はてなキーワード: ポスターとは
大人がアニメを見たり漫画を読んだりするのは、かつて命がけの行為だった。
世間にオタク趣味がバレるということは社会的な死を意味していた。
これは誇張でもなんでもない。
俺のオタクの友人のひとりは、勤め先でオタク趣味であることがバラされて会社に居づらくなり転職を余儀なくされた。
当時は転職市場もそれほど育っておらず、待遇を下げに下げて何とか新たな勤務先に就職することができていた。
「自分の好きな趣味を他人と分かち合う」なんてごく当然の喜びをほとんど一切経験できないまま孤独に過ごしてきた。
年に1度か2度あるかないかの、僅かなオタクの友人たちとの交流の時だけが自分の人生の喜びだった。
それが今ではどうだ?
新海誠の映画が100億以上も売れる。進撃の巨人なんてグロ漫画が国民的傑作ともてはやされる。
一体なんなんだこれは?
かつて俺達が隠れながらなんとかひっそり楽しんでいたサブカルチャーをいまの若者は当然のような顔をして楽しんでいる。
先日、職場に入ってきた新卒が自己紹介で「私は漫画やアニメが好きです」と言っていた。
課内の全員に向かってだ。
「流石に職場の自己紹介でそれを言うのはどうなんだ」と後で説教してやろうと思っていたら、別の新人も「私も実はオタクで漫画やアニメが好きです。もし好きな人いたら一緒に語りましょう」なんて言いやがった。
その新卒どもは昼休みに集まって飯を食いながら葬送のフリーレンやチェンソーマンの話をしてやがる。
許せない。許せない許せない許せない。
かつて世間のみんなは言ったじゃないか。いい歳してアニメを観たり漫画を読んだりするのは恥ずかしいことだと。
無理矢理読ませたらけしからんなと思うんじゃない
女体エロが叩かれた時に血眼になってミラーリングしたがって表現規制のためにBLチェックするような表自戦士はわざわざ探してくるが
公共の場にエロいポスターを貼っている人は、業務として、そこで公共の場であることをよく認識し、そこに掲示することで人々の注目を惹き広告効果があることをよくわかった上でそこに掲示しているので、
木目百二、世間において石垣のりこ議員がどのような立場にいるのか知っているのか。
afer-fem.org
こういうのを筆頭に、温泉むすめ炎上、赤十字献血ポスター炎上などなど、やらかしている議連の筆頭格に会いに行っているんだよ。
pixivなどの、二次創作界隈に対する締め付けが強くなってきている中で、わざわざ締め付けを強くしている団体に陳情しに行く行為は、まさに「火に燃料を注ぐ」行為というもの。普通にニュース記事を見ていれば、このぐらいのことは理解できているはずなのに、世間一般の情報を隔離して生活しているというよりかは、政治に無関心すぎて選挙にも行っていない証拠だろう。
この木目百二氏の投稿に「いいね」をつけているAI規制派の人たちも、「いいね」をつける前に議員の名前を見て判断できないようなら、すでに「世捨て人」と同じ状況だから。
21いいねがついているから、そのうち「#NOMORE無断生成AI 」のタグをつけているアカウントの人すべて、フェミニズム運動に加担したうえで、「萌え絵」が様々な場所で使われて炎上したとしても、どのようなことがあってもだれも文句は言えないことになるから、その点はきちんと留意しておくように。
https://twitter.com/ogawa0117/status/1778509344755339542
ぼっち・ざ・ろっく!のR18二次創作を有料で描いていた木目百二氏(後に発覚・炎上し撤退)が、生成AI憎しが行き過ぎたあまり長年一貫してアニメ・マンガ的表現に強固な規制を導入しようとし、様々な著作物を「議員の立場を利用して」燃やしてきた石垣のりこ氏に陳情に行ったり、野田聖子氏にリプライを送るなどのすり寄りを開始。
はてブを含むネット上で落合陽一は過剰に持ち上げられるか過剰に貶されるかのどちらかで、バランスの良い評価が無い気がするので、なるべく色眼鏡を外すよう努めつつ個人的な見解を書く
