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はてなキーワード: ホスピスとは

2015-12-08

http://anond.hatelabo.jp/20151208165738

あーそれなら何とかなるかもな

と思ったけどホスピス代だけで結構やばそうだ

http://anond.hatelabo.jp/20151208165230

フィンランド終末医療基本的にないで

ホスピスはいっぱいあるけどな

フィンランドは寝たきり老人少ない!すごい!視察に行こう!」って

日本視察団が行ったら

寝たきり老人はほぼ世話しない(無理に飯食わせない、流動食とか与えない)せいで

すぐしんじゃうので数が少ないんだってわかって

めっちゃがっかりして帰ってきた話有名

基本的に無理目の医療はない

2015-08-06

暑くて思い出した

「S、白血病でもう長くないんだって。」

そんなメール高校の時の部活の先輩から届いた。S先輩が入院しているのは聞いていた。でもそこまで悪いとは思っていなかった。最後に会った方がいいんだろうかってすごく悩んだ。

S先輩は僕が高校の時の部活の先輩だった。S先輩とは特に仲がいいわけじゃなかった。でも、一度だけS先輩は泊まり大会に行ったときに、僕に彼女がいるのを知ってて、彼女とする前に私と予行練習しておかない?と誘われて一緒に布団で寝たことがあった。僕はすごくセックスたかったけど、結局しなかった。童貞だった僕はそこからどうすればいいかわからなかった。

高校卒業してから県外の大学に行った時に、先輩とは一度飲んだことがあった。彼女就職していたから、話していることはもう社会人な感じで、まだ学生だった僕はよくわからないけど別の世界に行っちゃったような気がしてた。それから特に会わなくなってたけど、別の先輩からは時々近況を聞いていた。結婚したんだってとか、離婚して実家に帰ったんだってとか、すごくいい人が見つかって再婚したんだって、とか。なんか色々大変だったんだなって思った程度だった。

付き合ったわけではないし、特に何かあったわけでもないけど、もうすぐ絶対に会えなくなるとわかっててそのままにはできなかった。僕は仕事を休んで会いに行くことにした。

お見舞いに行った日はとても暑い日だった。お見舞いに何を買っていけばいいのかよくわからなかったかさくらんぼを買って行った。病院ホスピスだった。

病院はとても静かだった。受付で名前を出して、お見舞いにきたのですが、と言ったら病室から彼女の夫が迎えにきてくれた。

はじめまして高校の時の部活の後輩で今日はお見舞いに来ました。急に来てすいません。

と話すと、「Sに言ったらびっくりしてたけど、ぜひ会ってあげてください」とにこりと笑って病室へ歩いた。病室で会った先輩はすごく痩せて、薬の影響で薄くなった髪を隠すための帽子をかぶっていた。昔会った時の健康的で活発な感じの姿はなかった。

おひさしぶりです、今日仕事で近くで会議があるので寄ってみました。とできるだけ笑って話した。正直僕はびっくりしてたんだと思う。でもS先輩は「ひさしぶりだね。こんな姿でびっくりしたでしょ。」と笑いながら言った。なんて言っていいかわからなくて、外はすごく暑いですね、さくらんぼ買ってきたのでよかったらどうぞ、と言った。外は暑いですねって言ったのを後から後悔した。先輩が外に出られるわけがないのだ。それからどんな話をしたのか覚えていない。たぶん僕の近況やら高校の時の話とか、部活にいた人たちの近況の話だったと思う。それ以外に共通の話題なんてなかったからだ。

そろそろ会議に戻りますね、と言って帰ることにした。「会いに来てくれてありがとう、すごく嬉しいよ。また来てね。」先輩はそう言ってくれた。また会いに来ますね、そういって病室からエレベーターまで先輩の旦那さんが送ってくれた。「Sはすごく喜んでましたよ、今日は体調も良くて、嬉しそうでした。ぜひまた来てくださいね」と言ってくれた。こちらこそ急に来てしまってすいません。また来ます。と言ってエレベーターで別れた。

病院を出てから色んな事を考えた。死が間近にある人に対してどう言えばよかったんだろう。ホスピスに入ってる人に元気になってくださいねっては言えなかった。あんな会話でよかったんだろうか。なんかもっと言わなきゃいけないことがあったんじゃないだろうか。

そのあとS先輩は亡くなった。お葬式に行こうかと思ったけど、旦那さんや、残された2人の子どもを見ることが辛すぎて行けなかった。

そんなことを暑い日が来ると時々思い出す。

2015-07-12

不倫して癌になって野垂れ死んだ女の話

自由奔放に生きた人生だった。

そこそこ綺麗だった。スタイルも悪くない。

頭もいい。ただし、人の意見はきかない。

看護婦として生きた。

結婚し、子供ももうけた。

でも面倒は見なかった。

ほぼ育児放棄である

旦那もどうでもよかった。

気が付いたら介護やなにやらやってる病院理事長と、

良い仲になった。

毎週ゴルフにいった。

その後に何をしたのかは気持ち悪いからしらない。

好き勝手生きたので子供は離れていった。

旦那も見捨てた。

離婚された。

でも別に理事長離婚はしない。

それどころか息子は立派に医者になり、病院長になった。

そのうち癌になった。

看護士なのに癌になった。

皮肉なもんだ。

進行のきわめて速い大腸がんで、あっという間に脳まで達した。

入院したら、理事長しょっちゅうお見舞いに来て周囲はドン引きした。

ホスピスに入る。

でも結局追い出された。

介護を見はなされたような人が行き着く施設に収容された。

50歳になっていた。

7月に死んだ。

2014-02-11

http://anond.hatelabo.jp/20140211205014

ぜんぜん逆じゃないよ。

末期癌の人のためのホスピスとかもあるわけで。

死ぬまでの時間をいかに楽しむかと考えればね。

2014-02-10

http://anond.hatelabo.jp/20140210234644

増田に書き込むような人は著しく社会性が無い人のように思えてきた。

コミュ障ホスピス

はてなとかにアクセスしている時点で

「私、社会性ない無趣味人間なんです」って言ってるのと同じな気がする。

婚活居酒屋とか、おまえらジョブか?

婚活中の男女が集まる、婚活居酒屋ってのがテレビでやっていたけど

なんだかそんなとこに来るのは、著しく社会性が無い人のように思えてきて

一種のコミュ障ホスピスみたいなのだろうか?

