はてなキーワード: ポル・ポトとは
なぜ、反共だけはやめられないんですか?
安倍晋三暗殺事件をきっかけに統一教会(世界平和統一家庭連合)に注目が集まっているが、保守系(反リベラル、反ポリコレ、反中韓)に分類できる文化人のなかで、はっきりと統一教会批判を行なっているのが旧2ちゃんねる(5ちゃんねる)関係者のひろゆきと山本一郎なのは興味深い
一説によれば、旧2ちゃんねるは一時期、統一教会に乗っ取られかけたという噂がある。この点を抜きにしても、基本的に1970年代生まれ以下の世代は、保守や愛国を唱えていても頭の中は近代合理主義者で、土着的・伝統的な家族観とか道徳観はちっとも好きではないのだ。
東浩紀(1971年生)は統一教会を「カルトかどうか判断できないだけ」と述べてひんしゅくを買った。ただ、これは統一教会の擁護というより、スターリニズムや連合赤軍のような原理主義的なドグマに陥ることを恐れるあまり、「二項対立に囚われないように判断保留する」というポストモダンの思考を原理主義的なドグマにしてしまった模様。
一方、三浦璃麗(1980年生)は、何やら統一教会と利害関係があるらしい。
https://twitter.com/333_hill/status/1300961546693083137?s=12
http://japanhascomet.cocolog-nifty.com/blog/2020/09/post-e4d640.html
東や三浦はさておいても、高度経済成長期以降に育ち、冷戦体制崩壊後に成人した団塊ジュニア以降の世代は、基本的に統一教会的なものが嫌いだろう。俺もな。
今では忘れ去られているが、2000~2006年ごろの2ちゃんねるでは、韓国、中国、民主党だけでなく、森喜朗に代表される体育会系、マッチョ価値観の自民党重鎮も不人気で、平然と皇室をコケにする書き込みだって多数あった。非合理的な宗教団体は嫌われ、前近代的な家制度の束縛とかブラック企業的な上下関係を肯定する主張は評判が悪かった。
かつて2ちゃんねるに大量にいたネトウヨことネット右翼は、なぜ韓国人や中国人を嫌悪したのか? 戦前戦中の日本に対する非難が自分個人への非難のように思えた点に加えて、韓国人や中国人の振る舞い(声が大きい、言動が粗暴、上下関係がきびしい等)に「前近代」の臭いを感じ取っていたからではないか。
ネットでは保守愛国を主張して戦前日本を賛美ながら、平然と「中国、韓国は儒教国家だからダメだ」と言う人間が少なくない。お笑い草である。戦前までの日本だって支配階級の基本思想は儒教だった。幕末に尊王攘夷運動が起きたのは江戸時代に朱子学が普及して、「幕府が天皇から権力を奪っているのは忠義に反する」という考え方が広まった結果だ。明治維新後も、明治天皇の教育係の元田永孚は西洋嫌いの儒学者で、名君の教科書として唐代の『貞観政要』を読ませたし、教育勅語は儒教的価値観の産物だ。
だが、どうやら団塊ジュニア世代以下のネトウヨの頭の中にある理想の日本は、最初から西洋的価値観の近代国家だったらしい。彼らには古代中世の日本の伝統的価値観を本気で学ぶ気などなく、和歌や能楽や歌舞伎や浄瑠璃より、漫画やアニメやゲームが好きなのが本音だろう。そういえば橋下徹も、平然と文楽の予算を削減しようとしてたな。