作品の評価に好き嫌いはあると思うが、世の中の「メディアアーティスト」たちとポートフォリオを並べた時に上位にいることは間違いないんじゃないか。作品が貶されてるところも割と見るけど、メディアアートって良くも悪くもこんなもんでしょ。個人的に彼の作品は割と好き
発表文献リストは長いが、アカデミアで「業績」にカウントされる査読つきフルペーパーは少なく、いわゆるポスター発表・デモ発表の類、査読なし会議や競争率の低い論文誌での発表が多い。したがって「研究者として膨大な実績がある」というような評価は明らかに誤り。ただ、トップレベルではないとはいえ、世の中の「准教授」の標準くらいの業績はあると思う
彼の研究室の学生に話を聞くと、先端的なイベント・企画に参加させてもらって得難い経験をしているようで、面白そう。ただ、研究指導はほとんどされてなさそうで、勉強や研究が苦手な人が学位を取りたい場合は辛いかな…
これは明らかに向いてない。瞬発力があるタイプではないのか気の利いたコメントが出てくる事がない…というか、むしろ何を言ってるのか分からず司会者が困ってるシーンに良く遭遇して見てて辛い。滑舌も辛いので、この仕事を続けるつもりなら最低限ボイトレは受けてほしい
政府系の会議体の構成員などの仕事、これは便宜上「有識者」と言われるが実際のところ特に有識ムーブは求められてない事が多い。ぶっちゃけ私もやったことあるけど「各界の声を聞きました」という証拠を残す目的が主で結論は初めからだいたい決まってる。彼は名前が売れてるし似たタイプの人材がないので、特に裏の事情などが無くとも政府から声が掛かりやすいのは理解できる。
「『AI法』を作り画像生成AIからクリエーターを守りましょう!!」署名運動が拡散
https://togetter.com/li/2346258
クリエイターが求めてるAIによる自動化ってコレだよね。→賛同の声集まる「これはホントそう」→「いや自分勝手では?」と批判も
https://togetter.com/li/2347380
https://togetter.com/li/2347775
コメント欄じゃ大体同じ人が、大体同じような事を言ってるんだが
それで活動しようとする人は「イタコ」だの「パチモノ」だの自称するわけですよ
推進派の言に従えば
〇〇風って呼ぶことは失礼ってなるべきだけど
なってないでしょ
鳥山明の絵柄で作品作ったら、誰が見ても鳥山明【風】作品って呼ぶわけ
仮に、生成AIで絵を出力しても
それはその辺のイラストレータに頼むよりも安く実行できて
最近、AI推進派が合法合法叫びすぎるのが、さすがに鬱陶しくなってきた
他人の労力と知名度に完全にフリーライドした、こういう行為も生成AIの進んだ世の中の素晴らしい出来事の一つだってか?
ア ホ カ ヨ
でもさ、まあこういう事をたまにやらかしちゃうのも多人数の組織ならしゃーないかもなと強く批判はしなかった。
広報キャラでケモキャラを作った時はいよいよこれはもう駄目かもとは思った。
セクハラで大問題になってるのに平気でエロ方面に走率付ける辺りもうアカンかなって。
でも企画段階からの時系列を考えて、まあ走り始めたらもう止まれなかったのかと諦めた。
エイプリルフールでそのキャラの抱き枕ネタをやったときに、ああこの人達はもう完全にホモソーシャルカルチャーに脳を焼かれて壊れてしまったんだと絶望したよ。
でもまあ、広報っていう世界におけるおふざけの部分でしかないわけで、これが駄目なら蘇民祭とかを自治体が後押しするのも批判しなきゃいけなくなるかなって考えだしたら、ひとまず振り上げた拳は下ろすことにした。
そんでさ、単なるおふざけじゃ済まないような事をやらかしてるのがニュースになってるのを見て、もうこりゃ駄目だなと。
本当に駄目だよ。
広報っていうのは組織の顔であることが役割で、そこで変な発言をしたら「組織が対外的にそういう考え方であることをアピールしている」って取られても仕方がないんだから。
