はてなキーワード: マゾヒストとは
この国の人間は法や倫理というよりも他者を参照して自分の立ち位置を決めるばっかりであるから
一度過半数が熱狂的になると全員が熱狂的になり,また半分が冷静になったときには「自分もそうだ」と言って一億総懺悔する.
すなわち根本的にこの国には二大政党制は不可能であり,対立を嫌うから連立政党制も不可能であり,
本質的に国民の中には全体主義を渇望するマゾヒストしかいないといっていい.
安全を軽視するし,記録も軽視するし,その場で記録されなかったこと物事で事物が動く.
戦争のときだって合理的目的よりも思想的意義を説いて戦力の逐次投入するし兵站も軽視する.
そもそも島国であるが故に他の文化圏の人間との論理的対話による合意形成の機会が根本的に少なく,
ワイは貧乏と童貞と毒親教育こじらせてしょーもない人間であることをしっかり自覚してて、そのへんのこと割り切って生きてるはずなんやが、たまに唐突に「生きたい」モードのスイッチが入る。
生きてるのに「生きたい」ってのは何か変な話だなぁと冷静になると自分でも思うんだが、とにかく「生きたい」のスイッチが入るんだ。自分にこんな生存本能があったのかと思うくらい「生きたい」を強く意識して、やたらとエネルギーが出てくる。仕事もめちゃくちゃ進むし、趣味にもやたらと気合が入る。ダラダラYouTubeやら見たりしなくなる。しかし、生きたいスイッチが入ると、これまたなぜか普段は思わない自殺の具体的方法を考えはじめる。「あそこから飛び降りたら死ねるな」とか、「あの踏切なら周りに人も居ないし精神的に楽に飛び込めるな」とか、「手首切っても水につけないと血が止まっちゃうんやなぁワイがやってもヘタレだから死ねないやろ」とか。
体感としては、生きたいスイッチが先に入って自殺を考え始めるんだけど、これは繋がらないんよな。何かしらで死を考える瞬間があって、自分の中の生存に関するなにかの回路がぶんまわり始める、っていう順番のほうが自然のはず。とにかく、自覚としては唐突に「生きたい」と思いはじめ、生きたいと思いながら、自殺の具体的な方法を考えたりする。意味がわからないし辛い。めちゃくちゃ辛い。何が辛いかはわかる、自分の考え方が全く繋がってないことがわかるのに、そこから抜け出せなくなる。すごくつらい。
今さっきその状態を抜けてまたしょーもない人間モードに戻ったんだが、自分一人すらマトモに面倒見れないの、他人事なら笑えるって思ってたけど、自分ごとでも笑えるな。笑えるならまあなんとかなるやろ。やっぱりしょーもなモードが自分に一番あってる。生きたいモードが非常に面倒くさい。親もこんな感じで不安定だったからあーなったのかな。
頑張って自己分析してみようか。
・未だに「俺は今まで、貧乏でも毒親環境でも異性に相手にされなくても、お天道様に顔向けできないようなことはしてないはずだ。もっといい人生を送っていなければおかしい」と公正世界仮説の歪んだやつに取り憑かれてる。
一行で終わったぞ。どこぞの糞ブクマカが言いそうな、無駄に辛辣な指摘だな。自分を見つめ直すとかマゾヒストかよ。
で、この公正世界仮説の歪んだやつがたまにひょっこり顔だして、「(もっといい人生を)生きたい」って言いはじめて、理想と現実のギャップで自殺を考え始めるのかな。で、生きたいの部分がエネルギーになってアレコレやりながらも、人生ままならんから死にたくなってくる。繋がっちまったな?
