はてなキーワード: ポポポポーンとは
13年らしい。当時小4だった俺もいつの間にか会社員になってしまった
自分は東海地方に住んでいたのでこれといって何かあったわけでもないが、忘れないうちに当時どうしてたか、忘れられないことを雑に書き留めておこうと思う。
3月11日といえば当然年度末も年度末であって、通常授業は終わっていた。
当時は確かもう5限授業になっていたはずで、普段の教室のワックスがけをやる日だった。授業は半分自習で、普段使わない教室がある旧校舎で行っていた。
今ではすっかりデブ陰キャだが自分は当時まだまだ体力があったので、5限目の間ワックスがけを手伝うメンバーに加わっていた。
で、地震が来たのはワックスがけも終わり道具を片付けに歩いている間だったはず。遠かったのもあって揺れはわからなかった(近くにいた上級生が机の下に飛び込んでいたのはよく覚えている)
「デカい地震が関東東北地方でありました(要旨)」という校内放送が数分後にあった気がする。自習は普通に続行だった。
自分は揺れが分からなかったので「まだ揺れてたりしないだろうか」と教室の壁にかかっていた防犯ブザーを眺めていて、自習は全く進まなかった覚え。(時間的に10分も授業残り時間がなかったんじゃないかな)
当時集団下校ではなかったはずなので、帰路は一人で帰ったはず?帰宅は逆算する限りちょうど15時20分ぐらいだと思う
帰宅するや否や祖母に「凄いことになってるよ」と言われTVの前に座らされて、漁港に津波が届く様子を食いつくように眺めていた。あの映像は一生忘れないと思う
(余談だけどこの映像、毎年のように探しているが未だに見つかっていない。漁港から生中継だったはずで、地上に津波が登り始めてから海岸ぐらいに止めている車が流れだすまで。流される大量の青いカゴと複数台の軽バンが真横のアングルから映っていたはず)
その日そのあと何をしたかはもう覚えていない。もっと早く書き留めておけば思い出したかもしれん
ポポポポーンよりこだまでしょうかの方が怖くて印象深かった思い出。
以上。雑書き終わり
2011年の自粛モードは酷いもので今回はそうならないように早めにバラエティを流す方針だったように思う。
これで救われる人もいたのかもしれないが…
外国ではそのテレビ局の様子を見て日本の今回の災害は大したことはなく、まだ余裕があるようだという話が広まっていた。東日本大震災のときと比較されている。
実際に被害が甚大だという話があまり拡散されていないようだ。死者数も二桁情報でそれ以降の話があまり話題になってないようだ。
じゃあどうすればいいのだろうと思うのだが、とりあえず被災地に寄り添う姿勢はバラエティでも常に見せていくべきなんだと思う。
バラエティは完全に世間と切り離したものというのは、またやり過ぎなんだろう。
忘れたいと思う気持ちもわかるが、リアルタイム性のあるテレビ局にそれを求めるべきではないのかもしれない。いまや配信サイトもあるし情報遮断したいなら、それを見とけばいい。
と思って広げようと思ってシェアーハウスに計7年くらい住んでたけど、
自宅だとリラックスしてなんーも外行きの精神になれなくて、住民と絡んだことがほぼ無かったなー。
厄介住人が増えて嫌気がさしたことと、掃除当番マトモにしないヤツばかりでクソ汚いのを尻ぬぐい掃除する馬鹿馬鹿しさと、管理会社が全く家のメンテをしないのと、コロナ感染拡大の割と大きな要因が家庭内感染ってリスクもあり、引っ越して久しぶりの一人暮らしで解放感ある。
衛生レベルが一致する者同士じゃないと同居するのは難しいわねー。じゃないとキレイ好きなほうが尻ぬぐい掃除することになる。
なんかー 喋る意思のある住人が、ややウェイ系入った人しかいなかったり趣味合わなそうだった。
趣味合いそうな人は喋る意思が無くてハードルが高かったし。前のシェアハウスのほうがオタク寄りな人間ばかりだったのでまだマシだったかも。やっぱ陰キャコミュ障オタクがシェアハウスするなら似たオタク同士のほうがまだマシだわ。まあそれでもなお交流できるかは怪しいけど。
ていうか、リビングでだらだらヒマそうにしてる人を見かける機会があんま無かった。そういうときじゃないと声かけられないじゃん。雑談の。しかもリビング占有してるのが例の厄介住人だった。いつも。無理。
普通のリア充の人って、生身の人間と絡むモチベーションってどうやって捻出してるの?
