はてなキーワード: マンツーマンとは
マンツーマンなんて言い方も今は避けられてるらしいて
私は以前スピリチュアルにはまっていて、総額300万円以上費やしていた。だから小林麻耶さんみたいな人とたくさん会ってきたし、自分もそんな時があった。亡くなった人や聖なる存在(守護霊とか神とかエンジェルとか龍とか)から声が聞こえるとか言って、自分の都合の良い解釈をして人に伝えるのだ。そこには「私はそういう声が聞こえる特別な存在なのだ」という自尊心を高める要素もあり、一度ハマると抜け出せなくなる。私はそういう声を聞くために講座に通ったこともあるし、確かにそんな声が聞こえるような気がして、聞こえた言葉通りに行動したり、ブログに書いたりしていた。すると、ブログでいいねをたくさんもらったり、スピリチュアル部門のランキングに載ったりするようになり、ますますその気になってしまった。ただ私生活ではそのような面はできるだけ出さないようにしていた。変な人と思われるのが嫌だったからだ。
私がスピチリュアルの世界から去ったのは、私生活に影響が出始めたからだ。最初は興味本位で踏み入れていたのだが、入ってしまうとズブズブと抜け出せなくなる。スピリチュアル界の著名人はよく「○○ヒーリング習得コース」などを開き、それを履修すると資格がもらえるパターンがある。国家資格でもないし何の意味もないのだが、ひとつスキルを獲得したようで嬉しくなる。コースは初級は数万円だが、中級、上級となると10万円、20万円とどんどん高くなる。彼らはそうやって儲けを出しているのだ。パワーストーンやパワーソルトやアクセサリーなどグッズは尽きず、私も収入の大半をスピリチュアルにつぎ込んでいた。
そうしているうちに、私は自分が「一角の人物」になっているような感覚になった。一般人とは違う能力を持ち、常識の中で生きている人たちを見下すような気持ちになっていった。初めはその気持ちを言葉に出すことはなく内に秘めるだけだったのだが、少しずつ表に出すようになっていった。スピあるあるの一つとして、「本音で生きる」というものがある。周りの目を気にせず、自分の思ったことを話し、思ったとおりに行動すべきだという考え方だ。そうすると宇宙が味方をしてくれる、周りが去っていったとしてもそれでいいという覚悟を持て。こんな教えなので、私は家族や友人にそのような態度で接するようになっていった。そうすると自然に友人たちは私から離れていってしまった。でも私は「理解できる人だけが残ればいい」、そんな気持ちだった。
そんなある日。私が受けていたスピリチュアルの講座で、先生とマンツーマンでセッションを受けていたときのことだった。先生が私に強い口調で説教をし始めたのだ。「あなたほど心の弱い人間はいない」「逃げてばかりだ」などと一時間以上説教をした。初めはそうなのかと我慢して聞いていたのだが、よく考えると私はこの1回90分のセッションで2万円払っている。2万円払って説教するだけ?それっておかしくない?流石に私にも怒りが込み上げてきた。セッションが終わり、一人になって考えみた。何かがおかしい。違和感がある。ここで私はX JAPANのToshiが書いた「洗脳」という自伝を思い出した。Toshiは洗脳側であるMASAYAに散々こき使われ罵倒され殴られてきたのだけど、洗脳が解けなかった。だが「お金を稼ぐためにX JAPANの活動を再開していい」という話をMASAYAから聞いたとき、「結局金かよ」と思い、そこから洗脳が解けたということだった。私もそうなのかな?私は先生のストレス発散と金儲けの金づるとして使われてるだけなのでは?まさか?でもここまでお金と時間を使ってきたのだし、今更・・・。
そんな気持ちにもなったのだけど、私はこのセッションでこの講座を辞め、先生から遠ざかった。そして次に、散々悩んだのだけど、ブログも閉鎖することにした。辞めないといけない、そんな気持ちが強かった。ブログを閉鎖してもGoogleのキャッシュには残るので、それも削除依頼を出した。なんだか恥ずかしくなって、なにもかも消してしまいたかったのだ。ブログをやめたことにより、ブログ繋がりの友人とも疎遠になった。先生とも会わなくなったので、それ繋がりの友人とも会わなくなった。ああ私は一人ぼっちになってしまった。以前からの友人には冷たくしてしまったし・・・。でもこのままではいけないと思い、LINEで謝りのメッセージと、スピリチュアルはやめたことを伝えた。すると、数人の友人とはまた繋がることができた。スピリチュアルグッズは全て捨てた。書籍も全て捨てた。これまでのお金と努力が、とも思ったが、捨ててしまえばスッキリもした。結果、生活にスピ関係のものは一切なくなった。
