はてなキーワード: マントラとは
瞑想を初めて二ヶ月ほどですが、得られたものがすでに非常に大きいので書きます。
id:xevraさんが常々言ってるからみんなネタにしてるけど、しょうもないライフハックより有用なのでみんなも試してほしい。
ちなみに宗教的な色眼鏡では自分は見ておらず、よりよく生きる習慣、睡眠、運動みたいなものとして捉え、実践しています。
とりあえず瞑想やってみましょう。
ネガティブな思考が少なくなります。また、そういう思考が始まったり歪んでいることに気づけます。
すぐ寝付けるようになる
知的好奇心が旺盛になる
快に敏感になる
=> 音楽聞いても捉え方が変わる
すぐに落ち着いた状態に入れるようになる
堂々としていられる
=> 思考の歪みに気付ける
やるべきことに追われているような感覚が消える
=> やらなければ思考が消える
=> やらなくてはいけないことを自然とやっておこうと思えるようになる
刹那的な感情、衝動とかに突き動かされることが減ったりするので芸術的な分野とか特異な発想が生きる分野はデメリットが大きいかもしれない。
未だに至れていないけど悪魔、仏などいわゆる魔境的な経験をする可能性はある。
重度の鬱病や精神的な疾患を抱えている場合はちゃんと寝て、食べて、運動して、お医者さんに相談した上でやったほうがよいようです。
欲が減るかもしれない。
色々間違えてるし洗練されてないと思うのではてぶとかトラックバックとかで補完していただけると嬉しいです!
静かな場所、落ち着いた場所を確保する→座蒲(座布団重ねてもいい)に座る→体の状態を調える(伸びとか自由にする)→目を瞑る(半目は難しかったので)
→結印なり法界定印なり自由に手を組み、眠らない用に準備する→呼吸をしながら体を揺らす→唱呪する(Mマントラなり南無阿弥陀仏なりなんでもいいと思います)
→できるだけ深い呼吸をする→時間になるまで思考をしないというよりマントラを唱えながら思考の発生を見る→終わったら伸びなどをしてしばらくのんびりする
宗教的な色眼鏡で捉えたくなかったのでMマントラというのを頭の中で唱えています。
具体的な物の像は浮かべていません。
深く入れるようになるとマントラが消えて呼吸だけに意識がおけるようになっています。
http://anond.hatelabo.jp/20161104121549
=>考える瞑想、考えない瞑想という言葉を知りませんでした。考えない瞑想に近いように思います。
http://anond.hatelabo.jp/20161104122009
http://anond.hatelabo.jp/20161104152242
=>眠たくなりたいときに瞑想をすることもありますが、基本的には体を動かすか何か他のことをしています。睡眠と瞑想は違うものだと捉えています。
ブコメにもありましたが、眠るためにするだけにするものではないです。
●通勤時間にもできる!「歩く瞑想」とは? ティクナットハン師が教える瞑想法ーマインドフルネスー
http://www.el-aura.com/20140418-6/
座禅として日本に入ってきた方法は、もちろんですが、瞑想にも流派があって、マントラ法、ヴィパッサナー瞑想、サティの瞑想、密教系など...があり。
座る瞑想の他にも、「歩く瞑想」があり、「立つ瞑想」「食べる瞑想」があるようですよ。
子供さんが10才ぐらいだったら、下記の瞑想法を一緒にやれるのかもしれないですね...。
