はてなキーワード: マラドーナとは
あのさ、
スマホに時計と連動させる機能があって私それ最近気付いたのよ。
もはやそれに気付いちゃったらそう言う時計欲しくなっちゃうってのが人の心情だと思うんだけど、
はっきり言って連動させたからって何が便利になるかはさっぱり分からないので、
なんか心拍数とか測れて何が楽しいのかなと一瞬思っちゃうけど、
というのも
もうお馴染みよね。
一度測れたら何かが分かるかも知れないわ。
あと注文して気付いたのが、
メモも音声メモが出来てそれを文字にしてくれるってことができるらしく、
この機能使いこなしてみたいと思ってるの。
現に今だって車で運転してるときとかメモしたい時って必ずあるのよね。
マジ便利なの。
そうなるとさそういうスマートウォッチが増えちゃうわけじゃない。
でも腕につけられる時計ってだいたい一つでしょ?
2個あったら両手につけちゃうわけ?
ああだからマラドーナさんは両手につけてるのねと合点がいくわ。
本田圭佑選手も片方だけだとボディーバランスが崩れるからって言ってるけど、
実際のところはどうなのかは私には分からないわ。
もしそういう人を見かけたらまた言うわ。
両腕ない方が逆にダサいって思わせるぐらいにしないとね、
それに腕時計が倍売れるじゃない倍!
足首に付けだしたじゃない!
ミサンガ業界やアンクレット業界だってそれにいち早く気付いて足にってやってるのに
うふふ。
肉ばかりかと思いきや、
1日分はとてもまかなえる量ではないんだけど。
朝白湯カツって流行らないかしら?と思うほど地味っちゃ地味な白湯界隈なんだけど、
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
今年のM-1は例年にもまして本当にレベルは高かったと思う。平均値上がりすぎてもう若手とか逃げ出しちゃうんじゃないかと思うくらい。
俺が納得いかんのは、ミキととろサーモンのファイナルのネタは去年の敗者復活戦のネタとほぼ同じ構成の同じネタなんだよね
で、そのネタっていうのは当然去年の敗者復活戦勝者である和牛に惨敗してんの
笑いに客観的指標を入れるのは難しいけど、視聴者に純粋に評価された時点で和牛の勝利でいいんじゃねえの?
笑いっていうのはお客様のためのものであって審査員という老人芸人達の内輪の中で評価されるためもんやないだろ?
プロの芸人は素人がお笑いを語るなというが、芸人を評価する芸人というのはジャンプへの持ち込み漫画を評価する集英社の編集者と違って基本的には同じ業界内の知り合い同士、
芸能界という知り合い関係の中でのしがらみや人間としての好き嫌いや忖度が反映された審査結果に本当に価値があるって言えるだろうか?
上沼恵美子が『サンドウィッチマンに説得されてカミナリの評価方法を変えた』とか言っててなんかもういろいろアホかと思った(いやカミナリは面白かったけどね)
決勝でボロクソだったマジカルラブリーを予選で弾けなかったお笑いの玄人(笑)って一体なんなんだよ(ちなみにマジカルラブリーは基本この決勝と同構成のネタで勝ち進んでいる)
にゃんこスターの2位が本当に妥当と思うか?ライスの優勝が本当に視聴者の納得する結果だったのか?
そりゃ視聴者だって好き嫌いはあるだろうが、去年M-1前時点の和牛なんてぶっちゃけ誰も知らんかっただろうし、
視聴者という集合知が無名だったオードリーやサンドウィッチマンや和牛を発掘できてる時点で、忖度だらけのお笑い玄人様よりはずっとまともに機能してるんじゃねえの?
