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はてなキーワード: ホイチョイとは

2024-02-14

昔の電通 - MechaAG

https://l.pg1x.com/88DMELqTmB2NcsZ36


Xユーザー神奈川 名無し(にっしー)さん: 「私がMechaAGと決別するきっかけになったのは、この人が「PCR検査拡充論は陰謀論」と認めた事だった。 「そんなバカな」と思った。 WHOのテドロスが「テストテストテスト」と訴え、日本医師会中川会長賛同した、あのPCR検査拡充論が、神真都Qとかと同じ陰謀論だって???」 / X

https://l.pg1x.com/hkuK39vwmrCbqkae7


なるほどなぁ。よく分かるお話だ。こことか。


「むかし一位だったから、これからも一位のはずだ、そうなってないのは組織のせいだ、というのはどういう理屈なんですかね。」


いや、そうじゃねぇだろ。凋落するのは問題じゃないんだよ。

凋落の仕方であって、俺の大嫌いな田端擁護なんかしたくないけど「一位の矜持はその後にも現れる」ってもんで。

でも、まぁホイチョイ漫画の表層的な部分が、カルチャーの芯の部分まで喰ってたら「確かにダメ落ちするわな(笑)」ってなるので。

この人のこの「」後ろからの一連の怒り・憤りのテキストは、田端への怒りなのか、電通現状(と言っても21年のお話批判への反論・反撃なのか、さっぱり分からん

そして、俺このサイト初めて見たので、ぐぐったら割りと上の方に出てきた「嫌われている理由」と実に噛み合った話だったという記録としてこの増田を書く。

2024-02-08

anond:20240208183029

今回ホイチョイの人も小学館に苦言を呈してたな

すぐ消したけど

anond:20240208182529

テレビ界の常識しか通じない奴らも相当だと思うが。

ホイチョイとか読んだこと無いのか?テレビ界も相当幼いし常識無いぞ。

なにせ、現場高卒専門学校卒の奴ばっかだから常識なんて無い。

2024-02-02

ギョーカイ残滓に関する注意喚起の発出

ネット言論的な事、ソーシャルメディアでの短文コメントなどでTV局、アパレルマーケティング広告電通などに関する議題で変なマウントじみた上から目線を感じることがないだろうか?例えば広告出稿の実務や電通業務範囲などの解説に「電通を判ってない」と漠然としたコメントが付いたりする事だ。

亦は例えば脚本家原作者トラブルに端を発した自殺に関して「己の近いところに着弾」などと書いて自殺クリエータナイーブを嗤うような文章だ。

実はこれらには「ギョーカイ」という30年前の知的スノビズム関係しており、現在のその全ての発言者はただのワナビーだ。故に無視するか嘲笑するのがいい。

 

だがギョーカイがどういうのか判らない人には判別が出来ないであうからギョーカイに就いてざっと解説したい。

 

80年代カルチャー誌が当時の若者を釣る為のコンテンツ総体ギョーカイ

1980年代大学生というのはまるで勉強しなかった。これは60年代に反権威主義全共闘世代大学の知の権威攻撃して教授講義尊敬解体してしまった事に由来する。その後反体制という態度も流行らなくなり、更には嘲笑嫌悪さえされるようになっていった。

だが大学権威は復活しなかった。この為に80年代になると大学レジャーランドとなり、特に文系学生教科書さえ買っていないという風になっていた。

 

更にここにプラザ合意という政治状況が追い打ちをかける。日本復興を遂げて70年代には経済規模が異常なほど膨れ上がっていた。アメリカベトナム戦争で、欧州の旧連合国諸国植民地独立による経済構造変化で苦しんでいた(除西独)のと対照的だ。

だが国民生活は然程裕福にはなっていなかった。また戦後の窮乏状態から贅沢を忌避する経済道徳があった。

プラザ合意でこれが一変する。これは円高誘導日本対米貿易黒字を削減する政策なので経済構造がそれまでの輸出産業優先のままだと立ち行かなくなってしまう。

そこでそれまで禁止されていた贅沢がお上お墨付きで推奨されるようになったのだ。国民経済道徳なんて政策で左右されるのである文化は決定因子ではない。

また円高によってそれまで贅沢品だった輸入品価格が下がる。当然購買意欲は刺激される。

この浮ついた好景気が加熱してストックバブルとなり、やがて弾けて失われた30年になったのは皆の知る通り。 

この景気加熱はレジャーランド化していた大学生にも影響を与えた。それまで国内アパレルメーカーが若者向けブランドを展開してそれらが人気を博していたが、海外ブランド志向が進み、遊びの高級化が進んだのだ。有名なのがディスコマハラジャジュリアナ東京であろう。マハラジャ運営会社はそれまで「並」のディスコ経営していたが、マハラジャで極端な高級志向ドレスコードチェック(アメカジとかは入場禁止で上から下までブランド必須)にしたところ大盛況となった。

 

だが大学生が高級志向になったのは自然出来事ではなく、当時のファッションカルチャー誌が誘導したのであった。

 

POPEYEホットドックプレスの例

こういう大学生に影響の大きかった雑誌マガジンハウス社のPOPEYE(以下ポパイ)と講談社ホットドックプレスが挙げられるが、この二つは性格が違った。ポパイが先行、ホットドックプレスが追走、イノベーター理論で言えばポパイアーリーアダプター志向ホットドックプレスマジョリティ志向という感じだ。

マガジンハウスファッションカルチャー専業だけあってイノベーター人脈があるから未来への提案という形で誌面が作れる。

一方、ホットドックプレスは大出版社なのでもっと安牌志向だ。あまり冒険すると滑る危険がある。

そして流行於いてマジョリティ相手にするという事は、アーリーマジョリティになれとけしかける事であり、故に強迫観念的になるのである大学デビューした若者ファッションや遊びを勉強しろと迫る性格を帯びる。

 

山田五郎氏はyoutubeの「オトナの教養講座」を運営して大変引き出しが多くて教養がある人物だ。同氏は同誌の80年代編集長であった。

教養人だが編集長時代マガジンハウスの後追いで背伸びしたい若者楽しいライフスタイル提供というよりも「これぐらいマスターしないとモテないぞ」とオブセッションを刺激して走らせる誌面を作っていた訳で、正直そこについては評価できない。

 

これはホットドックプレスが悪いというのではなくて、トレンドの後追いする方は強迫観念に訴えるようになるという例だ。

 

ギョーカイホイチョイプロとんねるず

そんな雑誌群でやたらと持ち上げられていたのがTV局、アパレル業、広告代理店という業種だ。

ホイチョイプロはこれらのブームが起きる前から広告代理店漫画を書いていたが、このブームに乗って多角展開するに至った。広告業の業務中で電通けが特別視されたり、変なマウント取る奴が現れたりするのはこのホイチョイプロの影響である

またとんねるずパワハラ芸とTV局の内輪ネタ若者の歓心を得て売れるようになった。

特に初期のパワハラ芸が有名だがこのパワハラ芸人同士のそれではなくてTV局での上下関係に限られるのがポイントだ。TV局内とスポンサーなどの上下関係ギョーカイなので売り物になったのである