「瞑想」――言葉だけは誰しも聞いたことあると思う。なんとなく、座って目を閉じて心をリフレッシュできるもの?というくらいの一般認識はそこそこ広まっているとしていいのだろうか。
かくいう私も今年になってから始めたのがこの瞑想。寝る前に15分くらい実践している。例として挙げるには恐れ多いけれど、アップルコンピュータの創始者であるスティーブ・ジョブズ氏や、京セラの名誉会長でありJALを再建させたことも記憶に新しい稲盛和夫氏も実践しているらしい。
今やブームになっているとまでは言いがたいが、知っている人はやっている、心身のリフレッシュ方法だ。瞑想とはいったい何なのか?その実践方法と瞑想による効果について私なりにお伝えしたい。
細かな歴史や背景については検索すればいっぱい出てくるのでここでは省略するが、発祥はもちろんインドの仏教からだ。しかし、現代人の多くが実践している瞑想はそういう宗教的な目的ではなくて、強いて分かりやすく言えば、雑然とした頭の中をすっきり整頓させることを目的としてやっている。
まずこの「雑然とした頭の中」について理解するための方法として、あなたにもぜひ試してみてほしいのだが、「10秒間、何も考えないでみる」をやってみてほしい。いかがだろうか。みな、「気づくと何かを考えて」いないだろうか。たった今、自分で何も考えないと決めてかかったにもかかわらず、気づくと何かしら考えているのだ。
つまり、人間の思考というのは一見自分が制御しているようで、実際はそうではないことが分かる。あなたに今思い浮かんだその思考は、あなた自身の制御によって浮かんだ思考ではない、という点だけはまず基礎知識として知っておいてほしい。
この自らの意思とは無関係に自動的に湧いてくる思考のことを自我と呼ぶ。人間のストレスや精神的な苦しみはこの自我によってもたらされる。つまり、自我=自分自身と捉えてしまうことによって、日々嫌な思いや嫌な気持ちを味わってしまっていると理解していただければと思う。
お釈迦様ですら、この自我のことを悪魔と呼んだくらい、人間にとって厄介な存在なものなのだ。瞑想とはそんな自我と関わりのない時間をもつための手段のひとつになる。
基本はリラックスして座る、鼻でゆっくりと呼吸する、呼吸に集中する
瞑想をする理由が分かったらあとは実践あるのみとなる。実践と言っても学校の勉強やビジネススキルアップのように小難しいことは一切ない。基本は、
リラックスして座る
鼻でゆっくりと呼吸する
意識を呼吸に集中させる
の3つだけ。本を読んでみるとマントラを唱えるとか色々あるけど、要点としては変わらない。最初のうちは自宅のベッドなど静かな場所でやった方がいいだろう。慣れたら昼休み中のカフェでもできたりするそうだ。
基本はリラックスして座る、鼻でゆっくりと呼吸する、呼吸に集中する
座り方も写真のようないかにもな座り方があるがそれにあまりこだわらなくてもいい。大事なのは自分が本当にラクできる座り方であること。ラクに座れたら、次にゆっくり鼻から息を全部吐く。吸う時は鼻に任せる感じで、またゆっくりと吐く、これを繰り返す。
最後に何より難しい「意識を呼吸に集中させる」だが、自分の呼吸を五感で感じるつもりでスーハーする呼吸音に耳を傾け、肺に入る空気を体で感じる。慣れるまではこの呼吸に集中するのが難しく感じるが、集中してしばらく続けるとコツがつかめるはずだ。
■頭に浮かぶ雑念とは戦わない
無事、瞑想の態勢に入れたあなたに改めて伺いたいが、いかがだろうか。慣れるまでは先ほどの「思考の大群」が頭に押し寄せては来ないだろうか?
