はてなキーワード: ミクロ経済学とは
sup_{x ∈ U(X)} x subject to φ(x) ≤ w
ここで、φ: U(X) → ℝ は連続線形汎関数、w ∈ ℝ は初期富である。
sup_{y ∈ T_p𝓜} ω(y)
生産対応を η: T*𝓜 → 2^{T𝓜} とし、以下の条件を満たす:
∀ω ∈ T*𝓜, η(ω) = {y ∈ T_p𝓜 : dω(y) = 0}
ℰ = ((ℋ_i, π_i, Ω_i)_{i ∈ I}, (T_j)_{j ∈ J})
ここで、
状態 (ψ_i*)_{i ∈ I} と価格作用素 P ∈ 𝒜 が均衡であるとは、以下を満たすことを言う:
1. ∀i ∈ I, ψ_i* = arg max_{ψ ∈ ℋ_i} ⟨ψ, π_i(P)ψ⟩ subject to ⟨ψ, π_i(P)ψ⟩ ≤ ⟨Ω_i, π_i(P)Ω_i⟩ + ∑_{j ∈ J} θ_{ij} τ(PT_j)
2. ∀j ∈ J, T_j = arg max_{T ∈ 𝒜} τ(PT)
3. ∑_{i ∈ I} (ψ_i* - Ω_i) = ∑_{j ∈ J} T_j
ここで、τ は 𝒜 上のトレース、θ_{ij} は消費者 i の生産者 j に対する利潤シェアである。
(𝒜, ℋ, D)
ここで、
[D, π(a)] = 0, ∀a ∈ 𝒜_{eq}
ここで、𝒜_{eq} ⊂ 𝒜 は均衡状態を表す部分代数、π は 𝒜 の ℋ 上の表現である。
H: [0,1] × X → X
(a) (5点)予想外の一時的な熱波が東海岸を襲った。ニューイングランドのアイスクリーム市場への影響を示しなさい。
(b) (5点)政府がアイスクリームに課税を導入し、生産者がその税金を支払うことになった場合、アイスクリーム市場にどのような影響があるか?
(c) (5点)中国とメキシコは主要な繊維生産国である。メキシコの労働者がストライキを行うことを決定した場合、メキシコの繊維市場にどのような影響があるか示しなさい。
(d) (5点)(c) で述べた状況が中国の繊維市場に与える影響を示しなさい。
(e) (5点)政府がボトルウォーターに価格上限を設定したと仮定した場合、ボトルウォーター市場にどのような影響があるか示しなさい。
(a) (5点)一般的なコンピュータ vs. Apple MacBook Pro ラップトップ
(b) (5点)一般的なステレオヘッドフォン vs. 補聴器
以下の財ごとに、短期的または長期的にどちらがより自己価格弾力性の高い需要を持つと予想されるかを識別しなさい。上記と同様に、簡単に理由を説明しなさい。
(a) (7点)P_Aを1ドルに固定し、P_T = 5 と仮定しなさい。りんごジュース市場における均衡価格と数量を計算しなさい。
(b) (7点)不作の季節によってりんごの価格が2ドルに上昇した場合、新たな均衡価格と数量を求めなさい。解答を図で示しなさい。
(c) (8点)P_A が1ドル、紅茶の価格が3ドルに下がった場合、新たな均衡価格と数量を求めなさい。
(d) (8点)P_A = 1 ドル、P_T = 5 ドル、りんごジュースに価格上限 P^* = 5 ドルが設定された場合、りんごジュースの超過需要はどのくらいになるか。解答を図で示しなさい。
(a) (10点)この市場での需要と供給の方程式を解き、需要曲線と供給曲線をスケッチしなさい。
(b) (15点)現在、鋼鉄の価格が1トンあたり15ドルで、世界中での鋼鉄の販売量が1億5000万トンであることを発見したと仮定しなさい。今年の業界団体の最も最近の弾力性推定値は、需要が-0.125、供給が0.25であることを発見しました。部分(a) の図を使用して、過去1年間に供給曲線と需要曲線がどのように変化したかを説明しなさい。その変化を説明するような出来事は何か?