 

ギョーカイ情況である

故にギョーカイというのは単にがTV局、アパレル業、広告代理店という業種を指すのではなくて、当時の風俗上の序列に裏打ちされたそれら業界という事が出来る。広告代理店業務特別視してマウントするという態度の背景には、輸入ブランド志向、高級ディスコVIPルーム、見せる為の彼/彼女ポストモダン思想という今では時代遅れの事物文脈がある。

一方、家庭を築いて建売とかと言った一般的価値観は外部化されていて入っていない。

 

身に沁み込んだレイトマジョリティへの強迫観念

先に述べたように流行の浸透期には強迫観念に訴える形の言説が商売になる。面白いものがあるよ、じゃなくて時代に遅れるな、だ。

これらはもう時代遅れだが、この強迫観念に訴える扇動効果は残っていて、広告TV局に関する事が話題になると、今でも「電通本質は違う」などという謎マウントが湧き出すという原因になっている。

特に地方在住者に顕著だ。広告への関係の仕方は様々あり、出稿する立場印刷を受注する立場看板屋など様々な立場人間ネットに書き込む。また電通業務のうち広告ではない部門人材派遣イベントプランニングなどに関する議題で書き込む人も居る。

それらに対して謎マウンティングしでいないではいられない人が現れるというのもネットの常だ。

これらの人は自分が参画しえない場所の話だったホイチョイプロなどのギョーカイ話を実業務での経験他者の含む)で上書き具体化するのに失敗し続け、レイトマジョリティ転落の強迫観念駆動され続けているのである

 

彼等の言い方は、「電通とは」など目前の具体的解説よりなどまるでその評価軸が高級だったり知的であるかのようで、事情を知らない人は騙されてしまうが、その実は時代遅れの流行追っかけの知ったかぶりしかないので、騙されないようにして貰いたい。

インターネット下さい」やソーカルコテンパンにされたポストモダンの亜種である

 

この辺の事情を知っていれば、「己の近い場所に着弾」とか原作者自殺をそのナイーブさ故と揶揄するAI画像投稿してTV局の事情通風を吹かす者が現れたとしても、その破廉恥さに憤るよりも前に、その者がオピニオンバラティに数回出ただけでドラマには関係してない事、職域が権利者との折衝と重ならないであろう事、出演回数的に業界風吹かしたい欲が最大化される地点である事、年齢的にギョーカイ特別視のレイトアダプター層である事、とんねるず世代などに着目し、地方バーで「業界出身の人」ってこういう感じだよなぁなど感慨に耽り、祇園精舎鐘の音が胸中に去来するはずである

またマナの力に長ける者であれば、AIに向かって「政権のブレーンとして官邸に出入していた事がある事は履歴的に自慢したくなりますよね?という建前を押し出し笑顔発言者の前で、現在相手にしている読者層がその政権へのドグマ批判を共有するので炎上評価低下を恐れて答えに窮し発言者善意の天然なのか悪意があるのかはかり兼ねて引きつった笑いを浮かべる男性」という詠唱により画像を得る事が出来る筈である

TVに出るようになった切っ掛けってそのブレーン抜擢ですよね」と発言を重ね掛けする画像でもう一枚行けそうである

 

いずれにしてもTV広告業などの話で具体性も無いのにウエメセマウンティングが発生したら、その実は以上のような事情背伸びしたい「追いかける人」であるので、良く知らんけど高級な知識っぽさに騙されないようにして欲しいものである

2023-12-29

anond:20231229134415

90年代ホイチョイとかも酷かった。「東京いい店やれる店」なんてタイトルの本を平気で出して、しかもそれが市場に受け入れられていた。

未だに気まぐれコンセプトの連載が続いているのが信じられない。

2023-09-03

ホイチョイみたいな業界人に憧れていた小先輩

大大大先輩に激詰されてたなあ

「ほんとに知り合いなの?今から電話してここに呼んでみろ」とか言われてて悲しかったなあ

2022-02-13

いまの時代に本当に必要なのはこれ

男性陣も女性陣も満足

東京いい店やれる店 単行本 – 1994/8/10

ホイチョイプロダクションズ (著)

 

出版社からコメント

レストランは味ではなく、デートに使えるかどうかで選ぶべきだ! いま東京で一番デートに向いたレストランバーシチュエーションごとに徹底調査。必ず口説ける54章400余店を掲載美女危うし!!

内容(「BOOKデータベースより)

本書は、顔のいい女とセックスしたいと願うスケベな男性諸君に贈る、女を口説くための料理ガイドである

内容(「MARCデータベースより)

一発必中、完全無欠のデートガイド・ブック登場。レストラン200余店を冷徹分析と実地取材をもとにセレクトした、ホイチョイ7年ぶりの新刊

 

出版社 ‏ : ‎ 小学館 (1994/8/10)

発売日 ‏ : ‎ 1994/8/10

言語 ‏ : ‎ 日本語

単行本 ‏ : ‎ 305ページ

ISBN-10 ‏ : ‎ 4093593418

ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4093593410

2021-08-10

anond:20210810132828

ホイチョイ読むと、普段からこういう粗相はしてるようなのがメディア広告によくいるっぽい。

この程度平常運転だろ。

2021-07-27

雑誌映画秘宝』の記憶(59)

 健康がすぐれないので、この投稿は短めです。

 小山田圭吾障害者虐待に関して執筆されたQuick Japan(QJ)やRockin' On(RO)の記事、そして北尾修一によって発表された村上清と小山田圭吾擁護するブログ記事を読んで、改めて感じたのは「自分たち(=サブカル業界人)の欲求愉悦のためには、他者尊厳を踏み躙ること、他者負担を負わせることを何とも思わない」と云う、昔も今も変わらないサブカル業界人自己中心的な体質です。そして、この体質は、町山智浩旧体制映画秘宝』と瓜二つです。

 件のQJ連載記事いじめ紀行』の中で村上清は「イジメエンターテイメントだ!」と明言しました。それが本当ならば、村上清は何故、彼自身イジメ加害者取材しなかったのでしょうか?何故、村上清は、彼自身イジメ加害者を探し出し、彼(ら)を取材して、村上イジメた時に加害者(ら)が覚えたであろう興奮や愉悦、或いは村上自身が舐めた辛酸屈辱感について、詳細にレポートしなかったのでしょうか?何故、村上清は加害者(ら)と「アレはヤバかったよね(笑)」と、いじめトークで盛り上がらなかったのでしょうか?村上清が言う「救いが無いことも含めて、イジメエンターテイメントだ!」と云う主張が本物ならば、村上にはそれが出来たはずです。

 もちろん、村上清がそれをしなかった/出来なかった理由は分かりきっています。本当は「村上清にとってイジメは、決してエンターテイメントではなかった」からです。記事執筆した当時の村上清は、彼自身イジメ加害者に対して、依然として恐怖感や忌避感を抱いていたのです。

