はてなキーワード: ポーズとは
めっちゃ早口だったり、英語っぽいけど聞いたことない単語が混ざってたり(訛り?)すること。
なんとか「ゆっくり話して欲しい」的な事を出川イングリッシュみたいな感じで伝えようとすると、大抵の人は理解して、ゆっくり話すかスマホ使った筆談に切り替えてくれる。
ただたまーに伝わってないのか、こっちの話なんて聞く気がないのか分からんが、こりゃダメだみたいな感じに両手上げてスタスタどっか行っちゃう人もいる。
そういう時は毎回、ほんとにあんなポーズする人いるんだなぁって思っちゃう。
それにしても俺は別に店員でもガイドでもない、たまたまその場に居合わせた一般客もしくは一般歩行者なんだけど、それをわかった上で俺にあんな早口で質問してるんだろうか。
最近は色々あって本当に疲れて、何もしても何を食べても無味乾燥な時期があった。
そんなときに地下アイドルのことを知ってなんとなく足を運んだ。
曲が始まるとステージ上のライトが色めき、アイドルが一人ずつ登場してポーズをとる。
全員が登場し終えると定位置につき、一瞬曲が止む。
途端、怒声のような声が耳を劈いた。
ハッとして前を見ると観客席の最前列にはバキ童に似た人が大声を上げていて、周りも負けじとメンバー名らしき名前を叫んでいた。
曲の間には合いの手のような大声が響き、「〇〇愛してるーっ!!」という濁った大声が響く。
ふっふー!とか、ア”ア”ア”ア”ッア”ーーー!!といったダミ声が挟まれ、異様な空間であり、ラジオ体操『体を回す運動』を三倍速にしたような動くが辺りそこらで散見される。
唖然としながらも何故か悪い気はしなかった。
久しく忘れていた感情がふっと、湧き上がってくるのを感じた。
みんな酔っていた。
アイドルも、観客も一体になって何かに酔っているように見えた。
なんなんだ……なんだんだこれは!!!?
ライブが終わった後も高揚感は収まらず、家に帰ると久しぶりにお酒を少し飲んだ。
誕生日が苦手だ。
祝われたくない。祝うのも得意ではない。
ただ、誕生日を祝う文化自体は悪いものだとは思わないので、他人がお祝いしているのは楽しく見ている。
キャラの誕生日にたくさん投稿される創作物などはとても素晴らしい。とてもしあわせになる。
だが、自分自身は誕生日を祝われたくない。どれだけそう伝えても、分かってもらえないことが多い。
もともと産まれたのが誕生日をちゃんと祝う家ではなかった。時々祝ってもらっても、それは親によるご近所への「ちゃんと円満な家庭ですよ」のポーズで、各ご家庭に感謝の手紙を書かされたりした。
小学校に入るかどうかくらいのころ、祖母が「あんたの母はケーキも買ってくれないでしょうからね」とニヤニヤ笑いながら渡してきた千円札を、母に素直に渡してしまいヒステリーを起こさせたりした。
学校で「誕生日にはプレゼントを渡すのだ」と学んだので、ウキウキでお手伝いをして小遣いをせびり、貯めたお金で買ったプレゼントを母に渡したところ「現金が欲しかった」と言われたりした。
学校のプレゼント交換会で「無理なく渡せるもの」という先生の言葉に従って鉛筆を一本持っていって、イジメにつながったりした。周りはみな豪華景品だった。
これは世間にとって、誕生日がどれだけ重要なイベントかを把握できていなかった自分が悪いが。
あとは、誕生日を理由に会社でコラ画像を作られて貼り出されたとか、欲しいと思っていたアクセサリーを自分の誕生日に浮気相手に贈られた、など。言い出したらキリがない。
そういった細かな積み重ねの賜物で、誕生日を祝われる行為に、さしたる意味を見出せない大人が完成した。
普通に老けるの嫌だ。
大人なので、とうぜん我慢して世間に合わせた動きはする。おめでとうありがとうくらいは言うし、必要ならパーティだって行く。
ただ、気心の知れた人たちには「できれば理解してくれないかな」と淡い期待をこめて「誕生日は嫌いなので祝わないで欲しい」と伝えてきた。
伝わったためしがない。
遠慮しないでとか言われる。
こっちが祝われたくないって話なんだ!
