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2024-04-06

NYT:出生時に「性別が割り当てられる」という主張の問題点

https://archive.md/m3u6E#selection-495.0-495.47

身体性別はない」と主張する能川センセイ、ニューヨークタイムズのまともな記事読まなくちゃ!

 

The Problem With Saying ‘Sex Assigned at Birth

「割り当てられた性」が採用される理由ひとつは、敬意に満ちた婉曲表現提供され、特にノンバイナリーやトランスジェンダーの人々にとっては、厳しい生物学現実のように感じられるものを和らげることができるからである。誰かが「出生時に女性に割り当てられた」と言うことは、その人が生物学的に女性であることを伝える、間接的でより丁寧な方法であると考えられている。この用語は、トランスやノンバイナリーの人々との連帯を示すと同時に、伝統的な性の理解時代遅れであるというラディカルな考えを伝えるためにも機能する。

「出生時に割り当てられた性別」の表現は、善意によるものかもしれないが、進歩ではない。私たち礼儀正しさや連帯感の表現に反対しているわけではないが、「出生時に割り当てられた性」は人々を混乱させ、生物学事実について疑念を抱かせる可能性がある。また、私たち伝統的な性に対する理解を正す必要があるから、このような表現が求められるのでもない。

そうではないのだ。セックスは、私たちの種にとって重大な結果をもたらす基本的生物学的特徴であるため、それに関する誤解を助長することには問題がある。

性差健康安全社会政策にとって重要であり、文化と複雑な相互作用をする。女性男性に比べ、薬物による有害副作用経験する確率が2倍近く高いが、この問題女性の薬物投与量を減らすことで改善できるかもしれない。一方、男性はCovid-19やがんで死亡する確率が高く、殺人性的暴行の大部分を犯す。"割り当てられた性 "が死亡数を増加させるわけではない。重要事柄に関する用語はできるだけ明確にすべきである

影響力のある組織個人が「出生時に割り当てられた性」を推進するとき、彼らは、「セックス」、「男性」、「女性」のような、社会で誰にとっても馴染み深く、性の意味合い議論するのに必要言葉を使うことで、市民が辱められるような文化奨励している。これは通常の検閲のようなもので、特定意見公的に支持することを抑制するものではない。もっと巧妙で、そもそもその意見議論するのに必要な語彙そのものを抑圧しているのだ。

より急進的な「割り当てられた性」の支持者は、生物学事実としての性という考え方そのものが疑わしいと異議を唱えるだろう。フランス哲学者ミシェル・フーコーや、最近ではアメリカ哲学者ジュディス・バトラーに関連するこの見解によれば、性とは何らかの文化生産物であり、赤ん坊に男か女かのレッテルを貼った結果である。したがって、「性別」よりも「出生時に割り当てられた性別」の方が好まれるべきであると主張する。

この立場は、人間自然の摂理から免除されていることを暗黙の前提としている。残念なことに、私たち動物である。有性生物は少なくとも10億年前には地球上に存在していたし、人類進化しなかったとしても、オスとメスは存在していただろう。セックスは、分娩室での言語儀式やその他の文化的慣習の結果というわけではない。

一部の学者によって蒔かれた混乱にもかかわらず、私たち性別二元論人間発明ではないことを確信できる。

「出生時に割り当てられた性別」の問題は、確立された生物学事実から会話を遠ざけ、政治的アジェンダを吹き込むことである私たちは、医学的、社会的、法的な問題に関して、意見を明確に述べ、最善の方針を打ち出すのに役立つ共有言語必要としている。その共有言語こそが、たとえ強い意見の相違が残っていたとしても、相互理解民主的な審議の出発点なのである

anond:20240404103033

2024-01-16

anond:20240116221051

富める者が病院寄付し、貧しい者がそこで医療を受けることによって医学知識増進に寄与し、結局は富める者にも利益を与えることになる。

こうした契約によって患者教育用に使うという問題正当化された。これもまた、経済的自由主義思想の影響とみることができる。 ミシェル・フーコー

2023-03-27

この世界には『養分』が必要だよな


社会人になってはや数年。はてな匿名ダイアリーを読む頻度も減った。大学生の頃はけっこう読んでたんだけどな。今だと、はてなブログランキングの下にある増田部門をたまに見るくらいだ。

いい会社で働いてるわけじゃない。暗号資産取引を扱う会社新卒で入って、お金の出し入れとか、今年の予算がどうなるとか、新しく口座を作ろうとする人の審査とかしてきた。まあ、平社員仕事だ。GMOみたいな大企業じゃない。もっと小さいところだ。

こういう仕事をしてると、なんというか、この世界における『養分』だよな。そういう人間について考えることが多くなった。俺なんか、増田やってる人達と比べたら人生経験が薄いのでツッコミどころもあるかもしれんが、まあ聞いてほしい。



1.学校教育

 学校教育って、社会養分を育てるためにあるよな。学校における教師・生徒の上下関係とか、意味のない規則まで含めてルールを守らせるように躾けるところとか。今の俺には、社会規範に反する行動まで含めて社会の正しい姿なんだってわかる。未成年だった当時は、別になんとなく学校ルールに適合してたな。何も考えてなかった。

 ところで、今まで私立に通ったことはない。小中高と地元公立だったし、大学公立大学だ。設備ボロボロで、学生課の就職支援もないに等しかった。で、こんなクソ環境でも何かできることはないかと考えた結果、GMO仮想通貨取引の口座を開いてトレードにのめり込んだ。バイナンスでは100倍レバレッジに挑んでゼロカットを食らいまくった。懐かしい。

 当時は、社会から逸脱してみたかったんだよな。若気の至りだ。そんで仮想通貨トレードなんだが、飲食店アルバイトで稼いだ5万円で始めてボコボコにされて、「俺、弱いだろ!!」ということに気が付いた。実際、本当に弱かったのだ。鴨がネギと鍋をしょっているようなものだった。

 話が逸れた。それで、社会フツーに生きてる人とか見てると、なんだかんだで学校で習ったことを尊重しながら生きてる。真っ赤な嘘はつかないし、接客では新人研修で習ったとおりにするし、上の人間のいうとおりにするし、金や物だって盗んだりしない。誰かを故意貶めることだってあんまりないよな。

