はてなキーワード: ホワイトカラーエグゼンプションとは
6月から勤務時間が15時間になった。本当は十四時間だけど、パソコンの四の数字キーが反応しないから15時間にした。
昨日パソコンのキーボードにハイボールを盛大にこぼしたのだ。シュワーーー!!!と。
炭酸が、炭酸という名なの苦汁がパソコンを、ノートパソコンを駆け巡り、そして四のキーを殺した。
俺の心の叫びなのかもしれない。俺が願ったのかもしれない。四の死を。
俺は独身。気ままな一人暮らし。(竹内まりやの 明日の私 という歌詞のような日々を送っていた)
手取り20万円で9時に出社して19時に帰る生活を愛していた。
それがいまじゃ、6時に起きて出社して、22時に帰る生活だ。
ホワイトカラーエグゼンプションなのか知らないが、
肩書きを与えられて、残業代はなくなった。6月から休みはまだない。
帰り道、この身を、街を包む湿気について考えていた。
女性の下着の中もこの湿気が等しく降り注いでるんだろうか、と。
経営よりの俺とすれば、労動者の残業代を払わなくていいなんてサイコー!って感じなので、ぜひともパートタイマー含めた全労働者に適用してほしいと思ってる。
コレに反対してる人ってさ、コレ通らなかったら代わりに移民が入ってきてお前等の雇用を奪う結果にしかならないんだけど、わかってんの?
日本企業はさ、お前等みたいな人件費ばっかりかかるくせに大した生産性もあげないやつを雇うのはもうウンザリなの。早く死んでほしい。死んだ分だけ移民入れた方がいい。
で、ホワイトカラーエグゼンプションってのは結果的にはお前等を見限ることなく雇い続けようという安倍晋三という真の愛国保守の掲げた理想なわけ。
移民よりお前等を雇いやすくするしかないの。で、お前等の高すぎる人件費を減らすしかないの。そうするしかサラリーマンのお前等の道はないの。
たくさんあるから、それを合法化しちゃえばいいよなってのがホワイトカラーエグゼンプションなんだよな。
例えば雇用面では今後非正規化に伴う雇用流動化が大きく進むだろう。その一方で給与体制や労働条件を経営者側に大幅に有利になる仕組みを作って労働意欲を損なわせ、貯蓄に励み、消費を押さえがちになる悪循環に陥ってしまっている。そしてこれを常に煽動し更には増税路線を取ったため、誰も彼も国民年金を納めようという気力がなくなるのだ。
これではお話にならない。子供のお遊戯ではないのだから、絞るだけ取っても回収率が低いのは当然でその辺り安倍総理および自民党は経済音痴と言わざるを得ない。
無い者から取って何になるだろうか、与えて国民を潤わせて初めて税金を納めようと努める余裕が生まれるのだ。
日々、困窮している人間に追い打ちのように雇用流動化を進めては、あるはずの労働力は賄えるはずがない。その上、賃金が安い外国人労働者を採る移民政策を立ち上げようとするのは、
如何にも現状を理解出来ていない、目先の利益しか考えていなさそうな人間がしそうなことだろう。これには大きな問題が含まれる。
例えばドイツは東西時代には、トルコ人や中国人など安い労働者を大量に獲得し労働を強いていたが、東西統一後、西ドイツの労働者が東ドイツでも働き始めた影響で外国人労働者の問題が浮き彫りになった。後にネオナチと呼ばれる外国人排斥運動家が増加し社会問題になった。
近年ならば、中国に進出し中国の安い労働力を軸に生産工場を次々に起こしていた日本企業が、その後技術や資本が軒並み現地労働者に乗っ取られた、いわゆるチャイナリスクの被害を被った事は記憶に新しいと思う。
今、正にこれと同じ状況が日本国内で行われようとしているのである。
日本人に生産力が乏しいから外国人を積極的に採用するとか外国資本を導入していくといった発想をどうか見直して欲しい。
フランスの移民問題は現在も深刻化しており、安易に移民政策が如何に愚かしいかを物語っているが、これを実践しようとしているのである。
外国資本に乗っ取られるなどは前例があるため多少リスキーだが問題ない。
しかしながら、日本国内の問題を日本人に求めず海外に求めて成功した試しがない事をまず実感するべきである。
日本人の生産力が低下しているのは、終身雇用制度の崩壊や非正規雇用の大幅な緩和政策が原因であり、また今後実施されようとしているホワイトカラーエグゼンプション等正規労働者にすら、労働を強制する等の措置が取られれば、今の生産力ないし国民総生産が確実に減退するだろう。
日本の企業が日本人労働者に見返りのない安い労働力を求め過ぎたために、疲弊し生産力が落ち込んでいるにも拘らず、今後も今以上の労働者に痛みを伴わせる悪法を実施しようとしている。
そうではなく、古の名案を採用し、与えて行く事が将来的な大幅な回収や生産力の向上に結び付く事である。
これは実例がある話であり、また明治期の日本の急進的な成長、富国強兵路線にしても戦後経済成長にしてもまず与える事を実施した結果、生産力が増えて国民の中に愛国心を芽生えさせていったという素晴らしい軌跡がある。