「保守・愛国を唱えながら近代合理主義で何が悪いの?」と言う人もいるだろう。世の中には、何も悪いことをしてない人間にも病や死や不幸が降りかかったり、不合理がいくらでもある。何でも理性で解決できると思い、現代人から見れば非合理な考え方に従っていた古代や中世の人間を愚かとしか見なさないのは、思い上がりだ。そうして過去の時代の人々という他者への想像力を持とうとせず、過去の世代が積み重ねてきた道徳観への敬意がなくなると、経済的な損得ばかりが最優先の価値観になる。「皇室の維持は国費の無駄だから天皇制反対」と言い出す者も出てくるかもしれない。
そうなれば、単に力(財力、権力、情報発信力)がある奴が勝ちだ。日本でもドナルド・トランプのような男が国家元首になるかもしれない、トランプならまだ人物的に面白味があるが、竹中平蔵やワタミが大統領になったら本当にイヤだぞ。
統一教会は2015年に世界平和統一家庭連合と改名した。団体名に「家庭」とつくのがポイントだ。自民党による憲法改正案で、第24条に加筆された「家族は、互いに助け合わなければならない」という一文は、統一教会の主張と同じだといわれる。また、「こども庁」の名称が「こども家庭庁」となったのは統一教会の影響という説もある。
https://twitter.com/izumi_akashi/status/1548537253018103808
つまり、統一教会はとにかく家族の重視を唱える。彼らの教義は、俗流キリスト教と、家父長の権威や先祖供養を重んじる東アジア的な儒教道徳の混合物で、教祖の故・文鮮明をお父様、その妻の韓鶴子をお母様と呼ぶ。このような教団組織という大きな家族への絶対服従を唱える思想が、皮肉にも結果的に山上徹也個人の家庭を破壊した。
『週刊文春』7月21日号では、橘玲が「リベラル化した社会に敗れた男の”絶望”が暴発した」と題して、安倍晋三を暗殺した山上徹也のことを論じている。現代は家制度の束縛などが機能しなくなった「自由」な社会だが、それゆえに自力で自己実現できなかった孤立した人間が増えているといった内容で、その極端な暴発例に2008年の秋葉原通り魔事件や、2019年の京アニ放火事件を挙げている。指摘自体はおおむね間違ってないだろうが、なぜそのような世の中になったかの説明が抜けている。
リベラル思想以前に、社会構造の変化がある。そもそも、伝統的な家族観、家父長の権威とか、早く結婚して何人も子供を産むのが良いことだという考え方は、近代以前の農村社会が前提だ。農家は個人経営で、家父長のもとで妻子が一緒に農作業し、働き手として子供の数は多い方が都合よいから多産が奨励された。そして、農地という生産手段を継承するために血統の存続が重視され、先祖からの連続性が意識されていた。漁村も商家も同様に家族経営が基本で、船や商材を継承するため家制度が重視された。
ところが、産業革命期以降になると、農村の余剰人口は都市に流れて工場労働者となり、先祖代々の土地と家から離れて生きるようになる。労働者はみんな家庭外で雇用され、子供は家族から切り離され、父親も母親も子供も(昔は各国で児童労働が横行していた)ばらばらに働くようになり、自宅の窯でパンを焼いたり時間をかけて食事することもできなくなった(『世界の歴史 第25巻』(中央公論社)270p)
統一教会のような反共主義者は、「左翼リベラル思想が伝統的な家族観を破壊した」と主張するが、この解釈は因果関係が逆転している。共産主義は、工業が発達して伝統的な家庭を成立させる農村社会から切り離された都市労働者が世にあふれた結果から生まれた思想だ。マルクスより先に、経済的利益のために伝統的共同体を解体して蒸気機関と工場労働者を世に広めた資本家がいたのである。
逆に、農村社会に戻れば前近代的な家父長制は復活するだろう。だったら、商工業を全否定して国民を農村に強制移住させたポル・ポトのカンボジアこそが理想かよ?