善く生きるメリットは善く生きれることだが、そのメリットはワイみたいな煩悩だらけな人間にはゴミみたいなものか。それでもせめて、寿命までは善く生きてえな。ワイの親みたいにだけはなりたくない。
数ヶ月前に二次創作用のツイッターで興味深い経験をしたから、ここに綴っておこうかと思う。
生きづらくなかろうか…と、感じた話で、おそらく私の二次創作への熱量なんてそんなもんで、相手にしたらとてもとても大事なことだったのかもしれない。
あるフォロワーさん(Aとする)からDMをいただいたことがはじまりだ。
ちなみに、私の二次創作垢は、ジャンルごった煮だ。そこを分かって繋がってる方々ばかり。
始まりのDMについては、私も改善できることだから、そうしようくらいで話が終わったが、以前から気になっていて繋がっていようか悩んでいたことがあるということから、Aの生きづらさや拗れさせてしまっている部分が見えてしまった。
・Aの作品に対して反応が少ないのはなぜか。Aが嫌いなのか。(TLを見逃したという理由は受け付けられない)
・嫌いな作品でもマイナージャンルにいるなら、推しカプの作品には反応をすべきだ。(自分はそうしているからみんなもすべき)
・Aは、大手にいた頃にパクリを疑われないためにと他と違った作品を書くためにと特殊設定を書くようにしているから、作風は変えられない。
以前から、自身の作品へのいいねやブクマがないことへの不安や反応がないことへの疑問を投げかける呟きはあったが、こんなにも悩んでいたのか…と初めて知った。
と、同時に、私にはこんなにも自分の二次創作へ熱量をもっていないなぁと感心した。
正直、ツイッターでのいいねやRTは、見逃した、流れたが理由だ。ジャンルごった煮のため、200も繋がりがあれば、TLは流れるし、支部にあげているならツイッターのホームにわざわざ見に行ってまで、新しい作品を確認には行かない。
Aのマイルールについては、私はずーっとツイッターにいられるわけじゃないから、見てあげられない、ごめんね…な状態だ。
私は、アラサーの腐女子だが、Aはアラフィフのサイト全盛期からの腐女子。
たぶん、ツイッターの流れとサイトの流れに付いて来られなかったのかもしれない…。
情報交流ツールとして流し見する私と反応をもらうためのツールとして使っているAと。
兎にも角にも、Aは、反応が欲しかったのだなぁと思う。
そして、他と差をつけるために推しカプの名前だけしか合っていない設定でも、書かなくちゃならないくらい、二次創作から離れられず、生き甲斐なんだなぁとも。
それに拍車をかけるように、マイナー界隈なのに、なぜか「文章も絵もできる両刀はすごい!」という風潮がでてきたのもあるだろう。
Aは、文章だけでやってきたが、その風潮にのり、自分の二次創作も!と思ったようだ。方や、私は、絵は表現方法じゃないから描かない。二次小説を気まぐれにアップする。時たま、有難いことにたくさんの人に見ていただける時もある。(ジャンル次第だけど)
ジャンルもごった煮で、思い立った時にふらっと二次創作を投下して、同人誌の原稿にも追われず(数年前に社会勉強でサークル参加して満足した)、好きかって喋って、TLにいないことが数日あったりするような私へ、
少なからず気に食わないことがあったのだろう。
いろいろしてるのに、なぜこんな奴に…そう思ったのかもしれない。
ただ……ここでやはり、Aが気持ちをぶつけた先が私だったことが、ほんとうに申し訳ないなと思った。
こんなに自分の作品を見て欲しい、サークル活動もして、絵も文も両刀になろうとするAの気持ちを想像することはできるが、理解は難しい。
これが、私のようなものではなく、同じくらい二次創作に熱量を注ぐ誰かだったら、もっとAも救われたんじゃないかと思う。
ツイッターという架空の世界で作り上げた、顔も知らない私というキャラクターに嫉妬して、ぶつけて、なのに、私には興味深い経験をしたと思われて…この食い違いがごめんねだ。
Aの生き甲斐は、二次創作であり、承認欲求を満たしてくれる誰かの存在を感じることだったのかもしれない。
だけど、私みたいな、熱量が違う相手に嘆いても、私はAの思う存在にはなれない。
だって、二次創作は他人のふんどし借りて楽しませていただいているものだ。
そんなに苦しくなってまでやらなくてもいいんじゃないかと、Aが可哀想になってきた。
改善できない旨を伝えても、Aからは、「フォローは外しません」ときた。
私のたった一つのいいねとRTでは、マイナー界隈は救えないし、狭いコミュニティの見せ合いっこなのに。
私はあまり気にしないから、そのままにしていたら、Aは二次創作作品を電子書籍化して販売をするまでに至ってしまった。
