はてなキーワード: マイコンとは
この発想はなかった
ポンプや発電機などを展開する工進は、カセットガス専用インバーター発電機「GV-9ig」の先行予約販売を、1月28日にMakuakeで開始した。販売期間は3月30日まで。価格は79,800円。商品の発送は4月末予定。
家庭用カセットガスのみで発電するインバーター発電機。事前に充電しておく必要がなく、JIA認証表示のある市販のカセットボンベで発電可能なため、非常用電源として、また趣味やアウトドアシーンに便利としている。
カセットガス2本で定格出力0.9kVA(900W)の正弦波を発生し、コンピューター内蔵製品やマイコン制御の家電製品にも対応。一般的な携帯電話なら60台分、ノートパソコンなら6台分を1時間で供給できる高出力を実現したという。
可倒式のハンドル、フラットな天板を採用しており、省スペースで収納可能。女性や年配の人でも持ち運びしやすいよう、ハンドルの形や長さにこだわって設計したとする。
本体サイズは435×250×410mm(幅×奥行き×高さ)。重さは16.1kg。連続運転可能時間は1〜2時間。出力ポートは100Vコンセント×2口、USB Type-Aポート×2口(合計3.1A)。騒音値は61~67dB(A)。
ここで増田は道を間違えた。ここでアダプターを買ってスマスピに接続すれば、Google様Amazon様のUXに組み込んで頂き素晴らしい生活が待っていた。*1
電気つけたい→スマホ探す→スマホロック解除する→アプリを探す→アプリの中で当該の家電のボタンを見つける
と手順が多すぎてUXが破綻するの。これなら普通にリモコン探してボタン押した方が早い。
巷にあふれるスマホで操作する系のマルチリモコンも、最初は頑張ってあらゆる家電をスマホで操作できるように頑張るんだけど、一通りやった後に「あれ?普通のリモコンの方が便利じゃね?」って気づくんだよな〜。
音声操作である。これなら暗闇だろうと寝てようと「ねえぐーぐー、電気つけて」でOKだ。
突き詰めれば声さえ出さなくてよい。センサーやスマホのWi-Fi接続の有無で有人/無人を判定して自動でオンオフできるようにすることも可能だ。
ESP32というありふれたマイコンに所定のソフトを組み込めばTuyaサーバーに接続できる。なのでアリエクにはTuya対応家電や格安センサーが溢れてる。アプリの完成度も高く、照明もインターホンもカーテンも操作できる。*2 *3
親会社はハイアールだけど、ハイアールの家電を売ろうという下心が一切なく、あくまでTuyaプラットフォームを最大化することに集中している。
AiSEGという日本でしか通用しないガラパゴス規格をつくり、ホームXという「音声認識できないEcho show」というよくわからない機械を作っている。さらにAiSEGに接続するためには親機子機共に専用のアダプターが必要という。正気か???
