく、仕事などで色々あったりし、限界値を越えてしまうと、ちょっとした事で「ああ、何をやってもダメだし、こんな世界とはお別れしたい」とかなりのネガティヴ思考に落ちる時もあれば

人生たーのしー!世界は私のために回っている!」となるほどハイテンションな時もあるので、上がったり下がったりするのは誰しも同じと思っている。

ただ、冒頭にも書いた通り、相互フォロワーの中にこんな私とは正反対自称HSP感受性も強く、ニュース芸能人などの訃報を見るだけで気分が落ち込んで辛くて泣いてしまう人が居る。

それも個人性格だし大変そうだなと感じる事はあれど、そこまでは気にしてなかったが、最近になり?となる事が増えてきた。

私が訃報ツイートなどのニュースRTしたあと、必ずといっていいほど「亡くなったニュースを見て辛い。しんどい。」と呟き、そのあとすぐHSPさんはこんなに大変!だから配慮して。といったような内容が書かれたツイートRTしてくる。

1度なら分かる。

だが、毎回である

それに気づいてからは段々とHSPって面倒くさい。

なぜ壁打ちをしている内容をそのフォロワー配慮しないといけないのか?繊細だからって押し付けてくるのはおかしいのじゃないか

こんなことを考えてしま自分性格はかなり捻くれて思いやりが無いのでは?と考えてしまい、そんな自分が嫌になり、ツイートの内容も当たり障りがない内容ばかりを書いてしまう。

最近では自衛のため、HSPや繊細さんと書かれたツイートが表示されないようミュート設定をし、快適なタイムラインになるように努力はしているが、小蠅の如くどこからともなくすり抜け流れてくるHSPツイートイライラしてしまうし、イーロン仕事しろ!と謎の八つ当たりをしてしまっている。

ここで、そのフォロワーブロックミュートにしてしまえば解決するのでは?と思われそうだが、HSP関連の事さえ無ければ、趣味も合い、気も合うフォロワーなのでなかなか切るという決断が出来ないでいる。

そうして今日自己嫌悪を感じながら、小蠅のように流れてくるHSP関連のアカウントをひたすらブロックする作業を繰り返している。

2024-04-09

無音で音楽を聴いている

働きながらYouTubeを開き、ダフトパンクワンモアタイムミュートで流し続けている。

当然無音なんだけど、もし今ここでミュートを解除するとどうなるか。

PCスピーカーからワンモアタイムが流れ出し、周りの人間はギョッとするだろう。

しかし「あっ、この曲聞いたことある!」となって俺のことをセンスがいいなと思うかもしれない。

陽気なリズムに合わせて踊りだすかもしれない。

そんな光景想像しては心の中でクスりと笑い、たまにシークバーをじっと眺める。

頭の中には無音の音楽が鳴り響き、今日も俺は無音の音楽を聴いている。

2024-04-08

好きなものを好きになった経緯は必ずしも100パー前向きではなくて

ストレスだったり辛いことをな癒すために手を出したところから趣味が広がったものもそれなりにある

けど、好きになったものそれ自体は、そのきっかけとは切り離してたいなと

これが好き!と語る時に、毎回暗く辛いストーリーがついてくるのはしんどい

そんな理由とある人をフォローしつつもミュートした

その人はいろんな日常に絡めて、趣味ネタ投稿されていて

趣味のものの所有数も多く造詣が深く勉強になるなと思っていた

他のコミュニティで知っていることもあり、同好の士として好感も持っており、フォローしたけど

最近ずっと仕事に絡めた話題での、ネガティブな心情が絡んだ趣味投稿

趣味のものを楽しむよりも、ストレス追体験してしまうと感じることが多かった

趣味のものは前向きに語る文脈で読みたい

2024-04-04

anond:20240404101344

さて、どうしたらいいのか?どうするべきなのか?

自分はこういうとき、とくに関わらないというか、関わりたくない。つまら人格には興味がないし、絵だけ見せてくれるなら見てるだけだ。

うるさかったらミュートしてたまに覗いて絵の更新確認するぐらいかな。

が、例えばどうしても見過ごせないというか、ほっとけない感情が起こるなら?

それは火傷のもとだが、人生、そんなときもあるだろう。

ではどうするべきか?