私も始めたばかりの頃は、あまりにこの思考が邪魔すぎてとても瞑想どころじゃなかった。しかし、ここで超大切なコツをひとつ。その邪魔な思考を決して消そうと思ってはいけない。なぜなら、その消そうとしているあなたの思いですら、あなたの思考から出てきているものだからだ。
非常にややこしく感じるかもしれないが、ここではそういう思考に決して立ち向かってはいけない。ただただ、浮かんでくる思考を、映像を眺めるかのように傍観し続けてほしい。
■まずは1日15分から。何が変わるかは人それぞれ
瞑想はやり過ぎはいけないと言われている。また、非常に集中力を要するものなので、最初はタイマーをセットして15分を目安に実践してみるといい。上手くやれれば最初の1回目から効果を感じることができるかもしれない。他にも、実践している人の声として、
つまらないことで怒らなくなる
考え方がポジティブになる
熟睡できるようになる
自信がつく
などがある。私も始めてから3~4ヵ月ほどだが、昼間の集中力は明らかに向上した(気がする)。科学的に集中している時間を計ったわけではないので断言はできないが、実感できるレベルにまでは十分向上している。
瞑想はMマントラ(オーンナーム)、運動は一駅前で降りてのジョギング30分で、ある程度習慣化できた。
高ストレス社会を生き抜くための有益な情報を提供してくれた id:xevra 氏には感謝している。
オナ禁は、ネット上で「調子が良くなる」や「活力に満ちてくる」などの報告が多数ある。
挑戦してみたいとも思うのだが、どれほど効果があるのか不明なため、なかなか踏み出せずにいる。
xevra 氏が「高ストレスな人生を生き抜くうえで、オナ禁も効果がある」というような見解ならば一度挑戦してみようと思う。
逆に、「高ストレス社会を生き抜くためには適度なポルノと自慰行為は必須」というなら、オナ禁はしないつもりだ。
(その場合は、高ストレス社会を生き抜くために見ておくべきポルノがあれば知りたい)
xevra 氏の見解を教えてほしい。
古代いにしえよりの文明におけるコスモロジーは全体論(holistic)であり神学(theology)であった、なんていかめしくニューサイエンス的な前口上を言い立てるまでもなく、
明らかに昔のほうが物事を全体として捉えてたんだよな?そのことを如実にあらわしてるのが土着音楽について振り返ってみようか。原始のリズムを食らえ。
しかしよくよく考えてみると音楽における霊性なんてイマドキ流行らないし流行らせない。ほらやよい時代って祭儀と祭祀で回ってたから。古代ギリシャも神託で政治(ポリ)してた。politicsの語源だしなウソだけど。
基本リズムから全て派生していく様は完全に宇宙観をあらわしてる。けど現代人にはピンときづらいから紙粘土に喩えたらどうだ?
紙粘土ってなんでも作れる。だからこの世界は全部紙粘土で出来た世界として捉えてみることも可能である。箱庭宇宙。んだらば、それは素粒子論とは全く異質のモナドロジーではないのか?いやコスモロジー。
絶対なんて絶対ないなんて今様のポップス音楽はこぞって歌うけれど恥知らずに要素還元主義つきすすむのも悪くはない。ペンロー図で有名な先生は怒るけど。
あとホフスタッターとかそういうのに啓蒙されたジョブズ世代でしょ。音楽が時代精神(シュトゥットゥガルト)のみならず宇宙論(コスモロジー)も表わしてる。マクロな意味でね。
理論化って常に近似なんだよね。理論の上に乗っかっていびきかいてると分からないけど。そりゃ眠ったら本質が見えなくなります。
でも近似なのが分かってたらじゃあ実際どうなのよってなるじゃん?それはすぐれた近似なのかでたらめな近似なのか、そこを見極めないといけない。宇宙論()も見極めないと。
ところが見極める段になってまた見極めるためのメタ理論が要る。堂堂巡りじゃないか。そこで紙粘土の音楽は元から発想をひっくり返す。見極めるとか見極めないとかそんなチャチなもんじゃねえ。
恐ろしいものの片鱗を味わうのよ。つまり「これ」という指差しや「ほにゃらら」という名指しや「ほにゃらか」という言い表しは全部無意味ってこと。
「この音楽いいよ」であるとか「この部分って何を表現してるんじゃ?」であるとか。そういう発想ではない。われわれはマントラが宇宙の原始の創造音であると聞いたら幻惑してしまうだろう。
創造というか何というか、素粒子論とはまったく違った紙粘土の発想でのアレだからな。「これ」と指を使うとその時点で制限がかかるから指さずに「アレ」と要ったほうがよかろうもん。
その上であえて「ほげ」と呼ぶならば、その「ほげ」なる言葉としての意味はないが存在として意義のある呪文というか真言は、何に対しても使うことのできる万能のおまじないのようなものである。
嫌なことがあっても「ほげ」。嬉しいことがあっても「ほげ」。「そうだハロウィンだ」と思っても「ほげ」。全部「ほげ」。全部紙粘土なの。
1. 目標は細かく設定
* 殆どの目標はあいまいすぎるか、大きすぎるため達成されない
2. 目標達成のために1日15分!