家と職場の行ったり来たりしかしていないのに

出会いがないとか言っているんじゃないんだろうか?そりゃそうだろ!って。

婚活居酒屋とかに行っている時点で

「私、社会性ない無趣味人間なんです」って言ってるのと同じな気がする。

社会性を磨いていれば、ぜったい出会いなんていくらだってあるんだけどな。

外に目を向けてないのに、そんな婚活でいい人が見つけられるとは、おもわんがな~

2013-11-16

池田大作氏はなぜ五井博士排斥するのか?

http://ameblo.jp/don1110/entry-11695197467.html

2013年5月4日 東京日比谷公会堂での講演から 五井野 正   

 1997年3月に、ロシアヤリスラヴリ州立医学アカデミーで、私が末期がんの臨床実験を行なっていたことをお話しましょう。そのアカデミーの下に大学があり、そして日本でいうホスピスのような州立オンコロジー病院があります。私はその病院糖尿病重症患者や、発病して最終末期のエイズ患者さらに は末期がんの人たちに、私が発明したGO Pで臨床実験をし、多くの患者を治して生還させてきました。(1997年4月1日発行『ウィッピータイムス』7号に掲載)

 当然、むこうでは大きく新聞にも掲載され、テレビでも30分と1時間ドキュメンタリーが放送されましたが、日本では報じられてはいません。なぜかというと、私は某宗教団体創価学会から実に40年近く、みなさんが信じられないほどの驚くほどの圧力がかけられて、さまざまな妨害や中傷を受けているからであり、しかも何度も殺されそうになったこともありました。

 ですから現在おいても、政党公明党) までも持つこの某宗教団体創価学会から支配されているほとんどのマスコミからシャットアウトされているために、私が日本のため人類のためにどんなに国際的な活動をしても、日本ではそうしたことが報道されないのです。私は40年来ずっとそういう立場に置かれているのですが、日本の人々はそれを知りません。

 それはたとえば、私がチェルノブイリの子供たちを助けているときにも、私を拉致するためにマフィアまで使ったのです。しかロシア国家サイドがそれ から必死に護ってくれたので、逆に誰の指図であるかの悪事が次々と明らかになりました。その結果、エリツィン大統領はその宗教団体創価学会)をオウムと同じくカルトと判断し、宗教法まで改正しました。

 私の医学芸術活動は旧ソ連邦の国々だけではなく、当然、ヨーロッパでも大反響を起こしました。南ヨーロッパ地中海に浮かぶマルタ共和国では、私を サポートしてくれているメリック博士が私の絵の展覧会を開催する前に、GOPで重病の子どもを治してしまいました。その結果、ビザが取り消しになってしま い、それを知ったガン患者家族がその扱いに騒ぎ立ててそれが現地の新聞の1面に出たことがありました。(写真13)

 というのは、 今までラトビアロシアウクライナなどでは、厚生省病院とウイッピ総合研究所で臨床実験契約をした後に、病気治療をしていたからです。ところが メリック博士マルタで、悲しんでいる患者家族に同情して思わずGOPを使ってしまったのです。しかマルタでは、GOPを使用させてくれるようにと国民の約8%が署名し、大統領に嘆願書が出されました。(写真14) このようなことからリック博士ビザ下り、私はマルタで、博士と一緒にマルタ国の英雄として新聞一面扱いでした。(写真15) しかしそうであるのに、空港の入国審査ではストップされて、GOPの持込も、治療も禁止されてしまいまし た。

 このようなことがあるので、某宗教団体創価学会) のメンバーたちが厚生労働省を牛耳っているような状態の日本では、GOPがどんなに効力があっても治療として使うことができません。ですから国内の重病患者家族からも頼み込まれていますが、どうすることもできない現状にあるわけです。ですから頼むのなら、某宗教団体創価学会) が私に圧力をかけないように頼んでください。

 そこで薬として認可してもらうためには、旧ソ連での臨床実験では弱いために、ヨーロッパでのスタンダードな臨床実験必要になってきます。そのためにはまず、 効力があることを証明するために細胞実験から始めなくてはなりません。ロシアラトビアウクライナなどでの臨床実験データによって1999年に、デンマークコペンハーゲン大学でGOPの細胞実験を行なうことができました。その結果、がんに効く画期的治療薬として証明されたために、ヨーロッパテレビラジオで取り上げられ、スウェーデンデンマークでは新聞一面に掲載されました。(P.81) そしてこれから世界的にGOPの活躍がすごいことになるのですが、それは次の機会に話しましょう。

 私がGOPを完成させたのは1992年頃ですが、その効能のすごさに私自身が驚いてしまいました。しか自然薬ですから副作用というものがありません。健康体の人が常用すれば若々しくなります。しいて言うと、元気になりすぎるのが副作用とでもいえるくらいです。そこで1996年頃には難病の人を何と かしてあげたいという気持ちでいっぱいでした。そんなときオーストラリアから私の事務所へ、「ガンを治してください」という内容のファックスが来たこと があります。そこで50万円かけて、スタッフである北村君をオーストラリアまで派遣し、GOPでガンを治したことがあります。もちろん無料です。

 その後、その女性がよくなってヨーロッパ旅行に行ったとき、かつて彼女が働いていたラトビア病院に寄ったのです。そしてその後偶然にも、その病院ラトビア国立科学アカデミー、それにラトビア政府とウィッピー総合研究所合意により、幸運にも初めて臨床実験が進められることになったのです。ラト ビアの臨床実験はすぐに、驚くべき効果を出したので、それが新聞に掲載されて大騒ぎになりました。この記事では取材のとき患者は6人と記載されていまし たが、残り3人は奇跡的に病状が回復して退院してしまった後だったからです。さらテレビドキュメンタリー番組として放送されたので、現地では大騒ぎに なりました。(写真18)

 ところが、日本外務省に巣食っている某宗教団体創価学会) のメンバーがこちらで暗躍し、病院は突然に患者要望を放り出し、GOP の臨床試験を突然中止してしまったのです。しかもそれまで我々の通訳をしていたラトビア通訳が、ラトビア駐在日本大使館人間と一緒にいるところを見 かけて以来、その通訳は一方的に我々の通訳仕事を断ってくるようになりました。

 それから後の話ですが、エリツィン大統領1996年の9月頃に危篤状態になっていたことがありました。それでラトビアでの私のGOPの臨床実験の成果を大統領府が聞きつけ、ある日特別な使いが私のところに来ました。それというのもクレムリン病院には100人くらいの医者がいますが、エリツィン病気秘密になっていたようで、医者たちにもわからなかったのかもしれません。しかも状況は、「エリツィンを治すな。治すならその主治医の親を殺す」という脅迫があり、両親を殺された主治医アメリカに逃げてしまっているという状況にありました。そんな中で私に声がかかったのです。

 彼らの知りたいことは、「エリツィン大統領の病状は何か? GOPで治せるか?」ということでした。そこで私は、危篤状態にあるエリツィン大統領の病 名とその理由を手紙に書きました。すると折り返し、「エリツィン大統領を必ず治せるか? 呼んだらすぐ来られるか? 返事をして書名できるか?」とファッ クスして来たので、両方とも「イエス」と書名して送り返したのです。

 モスクワに出発する前日、東京ロシア大使館で新任の駐日ロシ ア大使の就任パーティがあって参加しました。その時、前に述べた友人が新任のパノフ大使に、「五井野さんがこれからエリツィン大統領を治しに行きます」と 興奮して言ってしまったことがありました。突然なので、パノフ大使は何のことかよくわからなかったようでした。次の日、私はモスクワ行きの飛行機に乗りま した。そして飛行機モスクワ空港に着くと、なぜか軍人が2~3人乗って来ました。すると飛行機はそのままバックしてタラップで降りることになりました。

