はてなキーワード: ベイリーとは
(一般)
【りふれくそろじー】
リフレクソロジーは足の反射療法に分類され、もともとは米国の医師であるフィッツジェラルドが1913年頃からはじめたゾーンテラピー(区帯療法)が最初とされています。体の正中線を境に左右5本の垂直線を引き、そのゾーンの異常は同じゾーン内の他の部位にも影響を与える、という考え方です。
それを米国のイングハム女史が足裏の反射区図を作り1938年 Stories the Foot have told thru Reflexology を発行した事から普及したとされています。
これを元にドイツのマルカート女史が1975年にReflexzonenarbeit am Fus (Foot Reflexology) を発行しました。またイギリスへはベイリー女史が1960年代初期にイングハム女史から学んで伝えたとされています。
同時に足裏マッサージとして知られているのは1980年代に流行った台湾式マッサージでルーツは同じと思われますが、手技がかなり違っていて効果がある限り強く押していくという方法をとっていたため、かなり痛みを感じている方も多いようです。
現在ではあまり痛みを感じる寸前の痛気持ちいいところであまり強く押さないようですし、足裏か膝まで64の反射区全てを刺激する方法を取り入れているところもあるようですが、それぞれの考え方で施術もいろいろあります。
これに対して英国式も色々な方式があるようですが、足全体の施術を行い、かなり軟らかいタッチで「これで効果があるの?」と思えるくらいのソフトさで、痛みは全くありません。連続して何回か行った方が効果があるとされています。テクニックはセラピストの方の経験や色々な背景などによって変わってくるようですし、相性もあるようです。
「リトル・マーメイド」のアリエル。ハリー・ベイリーが演じた(C)2023 Disney Enterprises, Inc. All Rights Reserved.
というかまずこの図版が白い
2023/6/27 11:00
人魚姫アリエルを描いた1989年のディズニーアニメ映画を実写化した映画「リトル・マーメイド」が米国や日本などでヒットしている。白い肌に赤髪という外見だったアニメ版のアリエルと異なり、今回はアフリカ系の俳優を起用。この点が公開前から注目を集め、米国のみならず日本でも「黒人差別ではなく、アリエルはアリエルらしい人にやってほしい」などの声があがった。ヒットと論争から見えてくるものとは。
ストーリーの骨格はアニメ版と変わらない。美しい歌声を持ち、人間の世界に憧れるアリエルが、エリック王子と運命の出会いを果たす。海の魔女アースラがアリエルに近づき、人間の姿になれるという取引に応じたアリエルは声を失ってしまう。
だから黒人ベースのストーリーじゃないし、深海の生き物は黒人じゃない。
デタラメ過ぎる
日本でもSNSを中心に「アニメで親しんだアリエルのビジュアルが完全に無視されている」「黒人の輝かしい未来のために、ファンがないがしろにされた」などの批判が相次いだ。
「アニメ版のアリエルを重視したいだけで、人種差別ではない」。SNSを中心に、「アリエルらしさ」を差別と切り離す言説もありましたが、これをどう捉えればいいのでしょうか。日本で暮らすアフリカにルーツを持つ子どもたちや、識者の見解を交え、考えました。
一方、SNSでは「同じ肌の色だ」「私みたい」と喜ぶアフリカ系の子どもたちの姿が映る動画も広がった。彼女たちにとって、ディズニーの過去作では同じ「リプリゼンテーション(表象、見た目)」の主役は限られていた。そうした意味もあり、好意的な声も多い。
こんなんサクラや。
母の妙子さん(33)も、ベイリー版のアリエルを歓迎する。「友だちに『有環は肌の色が違うからプリンセスにはなれない』と言われたこともあった。いろんなルーツをもつ子どもが自己肯定感をもてる作品が増えることを期待したい」
絶対おらんやろ。
人種による分断も見え隠れ
識者はどうみるのか。
米国映画における人種の描かれ方に詳しい椙山女学園大学の水島和則教授(表象文化論)は「ハリウッドを中心にプリンセスといえば白人という認知が刻み込まれている。映画界でもかつては異人種間の恋愛を禁じる規制があったという歴史もある。新たな表象を描くことで、そのバックラッシュ(反動)が起きている」とみている。
水島なんて適当なことしか言ってないばかでしょ。そもそも歴史上黒人のプリンセスはいない。嘘です。
今回の配役については「アリエルにベイリーを起用したことに加え、白人のプリンス(エリック王子)との異人種間の恋愛を描くまで踏み込んだ作品だ」と受け止めた。「消極的にポリティカル・コレクトネス(政治的正しさ)に配慮したのではなく、製作者の強い意思を感じる」
日本語になってない。ポリコレという事実が認められないのは知能に問題あり。