先進国では工業化社会がさらに進むと、世の中は第三次産業中心になり、庶民はみんな勤め人の都市生活者となっていった。これは産業社会の要請によるものだ。以前も書いたが、(https://gaikichi.hatenablog.com/entry/20170522/p1)高度経済成長期に中卒や高卒で都市の工場や商店に就職していった女性は、左翼リベラル思想に影響されて社会進出し勤め人は世襲の家業ではないから、妻子が家に従属する必要はない。リベラル思想に関係なく、前近代的な家制度の束縛が弱くなるのも当然だ。生まれた時からこういう環境に慣れきって育った世代が、家父長の強い権威やきびしい上下関係を嫌うのは必然だろう。
こう書いている自分も、会社員の家の次男坊で、実家に従属する義理はないから上京以来ろくに親元に帰らない。長男の長男だった兄まで、ついに生活のためやむなく父の墓がある土地を離れてしまった。先祖代々の土地や家業を持ってるのではないのだから仕方ない。
統一教会のような保守派は、家族が大事だと主張するけれど、口先の精神論ばかりで上記のような社会構造の問題にまったく踏み込めていない。
困ったことに、農村社会や家制度のような伝統的な中間共同体が力を失うと、その代替物として、一足飛びなナショナリズムかカルト的団体に帰属意識を求める者が増える。
エマニュエル・トッドは、『シャルリとは誰か? 人種差別と没落する西欧』(文春新書)で、宗教的伝統が衰退すると代わりに排外的ナショナリズムが台頭すると述べていた。何でも、ドイツでは19世紀末から1930年代に昔ながらの教会を中心とした農村共同体が弱体化した代わりに反ユダヤ主義が台頭し、ナチス支持につながったという。
統一教会をめぐる報道で、山上徹也の母のように財産すべて差し出す信者の気持ちが理解できないという人は多い。しかしながら、外部から見ればいかに狂信的な団体でも、内部の信者には何らかの「魅力」がある。
先に述べたように、世の中にはいくらでも非合理的なことがある。それまで合理主義者だった人間が、病や死のような自分の力に直面していきなりオカルトや宗教に走った例は少なくない。帝国海軍の名参謀だった秋山真之や、アップルのスティーブ・ジョブスのような英才も、最期は近代医学に頼らず怪しげな方法に頼って病を治そうとして、かえって早死にした。こういう極端な思考に走らないためにも、世の中は理性で解決できないこともあると頭の片隅に置いて、非合理的なものへの免疫をつけておくこと必要だ。
そこまで追い詰められなくても、「大きなものにつながりたい願望」を抱く人間は多い。人には何かに帰属することによって得られる充実感というものがある。これは左派陣営の団体も同じだ。
こう書けば左翼リベラル派は激怒するだろうが、世の中には男尊女卑や家父長制に身をゆだねることに安心感を抱く者もいる(俺自身は嫌いだが)。いかに社会制度が近代化しても、誰もが自立した個人になれるわけではないのだ。
あの気持ち悪い集団結婚式にしても、なまじ自由恋愛の時代になると結局誰も選べずに結婚相手が決まらず、いっそ超越的な立場の第三者に一方的に決めてもらう方が安心、という人間も世の中には一定数いるのかもしれない。
これも以前に述べたが、カルト宗教などが行う洗脳とは、命令に従わせることではなく、被洗脳者が自発的に洗脳する側に忖度するように”誘導”することである(https://gaikichi.hatenablog.com/entry/20121101/p1)。
その手段として「場の空気」の力がものを言う。場の空気を使った洗脳はじつに簡単だ。こんな話がある、皆さんはカップ入りアイスクリームを食べるとき、どこから食べるだろうか? たいてい最初はカップの縁にスプーンを入れるだろう。あるとき数人の集団で、1人を除いた全員があらかじめ示し合わせて、みんなカップの真ん中にスプーンを入れて食べ、残った一人を「端っこから食べるなんてセコいなあ」と言ってからかった。仲間外れにされた1人は本気で、自分の方が異常で、アイスクリームは真ん中から食べるのが世間の常識だと錯覚したという。
これと同じように、閉鎖的な教団内では容易に「みんな多額の献金をしてるんだから、そうしない自分の方がおかしい」と思い込むように仕向けられる。宗教団体も、ネットワークビジネスも、会員制オンラインサロン商法も同じだ。
信者は教祖や教団幹部個人の命令に従っているというより、信者集団の「場の空気」によって献金しなければならない気になっている。周囲にいる人間が競い合って同じことをしているのに、自分だけそれをやらないと自分の方が変だと思い込んでしまうのだ。そりゃ「空気を読む」ことが至上の美徳という価値観で育った日本人なら従ってしまうだろう。
2022年現在の状況では、まだまだ自民党に対する統一教会の影響力は強そうだ。しかし、このまま上記に述べたような近代の社会構造が続くのであれば、20~50年ぐらいの長期スパンで見た場合、統一教会的なるもの――家父長制バンザイのカルト宗教は徐々に人気を失っていくだろうと考えられる。