 本当は村上清は、彼自身イジメ加害者リベンジたかったが、それは村上には出来なかったのです。本当の加害者へのリベンジが出来ないことは、村上清にとって大いなる屈辱であり、劣等感の源でした。その代償行為として『いじめ紀行』を執筆し、それを通じて仮想的に加害者となることで、被害者としての屈辱感を解消しようとしたのです。

 この村上清の行動は、見れば見るほど町山智浩旧体制映画秘宝』と瓜二つです。

 小山田圭吾に対する世間批判が高まった後、町山智浩Twitterで「悪趣味鬼畜カルチャー原動力は、電通ホイチョイフジテレビ的なカルチャーへの対抗心だった」と云う主旨の発言を行いました。また町山智浩だけでなく、旧体制映画秘宝』全体が、ジョックス(米国スクールカーストで上位である体育会系)に対する怒りと憎悪を撒き散らしていたことは周知の事実です。

 では町山智浩らは、その電通ホイチョイフジテレビジョックスに対して復讐したでしょうか?していません。町山智浩らの怒りや憎悪を向ける本来相手である電通ホイチョイフジテレビジョックスには町山らの力では敵わないから、その鬱憤を晴らす代償行為として、女性同性愛者やアニメ愛好者を攻撃して、憂さ晴らしをしていたのです。或いは『映画秘宝』内部のカースト下位の人間(ギンティ小林等)に対してパワハライジメをして、いじめ加害者としての立場を楽しんでいたのです。

 そして、町山智浩による筋違い鬱憤晴らしは、今なお止むこと無く続いています現在町山智浩は、女性差別蔑視発言同性愛差別蔑視発言を繰り返しています

 このように比較することで、悪趣味鬼畜系であろうがなかろうが、また90年代から変わることな現在も、サブカル業界人たちは、恨み(?)を晴らすべき本来相手に敵わないが故に、その鬱憤を晴らすために「弱そう/反撃してこなさそうな相手」を選んで攻撃している卑怯者たちであることが理解できると思います

 この投稿は、以上です。

2021-07-25

雑誌映画秘宝』の記憶(58)

 表題に反して、今回は小山田圭吾村上清の話が主ですが、サブカル全体の話と考えて投稿します。予め言いますが、長文です。

 小山田圭吾障害者在日朝鮮人に対して虐待イジメを行った或いは関与したとして、東京五輪を機に一般人に広く認知され、これに伴って、過去雑誌Rockin' On(RO)』及び『Quick Japan(QJ)』が小山田に対して行ったインタビュー記事が注目されています

 それと共に注目を浴びているのが【小山田圭吾自身が、スクールカーストの中では上位ではなく、むしろ下位だったのではないか?】とする仮説です。件の雑誌記事でも「小山田圭吾イジメ加害者だった?!」と、インタビュアーが驚く場面があります。外見的なイメージから「むしろ小山田圭吾は、イジメを受ける側だった」とインタビュアー想像していたのでしょう。また、インタビュアーだけでなく、これまで雑誌記事存在を知らず読んだことも無かったファンも同様に、外見的なイメージから小山田圭吾イジメをしていたとは想像もできなかった」とショックを受けていた人が少なからず見られました。

 あまり他人の外見を云々したくはないのですが、小山田圭吾は顔立ちは整っているものの、身長はどちらかと言えば小柄で、頭部が大きくて肩幅が狭く、体格的には恵まれておらず、お世辞にもスタイルが良いとは言えません。(しかし、そんな小山田圭吾でも「オシャレでイケてるモテ系」に仕立て上げて持て囃すことが可能だった訳ですから、親の七光りやスタイリスト/メイク担当者の優秀さだけでなく、当時のマスメディア一般人との間に、如何に大きな情報発信能力の差が有ったか、それを指し示す一つの証拠と言えるでしょう。)このような外見的な印象に関しては、アンチだけでなくファンの間にも共通認識が有ったからこそ、インタビュアーファンも「イジメ加害者」と小山田圭吾カミングアウトしたことには落差を覚えて驚いた訳です。

 小山田圭吾擁護する人間の一部には「小山田圭吾は、インタビュアー(村上清)に迎合して話を盛ったのではないか?」とする者もいます

 例えば、北尾修一などのQJ関係者、それに小山田圭吾ファンなど、村上清と小山田圭吾擁護する側の人間意見総合すれば、彼らの仮説は概ね「村上清は、彼自身が『いじめサバイバー』だからいじめ問題を無くすための試みとして連載企画いじめ紀行』を立ち上げた。小山田圭吾村上清の人間性に絆されて、連載企画を盛り上げる為に話を盛った」と云う感じです。

 正直に言えば私も現在は、小山田圭吾が話を盛ったと云う仮説は少し可能性が有り得ると考えていますしかし、私の仮説は、村上清と小山田圭吾擁護する北尾修一たちの言うような「美しい関係性」を想定した仮説とは異なります。私の仮説を、以下に述べます

=仮説ここから

 そもそも村上清は、社会存在するイジメ問題解決する又は発生件数を減らす為に連載企画いじめ紀行』を立ち上げた」と云う前提は、果たして事実なのでしょうか?(※そもそもの話をするならば、村上清が『いじめサバイバー』とされていること自体事実であるのか疑わしいのですが、煩雑を避ける為、ここではそれが事実であるもの仮定して話を進めます。)

 むしろ村上清は、イジメの「被害者」になったことで彼自身が背負い込んだ劣等感を解消する為に、己がマスメディア関係者となった今(※記事執筆した当時)こそ、イジメ問題記事を書くと云う手段/大義名分によって合法的に「加害者」の立場になろうと試みた、それによって「被害者であることから生じる劣等感の埋め合せにしようとしたのではないでしょうか。

 何か/誰かを「観察/取材」して、それに基づいて執筆した記事雑誌等の公的媒体に「発表」すると云う行為には、一種の「暴力性」が不可避的に付き纏うものです。観察や取材対象に対して、好意的感情を抱いている場合ですら。況や、SNS等の個人的ネットメディアが発達した2021年現在とは異なり、当時の雑誌一般人との間には、情報発信力の差や「何となくマスメディア人間一般人よりも格上」と云うイメージなど、圧倒的な権力勾配が有りました。そのような権力勾配を利用して、取材と称して他人領域にズカズカと入り込むこと、カメラテープレコーダーを向けること、記事にして発表すること、これらの行為の持つ圧倒的な「暴力性」。

 北尾修一によれば、村上清は極めて優秀な人間のようです。そんな優秀な人間が「取材/執筆と云う行為の持つ『暴力性』」に気づかないはずが有りません(それに気づかないならば、端的に言えば馬鹿でしょう)。おそらく村上清は、このように考えたのではないでしょうか。「マスメディア人間になった自分(村上清)は、今や取材執筆名目合法的に、他者に対して『暴力』を振るうことが可能になった」と。

 取材対象者が「被害者」ならば、取材と称して心の古傷を抉り、取材対象者が苦しむところを観察して「加害者」の立場を擬似体験して楽しめば良い。取材対象者が「加害者」ならば、贖罪意識を持つ人間は、良心の呵責を起こさせて苦しむ様子を観察して楽しむも良し、過去の過ちを反省していない人間は、調子に乗らせて問題発言をするように仕向け、社会から批判を受けるように仕向けるも良し。どっちに転んでも村上清にとって「イジメエンターテイメント」となる訳です。