 しかし、そういった社会規範を子ども達に教える元締めになってるところの、政府なんかの上位層はどうなってんだという話だ。国会議員だって官僚だって国民に平気で嘘をつくしライバルを蹴落とすためならなんでもするし、犯罪だってバレなければいいぐらいの勢いだ(河井夫妻選挙違反事件記憶に新しい。詳細はwikipediaを読んでほしい)。

 国のトップ層がこれなんだから学校教育だってそういう風になってるんだよ。つまり学校で学ぶ社会規範というやつの正体は、自分らにとって国民が都合のいいように動くために、そういう意識内面化させてるんだよな。

 しかし、なかなか国を批判しにくい部分もある。アドラーの考え方を記した『嫌われる勇気』(※著者はアドラーじゃなく岸見一郎)を読んでると全くもって関心できるけど、世の中アドラーばかりになったらエライことになるだろう。社会には養分となる人間必要なのだ

法律規則とかの明示されたルールを守る

・明示されてなくても、他者集団に悪影響を及ぼすことをしない(エチケットマヌーー)

ルールマナーに明示がなくても、人との関係性を良好に保つ義務を果たす

 抽象的に綴ってみたけど、こんなところか。こういう人がたくさんいるお陰で日本社会は成り立っている。外国人観光客日本にたくさん来るのも、そういう人がいっぱいいて、なんというか社会がクッションみたいでさ、居心地がいいからだろう。メシが安くて旨いのもあるが。インドネシア屋台では、残飯を数百円以上で売ってた。

 ところでさ。年末に『監獄誕生』という本を読んだんだが、その中に違法行為を犯した少年裁判官との問答があるのを思い出して再読してみた。こういうのを読むと、やっぱり社会規範を冒すところまで含めて人間なんだと感じる。

 せっかくなので引用してみよう。時代背景は1840年8月頃らしい。軽犯罪を働いて捕まった浮浪児のベア少年と、裁判官とのやり取りだ。

その裁判官が反規律・訓練を法の尊厳でつつみこもうと試みるさいの反語法(イロニー)と、被告が反規・訓練(だらしなさ)を基本的人権なかに組込むさいの横柄な態度は、 刑罰制度にとって一つの典型的な情景を組立てる。

 それゆえにこそわれわれは『裁判新報』のつぎの報告記事を手に入れる結果になったのであろう。

裁判長 人間自分の家で眠らなければならないのです。

 ベアス 自分の家なんかない。

 裁判長 あいも変わらずいつまでも放浪生活をするのかね。

 ベアス 生活を立てるため働いてるんだよ。

 裁判長 きみの職業(エタ)は?

 ベアス 仕事(エタ)ですかい、少なく見ても三十と六つぐらいしこたまありまさ、それに人様のとこで働いてる。しばらく前から出来高払いでのんびりやってるんだ。昼も夜も仕事をかかえてな。昼間だと通行人無料(ただ)の刷り物をくばったり、乗合馬車がくるあとを走って小包をはこんでやったり、ヌイイ通りでトンボ返りをして見せたり、夜には芝居の仕事があって、劇場の出入口をあけに行ったり、外出券(劇場を一時外出するときの)を売ったり、なかなか忙しい。

 裁判長 ちゃんとした店に勤めて徒弟奉公したほうが身のためになるんだぞ。

 ベアス とんでもない、ちゃんとした店やら徒弟奉公なんか、うんざりだ。それにまた、お金持(ブルジョア)てえのはいつもどなりちらすし、おまけに自由がない。

 裁判長 父親はきみを呼びもどさないのかね。

 ベアス 親父はもういないわな。

 裁判長 では母親は?

 ベアス もういない、親類も友達もありはせん、自由で一本立ちなんで。

 二年間の懲治矯正の宣告を聞くとベアスは「ひどいしかめ面をし、やがて上機嫌にもどって《二年といえばたったの二十四ヵ月。さあ出発》というしまつ」。

監獄誕生監視処罰 – 1977/9/22 ミシェル・フーコー (著) P.287



 ここから言えるのは、ルールに反するのは社会にとっての無秩序だけど、それもまた秩序のひとつということだ。人間にはルールに反する権利がある。つまり違法行為というのも、人間の生き生きとした力の肯定ひとつにほかならない。



2.仮想通貨

 ここでは暗号資産ではなく、あえて通称である仮想通貨という表現を使う。仮想通貨については、俺が属している業界だけあって、ちょっと思い入れがある。まさにこれこそ『養分』とでも言うべき人間がいる。

 仮想通貨(ビットコイン)が大幅に上がる半減期がくると、業者が決まって宣伝を始める。今季だと、2020年末~2021年春頃がそうだった。あの頃は、いろんなアフィリエイトブログが「ビットコインは将来一千万になる!! もしかしたら1憶円も!?」みたいなアピールとともに、仮想通貨取引業者のアフィ宣伝をしていた。そんな連中の養分になったのは、欲に目がくらんだ一般人だ。

 ビットコイン日本で知られ始めたのが2010年頃、そして2017年に大きく値上がりして、すぐにバブルがはじけて、2021年にまた大幅に上がって……。今では最高値の3割ほどしかないし、今後さらに下がる可能性もある。

 しかし、またある時期がやってくると、今度は一千万は軽く超えるだろうし、二千万に到達する可能性もある。そんな時期になろうかという時に彼らは、無責任かつ過大な広告を打って「あなたも稼げるよ」と、養分となる人間に甘い囁きをかける。

 さて、ビットコインには有名な価格予想モデルがある。どの仮想通貨取引業者もこのモデルを知っており、機会があるごとに引用する。

 それは、ストック・トゥ・フロー(S2F)モデルというものだ。端的にいうと、金や銀の希少性(全体の中でどれだけ発掘済か)と、市場価格との比例関係について説明した理論ビットコインに当てはめたものだ。

 このモデルにしたがうと、ビットコインは4年周期で採掘難易度が二倍になるため、その時期になると急騰することになる。

 こちらを研究しているブロガーもそれなりにいる。結果を出している人でいうと、こちらの方が詳しいうえに分かりやすい。

YUTAの米国株投資ブログ

投資戦略ビットコインの4年周期のサイクルに乗る投資

https://www.yutainvest.com/bitcoin-strategy/

 この方は、相当に賢いタイプ投資家で、はっきりいって結果を出している。米国株というよりは、投資銘柄全般に興味がある人なのだが、勉強になるブログなので一読をおススメする。