やっぱ自分って人間への興味が薄くて、モノとか現象とか物語とか、動植物とか、人間以外のほうが興味が強いんで、そっちのほうやってたほうが結果的に交流増えそうな気はする。
昔ならもっとこう、「近所」とか「地縁」とかの概念があり、双方の交流のモチベーションがあって会話が発生してたのかも知れないけど。なんか現代ってさ理由が無いと会話が発生しなくない?なんか正当な理由なしに話しかけるのがアウトみたいな風潮あるよね。世知辛いねぇ。あいさつ・声掛け運動をすると「事案が発生」して警官に声かけされる時代だ。ポポポポーンwwww
大阪のほう行けばいいの?
動画の最後に放たれる「ご視聴ありがとうございました」的なセリフが聞きたいのだ。
俺みたいな低層な人生では、日常を生きていて「ありがとう」なんて言われる機会はなかなか無い。
だから、その「ありがとう」が俺ひとりを向いたものでなかったとしても、その言葉は心に染み入る。
ちなみに、YouTubeにハマるまでは、コンビニやたばこ屋がその役割を果たしていた。
しかし、そこでは「ありがとう」の発生に何らかのコストが発生するため、おいそれと多用できなかったのだ。
それなのに、YouTubeは無料だ。これは嬉しいことだ。一日に何十回でも「ありがとう」と言われることができる。
一円も払わなくとも、ただ動画の終了までひたすら待つだけでいいわけだ。なんなら、動画を最後まで飛ばしてしまえば済む。
しかし、それではせっかくの動画作成者に申し訳無い。ちゃんと、10分でも20分でも動画の終わりまで、ウサギのように早送りせず見る。
そうやって待ちわびた後に来る「ありがとう」は風呂上がりの一杯を思わせる貴重なものだが、
それでも、そんなことをしていては、受け取る「ありがとう」の濃度が下がってしまう。
もっとたくさんの「ありがとう」を浴びたい。俺の人生を祝福する「ありがとう」の言葉が聞きたい。
最初のうちは、自分が普通に生きていれば知らないような内容の動画を作って頂いた上に、
さらに私というさもない存在に感謝の言葉が頂けるなんて、動画作成者はなんて低姿勢な人たちなんだ!とも思っていたが、
今や、長い雑談の上に「バイバイっ」じゃねーんだよ、欲しいのは「ありがとう」の一言なんだよ!と悪態をつく始末。
だから、こうなったら、他人に頼らず自分で動画を作ってYouTubeにアップすれば済むような気がしている。
10分、20分もかかる動画じゃなく、数分で終わるようなやつ。そして、最後に「ご視聴ありがとうございました」と必ず言うやつ(重要)。
ただ、自分の声で感謝されても気持ち悪い(なんで、マイクを通すと自分の声はあんなに気持ち悪く聞こえるのだろう?)、というか、
自分が自分に「ありがとう」と言う惨めな気持ちの方を強く感じてしまうので、声は何とかロイド(白元じゃない)ってのを使うことにしよう。
そうすれば、その動画作成者が自分であることも忘れられるし、気持ちよく「ありがとう」を浴びられる。
それでも、同じ動画を繰り返すのではダメだ。それでは笑い袋を押し続けるのと変わらず、満足が足りない。
色々な人に「ありがとう」って言われたいんだ。だから、動画も一本では足りない。
短い動画をたくさん作ろう。でも、たくさん作るためには、色々なことに興味を持つ必要がある。
今のままでは無理だろう。色々な本を読む必要がある。なんなら図書館に行ったり。
外出が増えるだろう。社会に出ていく必要がある。さらには、誰か他人に話を聞いたりする必要もあるだろう。
また、動画を作るには解説する態度を身につける必要がある。その相手には知識を請うだけでなく、
自分の意見を聞いてもらうことも必要だ。その上で議論になったりするだろう。相容れなくて仲違いもするだろう。
しかし、私には「ありがとう」が必要なのだ。「ありがとう」を自分に聞かせるために動画を作る必要があるのだ。
だから仲直りをする。仲直りをするための努力をする。そうできるだけのコミュニケーション能力も必要だ。
仲直りをすると、相手も謝ってくるだろう。自分も仲直りしたかったといった内容で。
自分も謝りたかったけどできなかった。だから、謝って来てくれて嬉しかったと感謝される。
感謝される。
感謝される!