若い世代の方にとって、今回の参院選ではどういうことが話題になったでしょうか。「ブラック企業」と名指しで批判されることも多い、ワタミの渡邊美樹候補を自民党が擁立したことでしょうか(ここではワタミが実際に「ブラック企業」であるかどうかは問いません)。
「ブラック企業」と呼ばれる企業は、労働基準法の抜け道をつかい、若い労働者を長時間働かせます。もちろん、低賃金で、です。そのような扱いを受けた労働者のなかには、体調を崩し、「うつ病」に近い状態になり働けなくなってしまう人もいれば、自殺をしてしまう人もいます。「ブラック企業」は、どうしてそんなひどいことをするのでしょうか。
「ブラック企業」の経営者は、国内や国際の市場における競争に勝つためには、経営努力が必要であるといいます。つまり、売上を増やし、売上をつくりだすために必要なコストを最大限に下げるのです。際限なくコストを下げようとするとき、まっさきに削られるコストは人件費、つまり労働者の賃金です。
そんなひどい低賃金で長時間労働をさせられるのなら、退職すればいいじゃないか、もっといい会社に転職すればいいじゃないか、そうすれば「ブラック企業」などなくなってしまう、と考える方もいるかもしれません。
しかし、現代の就職難の状況では、生活していくためのお金を稼ぐために、厳しい労働環境の職場を選択しなければならない人々がたくさんいます。誰かが退職しても、いくらでも新しい労働者が「ブラック企業」に供給されるからこそ、「ブラック企業」のようなやり方を続けていくことができるのです。「ブラック企業」は、「お前がやめても代わりはいくらでもいるぞ」と労働者を恫喝します。だから、労働者は労働環境を改善するような声を挙げることが非常に難しくなってしまいます。
つまり、「ブラック企業」で働く労働者には、企業の言いなりになって奴隷のように働くか、退職して厳しい求職活動を行っていくかの2択がつきつけられるのです。背に腹は代えられません。いくら低賃金でも、お金がなければ日々を生きていくことはできません。その結果、労働者は自分の自由を犠牲にしてでも、ブラックな労働環境で働きつづけることを余儀なくされます。
さて、一部から「ブラック」と呼ばれる渡邊美樹候補は、こんなことを言っています。つぎの演説をみてください。
http://iwj.co.jp/wj/open/archives/90354
この演説のなかで彼はこう言っています。
「日本のこの国を立て直すとしたらですよ。確かに社会保障費、そう動かせないお金もあります。しかし半分にしたらですよ。この国、立ち直るんですよ!」
国には、たしかに「経営」としての側面があります。その点では、国の運営にかかるコストを少なくすることが大事でしょう。
ワタミの渡邊美樹候補は、会社の経営を合理化するように、社会保障費を縮小し、国の経営を合理化したい、と言っているのです。
「社会保障費」は、働けなくなった人、病気をした人、高齢者などの生活を支えるための重要な費用です。すこし前に、生活保護の不正受給が問題になりましたが、実際のところ、生活保護の不正受給というのは、全体のわずか1.8%にすぎません(2010年のデータ)。もちろん不正受給は許されるものではありませんが、専門家は、生活保護に関してはむしろ、本当に生活保護を必要な人に支給できていないことが問題だと指摘しています。つまり、実際には生活保護が必要なのに、生活保護が支給されていないケースが非常に多いのです。
このように考えると、渡邊美樹候補の主張に疑問を感じる方も多いのではないでしょうか。
だから、ワタミの渡邊美樹候補を批判しつつ、彼を擁立した自民党を支持するという意見を聞くことがあります。
国の経営を合理化し、国際競争に勝つために労働基準法そっちのけで労働者を使い捨てるいわゆる「ブラック企業」の精神は、現在景気を回復させはじめた経済政策(アベノミクス)を武器に、さまざまな労働改革を行い、社会保障を引き下げ、生活することすら困難な日本に住むマイノリティを排除しようとする自民党の精神と同じであるように私には思えます。
いわゆる「残業代ゼロ法案」であるホワイトカラーエグゼンプションを推進したり、企業が労働者を解雇しやすくする解雇規制緩和を推し進めようとしているのは、自民党です。安倍首相は、アベノミクスによって60万人の雇用をつくりだしたと主張しています。しかし、実際に増えたのは非正規雇用が116万人であり、正社員は47万人減少しているのです。国の経営合理化によって、今後も不安定な非正規雇用を強いられる傾向は、今後どんどん高まっていくのではないでしょうか。
そのほかにも、自民党は憲法を改正し、立憲主義の原則を取り壊し、これまで保障されてきた基本的人権を縮減し、自衛隊を「国防軍」として位置づけることによって、日本が軍事力を明確にもつことができるようにしようとしており、その点でも多方面から批判されています。
しかし、それでもなお、自民党の経済政策に期待する声があります。
そういう人は、おそらく次のように考えているのではないでしょうか?