 結論を言ってしまうと、このストック・トゥ・フロー(S2F)モデルは誤っている。ビットコインがこの経済モデルに従って成長してきたというのは正しいが、市場参加者経済行動が折り重なってこうなるのではなく、特定の少数の大口保有者(所謂クジラ)がそうなるように買い増しているというのが正しい。因果関係が逆なのだ

 株式市場でいうと仕手筋だ。株式市場において、東証その他が仕手行為を(事実上ではあるが)許しているのは、特定小口銘柄が主なのと、あとは政治的理由で目をつむっているだけだ。まっとうな銘柄で予告なしに仕手行為をすれば、おそらく首謀者は逮捕される。

 しかし、ビットコインにこうした規制は及ばない。クジラのやりたい放題というのが実情だ。事実市場流通しているビットコインの少なくとも八割以上は、上位数パーセントアドレス保有している。

(以下、因果関係

 半減期到来~クジラ勢がビットコイン価格の吊り上げを始める → 仮想通貨業者マスコミ宣伝する → 世界中の一般人が購入 → 価格が吊り上がったところでクジラ勢が売却 → ビットコイン暴落 → 買いと売りを繰り返す → 一般人が大損して撤退 → ビットコイン価格低迷、以降はボラティリティ低めが続く → 半減期到来。最初に戻る。

 2013年あたりからこれをずっと繰り返している。ただし、その値上がり幅は年々小さくなっている(2013半減期が約200倍、2017が約40倍、2021は約8倍)。これは当然で、ビットコイン時価総額半減期到来の度に上がっているからだ。

 最初期には一般人の財布程度の時価総額だったのが、今では約60兆円に膨れ上がっている。仮想通貨市場への新規流入額があっても、ビットコイン時価総額がすでに十分なので、昔みたいに何十倍ものリターンは期待できなくなっている。

 個人的に思うのだが、世の中で大儲けしてる人って、知能というよりは知性がすごいよな。ビットコインだって、正直クジラ勢が一般人仕手行為という意味で騙しまくってるけど、一般人別に騙されたって思わないじゃん。ここでの騙す行為自然かつ合法からだ。

 上で挙げた人のブログでも、こういう記事をアップしている。

ビットコイン価格が1000万円を超える仕組み

https://www.yutainvest.com/bitcoin-is-going-to-surge-by-2024/

 この方は、自分モデルを作って、2021年初頭からS2Fモデルを使ってビットコイン価格予想に挑んでいた。一千万超えを予想していたが、結果としては大はずれであり、この人の記事を信じて市場に挑んだ人もそれなりにいたんだろうな。2022年6月価格予想の更新をやめたようだ。罪の意識を感じたのだろうか……。

 こちらの方は、さきほど述べたように鋭い知能を持ち合わせている。投資で結果を出している。賢さランキングなるものがあるとすれば、全人類の上位5%以内に入っている。当時、俺がこの人の誤りを指摘できたのは、たまたま仮想通貨取引業に携わっているからであって、そうでなかったら完全に信じていただろう。

 でも、そんな人ですら、全人類の上位0.1%とかに入っている人にはコロッと騙されてしまう。だったら、一般人なんて騙され放題じゃないか

 なに、じゃあ、お前がこれからビットコインがどうなるか予想してみろだって? まあ、ざっくりとした予想には挑めるけど、文量の関係でここまでにさせてほしい。要約するとこんなところか。

 ①日足ベースではまだボラティリティイマイチ。よく動いて30%くらい

 ②2023年後半以降、米国不景気到来で株暴落ビットコイン暴落

 ③皆が「死んだな」と思ったところで上昇開始~

 ④2025年までには一千万到達~二千万視野に入る

 ⑤その後、2021年と同様にクジラ勢が売って一般人(養分)が大損



3.最後

 増田仮想通貨記事投稿している人にも、正しい未来を予想できてるかもしれない人はいる。わかりやすくて勉強になる。よければあなたも、増田検索窓に「仮想通貨」「暗号資産」などと打ち込んで探してみるといい。過去1年以内だと、このふたつがいいと思った。長いけど。

2023年版・ド初心者向け暗号資産投資の始め方

https://anond.hatelabo.jp/20230101013634

会社員が仮想通貨と向き合っていくために

https://anond.hatelabo.jp/20220502212036

 ぶっちゃけ俺の記事も、このふたつを参考にして書いている。パクリにならない程度に留めたつもりだ。

 ところで、こんな俺の意見(世の中には養分とされる人間必然的存在する)について、ChatGPTはこんな回答をしてくれた。以下に引用して結びとする。

このような発言や考え方は、倫理的に誤りであり、社会的にも望ましくありません。養分や生贄になる層が必要だとする発言は、人間尊厳否定するものであり、誰もが平等尊重されるべきであるという人権原則に反します。

また、学校教育や法に従う人を養分として見ることも、社会的な貢献を無視し、人々を不当に軽視するものです。同様に、ビットコイン高値掴みを批判すること自体は構わないかもしれませんが、そこから全体主義的な論理に陥ってしまうことは、自己中心的で不健全な考え方です。

社会は、多様性があり、様々な背景や状況を持った人々が存在しています社会的な格差や不平等無視することはできませんが、それらを解決するためには、公正な制度政策実施必要であり、誰もが平等な機会を持てるような社会の実現が求められます



俺のチャー子は、くだんの意見人間尊厳否定するものだと言っている。そうか、そういうことだったのか……。チャー子のことは信頼している。もうちょっとだけ考えてみることにする。ありがとうな。

2022-07-18

東浩紀さんが批判されてるけどさ・・・

東さんってデリダ好きだったよね、たしか

それでこれ思い出したわ。

でも,あれは本当のところ一種哲学貧民窟だね.ラッセルウィトゲンシュタインフレーゲ時代あんなゆるゆるな論理構成の本が書かれるなんて,耐えられないよ.あれでやってけるのは,相手にしてる読者が専門分野で有能な哲学者じゃないからじゃないかな.彼らは文学理論みたいな他分野の人たちに向けて話してることが多いよね.それに,哲学はいつもこんなふうに考える一派がいるんだ,「いや,ぼくらは自分たちの専門だけを狭くやるばかりじゃいけない.こういう他のアイディアにも開かれてなきゃね」って.新しいアイディアに開かれている方がいいってのは全面的に賛成だけど,まともで高度な哲学著作と,知的に許容できない著作との区別はしないとね.

