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2024-03-07

小父の家売却顛末記 - 全ては良い不動産屋に出会えるか-

梅宮アンナさんが梅宮辰夫さんの別宅を売却した話を読んでいて書きたくなったので書く。

ワイは田舎限界集落の看取り人を自覚しながら、もうすぐ消滅自治体になると予言されている山奥で暮らしている。しかし、父の弟、つまり叔父地元を出て外で暮らしていた。

中堅企業なれど、ニッチ特殊プラントを作れる唯一の会社で、そこのエンジニアとして働いており、最後は三代目社長ボンボンぼんくら)を支えるNo2として技術の面から支えていて、結構な金を稼いでいたようだ。

田舎農家を継いだお人好しの兄貴……つまりワイの父がトラクターが壊れたと修理していたら、突然新品の35馬力の巨大なトラクターを手配してくるような豪快な人だった。

ところが、役員定年を迎えた翌年、ものが旨くたべられないと病院受診したら進行した食道癌がみつかり、一応手術をしたもののあれよあれよという間に死んでしまった。小父は独身でもちろん子どもはおらず。内縁奥さんといっていいぐらい長い間お付き合いをしていた女性がいたらしいのだが、ずいぶんと年が離れていたためか、籍は入れなかったようだ。

そして残ったのが叔父資産である。その最大の資産は、会社がある地方都市結構いいところにある広い家であった。

家との遭遇

ワイと父は一度も小父の家に行ったことが無かった。いつも小父は呼ぶより帰って来たがったし、当時はまだ祖母がまだ生きていたので。

さらに、小父の最後は、ワイらが住んでいる家の近くのがんセンター引っ越してきていて、そこのホスピスに転院すると言う話をしている間に亡くなった、ということもある。

そこで小父は「中身は全部捨てて空にしてくれ」「空にしたらあとは好きにしてくれ」と遺言を託していた。

で、行ってみたところ、びっくり。そこは結構な高級住宅が並ぶ一帯だった。庭は狭かったが、駐車場は3台楽々止められる広さがある日本家屋建物自体はかなり立派。

小父はこれを中古で買ったらしく、築40年ちかくたっていたが、最低限のメンテナンスは行われていて、雨漏りしているとか致命的なことは無さそうではあった。

家終い

中は、絵に描いたような男の一人暮らしで、ゴミの山とかはなかったものの、物だらけ。小父の趣味のものがあちこちに詰め込まれている状態だった。

まずはこれを処分。それだけで一年近くかかった。全部捨てろとのことだったが、それもなんか心苦しくて、形見分けに欲しがる人に渡す、古物屋に売る、などをやっていた。

そうしながら、親父の兄弟で話し合いをもったところ、兄弟の家から結構離れていることもあって、売却する方向で話を進めること担った。

当初、飛び込みでそこらの不動産会社などに相談していたのだが、いずれも「上物には価値がない。値段は土地だけ」と言われた。まぁそんなものなのかなと思う一方で、なんかもったいない気もしていた。

そうして片付けに通っている間に、近所の方ともなんとなく挨拶するようになって、お土産を交換するぐらいに仲良くなってきていた。

そこで、最終的には維持できないので、売るつもりではいるんです、と言う話をしたところ、なんと、その方が別の不動産会社を紹介するので、そこと相談してみないか?とおっしゃってくれた。

そして売却へ

そうして、別の不動産会社の方と面会すること担ったのだが、その方は一通り家を見て、図面を見たあと、今までの業者全然別の事を言い出す。

そのため

の4つとなった。当然最後にいくほどこちらの取り分は大きくなるが、必要な金とリスクが大きくなる。また、不動産業者は利益関係から最初コースにするなら不動産会社が買うと行っていた。

が、小父は現金でもかなりの遺産を残してくれていたので、祖母相続した分でも相当な金額になっていた。それを定期預金に預けるよりは、と言うことで、4番目のコースで行くことにした。

これが大正解結論から言うと、リノベの改装が直後に複数の買い手がついた。不動産会社が「最終的にこれぐらいの価格であれば確実に売れると思います」としていた価格よりも500万円ぐらいは高く売れた。

そしてその後

祖母兄弟それからワイが入って相談し、売却した不動産お金は、最後まで小父を支えててくれていた内縁の妻と折半し(売却のためのリノベ費用こちら持ち)贈与することにした。

