はてなキーワード: ミハエル・シューマッハとは
圧倒的な強さを誇っていた超人が、全盛期を過ぎて勝てなくなってきてもなお競技に打ち込み続ける姿が好きだ。
世の中には、強者がその実力に翳りが見えてきた段階でいち早く引退することを美徳と捉える風潮もあるが、私はむしろ完全に勝てなくなるまで戦い続けるかつての超人にこそ美学を感じる。
「引き際」とか「有終の美」とかいう言葉はひとつの価値観だとは思うが、それが美しいのはあくまでレベル80~100の並のプロの話であって、レベル150の超人にはあまり似つかわしくないと思う。
その世界を完全に制覇した超人たちにとって、勝てなくなった自分の姿を晒し続けるメリットは本来多くはない。
かつての栄光を思えば屈辱は多く、ファンを失望させるのではないかという恐怖も大きなものだろう。
それでも超人が競技を続けるのは、おそらくひとつの時代を作ってしまった超人なりの責任の取り方なのではないだろうか。
敗北し泥にまみれながらも、次の世代へと時代が移り変わりつつあることを自分自身と世の中に対して納得させていく儀式。
あえて超人がその儀式を行ってくれるからこそ、次代の選手たちは「超人がいない時代だからトップになれた」という中傷から開放され「超人を正面から打ち倒した新星」の称号を正式に手にすることができるのだ。
ハミルトンに引導を渡されるまで戦い続けたミハエル・シューマッハ。
レギュラーから外れてもなおギリギリまで現役であり続けたイチロー。
藤井聡太という新たな超人の登場によって世の中に世代交代を期待する逆風が吹き荒れ、かつて総ナメにしたタイトルを次々と失いつつも今なお戦い続ける羽生善治。
彼らが全盛期を過ぎてもなお全力で挑戦を続けるのは、心からその競技を愛していることの証拠であり、また次代の競技者に対するせめてもの餞なのだと思う。
一般人のレベルが1~40くらい、プロのレベルが80~100くらいの世界で、ただ一人だけレベル150くらいの化け物スコアを叩き出しているオーパーツレベルのトッププロが好きだ。
ただ一人抜き出ていることがポイントで、基本的にライバルなどいない孤高の存在。
F1ならセットでプロストの名前が挙がるセナではなく、全盛期のミハエル・シューマッハのイメージ。
全盛期の羽生さん(将棋)とか、全盛期のイチロー(野球)とか、コピペになるレベルの超人が好きだ。
そういう超人が存在する競技は珍しいし、存在する時代も限られている。
あと、そもそも一般人と普通のプロのレベルに大きな差がある競技だと、さらにポイントが高い。
一般人1~40/プロ80~100よりも、一般人1~10/プロ90~100の世界の方が超人の凄さが際立ってくる。
そもそもプロ選手自体が超人の集まりなのに、そこから更にワンランク上の存在ってめっちゃゾクゾクしない?
ちなみにこの手の超人萌えってなんとなくフィクションだと難しいような気がしていて、多分、超人のさじ加減が難しいのがその原因だと思う。
漫画とかだと簡単にレベル200とか1000とか、なんなら100000とかの超人を出すのも容易い分、ついついやりすぎてしまうのがいけないんだと思う。(ex.ワンパンマン)
一方で、仮に主人公を超人に設定した場合レベル150くらいでは普通に強すぎて面白みがないし、ライバルを150にした場合には結局主人公がそのレベルに追いつかないと話が進まないので孤高の存在ではなくなってしまうというジレンマがある。
強いていうなら、魔人ブウ編で桁違いに強い超サイヤ人の中でただ一人超サイヤ人3に到達した悟空なんかは、割とイメージに近いかもしれない。
続き
先日、36歳の女性とセックスしてきたけど、よかったよ。女の賞味期限は30歳やそこらで切れることはない。
ただ、外資系というのがネックだろうね。
http://blog.livedoor.jp/kazu_fujisawa/archives/25610490.html
さて、結論から言うと彼女たちが売れ残る原因は需給の不一致です。
そこで「優れている」の定義ですが、これは社会一般で認められている定規を使わざるを得ないのです。
なぜなら、彼女たちは女同士の壮絶な見栄の張り合い競争の渦中におり、自分の女友達が認めるような人と結婚しなければいけません。
受験勉強のような競争を勝ち抜いてくる人たちですから、やはりその辺の「勝ち負け」には非常に強いこだわりがあります。
そこで自分より稼いでいて、自分より学歴が高い男性とすんなり結婚できるかと言うとそうは簡単に行かないのです。
例えば私の勤務する会社のアシスタントの女性は年収500万円ぐらいから下手したらアシスタントなのに年収1000万円ぐらい稼いでいる人もいます。
これだけで彼女たちのターゲットから80%以上の男性が脱落してしまいます。
さらに独身と言う条件をつけると20%が10%になります。
彼女たちの学歴は慶応や上智と言うのが典型的で、こうなってくると恋愛対象になる男性は全体の5%以下になってしまいます。
「年収800万円以上」and「早稲田、慶応以上の学歴」and「独身」でスクリーニングするだけで95%以上の男性が投資対象から外れてしまいます。