 私が立ち上がると、美しいキャビンアテンダントが私を静止させ、日本の都甲(とごう)ロシア大使が先にタラップを降りることになりましたが、下では迎 えの大使館の人たちが大声で叫んでいるのです。次に私がタラップを降りるとメリック博士が出迎えてくれて、私を一般用のバスに案内するのです。私がどうし て「VIPじゃないの?」と言うと、私のスタッフ全員がタラップを降りるのを確認すると、突然、「ドクター、急げ!」と言って、都甲大使のVIP専用車に スタッフとともに案内してくれました。

大使の専用車に私たちが乗っても、日本大使館員たちは何も話しかけてきません。

 私がエリツィン大統領の招待を受けているのに、じっと黙っているだけです。後で考えたことですが、その時、私が狙われてはいけないと言うことで大使館側の人がわざと大声を出して、大使を先に降ろさせて私の身代わりになってくれていたのかもしれません。空港の案内室に入ると大使館側の人たちはサッといな くなり、私たち花束を持ったロシア国立芸術アカデミー総裁事務局長など一行の歓迎を受けました。

 私がアカデミーの人たちと話 していると、私を送迎するはずのボルボがいなくなり、しばらくして再びやって来ました。メリック博士が、「長く駐車していられないので、急いであなただけ乗りなさい!」と言います。「どうして?」とモタモタしていると、またボルボはいなくなる。そんなことを何度か繰り返して、最後に私とスタッフだけを乗せ てボルボは走り出しました。ほとんど渋滞なしで突っ走りましたが、後でわかったことですが、メリック博士によるとモスクワ空港には私の安全のために40人のKGBが守っており、私が重要人物であることを知らせないために素早く乗車させたということでした。(当時はボルボ新車はVIPしか乗れなかった) 

 また渋滞がなかったのは、左右の道路をすべてストップさせていたからだと説明されました。しか私たちの後ろには、替え玉のまったく同じ色のボルボがついて来ていた。泊まるホテルにも、重要人物とレストランで会う時にも、常にKGBの人たちが従業員として警備していたことも後でメリック博士から聞かさ れました。そうしてやっとエリツィン大統領にGOPが渡され、大統領奇跡的に回復したのです。そんなことがあって、私はエリツィンに信頼され、親しく なったのです。

エリツィン大統領は「北方四島日本と共同で芸術の島にする」と、ロシアテレビで語った

 その後 1ヶ月くらい後の1996年11月頃に、日本ロシアで日ロ国交回復40周年記念集会がありました。そのとき日ロ協会の会長三塚大蔵大臣外務省東郷 次席公使、それにペンクラブ代表日本相撲協会理事長なども出席し、私も特別ゲストとして出席しました。ロシア側は教育大臣など9名くらいが出席しまし た。私はその時にロシア教育大臣に、北方四島返還に関する平和条約10項目の提案書を渡し、その後もちろんエリツィン大統領にも渡しました。

 エリツィン大統領は、北方四島返還に関する平和条約10項目が、提案書の中で「一番最高で実現性が高い」と支持してくれました。というのもこの日に、 日本ロシアアメリカから300もの提案書があったのだそうです。私の北方四島返還に関する平和条約10項目の提案というのは、簡単に言うと四島にすで に住んでいる地元の人々のことを考えて、北方四島にまず日本インフラ整備をすることでした。どうせ戻ってくるのですから日本は10年間で1兆円かけて もいいでしょう。10年間はロシア領土のままで、10年後には日本に戻る。しかし戻ってからも10年間はロシアも使えるというものです。(1997年11 月15日『ウイッピタイムス』発行。写真19)つまり20年間かけて、北方四島芸術の国、文化の国をつくろうという話です。

 エリツィン大統領も賛成し、外務省を通じて当時の橋本首相にも知らされました。ですから外務省が知らないわけがありません。しか日本国民には何も知らされず、コントロールされているマスコミは何も報道しなかったのです。(略)

 ところが某宗教団体創価学会)の票と政治協力を再び自民党に呼び戻すために、暗躍した某国会議員外務省が何度も邪魔しました。もし私の活動が彼らによってぶち壊しさえされなければ、日本ロシア平和条約を結び、北方四島は戻ったはずなのです。(ネットで「五井野正・ あおぽ」で検索し、『あおぽ』のホームページ五井野正博士特別寄稿の記事から北方四島は戻るはずだった!!”の記事を開いてください)。

 そのことを、当時のロシア問題の関係者外務省筋の友人、当時の真樹会の事務局長に述べたら、「そんな重要なことが日本ニュースになっていないとはどういうことか」と驚いていました。そうしたことからもわかるように、日本マスコミは某宗教団体創価学会からアメとムチで支配されており、某宗教団体創価学会) の会員たちがマスコミ社員や幹部として送り込まれているだけでなく、日本の政治家や官僚など隅々まで彼らに牛耳られているという現実があります

    (日本の某宗教団体創価学会) の政治的妨害で、日本境界線だけ引いてくれればいいと逆提案をして、結局、北方四島返還も日ロ平和条約反故(ほご)になってしまったという事実は、日本マスコミ界では今でもタブーとされています。)

   book 『今、知らなければいけない重大な真実を語るメジャーな人々 Vol1』 

              五井野正・池田整治・滝沢泰平・増川いづみ著  ヒカルランド

                         抜粋したもの

http://app.f.m-cocolog.jp/t/typecast/1275318/1293328/91560568?page=1

2013-06-20

安楽死ってあってもいいと思う。自殺志願者用じゃなくて。

母が病気でいま意識無い状態。延命治療してるわけじゃないけどもう1ヶ月ちょい意識無い。

良くならないのは決定してる。事情実家場所がないのでホスピスにいる。

でも僕か姉か兄がお見舞いというか様子を見にいくと次の日くらいに寝返りというか手の位置がちょっと動いてるようなことがあるらしい。

それでなぜ安楽死必要と思うかというと、母が入院間もないまだ意識あって普通に話せる状態の時に「どうせならぽっくり死ねたらいいのにね」みたいなことをたまに言ってたから。

親戚付き合いもあり、友人も多いと思われる母には入院当初はけっこうお見舞いが来てた。

その頃に二人になった時に言ってたか本音だと思う。別れがどんどん寂しくなって怖くなってたんだと思う。

あとお金心配をしてたのもあると思う。ほぼ毎日病院に行ってる父に気を使ってのもあると思う。

自分たちが今の状況から解放されたいだけだろと言われれば否定出来ないけど

もうなにも出来ない状態の人が、意識あるときに周りを気遣ってた人が

今の危篤寸前状態で居続けたいと思うわけ無いと思うんだよね。

うちの母親なら尚更。早く家に帰してあげたい。

どうすればいいんだろうねほんと。

2013-04-11

死ぬまでにしておきたいxの事

しておきたいというか、死ぬ前までに考えておかなければならない事を逆算しながら考えてみた。

埋葬してもらう墓地はどうするか(田舎墓地に入れてもらうか、自前で用意するか)