他にも金融資産を中心にしっかりと金はあったのだが、女性は受け取れないと受け取ってくださらなかった。

ただ、どうも小父とお付き合いをしていたために婚期を逃したようなところがあることから、家を売却したお金からと改めてお手紙を書いて、お願いして受け取ってもらった。

また、その時にお世話になった不動産屋さんは、ただ不動産を売却するのではなく、古い家をリノベして高付加価値化して売ったり、貸し出したりすることを得意にしている開発型の不動産屋さんで、そのノウハウを使って地方空き家問題にも取り組まれているところだった。

そこで、ワイは今、そのノウハウをいただいて、小父さんの遺産を元手に、地元空き家をリノベして活用する事業を進めている。

2024-02-27

anond:20240227182658

社会って誰だよ。俺も社会構成員のはずだが少なくとも俺は他のことに税金使えよあれはホスピスみたいに特に治療せず自然死させても医療放棄ともばれない程度の重傷だったろって思うわ。

2024-02-13

anond:20240213172006

うん?

仮に「相手負担になるまいと尊厳を持って自死を選んだ人間が、し損ねてそれを哀れに思って殺すことが罪なのか」って話であるなら、尚更社会保障ホスピスの話になるのは自然では?

ここで「本人が自死を選んだのならば、他の解決策があっても殺して良い」という先入観があるならわからんでもないけど

anond:20240213165116

高瀬舟って「相手負担になるまいと尊厳を持って自死を選んだ人間が、し損ねてそれを哀れに思って殺すことが罪なのか」って話だからホスピスやら社会保障の話だと思うの頭悪すぎるんだよね。

anond:20240213170305

もしかしてマジでそれらができるって知らなくて言ってた?

ホスピス医療緩和ケアではそういったことは発生する。

例えば医療麻薬の類いを使って良いと言う要件があるわけだけど、その中にはもう回復が難しく他に方法が無い場合に限って使うと言うものもある

ここら辺は学会ガイドラインを公開しているから興味があれば読んでみて

https://www.jspm.ne.jp/publication/guidelines/index.html

定価とか書いてあるけどPDFなら無料で読める。

誤解が無いように添えておくと、ここでは癌の話になっているけれども、他の難病でも考え方はほぼ同じ。痛みを抑えてQOLを上げる事を優先する治療存在し、それが単に延命治療をする場合よりも寿命を縮めても優先することができると言う話だからね。

殺すために薬を使うわけじゃ無いから。

よくある誤解として、医療麻薬を使うと即座に死ぬとか、段々と効かなく成って苦しむとか言うのものがある。ガイドラインではそれをどのように緩和して分かってもらうかという事が一章割かれて書かれているけど、ホントマジよくある誤解なんだよ。

最後ケアとして安楽死しかないと思い込んでるなら間違い。んなわけない。

anond:20240213165930

最終的に致死量に至ると分かっている鎮静剤や医療麻薬の類いを投与することはホスピス治療として普通に行われています

は?致死量の薬を投与したらそれはもう安楽死じゃん

何いってんの?

anond:20240213164710

段々とシチュエーションを絞って撤退して「地獄のような痛みに死ぬまで毎日苦しみ続けないといけない患者」という仮定を導入しないと反論できなくなった感じなんでしょうか。

ちなみに、少なくとも日本だと「「地獄のような痛みに死ぬまで毎日苦しみ続けないといけない」状況の時点で、その痛みを和らげるための治療として、最終的に致死量に至ると分かっている鎮静剤や医療麻薬の類いを投与することはホスピス治療として普通に行われていますから安楽死合法化したいと言う理由にはならないですね。

それも癌患者最後はこう言うケアが行われる事が多いので、実は非常に身近な話です。おおよそ4人に1人がこういう亡くなり方をする。

それも知らんと薄っぺらいとか意味が分かりません。

anond:20240213163831

なにが「適切なターミナルケアホスピス医療」だよ

お前の言葉薄っぺらいんだよ

地獄のような痛みに死ぬまで毎日苦しみ続けないといけない患者の前でそんな呑気なこと言えんの? 

鎮痛剤は24時間打てるわけじゃないぞ

anond:20240213163139

高瀬舟のどこに「現代医療では治療できない難病」なんて出てくるの?