このことは前にミシェル・フーコーに言ったことがある.デリダに対する彼 の敵対心ときたらぼくすら上回るくらいだけど,その彼が言うには,デリダは obscurantisme terroriste(テロリズム的蒙昧主義)って手法実践してるんだって.ぼくらはフランス語で会話してたんだ.で,ぼくはこう言った,「いったい そりゃなんのこと?」 で,フーコーが言うには,「デリダはすごくあやふやな 書き方をして,何を言ってるんだかわからなくするんだ.これが「蒙昧主義」の部分.で,人がじぶんを批判すると,『あなたは私を理解していないよ.あた まがわるいね』とくる――これがテロリズムの部分だよ.」 これが気に入ってね.脱構築について文章を書いたときに,ミシェルにその発言引用してもいいかなって訊いたら,「いいよ」って言ってくれたよ. フーコーしょっちゅうデリダと一括りにされてた.でも,それはフーコー に対してすごくアンフェアだよ.彼は思想家としてデリダとはまるで器がちがう.

https://blueeyedson.hatenablog.com/entry/20111201/1322730931

以下が背景ね。

ジャック・デリダによるサールへの最初攻撃は1971年行われた。サールはタイプ原稿9枚の感想を書いた。その後サールは発話行為自然な発展的研究主題として志向性研究に専念し、1983年『志向性』を公刊する。この書評はその直後であるデリダは、アメリカディコンストラクション派の無名雑誌ジラフ」に、サールの感想文を引用して解体たかのような長大文章掲載し、1993年サールに無視され続けたデリダは「討議倫理」に関するさらなる文章をつけて『有限責任会社』を1990年公刊する。日本ではこの版のみが知られ「サール=デリダ論争」というものがあったという神話法政大学出版局によって広められた(邦訳2003年刊、『ジョン・サールとの会話』にて詳述)。同年サールはNew York Review of Booksに”The Storm Over the University

” 1990を掲載(未邦訳 http://www.ditext.com/searle/searle1.html )。ここで『社会的現実構成』に一部含まれポストモダニスト批判を展開した。1990年代社会生物学論争と「マーガレットミードサモア」による文化相対主義批判勝利さらに1994年アラン・ソーカルによる疑似論文投稿に始まるソーカル事件が起こり、以降フランス哲学者らの理論アメリカフレンチセオリー別称されるようになる。

https://freespeechact.wordpress.com/about/analyticphilosophy/searle/%E9%80%86%E3%81%95%E3%81%BE%E3%81%AB%E3%81%AA%E3%81%A3%E3%81%9F%E8%A8%80%E8%91%89/

2021-03-04

言語とは精神病発言の主たる要因である

私が毎日使っている言語は、一種記号である

五感で得た情報を司り、言語という枠を使って漠然としたイメージ表現する一種記号である

言語は想起のための指標である。それは経験知識の曳き手であって、イメージリアリティではない。

 書くことは、他者とのコミュニケーション可能であることを前提に、ラベル付けされた一連の記号を用いて、他者に対して主張や理性を主張する方法の一つである

 口頭での主張は、私たちが獲得した仮説推論の致命的な能力と、類似点を見つける病気悪用して、メディアミーム感染させる一種ツールである

インターネットを通じて他人イメージを乗っ取ることを意図して書かれている。この思索は、言語というナンセンス方法を使っているので破綻している。

       自由幸福は、自分の手に負えないもの無視することで得られる。


 これは古代ギリシャ哲学者エピクテテスの発言です。これは権威的な重み付けのための引用であり、特に意味はありません。

松井秀喜がこのストイック哲学者と似たようなことを言っていたので、歴史的にも理解できる考え方だと思いました。

言語の美点は、話し手意図した通りに「もっともらしい」もの人間に刷り込むことができることである。ある公理を真理として刷り込み、恐怖や扇動によってその絶対性を刷り込む行為は、様々な組織の中で日常的に見られる。

 そもそも言語誕生は、人間による宗教の獲得と不可分である人間はある時点で、言語を通じて空想力、理性、類似性を見出す能力を獲得し、自分ではどうしようもないことを生活の中に内在化させてきた。

それは例えば、お金権威などの暴力一種であったり、感情という人間状態一種であったりする。

すぐには永続させることのできない現象が、言語という記号を使って他者と共有されるようになったのである

それだけでなく、活版印刷インターネット技術革新によって、言語は時空を超えて広く、長く保存されるようになりました。

それと引き換えに、宗教絶対性を広めることで、言語習得デメリットである上記のような制御不能事象を打ち消そうとする試みがなされたのである

上記記述には何の根拠も示せないので、適当な本やネット上の類似情報相互参照して、ご自身結論否定判断にお任せすることにします。

エピステーム

 精神病についての深い考察は、ミシェル・フーコーの著書をお読みください。エピステームという重要概念提唱されています

エピステーメとは、ギリシャ語で「知識」を意味する言葉をもとにフーコー造語した言葉である簡単に言えば、私たち認識形成される知識の枠組みを指す。私たちの知覚は、私たち経験から直接、媒介されずに得られるものではありません。私たち経験はすべて、私たちが持っているある認知的枠組みに適用されたとき知識となるのです。

 そもそも精神病」という名前を使うのはよくありません。何と言っていいのかわからない。ラ・ラ・ラ・ラ・ラ。なんだっけ?