(これにも議論はあるようだが、私は電子書籍化はしてはいけないと思っている。たとえマイナーでも界隈に無用な火種は持ち込むのはどうかなと…
まぁ、正直なとこ怖くなった。公式から万が一にも目をつけられたらと)
そして、ついにブロ解をしたが、数時間後にAからフォローが来てしまった。
どうも、Aはマゾヒストなのかな?と、私のことにばかり囚われていないか?と。
最終手段は、私が消えてあげることだ。
大した熱量もなく二次創作をしている私にこれ以上、囚われていては可哀想だ。
その後のことは、特に情報ツールとしてしか使ってないアカウントに思い入れはなかったため、削除してしまっから、Aがどうなったか分からないけれど、二次創作を続けているんじゃないかと思う。
私は、変わらず二次創作を気まぐれに思いたったら、投下して、好きなことして過ごしている。
ただ、Aはどうしてあんなにも顔も知らない私に執着してしまったんだろう。
二次創作をほんとうに楽しんでいるんだろうか。
生きづらくないかなぁ…と今も思い出す。
最近、同人女シリーズという漫画が話題になっていて(やっぱり私には理解が完全じゃない部分もあったけど)、ふと数ヶ月前の経験を思い出して綴ってみた。なんの関係もないもな。
備忘録かもしれない。
生理自体は軽いし4~5日で終わるんだけど、生理が来る前兆がとにかく長くて、1週間から10日間ほど続く。
①微熱(~37.3度くらい)がずっと続く。一番始めに来る前兆がこれ。今の時期、運が悪いと検温に引っ掛かってお店に入れなくなったりする。
②腹痛が来る。大体下腹全体が押し潰されるような鈍い痛みか、おへその斜め下辺りが針を刺されるような鋭い痛みが来る。交互に来たりどっちかが連続で来たり同時に来たり色々。しかしマゾヒストなので痛いのはノーダメージ。むしろこれに興奮するときもある。
③とにかく性欲が強くなる。何故かは分からないがかなり強くなる。普段は専ら凪なのに、前兆が来ると荒波に。
④食欲がなくなる。元から食べる量は多いわけではないが、大体マックのバーガーひとつが一気に食べきれないレベルで食欲が減退する。ご飯を用意しても食べようという気持ちになれない。これは結構辛い。
⑤とにかく汗が出る。微熱が出てるからなのか、じっとしてるだけでも体内から熱が沸き上がってきてとにかく暑い。汗かく。人前でこれが起こると辛い。冷房ガンガンなのになんで汗かいてんだコイツみたいになる。
⑥眠気が強くなる。普段は睡眠時間6時間程度で昼寝いらずなのに、8時間寝ても昼寝してしまう。(寝ようとしてないのに強烈な睡魔のせいで寝てしまう)それに伴って集中力が続きづらくなるのが悩み。
⑦胸が痛くなる。階段降りるだけでも痛い。そこそこサイズがあるから歩いてるだけでも揺れて痛い。物がぶつかったときには悶絶する。しかしまあマゾヒストなので平気。
動いてない・触ってなくとも常に張ってる感じ。あと乳首で感じなくなる。
⑧イライラする。些細なことでかなりイライラが募る。これに関してはコントロールすれば楽勝に抑えられるからそこまで辛くない。
⑨頭痛がする。偏頭痛のような痛みよりは、緊張型頭痛に近い感じ。頭全体を握りつぶされるような痛みって言えば伝わるかな。まあマゾヒストなので余裕。
⑩浮腫む。手も足も浮腫む。酷いときは対策をしないと歩きにくくなるレベルで浮腫んじゃうから着圧系が必須になる。対策忘れは地獄のような動きにくさ。
と、まあこのくらいかな。生理中は常に下着の中が濡れてるわけだし不快感はそりゃあるけど痛みはそこまでない。ただ生理前は痛かったり辛かったりするから、生理中でなくとも痛むこともあるんだよ、と伝えたい。(大体の人が生理中しか辛くないと思ってたりする)
文中にもあるけど、自分はマゾヒストだから耐えれてるんだと思います。これがそういった傾向のない子や痛みに弱いタイプの子だと、相当キツいと思う。
あと、前兆なのに前兆だと自覚してない人もたまにいる。体調がおかしいと思ったら日付と症状をメモしておくと、数ヶ月分見返せば「あれ?これ毎回生理前になってるな」とか分かると思う。
辛い人も辛くない人もいるだろうけど、まあ頑張ろう。
同じものを100円で買える店と10000円で買える店があるとします。このとき、後者で買う奴は馬鹿です。
文系と理系も同じです。同じ大卒資格を得るのにわざわざ理系に行くのは、馬鹿か、マゾヒストか、ガリ勉陰キャだけです。
勉強しか取り柄のないガリ勉くんにはお似合いですが、大学とは、勉強を片手間に遊ぶところです。友達や恋人を作ったり、バイトやサークルで社会経験を積みつつ、先輩から貰った過去問などを丸写しして最小限の労力で単位を取るのが大学です。社会ではそういう社交性と要領の良さが評価されます。