嫌いなら、これから好きになるような誕生日にしようとか言われる。
昔楽しくなかった時点で今楽しく過ごすのは難易度が高いんだよな。昔の記憶が邪魔をするので。
「思い出の上書き」とか無理なんだと気がついてほしい。思い出は全て唯一無二なので、あなたとの思い出も何の代わりにもならない唯一無二である。
人間は産まれながら誕生日が好きな生き物、というわけではないと思う。
結局、誕生日が特別だって思えるのは今まで生きてきた中で培った能力の一つなんじゃないか。
そのへんも多様性ってことで「あーそうなんだね」程度に軽く認めてもらえないだろうか、と思う。
「お前の持って産まれた臭いはマジでキモくて耐えられないと皆が思ってるから、化膿覚悟で手術しろよワキガマン」←なんでこれがセーフになると思ったの?
私がそばを通ると「クサッ・・」と言いながら鼻を抑えるポーズが流行っています。
席の後ろを通り抜けるときに「クッセ・・」と陰口を叩くのが大ブームです。
私の近くにあるパーティションの後ろから「マジヤバイッショ」「wwwww今本人が来たらどうすんすかwwwwww」「いや悪いのはアイツでしょ。こっちは被害者」「ちょwwwwwマジで危ないから巻き込まないでwwwwww」といった話し声が月に何度もします。
死にたくなるぐらい辛い。
何が辛いって、この程度の腐れ脳みそ共と一緒に働いているのが辛いのです。
奴らは聞こえるかどうかギリギリの声で「くせ・・・」と呟くことによってさも「一言申してやった」「本人に伝えてやった」「巨悪に一矢報いてやった」「職場の廃棄物が自殺する日を1日早めてやった」といった類の『偉業』をなしたかのようにイキっているわけです。
これがとても気持ち悪い。
小声で誰に向けているのかも分からない中身のない罵倒なんて10000回呟いた所で問題解決には繋がりません。
せいぜい私が遺書を書くとき、弁護士を通して職場を訴える時に加害者として名前が挙がるぐらいでしょう。
ただ思いつきで「くっせー」と言われたってこっちはどう対処したらいいのか分からないのです。
新しく試したデオドラントが全く効いてないのでしょうか?それともいつもよりはマシな匂いになったので「あれ?マシになるってことは対策できるの?じゃあ言ってやるけどまだまだ臭いよ?」と伝えたいのか、こちらには全くわかりません。
ただただストレスばかりが蓄積され、それが脂汗として腋から飛び出すたびに、更に臭いがキツクなっていくだけです。
私のワキガは体質なので変えようがないですが、ストレスを減らすことで薄めることは出来ます。
貴方がたはそこにストレスをかけることで状況を悪化させている。
それなのに自分では「これでアイツがワキガを治したら、一言物申してやった俺の勇気の一手が勇者の一歩かぁ・・・」と妄想逞しいなクソ馬鹿野郎なわけです。
本当にな、お前らな、臭いに文句があるなら本人にハッキリと伝えろよ。
どういうタイプの臭いなのか、どれぐらいの強さか、どういう時に強くなるのか、デオドラントグッズの変化による影響はあるのか、そういった情報を教えてくれよ。
お前らみたいな卑怯者はどうせこっちが「すみまえん。私が臭いんですか?」と聞いたらそれまでの横柄な態度を引っ込めて「いえいいえいえ増田さんは全然そんなことないですよ」と首を振って、こっちが見えなくなってから「アイツやっぱ自覚はあるんだな・・・」「それなのに治さないんすねえ・・・」「今のって、「臭くない」って言質を取りに来たのかな」「マジ卑怯だわー」「これでアイツがこのままだったらウチらが「臭くない」と言ったせいになるの?」「げー最悪ー」「ほんっと心までプンプン臭ってくるような奴だよね」「ねー」とか盛り上がっちゃうんだろ?
はーマジ死ねよ。
お前らさ、もしも自分や子供が「目が2つあって鼻が1つなんてキモすぎ!手術して目は1つにして鼻を2つにした方が良いよ!そのキモい顔を見ているだけでこっちの元気がなくなっちゃう!」って言われたらどんな気分になるよ?