 差別犯罪被害者が、その苦しみから逃れる為に加害者の側に立とうとすることは、往々にして有ることです。例えば、白人から人種差別を受けた黒人が、鬱憤を晴らす為に黄色人種人種差別するように。村上清も、そんな被害者の一人だったのではないでしょうか。

 村上清は、彼の取材対象として小山田圭吾選択しました。その選択動機には、もちろん既にRO記事が先行して存在したことも有ったでしょうが、ひょっとしたら「オシャレな渋谷系モテ系のミュージシャンに対して『取材と云う名の暴力』を振るうことが出来る」と云う愉悦の予感も有ったのかもしれません。更に、相手イジメの「加害者」ともなれば、その悪行を証言させて世に知らしめる事で、世間からバッシングを浴びるように仕向けて復讐することもできると、そう考えたのかもしれません。しかし、村上清が想定した以上にQJ編集者や読者が本物の鬼畜クズだったこからいじめ紀行』を発表しても小山田圭吾への批判が一向に高まらなかったために、小山田圭吾を転落させるまでに到らなかったに過ぎないのではないでしょうか。

 ここで私は、取材暴力性に関して、別の可能性も考えます。当時のマスメディアは、果たして本気で「小山田圭吾イケてる/格好良い」と考えていたのでしょうか?実は「コイツ、ヒョロヒョロのヘナチョコのくせに、自分のことを格好良いと勘違いしてるw」とか「コイツ、無理してワルぶってイジメ武勇伝として語ってやがるw」とか、マスメディア関係者は表面的には持ち上げつつも、心の底では小山田圭吾小馬鹿にしていたと云う可能性は無いのでしょうか。持ち上げて落とすのは、何と言っても、マスメディアが好む暴力典型です。

 そして、小山田圭吾も、己自身スクールカーストが低いと見做されていることや、マスメディア関係者から心の底で小馬鹿にされていることを感じ取って「いやいや、オレはイジメられっ子じゃないから!むしろオレは、イジメる方だったから!」と、ROQJ取材に対して虚勢を張ったのではないでしょうか。村上清が、もし本当に「いじめサバイバー」だったならば、小山田圭吾には同じイジメられっ子の臭いがすると気づいたかもしれません。もし、そうだとすれば、余計に小山田圭吾が虚勢を張ることに拍車を掛けたことでしょう。「いやいや!オレ(小山田圭吾)はオマエ(村上清)とは違うから!」と。

 小山田圭吾が「報道内容には、一部、事実とは異なる部分が有る」と言いながらも、事実関係説明することを避けて頑なに沈黙を守っているのは、もしもイジメ加害者であることを否定すると、和光学園在籍中の自分スクールカーストが低かったことを認めることに繋がり、それはイケてる渋谷系として持て囃された自身プライドが許さないのではないでしょうか。

=仮説ここまで=

 さあ、如何でしたでしょうか?北尾修一は頻りに「こう考えるのが自然」「普通こう考える」と云う表現を用いましたが、私はそれを避けたつもりです。

 身内であるサブカル業界人(北尾修一)が、自分たちに都合が良いようにアクロバティックに美化したストーリーと、村上清にも小山田圭吾にも利害関係を共有していない第三者(私)が、ごくありふれた話として考えたストーリー。どちらが本当っぽく感じたでしょうか?それは貴方自身が決めて下さい。解釈の無理強いは致しません。

 「長々と書いて、一体これが旧体制映画秘宝』と何の関係が有るんだよ?」と思われたかもしれませんね。しかし、勘が良い方は既に気づかれたはずです。これらの「若かった頃にイケてなかった人間が、大人になってから加害者になることで、若かった頃の劣等感を埋め合わせようとする」「ワルぶって武勇伝を吹聴する」と云う行動様式は、旧体制映画秘宝』の主流派(町山智浩ら)と瓜二つであると云うことに。それに、小山田圭吾の語るイジメの話に登場する被害者障害者在日朝鮮人など反撃が出きなさそうな弱者ばかり選択しているところも、町山智浩旧体制映画秘宝』が(電通ホイチョイフジテレビジョックスへの怒りや憎悪を唱えつつも、本丸のソイツらを避けて)女性同性愛者・アニメオタクとかを攻撃対象にしているところに似ています

 要するに、悪趣味鬼畜系であろうがなかろうが、サブカル業界人は五十歩百歩ということです。

 思った以上に長文となりましたが、この投稿は以上です。

2021-07-23

雑誌映画秘宝』の記憶(56)

 元ラーメンズ小林賢太郎が、過去に行ったお笑いコント公演の中でナチスによるユダヤ人虐殺ジョークネタにした事が発覚し、この情報海外にも拡散してサイモン・ウィーゼンタール・センター(SWC)の知るところとなり、東京五輪閉会式総合演出担当を解任されましたね。

 小山田圭吾障害者虐待世間一般に広く認知された結果、小山田東京五輪閉会式音楽担当を辞任した際には、一部の人間が「90年代には、悪趣味鬼畜カルチャー存在を許されていた、時代の空気存在して云々」と小山田擁護し、それに対して町山智浩は「小山田圭吾悪趣味鬼畜系とは無関係(だから自分[町山智浩]たちには責任は無い)」と反駁しました。

 では、今回の小林賢太郎の件については、どうでしょうか?

 ラーメンズ悪趣味鬼畜系ではないと思いますが、間違い無くサブカル領域に属する芸能人です。また、今回問題視された90年代半ば当時の彼らの芸風が、当時の、いや、今もサブカル界隈に根強く蔓延る「不謹慎なことを言う/するのがオモシロイ/カッコイイ」と云う風潮の下に成立していたことも明らかでしょう。そして、この風潮を作り出すことには、旧体制映画秘宝』界隈も関与していたと言えます。たとえば『キネマ旬報』の編集部を襲撃して同誌の編集部員に暴力をはたらいたことを、町山智浩パイ投げ事件などと称して矮小化して面白おかしく笑い話扱いしていますが、アレは「言論の自由を脅かす暴力事件」以外の何物でもありません。しかし、サブカル界隈の身内贔屓の体質は、町山智浩の仕出かしたことに対して真摯批判反省を行うことを忌避する道を選びました。昔からサブカル業界人は身内贔屓が大好きで、これは松江哲明性的強要搾取ダンマリを決め込んだのを見ても判るように、今も変わりません。

 ラーメンズお笑いコントの中でナチスユダヤ人迫害虐殺ジョークネタしたことに関して、擁護として「米国サウスパーク英国モンティ・パイソンジョークネタにしているのに、何故、彼我に批判の差が有るのか?」と言う人もいましたが、個人的には、連合国側の人間枢軸国側の人間では、それをジョークネタにする資格に差が有るのではないかと思います。何か死傷者を伴うような事件があって、それをジョークネタにするのは、被害者親族が言うならまだしも、加害者親族が言ったらアウトになるのと同じです。