それは賛意を示し、肯定することであると思う。

それは彼/彼女がしがみついている思想にではない。

彼/彼女自身が失うことを恐れているもの存在肯定することであると思う。

人は、住処を追いやられそうになると、強烈に守ろうとする。

当然だ。

ならば心の避難所を持たない人々に、あなた避難所を与えるといいだろう。

当然、それは絶大なコストだ。生活の十数%を賭けた一大作戦になるだろう。

失敗もあり得るだろう。

なに?心の避難所を作れるようにしてやれだってバカなことを言うな。

人がアドバイスを受け取ったりなどするものか。

説教ぐせはやめておくんだな(ブーメラン

2024-03-29

anond:20240328215524

ごめん、これ何が面白い・・・

ストレートすぎて謝るけど、土人みが物凄い

司会役の上司が言ったので、僕はすかさず後輩の誤字を茶化す

「体調悪くなるほど会議に出たくない私情、よっぽど皆さんと話したくなかったんですね。心配です」

上司が堪えきれず笑った。ミュートになっている他の参加者もきっと笑っただろう。別のお調子者の後輩が続けた。

「いや-、自分午後一の打ち合わせ、私情で欠席したくなってきたなぁ」

「いや、それ自分との打ち合わせでしょ。そんなに嫌われてたの?」

ひとしきり笑った後、会議は和やかに進んだ。

2024-03-28

私情で仕事を休む現代若者

朝一の会議に参加しようと在宅勤務用ラップトップPCを開くと、新卒一年目の後輩から会議チャットメッセージが届いた。

『私情で申し訳ありませんが、通院のため会議を欠席します』

「じゃあ後輩さんは欠席らしいので、揃いましたかね」

司会役の上司が言ったので、僕はすかさず後輩の誤字を茶化す

「体調悪くなるほど会議に出たくない私情、よっぽど皆さんと話したくなかったんですね。心配です」

上司が堪えきれず笑った。ミュートになっている他の参加者もきっと笑っただろう。別のお調子者の後輩が続けた。

「いや-、自分午後一の打ち合わせ、私情で欠席したくなってきたなぁ」

「いや、それ自分との打ち合わせでしょ。そんなに嫌われてたの?」

ひとしきり笑った後、会議は和やかに進んだ。

休み、朝の出来事趣味の仲間が集まったSlackに書き込むとその中の大学教員が反応した。

『それ、うちの研究室学生もよく使ってる」

と言ってリンクを示す。

「私情」で欠席?|NHK放送文化研究所

『この時期は特に就活イベントやら面接やらの″私情″で休む奴だらけよ』

『変やで、とは逐一伝えてるけど客員やってる関東大学生も使ってるから特定地域に限らず相当広まってると思う』

大学教員が示した記事を読むと、20代と30代を境に『私情』が『個人的感情』に加えて『個人的事情』の意味も持つと考える割合が大きく増えている。

若者言葉って事なんですかね。こう言う事態に直面するとおっさんになったのを実感しますね』

大学教員やってるとそんなことばっかよ』

私事や私用という便利な言葉があるのにわざわざ紛らわしい表現を使う理由理解できない。しか言葉意味合いは変わっていくし若者言葉として浸透し始めたなら抗っても仕方がないという気持ちもある。そんなモヤモヤとした気持ちを抱えたまま昼休みが終わった。

午後一会議雑談で、昼休みモヤモヤを少しでも解消すべく話題をふる。

「朝、私情で欠席ってメッセージを茶化したけどこれって若者言葉なんですね。後輩さんも使うんですか?」

自分は紛らわしいと思うので仕事では使わないですね。ただ個人事情を表したいとき私事や私用よりも私情って言う言葉がなんとなくしっくりくる感覚はわかります

なるほど若者感覚が私情という表現を選んだのであればもはや何も言うまい若者感覚に合った言葉が今は不合理だとしても、未来日本人気持ちをよりよく表せる表現が私情なのだろう。

そう納得したからかその後の午後の仕事には集中して取り組むことができ、珍しく定時には勤務終了となった。

特に予定が入っていたわけではない夜、時間を持て余した自分デリヘルを呼ぶことにした。

『清楚系・巨乳現役女子大生』という男の心をくすぐる文字が並ぶ。新人のようなのでレビューはないが、新人であればこそ年齢は大きく外さないだろう。今日はこの娘に決めた。

30分後、あらわれたのは同年代と思われる30代中盤の嬢だった。

よろしくお願いします。えっと、ゆみさん、ですよね?21歳の」

はい、ゆみです。よろしくお願いします」

女性の年齢は見た目だけでは分からない物だ。干支での年齢確認.....は設定と一回り近く違ってそうなこの嬢では意味が無いだろう。服を脱がされながらも年齢を確認するための手段を求めて頭を回す。