それに対してこっちは「まあ言っても伝わらねえだろうな・・・想像力のねえ馬鹿には。人間1つ2つ生まれつきのコンプレックスはあるだろうに、そっから派生して他人の痛みを理解するための知性がねーんだな」と諦めて粛々と変なクリームをワキに塗って生活してるわけですよ。
見る度に「出www出~www生存バイアス語奴wwww」ってクソリプ送りたくなる。
ワナビー多めの100人規模の絵描きのコミュニティに5年位通して所属してたことがあるけど、
努力が全く身につかず進歩がない奴はそれなりにいたよ。体感3割くらいはそんな奴。
ニートが毎日スケッチとポーズドローとワンドロやって5年やって全く上達せずメンタル病んで消えていくのも沢山見た。
私だってその一人だ。意識を高く保って毎日8時間かけて5年努力しても、結局、左向きのテンプレ顔すら安定生産できなかった。
https://www.jcp.or.jp/akahata/aik23/2024-03-25/2024032501_04_0.html
きょうの潮流
いろんな国ぐにの人たちがまねた、あのポーズ。漫画「ドラゴンボール」の主人公、孫悟空の決め技「かめはめ波」です▼今月初めに世界を駆けめぐった鳥山明さんの訃報。NHKの手話ニュースでも手話通訳者がそのポーズで追悼していました。1984年に「週刊少年ジャンプ」で連載開始。その後、アニメやゲームにもなり人気を博しました▼成長や友情、冒険やバトルをテーマに描かれていきますが、次第に戦闘シーンが激化。主人公が強くなれば相手もより強くなり、どちらかが消滅するまでに。当初、格闘ものは苦手としていた鳥山さんも出版社や編集者に押し切られ、際限のない強さをもとめるように▼暴力的で過激だと子どもにみせたくないとの批判もうけました。ジャンプ誌上では同じころに「北斗の拳」も連載されるなど、“マッチョな男の世界”が全盛の時代でした▼ジェンダーの視点から漫画を研究している中川裕美さんは、少年マンガに欠かせないテーマの一つに「戦う少年」があると以前本紙で語っていました。少年たちは、何かを手に入れるため、誰かや何かを守るために自分より強いものに戦いを挑み、苦しみながらも敵を倒して、またより強大な敵へと挑むべく、戦いを続けていくと▼いま、現実の世界でも暴力が暴力をうみ、憎しみが憎しみをうんでいます。はげしい怒りによって。戦前からつながる、男は戦うものだという価値観。漫画に限らず、そこからの脱皮を描いてこそ、新しい時代をつくるはずです。
行きずりのメンヘラに乳首を開発されてしまった。しかも右乳首が元々開発途上だったもんだからそちらの反応が良く、右乳首はさらに先鋭化した。これはピケティが指摘した貧富の差の拡大の卑近なモデルと言えよう。
✂
メンヘラは産毛の生えた自然という扱い難くも計り知れない恩恵をもたらす財産を付け爪で切り刻み、資本主義に操られた節操のない開発を続け、私の乳房はやや肥大化した。
サイドビジネス(脇)に手を出されると少しこそばゆくて身をよじる。その反応に対応してメンヘラのサイドビジネスは拡大してゆく。
やがて豊かな体躯全土はデッコデコのネイルに委任されたメンヘラオペレーションにより、雌の特徴を帯びてゆく。
ケツにハリが出て、腰がくびれる。背筋は悶えるような動きを残した歪なものになり、腹は大いなる生命の誕生を示唆する。
⚧
米軍がイランの重要人物を暗殺したことに対しての報復として米軍の中東基地に向かってミサイル攻撃で報復した。
と言ってもその攻撃は事前にだいたいそこらへんに撃つからな、と警告してから撃ったものだ。
要するに形だけのポーズ。
とはいえ米軍に向かってミサイルを打ったという事実は変わらない。
トランプもそのことに対して何らかの対応をしなくてはいけない。
というところでコロナ禍が猛烈な勢いで世論を席巻したので、それどころではなくなってみんな忘れてしまった。
今回の攻撃もそういうポーズみたいだけど、問題なのはイスラエルが反撃するかどうかだな。
ネタニヤフはやるかもね。
もの凄く良い天気で春のこの時期は良い季候よね。
夏は暑くて積極的に避暑を考えてなかなかアクティブに行動的なことができないし汗かくしー
冬は寒くて縮こまっちゃって積極的に避寒をかんがえてなかなかアクティブに行動的なことができないし指先寒いしー
この時期と同じ属性を持つ秋も春と同じだけれど
なんか夏が長すぎて冬が寒すぎて、
春と秋が本当に一瞬なのよ!