 一般的な傾向として多くの日本人は、自分たちが枢軸国側であったこと、戦時中にはナチス政権ドイツ同盟国だったことについて、自覚が稀薄だと私は思います。だからナチスドイツポップカルチャーの一部として、エンターテイメントとして、カジュアルに消費するのだと思います

 さて、エンターテイメントとしてナチスドイツの残虐行為を楽しむといえば、長年に渡って率先してそれを実行し続けてきた人間が、旧体制映画秘宝』に1名いますナチス強制収容所ネタエクスプロイテーション映画が大好きと公言し、自ら「所長」と名乗ってそれらの作品の"素晴らしさ"を布教している、赤毛入れ墨だらけのオジサンが1名。そう、高橋ヨシキです。高橋は、間違い無く、悪趣味鬼畜系の範疇に属する人間です。高橋ヨシキによる布教活動は、日本において「ナチスドイツによるユダヤ人迫害虐殺を、カジュアルに楽しんで消費しても許されるのだ」と云う風潮を作ることに寄与し続けてきました。

 もちろん、高橋ヨシキ存在布教活動が、ラーメンズを生み出した訳ではないでしょう(ラーメンズネタ公表よりも、高橋ヨシキ布教活動開始の方が時期的に後だと考えられますし、世間的に認知されたのも、ラーメンズの方が高橋ヨシキよりも先でしょうから)。しかし、ラーメンズネタ世間に発表されてしまった後、長年に渡ってそれが見過ごされたのは、観客である一般人たちの中に「コントネタなのだから(批判するのはおかしい)」「たかフィクションネタに何をマジになってるの?」と云う間違った考えや言い訳の口実が存在たからです。これは、ナチスドイツによるユダヤ人迫害虐殺と云う出来事が"エンターテイメントコンテンツ"として、誤った"市民権"を獲得していたからでしょう。そして、高橋ヨシキによる「ナチス強制収容所エクスプロイテーション映画は素晴らしい!」という布教活動は当に、その誤った"市民権"を獲得するための活動でした。だから、次のようには言えると思います

 「高橋ヨシキによる『ナチス強制収容所エクスプロイテーション映画は素晴らしい!』と唱える布教活動は、ラーメンズネタの"誕生"には影響を与えなかったかもしれないが"生存"には影響を与えたであろう。したがって、その点については、高橋ヨシキ及び彼に同調した人間責任が有る」と。仮に時代の空気と呼ぶべき何かが有ったとしても、それは勝手に生まれたのではなく、それを意図的に作り出した人間がいるのです。この場合、それを作り出した人間の一人は、間違い無く高橋ヨシキです。

 SWCの人たちも驚愕するのではないでしょうか。21世紀日本で、ナチスドイツによるユダヤ人迫害虐殺ネタにしたエクスプロイテーション映画を「面白い!素晴らしい!」と公言賞賛し、他人にも観るように推奨活動している人間存在して、しかも堂々とメディアに登場し続けていると知ったら。誰か英語が得意な人がいたら、高橋ヨシキがしていることをSWCに報告すると良いかもしれませんね。もしもそうなった時、町山智浩SWCに対して「悪趣味鬼畜カルチャーをやっていたのは、電通ホイチョイフジテレビに対する対抗心が有ったから」と弁明できるのでしょうか。見ものです。

 それと、SWCといえば思い出しましたが、長年に渡る町山ウォッチャーならばご存知のとおり、過去町山智浩自身他人に対して「オマエのことSWC通報しといたからな」と言ったことがありました。その矛先が自分の近しい人間に向けられた時、町山智浩はどうするでしょうか。

 この投稿は以上です。

2021-07-20

フィクションを真に受けた人たちによってキャンセルされる時代

コーネリアスの件で問題とされているクイックジャパンが発行されていた当時は、「電波系」の根本敬村崎百郎、「完全自殺マニュアル鶴見済活躍していた時代で、サブカルチャーカウンターカルチャー)として悪趣味世界観が消費される時代だった。


町山智浩

悪趣味カルチャー80年代のオシャレやモテ電通文化に対する怒りだった。カーディガン肩にかけ、ポロシャツの襟を立ててテニススキーしてホイチョイの「ヤレる店」読んでナンパして人を「ちゃん付けで呼ぶ」奴らにゲロ死体嫌がらせたかった。当時を知らない人にはわからないだろうけど。

https://twitter.com/TomoMachi/status/1417347576521629706


橘玲

私は傍観者でしたが、「自分も壊れているし、君も壊れているし、社会世界)も壊れているんだよ」というメッセージなのかなと思いました。

https://twitter.com/ak_tch/status/1417418603620491271


いま批判している人は、この時代を知らない若い人か、知っていたがそういうもの忌避していた人か、知っていてあえて無視しているのだと思う。


当時の自分クイックジャパンを読んでいたのだが、twitterで紙面のキャプチャを一通り読んで感じたのは、あのときの空気感だった。

小山田圭吾に関しては「あー言ってるな」と。

時代の空気をキャッチアップして、わざと露悪的な表現悪趣味を前面に押し出しているなと感じてた。

これはそういう時代性の発露であって、本当に起きたことなのかは定かではない。

個人的にはフィクション、もしくは一部が本当でも誇張されたものだと受け取っていた。

当時の表現がそうだったというだけ。

ノンフィクションですら描く人の主観が入ってフィクション化していく。

これが本当のことなのかどうかなんて当事者でなければ分からないわけだ。

雑誌映画秘宝』の記憶(52)【※末尾に追記有り】

 どうやら町山智浩予防線を張り始めたようですので、町山が後で都合よく削除や改変することを防止するために、現時点(2021/07/20-18/05)のtweetを残しておきます

引用ここから

引用01】

悪趣味カルチャー80年代のオシャレやモテ電通文化に対する怒りだった。カーディガン肩にかけ、ポロシャツの襟を立ててテニススキーしてホイチョイの「ヤレる店」読んでナンパして人を「ちゃん付けで呼ぶ」奴らにゲロ死体嫌がらせたかった。当時を知らない人にはわからないだろうけど。

(投稿年月日:午後01時56分・2021年07月20日)

引用02】

90年代悪趣味鬼畜やってたのはお前だろう」と言われたら「はい、そうです」としか言えないが、それは電通フジテレビでセゾンでトレンディ一言でいえばSuntoryThinkingAboutTheEarthビール的なオシャレでバブル偽善的で反吐が出るようなクソ文化への反抗だったんだけど、わかんねえだろうな。

(投稿年月日:午後02時08分・2021年07月20日)

引用03】

根本敬村崎百郎が「日本下品どん底に突き落としてやりたい」と心の底から叫ばねばならないほど1990年頃の日本は抑圧的なオシャレと健全さと明るさと偽善ファシズム支配されていた。それを知らない人が悪趣味鬼畜カルチャー批判しないでほしい。

(投稿年月日:午後02時17分・2021年07月20日)

引用04】

あと、QJ悪趣味でも鬼畜系でもなんでもない。全然関係ない。QJは赤田氏が創刊した頃からよく知ってるし、問題の号の担当村上清くんもよく知ってるけど、悪趣味系でも鬼畜系でもないぜ。