こんな経緯があったから、小林麻耶さんの陥ってる状態がなんとなく分かる。スピリチュアルは危険なのだ。趣味の一部として軽い感覚でする(パワーストーンを身につけるとか、パワースポットに行くとか)レベルなら大丈夫だけど、大金をつぎ込むようになったり、誰かに説教するようになったら危険水域に達している。でもここまで来ると誰も止められなくなる。スピリチュアルを教えている側は、それがビジネスなので、辞めろとは決して言わない。むしろ、あれをしろこれをしろと、最終的に自身の稼ぎにつながるようなアドバイスをしてくる。けれど周囲はすでに離れてしまっているので、もう止める人が誰もいない。じゃあ誰が止めるのか?それは、自分自身しかいない。Toshiさんもそうだったし、私もそうだった。洗脳に気付けるのは、最終的に自分自身しかいない。だから、小林麻耶さんも、自分が間違っていることに自分で気付くしかない。
では周りの人間は何もできないのだろうか。いや、できることはある。それは、間違ってると気付いた人を、もう一度暖かく受け入れることだ。Toshiさんもその後復帰して素晴らしい活躍をしているし、私自身も友人に受け入れられ元の生活に戻ることができた。小林麻耶さんも、いつか気づく日が来ると思う。数年後とか、もっと先になるかもしれないけど、彼女が気づき、現在のような状態から完全に足を洗い、謝って反省したとき、世の中に彼女を受け入れる優しさがあればいいなと思う。少なくとも私は受け入れたい。私自身もそうだったから。
額面で言うと 160 万円。40 代男性、外資系 SE、既婚、二子、23 区内戸建て。ボーナス込みで年収は 2,500 万円。この位になると金銭感覚がどう変わるのか、という話をしてみたい。
平均的なサラリーマン家庭よりは裕福な子供時代だったが、いうて金持ちというわけでもない東京寄りの埼玉の家庭で生まれ育った。今の知識と感覚を持って当時の記憶から推測すると、世帯年収は 700〜800 万円くらいだったろうと思う。倹約家の母は、割り箸もラップも洗って再利用するし、油のついた皿を重ねると食器用洗剤の消費が増えるからと怒る、そんな人だった。
新卒一年目の年収は 400 万円強。諸事情があって実家にお金を入れながら会社近くのぼろアパートに住むという貧乏な一人暮らしを経験したりしつつも、20 年以上ほぼ毎年年収を伸ばし続け今に至る。
年収が 1,000 万円を超えた時はすげぇ嬉しかった。…が、同時にこんなもん?とも思った。その時点ですでに二人養っていたからというのはあるにせよ、二倍稼いだら二倍贅沢な暮らしなんて事は全然なかった。年収 400 万円の頃と変わらず、値引きシールの貼られた商品ばかりを狙って買うし、松屋は心の友だった。
年収が 2,000 万円を超えたあたりでふと気付く。別段贅沢をしている「つもり」はない。お得なクーポンを探すのは相変わらず好きだ。でもさすがに五倍稼ぐと金銭感覚が変わっていた。一般に年収 1,000 万円というと稼いでいると思われがちだが、たぶんその一般的な感覚に当てはまるのは現実では 2,000 万円からだと思う。
例えば、
一万円以下は誤差という感覚がある。それ以上は値段に対する価値を吟味するが、値段相応と思えば 100 万円まではすっと出せる。そんな感じ。
あらためて書き出すとずいぶん贅沢な暮らしをするようになったなと思う。子供のころに描いていた裕福な暮らしそのものではないか。とは言え元が貧乏性なもんで、これ以上の贅沢はもはや思いつかない、というかこれより上は値段相応の価値を感じない。例えば高級車とか全然要らない。
仮に年収が 5,000 万円にまでなったらレクサスに乗り換えるだろうか?そんな気はしないんだけど、10 年前は今ほど金銭感覚が変わるとも思っていなかったから、分からんね。もしもそうなる事があったらまたレポートしよう。
【追記】
謎の誰かが勝手に返信つけてるのウケる。持ち家だから家賃は払ってないよ。住宅ローン返済はしてて、その金額は 16 万だから近いけどw
養女または同居された場合のメリットがお金であれば、デメリットはお考えですか?