加えてインターホンと監視カメラ用は別の通信規格を採用しててAiSEGと互換性がないという…
まず常時電源接続している壁スイッチに対してBLEを使うというという判断からしておかしい。Wi-Fi使ってアダプターレスにするか、得意のPLC使って家電と通信すればいいのに。
*1アダプターは新古品がメルカリにたくさん出回って、定価の1/3で買える。これはマンション新築時に大量納品した時の余剰品が出回るためだ。
*2 Tuya家電を検索するとSmart lifeとBrilliant smartという規格が出てくるが、市場ごとに名前を変えてるだけで同じ元締め。日本で使うならSmart lifeを推奨。
*3ソフトバンク系の+Styleという会社があるが、ここは中国からTuya対応の家電を輸入して3倍の値段で売るだけの企業なので騙されないように
マイクロソフトは、OSやソフトを自分達で使い、開発環境も自分達で開発している。
Googleも、AWSもクラウドで必要なソフトを作り、自分達で使っている。
Googleなんてクラウドの会社だが、他社のクラウドを社員に積極的に使わせないし、内製化ツールも多くトイレに掲示して社内に広めている。
インテル、AMD、NVIDIAは半導体作り、それを設計するソフトも作っている。
もちろん他社の設計ソフトも使うが、自分達が将来必要になる開発ツールが作れるのが強い。
自社で使うサーバーなりの計算機の性能が足りなければ、自社で作れる。
日本の半導体が衰退したのは、ここからジャンルが外れてたからではないだろうか。
メモリーにしろ、マイコンにしろ、他社に販売はするが、自社内では使用しない。
営業や技術営業は使うだろうが、自分達の生産性を上げるものを作れていない。
ソニーもイメージセンサーが強いというが、自社内で使えるものではない。
イメージセンサーを大量に使って自社の生産性を上げることはできないだろう。
ある日の暮方の事である。一人の下人が、羅生門の下で雨雲レーダーを見ていた。
広い門の下には、この男のほか誰もいない。ただ所々ペンキの剥げた、大きな円柱にドローンが一機突き刺さっている。
羅生門が朱雀大路にある以上は、この男のほかにも、雨やみを待つSIerやプログラマーがもう二三人はありそうなものである。
それが、この男のほかには誰もいない。
何故かと云うと、この二三年、京都には地震とかDDoS攻撃とかEMPとかドローン攻撃とか云う災がつづいて起こった。
そこで洛中のさびれ方は一通りではない。旧記によると、サーバーやEVを打ち砕いて、その貴金属が使われたり充電池がそのままだったりする金属の塊を建築資材として売っていたと云う事である。
洛中がその始末であるから、羅生門の修理などは元より誰も捨てて顧る者がなかった。するとその荒れ果てたのをよい事にして、
営業職が棲む、意地悪な顧客が棲む。とうとうしまいには、引き取り手のないSEを、この門へ持って来て棄てて行くと云う習慣さえ出来た。
そこで、日の目が見えなくなると、誰でも気味を悪がってこの門の近所へは足ぶみをしない事になってしまったのである。
その代わりまたドローンがどこからか、たくさん集まって来た。昼間見ると、そのドローンが何機となく輪を描いて、高い電波塔のまわりを
ブンブン言いながら飛びまわっている。ことに門の上の空が、夕焼けであかくなる時には、それがゴマをまいたようにハッキリ見えた。
ドローンはもちろん、門の上にいるSEをせっつきに来るのである。_______もっとも今日はあまり仕事がないのか一機も見えない。
ただ、所々崩れかかった、そうしてその崩れ目に長い草のはえた石段の上に、墜落したドローンの残骸が落ちているのが見える。
下人は七段ある石段の一番上の段に、何日も洗っていないスーツの尻を据えて、右の頬に出来た大きな人面瘡を気にしながら、ぼんやり雨のふるのを眺めていた。
作者はさっき「下人が雨雲レーダーを見ていた」と書いた。しかし、下人は雨雲がどうでも格別どうしようと云う事はない。ふだんなら、