(投稿年月日:午後02時27分・2021年07月20日)

引用05】

悪趣味鬼畜カルチャーの内部にいた者としてはっきり言いますが、クイックジャパンという雑誌小山田圭吾という人も鬼畜悪趣味カルチャーには直接関係ないです。

(投稿年月日:午後02時30分・2021年07日20日)

引用06】

悪趣味鬼畜カルチャーにはそれ自体問題があるとしても、小山田圭吾クイックジャパンとは関係ないです。アニメファンでなかった宮崎勤からオタクバッシングが起こったようなものです。

(投稿年月日:午後02時37分・2021年07月20日)

引用07】

小山田圭吾のしたこととクイックジャパン記事悪趣味鬼畜カルチャーとどう関係あるんですか? QJってまったくそういう雑誌じゃなかったですよ。

(投稿年月日:午後02時39分・2021年07月20日)

引用ここまで=

 この投稿は、とりあえず記録優先のものです。私の考えは別に述べます

【※2021/07/20追記

私の投稿(51):13時06分、町山智浩引用その1のtweet:13時56分。

町山智浩

@TomoMachi

悪趣味カルチャー80年代のオシャレやモテ電通文化に対する怒りだった。カーディガン肩にかけ、ポロシャツの襟を立ててテニススキーしてホイチョイの「ヤレる店」読んでナンパして人を「ちゃん付けで呼ぶ」奴らにゲロ死体嫌がらせたかった。当時を知らない人にはわからないだろうけど。

午後1:56 · 2021年7月20日

https://twitter.com/TomoMachi/status/1417347576521629706

町山智浩

@TomoMachi

90年代悪趣味鬼畜やってたのはお前だろう」と言われたら「はい、そうです」としか言えないが、それは電通フジテレビでセゾンでトレンディ一言でいえばSuntoryThinkingAboutTheEarthビール的なオシャレでバブル偽善的で反吐が出るようなクソ文化への反抗だったんだけど、わかんねえだろうな。

午後2:08 · 2021年7月20日

https://twitter.com/TomoMachi/status/1417350723633750018

町山智浩

@TomoMachi

根本敬村崎百郎が「日本下品どん底に突き落としてやりたい」と心の底から叫ばねばならないほど1990年頃の日本は抑圧的なオシャレと健全さと明るさと偽善ファシズム支配されていた。それを知らない人が悪趣味鬼畜カルチャー批判しないでほしい。

午後2:17 · 2021年7月20日

https://twitter.com/TomoMachi/status/1417353012184457216

2019-03-14

映画観たいと思う増田住まうもおと痛みが癒えにな(回文

おはようございます

映画館で観る映画広告を見ても、

映画館にいるハイテンションいるから、

わ!超観たい!ってなるけど、

映画館から出ちゃったら案外すぐ忘れちゃうのよね。

なんか日頃目にするところに映画の予告なんかが流れてたら覚えてそうだし、

観に行ってみたいな欲がひしひしとことことと

強めの中火ぐらいにはキープできそうなんだけど。

弱めの強火でもいいんだけど、

この曖昧な火加減の説明もどうよ?って思う。

あ、そっかテレビで新しい映画コマーシャルはやってるわよね。

でもそれテレビを見てる層には伝わるけど、

きっと、

テレビは見ないけど映画館にいって映画を見るのが好きな人だっているはずよね。

そういう所に映画情報を届けるには?って思っちゃったわ。

ネットだと大きくプロモーションやってる映画だったら

動画予告編がちらっと流れるときがあるけど、

ギガが盗まれるどころの話になっちゃうわよね。

まあなんでそれ思ったかって言うと

最後に行った映画がもう1年以上前で、

そのとき映画チケットの半券がキッチン洗濯ばさみで止めてあって、

へーもう1年以上映画館行ってないんだーって思っちゃったのよ。

から

私をスキーに連れてって!言われても、

彼女が水着にきがえたら

波の数だけ抱きしめてってそれホイチョイ三部作の一作目!

原田知世さんかーい!って思っちゃうけど、

たまに行く最終23からレイトショー

劇場貸し切りみたいでなんて贅沢なのかしら?って思うわ。

レイトショーしか映画館に行かないか

普通休日の昼間に映画館なんか行ってごらんなさいよ、

館内ほぼ満席なことには何かいつもと違う違和感を感じるわ。

まあこっちの方が当たり前な風景なんだろうけど。

なんか今日

投稿時刻にパンクチュアルで

アイドリング文章ね。

たまにはこういう日もあるわ。

うふふ。


今日朝ご飯

夜張り切って食べようと思ってたサラダ食べ損なっちゃったまま朝を迎えて結局食べないまま冷蔵庫に。

この時期なぜかよく売ってる冷やし中華が気になって、

これはきっとアイスクリームは冬売れる説なのかなーって。

ついつい冷やし中華も食べたくなっちゃうわ。

そんな何かを食べ損なった朝でした。

デトックスウォーター

この時期の果物王様と言えば、

イチゴちゃんよね。

イチゴイチゴ単体でデトックスウォーター決まるから

味も香りも一番いいと思うわ。

まあ何度も言ってるけど、

果物は一番美味しいのは直に直接食べることだって言うのを忘れないでね。


すいすいすいようび~

今日も頑張りましょう!

2018-12-02

anond:20181202114305

でもそういう消費豚がオタク自称することはなかったのよ。その主な理由オタク賤民であって自称する魅力も利益もなかったからなんだけどね。

そもそも中世から昭和に続く日本社会において、未成年は家の従属物(ソフト表現)だったし、成人女性家事労働提供者(ソフト表現)だったし、成人男性会社奉公人ソフト表現)だった。この社会において自由の幅ってのは現代に比べて極めて少なく、特にそれは趣味分野において顕著だった。庶民が嗜んで白眼視されないものなんてのは、男性において飲む打つ買うとその後継だけだったし、パチンコなんてのはその最たるものだった。女性においては男性にもましてきつきつであり、かろうじて数種の習い事が芸として社会認知されてたかどうかくらい。書物を購入してそれを読み漁るなんてのは、金持ち道楽であり、庶民の間ではむしろ唾棄すべき軟弱さの現れとみなされていたふしがある。まあ、だからこそ与謝野晶子あたりの明星派などによる「既存価値観への抵抗」としてのそれがあったわけだけど。

高度成長期を経て70年代から急速に文物が発展して、今現在趣味と呼ばれる文化が爆発的に多様化した。多様化した以上に「余暇に個々人が己の興味のあることをして過ごすのは当然の自由であり権利である」という認識一般化した。テレビ文化がひろまって、ヒッピームーブメントの余波から洋楽ブームが来て、ニューエイジ思想からオカルトブームUFO心霊写真! そしてフジテレビホイチョイ結婚してユーミンウィンタースポーツブームを生んで、広瀬香美とチューチュートレイン若者苗場に連れ出した。