さらに、ここに「イケメン」という条件を加えると、もはや1%も残っていないと言うのが現実ではないでしょうか。
ただ、これだけでは高学歴キャリア女が売れ残る理由にはなりません。
このスクリーニングで選ばれた男性が、同じく自分と同じぐらい稼いでいて、頭が良い女性と結婚しようとすれば、世の中、似たもの同士が結婚すると言うことで高学歴女性が売れ残ると言うこともないでしょう。
しかし、男性が女性を選ぶ基準が全く違うことがこの問題の核心部分です。
男性は基本的に「若くて」「きれいな」女性が好きなだけで、実際、それ以外のファクターは非常に小さいものです。
男性は非常に単純で「若くて」「きれいな」女の人とセックスがしたいと思っているだけです。
本当です。
また、高学歴女が結婚したいような男性と言うのはもともと高収入で女性の収入などほとんど気にしません。
むしろ、専業主婦になってもらいたいぐらいに思っているのが普通です。
結果的にこのような男性は女子大を卒業して腰掛で一般職をしているような美人もしくは、準美人に全部もっていかれてしまいます。
そもそも、フェリスや聖心のような恋愛エリート養成校を卒業して、一流企業の受付のような恋愛専門職でプロとしてのキャリアを歩んで来たような人たちと、受験勉強をひたすらがんばって、会社では男性並みにバリバリ業務をこなさなければいけない人たちが同じ土俵で戦えばどうなるのか火を見るより明らかです。
例えて言えば、ちょっと運転がうまいタクシーの運ちゃんとミハエル・シューマッハーが鈴鹿サーキットで競争するようなものです。
このような恋愛エリート女性たちは親の全面的支援を受けているのが普通です。
親の願いも唯一つで「経済力があって、できればハンサムな男と結婚して孫の顔を見させてくれ」と言うことです。
親はそのためにはどんな支援も惜しみません。
英会話を習いたいと言えばすぐにお金を出し、ブランド物のバッグがほしいといえばすぐに買ってあげます。
言ってみれば、いい男をゲットすると言う業務のための強力なバックオフィスを持っているようなものです。
彼女たちは大学で効果的な合コン戦略とか化粧法とか言った基本的なことから、セックスの出し惜しみ方や与え方と言った高度なことまで徹底的に学習しています。
うぶなエリート坊ちゃんはこのようなプロに掛かればいちころです。
簡単に「一生奴隷or別れる時は財産半分」と言うとんでもない契約書にサインしてしまうのです。
こう言った現実をまざまざと見せ付けられる高学歴キャリア女はますますその理想を高くして行くのです。
しかし、「いい男」と言うリソースが限られており、そのほとんどが恋愛エリート女性に持っていかれてしまう結果、多くの高学歴女が売れ残ることになります。
世間体に基づく定規で測る「いい男」はこのようなエリート女性に持っていかれるとして、それでは高学歴女は2級品で妥協するのでしょうか?
2級品というのは例えば「明治大学卒、年収400万円、一部上場企業勤務」と言うような男性とか、年収や経歴は1級品なんだけど離婚暦3回と言うようなアウトレットで我慢するとかそういうことです。
恋愛エリート養成校の卒業生の多くは1級品の獲得に失敗したら、2級品で妥協して通常はまあまあ幸せな人生を送ります。
確かに現実を直視してその辺で手を打つ高学歴女も非常に少数ですがいる事はいます。
ところが、これはやはり高学歴女にとって非常に難しい決断だと言わざるを得ません。
なぜなら、それは彼女たちの人生そのものを否定することになるからです。
彼女たちは親の期待、先生の期待に答えるため、同級生の女が男遊びに勤しんでいる間、Z会の速読英単語で地道に勉強していたような人たちです。
その結果が軽蔑していた尻軽女が食い散らかして行った後に残った2級品だったとしたらプライドは保てるでしょうか?
よって、この選択肢はやはりほとんど取られることはありません。
現実的には高学歴女の多くが日本の一般的な定規で測れないタイプの男に流れて行きます。
僕が述べてることは僕の意見だから、「・・・じゃない」とか「・・・だ!」って言っているのは、「・・・じゃない(とボクは思う)」という意味ね。カッコ内のことばを補って読んでね。
で、
体験してないことは論じないの?
専門家じゃないと、断言しちゃいけないの?
ボクはするよ。
専門家じゃないけど、モスバーガーではやっぱりテリヤキチキンが1番だ! とか
体験してないけど、F1で史上最高のパイロットはミハエル・シューマッハだ!とかね。
浅墓っていったら浅墓かもね。
で、多分アナタは「恋愛」ということばの意味を、一般的な意味とは違う独自の意味で捉えてるんじゃないかと思います。
恋愛という感情には相手を抱きたい、触れ合いたい、アンナコトもコンナコトもしたいって含まれてるのが正常なの。
そういう意味では、もし万が一性欲と切り離された恋愛が存在するとしたら、それは異常な恋愛ってことになるね。
異常っていうのはこの場合、何らかの価値判断を含まない、単にフツーでない、っていう意味ね。
なんだかムキになって長々書いちゃったな。