今日お仕事終わりですか?」

21歳のゆみが聞く。自分はここだと思い渾身の回答をぶつける。

「いやぁ、今日は私情で仕事を休んだんだよね。ゆみちゃんは私情で休んだりとか出来るの?」

「私情?私用のことかな?予約とか入ってなければ出来るけど、あんまり当日休みすぎると怒られるよ」

30代中盤のゆみはそう答えた。

年齢は偽りで特に清楚さも感じられなかったゆみだったが、巨乳真実だった。またベテランの風格を感じるサービスも素晴らしく、最終的に自分の私情はゆみの胸に包まれ決して未来日本人へは繋がらない場所へと果てた。

若い女と遊びたいという私情を捨てて、ベテランテクニックを感じるのもたまには悪くはない」と思った。

2024-03-22

anond:20240322120344

記事タイトルとCOMMENTのペア掘り出したら行けそうよね。ただの行けることわかってるから挑戦する気失せるし、

厄介な発言したら事だしやりたくはない。

もしそう言うボットが公開されても即ミュートだな。

2024-03-17

「固定」という障害

私は腐女子で、「左右固定」というやつだ。とはいえそんなにこだわりが強い方ではない。雑食の友人がたくさんいるし、キャラ解釈が合えば逆カプの人とも友達になってきた。逆リバも、進んで見に行くことはないが、たまにちょっと口に入る程度では死なないし、カプ色の薄いものなら好きな作品に出合うこともある。信頼のおける友人から勧められたものなら大抵いけてしまう。ゆる固定、とろ火固定を自称している。

そんな私が最近とある作品にハマった。それほど新しくもない、小さなジャンルだ。私がハマったABは、ジャンル内ではメジャーな二人だった。ジャンル内の大多数がABかBA活動しているようなところで、どちらかが圧倒的に王道ということもない。というより「ABもBAも好き」という、いわゆる雑食の方が多数派だった。

そんなジャンル空気を知らないまま沼に飛び込んだ私が浴びたのは、想像を超えて逆リバにまみれた世界だった。支部に上がっている作品の多くはABとBAが一緒に格納されていた。小さなジャンルだけにみんな仲がよく、ABの人をフォローしたつもりでも、当たり前のようにBARPされてきた。元々多少なら食えると思っていた逆リバも、あっというまに辟易してしまい、思った以上にBAダメになってしまった。私はぐったりしながらフォロイーのRPを切って回り、BAミューワードに設定した。

私は友人に愚痴った。

いくら雑食が多いからって、このジャンル腐女子常識がなさすぎる。死ぬわけじゃないといっても逆を見る前に心の準備はしたいし、さすがにキツい。住み分けぐらいちゃんとして欲しい」

雑食の友人は言った。

「それはお気の毒。でも、気にする人がほとんどいないなら、いいと思ったものは気ままにRPしたいし、わざわざ区分して別々に作品を上げるより全部まとめてアップする方が楽なのもわかる。それでもそのジャンルの人には読んでもらえるわけだし」

そしてこう続けた。

「きみは配慮してもらえなかったことが悲しかったんだね」

そう、これは固定への配慮問題だ。ちゃんとカプ分けしなかったからといって、何かのルールに反しているわけではない。それでこのジャンルの人たちが楽しくやっているなら、私にとっては息苦しいが、誰も悪くはない。

そこで、私はとある考えに行きついてしまった。

「固定」とは、「そういう障害」なのではないか、と。症状の出方や強さに個人差があるところも共通している。

雑食の人は「健常者」なのだバリアフリーじゃなくても、何も気にならない。カプ分けされてなかろうが、生きづらいということもない。

たいていのジャンルは固定者の圧が強いので、当然の常識として「ABとBA住み分けるべき」とされている。それは「腐女子界隈にはこの障害を持つ人が多いので、配慮が行き届いた状態にしないと逆に叩かれる」からではないだろうか。

固定者は障害者なので、配慮がないと生きづらくて仕方がない。けれど、健常者が多数を占める場所では配慮しなくても困る人が少ないから、細やかな配慮はされなくなってしまう。だって、その方が健常者にとっては楽だから。気にすることが少なくて済むから

最近話題になった「逆を目にしただけで寝込んでしまう」だとか(それが本当なら確かに日常生活に支障をきたしているのだからまごうことな障害だ)、車椅子騒ぎだとかを合わせて思い出して、私は猛烈に自分が恥ずかしくなってしまった。

五体満足で目も耳も使えて、発達も定型。そういう人ばかりが集まっているところに障害者が入ってくると、それまで必要のなかった「合理的配慮」を求められるようになることがある。できればお互い気持ちよく生きられるといいね、とは思うけれど、正直なところ「めんどくさい」と感じてしまう人はいると思う。自分だってそう思ってしまうことがあるだろう。