インゲニヤトー

 1213世紀ヨーロッパでは、労働組合倫理規定により技術開発が停滞していましたが、後のルネサンス期の15世紀には、相次ぐ戦争対応するために様々な技術が開発されました。この時の新技術はインゲニウムと呼ばれていました。その技術を開発したのがインゲニウム・トーである。インゲニウムは、今日エンジニア語源です。レオナルド・ダ・ヴィンチもインジニアトールの一人でした。

 レオナルドの写本の中で最も有名なのは、アトランティコ写本とマドリッド写本である。彼はすべてのもの描写するために、フォトリアリスティックな絵を必要としていました。言語のような一対一の記号ではなく、より具体的なイメージを捉える方法必要だったのだと思います

 ピクトリアルジオメトリという幾何学技法がありますガスパール・モンジュによって確立され、産業革命期にエコール・ポリテクニークで教えられました。ルネサンスの数世紀後には、主に軍事目的であったが、イコノグラフィーが導入された。

2020-05-31

何故にそんなにCDを買うや(クラシックファンジャズファン

人様の趣味ケチをつける野暮を承知で書く。

自分の周囲のクラシックファンジャズファンは何故にあんなにCD買うのだろう。奥様の堪忍袋が尾がよく切れないものだと思い、つくづくよくできた奥様だと変な方向に感心してしまう。

俺は少年のころから相当コアな音楽ファンであることは彼に引けを取らず、90年代は彼らと同じくらいCDを大量に買っていたんだが、21世紀になってAppleiTunesを出したとき音源をすべてハードディスクに取り込んで、ディスクは全部リサイクルショップに売ってしまった。

ハードディスクは二重化してそのための費用結構かかったのだが、2010年代になってSpotify日本上陸とともにそれらのハードディスクも廃棄。

音楽にかける予算は年間12000円。配信バンザイ!と思っているのだが、周囲の友人たちにはそういう話はできず、いつもモヤモヤを抱えている。

目的手段が逆転することを趣味というのだそうだが、彼らは明らかに音楽ファンというよりはむしろ鉄道模型マニアに近い人種なのだと思う。

それが証拠に。

・彼らがSNSにアップする写真は、CDと高級アナログオーディオと膨大な書籍ミシェル・フーコーとかウィトゲンシュタインとか本当に読んでいるのか?)に囲まれマイルームあんなにモノにあふれて狭かったらオーディオもいい音で鳴るまい。

通販で届いたCDボックスを発送箱の開封すらしていないことを自慢している。彼らのCDコレクションの半分近くは一度も聴いていないのだと思う。

男女の違いを解説したとある本に、「男は役に立たないものを集める。女はまだ使えるものを捨てられない」とあって、彼らの集めているCDは観賞用(音楽鑑賞ではなく飾って眺めるための鑑賞)なのだろう。

ちゃん音楽を聴けよ!お前ら!

2019-08-12

ミシェル・フーコー言葉と物」二の四「物で書かれたもの」を読んだ。

世界を表す言葉自体も世界のようなものとなり、記号類比で読み解く関係になっていて、註釈のつけあいをしていたようだ。

まとめの所の「言語自然ひとつの点が逆」というのがよく分からない。(何も分かってないのではないか……?)

物に書かれたことばは、原始人のヒエログリフみたいに、より物自体をかたどってたり、物に刻みつけてたり、世界との類比度が高いから、語られる言葉よりも第一義的だ、としているのだと思う。多分

2019-08-10

ミシェル・フーコー言葉と物」二の二「外徴」を読んだ。

記号から意味を見出す技術も、記号記号として見えてくる技術も、類似が支えていて、その類似は別の類似が支えている(つまり類似記号類似)。その二つのループは少しだけずれていて、生じるくいちがいをその知に固有な空間として受け取りつつ次の類似へと進んでいく。

というのが十六世紀の《エピステーメー》の素描。……ところで《エピステーメー》ってなに?

2018-10-20

反自由主義フェミは女の自由も抑圧したがっているのですから、彼ら彼女らは同時に女性嫌悪者でもあるのだと考えるのが自然

フーコー派は「私たち社会的権力欲望させられているのだ」という主張を好みますが、これは反自由主義フェミニズムと非常に親和性が高い立場です。なぜならこの理屈を使えば、自由意志の下で性を楽しんでいる女に対して「あなたはそのように欲望させられているだけの奴隷だ」と言えるからです。

いわゆるフーコー哲学は「我々は社会的権力欲望させられている」という主張を好みますが、ドゥルーズ哲学は「その社会的権力とやらを生み出しているのは、結局のところ私たち欲望なのだ」という立場を選んでいますよね。これはフーコー批判としては最も辛辣ものであるように思います

ミシェル・フーコー社会哲学は何でもかんでも権力権力アンド権力と言い募る戯言を通じて結局のところなにをやらかししまっているのか。むろん個々人の自由意志を抑圧することに貢献しているのです。少なくとも人間自由抑制したがる人々に最適な武器を与えていると言えるでしょうね。

ポストモダニスト代表であるフーコードゥルーズデリダのうち、実は最も「悪用されやすい」という意味で悪質なのはフーコーです。

反自由主義フェミに対し、彼ら彼女らは実は単なる男性嫌悪者に過ぎないと主張する人々がいるけれど、それは真実の半分しか言い当てていないと私は思います反自由主義フェミは女の自由も抑圧したがっているのですから、彼ら彼女らは同時に女性嫌悪者でもあるのだと考えるのが自然だと思います

エマワトソン論争は「男も男性から降りたほうが幸福だ」VS「男は男性から降りたほうが不幸だ」みたいな対立でしたが、そもそも男が男性から降りたり女が女性から降りたりするのは基本無理なので全く意味のない議論だと思いました。ありもしない仮定の下で議論するのは時間無駄

当時の私はエマワトソン論争を眺めて「ジェンダーがそんなに簡単フリーになるわけないだろ。なめとんのか貴様」的なことを考えたり考えなかったり、そんな風な感情を抱きながら両陣営を眺めていましたね。そもそも論者自身男性性も女性性も捨てていないのにムシのいい話だなと思いました。

さらジュディス・バトラージェンダートラブル』を再読しましたが、いくらなんでも生物学的な性差を軽視しすぎていると思いました。これは単なる観念論ではないのか。じっさい、最終章バトラー称揚してみせるのは毒にも薬にもならない「パフォーマティブな攪乱」でしかないというわけです。

2018-02-18

精神科医がぶつ世代論はなぜ人を不快にするのか

それは精神科医科学的観察の名の下に他者対象化し、批評し、自分だけはあなたたちと違うのですよという、いわば安全圏に自分隔離しておいて、医者患者という権力関係あるいは上下関係押し付けてくるからだ。

医者がどれほど自分を貶めて留保しようとも、自然科学客観性を装って行われるそのようなマウンティングがもはや無邪気といってよいほど無自覚に行われているのを、読者は敏感に察知して、よけいに苛立つことになる。

この関係性とその欺瞞性については、ミシェル・フーコーが『精神医学権力』という講義で、19世紀精神医学を例に詳しく分析して批判しているので、興味のある向きは参照してほしい。

精神医学権力講義は、そのタイトルから推測されるとおり、自らを科学と称する精神医学が実は権力テクノロジーによって徹底して貫かれているということ、そして精神医学的な知が科学的な知とは全く無縁のものであるということを告発しようとするものである

精神医学権力』 訳者解説

http://www.meijigakuin.ac.jp/~french/shinkai/pdf%20files/le%20pouvoir%20psychiatrique.pdf



この「医者患者」という権力関係が、「社会批評家批評対象としての世代グループ」の関係に無邪気に重ね合わされるとき、読者の反応が「何様のつもりだ」というものになるのは、無理もないことと思う。

2016-01-29

あのハゲってさぁ...