大学に入ってまで勉強なんかしてる陰キャは、非常に自己満足的で滑稽です。彼らは自分が鼻で笑われていることに気付いていません。
理系の勉強は大変です。これは主に、以下の2つの理由からです。
まず、ほとんどの理系分野は、現象を正確に記述するのに数学と物理の知識を必要とします。この2科目は、論理を地道に積み重ねていく学問なので、誤魔化しが効きません。つまり、「AはB、BはC、したがってAはC」のような完全に正当化される論理のみを紡いで議論する必要があります。またその性質上、基礎となる分野を飛ばして、応用分野を学ぶことができません。つまり、一度躓いたらそこでドロップアウトすることになります。
一方文系の場合、計量経済学のような一部の人気のない分野を除けば、教員の指定した本を順番に読んで、その内容を日常用語で適当に再解釈した感想文が書ければ、卒業論文として認められます。というか単位を取るだけなら、本すら読まずとも又聞きした情報を適当にまとめれば良いです。何のスキルも必要ありません。
また、理系では理論系の分野を除けば実験があります。実験は研究室によっては徹夜で行うことも珍しくなく、非常にハードです。また、やはり実験の前提となる基礎理論を正しく理解していなければなりませんし、誤差等の評価を数学的に正しく行える必要があります。実験ノートの取り方、論文の書き方などのマナーも非常に厳密に決まっており、一般的な文書作成技術よりも高い技術が必要になります。
分野によっては、直接の専門とは別にプログラミングや電子回路設計などの技術も身につける必要があります。
機械工学科や電気工学科などの産業的に非常に需要のある分野を除いて、専攻に関係した職業に就く人はほとんどいません。したがって、文系が就職に不利になることはありません。むしろ、大学入って勉強しかしてこなかった理系は、コミュニケーション能力などの点で文系に大きく水をあけられます。
また、学部別の平均年収なども、1割くらいの高額所得者が平均を吊り上げているだけで、どこに行っても実態は大差ありません。
つまり理系というのは、大学に入ってまでわざわざ勉強なんかしてるガリ勉キモオタ陰キャが、結局社会に出たらなんの役にも立たないというところです。非常にコスパが悪いです。合理的に考えたら、理系に行く選択肢はないでしょう。
処女を失い、オナニーが気持ちいいのだと気付き、暇な夜はネットの海でオカズをふらふら探すようになった。
割と性欲と好奇心が強いので、色々なジャンルのエロコンテンツに触れたが、SMが一番興奮した。
初めの頃は、イケメンにちょっと意地悪される程度のものが好きだったが、次第に深みにハマり、今は剃毛や落書きプレイをよく見ている。痛みを伴うものより精神的に服従を感じるプレイが性癖に刺さる。
そして、今、とてもやってみたい。彼氏も1年ほど途切れ、SMコンテンツを眺めながら自慰に耽る日々の中で、体験してみたい気持ちがどんどん大きくなっている。
だが、実際どうすればできるか、と考えるとなかなかどうしてハードルが高い。
まず、彼氏を作って自分のマゾヒズムを打ち明けるのには抵抗がある。
恋人には、ある程度対等な関係性を求めているし、虐げられた数時間後に笑顔で一緒にイタリアンのランチ、とかできる気がしない。
そもそも、普通に出会って恋愛関係になった彼女がセックスのときに体に肉便器と書いてくれなどと頼んだら破局案件ではなかろうか。
では、プロに頼もうと思っても、現住所は県全体が田舎と言っても過言ではない地方都市である。
一応県庁所在地だが、ネットで検索してみても、SMバーも女性用風俗もない。出会い系や掲示板は初心者には流石に怖い。
そんな我が街だが、男性用の風俗は結構色々あるみたいだ。SMから熟女、ニューハーフに至るまで検索すれば一通り出てくる。純粋に羨ましいと思い始めている自分がいる。
東京や大阪に行けば、女性用のSM風俗もあるようだが、交通費・プレイ費用・宿泊費等考えると10万円近くなりそうである。私の現在の生活水準では、欲望にブレーキをかけるには十分な金額だ。
そこに今回の新型コロナである。緊急事態宣言が解除されたとはいえ、この時期に自分の欲望を満たすため、都会に行ったり知らない人と性的接触を持ったりするのは褒められた行いではない。
八方塞がりの私が、満たされる日は来るのだろうか。
p.s 男性への羨望から煽るようなタイトルになってしまったが、書き始めてパッと思いついたので、私の素直な気持ちなのだろう。そのままにしておく。
「男×女だけノーマルって言うな」「私にとってはBLもNL!」って、意味不明過ぎる。オメーのルールなんざ知らねーよ!!