―― 「国際競争のなかで日本が負けてしまったら、大変だ。うちの会社がつぶれると、自分も食えなくなる。だから、自民党の多少の欠点には目をつぶって、日本をうまく経営してもらいたい。それが結局のところ、自分の利益にもつながるのだ」、と。
しかし、この考えは、「うちの会社はブラックだけど、自分がサビ残してでも何とかしないと、自分の職がなくなるから困る。食えないのは困るから、ここで働くしかない」という、「ブラック企業」で働くことを余儀なくされている労働者の考えとまったく同じです。
「ブラック企業」やそれに近い労働環境で働く人たちは、自分のことを「社畜」などと呼んで、ブラックな労働環境をネタ化して、無害化することがあります。ならば、「ブラック企業」と類似した考えによって行われる経済・福祉政策を肯定する人たちは、自分のことを「国畜」と呼ぶのでしょうか。
「社畜」「国畜」などとネタ化すると、本質が見えなくなります。それは、たんに「奴隷」なのです。賃金がなければ、お金がなければ生きていけないから、基本的人権は制限されてもしょうがないし、社会保障はどれだけ削られてもしょうがない、という考えは、お金という鎖につながれた奴隷以外のなにものでもありません。
無理やりの原発再稼働、ブラック企業の正当化、国防軍が必要だという声。これらに共通するのは、恫喝でものごとを動かそうとすることです。権力者はつねに次のように言います。「原発を動かさないと経済がダメになるぞ! 労働基準法など守っていては国際競争に負けてしまうぞ! 中国韓国に侵略されるぞ! 」、と。
このように、危機に乗じて威圧的な論理をつかい、政治を動かそうとすることを、ナオミ・クラインは「ショック・ドクトリン」と呼んで批判しました。
もっと簡単にいえば、それは「(現在の危機に対して)いつやるの? いまでしょ! いまやらなければ、さもないとひどいことになるぞ!」という論理です。
こういう論法は非常に威勢のいいものです。たしかに、いますぐ何かをやって、変えてくれそうな気がします。しかし、その一方で、「いま」の危機がどういうものであるのか、という点は覆い隠されてしまいます。たとえ国際競争に負けるからといって、過労死者をだすような労働環境が正当化されるでしょうか。たとえ経済がダメになるからといって、活断層の上にある原発を動かしていいものでしょうか。
その意味で、例の「いつやるの? いまでしょ!」の人は時代の申し子というか、およそ考えうる最高の(最悪の)タイミングで出てきたわけです。
少しうがった見方をすると、ワタミの渡邊美樹候補というのは、今回の参議院選挙における自民党支持のための逆説的装置なのではないでしょうか。
つまり、こういうことです。――世の中では、自民党の勢力が強いらしい。かといってその流れに単に乗るだけでは自分は「自由」ではない。しかし、ワタミの渡邊美樹候補を批判することができる私は「自由」であり、自分で「主体的に」政治についての情報を得ている。だから私は政治を「知っている」。 このように考えることができるというわけです。
要するに、「ブラック企業」といわれるワタミの情報をインターネット等から得て、それを批判することによって溜飲を下げ、安心して「自由な主体」として自民党を支持できるというわけです――「私は自民党にどっぷり浸かっているわけではない、批判もしている。それゆえ私が自民党を支持することは自由の証である」、と 。
この参議院選挙のあと、自民党は憲法改正にむけて大きく舵を取ります。彼らの改正案は、どういうものでしょうか。
その一番の特徴は、基本的人権を守ろうとする姿勢が大きく後退していることです。たとえば、自民党の改憲案では、表現や集会や言論の自由は、たしかに保障されています。しかし、この自由は「公益及び公の秩序を害することを目的」とする場合には、保障されません。この規定によって、たとえば今の政府についての批判を行うことが「公益及び公の秩序を害する」と権力者が判断すれば、そのような批判は制限されてしまいます。政府を批判することすらできなくなってしまう可能性があるのです。
もちろん、批判する必要のないほど完璧な政府であればいいでしょう。しかし、日本に生きる全員にとって「完璧な政府」などというものが、はたしてありうるでしょうか。
それでも、景気の回復だけを理由に、自民党を支持することができるでしょうか?