傾向として、左翼は思考主義で、右翼は自然主義というのは納得がいく
https://anond.hatelabo.jp/20240805223215#tb
どちらが賢いとかどちらが偉いとかではなく、思考パターンの傾向として納得がいく
面白いのが、世の中には自然主義的な考え方を持つ、思考主義者というのもいる
一般均衡理論の基本的な考えは市場に任せれば、効率的な資源配分が実現するというものである
交換の利益をミクロ経済学の基礎においてる以上、この結論はある意味当たり前である
この自由放任の考え方は、自然主義的な傾向があるにもかかわらず、数学的な論証によって築かれた理論的基盤に依拠してる点から、思考主義的ともいえる
一般均衡理論のような考えを持ち出して、市場均衡の効率性を主張する
こういった本能による資本主義の肯定、理論による資本主義の肯定が存在する
経済を I 個の財・サービス、J 人の消費者、F 社の企業から成るとする。
各消費者 j ∈ {1, ..., J} の問題は以下のように定式化される:
max Uⱼ(xⱼ)
s.t. p · xⱼ ≤ wⱼ + Σ(f=1 to F) θⱼᶠπᶠ
ここで、
Uⱼ: 消費者 j の効用関数(強い単調性、強い凸性を仮定)
xⱼ = (x₁ⱼ, ..., xᵢⱼ): 消費ベクトル
wⱼ: 初期賦存
πᶠ: 企業 f の利潤
一階条件(Kuhn-Tucker条件):
∂Uⱼ/∂xᵢⱼ ≤ λⱼpᵢ, xᵢⱼ ≥ 0, xᵢⱼ(∂Uⱼ/∂xᵢⱼ - λⱼpᵢ) = 0 ∀i ∈ I
λⱼ(wⱼ + Σ(f=1 to F) θⱼᶠπᶠ - p · xⱼ) = 0, λⱼ ≥ 0
ここで、λⱼ はラグランジュ乗数。
max πᶠ = p · yᶠ
s.t. yᶠ ∈ Yᶠ
ここで、
yᶠ = (y₁ᶠ, ..., yᵢᶠ): 生産ベクトル(正は産出、負は投入)
一階条件(利潤最大化条件):
p · y ≤ p · yᶠ ∀y ∈ Yᶠ
Σ(j=1 to J) xᵢⱼ = Σ(f=1 to F) yᵢᶠ + Σ(j=1 to J) wᵢⱼ ∀i ∈ I
ここで、wᵢⱼ は消費者 j の財 i の初期賦存量。
p · (Σ(j=1 to J) xⱼ - Σ(f=1 to F) yᶠ - Σ(j=1 to J) wⱼ) = 0
1. 価格単体を定義:Δ = {p ∈ ℝ₊ᴵ | Σ(i=1 to I) pᵢ = 1}
4. 予算制約とワルラス法則より、p · z(p) = 0 ∀p ∈ Δ を示す
5. 境界条件:pᵢ → 0 ⇒ zᵢ(p) → +∞ を証明
6. Kakutani の不動点定理を適用し、z(p*) = 0 となる p* ∈ Δ の存在を示す
社会的厚生関数 W = W(U₁(x₁), ..., Uⱼ(xⱼ)) を最大化する問題を考える:
max W(U₁(x₁), ..., Uⱼ(xⱼ))
s.t. Σ(j=1 to J) xⱼ = Σ(f=1 to F) yᶠ + Σ(j=1 to J) wⱼ
yᶠ ∈ Yᶠ ∀f ∈ F
一階条件:
∂W/∂Uⱼ · ∂Uⱼ/∂xᵢⱼ = μpᵢ ∀i ∈ I, ∀j ∈ J
p = ∇yᶠπᶠ(yᶠ) ∀f ∈ F
ここで、μ はラグランジュ乗数、∇yᶠπᶠ(yᶠ) は利潤関数の勾配ベクトル。
これらの条件は、消費の効率性、生産の効率性、そして消費と生産の効率性を同時に表現している。
ミクロ経済学は、一般には企業と消費者という経済単位を考え、市場の相互作用を分析する。
分析方法として、1)最適化, 2)均衡分析 という方法を用いる。
企業行動のモデル化では、目的関数は利潤最大化で、制約条件は技術・市場である。消費者行動では、目的関数は効用であり、制約は予算である。