今はお元気で意志疎通もとれ、たいした問題は想像できないかもしれません。
他者を受け入れにくい方、こだわりが強い方は介護量が増えるとマンツーマンの介護を要求しやすい傾向があります。
また、後見人になり、生死を彷徨ころに遠い親戚とやらがたくさん出てきてもめていたヘルパーさんをみました。
息子さんよりその方の介護を優先させなければいけないときは出てくると思いますよ。
個人契約で専属家政婦で月給保証してもらうのも選択肢ではないですか。ただ、事業所が入っていなければ問題が起きたときは大変でしょうね。
すいません、ちょっと長いんですけど書かせてください。
高校の頃、英語の授業に20代前半の結構イケメンなアメリカ人教師が来た。授業は一人一人アメリカ人先生に名前を呼ばれ、前に出てマンツーマンで話をするっていう形式。先生には授業前に生徒の名前をローマ字に直したプリントを渡してた。
授業が始まると片言の日本語で挨拶をする先生に女子連中はキャーキャー言っていたけどそれを結構厳しい口調で注意するような真面目な先生だったので、みんな真剣に授業に臨んでた。
授業は順調に進み、結構人気のあった女子の「新保(しんぽ)さん」の番になった。先生はそれまでやってきたように大きな声で彼女の名前を呼んだ。
生徒は一瞬凍りついた。教室にいた全員が瞬時に「笑ってはいけない!」と思った。でも、たぶん「シンポ」と言っているんだろうけど、どう聞いても日本語の「ちんぽ」だったし
「それまで片言だったのに、なぜよりによって
「ちんぽ」の発音だけがこんなにもネイティブなのか」とか「なぜか「ちんぽ」に敬称を付けている」とか考えだすとみんな耐えられなくなった。
結局新保さん以外の全員が爆笑。新保さんは顔を真っ赤にしてうつむいていた。
その様子を見ていたアメリカ人先生は状況が飲み込ていないようなのだが、生徒の一人がみんなの笑いものになっている状況だけは理解できたのだろう。突然般若のような顔になりその爆笑をかき消すかのような大声で「シャァァラッップッ!!」と全員を一喝した。その表情とテンションの凄さに、教室は水を打ったように静まり返った。しかし先生の怒りのボルテージは上がったまま。
新保さんの肩に手を置くと「ナンデ?ナンデミンナちんぽをワラウ?ちんぽガナニカシタ?」
全員が「まずお前のせいだ。あと男性生殖器の名称を連呼するのをやめてください」
と思っていたと思う。
その後、慰めようとしたのだろう、先生はやさしい口調でうつむいて座っている彼女に語りかけた。
新保さんも笑った。
コレ見ると旦那さんもメンタルクリニックに連れて行った方が良いと思う。
この一件は些細だけど、ここ数年で性格が変わりつつあるのは大変よろしくない。
育児ストレスの可能性もあると伝えてどの様に過ごせば良いか、夫婦で心懸ける事は何か確認できる事がメリット。
逆に言えば夫側の話を医者とマンツーマンで話して貰う事で増田側で無意識的に起こってる問題が夫を通して発見できるかも知れない。
私は15年ぐらい前に一か月ほど、そこに滞在していた。
誰かに話せるような事でもないが、思い出をここに書いておく。
そこで好みの子を選ぶ。いなかったら入れ替えでまた10人入ってくる。
何度入れ替えてもぞろぞろと女の子が入ってくる。何十人いるんだろうか。
最終的に一人を選ぶと、シャワー(とミニサウナ)付きの部屋に通される。
後はまぁ、いわゆるお決まりのコース。シャワー浴びて、ベッドに行って。
日本と決定的に違うと思ったのは「脱ぐとき何故か勝手に踊る」のと「やたらツバを吐く」の二点。
どちらも最後まで違和感があったけど、まぁ、慣れれば大した問題じゃない。
女の子の性格は本当にいろいろ。明るい子もいれば暗い子もいる。
中国語で一生懸命にコミュニケーションを取ろうとする子もいれば、カタコトの英語や日本語で頑張ってくれる子もいる。