「古くさいルールを変えるときが来た」って、はあ?過去作品全部総ざらいしてタグ付け替えて、引っ越せって??労力舐めるなよクソガキども。どんだけ作品書いてきたと思ってんだ。
差別がどうとかの話してるか?
アレルギー表示で"Aは入ってない"って書いてるのに"実はA入ってた"とか最悪やぞ???「死人なんか出ないから誇張するな」??実際に出てるから学級会になってんだろーが!!!
"嫌なら見るな"精神で他の畑と衝突したくないからタグで見えないように線引きしてるだけだろーが!!!BLアンチに自分の書いたBL見せたいとか、とんだマゾヒストだな。タヒね。
そもそもそれ以前からタグ嘘つき頻発してたし、いつ吹き零れてもおかしくなかったからな…。君らのしてることは成分表示偽装なので、今すぐ改めるか自分等だけのコミュニティに行け。
暇だから性生活について書く。性生活を語ることに性的興奮を見出すアノニマスニー。
共働きの未就学児持ち、かつフェラを日課とているため、月の性行為の頻度は1~3回と少ない。そのうちの半分以上を占めるのがクソ雑セックス、残り半分は休み休み暴力を振るうことを前戯とした本気の性行為のため、気力体力時間の三拍子が揃わないと中々踏み切れず、自ずと性行為に占めるクソ雑セックスの割合は高まる。
クソ雑セックスとは、クソ雑なセックスである。簡単に言えばヴィィィン→パンパン→ふぅ、である。適当に濡らして、挿入して、出すことである。時にヴィィィンは潤活®️に置き換えられる事もある。あまりに雑な扱いに興奮する。まるでオナホ扱いである。
クソ雑セックスは導入もクソ雑だ。「(挿入)するから(ローターorローション)持ってきて」とムスッとした顔で言いつけられる。皆まで言わない雑さや、当たり前のように拒否権のない命令をする傲慢さはマゾヒストの性的嗜好を的確に刺激する。「ああこの人は……」と思いながらも従ってしまうことを堪らなく思う。
クソ雑セックスの事後は例に漏れず雑で、そのまま放置される。クソ雑セックス以外の時はいちゃつきながら真面目にピロートーク程度のことはする間柄だが、クソ雑セックスにピロートークはない。ただ、TVの電源をつけながらさっさと着ろよと申し付けられるか、何服着てんのそのまま立っとけよとかなんとか言われるか、そんなところである。この大変理不尽な事後の対応には物凄く興奮する。時に、ホットミルクを作り、ボタンを上まで留め、頭を撫でられたりもするが、この気まぐれな優しさもとても好きだ。
昨日した投稿(anond:20200309183836)でやり方教えてって声が少しだけどあったから自己満で書きこむ。
・20代前半女
・オナニーを最初にしたのは幼稚園の時だけど本格的に始めたのは3、4年前
ローターとか使ったことはあったけど振動に頼るのは邪道だと2年前くらいに気付いてそれからはずっとガラス製のディルド(全長12.7cm、太さ2.7cmのアメリカ製のやつ)がセックスフレンド。
頻度は生理中の4日間を除いたらほぼ毎日一回はする。多い時は3回くらい。一回で2、3回くらいイく。
詳しいやり方
ベッドに仰向けになる。
最初はどこも触らないでエロい妄想とか、エロ漫画とか小説読むだけ。絶対触らない。
二分くらいしたらほんの少しだけ濡れてくる。まだ挿れるには不十分かもしれないから、穴に対して垂直に中指で何回か押す。少しだけ気持ちいい。
次に中指を第一関節くらいまで入れてぐるぐる穴を何周かする。この時はあんまり気持ちよくないけど刺激で濡れるからゆっくりディルドを挿れる。途中で引っかかったりするけど、少しだけ無理やりに突っ込む(これは自分がマゾヒストだからできる技かもしれない)
奥まで入れたら何回か抜いたり挿れなおしたりする。あんまり気持ちよくなくても、「今自分はオナニーしてる」って事実に興奮してくる。
そしたらもう一度奥まで入れて、今度は出し入れをすると言うよりは奥をかき回すと言うか、円を描くようにディルドをまわしたり、奥?の突き当たりをこねるみたいにすると5分くらいでイく。一度いくとしばらく何もしたくなくなるけどそれでも手を止めないで何回もいじめ抜くと連続でいける。何回もイった後は脳が溶けたみたいな感じで動きたくなくなるから、ティッシュで拭いてそのまま眠るとほとんど朝まで熟睡できるから健康法としても役立ってる気がする。昼寝前にも最適。