筆者はニワカでEVOが会期中だったことも認識しておらず、そもそもEVOってなんだっけというレベルで、もっというなら今年はおろかここ数年来格ゲー大会の動画視聴もしていない。
そんなニワカから見てもときど vs Punk はすごい試合だったと思うし、後追いだけど動画でみて熱くなった。しかし、初見ではこの試合がどういう文脈で行われており、試合中のどういうプレイがどう凄いのかがまったくわかっていなかった。
あの試合のクライマックスは、ときど操る豪鬼が瞬獄殺を決めた瞬間――ではなく、その直前の垂直跳び……から斬空も何も撃たずに下りてきて着地の寸前に飛びKを入れたその瞬間だろう。ニコ動のコメント曰く「伏線回収」。そこからコンボにつなげてスタンを取り、豪鬼、ひいてはときどの代名詞である瞬獄殺でフィニッシュ。一連の流れはあまりに美しくあまりに劇的で、文脈のうえではあそこでときどの優勝が決まったと言っていい。
しかし筆者はニコ動のコメントを見るまでそこで何が起きていたのか理解していなかったし、残念ながら日本語実況もそこを掘り下げるのはわずかにしかしていなかった(英語実況も見たがリスニングができないのでどういう実況をしていたかわからない)。
e-sports 観戦は難しい、と改めて思った。
これが体を動かすタイプのスポーツであれば、ルールがわからないような素人でもスーパープレイがでればそれだとすぐにわかる。
K.ウッドが20奪三振した試合のカーブの曲がりは驚異的だったし、マラドーナの5人抜きは伝説と称されるにふさわしく、ジノビリのパスはいつだって変態的だ。これらはルールを理解していなくても、コンテクストがさっぱりわからなくても凄いことだけは即座にわかる。
あるいは将棋や囲碁といった知的スポーツ。これらの神の一手の凄みは素人には理解できないだろう。だが、説明する時間がある。何がどう凄くてどういう意味があるのかということをプロ棋士が解説するための時間が。
e-sports は反応の勝負であると同時に知的な勝負でもある。圧倒的なスピードの中で、計り知れない意図や計算がこめられたプレイングがなされる。それを解説するにはあまりに時間が少なく、事態は一瞬のうちに移り変わっていく。
瞬獄殺直前の垂直跳び。あれを理解するにはまずPunkが対戦相手の着地を圧倒的な反射速度で狩り続けたことを理解せねばならない。ニコ動では「着地警察だ!」のコメが飛び交っていたが、わずか2フレーム、時間にして2/60秒のあいだ着地後に発生する硬直時間に打撃を入れ込み、Punkはそれを強力なダメージソースにしていた。それはときども例外ではなく、グランドファイナル序盤ではいいようにその餌食となり、Rを献上していた。
しかしここ一番のあの瞬間、ときどはPunkの着地狩りを逆に狙い撃ち、垂直飛びKをこのうえない形で決める。
それは「着地警察」であるPunkへの絶対的な信頼がなせるワザだった。Punkなればこそ必ず前ダッシュ刹歩を入れてくる、着地を狩りにくる、その信頼が斬空ではなく超低空の飛びKをときどに選択させた。
そもそもときどは予選でPunkに負けてルーザーズに突き落とされた。さらに言えば斬空の着地を狩られて敗北したのだ。それをここ一番で狩り返したからこその「伏線回収」であり、あのシーンが劇的で、漫画みたいであり、心が震えるような凄まじい光景である理由だ。しかもそこからスタンへ持ち込み――一瞬千撃。これ以上の決着があろうか? いやない。
しかしこの凄みがわかるのは、なにが起きているのかわかるのは残念ながらSFⅤのプレイヤーかそれに比肩するぐらいゲームシステムを熟知している視聴者だけだ。筆者のようなニワカや素人がリアルタイムで理解するのは不可能。
EVO2017はそもそもPunkという新星にして決勝まで1セットも落とさずに勝ち上がった絶対強者に、古くから活躍するときどが挑むという構図がそもそも熱かった。ときどが予選でPunkに負けてルーザーズに落とされたこともそうだし、トップ8でPunkが板ザンやかずのこといった日本勢を蹴散らしていたこともコンテクストになった。そしてこれをここまで読んでいるひとには改めて説明するまでもないが、「I have Mago.」
EVO2017のSFⅤのグランドファイナルはあらゆる意味ですごかったし面白かったが、それを見る側の力が試されるとあらためておもったし、何も知らない素人を e-sports に巻き込んでいくにはスーパープレイをスーパープレイだと伝えていく解説や実況の力を高めていく必要があるんではないかなーと思った(し、そうなっていくことを期待する)。
例えば昔のロックンローラーのロックなエピソードとかあるじゃん。
破天荒で型破りで犯罪的でカッコよくて、彼らの曲が多くの青少年たちを狂わせたとか。
漫画や小説で、商業性に堕した現代のロックと対比して、めっちゃカッコよく書かれてたりとか。
そんな数々の伝説に彩られたロックスターたちの曲をApple Musicとかで聴いてみたりするんだけど、
いや、もちろん曲にもよるんだろうけど、
でも、だいたいテンポが遅かったり、声がゆったりしていたり、意外にメロディアスだったり。
あのロックなエピソードから想像される曲とはぜんぜん違うんだよね。
たとえば中学二年生のときに聴いて変な方向にはまったりするかどうかで言えば、
昔のロックはそんな感じがしないんだよ。
それなら今のちょいマイナーで尖ったロックバンドのほうがそれっぽいんじゃないか。
これはペレやマラドーナのプレイをYouTubeで観てもピンとこないようなものなのか?