私は出張で滞在していて、この「サウナ」システムが非常に気に入っていた。
性的な欲求うんぬんというより、正直いろんな女の子の様子が見られるのが楽しかった、というのが一番の理由だった。
そう、値段についてはやはり日本のソープなんかよりは格段に安い。
だいたいどこもAコースとBコースがあって、Aコースはモデル系の高身長美女って感じ。だいたい12000円ぐらい。
Bコースは街の可愛い子ぐらいの感じ。だいたい8000円ぐらい。
中国人男性の好みは「Aコース」みたいなんだが、私は圧倒的に「Bコース」の方が好みの子が多かった。
なので、ほぼ毎晩この「サウナ」に通って、中国のいろんな出身地の女の子と楽しく過ごしていた。
一番思い出に残っているのは最終日についてくれた四川省出身の子だった。
低身長でクリクリっとした目、そしてショートカット(サウナでは珍しい)の女の子だったのだが、この子がとにかく「萌えキャラ」だった。
日本の美少女アニメとかに出てくるキャラクター、もう本当にあれそのもの。
なんか話し言葉の語尾に「~にゃあ」と付くのがまず、萌えポイント。あれは方言か何かだったのか。
さらに圧倒的なドジっ子だったのが萌えポイント。私の頭を洗ってくれようとするのだが、背が届かない。
そこで私がしゃがもうとすると、そんな事しなくていいとジェスチャーする。
そして、バスタブの縁に立って頭を洗ってくれようとしたのだが、足を滑らせて落下。「にゃああ!」と言いながら。
で、そんなサウナライフの一方で、東莞の街には大量の「置屋」があったのでそっちも見学しに行った。
ここはどういう場所かというと、「サウナ」で働けなかった女の子たちが溜まっている場所。
「サウナ」で働くには厳しい面接があって、さらに「身元が明らかな18歳以上」というルールがあった。
そんな置屋の一つに入ってみる。太った黒シャツのおばちゃんが待ち構えていた。
英語っぽい言葉で「あんた日本人?日本人だね?じゃこっちだ!」と腕をつかまれ、どこかに連れていかれる。
連れて行かれた小部屋でおばちゃんが何か叫ぶ。すると……
カウンターテーブルの後ろから、ひょこっと女の子が飛び出してきた。
それも5人ぐらい。あとからあとからひょこひょこ湧いてくる。どうなってるんだあのカウンター。
並んだ女の子たちはハッキリ言って「女児」。5歳から10歳ぐらいの子たちだったと思う。
え、何これ…何が起きてるんだ。
そう思う間もなく、おばちゃんがその子たちのカラフルなTシャツを、片っ端からまくりあげていく。
そしてまた私の腕をつかみ、「ほら触りなよ!」とばかりに引っぱるので、大慌てで手をひっこめた。
「日本人だったらこういうのがいいんだろ?違うのか?」とおばちゃん。
ここで私は少し哀しくなった。何やってるんだよ、日本人……
おばちゃんの説明によると、日本人はいつも団体でこういう女児を買いに来るという。
いわゆる「買春ツアー」というやつなんだろう。しかもロリコン専用の。
なんだかなぁ……という思いを残し、置屋を出る。いずれにせよ、最初から利用するつもりは無かったので。
なぜならこの置屋地帯、衛生的にかなり問題があるという話を聞いていたので……
他に夜遊びと言えば「カラオケ」にも行った。
この「カラオケ」には数タイプあるようで、現地で仲良くなった台湾のおっさんに連れていかれた「カラオケ」はみんな全裸だった。
そこでいい雰囲気になったら、別部屋でイイコトをするらしい。
なんでも、最初に一人、二回戦に二人、三回戦に三人…と女性を増やしていき、七回戦までいったら「北斗七星マスター」みたいな称号が貰えるそうだ。
ちなみに台湾人の女性の好みは「コロコロっとした健康的な女の子」みたいで、全盛期の小向美奈子みたいな子がいっぱいいた。
また、深センから遊びに来ていた若手起業家みたいなグループに連れていかれた「カラオケ」は、普通のナイトクラブみたいな感じだった。