の、だけど、そんなに主体的に生きてる人間ばっかじゃないのよな。増田の言うとおり。結局現在、「ソシャゲと深夜のアニメネット炎上案件に対するコメント時間を潰している、オタク自称している(下手したら自分自身ですらそう信じ込んでいる)人々」ってのは、昭和中後期で言えば「パチンコやって飲み屋愚痴言ってる箸にも棒にも引っかからないおっさんたち」だったわけよ。別段彼らはそれが好きでやってるわけではなく、「受け身で流されて適度に脳内麻薬がチョロチョロ出る余暇の消費」としてそこに流れ着いただけで、最初から徹頭徹尾ただの消費者であって、オタクでも何でもなかった。多分当時であったとしたって、パチンコ博打や酒が本当にそこまで好きだったかどうか疑わしい。そういうふわっとした人々が社会の大多数だったってのは、当時も今も変わらない。

どちらかというと「社会人は全員そういうもん(休日パチンコするくらいしかない消費者)だろ」っていう同調圧力がなくなり「余暇自由選択」になっちゃった結果、それが可視化されただけにすぎない。そのうえ「社会人は全員そういうもんだろ」っていうのは同調圧力である以上に、大多数にとっては劣等感を刺激しないカバーストーリーでもあったっていうのが問題で、いまのこの日本現代社会は「余暇の過ごし方」でさえも階級があるってのが、多分きつい。

まりはっきりとは指摘されないけれど、「何ら主体的趣味を持たない人間」ってのはやはりいまの社会では軽んじられる。一回級下の存在だと現在みなされるんだよ。それこそ「オタクであるほうがまだマシ」と考えるほどに。

から「(絵が好きなわけでも今まで描いてきたわけでも強い動機がなんにもないにも関わらず)絵が掛けるようにな(って賞賛を受けるようにな)りたいな」なんてボヤキがWebにあふれる。

べつに「何ら主体的趣味を持たない」って罪でもなんでもないのにね。前述の戦後から高度成長期にかけて、そんな人々は、社会に出て飲む打つ買うを一巡経験したら、すぐさま「どうやったら異性に興味を持ってもらえるかレース」に回収されて、あまり悩む間もなく半強制的結婚させられ、身体に異常でもない限り速やかに子供ができて、子育て忙殺されるというスケジュールに打ち込まれていた。そうすれば「主体的趣味を持ってない」なんてことは遥か彼方にぶっ飛ばされて、問題意識すら持たないで済んだのにね(その後は、後輩や年少者に対して「結婚社会人の義務だ」とか「子育てはいいぞ」ってマウンティングして余生をすごせた)。

社会の多くの人にとって、「個人アイデンティティと紐付けられた強固な趣味邁進する人生強要苦痛だし、でもそれを拒否するにせよ趣味する余暇なく仕事を詰め込まれるのはもっと苦痛だ。多くの人にとっては自由が毒にしかなってない。そういう価値観の変遷に、オタクは巻き込まれちゃっただけなんだよね。

2018-10-01

anond:20181001180807

増田子供いなさそう。

言ってる事にいまいちリアリティが無い。

バブル価値観がまだ抜けきってない現在60代とかが息子とか娘にたいして「子供(60代から見れば孫)にはこれくらいしてやって当たり前だろ」と、本人なんの悪意もなく接したりしてるとか。

そういうジジババは金持ちなら孫に金つぎ込んでるし、金がないなら「子供は無理に孫を持つより自分の将来の介護を優先して欲しい…」と思ってるよ。

子供が金がないのに孫産んだせいで育児要員としてこき使われたり金せびられる同世代の友人の話だって耳に入るしね。

大学生ヤングサラリーマンの遊び文化寄生しているホイチョイフジテレビ的な広告代理店文化が、「豊かで優雅な都会の子育て」をさも常識であるかのように流布してるとか。

東京等の限られた大都市だけの話でしょ。

地方民は「中学受験ったって東京の話でしょ、ここにそんな名門私立中学なんか存在しないし」と思ってるよ。

マスコミネットのの影響よりも

実際に金がないのに子供を持っている友人知人が生活に追われて全然幸せそうに見えないとか

そういうリアル周囲の影響の方が遥かに強いと思う。

習い事させられなくて可哀想」とかじゃなくて、「共働きかつワンオペ育児過労死しそうで可哀想」とかで。

そりゃ、中にはマスコミなんかに流されてる人もいるだろうけどね。

anond:20181001175702

この記事の射程範囲って「子供がほしいと(たとえ対外的欺瞞であっても)言ってる人」だけではなくて、子持ち/非子持ち、未婚/既婚を問わない日本社会構成員全員向けなんすよ。そのつもりで書いた。

なぜなら「ぇー年収xxxで子作りはありえないよねー」「そんなの子供かわいそうだよねー」という雰囲気を作っているのは、なにも結婚や子作りを悩んでいる層だけではなくて、社会全部だと思うから個別に言ってしまえば、バブル価値観がまだ抜けきってない現在60代とかが息子とか娘にたいして「子供(60代から見れば孫)にはこれくらいしてやって当たり前だろ」と、本人なんの悪意もなく接したりしてるとか。大学生ヤングサラリーマンの遊び文化寄生しているホイチョイフジテレビ的な広告代理店文化が、「豊かで優雅な都会の子育て」をさも常識であるかのように流布してるとか。

そういう色々を含めて、この問題社会全体の問題だと思うのよ。けっして、子供がほしい世帯収入が低いとか、努力が足りないとかではない。社会全体でハードルを上げてるのが問題。きついことを言えば「裕福な子育てをしない両親を弾劾しようとしている」。

から子供を望む世帯だけじゃなく広い範囲に向けて書いたつもり。

2017-10-11

プロフ欄こんななのに、こういうこと真顔で言えるやつってキチガイ

と思う。

指南役‏ @cynanyc

一応、メディアプランナーやってる指南役です。 本、雑誌テレビ映画広告ITホイチョイ……などなど色々な仕事に顔を突っ込んでいます

とは言え、いたってフツーな人間です。座右の銘は「あしたの普通」。


テレビバラエティは一度、視聴率を抜きに作り手の人たちが本当に面白いと思う番組を作ったらいいと思う。

特にテレビ局の人たちに問いたいのは、この改編期のゴールデンテレビ欄を見て、貴方たち自身が本当に見たい番組がありますかと。

自分で美味しいと思わない料理を客に出すレストランはない。

2016-02-20

http://anond.hatelabo.jp/20160220014437

 仰りたいことは分かります

 そのうえで言い得て妙だと思った加藤ヨシキさんのツイート引用します。

>「王様は裸だ!」と指摘するのは良いと思うんですが、「王様は裸だ!あの小さなチンポを見ろ!あれじゃ奥さんも浮気してるに違いないぜ!」まで行くと王様も怒りますし、なんなら奥さんも怒りますし、周囲もなぜそこまで言うのかと思いますよ。その辺の常識礼儀大事にしていきたいです。(https://twitter.com/DAITOTETSUGEN/status/699594948023181314

 どこの世界でもそうですが、ニワカは古参に叩かれます文壇スポーツ音楽ゲーム仕事も。先達に比べて知識量のない人が偉そうにしているのは、鼻につくものです。でもね、ニワカが罪を犯しているのかというと、そうではないと思うのです。