サッカーにおいて、主審は「絶対だ」。でも僕はその絶対性を大きく見誤っていた。
以下は先日ちょっと話題になった「試合終了の笛のあと、それを覆した主審の決定」についての、高体連の判断。これは日本サッカー協会との相談の上での判断だから、JFAも同様の見解であると考えてもいいだろう。
試合の映像は、多摩大目黒高校のゴール前で帝京高校に与えられた間接FKが行われる前に、多摩大目黒高校の選手が前進し、規定の距離を守らなかった事実が確認できる一方、その後、多摩大目黒高校の攻撃に移った後、主審が試合を終了していることも確認できます。さらに、副審が多摩大目黒高校の反則について旗を上げていたことから、主審はそれを採用して試合終了の決定を覆し、帝京高校に再度間接FK を与えていることを見ることが出来ます。
現行の競技規則第5条・主審の決定によれば、「プレーを再開する前、または試合を終結する前であれば、主審は、その直前の決定が正しくないことに気付いたとき、または主審の裁量によって副審又は第4の審判員の助言を採用したときのみ、決定を変えることができる。」となっており、主審が試合を終結させた後に帝京高校に間接FK を与えたことは、競技規則を誤って適用したことに
なります。しかしながら、同時に同条前半には「プレーに関する事実についての主審の決定は、得点になったかどうか、また試合結果を含め、最終である。」と規定されていることから、その後の延長戦での判定や試合結果を含め、変更することは出来ません。
従いまして、東京高体連サッカー専門部としましては、平成23 年9 月18 日に行われました、多摩大目黒高校対帝京高校の試合結果を変更することは出来ないと判断することに至りました。
上の決定は、要するに「ルールに違反した主審の決定は、有効である。」ことを示している。
ルールに則れば、当該主審は試合終了の後に、決定を取り消すことはできない。だけど主審は「絶対」だから、その決定を取り消すことができる。
いったいなにが起こっているのだろう?