こちらは基本、マンツーマン。薄暗い部屋でイチャついて、いい雰囲気になったら各自店を出ていく感じ。
女の子のレベルは異常に高かった。私もよく分からないままに座らされ、隣にとんでもない美女が座る。
客も女の子も流暢な英語で話しているが、私はそこまで話せないのでおとなしくしていた。
すると、私に付いた女の子が「お腹が空いたなら、うちで一緒にご飯を食べよう」と言ってきた。
唐突な提案に驚きつつも、このままここにいても浮いちゃうし、なんだか面白そうだったのでその提案に乗った。
その子の家まで向かうタクシーの中で、その子には病弱な弟がいて、同居しているという事を知った。
病弱な弟を救うのにお金が必要で…とか、そういう筋書きかな。なんて邪推をしていた。
そして連れていかれたマンションの一室には実際、男の子が待っていた。
三人で一緒にご飯を食べた。食卓を囲んで。黙々と。なんだろう、この展開。
ほぼ無言の食事だったけど、不思議と気まずい感じにはならなかった。
弟さんは最後まで一言も話さなかったけど、目が合うと微笑みかけてくる子だった。
食事が終わったら、ぼーっとテレビを観た。で、少ししてから帰った。普通に帰った。
帰りにいくらか渡そうとしたら、強く拒否された。これはプライベートだから、って。
じゃ、せめて食事代だけでもと言って、無理やりお金を掴ませた。
正直、タクシーに乗った時点で美人局とか、睡眠薬とか、そういうパターンを想定していた自分を恥じる。
そして帰りのタクシー。陽気な運ちゃんが「日本人の友達いっぱいいるんだぜ、このノートを見ろ」といって渡してきた。
日本人と思しき名前が記されている。明らかな偽名だった。そして、名前の上にふりがなみたいな感じでこう書かれている。
「ぼったくり きをつけろ」
なんだかいろいろあった一日だった。
当時の東莞という街は性産業以外にもいろんな闇の側面があって、その中でも海賊版DVDは隆盛を極めていた。
私はそのうちの一つのお店に、ほぼ毎日通っていた。とにかく何でも売っているので、楽しくて仕方がない。
ディズニー映画やジブリ映画の全集セット。勝手にボックスを作り、ウォルトディズニーや宮崎駿の写真がどーんと入っている。
日本アニメも新旧さまざま揃っている。映画ドラえもん全集、ドラゴンボールZあたりが人気だと言っていた。
ルパン三世も全テレビシリーズをまとめたBOXがあった。ルパン一味の他によく知らないおっさんが入ったビジュアルが使われていた。
日本ドラマもかなり充実していた。古畑任三郎BOXとかすごく欲しかったけど買わなかった。
アメリカのプロレスとかも、DVD40枚組とかでデカイBOXにして売っている。本当に何でもある。
海賊版DVDの世界は、内容関係なく「1枚いくら」というシンプルなルールで成り立っている。
最新映画だろうが、過去の名作だろうが、スポーツだろうが音楽だろうが「1枚いくら」。中身はどうでもいいのだ。
当然、著作権なんて関係ない。「なんかこのアニメが入ったDVDはよく売れるね」ぐらいの認識。
なので、枚数が多いBOXをやたらと進めてくるのだ。トムとジェリーとか。NBA大全とか。
毎日通っていた海賊版DVD店は、おばちゃんと幼児で店番をしていた。
幼児は巨大なビニール袋に入った落花生をひたすら食っていて、店中にそのカスが落ちていた。
他のDVD店にも行っていたのだが、ある日、そこの店員の若い兄ちゃんが話しかけてきた。
「今日はすごいヤツが入ったんだよ。一緒に観るか?」
突然の提案だったので少し驚いたが、なかなか無い経験だと思って店の裏についていく。
そこには店員の兄ちゃんの他に二人、たぶん友達?みたいな人たちがウンコ座りで待ち構えていた。
一瞬だけ「あれ、これカツアゲとかそういうのか?」とも思ったけど、それにしてはフレンドリーな雰囲気なので一緒に座る。
日本のAVだった。しかもちょっと前のやつ。もちろんモザイク入り。