さらに言えば、そもそも障害に気付かれないこともある。目に見えない障害ならなおさらだ。そういうときマイノリティである障害者の存在はまるで「ないもの」のように扱われてしまう。それらが我が身に跳ね返ってきた瞬間だった。「このジャンル、みんなどっちも好きだからいいよね~」という雰囲気が、誰も悪くないのに自分にとってこんなにしんどいものだとは思ってもみなかった。

自分は面倒くさい存在なのだ他人配慮要求して、それを当然と思い込んでいたのだ」

自分を健常者だと思い込んで生きてきた人生で、それは頭を殴られたようなショックだった。あまりの衝撃に、今この文章を書くことで心を落ち着けようと試みている。

私がこれを書き、それを誰かが読むかもしれないことで、なんの問題解決するわけでもないけれど、もしかしたら何か見え方が変わるものや、新しく見えてくるものがあるかもしれない。できたら、少しなにかがよくなるようなことだといいな、と願っている。

はてなミュートでNGしているが、一瞬不快画像が見えるので何がホッテン入りしてるかわかってしま

マジで誰がブクマしてんの

2024-03-14

Xのインプレゾンビ爆ぜろ

気になるニュース単語トレンドにある→覗いてもインプレゾンビばかりで生体のポストが分からないの繰り返し

本当にインプレゾンビ邪魔だし燃え尽きてほしい

検索でもミュートキワードが効いたら楽なんだけどなぁ

マイナス検索は面倒くさい

どうでもいいけどインプレゾンビって単語考えた人天才だと思う

別に収益化は気にしないけど頑張ってトレンドワードくっ付けた内容がないよう(笑)文章インプレゾンビが湧くのが嫌

何事にも否定的な絵にかいたような小者批判すらされず粛々とミューブロック非表示されるだけ

2024-03-13

家の周りに畑があった。生計の足しになってんだか、税金対策趣味レベルなのか、微妙分からんレベルの規模のやつが。

繁華街にほど近い都心部で生まれ育った連中から田舎と言われそうな、トーキョーといえば全部大都会だと思ってるような田舎から全然文明のある方だろと言われそうな東京西部郊外だ。

道路を挟んでウチのマンションの目の前にその畑の直売所があった。ガキの頃よくお遣いで行かされて、毎度オマケを持たされた。おれが通い始めた時はウコンとかよう分からんものを貰ってきて、姉におまけの豪華さでマウントを取られ大変不快な思いをした。曰く、自分が行けばトマトとかもらえるのにお前はウコンなんぞもろてきてどう食うねんと。

それでも通っていくうちにインゲンとか枝豆とか、トマトさえも貰えるようになってきた。ある日目当てのものがなくて手ぶらで帰ろうとしたところ、タダで数種の野菜を袋に詰めて持たされたのを割とよく覚えている。

そんな光景中学になれば無くなってきた。直売所が閉じたからか、おれが自我を持ち反抗期を迎えたからかは忘れた。

今やその手の地域ヌクモリティ的なものも煩わしいなと思う。事あるごとに「昔は素直で優しかったのにねえ」と言う母にイラッとして、人間は変わるもんなんです〜〜〜変化を否定すれば成長をも拒んでしまうんです〜〜〜いつまでも自我がなくて可愛かった子供記憶に縋りついててウザいです〜〜〜と反抗期のおれは心の中でそう思っていた。今でも全然思う。それでもやっぱり他人の親切に素直にあやかっていた時期もあったんだよなとも思う。

お遣いには行かなくなっても畑は以前在る訳で、家の周りの光景として、原風景の一つとして心に刻まれてる。好きからいかはともかく。

中学高校の頃、さっさと家を出たいという気持ちが常に頭の半分以上を支配していた時によく夢を見た。家の庭のフェンスによじ登って、夢特有のフワフワとした跳躍で畑を超えて行く夢だ。

逃げた先に何があったかは覚えてない。何もなかったかもしれない。少なくとも天国ではなかった。でも逃げる事に意味があった。

夢なんて大体理不尽不条理で謎の存在に謎に追っかけ回されるばっかりだし、脳のウンコしかない。示唆的なものがあるとかユングの類は全部まやかしだと思ってる。それでも家の裏の畑ばっかりは固有のモチーフとして何度も何度も出てきた。ウンコでも健康状態を知るのには役に立つのかもしれない。予知夢とかは全部嘘か偶然か思い込みだと思う。