葬式はどうするか(予算喪主、参列者のリスト

残った財産や持ち物はどうするのか

事故死などで脳死場合、臓器提供をどうするか

病死しかも癌のように死期がわかる場合、自宅で看取られるか、病院ホスピスを選ぶか

死ぬのがわかった場合、何かやり残した事や、会いたい人は居ないか

自分人生、満足/納得できる物として受け入れられるか、それに対する努力や行動はやってきたか

痴呆症老人ホーム行きになった時、公立の安い老人ホームに入れるか、私営の評判の良い老人ホームに入れるか≒自分年金支給額はいくらか

高齢者になった時、面倒を見てくれる家族または知り合いが居るか、それとも独りでどうにかしなければならないか

退職後のリタイア生活で何をするか、ボランティアでもするのか、趣味に徹するのか、それでお金が持つのか≒自分年金支給額はいくらか

退職した後に、再就職するか、リタイア生活に徹するか

退職年齢は60歳で辞めるか、それとも遅く辞めるか、早く辞めるか、それにより退職金はいくらになるのか

どんなリタイア生活するか、それに見合った年金支給額は貰えるのか

希望する年金支給額を貰うためには、年収はいくらになるのか、その為のポジションルートは確保できているか

今の会社で働いていていいのか、転職すべきか、そもそも老後も職場日本でいいのか

自分の親や兄弟葬式墓地を用意していなかった場合、墓や葬式費用を用意しているかどうか

自分の親が兄弟病気入院手術の金を用意していなかった場合、代理で払ってやる金は用意しているかどうか

今日はひとまずここまで めめんともり

2013-02-26

経験談 - 医療保険は本当に必要な時役に立たない理由

http://anond.hatelabo.jp/20130226135757

元増田数字ベースでやっているので、俺は経験ベースで行こう

医療保険は、後遺症が残る病気かかると、その後継続を拒否される事が多く、さら支払いのタイミング歪んでいるから本当に必要な時まるで役に立たない。

医療保険が役に立たない理由

日本人死因第一位は癌、第二位は心臓だが、第三位は脳卒中(←肺炎に抜かれて死因では第四位になっていたようだ)三大疾患と言えば、癌、心臓病、脳卒中だ。この中で最新の厚生労働省患者統計によると、一番患者数が多いのが脳卒中(脳血管疾患)である年間172万人が入院している。死因第一位だからといって癌がクローズアップされがちだが、癌の入院患者数はおよし151万人であり、癌よりも脳卒中の方が入院患者数は多い状況である

この脳卒中と言う病気は恐ろしく金がかかる。癌より金がかかる。まず脳梗塞場合倒れてから手術、急性期が終わるまでで医療費総額数百万医が必要になる。パック一つで数十万という薬がばんばん使われる。

当然高額療養費制度のお世話になるわけだ。さらリハビリによって長期入院必要になることが非常に多い。最大で180日で毎月毎月医療費総額で数十万かかることになる。

ここでリハビリをやらずに退院させると、患者に良くないのはもちろんなのだが、今度は介護の方に負担が大きくなって全体として金がかかる。従ってきっちりリハビリする方が良いと言う流れができている。

これだけ長期入院になると高額療養費制度があってもお金がかかって大変だから医療保険必要か…そんな風に考えていたことが僕にもありました。長期間入院していると、家族の方も金がかかって大変なので、ここで医療保険必要だという事になるのだが医療保険は大抵60日で打ち切り。それ以上は支払われないので本当に苦しくなってからほとんど役に立たない。

さらに、後遺症が残ったとする。脳の病気は症状の違いこそあれ、間違いなく後遺症がのこる。しかし、巷で宣伝されている一般的な医療保険は、要支援認定がつくと多くの保険継続できず保険には加入できなくなってしまうケースが多い。(当然ながらより保険料が高くなる特殊なタイプにはまだ加入は可能だ)

癌もそうだが、脳卒中も再発が多い病気だ。だいたい半数の人が再発を起こす。障害は基本的に蓄積する。再発の時の方がより症状が重くなることが多く、対処は難しくなる。入院も長期化する。残る障害も大きくなる。こう言う場合にこそ保険必要だ。しかし、こうなった時には多くのすでに医療保険継続できずに打ち切られており毛の先ほども役に立たない事が多い。

必要保険は今医療保険として売り出されているものとは全然違う保険だと思う。入院1日目から対応される必要など無く、入院が長期化した場合にこそ必要である。1回目は保険が効くが、2回目は出ないのではなく、2回目こそ備えが必要である

さらに言えば、退院するとき必要設備費にもお金必要である介護保険があるのでそこから住宅改修などの費用は出る。またベッドや車いすなども補助を受けることで安くレンタルできる。しかしそれらは非常に大まかな制度の中でしか利用できず、自己負担もまとまるから、一ヶ月分の医療費支払いよりも金がかかる。また、患者の症状に応じた、たとえば自宅でリハビリを続けるための運動器具と言ったものは補助の対象にならない。だからそういったものは自費で賄う必要がある。しかしこれらは出ない。さらにこれは制度的な部分でどうにかするべき話なのだが、介護保険は認定が出て、支払いが開始されるまでのタイムラグ存在する。実はこれが非常に問題で、家庭で設備を整えてから退院しなければならないのに、病院退院するまで介護保険が出ないと言う事になってしまう。手続きを取っておけば後で支払われるにしても、一時的に自分の金でなんとかしなければならない事になる。では、現状はどうなっているかというと、介護保険対応介護用品取扱業者が支払い見込みにより一時的に立て替えたりしてくれる。非常にありがたいこれで制度の谷間の補完ができた?  いや、実はこれは副作用がある。実はこれのおかげで、一般価格よりも高い保険対応の業者を使わざるを得ないと言う事情が発生して業者のいいなりになりやす。できる限り自立してほしいということで、設備を最小限にしたいとする。しかし業者は制限一杯レンタルした方が儲かるので、よりたくさんレンタルしたがる。これは患者のためにならないことも多い。 ここで業者のいいなりにならぬためにも金が必要である

現状の医療保険は本当に役に立たない。

入る必要があるとすれば、十分な貯蓄を貯める事ができず、さらに緊急融資などを依頼できるだけの信用が得られない期間にスポット的に入る場合だろう。貧困層はいざとなれば行政の支援を得られるので無理してはい必要は無いし、それ以上は普通医療保険を用いればいいので入る必要は無い。

必要医療保険の姿とは

これらが必要なのでは無いかと思う。いずれも制度の谷間で、一人の力ではなかなか乗り越えるのが難しい部分であるからこう言う所をカバーする保険が欲しい。保険というのは、確率は低いものの、いざその状況になったらいわゆる「積む」という状態になる事を避けるために存在するわけでこういった保険は開発できないのだろうか。またこれらであれば、おそらく確率的にはそれほど高くないので、保険料も安く抑えられるはずだ。

追記

どうもこの元増田についているブコメにもあるけれど、趣旨が理解されてない感じがするのでちょっとだけ。

要するに、元々は健康保険によって

と言う形でリスクが抑えられている。健康保険に加入している限り、これ以上リスクは増大しない。この健康保険で押さえられているが、それでも残るリスクさらに低減するために医療保険の支払い額は似合っているのか、と言う話なのだ。ヘッジできたリスクも含めて元を取れているかと考えると言う事。