なんだかしとしとと雨が降るけどモイスチャーな湿度で私はこのぐらいが好きだわ。
なんかあんまりパッとどっか行くにも行けないところがなんともモヤモヤするわね。
そうそう、
あのさ、
今居酒屋で炊飯器というかご飯炊く業務用のとかが爆売れしてるの知ってた?
無観客でユニバーサル・スタジオ・ジャパンを開催しなさい!って政府が言うぐらい頓珍漢なことと一緒と言っても過言ではないんだけど、
そう言うお店にしたら、
へー、
私はそんなにご飯食べられないけど、
絵もない花もない歌もない飾る言葉もなくて
お酒なかったら、
居酒屋ならぬ居飯屋って言い換えちゃった方が良いかもしれないわね。
もう当たり前に
まるでポポポポーンばりの
しつこいビールのシーエムの繰り返しよね。
美味しい美味しい!って言ってるけど
半信半疑だわ。
半飯半汁って言葉があって、
ご飯に汁物ぶっかけて食べるのなんて信じられない!ってドン引きしている様を表した四文字熟語があるぐらい笑っちゃうわ。
あんまりビールビール言われると飲みたくなくなっちゃうって言うか
推されると引くみたいな。
だから
どっか出掛けたいなーって思いつつ
他府県ナンバーだと
生卵投げられそうなので警戒したいところね。
そう!
思い出したけど、
私免許取っていきなりアメリカで国際免許且つデビュー戦がいきなりアメリカ本土だったという華々しい経歴の持ち主なんだけど、
いきなり上手に道走れないし、
しかも右左通行逆だし、
とろとろ走ってたら、
追い抜かれざまに
ホームステイ先の人にごめんなさい卵ぶつけられたって言ったら、
あらあらまあまあって笑ってたけど、
そのあと車の卵を洗うんだけど、
あれってなんであんなに臭いの?ってたまたま腐った卵でも投げる習慣だったのかしら?
「ネコにエサをやるな」ら美味しいのをね、を地で行くように
投げるなら新鮮なのをね!って思ったわよ。
今思えばこれが私のリアルなマリオカート的なデビュー戦でもあったのかも知れないわね。
卵ぶつける?
まあ日本国内じゃ、
いま遠出遠慮よろしく県境またいでも卵は投げられないとは思うけど、
そういう所とかを今思うと
とりあえず
とーくに行って
車内から増田書くって言ううってつけの増田ライフがあんじゃない!って思った矢先よ。
出先だと筆が進みそうじゃない?
まあ
そう言う車の中で増田を書いてる人を見かけても卵は投げちゃ駄目よ。
とりあえず、
うふふ。
これ美味しいんだなー
苺パック1パック買ってきたので
半分は美味しそうだったので食べちゃったのを
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
もう辛抱たまらん!
だれも今回の選挙の争点としてあげてないから、うんこの話させてくれ!!
何年か前の駅のトイレなどの悩みは
紙がないことだったよな。
しかし、最近はもっぱら駅にいっても満員御礼で、ちっともトイレ(大)から出てきやしない。
だって耳をすましてもブリブリしてないし、なんならプリッとしてないのに、最終的にズボンあげる音しかしてないもん。
おまえら絶対だいぶ前にうんこ終わってるだろ!いい加減にしろーーーー!!
おまえがツムツムしてる間、待ってるみんな漏らすの詰む詰むって戦ってんぞ!!
今すぐアプリ会社はポケモンGoみたいに歩きスマホはやめましょうにならって、トイレでスマホはやめましょうって、入れろ!!今すぐだ!!!
特にパズドラ、モンスト、グラブル、メルカリ、line、ツムツムは明日から対応しろ!!うんこさせてくれー!
そして、ACジャパンお願いだ!
なんならそれでもっと会話とか増えてカップルとか夫婦が幸せになれ!!
あとビルとか公共のトイレは電波通じないようにしろ!あっ、危険をかんじたときのため110番とかは許す!とにかく早くうんこさせてくれ!!させてください!!!