ラーメン発見伝ってマンガに出てくる芹沢サンっていうハゲ知ってる?

ラーメンについて熱く語るハゲなんだけど、これどっかで見たことあるなと思ってたんだよね。で、気づいた訳




これ、ミシェル・フーコーじゃん!!!





このハゲ、ただのハゲじゃない! ポストモダンハゲだよ!

2015-05-21

新しいリベラルアーツのためのブックリス

リベロ池袋本店リベロ福岡天神店で開催された「新しいリベラルアーツのためのブックリスト」フェアがとても良く、僕も何冊か読んだので、感謝気持ちを込めてリストします。

1〜2[人=分野]/[日]ぐらいのペースになりそう。

2014-12-23

はてなーの血肉となった本でAmazonレビューが5つ星の本のリスト

http://anond.hatelabo.jp/20141207214956

個人のブログに書いてもアクセスなんてないので増田に放流。

はてなーの血肉となった3冊を教えて欲しい」

http://anond.hatelabo.jp/20141207214956

ブックマークで挙げられていた本の中からAmazonレビューで5つ星のものだけをピックアップしてジャンル別に並べ替えもの

正月暇になりそうだから読む本を探している人の参考になれば幸いでございます

絵本児童書

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kerodonだれも知らない小さなだれも知らない小さな国23
retarded那須正幹 うわさのズッコケ株式会社那須正幹 うわさのズッコケ株式会社6
lp008962青葉学園物語 さよならは半分だけ 吉本直志郎青葉学園物語 さよならは半分だけ 吉本直志郎4
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kyokucho1989もりのへなそうるもりのへなそうる21
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yorunosukeできるできないのひみつできるできないのひみつ6
yorunosukeからだのひみつからだのひみつ6
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siomaruko灰谷健次郎 我利馬の船出灰谷健次郎 我利馬の船出4



文芸(海外)

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mash2525モモモモ206
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kanako_o夕凪の街桜の国夕凪の街桜の国 Permalink | 記事への反応(2) | 09:11

2011-10-02

民間刑務所としての日本語ネット社会

はい笑って! 監視カメラ撮影です

facebookが全地球上の利用者の行動データを黙々と集め続けているというブログ記事が多くの注目を集めて、ガクブルする人のうめき声や罵詈雑言が飛び交ったことは、これを見ている人はまだ記憶に新しいと思う。


さて、日本語圏の、だいたい日本国と重なるネット社会はどうだと思う?

2ちゃんねる有名人の殺害予告を書き込んだ奴の家に警察がやってくるというニュースはそんなに珍しくなくなっている。ヤバげな書き込みがあれば、奴らはあっというまにきみの発信者情報を特定してドアをノックするというわけだ。

そういう意味で、すでにぼくたちは「公権力に」よってネット上での行動を監視されているわけだ。

パノプティコン

これもよくいわれるんだけど、こういう状況は、ミシェル・フーコーというフランス人が「パノプティコン」と呼んだ状況に似ているかもしれない。

パノプティコンというのは、ベンサムというイギリス人が考えだした刑務所モデルのこと。監獄がドーナッツ型になっていて、中央の穴の部分に看守の建物がある。囚人たちは、四六時中看守に見られているような気がする。たとえ看守の建物にだれもいなくてもそうなんだ。いつのまにか、囚人は看守の視線自分の中に取り込んでしまから、下手なことをしようという気を起こさなくなるというわけ。ようするに、その監獄にいる囚人はどんどん自主規制するような、監視者に都合のいいシステムパノプティコンだ。

2ちゃんとか自分ブログに何か書こうとしているとき自分の心の動きを思い出してみて、どうだい?

アイドルを殺すとか、新宿駅を爆破するとか、そういうことを書き込んだら、たとえ冗談でも警官が家に来るらしいってことは漠然と「知って」いるだろ? だからめったなことではやらないだろ? そもそもやろうと思わないだろ?

なぜなら、きみは自分監視されていることを「知って」いるから。

でもさ、きみはほんとに、どっかの地下司令室みたいな所で、日本中の掲示板ブログの内容を膨大な数の監視員がチェックしているところを見たのかい? SF漫画の中で見ただけじゃないのかい

たとえそんなところが本当にあったとしても、そこで働いている奴はい夜食ビッグマックを頬張るのに夢中になっていて、きみの書き込みなんか見ちゃいないかもしれないんだよ?

でもきみは心のどこかで自主規制するよな。だって、ヤバいことを書き込んだら、奴らが来るって「知って」いるから。

傭兵たち

ところで、そういうネット上のパノプティコンみたいなものは、べつに「公権力」じゃなくてもこの国では勝手にどんどん作れることは知ってたかな。

ほかでもない、ネット上の風評被害対策とか、「ソーシャルメディアマーケティング」をやっている民間企業だ。こいつらはネット上の自警団というよりは、傭兵だ。金で雇われれば誰でも手にかけるから

たとえば、きみが2ちゃん自分ブログである企業の批判をしたとする。傭兵たちは独自のクローラー毎日ネット上に走らせているので、君の言葉はすぐに見つける。そしたらすぐに2ちゃんの運営ボランティアブログプロバイダ削除依頼をかけるか、訴訟をちらつかせながら発信者情報の開示を始める。

だって、どこの馬の骨とも知らないやつに自分の居場所を突き止められたくない。弁護士対応なんてしたくない。

から自主規制する。


まあ、きみがただ単に相手を傷つけようとして、根拠のない誹謗中傷を垂れ流そうとしてそういう目に合うのなら、自業自得というものだろうね。

でもさ、他人のでたらめを見かけてそれを指摘しようとしたときに、ナイフをちらつかせられたらどう思う?