もちろん会社へ帰る可き筈である。ところがその会社からは、四五日前に暇を出された。前にも書いたように、当時京都の町は一通り
ならず衰微していた。今この下人が永年、使われていた会社から暇を出されたのも、実はこの衰微の小さな余波にほかならない。
だから「下人が雨雲レーダーを見ていた」と云うよりも「雨に降りこめられた下人が、行き所がなくて途方にくれていた」と云うほうが適当である。その上、今日の空模様も少なからず、この平安朝の下人のSentimentalismに影響した。
申の刻下がり(16時以後)からふり出した雨は、いまだに上がるけしきがない。そこで下人は、何をおいても差当り明日の暮らしをどうにかしようとして____云わばどうにもならない事を、どうにかしようとして、とりとめもない考えを辿りながら、さっきから朱雀大路にふる雨の音を聞くともなく聞いていたのである。
雨は、羅生門をつつんで、遠くからざあっと云う音をあつめて来る。夕闇は次第に空を低くして、見上げると門の屋根が、斜に突き出した甍の先に、重たくうす暗い雲を支えている。
どうにもならない事をどうにかするためには、手段を選んでいる遑(いとま)はない。選んでいれば、高架の下か道端のベンチの上で、餓死するばかりである。選ばないとすれば____下人の考えは、何度も同じ道を低徊(ていかい)した挙げ句に、やっとこの局所へ逢着(ほうちゃく)した。しかしこの「すれば」は、いつまで経っても結局「すれば」であった。下人は手段を選ばないという事を肯定しながらも、この「すれば」のかたをつけるために、当然、その後に来る可き「転売屋になるほかに仕方がない」と云う事を、積極的に肯定するだけの勇気が出ずにいたのである。
下人は、大きなくしゃみをして、それから大儀そうに立ち上がった。夕冷えのする京都は、もうカイロが欲しいほどの寒さである。風は門の柱という柱の間を、夕闇と共に遠慮なく吹き抜ける。円柱に突き刺さっていたドローンも、もうどこかへ吹き飛ばされてしまった。
下人は頸(くび)を縮めながら、カッターシャツに重ねたヨレヨレのジャケットの肩を高くして門のまわりを見まわした。雨風の患(うれえ)のない、人目にかかる惧(おそれ)のない、一晩楽にねられそうな所があれば、そこでともかくも夜を明かそうと思ったからである。
すると、幸い門の上の楼へ上る、幅の狭い、点検用の梯子が眼についた。上なら、人がいたにしてもどうせ疲れ果てて寝ているSEばかりである。下人はそこで、腰にさげた特殊警棒が伸びないように気をつけながら、便所サンダルをはいた足を、その梯子の一番下の段へふみかけた。
それから、何分かの後である。羅生門の楼の上へ出る、幅の狭い梯子の中段に、一人の男が猫のように身を縮めて、息を殺しながら上の様子を窺っていた。楼の上からさす白色光が、かすかに、その男の右の頬をぬらしている。短い髭の中に、赤く膿を持った人面瘡のある頬である。下人は初めから、この上にいる者は寝ているSEとばかり高を括っていた。それが、梯子を二三段上って見ると、上では誰かがスマホライトをとぼして、しかもその灯りをそこここと動かしているらしい。これはその濁った、白い光が隅々に蜘蛛の巣をかけた天井裏に揺れながら映ったので、すぐにそれと知れたのである。この雨の夜に、この羅生門の上で灯をともしているからは、どうせただの者ではない。
下人はヤモリのように足音をぬすんで、やっと急な梯子を一番上の段まで這うようにして上りつめた。そうして体をできるだけ平らにしながら、頸をできるだけ前へ出して、恐る恐る楼の中を覗いて見た。
見ると楼の内には、噂に聞いていた通り何人かのSEが無造作に寝ているが、ライトの光の及ぶ範囲が思ったより狭いので、数は幾つともわからない。ただ、おぼろげながら知れるのは、その中に手ぶらの者とPCを持っている者があるという事である。もちろん、中には女も男もまじっているらしい。そうして、そのSEは皆、それがかつて労働意欲に燃えていた人間だと云う事実さえ疑われるほど、土をこねて造った人形のように、口を開けたり手を延ばしたりして、死んだように床にころがっていた。しかも、肩とか胸とかの高くなっている部分に、ぼんやりした光をうけて、低くなっている部分の影を一層暗くしながら、永久に唖(おし)の如く黙っていた。