ある男が暴漢に拳銃をつきつけられ、「自由か死か!」と問われます。ふつう、死にたくはないですから、「自由」を選びます。しかし、「自由か死か!」という二択を迫られたときに「自由」を選んでしまうことは、その選択を暴漢から強制されることにほかなりません。ならば、その男は、自分が自由であることを示すためには、「死」を選び、自由を放棄するしかありません。こういう逆説がいま、現実に起こっているのです。
経済政策を武器に、私たちの自由を奪うような憲法改正を行うとする自民党を支持することは、自分が自由をもっていることを示すために、表現の自由も思想・信条の自由も、さらには基本的人権すら売り渡すことに他ならないのです。
実際に、いままさに私たちの「表現の自由」が制限されはじめつつあります。興味のある方は、次の記事をしっかりと読んでおきましょう。
http://kiikochan.blog136.fc2.com/?no=3113
世界の歴史の至るところで、私たちは私たちの「自由」を獲得するために、数多くの努力を行ってきました。その結果が、現行の憲法の「思想及び良心の自由(第19条)、表現の自由(第21条)、学問の自由(第23条)」です。こういった自由は、おそらく、あっさりと奪われてしまいます。そして、こういった自由をふたたび取り戻そうとするときには、数多くの血が流れることは間違いありません。そのことは、歴史が証明しています。
すでに長くなってしまいました。
ここまで読んできてくれた方のなかには、「いや、そうは言っても外交問題などは、自民党以外にはまかせておけない」と言う方がいるかもしれません。
ところで、今の若い世代の方のインターネット上の発言をみていると、少なからぬ方が、いわゆる「2chまとめサイト」(「痛いニュース」「保守速報」「アルファルファモザイク」など)のURLをSNSに貼り付け、それを情報源として政治について語っていることがよくあります。中国や韓国、北朝鮮といった東アジアの外交問題に関しては、とくにその傾向が強いように感じます。
しかし、そのような「2chまとめサイト」を情報源として利用することは、とても恥ずかしいことだと私は思います。
なぜなら、いわゆる「2chまとめサイト」は、その名の通り「2chで話題になったことをまとめた」ものではないからです。
この点について興味のある方は、次のURLを参照してください。
http://anond.hatelabo.jp/20130705113110
若い世代の多くの方が、「2chまとめサイト」をTVや週刊誌などのマスコミから伝えられる情報とはちがった「自分で手に入れた真実の情報」として受け取っています。しかし、「2chまとめサイト」は、その話題を提供するプロセスから、その記事作成に至るまで、実はごく少数の人物によって管理されているのです。
多くの「2chまとめサイト」は、嫌韓や民族差別ネタを娯楽のようにパッケージ化して私たちに提供しています。本当に愚かなことですが、「差別」はもっとも簡単に娯楽になるのです。差別を娯楽として提供することが一番PVを稼げるから、結果として思想的な偏向を生み出しているわけですね。
しかし、その娯楽を享受し、そのURLを嬉々として貼り、情報/娯楽として消費する行為は、まるで、いとも簡単に餌につられ、その餌に群がる昆虫のようではないでしょうか?