* その時間で目標達成に近づくための小さな行動を起こしましょう
3. マントラを作るべし
* 目標はあたかもそれが達成されたかのように作りましょう(○○がしたい、ではなくて、○○ができた!)
* 定期的にそれを復唱すればあなたの考え方の一部になりますよ
4. 仲間を見つけよう!
* サポートしてくれる人にはお返しに何かをしてあげよう
* 一人より二人でやったほうが短い期間で同じものを達成できます
5. みんなにあなたの計画を知らせよう!
* あなたの計画を他の人に伝えればそれだけあなたには目標達成のための責任を感じることができます
* 他の人はあなたの計画の進捗を知りたがるようになるでしょう
6. 自分を追い詰めよう!
* 最悪の締め切りは「今年やる」である
7. 紙に書く!
* 紙に書いたほうが達成率が高まります
* 紙に書くという行為を行うことであなたは自分の時間とエネルギーをそこに先行投資したことになります
* さらに書いたものに線をひいて消す、という行為は精神衛生上いいのですよ
8. 定期的に目標を見直そう!
* 「なぜ目標が達成されていないか?なにが達成を妨げているか?」を定期的に問うべし
9. 自分にごほうびを
* どんなに小さな達成でもごほうびに値します
* 達成を振り返り、次に進む熱意を確認しようhttp://goo.gl/IhTSX
トヨタのリコール問題だが、なにあれ? ちょっとプロとしてあの態度はまずかったと、正直思った。結局トヨタリコール問題は全権が社長に(つまり最も適した対応が出来る人に)委ねられることになり、その後沈静していくと思う。
なので、ちょっとこれを機会に、適切なクレーム対応というのを書いてみたい。
前回、トヨタのプリウスのABS問題に対する対応が、全くなっていなかった事を説明した。ひとことで言えばここにたどり着く。
お客の不安を解消しないと駄目なわけで、それはフィーリングの問題だから車の問題ではないって、つまりこれはお客のせいにしているわけだねえ…。
トヨタのリコール問題があれほどまでに大きくなったのは、これは車の問題ではない、お客の使い方の問題だ、お客の感じ方の問題だと責任をお客に転嫁してしまったこの一点にある。これはクレーム処理の基礎のキも知らないことになる。
さて、いったい、クレーム処理とは何だろう?