現代仮定して妄想していいなら、社会保障、適切なターミナルケアホスピス医療や、延命治療の停止・拒否可能であるといった部分を何故入れず、高瀬舟の中に「現代医療では治療できない難病」だけを導入して考えたの?

それを妄想と言わず何というのよ。

虎の威を借る狐もいい加減にしろ

2024-02-05

anond:20240204201558

この手の議論する際は、積極的安楽死消極的安楽死尊厳死)、終末期医療、あたりのキーワードをしっかり押さえないとダメよね。

医師から余命数ヶ月のような宣告受けたら、公的費用補助を受けながら終末期医療制度を利用できる。

病院での緩和ケアはもちろんのこと、ホスピスの利用や、QoL配慮して自宅介護選択可能だったりする。

また、日本では消極的安楽死尊厳死)の理解も進んでいて、一定手続きのもと、延命措置をやめることも認められている。

日本消極的安楽死違法医師が捕まる)だと誤解している人がたまにいるけれど、事件になったのは手続きの不徹底(家族へ十分説明していなかった等)が主な原因なので。

これら制度の整備と一般への理解が進みつつあるところに、その上でさら積極的安楽死医師が薬物などの投与で死をもたらす)の制度必要かどうかを議論しないとね。

2023-03-14

anond:20230313233142

なんでそんなしんどそうなんだろ

ホスピスじゃないと緩和ケアってできないの?自宅じゃ

2022-06-06

医療進歩をもてはやすのをやめろ

生い先短い高齢者を数年延命することに何の意味があるのか

この癌も治せるようになったんですよ?余計なお世話

80歳以上は全員ホスピス行きで治療は無しで良い

2022-02-01

anond:20220201221713

広義の医療ではあるが、治療ではないよ。

お前自身も「緩和ケア」て言っただろ。緩和するだけなんだよ。

急性期病院治療するところだから治療邪魔したいなら来ないでね、緩和ケア専門のホスピス行ってねって当然の話。

anond:20220201221938

何言ってだこいつ。

医師に生かす権利なんてねーよ。

患者自身が生きたいと願って病院にくるから医師はそれを実現させるため全力で努力するだけだって言ってんだろ。 

生きたくないなら病院に来るなよ。

終末期用のホスピスにいけってば。

anond:20220201213453

緩和ケア外科は別だから

急性期病院緩和ケアやる余裕はないので、最初から終末期の

ホスピス行ってください。

2021-10-08

末期がんになればよかった

30歳で検査してステージ3で治療すれば予後OK乳がんと言われ、乳を取るぐらいなんてことではなかった。

抗がん剤もと言われてハゲた上にホルモン治療もと言われこの先10年は薬を飲み続けて人よりも痩せにくい身体になってしまった。

一日一時間以上運動して食べる量を減らしても太り着たい服は着れず半年上前の手術の傷口は未だに膿んで、こんなことな検査など受けず好き放題してもう治療意味もないと言われてホスピスに放り込まれて短い余生を過ごしたかった。

2021-08-17

anond:20210817194416

そのとおり

アルコールのせいで国民健康が害されて医療費が増えるのだから

一般人正月に50mlで5000円か、宣告を受けた後でホスピス内でのみ摂取可能法律にしたらいい

2021-01-22

anond:20210122082408

されないっぽいよ。ガン末期のホスピスクラスター発生して何人か亡くなられたけどコロナカウントされてた

2021-01-17

コロナの重傷者

重傷化して回復見込みがない人

75歳以上

糖尿病など既往症ある人

はもうホスピスに行ってもらったほうがいいんじゃない

重傷化したら安楽死できるようにしてほしい

2020-10-08

光の増田を読んでしまって吐露したくなったので書く

母親が癌になって7年たった。

発見時は原発から他の部位にも転移していたしなんなら骨転移もしていてステージはⅣだった。

これはもう長くないのかな、でも早く死にたいって言ってたし医療保険入ってないしどういう手をつかったのか年金も払ってないし

70手前でこの状況は本人の望んだ人生だったのでは、と思っていたら大本腫瘍摘出から怒涛の抗がん剤治療が始まった。

抗がん剤やるんだ…と思いつつもまぁ手術したならしないといけないのかな、

ところでホスピスとかって予約いるんかなと思ってたらあっという間に7年経った。

コツコツ貯めたらしい貯金は心もとない額になった(本人談)らしいし

高額医療制度を使っても父親年収のおかげで月15~25万は出ていくらしいし

父親だって後何年働けるかわからないし

まじでこの先に不安しかない。

今は父親が働いてるからなんとか医療費も払って治療もしてるけど

ステージⅣってなんだったん…?と思ってしま自分がいる。

正直孫の顔も見せたし(姉がだけど)、光の増田のように別にあれこれしてあげたかった気持ちもわかないし、

もし先に父が倒れたらどうすんの…?