少し、個人的な話をさせてください。
私はたぶん2chとの出会いは早かったほう(たしか2000年)だと思います。
2chを最初に見たとき、歯に衣着せぬ酷い書き込みの嵐に、「あ、これが筒井康隆が言っていた「ブラックユーモアは厳しい自己認識の手段である」ということなんだな」と思いました。そのことをよく覚えています。
作家・筒井康隆の作品には、さまざまな差別ネタや障害ネタが登場します。そのため、筒井は「2ch以前から一人で2chみたいなことをやっていた人」のように言われることがあります。
しかし、彼の作中での差別や障害ネタは「差別を見て笑って/楽しんでしまう私のおぞましさ」を発見するための装置なのである、と筒井は語っている。私たちは、いくら「差別はいけない」と思っていても、実際に差別を目にしてしまったときに、笑ってしまう、その差別を楽しんでしまうことがあります。そういう「私」のおぞましさを発見させてくれるのが、「厳しい自己認識の手段としてのブラックユーモア」だということです。
文学的価値としてはパロディよりもブラックユーモアのほうが高いとされている。なにしろ ブラックユーモアは16世紀のイギリスで発生してこのかた5世紀というスウィフト以来の伝 統を持っていて、それはすなわち死体をもてあそび、宗教を冒涜し、病人をいたぶり、糞尿を 好み、身障者を笑いものにし、極端な人種差別をするというものであることはご存知のとおり である。それはまさに人間が、人間であることによって否応なしにもたされた醜さをすべて暴 き立てられ、鏡のごとく自分の醜さに対面させられ、叫ぼうがわめこうがどうしようが、それ を自らの笑いによって証明させられて認識せざるを得ないという、いわば厳しい自己認識手段 なのである。この伝統を守り、20世紀の日本などという建前社会において消滅させたりして はならないと孤軍奮闘してきたつもりであったが、今や世の底流はほうっておいてもブラック ユーモアを指向しはじめた。「偉い人」だの「尊敬すべき人」だのといった言葉が出てきた限 りは、以後そういうことを言い出した人自身が自分の醜悪さの中にまみれてもらわねばならな い。どうやらまた何かしら倫理を作ろうとする連中がちらほらしはじめている。人間が人間の 倫理など作れるほどの偉いものなのかどうか、自分の魂の地獄へサイコダイバーとなっており ていってもらい、じっくり見てもらおうではないか。もちろんおれも一緒だ。安吾先生ではな いが、堕ちるところまで堕ちた人でないと倫理の何たるかすらわからない。
(『笑犬樓よりの眺望』http://sound.jp/kita-g/black.htm より引用)
初期の2chには、おそらく「厳しい自己認識の手段」としてのブラックユーモアがあったように思います。しかし、現代の「2chまとめサイト」は、その差別やブラックユーモアを単に娯楽として消費されるようにパッケージ化しています。
こういったサイトの「情報」をもとに、政治の話をするのは、もうやめにしませんか?
最後に、映画監督の想田和弘さんと、哲学者の木田元さんが今回の参院選について語った言葉を引用しておきます。
「僕は別に自民党に恨みがあるわけじゃないんだけどいまだに原発進めたり海外に売ったりTPPを公約違反を犯してだまし討ちで進めたりトンデモ改憲案を出したり軍法会議を検討したり生活保護切り崩したりワタミの会長公認したりとあまりに最近ブラック過ぎて絶対投票するのはやめて欲しいと言いたい。 」
「時代には勢いがあります。今ならば、ちょっと右寄りの方がかっこいいとか、そろそろ憲法改正が必要だとか、昔日の日本の威光を取り戻そうとか、そういう動きですね。それらに安易に同調したり、勝ち馬に乗ろうとしたりすると、とんでもないことが待っているかもしれない。… 戦前、日本の孤立を決定づけた国際連盟からの脱退に国民は拍手喝采しました。その愚を繰り返さないように立ち止まって考え、『勢い』をチェックして、場合によっては抑えることが必要でしょうね。賢さと言い換えてもいい」
ワタミ過労自殺事件関連の話で、まだ指摘されていない論点を含んでいるのでメモる。
過労自殺などの取材を通して知ったことのひとつに、「本当に過労状態の人は世の中から切り離されている」ということがある。仕事に忙殺されている人は、たぶん「ホワイトカラーエグゼンプション」も知らなければ、それを舛添が「家族だんらん法」と言い換えようとしたことも知らない。その上、首相が安倍から福田に変わったことも知らないなんて人がいても私は驚かない。なぜなら、私自身もほとんどテレビで「首相になってからの動く福田」を目撃していないからだ。ただ単に家にいないだけなのだが、多くの人が帰っても寝るだけ、という生活をしている中で、どうやって世の中のことを知ったり、その上世の中に怒ったり、世の中を変えようなんて余力があるだろう。こういう状態を経験すると、「フリーターがデモで権利を主張」なんてニュースの断片を耳にしただけでヒステリックに怒る過労正社員層の切実な気持ちも少しは理解できる。彼らにとっては、非正社員は「自分より楽をしている」と思えるのだろう。