実際、100~200年ぐらいの視野で見れば、左翼リベラル陣営はずっと勝利し続けている。世の中は、近代的な商工業が発達すればするほど、上下関係は緩くなり、男女は平等に近づき、セクハラやパワハラは嫌われ、体罰や理不尽な校則は廃止される方向に進んできた。
ただし、それは必ずしも自由平等人権といったリベラルイデオロギーの魅力による勝利ではない。単に文明の発展によって、人間が図々しくなっただけだ。
近代以前はあらゆる労働が筋力中心だったから、無条件に成人男性が一番偉くて、女子供は成人男性に従うものだった。しかし、そのような価値観は、スマホやコンビニやAIやドローンの普及と引き換えに後退しつつある。あるいは、汗臭い筋肉労働を人件費の安い海外にアウトソーシングしたり国内の視野から消し去っただけだ。外国人技能実習生の世界では、依然として日本人相手なら許されないパワハラが横行している。
いかに自由平等人権といったリベラルイデオロギーの字面が美しくても、思想だけで世の中は動かない。民主主義は古代ギリシャにもあったが、あらゆる労働が人力の時代だったから、ついぞ奴隷制は廃止されなかった。19世紀に入るとイギリスもアメリカも奴隷制を廃止したが、それはリベラルな人道主義者の主張より、奴隷を使うプランテーション農場と比較して工場経営のほうが儲かると判断されるようになった影響が大きい。
統一教会による霊感商法、巨額の献金要求は許しがたい犯罪行為で、自分もこういうカルト宗教は大嫌いだ。ただ、統一教会的なものを嫌悪する自分たちは、たまたま土着的な農村社会が崩壊して家制度の束縛が機能しなくなった時代に生まれ育ったから、統一教会的な家父長制価値観への Permalink | 記事への反応(1) | 23:06
「情報」免許なしで教える公立高校の教員 全国で1100人超 | NHKニュース
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www3.nhk.or.jp/news/html/20220202/k10013461891000.html
BIFF 平成17年教員免許の取得課程や採用制度についてのWG議事録。10ページ目くらいで現行制度の効果測定の有無を問われて異常な発言し始める文科省の方々。。https://www8.cao.go.jp/kisei-kaikaku/old/minutes/wg/2005/0712/summary050712_01.pdf
d0id0i BIFF氏の参照した文部科学省の議事録、正直すごすぎて震えた。日本の教育制度ってこれで運用しているのか...
いや、なんでその議事録で文科省の方がおかしいということになるの…
同じ世界に生きてるようで、本当に見えてる世界が違うんだなあ。
単にあんたら、前川氏が嫌いだから何もかも揚げ足を取ろうとしてるんじゃない…?
議事録が話題になった当初は、前川氏に言いがかりをつけているワーキンググループの方がよほどおかしいと指摘されてたよ。
前川喜平氏 発掘された12年前の「笑ってはいけない議事録」が話題に - Not-So-News
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/nots.hatenablog.com/entry/2017/07/26/120000
bottomzlife いや、これどう読んでも「教員の適格性」というものを"科学的に"定義できていないWG側がおかしいだろ。そりゃ官僚も定義を示せとキレるわ。大阪の「校長民間化」とおなじ当時の流れでしょ?結果大失敗してるんだが
is11045 これは今の加計問題と同じで、小泉竹中の規制改革の旗竿に乗っかって内閣府が文科省の制度改革に踏み込んできたので、前川としてはその議論の土俵自体をひっくり返そうとした訳で、背景まで見て論評すべき。
masgaram このやり取りだけだと文科省がまともで、委員が曖昧な要求をしてるようにしか見えない。全員同じ制度で教員になるなら、効果的かどうかは現状のその制度だけのデータからは分らないだろ、理性で考えろよ
abtendon 全文の要約。「俺が薬を出してやる」「どこか悪いんですか?」「どこが悪いか決めてやる、データ出せ」「なんのデータですか」「それはお前が決めることだろ!」「??」「地方自治法のエビデンスを出せ!」「??」
egory_cat 現行制度で特に問題がないのなら、現行制度のままでいいに決まってるだろ。「いや違う、問題がある」と言うのなら何が問題なのか挙げてみろと言われるだけ。
HarYos この文章を読む限りWGも文科省をやり込めるのが目的で、具体的に改革しようという気はサラサラないように見える。データだしてよ、何を出すかはそっちで決めてよ、じゃあ。もっと文脈を見ると色々あるのか?
yas-mal 福井氏の言う「効果測定」の意味がさっぱりわからない。新しいものを導入したときに効果を見るのが効果測定だよね?…現行制度の「効果測定」って何?何との差分を見ろと言ってるの?