下人は、それらのSEの様子に思わず眼を覆った。しかしその手は、次の瞬間にはもう眼を覆うことを忘れていた。ある強い感情が、ほとんどことごとく男の視界を奪ってしまったからだ。
下人の眼は、その時はじめてそのSEの中にうずくまっている人間を見た。桧皮色のジャージを着た、背の低い、痩せた、白髪頭の猿のような老婆である。その老婆は、右の手にライトを灯したスマホを持って、そのSEの一人のPCを覗き込むように眺めていた。腕に抱いている所を見ると、多分ノートパソコンであろう。
下人は、六分の恐怖と四分の好奇心に動かされて、暫時は呼吸をするのさえ忘れていた。旧記の記者の語を借りれば、「えぐいって」と感じたのである。すると老婆は精密ドライバーを取り出して、それから今まで眺めていたノートパソコンに手をかけると、ちょうど猿の親が猿の子のシラミをとるように、そのノートパソコンを分解しはじめた。かなり手慣れているらしい。
電子部品が一個ずつ抜けるのに従って、下人の心からは、恐怖が少しずつ消えていった。そうして、それと同時に、この老婆に対する激しい憎悪が少しずつ動いて来た。____いや、この老婆に対すると云っては語弊があるかも知れない。むしろ、あらゆる悪に対する反感が、一分毎に強さを増して来たのである。この時、誰かがこの下人にさっき門の下でこの男が考えていた、餓死をするか転売屋になるかと云う問題を改めて持ち出したら、おそらく下人は何の未練もなく、餓死を選んだ事であろう。それほどこの男の悪を憎む心は、指数関数的に勢いよく燃え上がり出していたのである。
下人には、なぜ老婆がSEのノートパソコンを分解するかわからなかった。従って、合理的には、それを悪であると一方的に決めることが出来なかった。しかし下人にとっては、この雨の夜に、この羅生門の上で、SE自前のノートパソコンを分解すると云う事が、それだけで既に許すべからざる悪であった。勿論、下人は、さっきまで自分が転売屋になる気でいた事なぞは、とうに忘れていたのである。
そこで下人は、両足に力を入れて、いきなり梯子から上へ飛び上がった。そうして特殊警棒に手をかけながら、大股に老婆の前へ歩み寄った。老婆はマイコンで自作した監視カメラで、事前に下人の動きを見ていたのだが、想定外の行動に飛び上がった。
「どこ行くんじゃワレ!」
下人は、老婆が寝ているSEにつまずきながら、慌てふためいて逃げようとする行く手を塞いで、こう罵った。老婆は、それでも下人をつきのけて行こうとする。下人はまた、それを行かすまいとして、押し戻す。二人はSEの浅い寝息の中で、しばらく無言のまま、つかみ合った。しかし勝敗は初めから分かっている。下人はとうとう老婆の腕をつかんで、無理にそこへねじ倒した。ちょうどケンタッキーフライドチキンの骨のような腕である。
「何しとったんじゃ!云え。云わんとこれやど」
下人は老婆をつき放すと、いきなり特殊警棒を伸ばして、黒くて硬くて長いものをその眼の前へつきつけた。けれども、老婆は黙っている。両手をわなわな震わせて、肩で息を切りながら、眼を、眼球がまぶたの外へ出そうになるほど見開いて、唖のように執拗(しゅうね)く黙っている。これを見ると、下人は初めて明白にこの老婆の生殺与奪の権を自分が握っていると云う事を意識した。そしてこの意識は、今まで煮え滾っていた憎悪の心を、いつの間にか冷ましてしまった。後に残ったのは、ただ、ある仕事をしてそれが納期に間に合った時の、安らかな得意と満足があるばかりである。そこで下人は、老婆を見下しながら、少し声を和らげてこう云った。
「ワシはマッポでもSECOMでもない。今し方この門の下を通りかかった暇なヤツや。せやからお前に縄かけてどうこうしようっちゅう事もない。ただ、今時分この門の上で何をしとったんか、それをワシに話しさえすればええんや」