でも、そんな足の引っ張りあいはやめよう、と訴え続けなければならない。だって正社員が死ぬほど働かなきゃいけないのって、今の正社員の座から転がり落ちたら何の保障もない非正規雇用になるのが怖いって気持ちも絶対あるでしょ? で、企業って、そういうとこ絶対利用してるでしょ? 身近なリストラとかで、脅迫されてるでしょ? だけど、「何の保障もない非正社員の生活」が正社員層の過労の原動力になってしまうなんてあまりにも悲しい。少なくとも、どっちも幸せじゃない。スケープゴートを作っても結局誰も救われない。
なんでホワイトカラーエグゼンプション法案が大反対を喰らって提出断念になったのか
しきい値が900万円とか1000万円だったからだよ。これだと直撃する職種は国内資本だと都銀とマスコミだけ。でマスコミが反対の集中砲火を食らわせた。
http://kusoshigoto.blog121.fc2.com/blog-entry-287.html
はてブとか見ていると、こういう記事に共感してる人が多いのね。
日本が長時間労働っていってもさー、ぶっちゃけ定時に家帰って何するのさ?
テレビでも見るのか?w 予定がないなら会社に居てタバコ部屋とかで同僚とかとだべっている方が楽しいだろ。
しかも、残業代ってことで金まで貰えるんだぜ? 嫁がいる場合、早く帰ってばかりいると離婚の原因になるぞw
日本の長時間労働なんて、実際のところ3時間残業して1時間サービス残業、2時間生活残業っていう感じじゃね?
それが会社にとって良いとは思わないけどねw
まぁ、なんていうか「社会」とか「社会人」という言葉に騙されてる人が増えてるような。
「社会人」はかくあるべき!なんていうのは新人を教育するための建前だって。
会社の業績が悪くなったって日本では簡単にクビにならない。でも、海外じゃ簡単にクビじゃね?w
サービス残業が多い? アメリカなんてホワイトカラーエグゼンプション導入されて合法的に全てサービス残業!
民間シンクタンクでは、とっくの昔に正社員を半分にするべきという答えがでてるんだよ。
銀行の業務なんて正社員は1/3くらいで同じ仕事ができる、と書いたら銀行員に反発されたけど、それは事実なんだよ。
ちゃんと試算で出してる。正社員じゃないとだめ、というのは感覚の問題で数式ではない。
ホワイトカラーエグゼンプションが潰されたけど、全く労働者というのは没論理なんだよなあ。
一応断っておくが、これは派遣より正社員の問題だという話ではなくあくまでコストパフォーマンスを求めれば、そっちのほうがマシってことね。
だいたい大学レベルの数学も理解できない糞官僚やその他下々は、黙って正しい意見を聞いてればいいんだよ。
てめえ一人の価値はなにもないくせに、自分の存在が政治に関係してるとでも思っている。労働者は単純に%で表現される数字でしかないっつーの。
まあ、俺もそうなんだがね。
てここで愚痴ってもしょうがないか。
しかし、地方SIは自前で受けられない。理由はスキル不足、人手不足、経験不足、体力不足。
結局、お客さんもコストの問題で東京に作るものを地方の会社を使って人件費を減らし、
SIベンダも人件費を下げるのに地方に立地する。東京に会社を作るより、地方の人件費で出張費を出しても
一例を挙げれば
・福岡で経験5年のWEBエンジニア(oracleSilver9i)が58万。
東京の1ルームのマンスリーが15万、出張手当が5万としても10万浮く。
お客さんは地方にはいない。
だって地方の企業はそんなに大きなシステムを作成する必要が無い。
結局、人が集まるのが先か、経済が集中するのが先か。
鶏と卵のようになったが、お互いがお互いを循環しているのだから
ってことは恐らく、今この状況こそが不自然に見えて自然な状態なのだ。
成熟した森なのだ。確かに、不整然としてごちゃごちゃで火事場や泥沼のPJTしか見ないけれども
それこそが雑木林。
ITバブルという陽樹林から、少ない日光で最大の生物を養える陰樹林が現在のIT業界なんだ。
次に訪れるものは、小さな進化ではなく大きな変化だと思う。小手先の流行など、エンドユーザーに対してもなんの感動も与えないし、エンジニアも@ITに踊らされはしない。
まずは環境の変化・・・ホワイトカラーエグゼンプションか、海外へのオフショアか。