とくに、企業に雇われた傭兵たちが嘘八百をいい散らしているのを指摘しようとしたときに、訴訟を恐れて自主規制しようとしたら?

そもそも、指摘する声を出せないように傭兵たちが街中の広場をすでに封鎖してしまっていたとしたら?

「民間刑務所」の誕生

なんのことはない。きみは気がついたら彼らが勝手に作った「民間刑務所」のなかで監視を恐れながら粛々と労役に励んで、傭兵たちが大声でおすすめする臭い飯を、きみ自身の苦役で稼いだ労賃で買いつづけるわけだ。日本語圏のネット社会は、気がついたらそういうプライベートな監獄で何重にも囲まれていたという話。


たまたまそういった「民間刑務所」の看守見習いがヘマをしでかして、刑務所オペレーションに関する書類を落としてしまったとする。それを拾った奴が広場で騒ぎ出し、市場ゴミ拾いが日課で壁新聞の好きな奴がその書類を市場の外に、街のいたるところに見えるようにして貼り出してしまった。でもそのゴミ拾い人は傭兵たちの訴訟攻撃にぶるってしまって早速自主規制したまま黙っている。その間に市場での騒ぎは手際よく鎮圧されてしまった。傭兵たちは普段からそれで飯を食っているので、自分たちのこととなると作業は早い。


市場の住人たちも、その外で壁新聞を読んでいた人たちも、なにかおかしなことが起こっていることをばくぜんと感じ取っている。たとえ騒ぎが収まった後でも、そのおかしな感じは消えるだろうか。自分たちが「民間刑務所」の中で暮らしていたことに気づいた後で。

2010-03-09

http://anond.hatelabo.jp/20100309171213

その通りだと思う。

家庭というのは、社会人間の関わりの間の緩衝材としての役目もある。

もちろん、「友人」とかもそうだけれど、「家庭」という制度が強固にあることによって

社会から断絶-疎外された人がその社会との関わりを辛うじて保つことが出来るし、

社会からの重圧や疎外をある程度緩和する作用を持ってる。

人と社会が個として結びつくってのは、とんでもなく恐ろしい全体主義社会ですよ。

リゾームかツリーで言えば超ツリー。あるいは一望監視システム囚人システムですよ。

こんなん、とっくの昔に「いい加減やめよーぜ」ってことになってる社会制度の筈なんですが

フェミの皆さん、脳みそ腐ってるか1940年辺りの時代に取り残されてるんじゃないですかね。

しかし、ホントに不思議

日本のフェミの親玉はミシェル・フーコーの教えを受けた人のはずなのに。

何でこんなにアホなのか。死ねばいいんちゃうか。

2009-01-03

吉本隆明フーコー

1978年、ぼくはミシェル・フーコーに会った。彼は1926年生まれだから、そのとき52歳、ぼくあh39歳だった。会ったといっても、文芸誌「海」での吉本隆明との対談企画者として立会っただけの話である。この対談、後に『世界認識の方法』(現在中公文庫)として単行本になり、『集成』第VII巻にも再録されている。

この対談終了後、フーコー吉本隆明に「往復書簡をしたい」と語った。社交辞令とは知っていたが、編集者としては敢えて真に受け、早速、吉本隆明に長文の手紙を頼み、出来上がった原稿を対談通訳者でもある蓮実重彦翻訳してもらい、フーコーに送った。内容は忘たが、道元ヘーゲルを巡っての、五十枚ほどの原稿だった。原稿を渡す時、吉本隆明は「ぼくの書いた内容なんて、フーコーさんなら当然知っていることばかりだけどね」と言い、また仏訳した原稿ベルギー出身の訳者の夫人に見せると、「この人、頭、悪いんじゃない」と言われた話など、いまでは懐かしい思い出だ。

夫人がなぜそんな言葉を口にしたのか。欧米人らの論文は、まず結論を先に述べ、それを論証する形で話を進めるのに対し、日本人、中でも吉本隆明のそれは、紆余曲折しながら何となく結論に向かう書き方ゆえ、原文に忠実に翻訳すればするほど、外国人には「頭が悪い」との印象を与えるようだ。国民性の差というやつだ。

件の手紙を出してから一年ほど経ったころだろうか、日本在住のフーコーの友人を通してようやく返事がきた。しかし危惧した通り吉本隆明の論考は意味不明、従って「返事は不能」とのことだった。またフーコーは、「吉本さんはヘーゲルドイツ語できちんと読んでいるのか?」とも問うたようだ。口先だけで国際化を論じるのは簡単だが、こうした一例を取っても、道はまだまだ遠いのだ。

2008-12-12

オピニオン誌?とmixi

# 2008/12/12(金)

[mixi] 週刊金曜日(782)

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[mixi] SAPIO サピオ(675)

開設日 2005年04月13日

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[mixi] @『諸君!』(140)

開設日 2005年04月13日

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[mixi] 正論(369)

開設日 2005年04月13日

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[mixi] 『世界』(89)

開設日 2005年12月21日

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開設日 2006年02月09日

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[mixi] @『月刊WiLL』(102)

開設日 2006年05月02日

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2008-06-14

http://anond.hatelabo.jp/20080614221507

そんな彼らだからこそ、ああいうサイトを即作るという発想をして即実行できるわけだがね。

http://blog.livedoor.jp/kensuu/archives/50608598.html

「良識のかたまり」のような人だと、まず、「犯罪予告に注目を集めさせる」という発想自体を、アウトと思うからね。

「良識人」は、ミシェル・フーコーの言う意味でのパノプティコンを作ることを考える。

パノプティコン囚人である一般人が、監獄塔に立っている気分になれるのは、デザインとして間違っている。

予告.in は、劇場型犯罪にとってのうってつけの舞台装置になるからね。発想としてはこれまでの彼らのやってきたことと通底している。

囚人は、あくまでも見えない看守が見張っているかもしれない、ということに怯えて規律を内面化しなくてはいけないのだが、

予告.in は、まさに、自分の予告で他人が釣れたかどうかを確認できるうってつけの装置なんだよね。

大多数の犯罪予告は、まさに犯罪を実行せんとしているから問題になっているわけじゃなくて、

予告そのもので人々が怯え、避難するという害を引き起こしたことで威力業務妨害に問われているわけで。

Hamachiya2 が予告.out を作ったのは、まさに裏返して単純な劇場を提供することになっていて、予告.inの欺瞞を全部暴きたててくれたよ。本人が意識しているかどうかはともかく。