ディズニーのプリンセスなどを社会的に論じた著書「戦う姫、働く少女」がある専修大学の河野真太郎教授(英文学)は「ディズニー自体が白人プリンセス像を生み出し続け、観客に『プリンセス=白人』という像を刷り込んできた。白人の権力の中心性を揺るがせなかった歴史が関係している」とみる。
そんな歴史はない。
「ディズニーが今まで採り入れてきた多様性は、『ちぎり取られたもの』と言ったほうが正確だ。『リトル・マーメイド』でベイリーを起用し、白人優位の権力性に本格的に手を突っ込んだことで、抵抗が起きたのだろう」と河野教授。
頭湧いてて草。
こういう腐った肉みたいなバカしかいない。お前の考えが間違っている。
こういうデタラメをエンターテイメントに押し付けるクソカスな社会学はマジで有害だという結論にしかならない。それ自体が差別だこのクソカス寄生虫どもが。
𝗗𝗔𝗜@
@3559dai
劇場にリトルマーメイドを観に行く理由が動くヴァネッサを観たいでもいいですし、ハリエルの歌声を聴きたいでもいいと思います😊
https://twitter.com/neko_gravity/status/1666528978839146496?s=20
いやこんな明るくないっしょ。
https://twitter.com/cwgl418/status/1666158230224130048?s=20
これも表情が見えない
𝗗𝗔𝗜@
@3559dai
エリック役のジョナ「今作は自分と違う人たちを恐れるのではなく、その違いを祝福してお互いに手を取り合うことの素晴らしさがテーマになっています。」
こう言うのが素晴らしいとかアホやろ。
@voguejp
アリエルは黒人ではなく白人が演じるべきだという世論があったことについて語ったこと。「スクリーン上で、自分と似た外見を持つプリンスや・プリンセスを観ることが少ない子どもたちにとって、ハリーのキャスティングはどれほど重要で価値のあることか」 #リトルマーメイド
そもそもみずの中で泳げるか?
日本は008っているんだぞ。
𝗗𝗔𝗜@
@3559dai
ハリーベイリーの歌声に感動する子供が可愛いし見てる方も泣けてくる🥲
https://instagram.com/kimberlygelinn?igshid=MzRlODBiNWFlZA==
ヤラセくさい。
https://gendai.media/articles/-/99878?page=3
彼が展開したのは、トランスジェンダーのなかでも「MTF」と呼ばれる人々についての理論である。通常、MTFの人々は「身体的には男性として生まれてきたが、ジェンダー・アイデンティティ(性自認)は女性である人々」として理解されることが多い。しかし、ベイリーはジェンダー・アイデンティティという概念を疑問視して、その代わりに性的指向に基づいてMTFを定義しようとした。
そして、性科学者のレイ・ブランチャードの理論に依拠しながら、MTFは「異性愛の男性を性的対象としており、彼らと恋愛・セックスするために性転換を望む人」(トランスキッド)と「“女性としての自分”への愛情を抱き、自分が女性になることを想像することで性的に興奮する人」(オートガイネフィリア)とに区別される、とベイリーは論じたのである。
ドレガーによると、『クイーンになる男』が発表された当初はトランスジェンダーの当事者のなかにもこの本を好意的に受け止める人が多く、MTFに関する理論についても「自分の実体験に基づいている」と賛同する当事者は多数存在した。
しかし、一部の活動家が「ベイリーはトランスフォビアである」と喧伝し続けて、脅迫を恐れた大学やメディアの関係者もベイリーを支援・擁護しなかったことから、彼が差別主義者であるというイメージが定着してしまったのだ。ドレガー自身も、実際にベイリーに会って事件について詳細に調べるまでは、彼がトランスフォビアであると思い込んでいたのである。
モットアンドベイリーじゃん
Abstractしか読んでいない疑惑や自身のダブスタな態度など他増田やブコメによる都合の悪い指摘に無視または言い訳を続ける増田に果たして他人の知的誠実さを偉そうにジャッジする資格()を満たすだけの知的誠実さは備わっているか
(結論に「反する」論文を「無視」と語気を強めて言い切っていた増田の論旨は変わってるんだが、それはそれとして)
細かい論点だとか論旨には影響しませんで言い逃れできるなら手嶋の記事だって前後の総説論文やメタアナリシスが否定されない以上は記事全体としての論旨には大して影響しないだろうに、記事全体のキャンセルを試みるのは無理があるって自分でも薄々分かってるよな
自分に都合の良い方向にねじ曲げた誤訳にしても査読の持つ意味合いにしても最初に強い言葉で耳目を集めてから後で軌道修正すればよしっていう怠惰な姿勢からは知的誠実さなんて欠片も感じられないんだけど?