地方SIベンダで比較的安定しているのは、大手SIの地方分社と取引をしているところ。
FとかCとかNとか。
こういうところは安定している。
エンドユーザーの要件定義は大手SIの本社が行い、サブシステムについて大手SIの地方分社が行う。
そこに更に細かく切り分けた部分を、地方SIベンダが受ける。
ただし、これだと孫受けで良いほう。ひ孫、玄孫、も当たり前。
永遠に自社のオリジナリティを出す機会は無い。まして況や受託など、受けれたとしても採算ベースに乗せるのは難しい。
マネジメント力、コスト管理、、、、地方が受ける受託費用が上がるよりも早く、人件費が上がる。
結局のところ、地方SIが完全自立する可能性は、ほぼない。
大手のように、本社を東京、そして地方分社化というのが一番正しいのだろう。
でも、それは本当に地方を盛り上げていくことになるのか。
先は見えない。
職場でわいわい話しているときだった。話題は残業の話題になり、そこで一人一人、残業時の時間数を披露する流れになった。
当時の私は残業をしたことが無く、必要性すら感じていなかったので、素直にこう答えた。
「私、残業には興味ないな。ホワイトカラーエグゼンプション導入すればいいと思うし」
瞬間、場の空気は凍り付いた。
しばらくして、ある一人の女の子がこう言った。
いつでも逃げられるように。
どこそこに家を買っておいたとかそういう話しを聞くと焦る。
目端の利く連中にそろってそういう行動をされるとすごく心配になる。
http://anond.hatelabo.jp/20070210130404
移民についてはそもそもの労働力が足りないから移民しかないよねという論法。
税金を払ってもらうためではなく会社を回すのにそもそも人が居ないと法人税もとれないんだ。
日本が誇るトヨタ様だって国内の実態は既に外国人労働者におんぶにだっこだよね。
年収200万以下は 8%→10%
年収200から700万は 10%→10%
年収700万以上は 12%→10%
素敵。
こういう話題ってあまり見かけることがないんだけど...
ホワイトカラーエグゼンプションは減るからブログ論壇も怒ったけど、700万以上なら実質減税だから黙っておこうという感じなのかな?
『柳沢厚生労働相「女性は子どもを産む機械」発言』と毎日毎日こればっかりやってる政界とマスコミ。どうしても納得がいかなくて「柳沢 発言 全文」で検索しているのにマスコミのサイトには一切載ってない。スポーツ報知に要旨はあった。
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http://hochi.yomiuri.co.jp/topics/news/20070130-OHT1T00025.htm
◆柳沢厚生労働相発言要旨 なかなか今の女性は一生の間にたくさん子どもを産んでくれない。人口統計学では、女性は15??50歳が出産する年齢で、その数を勘定すると大体分かる。ほかからは生まれようがない。産む機械と言ってはなんだが、装置の数が決まったとなると、機械と言っては申し訳ないが、機械と言ってごめんなさいね、あとは産む役目の人が1人頭で頑張ってもらうしかない。(女性)1人当たりどのぐらい産んでくれるかという合計特殊出生率が今、日本では1.26。2055年まで推計したら、くしくも同じ1.26だった。それを上げなければいけない。
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例えじゃん。ヒトが子供を産む様は、機械が製品を排出する様に確かに似てると思うよ。でもそれが「女性は子どもを産む機械」と言ったと考えるのは曲解しすぎ。その例えが不適切だと言う人は「子作り」って言葉も当然不適切なんだよな?ヒトはモノじゃないもんな。
・党首党員の政治資金疑惑をうやむやにでき、参院選へ向け自民叩きの絶好の機会とできる民主党とおまけのその他野党
・「下がった下がった」とやたら騒ぎ立てても過去の政権に比べれば依然高い支持率の安部内閣をさらに叩きたいマスコミ
こいつらが騒ぎ立てているだけだろう。選挙をにらんで逃げ腰の自民も情けないが。
中韓の息がかかっているかどうかは自民、民社はじめマスコミ、団体あらゆる所に存在するのでこの際問わない。柳沢大臣がホワイトカラーエグゼンプションを通そうとしたのも問わない。
あの文章で「女性は子どもを産む機械と言ってる」と認識する人間は文章力なさ過ぎ。逆にそんな文章力の人に政治や報道を任せておけない。乗せられる国民もどうかと思うけど。街頭インタビューで「腹が立ちますよね」と言っている女性はどこまで元の発言を聴き、理解してるのか。ちゃんと考えてる?