たとえば目の前に怒り狂ったお客がいる。
このとき、あなたは「何をゴールとして」クレーム処理に取りかかればいいのだろうか? フィーリングの問題だと突き放すというお手本を日本の大企業トヨタは示してくれた訳だが、その結果が惨憺たる有様になったことは火を見るより明らか。実際に、その真実が「フィーリングの問題だった」としても、これは正しくないのだ。それはクレーム処理ではないと。
まず、ここをスタート地点とする。
考えてみよう。
ECサイトの店長のような仕事をしていると、クレームというのは必ず発生する。
トラフィックにもよるが、穏健な問い合わせまで数に入れれば、百件の購入に一回ぐらいだろうか。なので販売単価一万円のECサイトで月商一千万円だとすれば、月に十件ぐらいはクレーム処理をすることになる。
実際にはもっと販売単価が低かったり、もっと規模が大きい数人のチームのECサイトで、クレーム担当が立っていると言う状況だったりするので、もうちょっと件数が多いものであるが、せいぜい日に十件ぐらいにしかならない。
そういうと、思いのほか少ないと思うかもしれない。
実際、お客というのは、何か腹が立つことがあっても、わざわざ文句を言ってくることは少ない。なんと言ってもお客はわざわざ文章を書いて、それをメールで送ってくるわけで、そんな面倒な事をするよりも、ほとんどのお客は二度とその店を利用しないことを選ぶ。
ECサイトの人間が最も恐れるのは、この何も声を発せずに立ち去っていくお客で、むしろ声を上げてくれるクレーマーはありがたいお客なのだ。
また、楽天系のECサイトでは、マントラのようにクレームはチャンスという言葉が流布されている。クレームをわざわざしてくれる人に懇切丁寧に対応することによって、そのクレーマーが重要顧客に変わる、というマントラだ。
実際の所、わざわざクレームをしてくれる行動的なお客は、味方にし優良顧客に転換できれば、知人に積極的に宣伝をし、お客がお客を呼ぶ状態に持ちこめる確率が高い。つまり、クレーム処理でたった1人のクレーマーに適切に対処すれば、優良顧客の打ち出の小槌になる、そんな寸法なのだ。
クレームとはこんな状況である。
自社のサービスを利用したお客が、
支払った金額 or 労力の、
結果に納得がいかず or 結果が想像と全く違い、
怒って文句を言う or その状況を改善しようとする or 助けを求める
こうみてみると、クレームとは顧客の中で発生している問題であることが分かる。
一見すると、お客は「プリウスには欠陥がある」と怒って文句をつけるので、焦点が「プリウス」にあるように見える。このときに自己防衛的に「いや、プリウスには何ら問題がない」と言ってはいけないのである。
なんたって、これはお客の中で発生しているのだから。
クレームは商品に発生してるんじゃない、顧客の中で起きてるんだ!
これを呟いてから、クレーム処理はしたいものだ。
そしてこう説明してみれば、分かるように、ゴールは商品に何ら欠陥がないことを証明することではない。お客の中で発生している「理不尽な思いをした」という心をなだめ、そこで発生している問題を解決するところにあるのだ。
しかし、このように書いてくると、かなりDQNなお客に引きずり回されるイメージがわいて来るだろうが、そうではない。クレーム処理をしながら、クレーム担当は、そのお客がいるお客か、いらんお客なのかを冷静に見極める。そして、こちらが誠意を持って対応してもどうも意味がなさそうだと判断すれば、さっさとそのお客は切ってしまう。
クレーム処理とは一種の投資みたいなもので、その投資に見合うリターンが貰えそうにないのであれば、商売なのだから、もう二度とこの店にはやって来ないことを覚悟して、いいようにあしらって(文句が出ない程度には丁重に扱って)出ていって貰う。
とはいっても、本当に真の意味でDQNなお客というのはほとんどいない。
大抵は、丁寧な対応をすれば、それに見合った態度を取るようになる。
困るのは、この真のDQNと優良顧客に転換できる普通のクレーマーは、しばらく対応をつづけないと、どちらなのか判断がつかないところにあるのだ。
そして、モンスター・ペアレントとか、パワークレーマーなどと言われる人々が増えているように見えるのは、この真のDQNが増えているのではなく、適切なクレーム対応が出来ていないことが原因であるように思う。
よくクレームにまつわる話で、あり得ないほど変な怒り方をしているクレーマーを馬鹿にする本などを見る。これは実のところ、クレーム対応に失敗し、お客を烈火の如くに怒らせてしまい、そのあげくにクレーマーがあり得ないことを言い始めなければならなくなってしまった典型例であるので、実際の所、笑われるべきはクレーム対応者である。