経済の均衡とは、経済単位の行動全てが相容れるものであるときの分析ということである。均衡の分析は、不均衡状態の分析よりもはるかに単純である。
均衡状態に限定し、さらに最適化問題を解くときに、実行可能領域で行動を変えて目的をさらに追求できる経済単位が存在しない状態(パレート最適性)の分析を行うことになる。
ミクロ経済学(?)の、人間が取る行動は全て合理的であるっていう前提は無理があるだろと思ってたけど、最近になって割としっくり来た。
今までは合理的という概念をふわっと捉えていて、なんかこう社会規範(美徳等も含め)を基準として物事を序列化しつつ、個人的な快不快だとかの定性的な要素は全無視した上で、定量的な部分だけ見て考えた損得を最大化するような、いわゆる理性的だとか「生産的」とでも呼ばれるような態度を合理的なものと思ってた。
でも突き詰めて考えていくと、その重大な諸々の前提を成り立たせる揺るぎない要素なんかどこにもない。
であれば「合理性」は普遍的な前提・目標に対する普遍的なものじゃなく、個々人が持つ行動原理に対するものだと考えるのがよさそうだ。その目に見えない行動原理を最も明らかに描き出すのは原理に応じた結果として出力される選択肢な訳だから、逆説的に全ての行動は合理的だと考えるのはもっともだ。
プロ棋士になりたいと言っている人間が将棋のルールすら知らなかったとする。少なくとも外部からは、目標実現に向けた努力の(面倒臭さのような精神的なものを含めた)諸コストが実現への願望を上回るような力関係で行動原理が存在していると判断されるはずで、つまり合理的な行動だとみなされるはずだ。
本当は努力を避ける事で浮いた精神的快楽なんかよりも、目標達成によって期待される快楽を優先したい。これは矛盾した状況であって、非合理的な選択に甘んじてしまっているんだ。プロ棋士になりたい気持ちは本物なんだ。
そんな風にたとえ本人の中で認め難いものがあっても、客観的にそう捉えられる事はなさそうだ。
でも個人の行動原理といえど常に一定の基準を示す訳でもないだろうし、同一人物ですらやっぱり同じ基準での合理性で考えるのは難しい気がする。
気分による変動なんかザラで、そうでなけりゃ人間は自分の基準に基づいて最も快楽をもたらす同じ音楽を常に聴き続け、同じ映画を常に見続けはずだし。
とはいえ中級ミクロ経済学くらいの知識はいるので、馬鹿といっちゃうのは言い過ぎかも。
需要と供給のメカニズムが正常に働くためには、メーカーや通常の流通チャンネルが得る利益が上昇しなければならない。転売ヤーは、転売行為を行っている人が儲かるだけでメーカーは儲からないから価格メカニズムによる調整が働かない。転売ヤーがいないほうが商品のアクセスが簡単になる可能性が高いので、流通ともみなせない。生産者からファンへの商流に介入し付加価値を与えずに上前を撥ねるという意味では消費税のほうが原理としては近い。
で、消費税がそうであるように転売ヤーの存在によって消費者が支払う費用が上昇し、均衡供給が減少するので、総余剰が減少する。ゲームのエコシステムは広がらず、アイドルのファンのすそ野は狭くなる。消費税は公共の福祉のために使われることで総余剰の減少を相殺する、ということになっているが、転売ヤーにはそういうメカニズムがない。
そもそも企業が正しい値段付けをしていれば転売ヤーの入る余地はないので転売ヤーは悪くないというのも間違っている。企業には短期的な利益最大化の価格より低い値付けをするインセンティブがあるから。一番わかりやすいのはゲーム機本体のケース。ゲーム機が売れれば売れるほどゲーム機のエコシステムに正の外部性が働くから、売り出し時点の均衡価格より低い値段で本体を販売することで需要を刺激できる。ゲーム機のエコシステムから得られる総利益を考慮すると、ゲーム機本体の会社は均衡価格より低く売り出すインセンティブは強くある。これは、ゲーム機の販売による正の外部性をメーカーが内部化しているということなので、おそらく定価のほうが「短期均衡価格」よりも経済学的な意味で効率的(総余剰が高い)可能性が高い。逆に、転売ヤーみたいに販売後最初の一週間は定価の五倍から始めて一年かけて落としていく、みたいなことをされるとエコシステムの成長が阻害される。