兄ちゃん達はそれを、食い入るように見つめていた。もう私の存在なんてどうでもいい感じ。
よく考えてみたら、これだけ巨大な海賊版DVD店が大量にあるのに、アダルトは一回も見かけなかったような……
たぶん闇営業であっても、そういうのは「ご法度」になっているんだろう。
そしてそういうエロDVDは、こうやって店の裏で上映されているんだろう。
この件に限らず思ったのは、当時の東莞は完全な犯罪都市ではあったけど、それなりの秩序はあったという事。
例えば海賊版DVD店も、月に何度か一斉に「休業」する。そしてその日は必ず警察のガサ入れが入る。
先程の「サウナ」という名の風俗店にしても、操業自体は違法だけど「18歳以下」の女性は絶対に雇わない。
ブランド品とかもそうだった。9割はニセモノなんだけど、1割はホンモノだったりする。そして絶対に同じ値段は付けない。
なんだか、そういう暗黙のルールみたいなので成り立っている街だったと思う。
ほとんどの生徒がオンラインのなか、どうしても不可避的に発生する少数の生徒との対面授業、マンツーマンによって、加速するかもしれんね
「あなた、SAPIXのことなんだけど…」帰宅すると、妻が暗い顔をしてテーブルに座っていた。なんだ、夏期講習と8月分の月謝、しめて30万円はもう払っただろう。こっちは障害を起こした職場のITシステムの要件定義書紛失が発覚して大変なん…
「みつるがね、どうしてもαクラスに入りたいんだって…」テーブルには個別指導塾プリバードと書かれたチラシが置いてある。SAPIXの授業だけで理解が足りない子向けに、専任講師がマンツーマンで指導してくれるというやつだ。授業料は一コマ6000円。週に二回通うと、それだけで月に5万円かかる計算だ。
「たかし君はパパが算数を見てくれるらしいんだけどね…」妻の言葉が、刃のように襲いかかる。同じタワマンの最上階に住むたかしくんのパパは国立大卒の開業医。たかし君はαクラスで開成や筑駒も狙えると聞いた。高校で数Ⅲ・Cを捨てて私大文系に逃げた俺とは、スペックが違うと暗に責めてるのだろう。
だいたい地方公立高出身の身としては、都内の中学受験の過酷さは意味不明だ。御三家から東大に入った所で、何が変わるんだ。メガバンクに入行し最初に配属された地方支店では、ハッピを着て宝くじを一番売ったのは俺だった。東大卒の同期がモジモジしている横で声を張り上げ、支店長に褒められた。
パワハラで東大卒が精神を病み休職する中、中小企業を回って数字を上げつつカラオケではタンバリンを鳴らし、東京本店でのポジションを勝ち取った。一般職の妻と結婚し、子供を授かり、成功の象徴である湾岸のタワマンを買い一国一城の主となった。控えめに見て、「勝ち組」に仲間入りしたはずだった。
しかし、現実は甘くなかった。タワマンといっても炊飯器で問題なく米を炊ける低層階。高層階の住民との差は歴然としている。加えて階層社会のタワマンでは子供の学力までヒエラルキーの対象だ。毎月30万円近いローンを払いながら、何故親子ともども劣等感にさいなまされなけばいけないんだ…。
住むもの全てを狂わせる東京砂漠の楼閣、タワマン。気づけば妻は狂気の世界の住人となっていた。冷蔵庫のプレミアムモルツは金麦になり、お小遣い制度が導入された。「ちゃんと勉強しないとパパみたいな限界メガバンしか入れないよ!」先日帰宅した時は、妻の怒号がホテルライクな内廊下に響いていた。
「どこで間違えたんだ…」個別指導塾への課金を了承し、トイレの個室で呟く。子供が健やかに育ってくれれば十分だったはずなのに。俺が悪いのか、タワマンが悪いのか、SAPIXが悪いのか。台風が来ると流れないタワマン低層階のトイレが、異臭とともに「ブリリア!ブリリア!」と儚げな音を出していた…
ネナベになってネットの世界を楽しむ女性や、男性だと思っていたら実はネナベだった!という経験はありませんか?