それを数字的に計算したのが元増田で、経験談として書いたのが俺というわけ。

ブコメから

b:id:Red-Comet

こちらも意味不明。入ってなくて貯めてた方が得だったの? 違うでしょ? というお話

短文過ぎて理解するのに時間がかかったが、要するに保険が支払われたのならば加入していた事により、保険料として支払った額よりもプラスになっているはずである、と言う主張だろうか。

病気になって保険のもととれたんだから保険を肯定しなければおかしい」こんな馬鹿なな主張をしていると言うことにまず気付いて欲しい。次に、情報として、本当に致命的な事態には役に立たず、それに保険料が似合っているかと言う事をよく考えるべきだと言う趣旨である。またきちんと計算をしてみないと分からないが、備えとして有効なのは、1ヶ月程度の別の病気を複数回繰り返すと言ったレアケースのみであると考えられる。

b:id:majidaru

ここまでわかってるなら、そういう保険に入ればいいんじゃねーの?

そういう保険があるなら教えて欲しい。

b:id:what_a_dude

民間医療保険と公的医療保険ネットで考えたとき果たしてどうなるかというと、皆さまの大嫌いな税金保険料という話になって帰ってくる、という話だと思われます

違う。民間医療保険があるから公的健康保険保険料が低減されていると言う事実は無い。民間医療保険はかかった費用にかかわらず支払われるタイプと、手術などのかかった費用に支払われるタイプがある。

前者は完全に公的健康保険とは別であるが、後者においてはかかった費用自己負担額に応じて支払われるため、この場合でも公的健康保険の支払い額は減らない。むしろ民間医療保険再保険として公的健康保険制度機能していると言う性質すらある。

b:id:kijtra

知人はガン保険に入ってて、ガンになってかなり助かってた。そういうの見ちゃうとね…。健常者のうちはわからんもんだ。

b:id:insurance

大きな病気けがをしたことのない人の発想だな。

b:id:shoji-no

高齢者も含めて計算した生涯罹患率の平均で、50歳までの罹患率はたった2%。」←ガン保険って、この2%の人のためにあるものだと思う。

高額療養費制度が知られていないことを利用した保険商品ではなく、適切に設計された重大な病気にだけ対応した医療保険に加入していた場合は、現状の医療保険よりも保険料は安く、さらに手厚い保証を受けられていた可能性が高い。

b:id:caq

日本は"公的"医療保険で全カバーが原則。"共済"とかをプラスαで使うなら良いんで無い?差額ベット代目当て(がんは支払日数無制限)とかね。まあ、自営業で体壊して「経営者保証資産全滅」時の"家族への保険"かな。

これは医療保険カバー分野ではなく、就業不能保険、あるいはその他の損害保険カバーする分野かと考えられる。また自営業で金をかりると、通常銀行保険をかけてくるはずなので廃業しなければならないほどの致命的な疾患を負った場合、そちらで借金が支払われる可能性が高いのでは無いか

b:id:aoi_tomoyuki

つうか保険って勝つためじゃないでしょ。大負けを防ぐためじゃないの。

大負けを防ぐための仕組み「高額療養費制度」が既にあるので大負けはは無い。そのような状況で保険をかける意義があるのか、と言う話。

さらに追記

b:id:sato0427

2回目以降の保障が欲しいのは同意だけど、それが1回目の保障も不要とはならないでしょ?増田自分で書いてある通り、高額医療費だけじゃカバー出来ないんだよ。

賭けられる資金は一定であると言う事を無視されては困る。1回目のリスク、2回目のリスク。どちらがより大きなリスクであり備える必要があるかと考えたとき、かけらるリソースを考えたときどう適切か。そして多くの保険は高額療養費制度への無知・誤解を利用してバランスが悪い商品になってしまっている。こう言ったものは役に立たない。

1回目の保証については普通に生活している分には賄えるように制度設計がされているので高額療養費制度でほぼ足りる。低所得者場合高齢者世帯なら最小負担額1万5000円、70歳以下だ34500円まで減額される。また臨時の資金需要には、生活福祉資金貸付制度もある。これらの制度があっても一時的に払わなければならない自己負担額が賄えない場合ならば、このような形態保険でも有効だろう。しかし、そこまで困窮している世帯に月々の医療保険料を支払う余裕があるのか、と言う根本的な問題があり、ここにゆがみがある。

b:id:hisawooo

なんか論旨が行ったりきたりしている。死因と医療保険微妙関係ないと思うし・・・必要保険の姿をちゃんと考えてるのはいいと思うけど医療保険じゃないものも含まれてるし

いろいろと伝えたいことがあるので詰め込んだら分かりにくかったかも知れないが、多くの方は理解してコメントを残してくれているので、読んでみて欲しい。

死にそうな病気ほど金がかかるのが現代医療なので死因と治療に高額な金が必要になる。脳卒中は近頃、患者数の低下以上に死亡者数がが低下しているがこれは高度化した医療によって救われているが、高度化した医療はタダではない。では手遅れの場合はどうなるか。癌などの場合ホスピス医療保険医療に含まれていて推進されている。これからさらに広まることだろう。

医療保険ではないものが含まれているとあるが、医療保険おかしいと言う話をする時、現状の医療保険の枠内で語らなければならないと言う制限は適切では無いと考える。

2013-02-25

http://anond.hatelabo.jp/20130225163725

病院の待合室というよりも、救いの無い経済的、精神的な悩みを抱えた人達を看取るホスピス

どうにもならない、受け入れられない、救いは無い事が分かっている時に人は増田を思い出し書き込むのです

2012-10-17

http://anond.hatelabo.jp/20121017025624

すんげー極端かつ大雑把な例出すけど、

少子化対策」なら保育園幼稚園児童館出産手当に小児・分娩医療スタッフの確保、欲を言えば特別養子縁組の普及だけど(不妊治療保険適応とかもか?)

高齢化対策」ならホスピス・緩和ケアと自宅での看取り、あとはヘルパー介護士健診に栄養相談雇用延長

みたいな。

個々の例まで落とし込むと「性質が違う」ってレベルじゃなくカテゴリからして全くバッティングしない感じになる。

高齢化対策例の何処が『子どもを増やす』なんだよ」とか思うかも知れないけど、これはとりあえず金貨を削る(社会福祉費の節約・削減)というアプローチで挙げたから。

削った金貨が託児代とかになればいいけど、まあそこは個々の家庭の判断だよね。行政に投げて設備作らせるのも手だけど。

個人的には「子どもを増やす」という目標は確かに結果として高齢化傾向を緩和する(平均年齢の数字を低年齢化させる)だろうけど、あくまで間接的なものにならざるをえないと思ってる。だからそもそも子どもやすのを高齢化対策と考えること自体に違和感