これ気が付いたらもう蒸し暑い蒸し暑いって梅雨にもなっちゃうし。
今のシーズンの季節が一番活発に動き出せそうなチャンスをうかがっているのよ。
こういうときは部屋の模様替えしたいなぁともあるし、
そう言うのってなかなか時間がかかって一所懸命に一つのところに命を賭けていてもなかなか事が捗らないのよね。
でも書いてやるぞ!って意気込みを表明して
左手を挙げて選手宣誓の形を取ってからの気絶ってそれお笑いのレギュラーの西川さんじゃん!ってもういきなり現実逃避してファミレスにタブレット持って今日は良い増田書くんだ!って意気込みを持って飛び込み前転してファミレスに入店するけれど、
結局それは現実逃避であって
なに一つ駒が進まないのよねー。
あーあ、
ちょっとお部屋の模様替えするために部屋片付けっかー!って
よし!ここで書いておけば、
なんかであるじゃない。
目標があるなら書いた方が実現する!って
今見直していたら
すっかりこのことを忘れていて「うわ!」私これやんの忘れそうになってたわ!っていきなり現実に引き戻されるぐらい忘れていたわ。
やっぱり書かないといけないのかしら?って思って思い付いてまあ実行できるかどうかの瀬戸際の時ってあるかも知れないけれど
書いておいたら見て思い出せるから、
えーっと
ボタン電池の型番なんだったっけ?って見て覚えたつもりだけど店頭に行くといざ自信が無くなって自分の記憶が鮮明な新鮮度を保っていないので、
結局ボタン電池の型番ちゃんと合う形の電池を交換しないとだめだから、
ここは真面目にしっかり覚えておくわ!って覚えておくつもりになっていても
自分の記憶が鮮明で新鮮度を失ったことすら寸前まで気が付かないのよね。
で、
またかーって
出戻ってボタン電池の型番を見て。
でも今度は大丈夫。
余裕でダブルピースをブイの指を下向きに向けてギャルピースするぐらい余裕にメモしてきたから、
そんでさー
あんまり予定を詰め込みすぎてやりたいことリストがどーんとたくさんになってくると
まあ実行出来たらラッキー、
できなかったら今度にってな勢いでやってかないと息が詰まっちゃうわ。
でも書いておくだけで
またあれこれ思い出せるから
やっぱり書くことはメモすることと同時に同じことを言うぐらい大切だなって思うの。
意識するのとしないのとでは
私それ今の今まで書いたことすらも忘れちゃってたぐらいなそんな何も言えない世の中にポイズンって言いたいぐらい
忘れてたことを観てまたそれ思い出せたから結果オーライ!ってことでいいのよ!って思えたわ。
でもさ、
こうやって御託を並べていないでって思うけど
7の御託の左右並ぶ横の6と8の御託を持っている人それで御託を並べるの阻止して止める人いない?
もーって感じ。
私だって御託をこんなに並べたくないのよ!
って言いながら寿司ざんまいの人みたいに手を広げているポーズをしながら言っていたら仕方ないわよね。
まだ並べられる御託があるだけマシかーって思いつつも
御託のフルハウスよ!
そうポーカーフェイスで私の勝ちね!って
コタツのテーブルの台の裏の緑の色をしたそのトランプを行う台のテーブルに積まれているチップの山を棒の付いたチップを押したり引いたりするやつでざーっさーてするの。
あのざーっさーてする感じをそう思いながら、
今日の私は言い御託を並べましたね!って
かの良い仕事してますねでお馴染みの有名な中島誠之助さんの台詞を彷彿とさせる
並べ方をして勝負を終えるの。
中島誠之助さんに褒められて嬉しいけれど私の腕前はまだまだですよ!って謙遜した顔しながら私は御託カードゲームをあとにしたの。
でも実際に御託を並べるゲームを考えつく日が来るのかしらとも思ったわ。
御託ね御託。
うふふ。
食パンに玉子のせてトーストで焼いたらどうなるか問題はやってみようかなと思ってるけれど、
面倒くさいなので、
タマゴサラダをそれのみで売っているのを発見してからタマゴサラダ生活が充実した食パン生活!
さすが!本仕込み!