例えば、とてもバカな主審がいて、キーパーはどこでも手を使うことができると勘違いしていた。キーパーは試合終了間際のCKにあがっていって、何を考えたのか手でキャッチしてゴールに分投げた。主審はバカだったのでこれをゴールと判定した。ルールに則れば、手を使ってはいけない。これはファールである。でも主審は「絶対」なので、ゴールは有効である。主審がバカなことに気づいたキーパーは、自陣からボールをラグビーのように持って言ってゴールに入れる。主審はこれを認めることができる。ありえない想定だが、しかし、上の高体連の判断に則れば、これは有効な試合である。
今回の判断によれば、主審は試合が終わったあともそれを覆すことができる。ところで、主審はいつまで主審なのだろうか。フィールドから出た時?審判のユニフォームを脱いだ時?家に帰って奥さんと子どもに「ただいま」をいった時?試合の報告書を提出した時?分からないが、主審が主審であるかぎり試合は覆せる。もし彼がいまだ主審ならば、マラドーナのゴールを今から取り消して再試合をさせることだってできるのだ。バカバカしいが、しかし主審は絶対である。
1位マラドーナ、2位プラティニ、3位ファンバステン、4位ファルカン、5位ロナウド
6位フリット、7位ジダン、8位カカ、9位イブラヒモビッチ、10位シェフチェンコ
11位ライカールト、12位ネドベド、13位マテウス、14位バティストゥータ、15位ジーコ
16位ベロン、17位ルイコスタ、18位カレッカ、19位ウェア、20位テュラム
21位カフー、22位アウダイール、23位ボクシッチ、24位デシャン、25位ダーヴィッツ
26位モンテーロ、27位ミハイロビッチ、28位デサイー、29位サビチェビッチ、30位サラス
31位ボエニク、32位ブレーメ、33位セレーゾ、34位ブレイディ、35位エメルソン
36位ボバン、37位パウロソウザ、38位プロハスカ、39位ビアホフ、40位コーラー
41位ユーゴビッチ、42位シメオネ、43位ブリーゲル、44位アルメイダ、45位フォンセカ
46位センシーニ、47位ヴィエラ、48位フィーゴ、49位レオナルド、50位バルボ
51位スタム、52位ルベンソーサ、53位エルケア、54位ストレンベリ、55位シュクラヴィ
56位ラモンディアス、57位アギレラ、58位アモローゾ、59位ルディフェラー、60位ルンメニゲ
61位クリンスマン、62位ブロリン、63位シーフォ、64位ラウドルップ、65位オリベイラ
66位ドゥンガ、67位クロル、68位パサレラ、69位エジーニョ、70位リードレ、
71位ジュニオール、72位パパン、73位ベアグレン、74位アンデション、75位ジルセウ
76位カザグランジ、77位フランチェスコリ、78位バロス、79位メラー、80位プラット
81位フランシス、82位ブランコ、83位ヘイトリー、84位スーネス、85位ロベルトカルロス
86位シャフナー、87位中田、88位ベルトーニ、89位ヘスラー、90位シャリモフ
…トラバ間違い?http://anond.hatelabo.jp/20100418163901はhttp://anond.hatelabo.jp/20100418154607のアレな部分を指摘しただけなので、自身では何も言ってないのだけども。元増田の話をまとめることがご所望と妄想して書くけれども。
元増田は結果について、「要するに、大抵、「頭のいい人」は問題を解決して結果を出している。あるいは、将来、結果を出す。」って言ってる。
でも、「結果を出せる人が頭の良い人」とは言ってないから、「頭が悪いが結果が出る人」を排除していないと思う。
というか、「話しまとめると」「頭の良さとは」「「問題設定能力と問題解決能力」だ」と冒頭で言ってる。
元増田の意見はさておき、俺的にはこの文脈なら岡ちゃんよりもマラドーナの方が気になる。
岡ちゃんは基本的に頭が良いけど結果がでない側だと思う。
何度もすみません。これ↑を書いた者です。返事し忘れてたのがあったので。こちらの方。
投資と、投資から得られるものが釣り合わない、と仰っていますか?(誤解だったらごんなさい) 回収できなきゃ、投資じゃなくて投機ですよね。
えーと、この辺の話は本題からそれていくから余り触れたくなかったんですが、丁寧に聞いてくださってるのでせっかくだから答えてみます。
そういう話じゃないんです。「努力」の量ってのは主観的なものだと思ってまして、好きな人にとっては「やって当然」のことが好きでない人にとっては「とてもやる気がしない膨大な量」に見えたりもするわけです。