すると老婆は、見開いていた眼を一層大きくして、じっとその下人の顔を見守った。まぶたの赤くなった二階幹事長のような、鋭い眼で見たのである。それから皺でほとんど鼻と一つになった唇を、何か物でも噛んでいるように動かした。細い喉で、尖った喉仏の動いているのが見える。その時、その喉からカエルの鳴くような声が、喘ぎ喘ぎ、下人の耳へ伝わって来た。
「このパソコンのCPUを抜いてな、型番とコア数を偽装してな、転売しようと思うたのじゃ」
下人は、老婆の答が存外平凡なのに失望した。そうして失望すると同時に、また前の憎悪が、冷ややかな侮蔑とともに心の中へ入って来た。するとその気色が先方へも通じたのであろう。老婆は片手にまだ抜き取ったCPUを(素手で)持ったなり、蟇(ひき)のつぶやくような声で、口ごもりながらこんな事を云った。
「なるほどな。SEからPCを奪うという事は、何ぼう悪いことかも知れぬ。じゃが、ここにいるSE達は皆、そのくらいな事をされてもいい人間ばかりだぞよ。現にわしが今、CPUを奪った女などはな、コメントも無いし改行もない滅茶苦茶なコードを、仕様通りに動けばよいと言って書いておったわ。それもよ、この女の書くコードは早いし安いし仕様通りに動くと云うて、ケチな経営者どもが買っていたそうな。ワシは、この女のした事が悪いとは思うていぬ。せねば餓死をするのじゃて、仕方がなくする事じゃわいの。じゃて、その仕方がない事をよく知っているこの女は、大方わしのする事も大目に見てくれるであろ」
老婆は大体こんな意味の事を云った。CPUを盗られた女は、よほど疲れているのかこんな騒ぎでもノートパソコンを抱いたまま、全く起きる気配がない。
下人は、特殊警棒を畳んで、その柄を左の手で握りながら、冷然としてこの話を聞いていた。勿論、右の手では、赤く頬に膿を持った大きな人面瘡を気にしながら、聞いているのである。しかし、これを聞いている中に、下人の心にはある勇気が生まれて来た。それはさっき門の下で、この男には欠けていた勇気である。そうして、またさっきこの門の上へ上ってこの老婆を捕まえた時の勇気とは、全然、反対な方向へ動こうとする勇気である。下人は、餓死をするか転売屋になるかに迷わなかったばかりではない。その時のこの男の心持ちから云えば、餓死などという事は、ほとんど考える事さえ出来ないほど、意識の外へ追い出されていた。
「ほーん、そうか」
老婆の話が終わると、下人は嘲るような声で念を押した。そうして、一足前へ出ると、不意に右の手を人面瘡から離して、老婆の襟上をつかみながら、噛み付くようにこう云った。
「ほな、ワシが転売をしようと恨むまいな。ワシもそうしなければ、餓死をする体なのだ」
下人はすばやく、老婆からCPUを奪い取った。それから、足にしがみつこうとする老婆をジャイアントスイングで投げ飛ばした。梯子の口までは、僅かに五歩を数えるばかりである。下人は剥ぎ取ったCPUを胸ポケットに入れ、床に置いてあった老婆の精密ドライバーセットも手に持ってまたたく間に稲妻のごとく急な梯子を夜の底へとかけ降りた。
しばらく死んだように倒れていた老婆が体を起こしたのは、それから間もなくの事である。老婆はつぶやくような、うめくような声を立てながら、まだライトがついているスマホの光を頼りに、梯子の口まで這って行った。そうして、そこから短い白髪をさかさまにして、門の下を覗き込んだ。外には、ただ黒洞々たる夜があるばかりである。
同級生にベーマガとかプログラムポシェットに掲載される常連がいて、
というか、今から考えてみてもスゲー奴だよなぁ、偏差値高い高専行ったけど
そういう他人見ててスゲーなと思いつつ大学までプログラミングはやらんかった
大学入ってCをやるも何かが作れる感じではなかった
でも、描画が遅くて自分よりメガデモとか書けるような人の方がバリバリ高速なの書いてた
学部1年の頃はまだCというかまともなプログラムも書けなかったけど、