そう思わざるを得ない美味しさよね。
ルイボスティーウォーラーのお茶っ葉切らしていたので買ってきたの。
ちょっと暖かくなってきたので、
水出し作り置きの季節も?って考えた方がいいのかしら?って思うわ。
あ!以前やってた水出しのヒーコーもまたやってみたいわね。
探さなくっちゃだわ。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
『オッペンハイマー』観た。
元カノが死んでから自分を責めたり、実験の爆発を目の当たりにしてから水爆反対への心変わりに向かっていったりと、オッペンハイマーには自分のやってる事への当事者意識の薄さみたいなのがあるのかなって感じがした。
「絶対悪」のナチスドイツなき後にもまだ(瀕死の)日本がいるじゃないかと研究を続けて、いざ実験が成功して投下した後になってから果てしない核軍拡競争への憂いで気持ちが揺れ始める。赤狩りの時代が強調されてはいたとはいえ、水爆はソ連への牽制だという言い分にもあまり強く言い返せない。
ストローズの「奴は瓶から出した原爆の魔神を元に戻そうとしてる」みたいな台詞は、オッペンハイマー憎しで出た言葉かもしれないけど彼のふわふわした感じを端的に表していたような気がした。トルーマンに腰抜けと一蹴されたのも。
学生時代に病んでたのは、物理学なんかやってると唯物論的な方面で実存的不安を抱えるようになるんだろうか。ピカソやストラヴィンスキーに触れるシーンでそう思った。それに対してセックス不足だろと言われてたのも、そういう抽象的な事ばかり考えずに地に足つけて生活したら、的な意味だったんだろうか。共産主義と唯物論は結び付けられて語られるようだけど、活動に傾倒していったのもそういう事なんだろうか。
日本にまつわる描写が淡白だっていう感想もあるらしいけど、自分は投下後に言われていた「国内で抗議が"起こらない"のが心配だ」みたいな台詞が結構印象的だった。
劇中で何度も鳴り響くオッペンハイマーの功績を称える足音は軍靴の音に重なるものがあった。
実験シーンで爆破音を大分遅らせる演出は、まあそうなるだろうなあと思わせる猶予になってしまったけど、それを補って余りある ほどにオッペンハイマーが抱いたであろうアンビバレントな感情を思わせられた。
「ほぼ0%」だからまあ大丈夫だろうと研究を続けたり、爆破の直前に賭けをしてたり、防護服を着る事もなく目視で爆発を眺めたり、実験が成功すれば無邪気に熱狂する辺り、研究者達からはどこか呑気さを感じる。
それはしばしばハリウッド映画で非難されていた核兵器への認識の無頓着さへによるものではなく、むしろそういったものに関して意識的に描いているんだと思う。思いたい。核兵器が実戦投入される以前の出来事を描いたシーンでもあるし。
ローレンスやラビは出会いからの関係が比較的重点的に描かれてたけど、他にも色々と博士や政府の人間が出てくる中で、それ誰だっけって人名が飛び交ったりして分かり辛い部分も多かった。
証人に呼ばれたローレンスと廊下で鉢合わせて、結局彼が来なかったシーンもいまいち意味が分からなかった。冒頭の1. 核融合 2. 核分裂も何か象徴的な事を言っているのだろうけどいまいちよく分からなかった。
ただ3つのパートが徐々に絡み合っていってオッペンハイマーの人生が語られる感じは、テネットとかインセプションに比べたら大分と分かりやすかった気がした。
プロジェクトX、よりは粛々と進むマンハッタン計画、胃が痛くなるような小部屋の尋問、ストローズの閣僚入りに向けた公聴会、というそれぞれのシーンの要点を抑えた上で2度目に観たら前半の印象も大分鮮明になってより分かりやすくなった。
今の所世界は滅んでないけど核兵器も滅んでいないらしいし、これからどうなんでしょうねえ。この手の作品を観て大量破壊兵器はよろしくないですねえ、平和は個々人の意識によって作られるものですよねえ、というポーズを取りつつ、まあ言うても別にボーッと生きてたって自分の生きてる間くらいは大丈夫っしょ……って思ってる自分がいますねえ。
川勝氏は、単に問題発言があっただけではなく、当初は失言であったと認めていなかった。
岡口氏は、別に悪意は無かろうが軽率なSNS利用で他人に迷惑を掛けて裁判で負けてる所までは客観的な事実であり、その上でSNS利用を今後も続けると発言している。
自分のやらかしをやらかしと認識できてないので、自分が正しいと確信して直進して、そのままドボンした。両者とも、ちゃんと反省したポーズができていれば十分に助かったと思う。
川勝氏は「リニアに反対する保守派」という難しい立ち位置(全く難しくは無いが、ウヨサヨの人々にとっては非常に難しく映る)のため、ウヨとサヨの片方が擁護し片方が叩くという様なよくあるバトルは展開されず、互いが爆弾ゲーム的な押し付け合いをしている。
②堀口英利さんと石黒正数さん
堀口氏は、暇空信者に集られてデマと誹謗中傷やられまくって消耗してる。