何故なら高齢化少子化表裏一体ではない(「国民がみんな高齢すぎて妊娠能力がない」という現象ではない)から

2011-07-13

http://anond.hatelabo.jp/20110713012629

■音声入力ソフトを通して、テキスト化。蓄積することで検索が可能に

GPS情報履歴も付加し、位置の履歴も取る

位置情報を元に、音声入力の変換辞書も切り替わる

■声紋分析して「他人の声」も自動個体識別し、テキスト化の際に色分け表示する。

心拍計万歩計、体温計も付けて、消費カロリーを推測する(睡眠時無呼吸症などの、病気を診断できれば尚良し)

■録画装置(超広角or魚眼レンズ)で、「見た物、聴いたこと、話したこと、居た場所」を全部記録し蓄積する

キャッシュカードや個人口座の出入金履歴とリンクしている

暗号化して改ざん防止することで、裁判における証拠能力を持つ

 

22世紀世界大戦でも起こらない限り、ほとんどの視聴覚情報、行動履歴は生涯分の蓄積が可能になっている。

ログを取っている方が多数派だからログの残っていない人間は、社会的に信用されず、

社会人ログクラウド化されることで、個人情報の海が形成されている。

youtubeが全世界地上波TVの全記録を収容することが可能なように)

 

もちろん、その個人情報を観測するアクセス権は、本人以外、誰にも与えられない。

かろうじて、匿名化処理を経ることで、この個人情報の海は

学者研究され、プロモーションネタになり、市場操作材料や、時に軍事利用される(今のテレビがそうであるように)。

 

プライバシーは、生データへのアクセス権、削除権と、限りなく同義になる。

 

そして、ログは、個人の死後も永遠に痕跡を残す。

或いは、葬儀セレモニーの一部に、「生涯データの全削除」が追加されるのかもしれないし、

ホスピスで、ニッコリ笑った看護師さんに「全削除になさいますか、それとも全凍結で50年後公開にいたしましょうか?」と訊かれるかもしれない。

 

まぁ、そんなわけは、無いんだけどね。

2011-05-24

とあるニートの1日

日付が変わる前に寝ようとしてみて起きたら今日AM1:42分ごろに目が覚めて寝れない

夜食?朝食?代わりに祖母が切ってくれてたオレンジを食べながらNHKBS1インテル対どこかのチームのサッカーを5分位見てた。その前に地上波NHK総合爆笑問題番組ホスピスを訪問してたのを30秒位見て即座にBSに変えた訳だ

PCの前に座って、でもスリープから復帰はさせずにラジオNHKFMを少し聞いて最近受験勉強してないなと思いながらマウスクリックしてPCを眠りからます

昨日か一昨日に少し触ったFPS「AVA」をなんとなくやり始めた。このゲーム基本無料の癖に一人でAI相手に練習出来るので、クロスヘアを見なくても画面の真ん中に敵キャラクターの頭部を捉えられるようになるまでひたすらやる

調子が出てきたところでAVAを一旦落として休憩。

それからカーテンの外の世界が青白くなるまでだらだらAVAれる。

それからStarcraft2のIGNプロリーグをJustinTVで観戦。実況解説や配信ページも全部英語なので英語勉強になってるはず。

ずっと英語の実況を聞いてると眠くなってくる。ヘッドホンしたままPCほとんど離れていないベッドに潜り込んで実況を聞きながら試合の様子を想像してると更に意識が遠のいていく。

ヘッドホンを外しても開放型のHD595なので強調された単語は耳に入ってくる。その声を聞きながら眠りに落ちる。AM8時前

起きたのはPM2時40分ごろだったがPCのファンノイズが五月蝿いし、いつの間にか試合も全部終わっていたのでPCスリープさせる作業が途中で入った。

起きてから今までGoogleリーダーTwitterを読んでいた。

少し腹の虫が騒いでいるので何か食べてから散歩に行こうかな この後6時10分から韓国で行われてるStarcraft2のスーパートーナメントを見たいのであまり長くは歩いたりブックマーケット立ち読みに行けない。

ありがとう。それではま

2011-04-05

http://anond.hatelabo.jp/20110405201927

遺族が奇跡を信じて延命を希望してたわけで、治療している医者は続けるしかないにきまってるじゃん。

そもそもあの時代の医者に人を安楽死させる権限なんて無いしホスピスって概念も広まってなかった時代だよ?

2010-08-26

ホメオパシー叩くしか能のない男の人って……

結局、問題は「いかに(比較的)健全な逃げ道を用意してやるか」に尽きるんじゃねーのと思ってる。ただホメオパシー叩いてりゃいいってもんじゃない。はてな村民にはそこが足りない。

ホメオパシーとか今すぐ地球上から滅びればいいと思ってやまないんだけど、でもそういうのに縋る人の気持ちもわかんないでもないんだよね。

自分家族がそうで、タイムリーなことについ最近ホメオパシー関連の団体に入会した(ついでに入会書に勝手に俺の名前書いてたので死ねと思った)んだけど、その直接的な理由がどうも、妹のアトピー皮膚科でくれる薬を塗ってもちっともよくならない、それどころか数年来悪化する一方(であるように本人たちの目には見える)なのが原因らしい。

その話を聞いて正直アホかと思ったんだけど、同時にその心理はわからなくはないわけで。

一般化すれば末期ガン患者が拝み屋だの黒酢だのに手を出すような。

はてな村民なんかはバリバリ科学世界観に生きていて、俺も今のところはそうなんだけど、だから疑似科学ボッコボコにしてもなんともないわけですよ。新大陸行ったら現地人がわけのわからん偶像拝んでた、みたいなもんで、打ち滅ぼすべき悪と確信してやまず、あまつさえ教化の使命に身を震わせてたり。

でも日本人のほとんどはまだまだ呪術世界観に生きてるわけで(この前どっかの大学社会学先生ブログでそんなこと書いてた)、彼らが病院でもうダメだ、となったときにどうするのか。縋るものが必要なわけでしょ。

終末医療におけるホスピスのように、そういう適度な精神安定剤は当然必要なわけ(このへん、日本では宗教がうまく役目を果たしてないからよけいに悪徳宗教とか疑似科学流行るって話もあったりするわけで)。

これからのこの社会課題として、そういう「逃げ道」として(比較的)健全さを保った、(比喩としての)プラシーヴォ効果を一定程度供給してくる疑似科学なり宗教なりをいかに確保し、かつ100万円の壷買わせる拝み屋、みたいのをいかに排除していくか、について科学世界観の持ち主、社会の善導者たるエリート様におかれましては向きあう必要があるのではないでしょうか(そういう意味では、現状での温泉とか鍼灸がヒントになる気もする)。せめてもの妥協として。

少数派は批判されればされるほど、その事実こそが自らの正しさを証明しているのだと思うようになる(って心理学実験論文が出たってGIGAZINEかどっかにも書いてあった)わけだし、叩くのではなく「仕分け」た方が効率がいいはず。

もちろん同時に、義務教育課程においていかに科学的な思考法を浸透させていくかも問題になるわけだけど、まあ所詮限度があるだろうし、そもそも世代交代には時代がかかるわけだから、当面は上に書いたことを推し進めていくしかないと思う。