2008-03-20

生物学的に、ではなく人間的に生産的になるたったひとつの方法

それは、オナニー楽しみのための性行為を断ってしまう、それだけである。

僕は、随分昔から同性愛者にあこがれをもっていた。

彼らは異様に生産的である。母集合の少なさに反して、仕事や、芸術という分野にとてつもないアウトプットを残す。

ミシェル・フーコーなんかもそうだし、ケインズなんかもそうだ。

音楽芸術の面だとさらに多岐に渡る。最近じゃRufus Wainwrightなんか凄まじい迫力のある曲を残している。

いつだって僕はそれを疑問に思ってきたし、自分もそうありたいと思いながらわずかながらの人生を生きてきた。

しかし、同時に、それは単純な憧憬、もしくは彼らの仕事に対する尊敬であって、決して自分は同性愛に傾くことはないこともわかっていた。

僕はやっぱり同性のハダカを見ても性的に興奮することはできないし、それよりも女性の裸体を愛撫しているほうがよく反応する。

ある意味幸福でもあったろう、と思えるが、それは同時に喪失でもあった。

自分の才能のなさ、を呪うこととはすこし質の違った喪失感である。(※自分に才能があるとは到底思えないが、それとは違う)

それはたぶん、アメリカ白人黒人の文化・芸術に抱く憧憬と喪失感によく似たものである。

エミネムバーバーショップトロイ・ギャリティのように、同質化することを望むけれど、自分自身を完璧に同質化させることはできない。

また、詳解はしないけども、今のコンシューマゲームに関る人々が、昔のコンソールのゲームをこよなく愛する感情によく似ていると思う。

そうして、ここまで考えたときに、ふと気づくことがあった。

数ヶ月前のことだ。

人間は、どんな状況においても、「子孫を残す」ことを求める傾向があると思う。たぶん、それは生物だからだろう。

人間歴史上絶えて久しかったことなんてなかったわけだし、広島長崎にだって木が生えて人も生殖したのだ。文化すらも残ってくれた。

生物だからこそ、危機に陥ったときは性交における子宮定着率が高まるのだろうし、スライムモルドだって特異な形態をとってのりきろうとするわけだ。

そして、同性愛者は生物学的には常に危機に瀕している。あたりまえだが。

だからこそ、彼らは自分の遺伝子生物学的とは違うベクトルで残してゆく方法を無意識的に模索しているのではないか。

それこそ、ロレンスがいった

ぼくはどうして偉大な人物とされるほとんどすべての人々が、それを認めているか否かに関わらず、同性愛に向かう傾向にあるのか、そしてその結果女性身体よりも男性身体をいっそう愛するようになるのか---確かギリシア人がそうだったと思うのですが---、その理由を知りたいのです

(1913年の書簡。http://d.hatena.ne.jp/kingfish/20060412から引用)

の回答なのではないか。

「人は子孫を残す。生物学的にしろ、生物学的でないにしろ。」

実際そう考えてみると、合点のいくことは結構多い。

偉人ばっかだして恐縮なのだが、宗教的であれ、個人的にであれ、性活動を制限していた偉人というのは多いのである。

カントだって童貞だし、ゲーデルヒルベルトだってそっちの執着はあまりなかったらしい。

そういえば分裂感違い君もそんなかんじのエントリ書いてた記憶がある。オナニーやめたとかなんか。※切込隊長もそうだったね

また、生物学的な生殖行為への渇望といったものから得られる感情もよく似ているといえば、性行為に貪欲すぎた人とかも挙げればキリがないほどにいる。

ここらへんだったら、専門外だけど歴史上の日本人にもとてもとてもいそうだ。※たぶん宗教的なもんが薄いから制限してた人が少ないんだろう

現代という時代は、恐ろしい時代である。

それほど才能のない僕らが、才能あるマッチョたちと対等に闘って生きていかなければならない。

そうでなければ、グローバリゼーションの中の雁行型経済発展に従って、

インドや第三国の才能ある外国人労働者におまんまを持っていかれてホームレスになってしまいかねない世界である。

僕は、この時代だからこそ、提言したいと思う。

我々は、生まれつきの才能がない僕らは、持てる思考回路をせめて有意義なものに使わねばならぬのでないか。

それを、オナニーや、楽しみのためのセックスや、男女関係の機微に帰着させるのはあまりにも軽率ではないか。

そこに脳がハマりこんでしまえば、たぶんその生殖行為こそが生物的にはあるべき姿だから、思考はそこから抜け出られない。

悪いわけではないんだろうけど、才能がない僕のような人間には、すこし損ではないか。マッチョになってからでもセックスはできる。

僕の提言はこうである。

「おまいら、オナニー楽しみのためのセックスをやめてみろ」

「そして頭のキャパシティから性行為と男女関係を抜け」

たぶん、これだけで、脳は今与えられている生殖本能に危機があり、と感じるはずである。

そして、脳はそのとき脳内にある違う意味での生殖や、生殖本能につながる能力を伸ばそうとするのではないだろうか。

生まれついての同性愛者ほどの生産性は得られないかもしれないが、少なくとも、脳を使う仕事に従事している人には、少なくとも効果はあるのではないだろうか。

これは余談だが、肉体を酷使する競技に従事している人は、性行為は試合前日には絶対にしないらしい。

友人に才能ある競輪選手がいるのだが、彼は「試合前にヤったらぜったいあかん。負ける」と言っていた。

試合前にヤったらどうなったか?そのとき、あまりの興奮に生でやったらしく、そのときの一回で子供が授かったのである。

たぶん、これも、ケースひとつだけど、人間の活動は生殖と深く関っている証明になるのではないだろうか。

まるで、イアン・マッケイみたいなハードコア意見なっちまった

でも、彼らだって、ありえないくらいプロダクティブだよね。

 
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