石黒氏は、暇空アンチ(の中でも特に暇アノンという言葉を連呼してる感じの精鋭たち)に集られてデマと誹謗中傷やられまくって消耗してる。
両者とも落ち度もあるだろうが、あんな目に遭う謂れは全く無い。本当に怖い。
陣営的に対立している事もあって、「堀口叩いてる奴は石黒を擁護し、石黒叩いてる奴は堀口を擁護する」という様な趨勢も見られる。
もちろんそんなダブスタを決めているのは頭のおかしい極一部の少数なのだが、そういう少数が一騎当千の大暴れをする事で実際よりも大勢に攻撃されているかの様な錯覚が生じ、堀口氏は完全に病んで異常行動を起こしてしまっているし、石黒氏は警察に相談に行った。
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表玄関は閉じているので裏口に向かう
大通りを歩く
高速道路沿い、高架につく明かりが深夜でも明るいオレンジ色をしている
小さく歌を歌いながら帰る日が多い。頭を空にするための歌なので、なんの歌でも良い。TikTokで聞いたサビしか知らない歌でも、学生時代の合唱コンクールの課題曲でも。車が多いから迷惑にはなっていないと思ってる。
いつも曲がらない角を曲がって帰る日もある。知らない坂の先の景色をみたり、通れるかわからない細い路地を入ってみたり。
自転車で帰った日もある。電動式のシェアサイクルはわたしをぐいぐい引くように走った。
自分の足で走った日もある。通りを走るランナーはたまに見るしそれほど浮かないだろうと思った。自分で自分の体をコントロールして、心拍を上げる行動は何かに良い気がした。
酒を買って歩きながら飲んでみようとした日は、缶を路上に落としてしまい中身が噴出した。甘くないジンソーダで助かったと思いながら拾って帰った。
誰にも迷惑をかけない範囲で行う小さな奇行は、私が私に許す小さい遊びだ。1日の大半を仕事に明け渡してしまった今日をちょっとだけ取り返してから自分を寝かしつける、そういう儀式。最初はちょっと外食をして自分の機嫌を取ったりしていたのだが、夕食をしっかり摂るのも憚られる退勤時間になってからは「帰る」ことに遊びを見つけていた。人目につかない深夜に、小学生の帰り道みたいな、誰にも話さない1人遊びがたくさんあった。
何も出来ない日は大抵泣きながら帰る。あの時の自分のなかに何の感情があったのかわからない。悔しいなのか苦しいなのか、誰かに心配されて嬉しいなのか情けないなのか、
あのとき取りこぼしてしまった自分の気持ちはもう、私がわからないってことはこの先誰にもわからない。
泣いている時に頭の中に入っていたのは、周りの人が私に投げかけた言葉だけで、それを咀嚼して反芻しても、なんの味を感じたのかわからないまま、子どものように口角をひん曲げてボロボロ泣いた。マスクの中に水分が溜まって蒸れて、でも外した顔はひどいから付けたまま歩く。
公園の横を抜けて、ファミレスの駐車場を突っ切って、その先の横断歩道は押しボタン式の時間帯。渡った先のコンビニに寄る。朝昼は胃痛を避けるために軽いものしか摂らないので夜は多少好き勝手に食ってやろうと思いながら入店するが、運が悪いと夜中に腹を下すので結局中途半端な惣菜や軽食を買う。大体いつもボブヘアの男性店員がシフトに入っている。コンビニの横の坂道を上ったらあと少しで家に着く。
徒歩25分。家も職場も駅からあまり近くないせいで、電車に乗ってもせいぜい5分短縮できるか微妙な所だから歩いて通勤した。
机に縋り付いている記憶の方がたくさんあって良いはずなのだが、私は長い間、家に帰る道をずっと歩いているような、ずっと夜みたいな感覚を1番よく思い出す。
日中は、
「食事か睡眠、どちらかを満足に出来なくても片方が人並みならまだ保つ」
「このくらいの度数のロング缶を一度に飲み切ると眠れて二日酔いも残らない」
働き始めてから何年かで身につけたおまじないのような「これが出来ればまだ大丈夫」を幾つかポケットに入れて、指先で手触りを確認するような日々を過ごしていた。
「酒や乳酸菌飲料の力を借りて睡眠は取れているからまだ大丈夫」
「胃が荒れていて平日は差し障るだけで、食欲はあるからまだ大丈夫」
「朝は起きて支度できるからまだ」
部屋は荒れているが、不精なので繁忙期はそんなものだ。青クマもデスクワーカーの職業病。
「まだ大丈夫」を肯定的に捉えてサバイブしていたつもりだった。
いつのまに切り替わったかわからないが、これらの一つ一つが「まだ私が壊れてくれないから、大丈夫じゃなくなるのを待つしかない」のカウントになっていた。
勤務中、気を抜くと頭を上げていられなくなった。
ひとの目を見るのは元々苦手ではあるけど、顔を見せるすら苦しくなった。
対面で働くチームメンバーには両手で伏せて早口で指示を出す。通話会議は声を出せれば成立する、まだ大丈夫。
大丈夫な自分を演じているのか、大丈夫ではない自分を演出して逃げ出そうとしているのか、どっちにしろ何かのフリをできているうちは大丈夫なのか、大丈夫ってなんだ?