情報化じゃないから論理回路とか材料工学とか材料力学もやったけど、
建築工学の建築力学(材料力学)のモーメントとかそのまま使える
あと、大学入って実家で親が捨てようとしてたMSXを持って帰って、
MSX買ったときに親がマシン語の本とかMSXの規格のマニュアルとか買ってたので、
それを再勉強したら、子供の頃理解できなかったことが普通に理解できるようになってた
自分のMSXにはマシン語開発の簡易的な環境が入ってたのも大きい
要約すると、37歳無能正社員の俺が、職業訓練校に通って未経験のIT系に転職できるか、という相談。
俺はクソ弊社の無賃残業にブチ切れてる無能・一応正社員のアラフォー男性・年収300万強
HTML・CSS・JavaScript・PHPの初歩をドットインストールで習い、自分のWordpressをイジった程度で、壁にぶち当たり中。
ならばと方針転換、転職活動中に危険物乙種4類(ガソリン等を扱う初歩的な資格)を取ったので、
シナジーありそうな電気工事士、ボイラー技士などの資格を取って活かせるビルメンテナンス方面での転職を考える。
求人情報で、職業訓練校の講座を受けることで実務経験に近い扱いを得られるケースを知り、職業訓練校の説明会に行く。
職業訓練校の説明を受けた際に、ITエンジニアを目指す講座の存在を知り、その内容に魅力を感じて再び方針転換。
訓練校の担当者さんいわく、講座を受けることは可能だが、技能習得後の年齢の壁は確かに存在すると忠告を受ける。
皆さんにお聞きしたい。
以下の内容を職業訓練校で習得することで、転職に繋がる技術は身につくだろうか。
カリキュラムは要約すると以下の通り
・Java
・リアルタイムOS(RTOS)を使用したマイコン制御システムの作成
・Linuxの基礎
以上の内容で、ソフトウェアとハードウェア両方の知識を身に着け、サーバサイドエンジニアやIoTエンジニアを目指すというもの。
また、JavaScriptは独学での学習を続け、趣味に関するサイトをWordpressで作成し充実させるという目標はそれとは別に進めていくつもり。
訓練校でプログラム言語を体系立てて学べれば、自己学習の進展にも繋がればと思っている。
睡眠障害持ちのため(夜勤の場合でも家で睡眠できれば問題はないが、ビルメンは基本的に職場に泊まるシフトがある場合が多い)
そこがネックになるのではという危惧はある。
ビルメン系の資格+クレーン車等の資格を合わせて、清掃工場などの管理系も考えてはいるのだが…
これ以上は本題がとっ散らかるのでこれくらいにさせていただく。
納得できないのではない、納得してやらんのだ。
北海道の人口100人にも満たない集落にある漁師の家に生まれ、将来は家を継いで世間知らずであり現金収入は少ないが食うのに困らない一生を過ごす。
そんな選択が俺にはあった。
だけれど、そんな人生に納得できなかった俺は中学卒業と共に実家を飛び出した。
小学校は同級生3人、自転車で2時間先にある中学校は何とか1学年2クラスを作れるという少子高齢が進む地域。
中学では腕っぷしの強くヤンチャな生徒、つまりは不良が幅を効かせているような文化圏、はてブで都会住みの連中がイメージするステレオタイプなド田舎と言って良い。
その当時の大人の世界では義務教育でパソコンを習わせたほうが良いという機運が高まり、各校へパソコンが配備されるようになってきた時代。
しかしながらド田舎の公立高校でそのような先進的な機械が活用されることはなく、暇を持て余したガキだった俺のオモチャへとなるのがせいぜいだった。
田舎には田舎のルールがある。
それは例えば「中学では後輩は先輩に喧嘩で勝ってはいけない」というのもルールの1つだが、クソ真面目にも早朝から起きて実家の漁を手伝い、授業が終われば部活動の野球へ日々精を出していた俺の身体能力は、年上であっても体育の授業をサボるような不良連中より劣っているわけもなかった。