夢に限らず、100mほどの畑沿いの道を歩くのは好きだった。夜中にひっそりと家を抜け出して、音楽聴きながら畑越しに見える団地電波塔送電塔みたいなデカ建造物をボーッと見てるとナイトホークスでも鑑賞してるような気持ちになれた。都会のダイナーには行けないけれど、郊外には郊外なりのものがある。

住宅街には住宅街の良さがあるとか言う人いるけど、おれは人の生活の息づきとかには何の魅力も感じない。人様の生活勝手に思いを馳せて勝手に感動するステーションバーめいた行為をおれは下品とすら思う。だから住宅街の静かな畑の特にまり返った夜中が好きだった。公園も悪くないけど、浮浪者とかおれの同類みたいな陰気ティーンや騒いでる学生風の集団がいたりしておちおち黄昏ぶってられない。

そんな畑もおれが高校卒業する手前辺りで、なんぼかを残しつつ潰されて家の建設が始まった。噂じゃ畑の持ち主はマンションを持ってて不動産収入があるらしい。やっぱり畑は本格的な仕事ではなかったんだろうか。

大学入って暫く経ってから一人暮らしを始めて、都心へよく行くようになった。今までは交通費も覚束なくて両手で数えられる程度しか行けなかった都心に。バイト先もわざわざ遠くの都心を選んだ。人の金で行けるのだから美味しい話だ。駅から駅の間を歩いても途切れる事なく繁華街が続く光景には心踊るものがある。夜中でなくとも歩いてて楽しい。夜中だと尚更楽しい

それでも人のいない静かな場所で過ごすのは変わらず好きだった。聖蹟のゆうひの丘までよく1時間かけて歩いて行った。カップルが多かったりしてちょっと落ち着かないけれど、高台から見下ろす夜景は畑越しに見える景色と通ずるものがあった。終電で行く冬の鵠沼海岸も夏の芋洗い状態が嘘みたいに人がいなくて趣深かった。多摩川もいい。場所さえ選べば人がいなくて、トランペット担いで行って一応ミュートつけて練習してみたりたした。「河原トランペットを吹く青年」を自分がやっている状況に興奮を覚えた。夜釣りと称して魚がいるか分からん場所で竿を振り回したりもした。ボウズのまま迎えた朝陽マジで綺麗だったし、なんか何かを急かされてるような気もした。この頃にはもう家の裏の畑を飛ぶ夢は見なくなっていた。

大学で色々あって最近また実家に戻ってきた。近所の景色マイナーチェンジはありつつ、まあたかだか数年の事なのですぐ目に馴染んだ。

畑の跡地の住宅地は、おれが出ていく前はほとんど更地だったのが割と家の形になっていた。家の骨格越しに電波塔が点滅する景色はなんだかディストピアめいた味があって、これはこれでちょっと好きだった。

施工は日々進んでいって、人気のない家の殻が出来上がって来る頃にはもう遠くの景色は遮られて見えなくなってくる。新しい住宅地の中には公園と称した小さなスペースも出来ていた。空き家に囲まれたそこで夜にタバコ吸いに行くのがなんとなくルーティンになっていた。

カーテンも張られていないガラスから工事用?の照明が付けっぱなしなのか、ほんのりと照らされるもぬけの空の部屋が見える。それを見ているとガラスをブチ割って土足で座り込んでタバコでも吸ってトレインスポッティングを気取ってみたい気分になってくる。廃墟どころか新居だし、そもそもそんな度胸はないので妄想まりだけれど。

つい最近からその住宅街にも一挙に人が棲み着き始めて、夜中に歩いていても家々から放たれる息づきからなんだか圧迫感のようなものを感じる。

件の公園日中はすっかりガキの遊び場になっているのを目にする内、なんとなく足が遠のいた。自分だけの場所地域の(幼い子供を持つ家庭の)共有物となってしまったような気分だ。元々おれの場所などではないのだけど。

それでも時々ベンチにストロング系のロング缶が置いてあったりして、なんとなく捨て主にエンパシーを感じたりする。

平成狸合戦ぽんぽこで描かれたような再開発へのメッセージとはまるで別種だろうし、開発といってもごくごく小規模なものだけど、おれはおれなりのイヤさを感じているのかもしれない。

おれは地域ヌクモリティがさァ!文化資本がさァ!とかそういう話がマジで嫌いだ。ネットでその手の話題が露悪的に語られがちなのもあるけれど、土地がどうあろうが各々の生き方次第だろって思うから。おれは構造主義より実存主義が好きだ。

そうは言っても都会なら都会なりに、田舎なら田舎なりに土地が育む心の特定の部位みたいなのはあるのかもしれんなって思った。

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