son_toku 現行制度のエビデンス出せっておかしいでしょ。今の制度に決まったのはきまった当時のオーソライズがあるんだから。何もかもエビデンス(特に数値的エビデンス)によって決められるなら何も苦労はない。
siomaruko 流し読んだが前川氏の対応は至極まっとう、WGこそ論理的科学的に物言えば?て印象。12年前て安倍が愛国心だの美しい国だの過激な性教育がどうだのとわけわからん愛国電波発しながら教育現場に圧力かけだした頃だっけ
aramaaaa まるで冷静な学者に詰め寄られる官僚みたいな扱いだが、福井って言うのは元建設官僚、安念は弁護士で二人とも教育はまったく素人。こんな連中が教員免許制度改革をぶち上げてたのも恥ずかしいばかり。
kyoto117 「養成制度や免許制度の効果測定について、実証的で科学的なもの」とは?それを文科側で考えて提示せよってエスパーかよ。別にできんことはないと思うが、そんな暇ねえし、そのままにしたらやらされる。辛い。
snobbishinsomniac 今の教育制度は戦後の教育改革に端を発するのに歴史的文脈もわきまえない素人とは話が通じないというだけ。世の中のあらゆる資格についてエヴィデンスを求めるのか。/役所の職務の正当性は法令で担保されてる。
kyo_ju 福井秀夫とか最近だと八田達夫とから辺のまともな理屈が通じない幼児的全能感に溢れた連中相手に毅然と応戦して偉いとしか言えんが。
udon-muscle そうは言っても世の中の制度が全部根拠があってやってるわけじゃないからなー。前川さんだってそんな事俺に聞かれても知らんとしか言えないだろう
sfken 教員免許制度をなくした場合の影響というエビデンスなんてどこかにあるものなんだろうか?ポル・ポト政権とかか?専門家の教育の取止めというドラスティックな案出すならそっちこそ根拠必要なのは当然では。
youkass912 ワーキンググループとか諮問会議の類は、素人がそれまでの経緯を知らずに結論ありきで詰問するので、官僚としては抵抗するだろう。この会話の是非も、委員らの「導き出したい結論」によるのでは?
t_massann 教員免許の試験の効果があるかないかを本当に議論しようと思ったら、免許を持たない人に教員になってもらって比較しないといけないんじゃないかな?これで前川さんがおかしいということになるの?
rauman-men 「自動車免許取っても事故や違反する人がいるじゃないですか。運転免許って意味あるんですか?何を根拠にこの制度を信じてるんですか?エビデンス示してください!」ってぐらいの難癖。
p_r_party いやーこれ分かる!前川氏の気持ち分かる!「まだ問題があるかもしれない。障害が無い根拠を示せ」と言い続けるバカSIerの元請けと同じ。エビデンス出せ、だけしか言えなくて、何処が問題か推論さえ言えないバカど
chopin14 WG側の「学業における単位取得が教員の適格性とどう関係するのか?」という問いは馬鹿だ。教員はまずもって学業を教えるのが仕事なので学業の知識は必要条件(十分条件ではないが)。それは成績=単位で図るのは合理的。
filinion 教員養成課程を改善しよう、ならまだわかるが、「今の免許制度は全然無意味!意味があるなら証拠を出せ!」って…。無免許教師と対照実験でもやるの? 運転免許や医師免許に置き換えたら、無茶な話だとわかるはず。
blacksorcery 現状、教員免許を持たない教師のデータがないのに、教員免許の効果を示すエビデンスを出せってのは無理難題。他国に比べてとか、もう少し疑問に対しての根拠がなければ議論にならない
kaerudayo こういうのが、印象操作って奴かい。で、改革で学力が上がったり、現場の疲弊感は下がったり、国民の満足度は上がったのか?