たとえばECサイトで、お客さまが商品が買えないと怒っていたとする。
ものすごい怒りようで、孫の誕生日にこの商品を送ってやるつもりだったのに、いったいどうしてくれるんだ、責任とれ! と来ていたとする。でよくよく調べてみると、そのお客は会員登録をしておらず、それであるならば当然に買えるわけがない。そうお客に告げると、会員登録はしたという。いや、してませんよ、いや、した。禅問答である。
この事態の真相は、このお客は会員登録フォームから会員情報を入力したのだが、メールアドレスに対して送られた認証用のURLをクリックしていないので、正式な会員にはなっていないであったとする。
このとき、
「というか、メール認証しないと、正式に会員登録が完了しないって書いてあるじゃんwww」
と笑ったり、
「というか、ヘルプぐらいみろよwww」
とお客を馬鹿にするクレーム担当がいたとすれば、ECの現場では張り倒されるだろう。
このときの正しい態度は、もしかしたらメール認証って言う言葉の意味が分からなかったのかもしれない、ひょっとしたら会員登録が済んだと誤解させる何かを見せてしまったのかもしれない、であって、顧客を笑うことではない。
基本的にお客というのはプロである販売員よりも、持っている知識が圧倒的に少ない。
たとえば、「プロバイダーメールのみ登録できます」という言葉の意味が分からないお客というのは、かなりの確率で存在していると思われる。
たとえこちらはそのサイトのシステムをデータベースから、何から何まで知っていたとしても、顧客からは完全なブラックボックスであり、少なくとも状況が全く分からないという事はお客を不安にさせる。
お客が不安を覚え、クレーム担当が適切な対応を取らず敵対してしまえば、お客は疑心暗鬼になり、もう何を言っても信じなくなるだろう。
これはプリウスに起こったことだ。
プリウスのABSのことを確かにトヨタの人間は熟知し、何が原因であるかを的確に把握していたであろう。しかし、お客からみればそれはブラックボックスで、不安の原因であり、フィーリングの問題だと一方的にお客のせいにされれば、もう態度は硬化し、いくら説明をしても「嘘をついている」になってしまう。
完全な敗北だ。
クレーマーは基本的に間違っているのだ。
これは事実である。
しかし違うのである。
クレームは商品に発生してるんじゃない、顧客の中で起きてるんだ!
まずはここがスタートなのだ。
(つづく)
On Google: We did not enter the search business, Jobs said. They entered the phone business. Make no mistake they want to kill the iPhone. We won’t let them, he says. Someone else asks something on a different topic, but there’s no getting Jobs off this rant. I want to go back to that other question first and say one more thing, he says. This don’t be evil mantra: “It’s bullshit.” Audience roars. -Wired
グーグルについて:我々が検索ビジネスに参入したのではない。あちらから携帯ビジネスに参入してきたのだ。見誤るなよ。彼らはiPhoneを殺したがってる。そんな真似はさせん(誰かが別トピで質問。止まらないジョブズ) その質問の前に、ワン・モア・シング言わせてくれ。この「悪をなさない」のマントラ、こんなものクソ食らえだ(会場どっと笑い)
“It’s bullshit.” → この「悪をなさない」のマントラ、こんなものクソ食らえだ
Bullshit を『クソ食らえ』と翻訳されるのは自由ですが、それだと bullshit が本来持つ嘘、という意味合いが薄れるのではないでしょうか?『あんなの嘘っぱち』とか?あと
Audience roars → 会場どっと笑い
は大きく間違い。Roar は例えば戦いの前に兵隊が“うぉ〜”って雄叫びを上げるような、そんな動詞。Roar では笑いの要素は想像できません。『会場は勝利の雄叫びに湧いた』、ではちょっと大げさだから、『会場は湧いた』くらいでしょうか。
元ネタを見ると、Jobs は bullshit とは言っていなくて、Don’t be evil is a load of crap だそうです。だったら『「悪をなすな」は全く戯言だな』くらい。