バブル崩壊と言われた後、実際には日本の景気は今ほど悪くはなかったのだ。
それでもなお、金持ちは居たし、その辺のおっちゃんは500万を超えて700万程度はあったのだ。650万だとちょっと低いかな? という程度。
野原ひろしの年収が650万というのは「平均よりちょっと下のうだつの上がらないリーマン」だった。
要するにイケてない中年。そんな中年でも子供二人にマイホーム持ってるってそういう時代。
それが今じゃ、バリバリ仕事をこなす、やり手リーマンになってしまった。
バブル崩壊後に、日本を支配したのは「このままじゃだめだ。欧米を真似ないと、もっと景気が悪くなって滅ぶ」という漠然とした根拠のない不安だった。
この当時の空気を知りたければ、サラリーマン金太郎を読めばわかる。
バブル崩壊からの、根拠のない危機感と、ことごとく裏目に出た改革案がすべて全巻を通じて載っている。
最後に小泉純一郎をもじった大泉なる総理が、派遣解禁を役人が必死に止めるのを「ユニオンだから合法」に乗っかるシーンで終わるのだが、まさに今から見ると「それをやったからお前、お前、結局雇用の底が抜けちまったじゃねえか馬鹿野郎。お前が悪いんだよお前が!!」と単行本を投げつけたくなる。
いわゆるバブル崩壊以降の改革案というのは、「一切の科学的に分析された知見によって行われたものではない」と断定してよい。
簡単に言えば「バブルが崩壊したのは心を失った日本への天罰だ」という謎のオカルティックな思想によって支えられていた。
だから、「経済に潜む何者かに清貧をささげて悔い改めれば、許してくれるだろう」という謎の思想が支えていた。
この思想でまず一番最初に挙がるのは、石原慎太郎だろう。彼は、東日本大震災の際に「我欲を捨てろ、天罰である」という趣旨の発言をした。彼には津波は我欲を洗い流すためのノアの洪水のように映っていたのだろう。あの空気感。
だから、バブル崩壊以降の改革案は「痛みを伴う改革」という路線で進められた。つまり、「罰を受けるのだから痛くなければだめだ」という短絡的な思考があったことは間違いない。
つまり、「国民に痛みを与えて罰することにより、経済に潜む何者かに許してもらおう」という思想があったのだ。正直そこには「効果的であるかどうか?」はあまり意味がない。「痛みを伴うこと」が重要だったのだ。効果があることよりもずっと重要だった。
マジで、今までが甘えていたんだ。これからもっとひどくなるぞ。だから我々は厳しくせねばならんって本宮ひろし顔で主張してる政治家がわんさかいたんだよ。Mr.ビーンなんかも、なんかもその流れで無茶苦茶人気が出た。リストラする俺、非情のリーダーで格好いいって時代だよね。
与党も野党も左も右も、意見で対立し続けてはいたが、「痛みを罰として引き受けること」には一致していた。あらゆる経済的な社会保障を切り詰め、消費税を増税し、国債発行高を抑制しようとしても、小泉純一郎の様々な国民をいたぶるかのような社会のセーフティーネットと規制を撤廃するかのような改革を続けて、経済に潜む何者かにいけにえを捧げ続けても、「余計に悪くなった」ということしか起きなかった。
このことにいまだに気づいていない人間が山ほどいるのだ。
「国債発行は悪」
「消費減税は悪」
「サービス残業は当たり前」
「我々が罰を受けなければ、子供が苦しむぞ」
これらを支えているのは、経済的を科学的に俯瞰した法則ではなく、「バブルを罪としてとらえ、罰を受けることによって禊をする」という非科学的な思想だ。
だからいつまで経っても成果が上がらない。
これは小泉純一郎の自民党で顕著だったか、民主党も「苦い薬を飲め」と国民に迫り、その内容は自民党以上に強硬だった。
どちらも「罰を受けねばならない」というという、謎の強迫観念から逃れられていない。