 誰を傷つけたわけでもない。知識がないだけでアホ呼ばわりされて叩かれるのは、やはり不当で止めるべき悪習だと自分は考えます。(腹が立つのは仕方のないことなので、出来るだけそれを外に出さないよう心がけたいと思っています

 映画を羅列する意味についても、大本記事には「私を構成する9枚のCD」という企画を読み、それに着想を得たとあります。羅列に意味はないとしても、実際に彼は羅列を面白いと感じ、それで記事を書いた。それは好みの問題に過ぎません。(パク……インスパイア問題はあるかもしれません)タランティーノもよく映画ランキング作りますが、世界中ファンがそれを待っています。年間200という数字が、タランティーノ存在同様の重みを持つかどうかは、それぞれの読者が判断することです。

 アクセス数云々も「彼には認められる記事が書けなかった」という意味使用した表現で、記事存在意義問題にするのなら「彼には意義ある記事が書けなかった、以上」というつもりで書いたものです。分かりにくかったら申し訳ない。

 興行作品である映画は、観客に受けるような工夫が(当たるかどうかは別にして)散りばめられています玄人好みのものと、一般層に向けてのものはあるかもしれません。世間的に受けたとは言いづらいヱヴァQですら、スタッフロールに入った劇場内に立ちこめるポカーンとした雰囲気に「エヴァはこうじゃなくっちゃ!」とワクワクした人(悪いファンかもしれませんが)もいます

 表現規制の話とかでもよく出てくる話ですが、名作を排出するためには、ピラミッド的に数多くの駄作を必要とすると自分は考えています。多産とクオリティは比例の関係にある。ファッション映画が増えたからといって、名作が駆逐されるわけではないと自分は思いますジャッキー・ブラウンがそうだったように、ファッション層ってすぐ離れちゃいますしね。ファッション的な映画がって、増えればすぐさまダサくなるし。(ホイチョイ製作映画も廃れました)カウンターカルチャーはそういう土壌で出てくるので、良い映画が無くなってしまうことはないと自分は思います

 表現の自由について論じたいわけでもなく、「老害になるのはよそうぜ」って自戒を込めて言いたいだけなんです。感じたことを書くことは自由で、だから自分感想を書いているわけです。(『高知名度の漫画ドヤ顔で薦めてくる男たち』までくると「分かるわー」としか思えないんですが)

 なのであなたが(なのかな?よく分からなくてすみません)そうなさったように、「自分はこういう記事の方が面白いと思う」って記事を書くのが、よりスマートクリエイティブで良いと思うんです。でもそれにハリーハウゼン名前も出てこないアホが……って言われるのはイヤじゃないですか。その名前を出さな理由だってあるかもしれないし。

 より良いものを出せばいい。その方がかっこいい。他人を貶める必要は無いと思うんですよ。

 と自分はやっぱり思うのです。世の中そんなもんでしょというのも分かるけど、やっぱりそれは変だと思うのです。前に書いたのと主張はほとんど変わらないから蛇足だし、理解し合えるとは思わないんですけど、書かせていただきました。

 あと話は移ってしまうんですが、「キル・ビルが駄目な人」ってのが自分ドンピシャで(文章からそういうにおいがしたんでしょうか?)、あれの楽しさが全然からなくって……そうするとタランティーノ好きの話にも入れなくって、たいへん寂しい思いをしています

2014-03-21

私がイケダハヤトを支持する理由

唐突なんだけど、この前、とある女性と飲んでいたときに、「俺ってイケダハヤトのこと、意外と評価しているんだよね」といったら、すごいびっくりされたのね。「シマダさんって、絶対イケダハヤトのこと嫌いだと思っていた!」と。

そういえば、数週間前にも男の後輩にも「シマダ先輩がイケダハヤトのことがアリだって結構びびりました」ともいわれたなあ。

なぜ意外だと思われるのか、と考えてみたんだが、もしかしてイケダハヤト観なるものに差があるのではないかと思った。

そもそも、イケダハヤトのことを、論理的言語的に見ると、混乱をまねくと思うんだよ。

イケダハヤトは、内容や文章の書き方が、一見論理を使おうとしているように見えるのは事実だ。だから論理的おかしい」「イケダハヤト意見は違う」「言っていることが前と逆だ」という話になってしまう。

でもイケダハヤトがやっているのは論理ではない。言語ではない、文章ですらないかもしれない。そういう表現手法をとっていないんだ。

イケダハヤト、そしてイケダハヤト的なものは、もっと精神的なものなんだと思う。若者空気といってもいい。私たち世代だとホイチョイがやってたようなことをイケダハヤトがやっているのではないかと思う。

まり若者空気をただ放出しているだけ。ホイチョイと違うのは、研究して、それをデフォルメして、うまい具合に時代の空気表現しているわけではなく、イケダハヤトが今の若者のものからである。そして、今の若者の一部の部分を切り取って、それをアウトプットしているんだ。

若者と話すときにさ、論理で話の腰を折るおっさんいるじゃん。わからなくもないんだけど、若者がしているのって別に議論じゃなくて、単に感じたことを素直に出してたりするだけだったりするのよ。「本田かっけー」とか「マジだりー」とかと同じなんだ。本田がかっこいいという点に対して論理で反論しないでしょ。それと同じ。

まりイケダハヤトに対して反論したり、間違いだという人は、そもそものところで噛み合っていない。話しているレイヤーが違う、次元が違う、内容が違う、論点が違う。

たとえばだ、イケダハヤトが「納豆若者強要するおっさんは、若者をバカにしている。そもそもマクドナルドを食べたっていいはずだ。世界チェーン店であるマクドナルドであれば有害物質を使う可能性も低いし、そもそもキャベツトマトが入っているハンバーグのほうがよほど健康的」みたいなブログを書いたときに「別に若者納豆押し付けていない」「そんな押し付けるようなおっさんは本当にいるの?」「マクドナルド有害物質を使わないとは限らない」「トマトキャベツだけじゃ野菜として足りない」みたいな反応をするやつがいるけど、全く違う。

イケダハヤトが上記のようにいったら「納豆はねばねばしてるし、なんかくさい。あとマックうまい。」といっているということ。それなのに「トマトキャベツだけじゃ野菜として足りない」って言われたら「え、何の話?なにいってるんですか?」となってしまうのは当たり前だ。

イケダハヤトは恐らく、若者意見感想、感じたことを発信することは価値があると考えているので、多くの人がそのようにするべきだと考えている。なので、中身がない、という批判もおそらく意味がない。

こう書いているが、別にバカにしているわけじゃない。実は私も、イケダハヤト同意見で、若者ブログやtwitteでもっと思っていること、感じていることをストレートに書くべきだと思っているからだ。そういう意味では、イケダハヤトの支持者であるし、彼のブログおもしろく読んでいる。若者が感じていることをストレートに伝えられるってやはりいいことなのではないか?

イケダハヤトは、若者が感じた素直なことの表現方法特殊なだけなんだと思う。

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