匿名性の高い姿が見えないインターネットだからこそ、ネナベは存在します。
今回の記事では、インターネットの世界に存在するネナベの特徴や見分け方を紹介します。
ネナベとは、リアルな現実世界では女性であるにも関わらず、顔の見えないインターネットの世界では男性キャラとして自分を演じている人を指します。
「ネットのオナベ=ネナベ」というわけです。
反対に、本当は男性なのにネット上では女性を演じる人たちを「ネカマ」と呼びます。
オンライン上でしか見ることのできないネナベの特徴を見てみましょう。
自分とは異なった意見を持つ男性に「それは間違っている」と過剰に責めることが多いようです。
これはネナベをバレたくない、本物の男性より優位に立ちたいという感情からでる態度なのかもしれません。
自分が男であることを必要以上に強く主張する行動も、ネナベによく見られる特徴です。
とくに「俺」や「僕」という主語を使って、自分が男であることを強く主張するのです。
「だろ!」「だよな」など、一般の男性が使わないような言葉でも使う節があるので、乱用している人はネナベを疑われることも…。
男を主張するネナベは、女性であることがバレたくない思いゆえの行動かもしれません。
普段女性が使わないような下ネタを頻繁に使うのも、ネナベの特徴の1つです。
男性はみんな下ネタが好きだろうという女性としての固定観念があるため、つい下ネタを言ってしまいます。
女性の体のことを熟知しているので、下ネタが過激になる傾向があるようです。
ネナベは匿名掲示板やツイッターなど匿名性の高いメディアで多くみられます。
これは身バレを防ぐために、SNSでは捨て垢を使っていることが多いようです。
ちなみに男性が女性になりすますネカマは、オンラインゲームの世界に多いといわれています。
ゲームのキャラ設定で女性キャラクターを選ぶと、プレイヤーとして有利になる傾向があることが大きな理由となっているそうです。
続いて、女性なのに男性に扮するネナベの心理を解説しましょう。
ネット上にもストーカー行為や誹謗中傷などの犯罪行為があります。
そういったトラブルのリスクを少しでも下げるために、ネナベを選択してネットの世界を楽しむのです。
とにかく身元がバレるのが怖いので、自己防衛のために男性になりきろうとします。
ネナベには、変わりのない毎日に嫌気がさし、日頃のストレスを発散して現実逃避をしたい気持ちがある場合もあります。
ネット上で男性キャラクターに性別を変えて、普段とはまったく違う自分を演じることで、現実世界から意識をそらそうとしているのです。
オンラインゲームをするネナベは、男性プレイヤーとして参加すると有利にゲームをすることができる利点を狙っていることもあります。
女性プレイヤーを設定すると、他のプレイヤーからナメられて十分に楽しめない恐れがあるため、あえて男性になりきってプレイするのです。
しかし、女性プレイヤーには周りから優しくしてもらえるといった利点があるため、どっちの設定でもメリットはあるでしょう。
単純に男性になりたい願望を叶えるためにネナベになることもあります。
小さい頃から実は男性になりたいと思っていた女性が大人になった今、その夢を叶えられるのがネットの世界だったというわけです。
LGBTが広まった現代でも、リアルに性別を変えることはかなり大変です。
その夢を別の世界で叶えられて満足できることは、とてもいいことかもしれません。
ネナベを見分けてみたい!そんな人もいますよね。
こちらから質問や自己紹介をしていないのに、やたらと「俺は…」「僕は…」と向こうから積極的にしてくる人はネナベの可能性が高いです。
最初から自分の性別を相手に意識づけようとアピールしているのかもしれません。
会話の流れで自己紹介をするなら問題ありませんが、いきなり自己紹介からはじまり男だと主張する人は疑ってみていいでしょう。
ネナベは匿名投稿や多くの人が参加するチャットで会話をしますが、一対一での会話は避ける傾向があります。
ネット利用者の中身が女性だと知られるのを恐れているため、ボロが出やすいマンツーマンの会話を避けているのです。