ド田舎の古い価値観を持った父親のありがたい教育方針であった「男がナメられるんじゃねぇ」のもと、先輩たちが売ってきた喧嘩を買いまくり、不良の先輩たちを不登校へ追いやってしまった結果、晴れて俺は学校中からハブられ中学野球の試合にも出られなくなってしまった(野球部には所属してて毎日練習はしていた。先輩たちは卒業まで学校に来なかったが)。
ハブられてしまったため日々暇な時間を過ごすようになった俺が出会ったのが図書室の本と、前述したパソコンだった。
最初はプリインストールされていたソフトで遊んでいるだけだったが、教員も書類はワープロ専用機で作る時代だったのでパソコンの知識がなく管理がザルで、俺はそのパソコンがパソコン通信とインターネットへ接続できることに気が付いてしまった。
Yahooからリンクサイトを経由し、電子掲示板という存在を知った俺は日々電子掲示板サイトへアクセスし、誰とは知らない人たちと会話をして時間を潰した。
話題には事欠かなかったし、専門性の高い話題が出ると「ちょっと待ってね。ここ図書室なんだ」と言ってソレ関連の本を引っ張り出して、パソコンの先に居るお兄さんなのかお姉さんなのか知らないが、興味深い話を日々聴くことが出来た。
「増田クン、これからはPerlの時代だよ」
「いやボク最近やっと思い通りBASIC書けるようになってCの勉強中なんですけど」
「もちろんCは大事だよマイコンに使えるし。でもさサービスを提供するならPerlが向く。DoCoMoのiモードだって裏ではPerlだよ」
「ボクの住んでるとこピッチ圏外ばっかり、田舎だもん」
「iモードはピッチじゃないよ周波帯が違う」
特にコンピュータ関連の話は面白かった。
ゲームは自作できると教えて貰い、プログラミングを始めるようになり、BASICやC、Perl、PHP、Javaをよく触るようになった。
図書室が我が王国のようになり、問題児が図書室に籠もっていてくれているし、図書室通いの結果からか試験の成績も悪くないどころかトップクラスであり教員たちもずっと放置してくれた。
そんな生活の中で知れたのは学区に依存しない高校の存在だった。
寮もしくはアパートなどで一人暮らしをしつつ通える高校が世の中には存在することを知ったのだ。
これだと直感的に思った俺は親父へ直談判することにした。
俺の故郷に未来はないと薄々勘付いていて、正直なところ青二才だったため「じゃあ俺がいい大学入って故郷へ錦を飾れば良いじゃん」と出稼ぎ感覚でいた。
親父は俺の話を無言で最後まで聞いていた。
今思えば何をアホなこと話してるんだと思ったが、一応は国立高校だったため学費はそこまで高くなく、何だかんだで小さな頃から家業を手伝っていた俺がバイトしながら高校へ通うことに関しては古い価値観の「苦労は買ってでもしろ」的な面から了承されたのかなと思う。
おそらく一番困らせたのは高校入学祝いに当時の最新パソコンと引越し先でインターネット回線を引く費用を求めたことくらいだったのではないかと思う。
右も左もわからない状況から一人暮らしを始め、訛りのひどさにクラスでイジられ、バイト先に勤めている大学生の兄ちゃんたちに世話してもらいながらも毎日新しい体験をして過ごした。
世の中は広く世間の移り変わりは早い。着メロは和音が鳴るしディスプレイはカラー。携帯電話の電波は田舎にまで届く。
甲子園を目指したが強豪校はやっぱり強く負けてしまい、人生で初めて望んだ結果が得られないことを経験した。
しかしそれでも俺は何となくコレは真理なんじゃないかと思い始めていた。
そして国立大学へ合格したことを期にコレは真理だと確信したんだ。
今の俺は別に故郷へ錦を飾れたわけでない。
しかし俺は不良が風を肩で切るようなド田舎出身で脳筋な漁師の子だ。根本は変わってないと思っている。
それが今やG社に勤めているって言うんだから人一倍の努力は裏切らねぇなと。
自分が持ってないものが欲しいならば努力するしか方法がない。
学歴が欲しいならば年収が欲しいならば地位が欲しいならば努力するしかないんだよ。
誰もお前のために人生なんかかけてくれない。
お前の人生にかけてくれるのはお前自身しか居ないんだよ。