とにかく三回くらい漏れそうで、ガクガクふるえたことあるし、無宗教なのにそのときばかりは神に何度お願いしたか。
頼むよ。日本!
これ政治家マニフェストにしたら絶対盛り上がると思うんだ!どう思う?
神に誓って、なんならトイレットペーパーの紙に誓ってもよいぜ!!
俺からは以上だ!!
実家で作られるおせち料理は、年々少なくなっている。少なくなるのが分かるたびに、この家で成長してきた年月と、経過した時間の長きこと、そしてそれらに反比例するかのように、この家族構成でいられる残り時間の少ないことを思い知ることとなり、いささか悲しいのも事実ではある。やんぬる哉。
もう戻らない時間や記憶に思いを馳せるよりも、これからやってくる時間に対して思案を巡らせばいい、という人もいるにはいるが…僕にとってこれは、簡単なことではない。なぜなら、私は、確実に、未来永劫これだけは信じることが出来るという存在を持っていないからだ。こんな人は、多くはないけども、少なくもないと思う。
3.11以降、僕は、直感以外の信仰を失った。人様は皆僕に良くしてくれるという、他人に対する信仰。これからやってくる明るい未来に対する信仰。原子力発電所は安全安価なエネルギーだという信仰。日本は発展していくという信仰、そして、自分自身の可能性への信仰。
世間知らずの高校生が、勉強もせずに怠けているばかりで生きていけるほど、進学校は甘くはない。それまで抱いていた自分に対する多能感は完膚なきまでに打ち砕かれ、悩み苦しむそのさなかに、かの巨大地震が起こった。
日本テレビの中継で、水素爆発を起こしたフクイチの建屋が映る。親父は呟く。「これは、やべえな」と。日本はここで一度、死ぬのかもしれない。ただし当時のトレンドは、「日本死ね」ではなく「枝野寝ろ」だったり、「ポポポポーン」だったりした。
室町時代の僧侶・一休宗純は、元旦にはドクロを先端に付けた錫杖を手に、「御用心、御用心」と言いながら京の町を歩いたという。祝賀ムードに水を差すような行いではあるが、生と死、破壊と再生は表裏一体と考えると、わずかに彼の行いの意味も理解できるレベルに落ちて来よう(枝野のくだりなどはこれの逆バージョンだったのだろうか)。
大学へ進学しても無気力は変わらなかった。テストやレポートを何とか切り抜け、仕送りのみで生きる生活。友人は少ない。
ひとつだけ、かねてからの夢があった。それはとにかく、海外へ行くこと。最終学年のこの年、一念発起して英語圏へ英語留学へ赴いた。今思い出せば、見るものすべてが面白かった。
留学へ行ったものの、日本人とも多く話していた。しかしながら、現地の日本人で、「日本は今後も変わらず発展していく」といった楽観的意見を表明した者は、誰一人としていなかった。来たるべく破壊を念頭に置いて、生存もしくは自己表現の為に英語を学ぶ者も少なくなかった。友人の何人かは現地のグローバル企業でインターンに参加していた。
不確実な今の世の中で信じられることは、「生き物は、いずれ死ぬ」といったことだ。このことでさえ、神隠しや行方不明、あるいは死後神になるといった思想や、高尚で極めて分かりにくい哲学的議論により、疑問符が付きうるのだ。世間がどれほど不確実なものか。
冒頭で、「これだけは確実だと信じられるものが何もない」と書いたが、「生きているうちに日本が死ぬ」ということは、怪しいがあながち信じられないものでもないと思う。3.11のような巨大災害などを契機とした日本社会全体の急速な崩壊が起こる確率は、社会階層が流動せず格差だけが拡大し、労働時間の増加が止まらず、社会保障費の増大によって巨大な負債が残ることで静かに日本社会が死んでいく確率よりも低いとは思うのだが、いずれにせよ、「これは、やべえな」という不安を感じざるを得ないような、今年はそんな一年だった。もちろん、フクイチのように顕在した不安を感じる現象はなく、漠然とはしているのだが。
おせち料理だって、今後もっと少なくなり、絶えてしまうか、別の料理に変わってしまうかもしれない。変わらないことは、最も安全だが、生きても死んでもいないともいえる。絶望的なまでに怠け者の自己に対して変化を望んでいる。いわんや、世の中の変化をや。
御用心、御用心。