このあたりの謎の思想を見たければクニミツの政を読むことをお勧めする。
とりあえず「公共事業という寄生虫が国をダメにしている、あいつらは規制虫だ。我々がこんなことをしていれば子供が借金まみれになって苦しむぞ~」というわけのわからん空気感だ。
で、これら改革の行きつく先がもう見えてる。
ふう。言いたいことを言ったのですっきりした。
飯食って寝る。
今年もおしまいなので、今年バズった増田とブコメを振り返っていきます
https://anond.hatelabo.jp/20180114053554
「自分の意思で(好きになっていない)相手に自分を好きになってもらおうとする」片想いが
そんなことを推奨しまくるテレビドラマや歌曲がいかに下劣であるか
いつも考えさせられる
https://anond.hatelabo.jp/20180214230357
こども3人産みたい」とか言ってる女、「私は28ヶ月死にかけになりたい」って言っているのと同じだしどれだけマゾヒストなんだよって思う
「こども3人ほしい」って言っている男も「俺は最愛の女性を28ヶ月死にかけにしたい」と言っているのと同じだしどれだけサイコパスなんだよって思う
2018年10月7日、六甲山で最難関ルートだとされる大月地獄谷ルート(渦森橋~みよし観音)を登った。2018年の台風ののちに、みよし観音を目指して登った人が他にいるかが、検索しても見つからなかったので、私のような登山素人に向けて書き残したい(これが検索でヒットするかはまた別の話)。画像はない。ちなみに天狗岩へ抜けるルートで登っている人は確認されているが、こちらの方が容易だとされているようだ。なお登っても、達成感を感じる前に、泥だらけのボロボロの服装で、おしゃれキラキラカップルと遭遇することになるので、極度のマゾヒストにしかお勧めしない。
天気 : 快晴 (気温27度)、前日早朝は雨
服装 : 破れてもいい服(長袖)、軍手、トレッキングシューズ
持ち物 : 昼食(おにぎり)、補給食(ゼリー系のやつ)、ポカリ、お茶、参考にしたサイトのコピー、遭難しても少し生き延びれるようにカロリーメイトいくつか
虫除けスプレー、山と高原地図等は同行者が持っていた。感謝。(逆に持ってない私がやばい)
ヘッドライトなども持っている方が良いでしょう。
主に下記のサイトを参考にさせて頂いた。呼び名などもこちらから拝借している。
https://tokiwatrekking.web.fc2.com/pages/y20160813.htm
http://shousam.fc2web.com/081018ootukijigoku.html
霊園の手前から谷に入り、沢沿いを歩いていく。
本格的な山登りは荒神山第二堰堤から始まる。ここを右から高巻く。当然ながら整備されている道ではないので、一発目にしては重め。頂点付近で少し無理やり登る必要がある。腕力である。
次は荒神山第三堰堤。左から高巻く。途中まではロープがあるが、道自体もそこまで険しくはないので、あくまで補助的に使う。ロープのかかっている木のうちで、少し弱くなっているところがあったので、油断は禁物。
ちなみに、ここを右から高巻くと、死にかける(体験談)。右側は急峻な上、堰堤の上端と同じ高さまで登ったのちに、ほぼ支えになるものが何もない状態でトラバースしなければならない。高さ18mなので落ちるときっと楽しい。
続く荒神山第四堰堤は、手前にある石積み堰堤を右から高巻くとそのまま巻道が見つかる。
次は紅葉谷堰堤。とうとう荒神山堰堤ゾーンを抜けて紅葉谷ゾーン。左手にあるロープからかなり上に登りそして降ってくる。一部、ほぼロープに頼らなければ進めない箇所があるので注意。確かに周りを見渡せば紅葉の葉っぱが見つかる。
紅葉谷第四砂防ダムは上目から、ロープを頼りに越えていく。この辺りになると結構感覚をつかみ出してきていて、どうやらいけそうだと感じ始めたが、それは幻想だった。
このエリアが終わると、滝が続きハードになってくる。複数の意味でハードになる。滝を登るため体力と、意味のわからないロープを信じなくてはならないため精神と。