野党は仕事しないんならその分の議員歳費受け取り辞退しろ。普通の会社だったら無断欠勤だ。
…と愛知県知事選を明日に控えた酔っぱらいは思うのですよ。
宮崎のように第三の人材がいないからどうしたものか。
分裂勘違い君劇場 - 社員全員がホワイトカラーエグゼンプションの会社で働いてたことがあります
ホワエグ社でなら働いていたことがあります。
3教科以上勉強するのが億劫だった私はマーチクラスの大学に入り卒業しました。
親や親戚など身近な人でメーカーの重役をしている人が多く、実情を見聞きしていたのでメーカーに魅力を感じず100名前後の中小企業に就職しました。
大手で補欠選手のまま数年も過ごすのが嫌だったのです。
ホワエグ社は人材が常に不足しているので、それなりに使える面を上に見せてあげるだけで即戦力として現場に投入され実績をあげることができました。
何十としれない同僚たちの戦死を経験し私も年をとり二十代後半になりました。
それぐらいになると自分の仕事をお客さんがいくら支払っているのかもよく見えます。
会社がそれを幾らで売って、途中で幾らピンハネされているのかも、必要経費がいくらかかるのかも把握しているつもりです。
会社の規模も知れているので会社の台所状況も手に取るようにわかります。
社員に払える報酬の限界も計算できます。
残業代は事実上ついたことがありませんでしたが、27歳の頃には年収は400万円程度になりました。
一方大手に勤めた仲間は、30歳前後にしてようやく補欠からレギュラーになりだし始めました。地方勤務が本社勤務になったり工場勤務から本社に戻ったり。
残業代もしっかりつくので月収が45万円を超す同期もでてきました。
私のいた会社では40代後半の専門学校卒業の部長に見せてもらった月収が40万円未満でした。私は焦燥感を覚え30歳になる前に独立することにしました。
手に職はついているつもりですが、30歳になった今の給与所得はフリーター並みです。
東大を卒業した後輩はメディアに勤め今年の年収はだいたい800万円(20代)だそうです。それなりの頭と忍耐力を持ち合わせているのなら勉強することにより得られる対価としてはどうでしょうか?
雇われの身なのに雇う側の責任だけ負わされる上場企業の社長、役員や、時代が変われば手が後ろにまわるかもしれない財務担当。廃止になりそうな省庁の官僚などは学歴に関係なく報われない気がします。
76世代は学歴とも報酬とも無関係ないところで市役所に勤めたやつが一番勝ちじゃないですか?5年後に逆襲します。
internationalizationを略してi18n、
multilingualizationをm17n、
localizationをL10nというように、
ホワイトカラーエグゼンプションは長すぎるし、「ホワイトカラー……続き何だっけ」となるので、ホ13ンと略してはどうだろうか。
英語だとwhite-collar exemptionだからw20nでもいい。
ホワイトカラーエグザンプションを議論する際の一番の問題点は、examptionをカタカナに開くときの開き方がいくつかあるので、検索などにより議論を集約しにくいことかもしれない。
で、
の流れだけど、真ん中が指摘したかったのは「ホワイトカラーエグゼンプションを導入したかったら、まず官僚がやってからにしやがれ」という反論の仕方をしていると、「やってますが何か?」って言われたときに困っちゃうよってことだよね。ホワイトカラーエグゼンプションに対して反対の立場から議論したいなら、「すでに(残業代不支給によって擬似的に)ホワイトカラーエグゼンプションが導入されている官僚の世界はこんなひどいことになっている。導入されたら他もきっと同様なことになるぞ」っていう論法が効果的ではないだろうか。
http://anond.hatelabo.jp/20061223065521
むう。「課長以上は」って書いてあったから、課長以上のことを書いただけなのに。
まあ、課長相当職が年収2,000万円以上とお考えのようだから、おっしゃるほどには「「この人」も「官僚制度の知識は」お詳しくないようだ」。
それとも、「中央省庁の課長相当職は年収2,000万円程度が相当なのに、その半額くらいしかもらえていない、国家公務員は薄給すぎる」と主張しているのかもしれない。