ネットで使う言葉遣いが荒々しく、口調がきつい投稿を繰り返す人がいたらネナベかもしれません。
ネナベはかなり負けず嫌いな一面があるため、自分を優位にもっていくために、荒っぽい言葉で攻めてくることがあるのです。
何か問題が起こったときに、口調が異様にキツイ人がいたらネナベの可能性大です。
ネット上でのやりとりが感情的でしつこい男性の投稿者がいたら、ネナベの可能性が高いです。
現実世界でも相手に対して感情的でしつこくなりがちな女性って意外といますよね。
もう過去に解決したはずの問題なのに、「あのときはこうだった!」と蒸し返すような女性は、ネットの世界でもその性格が出てしまいます。
いつまで経っても感情論で会話してくる男性は、ネナベの可能性大ですよ。
この記事を読んでいる人の中にも、実は自分がネナベであるという人もいるでしょう。
身バレしたくないとか、トラブルにならないようにとか、リスクヘッジのために男を装っている人もいますよね。
異性を演じているなら、ネットの世界でバレたくないと誰もが思うはずです。
ネナベであることをバレないようにするコツは下記のとおりです。
ネナベであることがバレないようにするには、ネット上でのキャラを確立させることです。
また、過度な男アピールは不自然に思われるので絶対にやめましょう。
男性の意見にイラっとしても、感情的にならず穏便に済ますのも、身バレを防ぐコツの1つです。
ネットの世界でも現実世界と同じく、誰もが守らなければならないルールやモラルがあります。
それをネナベという立場を利用して荒らすことは絶対に避けるべきです。
性別を変えても、きちんとマナーを守りさえすればネナベでいても問題ありません。
ネナベをする人もネナベと接する人たちも、皆がネットの世界を楽しむことができさえすれば、それでいいはずです。
ぜひネットリテラシーやモラルを守って、ネットの世界を楽しんでください。
たとえば小学生の頃、授業参観での自分で書いた作文の朗読で思いきり噛んでしまったこととか。中学生の頃、体育の授業でダンスができなさすぎて残されて、チア部の隣でマンツーマンで教えられて笑われたこととか。中学生の頃だか高校生の頃だかすら覚えてないけど、駅で転んで鞄ひっくり返したこととか。あとは数年前職場で弁当の箸を忘れて同僚から割り箸もらって、そのあと何故かペン立てに箸をケースごと突っ込んでたのをよりにもよって割り箸くれた同僚に見つけてもらったとか。
そういう恥の経験をことあるごとに思い出しては死にたくなる。たぶん他の人も恥の記憶を消去はできてないと思うんだけど、自分はおそらく人より思い出す回数も思い出したことによる苦痛も大きい。極端な話恥をかいた瞬間よりも恥ずかしさを感じていると思う。「あのときああしておけばこうならなかった」とか「自分のせいで迷惑をかけてしまった」とか時間が経った今だからこそ色々考えてしまう。数年前のミスならともかく小学生時代の失敗を今の基準で考えたところでなんの意味もないのはわかってるつもりなんだけど。でも電車を待ってるときとかベッドに入って眠りに落ちる前とかレンジのボタン押して数分待ってる時とか、そういう手持ち無沙汰な一瞬で強くフラッシュバックする。で、自分はダメな人間なので大人になった今でも順調に恥を重ねてはフラッシュバックするバリエーションを増やし続けている。人生めちゃめちゃ難しい。キツい。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/torakoawamori/status/1411113159046270980
加配教員は障碍者お世話のための教員なので、学生は世話などしなくていい。ツイ見る限りマンツーマンぽい。
ならば世話は加配教員に任せておけばいい。生徒に押し付けてない。
それでも、班に仲良くもないしかも男子の障碍者がいると修学旅行を楽しめないということなんだろうけど。
加配がいるなら生徒が世話する必要はないなら、以下のようなパターンとの違いって何だろうね。
そりゃ仲良しの子だけで班が組めればいいだろうけどさ。