紅葉滝は、右手手前に巻道、滝のすぐそばにロープがあった。右手手前の巻道はかなり斜度が高く、その上足元が滑りやすいという有様だった。同行者のうちの一人がロープ、もう一人が巻道から登り始めたが、私はどうにももっと手前に巻道があるような気がしたため、少しためらった。しかし、結局心もとないがロープを信じて登るルートの方が簡単なようで、信じて直登することに。案外いける...だが誰がいつ設置したのかわからないロープに命を預けたという事実が残る。
タラップ付きの堰堤が現れる。ダムから出ている水量が多く、タラップの場所まで行くのに身体中がずぶ濡れになる。体温がかなり上がっていたのでそこまで気にしなかったが、普通に考えて危険である。ダム自体は特に問題なくタラップから登りきれば、鋼製堰堤。下をくぐるが、足元が濡れる。
大月地獄大滝に到着。実際に滝を見ようとすると、生い茂る藪を超えて行く必要があった。また、この薮の手前から巻道が......滝を見ずに巻道へ。こんな薮、進めやしない、とその時の私は思っていた。
すぐそばにF2滝。巻道は見つからず、ロープを信じて直登する。できる限りロープに頼らないでいたかったが、頼らざるをえない部分がいくつか。しかしロープの根元を見てみると、理解しがたいほど不安定そう......。よくもまあこれを信じれたものである。ふと自分の体が震えているのに気づく。膝が笑っている。潜在意識も生命の危機を感じていたのだろうか。同行者の様子を伺うと、全員足が震えていた。愚かにも山を登ろうなどとするからこうなるのだ。
次のダム二つはタラップがついており、越えるのは簡単。しかし、越えた先がかなり深い池になっており素直には降りられない。滝を越えてしまった今、もう後にも引けず、無理やり脇道から池を越える。
A-7標識を越えるとF5滝。右の巻道を進むが、斜度がかなりある上に少ない木の根などを頼りに登って行く、本格的なクライミング。永遠にきつい時間が続くのかと思うほど、滝のかなり上まで進むが、くだるポイントが見当たらない。途中、堰堤が下に見えたがこれもスルーしてそのまま上から抜けた。ここの滝では、左に巻道があるとされていたのだが、明らかに崩壊しており、右から行くしかなかった。
ここから少し進み、小さい滝を越えて行くと、本格的に薮ゾーン。正しい進路がどこなのか、一見しただけではわからない。無理矢理川のありそうなところを目指して進む。さらに進むと土砂崩れの影響か、川はなくなる。本当に道が分からないのだが、とにかく信じて直進し続ける。テープも見当たらず、この道は正しいのか、という自問自答を繰り返して行くと、大きなダムが見える。
このダムは2016年に完成したもののようで、いくつかのサイトによると、2015年時点でみよし観音直下に建設中のダムがあるという情報があったので、ここはほぼゴールに間違いない!
ということでダムを目指す。足元は雑草のみで歩きやすく、木もないので視界が晴れてくる。左手にタラップがある、という案内板が見え、大きいが楽に越えられそう、と思ったのが甘かった。先の災害の影響か、左手側が完全に崩壊している。仕方なく、右手にあるステップを無理矢理腕力で登る。
この次にも似たようなダムがあるが、高さがさほどなく、そのまま越える。すると、眼前には森のみで、この先には道がないように見える。しかし、GPSを確認するとどう考えても正しい場所にいる。このまま突っ込んで行くしかない、と思ったところ右手に木製の階段が!久々に見たダム以外の人工物に喜び、何を口にしているかも分からないままわめきながら階段を上っていった。
抜けた先にあったのはJFE健康保険組合。みよし観音ではなかった。もう少し右手側を進んでいればみよし観音だったようだが、未確認。とにかく人のいる地に帰ってきたのだ。泥まみれの状態で、おそらく六甲山のキラキラしたイベントに行っていたであろうカップル達と出会う。そのまま下っていき、帰りはロープウェイで帰った。ロープウェイから見える木々に時々ピンクのテープが括り付けられており、新たな旅の可能性を見た。