わたしは席に座れる、手を動かせる、web会議で通話が出来る、謝罪を述べることができる。出来るけど、帰りたいと申し出てある日早退した。これはダメなことだってわかっているからまだきっと大丈夫。平日の明るいうちに外出するのが久々でなんだかスカスカした気持ちになりながら、せめて身体を労わるポーズをとらないと均衡が取れないから大戸屋で品目の多い定食を食べた。ポテトサラダが重くていつまでも口に残った。
わたしにも少ないが友人はいる ありがたいことに定期的に会う用事がある
他愛ない近況の報告をしようとしたら、言葉が出ない日があって、そのとき友人は精一杯わたしを傷つけないように、「頑張る私」を否定しないように選んだ言葉で、心配に思っている、あなたを害するものをあなたは拒否する権利があるとだけ 言葉を投げてくれた
書いて消して何度か回り道しただろう、書かれなかった文にたくさんの気持ちが詰まっていた それに対して言い訳のような自虐で返事をした 最悪だ
病院探しを始めた。
躊躇いは特になかった。「自分に限って」なんていうバイアスは思い上がりだ。弱さを認められる方がまともだと思う、そういうペラペラのプライドを持っていた。「まだ大丈夫」のうちに、近い将来ダメになった時の避難経路を決める、それは賢い判断だと思った。
まあまあ都心に住んでいたので選択肢はいくつかあると知っていたし、思ったよりいっぱいあった。逃げ場ってコンビニほどはないけど歯医者くらいはある。場所を見つけて、予約を取ったあと、メモを書くことにした。
うまく話せるように、話せなくてもとにかく伝わるように。カンペなのか手紙なのか問診票の別紙なのか、わからないけど言葉を起こす必要があった。
相手に自分を「大丈夫」に見せたいのか、「大丈夫ではない」と言わせたいのか、なんだか意図がブレブレのメモ書きになった
紙に書き写す以上はありのままなんてどこにもない、本当のことを書いたのかどうか主観で見てもあやふやな文面。とにかく話せなくなればそれを読むか手渡すかしようと思って、印刷したものを携えて心療内科に行った。初診の予約は平日の昼しか取れないルールで、14時過ぎに中抜けして向かった。
名のついた診断が出た。
有給休暇の残数を尋ねられたり、直近で休養の取れるタイミングなどの話を流れるようにし始めた医師に、そんなつもりではない。 まだ大丈夫だから、もう少しマシになるための方法をくれと訴えたら、それはまっすぐに否定をされた。でも自分に「休め」を許せなかった結果、中途半端な診断書を持ち帰った。
朝、眠りから浮上する感覚を覚えると同時に心臓が跳ねるようになっていた。生きている、意識があるということに気づくと心が怯えるのはまあ自然なことかもしれないとその時は思っていたし、動悸そのものは業務に差し障りないから「大丈夫」「ダメ」の判断基準にならなかった。寝覚めは悪いが寝起きは良いので、遅刻もしなかった。
なんの名前を付けたら良いのかもわからないけど、しっかりと質量のある「ダメ」の感触が胸の中に入っている日がある時やって来た。
もっと、動けないとかずっと泣くとか何かが出来なくなったことを以て「ダメ」に『なる』なのだと思っていたけど、そうではなかった。何がどうダメなのかなんてわからないのだけど、相対的な話ではない、とにかく「ダメ」が去来する朝が来た。突発の休暇をとった。休んだ罪悪感を原動力にその週は出勤する、というサイクルをいくらか続けた。
この頃に、「ダメ」になる階段を一歩降りたような気がしていたが、同時に睡眠も食欲も自分の思う「大丈夫」の基準のままだったのだから、二元論で考えることが間違っていたと思う。
この「ダメ」は、「不安」の名前に片付けるものらしい。抗不安薬の頓服の処方を受けた。「頓服」だから、常用してないからまだ大丈夫。大丈夫の数をまだ数えていた。
そんなわけないのにいつもの道が歪んで見える日
物音が大きく聞こえる日
そんなものをちょっとずつずれながら積み上げてきて、綺麗に縛れない新聞の束のような、歪みが溜まっていくような感じがあった