おそらく、アイドルのチケットなどもそう。市場均衡まで価格を上げるより、あまり値段を上げすぎないで、現在収入が低いが熱心なファンにもチケットがいきわたるようにすることで、ファンのすそ野を広げ長期的な利益の最大化が図れる。
転売は悪だが、別に個人の利益の追求の結果としてエコシステムの成長が阻害されたって犯罪ではないし、犯罪とすべきでもないとは思う。マスクとか、全国民に外部性があるようなケースを別にすれば、法律で違法行為とするのは正直疑問感ある。不正競争防止法の文脈なら考えられなくもないけど、あれって具体的な対象の特定が必要だし、そこの建付けを転売ヤーのために変えるのか、というのはパターナリズムが過ぎるかなという感じ。反社会勢力に資金が流れてるとかなら別だけど。
もちろん、自分の利益のためにエコシステムに害を与えているので、ファンから非難されるのも、メーカーが工夫を凝らすのも当然だと思う。善か悪かだったら悪だよね。
最近、工数のかかりそうな仕事が舞い降りて、必死になっております。
こういう場合は、見積もりをクリティカルパスの3倍以上にでもしておけばいいのです。
さて、最近趣味を探していた私ですが、何をするにも気力や体力を使うので「食べる」ことが趣味になってしまいました。
といっても、歩きと電車で1時間以内に行ける範囲になるので、店も限られてきます。
トマトラーメンはお気に入りですが、こればかり食べると飽きそうなので他のバリエーションもほしいですね。
インドカレー屋に行くとたまにコカインのような草が入っていて信用できないので今は行っていません。
マクドナルドもお気に入りでしたが、最近は賃上げのせいで質(大きさ等)が落ちています(気のせい?)。
ところで、Dota2というゲームがあるらしいですね、Ubuntuでも実行できるらしいです。
やってみたいと思ったのですが、やはりこれも「気力」を使うのでなかなかやる気が起こりません。
ついこの前まではギターをやっていましたが、近所に下手な演奏が響くと思うと音害だと思うのでやらなくなりました。
「なにかおもしろいプログラムを作る」というのも趣味にできますが、プログラミングは仕事だけで十分です。
自分のミクロ経済学の勉強ノートを公開したWebサイトを作ろうとも思いましたが、やはり「気力」が足りません。
気力がなければ趣味につながらないようです。厳しいですね、世の中は。
解像度が低いねぇ君は。わかるかわからないかの1bitでしょ、君の脳みそは。
経済といっても、さまざまな分野があって、効用、無差別曲線、ゲーム理論の話をするのはミクロ経済学。これはもう数学的には厳密なので100年後も教科書の内容に間違いはないだろう。
マクロ経済学はメトリクスを基準とした統計で国家経済を扱う。GDPはその例だが、「労働時間あたりのGDP」といった指標が国家の労働生産性を測る一つの方法となることはよく知られる。因果推論を行うのも基本的には統計の話なのでマクロ経済学の範疇になる。
これらの経済学は、現象を部分的に見てみれば推測の能力は高く、正しく理解していれば経済現象を説明できる。
ではなぜ「経済」の話をすると、経済危機とかが生まれるかというと、外部性などがあるから。
サブプライムローンの破綻は基本的に「債務能力を超える貸付」を行なうことが可能であるという負の外部性によって説明できる。