ましてや自衛隊みたいに外から見たら何やってるのか分からない組織においては、広報という窓を通して世間に見せるものに対して「あくまで自分たちの極一部でしかないですよ」という考えたはするべきじゃない。
開いている窓を限りなく絞っているのは自分たちなのに、その小さな窓を「全体の一部」だと言うぐらいなら広報活動なんてやるべきじゃないでしょ。
たまたま見えてしまったものならともかく、自分たちが見せることを選んだものである以上は、外から見たらその極一部が全てなんじゃないかって思われても仕方がないよ。
だけど今の自衛隊ではその自覚があると思えないような人達が沢山広報活動をしている。
なんでそんなことになっているのか考えだしたら気づいてしまったよ。
結局さ、銃や戦車や飛行機に関わらせられないけどクビには出来ないポンコツの処分場の一つとして広報部隊が使われているんじゃないかってことに。
それに気づいたらもう何か言う気も失せてしまった。
よりにもよってという気持ちがないわけじゃないけど、「常識を疑うような行動を繰り返すような人間が広報活動をする」と「常識を疑うような人間がミサイルの発射スイッチを押すような訓練をする」だったら、前者のほうが100倍はマシだよ。
仕方ないよね。
偉い人の運転手をさせるわけにはいかないし、歩兵をやらせて災害救助部隊に出すわけにも行かない、魚雷や戦車の整備なんてさせられないし、経理や契約に関わらせるのも怖すぎる。
せいぜい倉庫の整理をさせるか、掃除でもしててもらうか、あとはツイッターの更新でもやらせるか、だよなあ……そうだよね、使い物にならない人間でも公務員だからクビに出来ないもんね。
大変だなあ。
増田の職場は体育会系男子で構成される典型的なJTCなんだが、20年位前に一般職で入社して、単調で細かい積算業務みたいなのを独りぼっちで任されていてまったく評価もされないし仕事も広がっていかないし、気が付けば独身のまま更年期、みたいな女性が結構いる。
昔は寿退社していた人達の一部がずっと残っている。こんなに人生すり減らしてエクセル打ち込みをやって升目を整えているのになんで評価してもらえないのか、っていう不満をくすぶらせている人たちがいる。この人達はまともにビジネスウーマンとして話ができない。また別の一部の人達は社内無敵の人状態になっていて時々なにか社内のポスター張替えとか経理の伝票送り先が変わりました、みたいな業務をしながら有休フル取得、リモートワークワーケーション社内福利厚生享受しまくりで結構な給料をもらっている人たちもいる。この人達に手をつけてパワハラだのセクハラだのナイコトナイコトぶち上げられて炎上するもらい事故が誰も怖くて手が出せない状態。まだ30前半で愛嬌でもあればまだキャリア修正が効く。けれども・・・
https://twitter.com/taozikw/status/1774344519770849306
JR東日本の駅でこのポスターをみるたびに、この方は、我が子の出産ではなくて、妻の出産か我が子の誕生に駆けつけようとしているんでないの?と不思議なのですが・・・もしかしておじいさんになるところ?
このツイートのリプライや引用を見ると、「我が子の出産」と言えば「(話者の)子が(話者の)孫を産む」以外にあり得ないとする人々が多く見受けられる
しかし、以下の用例はおそらくごく自然に読める者が大多数であろう
男が子を産むことは2024年現在はあり得ないので、日本語話者は即座に「長男が産まれたとき」の意味を選択して理解できる
「我が父の出棺」といえば、大抵は父が喪主になって祖父や母を出棺する話ではなく父の遺体が出棺される話であろう
これと同様に、「〇〇の出産」も、文脈上明らかであれば〇〇が産まれることを指す場合は往々にしてある
というと、
で解釈する人はそれぞれそれなりにいると思われるし、話者が男性であれば間違いなく後者で解釈されるであろう
多義的であるので「我が子の出産」はコピーとして悪文ではあるかもしれないが、
文法・語法において「我が子が産まれる」という意味で使うのは間違いではない
[名](スル)