ブコメでもお前の印象操作にオタクヘイターな表現規制派の方々が釣られまくってるんだから相手の印象操作を責めるなら自分も記事全体の論旨は否定できませんと明言して釣られた馬鹿の後始末しとけ
つい適当なこと言っちゃったけど相手だって同じなんだとか全く言い訳にもなってないからな
その相手をお前は「学問への冒涜であり、科学と対極に位置するものです」「論文を読む、ましてやそれを基に文章を書く資格などありません」「知的怠慢であり、知的誠実さの欠如でしょう」と切り捨てたんだからな
他人より先にまず自分をその立派に研ぎ澄ました鎌で断罪してはどうか
(Full-Textを読まずにAbstractだけで済ませる怠惰も刈り取れないナマクラみたいだから研ぎ直すのが先か?)
https://anond.hatelabo.jp/20200323025005
――ところで、わたしは昔から、最後のスタンザは少し弱いのではないかと思っていたのですが……。
( ・3・) 弱い? 「リング」と「スプリング」とで韻を踏むのはありきたりだとか?
――弱いというよりは、ピンとこないといったほうが正確かもしれません。「彼女は春に生まれたが、わたしは生まれるのが遅すぎた」――これはどういうことなんでしょう。
( ・3・) 彼女のほうが歳上だったんじゃないか? 50歳くらい。
――それはたしかに too late な気がしますが、もし年齢が離れていることが問題なら、彼女が三月生まれであれ、七月生まれであれ、一年のうちで生まれた時期に言及する意味はないはずなんです。
( ・3・) 春に生まれようが夏に生まれようが誤差みたいなものだからな。
( ・3・) ははは、まさか。
――ここに一枚の写真があります。1975年に撮られたものです。
https://twitter.com/kedardo/status/1242030916232339458
( ・3・) ボブ・ディラン、本を読む。
――何という本ですか?
( ・3・) 『クリスタル・マジック』と書いてある。マジックのつづりが変だけど。
――目次には次のような言葉が並んでいます。「ケンタウルスが獅子を狩る」「シャンカラの理論は現実をどう捉えるか」「ハクスリーの知覚の扉」「アジュナチャクラあるいは第三の目」「カバラの諸相」
( ・3・) 神秘主義のロイヤル・ストレート・フラッシュという感じだな。
――星座が何であれば、支配星は何、エレメントは何、という表も載っています。
( ・3・) 本を読め、ただしまともな本を、と釘を刺したばかりだというのに。
――まともな本も読んでいますよ。このころディランはチェーホフやコンラッドに傾倒していたはずです。 [3] [4]
( ・3・) じゃあ『クリスタル・マジック』はたまたま手にとっただけで、内容を真に受けたとまではいえないんじゃないか?