経済学は「説明」をすることはできるが、「コントロール」をするのは政治の話で、政治家や官僚が教科書レベルのことを理解していないこともあり得る。あるいは「マルクス」などを信奉しているどうしようもないのもいるだろう。
政治家や官僚が対処しなければ負の外部性による市場の失敗を規制することができない。
結果的に経済を「コントロール」できないのは、経済の中に潜む負の外部性をすべて扱う方法がまだ判明していないからであり、予測や説明が可能なレベルにある事象は多い。
Youtubeで外国人が「日本で財布を落としたらどうなるか」を検証していた。
想像通り、検証対象となった市民50人全員が落とし主の外国人に財布を返したのである。
これを見て「日本人は素晴らしいなぁ」と思ったわけだが、少し気になることがあった。
例えば「単に賃上げするだけでは名目値しか上がらず、実質賃金はむしろ低下するかもしれない」といった問題に対し「物価に追いつく賃上げを」などと無意味なことをやっているのは、「労働者に高い賃金を払うのが善だ」という単純な発想に基づいているからでは?
あるいはウクライナロシア問題で、「ウクライナに武器を供与して反転攻勢を!」などと言うのは、ロシアが悪でウクライナが善だから、善に勝って欲しいという単純な発想に基づいているからでは?
経済や政治、法律の問題は、残念ながら「共感」に基づくほど間違った判断を下しやすいと言われることがある。
誰かが殺人犯と言われた時、論理的に証拠を提出するべき時に「私は家族が殺されたのが憎い!だから被疑者は死ぬべきだ!」と言って、被疑者の冤罪の可能性を考慮に入れずに報道され、その結果、報道への共感によって取り返しのつかない冤罪に容易に繋がったとしたら?袴田事件だってそうだろう。
経済はもっと複雑だ。経済には事実判断と価値判断の区別が必要だが、ミクロ経済学が取り扱っているのは概ね事実判断と言われる。無差別曲線やゲーム理論は事実判断である。
それに対し価値判断とは「なにをすべきであるか」という問題のことだ。日本が国として何をすべきか、という話をしているときに、特定の集団だけを贔屓にするわけにはいかない。
例えばパレート最適性について考慮し、誰かが損をする場合は補償を与える方法を考えなければならない。
それを「私たちの税金を一体何に使っているんだ!」という感情論で補償原理を無に帰することは、典型的日本人がまさに陥りがちなことだろう。
補償は税金の正しい使い方であるから、自分の利益にならないという理由だけでは正しいことは言えない。
ひろゆき氏が「政治家にはサイコパスが必要なんですよ」と言っていたが、それは「共感能力ではなく、論理によって判断することのできる人間が必要である」という意味だと私は思う。
まあ、こいつもこいつで、補償のことを話さずに「ハンコ業界を滅ぼして効率化を!」などと言いそうな雰囲気だから感情論であることに違いはないが、論理には前提知識がある程度必要であるということでもある。
基礎知識のある人であれば、貨幣供給量が増えれば貨幣価値が低下すると考えるだろう。しかし知識のない感情派は、「お金が多いほどいい」「通貨発行権を駆使すればいい」と言い始め、貨幣価値が低下しないという前提のもとで国家経済を悪化させようとする。
経済の名目値ではなく、実質値を向上させるにはどうするか。その議論のためには確かな情報や知識が必要であるはずだが、短絡的な善悪を持ち出すことによって「物価高に追いつく賃上げを」などと、スタグフレーションがなんであるかも知らずに言い始めるわけである。
確かに、小学生でもわかるような善悪の問題において正しい行動をするのは日本人の良い点だと言える。外国では「見られていなければ悪事を行ってもいい」と言わんばかりの連中が巣食っているからだ。