2010-08-25

根本的な勘違いをされていると思われるので

ホメオパシー信じて死ぬのと同じだよねこれ。

http://d.hatena.ne.jp/ssig33/20100825/1282722071

ホメオパシーの例の事件の問題は、助産師という医療関係者が、K2シロップの非投与という医療怠惰行為を本人又は保護者の説明/了解なく行ったこと

・代替治療の多くが非難されるべきなのは人の弱みにつけ込む悪徳商法となりやすいか

本人が自分で判断できるのであれば、治療方針が科学的であるかは関係ないです

基本的に、転移した膵がんはまず助かる余地がないです

がんは若くて元気な人ほど進行が早いので、今監督のようなケースでは余命は予測がほとんどできないです

少なくとも、抗がん剤治療をしたところで、新しい作品を残すところまで回復するのはありえない

そもそも、抗がん剤治療というのは完全に確立したものではなくて、

いろいろなガンの発生部位、進行度、併発症状などを

少しずつ試しながらある程度効果が確かめられたものを取り入れて

現在進行形で少しづつ進化しているものなんです

それも、多くの場合は早期で転移が少ない状態では有効でも

進行したがんについては非常に難しいのが現状なんです

抗がん剤治療というのは、すごく大変なんです

まず副作用がひどい(事が多い) 本人もつらいし、まわりもつらい

副作用によっては見た目が変わる。

費用面でもバンバン出費がかさむ

本人は早く死にたいと言い出すし、

介助してる側も、こっちのほうが早く死にそうだと

そういう冗談を言いたくなるほど大変です

もちろん、がんになった時点で同じなのかもしれません

抗がん剤治療をしなかった場合でも大変なこともあるでしょう

でも、抗がん剤治療を選択することが絶対の正解ではない

ということもわかって頂きたいのです

患者さん本人とその家族医療従事者がみんな大変な思いをして

ちょっとずつ進化しているのが抗がん治療なんです

最近では医療ミスとして訴えられる訴訟リスクも重なってさらにヤバイ)


代替医療カルト」だなどと言うのは簡単なんですが

現代医療であっても そういうリスクを踏まえて行われていると

いうのを理解して欲しいです


多くの場合で、まず抗がん治療医師が勧めるのは

それが正しい判断である場合がもちろん多いのですが、

保険制度訴訟リスクの問題から、

それ以外の選択肢が許されていないということもあるのです

患者さんにとって、最善の選択ではないと分かっていてもです


科学が絶対であっても、いつか人は死にます

現代医療が最大限の努力をしても

どうにもできない時が必ず来ます

その時にあなたは、どう生きるのか

そして死ぬのか


自分としては

本人の意思と判断が正常である場合には、

むしろ自由度を高めてもいいと思っています

大人というのが自分責任を持てる存在であるならば

自分人生デザインできるように

自分の死にざまをデザインできるように

自由度を高めるのは悪いことではないと思います


医療保険に入るのも、貯金をするのも、ダイエットをするのも、

丸山ワクチンを打つのも、延命治療を選択しないのも

自分費用も含めた責任を負えるようになるのは

けして悪いことではないとおもいます


命の価値という測りようのない責任から

みんなが逃げながら、過度に膨張する倫理

そして国家財政を歪めるほど積み上がる医療費

だれもが来る死

それから逃げないで、だれかのせいにしないで

もう少しだけ自分と向き合って欲しいです

ホスピスを含めた緩和医療への理解が進んで欲しいし

尊厳死ももっと議論の俎上に上がっていいのではないかと思います

監督遺書終末医療のケースを考える上でとても

興味深かったですが、まさかこんな感想を持つ人が居たので

少し長い話を書いてしまいました。

2010-08-21

母を失って1年半。

私は1年半前、病で母を失った。

当時の私は、「ホスピス病棟入院する」ことはどういうことを意味しているか知らなかった。私は学生春休みだった(とは言っても就職活動はまっただ中だったのだが)こともあり、母の病室には毎日のように通っていた。その日は大雨。いつものように車を運転し病室に行き、母に話しかけながらコンピュータをたたき、就職活動の書類を書いていた。

その日、母の様態が急変した。突然咳き込みだし、私は看護師に声を掛けた。この症状は危篤です、と告げられた。私が車で駅まで迎えに行き、徐々に親戚一同が集められる。

母はいつだって「苦しい」「しんどい」「つらい」、弱音を吐かなかった。その母に

大丈夫? 苦しい?」

と声を掛けるとうなずき、初めて苦しいという意思表示をした。それを見た看護師は、

「少し眠らせましょう」

と言い、麻酔のような(当時よくわからなかった)点滴で一時的に眠らせる措置を執った。しばらくして母が目を覚まし、少しは目を開けていられるものの、すぐにまた咳き込み始めた。これを何度か繰り返していると、徐々に咳き込むまでの間隔も短くなってゆき、次に眠らせたときに、

「次に目覚めたときに、お別れをしてください」

と私たちに告げる。

次に母が目を開けたとき、私たちは嗚咽にふるえる声で最期に感謝言葉を伝えた。親戚一同が自分の目の前に立ち、泣きながら自分感謝言葉を告げる、その光景を見るのは一体どんな気持ちなのだろうか。母は、その後に大量の点滴を投与された。翌朝、その眠りに落ちたまま、母は息を引き取った。

「眠らせて息を引き取るのを待つなんて、そんなん殺してるんと一緒やん!」

と当時は思っていたのだが、のちに「ホスピス」とは、「治療する」ことではなく、「苦しみを少しでも緩和する」ことを目的とした施設だと知った。患者の立場から考えると、苦しい思いをしてまで無理に生きながらえるよりも良い選択なのかもしれないと思えるようになった。

今でも母の夢を見る。母の夢を見るときは、決まって母は闘病生活をしている。その姿だけが夢に出てきて、母を失ったという事実は夢に出てこない。これは母の死後1年半、ただの一度も例外はない。

今では母の死から立ち直り、社会人1年生として立派に(?)働いている。人間には、きっと他のどの生き物よりも豊富感情がある(生物学は詳しくないのでよく分からないが)。楽しいと思えることが終わることもある代わりに、どんな苦しみ、つらさからでも必ず立ち直ることができる。つらいときは泣いたっていいと思う。流した涙の分だけ、その先には幸せが待っているはずだから。

2010-05-03

俺は童貞病の末期患者

二次元というホスピスターミナルケアを受けている。

現実で嫌われ罵倒されるよりも妄想世界QOLを。

人生そんなものじゃなかろうかと思った。

2009-10-20

http://anond.hatelabo.jp/20091020171037

いちおう「尊厳死は認められない」という前提の上で考えていました。

今までの議論が前提の上に行われていたと言うことはそれはそれとしておいておきまして。

現状でも末期で生命維持装置を外すことや、治療を拒否してのホスピスなどが段階的に認められてきた経緯がありますので

尊厳死」が認められるようになるのは時間の問題だと思います。

仮に尊厳死が認められるならば、たぶんそれだけで現在議論?中の介護問題は解決しそうなので

老々共倒れ的な事案はある程度は解決されるでしょうが

フリーライダーが残る限りは介護問題は解決しえないと思います。

2008-10-03

覚悟というか自覚はあとから来たよってはなし

http://anond.hatelabo.jp/20081002222806

増田の人が子供と覚悟という話だったので、自分語りしてみる。

3年ほど前の話。うちも妻が子供を欲しいということで、いろいろ話し合った。

子供が欲しくない訳ではなかったんだけど、そこのろ私の父が癌でそんなに長くない感じの宣告をうけていて、ホスピス希望の父のために貯金してたんだ。まぁ、父への最後のプレゼントのつもりでボチボチ貯めてた。