私は別に才能に恵まれた人間ではありませんが、いろんな分野で、自分の望んだ程度のスキルは手に入れることができていると思ってます。努力した程度には報われることも実感してるつもりです。そして、本当に難しいのは、努力するということ自体ではなく、努力してでも何かを手に入れたいという願望や情熱を高く持つことだと強く感じてます。「人並みに努力すれば手に入れられる」程度のスキルというのは、ど素人から見ればすでに神懸かりのレベルに見えるものです。これはスポーツでもゲームでも何でもそうですよね。弱小校のサッカー部員でも、ど素人を相手にしたらマラドーナばりの五人抜きでもできるでしょう。東大なんかよりこっちの例の方がよっぽどわかりやすかったですね。
で、そういうサッカー部員が「この程度のこともできないお前らは努力が足りない」とか偉そうに説教しだしたら腹が立ちますよね。たとえば「俺は将棋部員だ、そういうお前だって将棋だったら俺に六枚落ちでも勝てないくせに何を偉そうなことを言ってるんだ」とか。
そういう感じで、私は「俺は努力してる、お前も努力しろ」という人間が大嫌いなんです。好きだからこそ努力できるんであって、嫌いだったら努力なんかできません。好きになれるということが「才能」の本質なんじゃないかとも思ってます。それで、「東大」という刺激的な言葉を選んでしまったというわけです。
これは反対します。SF的な意味で、全員がデザインベビーで美男美女になったとして、容貌の意味や価値が変わるでしょうか? 希少価値というのは、たしかに理解できます。嫌な言葉だけど、「引き立て役」という言葉も理解できます。大多数の人の幸福のためには、一定数の不幸な人を意図的に作り出す必要がありませんか?全体が底上げされて、何の問題が生じるのだろうと、とても不思議に思いました。
現にそうなってるんじゃないですか?高等教育を受けられる人が世界で稀少だった間は、教育環境の整った日本に生まれ育っただけで労働者としての市場価値が高くて、それなりの暮らしができた。ところが、物価の安い途上国でも高等教育を受ける人が増えてくると、そういう人にどんどん仕事を取られてしまう。それでワープア問題が出てきたわけです。全体を底上げするということは結局そういうことだと思うんですよ。まして、経済規模というのは世界全体で拡大してるわけですけど、たとえば世の中全体のファッションセンスが上がったって、異性の数が増える訳じゃないんですから。市場自体が停滞している中で競争が激化すれば中にいる人間がデスマーチに巻き込まれるのはあまりにもよくある構図だと思います。
あと、おまけ。
だって自分から惚れた子じゃないと駄目で、それも5年に1人とかなんだろ?そりゃ誰のせいにも出来ない自己責任じゃないか。これを自己責任と呼ばなかったら一体何が自己責任なんだ?
そしてこういう恋愛感のやつがなんでモテなんて気にしてるのか不思議だ。君にとっては世間が何を言ってようが、モテも非モテもどうでもいいじゃないか。
こういうテンプレがいつまで経っても減らないことには本当にうんざりするが、現在の自分の置かれた状況が受け入れられないと言っているのではなく、価値観が違うことを劣っているとか努力不足であるかのように非難されることが嫌なのだと言っているのだ。
それから念のために言っておくが、「自分から惚れた子」という表現が気になったが、「相手から惚れられる」なんてことは今まで一度もなかったので念のため。自分から好きでもない、相手からも好かれていない、そんな相手とどうやって付き合えと言うのだ?相手が友人なのであれば「適当に付き合う」なんてふざけた遊びに巻き込んで迷惑をかけるなど耐えられないし、友人ですらないのであれば、異性として以前に人間として興味のない存在だろう。挨拶と天気の話をしたらそれで話題が尽きるような関係性に何を求めろと言いたいのだろうか。
最後に「非モテ」とは「想いを寄せる相手であろうがあるまいが誰からも愛されない」というようなことを言っているのであって、「黙っていても異性が寄ってくる状況ではない」なんて生やさしいものではない。そんな言葉の定義すら調べないで上から目線で説教をするのはやめてもらいたい。
飲み屋で隣の席の20代後半の男が、サッカーを知らない女子としてた会話。
「へえー」
「5人抜きのドリブルとかしてたみたいで。その動画見てみたいなと思ってたら YouTube にあったんだよ。やっぱすげぇよ YouTube!」
と男が興奮してたので、「古いな、いつの動画の話してるんだろう」と思ってしまったけど、そういえばあれって今月か先月にブクマされた動画だっけ。
はてなブックマーク - YouTube - メッシの伝説の5人抜きドリブル
ブックマーカーとしてブクマしたりチェックしたりしてると、ニュースは一般に広まる前に次々と消費しちゃってるから随分昔の話だと感じてしまった。
やだね、ブクマ速度でモノを見る視点って。