tenchikometen 議論を知らないと、こういう論評になるかな。基本、現状を変える、疑義を挟むほうが、まずは説明責任を負うのに。「現在の教員養成・免許制度が、教員としての適格性をどのように保証しているのか」無理な質問
world3 前川氏は何も間違っていない。文科省も規制改革会議も同じ国の機関なのだから、規制改革会議が「お客様」的な立ち位置で文科省に一方的に立証責任を押し付けるのは筋違い。
white_rose いちゃもん付けにつきあわされて大変だなとしか思えないのだけど、ブコメ見ると党派性でここまで目が曇るのかと
そう感じている。
毎朝、改札で止まっているおじさんがいる。先にカバンから出すなどして準備しておけばよいものを、必ず直前で立ち止まってガサゴソしているため非常に目立つし、「邪魔だろ」と叫びたくなる。出社すると業務の半分くらいは「てめーがやれ」と言いたくなるようなことであり、会議の9割くらいは「それ今?」と思う。
退社してスーパーで買い物をしていると、お刺身のパックを見て「イカで空いたとこ埋めるんじゃないよ」と思い、広告の品という黄色のポップを見て「いつもこの値段だろうがよ」とパネルになった香取慎吾の胸倉を掴みたくなる。レジではおばあちゃんがリュックサックからセカンドバッグを取り出し、セカンドバッグから巾着袋を取り出し、巾着袋から財布を取り出し、律儀に小銭を探す後期高齢者特有のマトリョーシカを展開していた。帰る前にコンビニに寄ると、いつもいる店員さんに「クイックペイで」と伝え、毎回Edyを用意される。「せめてPayPayとか響きだけでも似てるやつにしてよ」と思いながら、「あっすいません、クイックペイです…」と謝る。袋の有無は聞いてくれないが、本当はいつも欲しいと思っているんだよな。たまに銀行のATMに寄ると、俺が知らないだけでNETFLIXとか観れるの?と思うくらい長期戦の構えを見せているお年寄りがおられる。
帰宅して食事をしながらYouTubeを開くと、ひろゆきの不快な顔がオススメされて「死ぬまで見ねぇよ」とイライラする。そして目当ての動画を開くと、開始前に必ず脱毛を5秒間オススメされ「必要なのは増毛だが、どんな検索結果を基に表示を?」とキレそうになる。
要約すると、私は1日の中でかなり頻繁に「ア゛ー!!」と絶叫したい状況に出会いながら、それをしないことによって「こっち側」に留まれている。それはインターネット上でも同様だ、ということである。
一方で、Twitterなんかを見ていると企業の公式アカウントに謎のリプライを吊るしている方や、増田で突然関係のない話題からレスバを開始される方、もはや私人となられた元皇族の女性の去就にキレ散らかしている方、他人の食事や生活にひたすらケチをつけておられる方などがたくさん居る。また、私の会社に特定の番号で毎日あることないことお叱りの電話をくださる方、落語やってんのかと思うくらい長時間大宮駅のみどりの窓口で何かを訴えている方、とくに重要な機密を抱えているようには見受けられないが集団ストーカーから被害を受けていると毎日私宛に長文のメールを下さる他部署の事務の方、などなど、世の中を見回してみるとけっこう多くの方が"イカれたメンバー"として紹介して差し支えのない仕上がりを見せつけている。
おそらく上述の中でも少ないくない方がなんらかの精神的な疾患を抱えていて、それに関しては単純に適切な医療につながって欲しいと思うだけなのだが、そうではなく単純に性向あるいは思想信条としてそういった状況にある方に対して最近の私が思うことは「この方達と自分を分かつ差はどこに…?」という、純粋な不安だ。たまたま私は口に出していないが、何かのタイミングで普段のほんのちょっとしたイライラを口に出した瞬間に「あっち側」のメンバーになる感じ。その「何か」が何なのか、そうならないためにはどうすればいいのか。インターネットやめますか、それとも人間やめますか…?何となく、自分が一応「普通の人」側にいる(と少なくとも思っている。まあ狂人はだいたいそういうことを言うもんですが…)ことが、たまたまに思えてならないのだ。
おそらく当事者の方に聞いても全員おそらく普通の人側だと思っているだろうからあまり参考にはならないだろうし、先行研究の文献は中島敦『山月記』とかになる。ただ、私は怖くて仕方がない。いつかインターネットを彷徨うヤバ・オジサンに自分がなってしまうその日が…。なんなら、この文章を増田に投稿する時点で既に虎でいえばちょっとシッポ生えてきちゃってるような気もする。今やポル・ポトみたいなことを言い出している藤田孝典も最初はまともな感じだったし、元々は学識のある人だろう。反ワクチン界隈の医者とかも最初はまっとうに優秀な人だったんだろうな…と思うと、この「虎になっちゃう」トリガーが何なのかが非常に気になる。中島敦先生、または、はてな諸賢の御見解を賜りたい。