てか将来病気がみつかったら治療はしないで早く死にたい、だから保険年金も払わないってあれだけ言ってませんでしたっけ…?

まじで意味がわからない。姉の子(母からしたら初孫だった)が小学校はいるまで生きてられるか…とか言ってたけど

なんか余裕で生きてそうな気がする。

てかそここだわるなら保険はいって年金も払っておけよって思ってしまう。

母親のことを1mmも心配できない。

2020-08-07

母親が死んだ

享年47歳、子宮頸がんだった。

数年間の闘病生活のうえ死ぬまで懸命に生きた。

先日10年経ったが、いくつかの後悔が折に触れて思い出されるためここに書いて供養したいと思う。

家族の形や関係性は多様だと思うので、一個人の感想だと思って読んで欲しい。

先によかったことを書いておくと、母親ホスピスなどに入らず死ぬ前日まで自力風呂に入り、自分の布団で寝て、そして自宅で息を引き取ったので幸せだったと思う。

自分家族全員で最期の看取りができて本当に良かったと思っている。

うちは3兄妹の5人家族雑種の犬が1匹で自分長男。当時高校生大学生スマホはまだ持っていない時代

自分は闘病期間中大学生になったこともあり、長期休暇には病院への送迎や入院中の見舞いなど介助をする時間がたくさんとれた。

海を見にドライブに行ったり、浮腫んだ足をオイルマッサージしたり、手をつないで病院を歩いたり、寝る前に話をしたり、たくさんの時間を過ごせた。

生前母親も見舞いに来た友人らにそのことを話していたらしく、四十九日で来訪した母の友人からそのことを聞いて泣いた。

ここからが本題。

この10年でよく思い出す後悔は2つ。

一つはツナおにぎり

母親から最後メールが「ツナおにぎり買ってきて」だった。

スーパーでの買い物帰りに母親からメールを受信し、コンビニに立ち寄った。その日は母親の好きな手巻き寿司ツナがなく、三角おにぎりツナしかなかったため自分おにぎりを買って帰らなかった。

帰宅しそのことを告げると残念そうな顔をしたが、柔らかく煮たうどんを作ったら美味しそうに食べていた。

その翌々日、母親は亡くなった。

自分最後に来たメールが「ツナおにぎり買ってきて」だったこと、

それを叶えてあげられなかったことがのどに刺さった小骨のように引っ掛かっている。

から私は今でも墓参りに行くとき手巻き寿司ツナを買っていく。

もう一つは車に乗るのを急かしてしまたこと。

当時階段を上るにも、介助をしたうえで手すりを使ってゆっくりしか上れない程になっていた母親に対し、

次の予定があった私はノロノロと車に乗り込む母親につい大きな声を出してしまった。

やっと乗り込んだ母親椅子に座ることも確認せず、スライドドアを叩きつけるように閉めた。

大した予定でもなかったのに、どうして優しくできなかったんだろう。

乱暴に支えた母親の腰周りの感触スライドドアの重みがまだ手に沁みついている。

母親が死んだらもっと楽しく美しいことばかり思い出すと思っていた。

しかし実際は、もっと若いころの話を聞いておけばよかったとか、色んな料理を作ってあげればよかったとか、

目的のないドライブに行ったり、犬をなでさせてあげたり、新しい歯ブラシおろしてあげたりすればよかったとか、

そんな自分を責めるようなことばかりこの10年思ってきた。これじゃ母親もうかばれないだろうと思う。

幸せだったと死んでいった母親に、自分は今こんなに幸せなんだと子を紹介する。

このお盆を節目にしたいと思う。

2020-07-28

家で死にたい

けど、家で死んだら事故物件になるんだなぁと思うと、その物件処分しなければならない血縁申し訳ない。

最後だけ病院とか施設とかって、そのためにあるのかもなぁ。

看取りの家みたいなのがあったらいいのにな。ホスピスとかじゃなくて、病院とは別の、死を迎えるための施設

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