でも、元々体力のある父は意外にしぶとくて、宣告請けて2年ぐらいまったく変わりなく。そうこうしてる間に妻と子供どうする?という話に。

そのときは、本当にどうしたらいいのか分からなかった。

子供を産んで育てるには、お金が掛かる。一応貯金はできてきていたけど父の容態が急変したらどうなるかわからない。すごい手術が必要かもしれないし、長期ホスピスでそんな貯金なんてあっという間にふっとぶかも知れない。

子供を育てるということに関する不安ももちろんあったし、自分の子供に対する想像いまいちうまくできなかったのも事実だけど、一番大きかったのはお金の問題だった。

どうしたかというと、運を天に任せた。

まぁ、避妊をやめたからってすぐ出来るかどうかわからないし、それこそ不妊ということだってある。何のタイミングがどうなるかはわからないのだとしたら、それに乗るかなぁと。まぁ、覚悟を決めたと言うには消極的な態度かもしれないけれど、結局のところ完全にコントロール可能な未来なんて無いのだし。

・・・なんて考えてたら一発でしたよ。ほんとに計算したら初回。

それで、無事男の子が生まれたのが1年半ほど前。

http://anond.hatelabo.jp/20070205222022

(この日記は覚悟という題だけど自覚というほうがより正確かもしれないな。)

上の日記のように、なにか子供がいる現実がぐわっと迫って来たのは3ヶ月ほどしてからだった。

その後、父は2年も頑張ってくれた。

最後は意外にあっというまで、結局お金はあんまりかからなかった。

孫を抱いた父はほんとうにデレデレなおじいちゃん顔で、そんな顔見た事無かったからびっくりしたし、私の場合はおそらく、ホスピスよりよい孝行になったのだと思う。

これは私の話しで単に運がよかったのかもしれない。元増田がどうなるかはわからないけれど、子供を育てるって、たぶんいろいろ事前に想像してるのと全然感触が違うかもしれないよ。

まぁ、何か参考になれば幸いだ。

2008-09-19

僕には現在、ガンで入院している祖母がいます。

その祖母の容体なのですが先日、「末期のすい臓ガンでもう年は越せないでしょう」と医者に言われました。

他の場所にもガンが転移しているらしく手術ではもうどうしようもないとのことです。

母と僕とで医者からその話を聞いたのですが、2人ともショックでその時は何も言葉が出ませんでした。

祖母自体は、腰や肩の痛みが悪化したから入院しているんだと今でも思っています。

まだ祖母には病気の事は伝えていません。

ですが日に日に弱っていく祖母を見て、病気の事を伝えないことが本当に正しいのかどうか今とても悩んでいます。

日増しに声も力を失っていき、お見舞いに行っても「痛い、痛い」と苦痛の顔を浮かべ、「早く家に帰りたい」といつも泣いています。

ただ声をかけて見守ることしかできない自分がとても歯痒いです。

その病院にはホスピス病棟もあり、祖母の場合移動することも可能とのことです。

ですがそれには祖母が病気について知っている必要があり、前もって家族医者から祖母に伝えることが条件として提示されました。

それから母と僕とで話し合いどうしようか考えたのですが

今の祖母の容体を見てると、とてもじゃないけど医者からの宣告に耐えられそうになく結論が出ませんでした。

一般病棟先生も、このまま伝えなくてもいいとのことを言っているのですが

ホスピス病棟先生からは、きちんと祖母に伝えるべきだと言われてしまいました。

なんだかドラマ白い巨塔を見ているような気分です。

祖母の余命もあと4ヶ月もありません。

長い時間が残されているわけではないので、結論を急がなければならないのですが

もしこれを読んでくださっている皆さんならどうしますか?

参考程度に意見を聞かせてください。

2008-05-11

覚悟未了

今日はさすがに少々堪えた。

表の日記には少し重過ぎるので、久しぶりの増田

少し自分を落ち着かせるために、書いてみたいと思う。あとで多分消す。

今朝早くに父が退院したがっていると母から呼び出し。

もう明日ホスピスとの面談なので少しほっとしていたのだけれど、ここ数日の強力な鎮痛剤の副作用精神に混乱が見られるということ。

急いで実家に駆けつけると、ベットに横たわる父は又少し痩せたように見えた。3ヵ月前まで65キロあった体重が45キロになっていたのだけど、今朝はなんと言うか、もう確実な死期を感じさせる、たぶん死相というやつを浮かべていた。

そして、笑いながら虚空に手を差し伸べて何かを一生懸命話していた。

父は私に気がつくと起き上がり、以外にしっかり「やぁ、いらっしゃい」と話し始めた。

目の焦点が少しあっていない。私を認識はできている。

USBメモリプレイヤーCD音楽を取り込んでほしいと頼まれ作業。

「なつかしき歌こころの歌??叙情愛唱歌全集??」全10枚を聴きながら話をするが、何か良くわからない機械の修理法やら最寄り駅から実家までの来方を一生懸命説明してくれた。ダークダックスの惜別の歌とか鮫島有美子の埴生の宿とか聴きながら、どういう拷問だこれ、と。頭の中ではっぱ隊のYATTA!を爆音で鳴らして対抗し、微笑みをキープした俺を最大限に褒めたい。

由紀さおり夕焼け小焼けあたりはIKUZO脳内まっすあっぷの必要があったが。

それにしても鮫島有美子はいい。

GWを少しずらして帰省中の嫁と子供電話

最近息子は「とっと、じぃじ」を話せるようになったので、少し話してもらおうと思ったのだがあいにく昼寝中。

嫁と話して少し落ち着く。

いったん家に帰ろうかと思っていたが母も疲れているし、不安だろうから今日は泊ることにする。

晩飯に一緒に寿司を食べるが、すぐもどしてしまう。

固形物はたぶん、もう無理な感じだ。

http://anond.hatelabo.jp/20070205222022

癌が見つかって4年、これを書いた時にはすでに予想されていたイベントではある。

少しづつ準備はしてきたので諸々の手配はすんではいる。心の準備もしてきたつもりだけれど、これはやはりしんどいね。覚悟なんてあろうがなかろうが、まぁやれることをやるしかない。

そういや祖父がなくなったときの父はどんなだったろうと思ったが、そのころちょうど海外にいて立ち会えなかったのだった。

明日はホスピス先生と今後の相談をすることになる。しっかり母を支えなくては。

それにしても昨晩眠れなかったのでこれとか見てて今日は救われたよ。

裸になれる、さらけ出せる人間って強い。

http://jp.youtube.com/watch?v=kmz8bD8Rs4o&feature=related

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