退職願を書いた。
できるだけ綺麗な文字でしかるべき封書に綴じた正しいフォーマットで、すぐに出せる完璧な一筆を仕上げようと思った。
遺書ではないけど、でも心持ちは少し近いかもしれない。白くて郵便番号欄のない封筒が望ましいとネットに書いてあったがコンビニにも百均にもなかった。緊急で必要になる人もいるだろうに。
下書きをして、それを見ながら丁寧に文字を書いた。書いている間は無心になれた。書いただけで、結局出せはしなかった。
退職願も、診断書も、私にとっての「勝訴」の紙にならなかった。結局私は、自分にバツを付けて逃げるのが怖いまましばらく日々を過ごした。
同僚が出勤してくる
涙が止まらない
10時半過ぎ、何も変わらない
ここにいたらもう駄目なんだ、そういう日がついに来たのだと言われた気がした
そのあとは、とにかく手続きを滞りなく進めなければと、社会人として角の立たないように休職の手配をするために自分の感情はどこか棚の上にでも置いたような感覚で、再診の予約をとり会社と連絡を取り、自分を社会と切り離すことに成功した
今、会社に向かう朝も遊びながら帰る夜も無くした私は、子供の頃からの地続きの自分をあの夜の帰路に置いてきてしまって、残りかすの体だけがここにあるような気持ちで布団に横たわっている。じゃああの夜に私は何を思っていたのか、書き出してみようと思いメモ帳に書きつけるが、結局そこにも何もなかったとわかってしまった。今の私の回想だからそうなのか、本当に何も思うことはなかったのか、もうわからない。
ぶっちゃけ、原爆開発の経緯に関してはNHKの暗い番組でも見てりゃ知れる事なので、それ目的だとあえて見に行く程のことでもない映画だった。
教科書には多分載ってないだろうけど。原爆投下の指令出したトルーマンは載っていてもオッペンハイマーは載ってなさそう。
見るべきところがあるとすれば、オッペンハイマーの女性関係やマネジメント力だろうか。
知性もある奴は痴性も強いとでもいいたいのか、オッペンハイマーのヤリチンっぷりはそこかしこで描かれる。インド神話読みながら騎乗位したり、マンハッタン計画中に出張して浮気相手とホテルで密会。
極めつけは聴聞会中に素っ裸になったかと思ったら、座ったまんま浮気相手と正常位でおっぱじめる。もちろんイメージの世界での話だが。このシーンでは斜め後ろに奥さんが居たのだが、まぐわい合ってる2人を眺めながら(要するに聞き取り内容からの連想)さらに浮気相手と目が合うシーンなんかマジでゾッとしたね。
ラストの私は世界を破壊したと呟きながら世界が核の炎で包まれるシーンよりも怖いシーンだった。
まあ始まった時はここのシュールさにちょっと笑ったけど。全裸で聞き取り調査受けてるんだもん。それまで皆服着てたのに。
全裸シーンはここ以外にもよくでる。浮気相手が絡んでると八割エロシーン。
ノーラン作品史上最大長の濡れ場なんじゃないのか。濡れ場あんま無いよねこの人の作品。
おっぱいもちろん出てきます。何か芸術的なポーズを取ってるし何かしら男女間の繰り言をはなしてるのかも知れないけどおっぱいから目が離せない。おっぱいハイマーだ。
悲しいかな、男性のサガだ。こう言うときは無理に目を逸らすよりもガン見した方がいい。見てちゃんと品評するんだ。そうするとなんか大したことのない気がしてくる。
でそのジーン・タットロックのおっぱいだけど、うーん。まあ、アメリカにありがちな巨乳じゃなくて普通の乳という感じ。やや小振りであんまり張りもない。メリケン映画ではちょっと珍しいだらしない乳。メリケン映画は痴にも美学を求めてるのか、大体おっぱいもきれいな形してる。でもこれはそうではない。リアルにありそうな乳。
そう言えば、公聴会のシーン以外だと、大体役者の顔も普通に居そうな人の顔してたね。徹底して。公聴会だと露骨にイケメンな役者居たから、ああこれ映画だなって気付けたんだけど。
もし見に行く機械あったらおっぱい確認してみて、普段見てる映画との差を比べてみるといい