――1974年、コンサート・ツアーを再開した理由を、ディランは次のように語っています。「わたしの惑星系 (my planetary system) において土星が障害となっていた。その状態がしばらく続いていたが、いま土星は別の場所へ移動した」 [5]
――1976年のアルバム『ディザイア』のバック・カヴァーには、タロットが描かれています。
( ・3・) タロット! イタロ・カルヴィーノの『宿命の交わる城』は何年だっけ。ちょっと待って――第一部・第二部の合本が出たのが1973年。英訳は1977年だ。
――1978年のインタヴューでは、占星術を信じているのかと単刀直入に訊かれています。
PLAYBOY: OK, back to less worldly concerns. You don't believe in astrology, do you?
DYLAN: I don't think so.
PLAYBOY: You were quoted recently as having said something about having a Gemini nature.
DYLAN: Well, maybe there are certain characteristics of people who are born under certain signs. But I don't know, I'm not sure how relevant it is.
PLAYBOY: Could it be there's an undiscovered twin or a double to Bob Dylan?
DYLAN: Someplace on the planet, there's a double of me walking around. Could very possibly be. [6]
( ・3・) 信じているかといえば、信じてはいない。星座と人間の気質とのあいだには何か関係があるかもしれないが、どの程度なのかは分からない。――うーん、言質を取られるのを避けているみたいだ。
――もともと質問に率直に答える人ではないのですが。
( ・3・) 思い出した。昔、日本の有名な批評家がイェール大学に文学を教えに行ったんだが、向こうでは占星術が流行っていて、同僚の学者の生年月日がどうのこうのと書いていたっけ。あれも70年代半ばじゃなかったかな。
――期せずして、アメリカにおける神秘主義の流行、というテーマに足を踏み入れてしまいました。
( ・3・) ……引き返そうか。
――「彼女は春に生まれたが、わたしは生まれるのが遅すぎた」の意味をめぐって脇道にそれてしまいましたが、実は、意外なかたちで問題が消滅します。
――いえ、問題自体が消えてなくなってしまうんです。アルバム発表から一年も経たないうちに、歌詞が書き直されて、最後のスタンザは大きく変わります。1975年のライヴ録音を聴いてみましょう。
To know too much for too long a time
She should have caught me in my prime
Instead of going off to sea
And leaving me to meditate
( ・3・) ジェミニを連想させる "she was my twin" も含めて、占星術につながりそうな表現はなくなったな。詩の問題の解決を、人は問題の消滅によってうやむやにする。
――「彼女はわたしの双子だった」も、考えてみれば謎めいた表現です。「本当の恋人だった」と「双子だった」とが置き換え可能かといえば、そうではないと思います。
( ・3・) 歌詞だけじゃなくて、コード進行も旋律も変わっているぞ。
――そうなんです。これまでわれわれが検討してきたことの少なからぬ部分が、このヴァージョンには当てはまらなくなっている。ディランにしてみれば、もう「わたしはそこにはいない」んです。
( ・3・) うなぎみたいなやつだな。
――歌詞の変更は1975年以降も続きます。「彼」と「彼女」とが入れ替わったり――
( ・3・) 体が?
――立場がです。第一スタンザで「孤独を感じ」「まっすぐに歩いていればよかった」と願い、第二スタンザで「夜の熱気に打たれるのを感じ」るのは、「彼」ではなく「彼女」になります。80年代にはさらに全面的な変更があり、90年代には――
( ・3・) もはや原形を留めなくなった?
――いえ、それが――。
( ・3・) それが?
――おおむね元のかたちに戻りました。
( ・3・) ……。
――……。
( ・3・) 「彼女は春に生まれたが、わたしは生まれるのが遅すぎた」も?
( ・3・) 抑圧された占星術の回帰……。なくなったはずの問題の再燃……。まるで人生のようだ。
――これで「運命のひとひねり」は概観できました。全体について何かありますか?
( ・3・) 英語は易しめだったな。
( ・3・) 「彼」と「彼女」との間に何があったのか、曲のなかでは詳しく語られないけど、これは、その、いわゆる一夜の関係というやつなの? [7]
――なぜそう思ったんですか?