しかし経済、政治、法律。そういった「高度な知識を伴わなければ善悪の判断を間違えるだろう」というシナリオで、日本人は落第点を取る可能性が高い。
経済であればミクロ経済学やマクロ経済学の教科書知識ぐらいは必要であるが、日本人は哲学にも疎く、相対主義が蔓延るので、「経済論はたくさんあるし、どれもが正しいことを言っているに違いない」と言う相対主義的な認識を持っている可能性が高い。
結局、短絡的な善悪観でミツバチの巣をつついたような行動しかしないのが、他の国の人にもバレているだろう。
たしかにそれはそれで社会秩序の維持にはなっているから、良いことかもしれない。
しかし経済や政治などにおいては別だ。正しい知識に基づいた善というのは、正しい内容を選んで勉強をする努力が必要なのである。どの論も平等だと相対主義的に考えている連中が、パヨク理論に陶酔し、発狂しているのを見たか。
私の仕事のスタイルは、知識よりもIQに頼るという言葉がぴったりだろう。
Elasticsearchという検索システムを使いこなすにはどうすればいいのか、そんな問いに直面したとき、私は本を一冊読み込むような堅実なやり方ではなく、ドキュメントを目に焼き付け、実行しながら身につけるという方法をとる。
私はIQを馬力に例え、RQをエネルギー効率に例えることがある。
RQとは合理的知性のことで、知らない人もいるだろうから説明しよう。
「1/2で100円、1/2で-10円」の賭けと、「100%で50円」の賭けどちらを選ぶか、という問題に対して正しい答えが出せる能力がRQである。
私は学生時代にミクロ経済学を学んだことがあり、成績も優秀だったので、「合理的経済人」がどのような行動をとるのかは理解している。
しかし私は統合失調症であり、RQそのものは低いのだ。自制心がなく、ゲームなどにはまると抜け出せなくなる。
だからエネルギー効率よりも馬力で突き進もうとする。何かツールやフレームワークを学ぶときは、本を丁寧に読むのではなく、チュートリアルやドキュメントを一日で吸収しようとするのだ。
実は私は、引きこもり気味ながらも、スポーツは得意だった。特に体操はそうだった。
だから学ぶ方法も、マッスルメモリに頼るという筋肉質な方法になってしまうのだ。
私が設定するパスワードは長いのだが、これらはマッスルメモリで覚えている。
同じようにプログラミングも、「とにかく実行を試す。試行錯誤。トライアンドエラー。やってれば覚える」という感じだ。
パターン認識は、このような筋肉質な側面を持つのではないかと思うことがある。人工ニューラルネットワークも、同じようなものではないか。
馬力でなんとかしてきたことはわかった。ではなぜ地道な努力を避けてきたのか。それは、汎用性の低いものを学ぶのに時間をかけたくないからだ。
プログラミング言語ならまだ汎用性があるが、具体的なツールについては、その場で理解できるし、時間をかける必要がないと思うのだ。
私が数学が好きなのは、まさに汎用性という観点からだ。エドワード・フレンケル教授は汎用数学を「ペンキ塗りのようなつまらないもの」と言ったが、まさにそのペンキ塗りが仕事をするうえで重要なのだ。
ミクロ経済学の教科書をもう一冊読み終えて、現実世界に経済の練習問題が沢山あることに気が付きました。
経済ニュースを理解することも重要ですが、もっと高度に、現実問題を解決できるような数理モデルを発見したいと思いました。
数理モデリングの書籍はいくつか読んだことがありますが、「ケーススタディ」という形式になっているものが多く、「これだ」という手法だけがあるわけではないようです。
私が解決したい問題とは何かというと、経済と環境の両立という問題です。これを数理化するにはどうすれば良いでしょうか。
考え方はいくつかありますが、問題の本質を見つけ出す方法と、具体的なシナリオを見つける方法があります。