――ただ、それだと、彼女がいなくなったときの彼の傷心ぶりや、「指輪をなくしてしまった」のくだりはうまく説明できません。
( ・3・) そうなんだよな。じゃあ、ある程度つきあった恋人たちの最後の夜だったんだろうか。
――第一スタンザに、「体の芯に火花が走るのを感じた」とありますが、これは恋に落ちるときの表現だと思います。まあ、よく知っている相手に対して改めて火花を感じる、という可能性もゼロではありませんが。
( ・3・) すでにつきあっている恋人同士なら、見知らぬホテルの前でまごまごするのも不自然だしな。うーん、こんがらがってきた。一方では、彼と彼女とは一夜の関係に見える。ある日の夕暮れに物語が始まって、翌朝には彼女は姿を消している。その一方、物語の後半では、彼は生涯の伴侶を失った男のように見える。
――常識と観測結果とが矛盾するときは、常識を捨てなければなりません。
( ・3・) 何を言いだしたんだ急に。
――ある日の夕暮れから翌朝まで、と考えて矛盾が生じるのであれば、そう考えるのをやめればいいんです。
( ・3・) いや、でも、ある日の夕暮れから翌朝までじゃないの? ネオンの輝く見知らぬホテルに長期滞在して、数年後の朝に彼女はいなくなりました、なんていくらなんでも無理があるだろう。
――キュビズムの絵画では、ある対象を複数の視点から捉え、平面のキャンバスに再構成して描きます。
( ・3・) 何を言いだしたんだ急に。
――ある日の夕暮れから翌朝まで、という枠組みのなかに、出会いから別れまでの一切が凝縮されたかたちで描かれているとしたら?
( ・3・) 時間の流れが一律ではなかったということか?
――いいですか、時計の秒針が聞こえてくるのは、彼女がいなくなった後です。それから彼にとっての永遠の現在が始まり、彼女がいた過去は、彼の記憶のなかで遠近法的な奥行きを失うんです。
( ・3・) 時計を一種の仕掛けと見立てて、内在的に解釈するわけか。理屈は通っているかもしれないが、常識を捨てさせるには、まだ十分ではないと思うぞ。
――では、時間の流れが一律であるとは限らないという外在的な傍証を。1978年のインタヴューです。
Everybody agrees that that [Blood on the Tracks] was pretty different, and what's different about it is that there's a code in the lyrics and also there's no sense of time. There's no respect for it: you've got yesterday, today and tomorrow all in the same room, and there's very little that you can't imagine not happening. [8]
( ・3・) おい、詩に暗号が隠されていると言っているぞ。
――その点は保留にしてください。
( ・3・) 時間の意識は失われている。過去、現在、未来が同じ部屋に混在して、想像しえない出来事などほとんどない。
( ・3・) 「運命のひとひねり」の解題ではないんだな?
( ・3・) そうだな、まだ腑に落ちるとまではいかないが、時間の扱いは気に留めておいたほうがよさそうだ。
――はい。実は、キュビズムの絵画や、時間の意識をもちだしたのは、次に聴く曲「タングルド・アップ・イン・ブルー」でも同じ問題がでてくるからなんです。邦題は「ブルーにこんがらがって」。ディランの重要な曲を挙げるとしたら、まず10位以内には入る。人によっては1位かもしれない。というわけで、ウォーム・アップは終了です。次は少し難しくなりますよ。
そのようにして彼らは「タングルド・アップ・イン・ブルー」を聴き、「シェルター・フロム・ザ・ストーム」を聴いた。窓のかたちをした陽だまりが床を移動し、寝ていたストラヴィンスキーの首から下が影に入ってしまった。もう次の曲に進む時間は残っていなかった。デレク・ベイリーのCDを持って帰らなければ、と彼は思った。マイルス・デイヴィスやビル・エヴァンスならいつでも買い直せる。しかしベイリーは品切れのまま再発されないことだってありうるのだ。
「もう帰るのか?」と上司は言った。
「はい。それで、デレク・ベ」
「おまえの家は一戸建てだったな、たしか。陽当たりと風通しは良好か?」
「陽当たり? まあ、それなりには。それで、デ」
「窓からの眺めは?」
「眺め? まあ、壁しか見えないということはありませんが。そ」
「じゃあ、決まりだな」と上司は言い、リムスキー=コルサコフの両脇を後ろから抱えると、目の高さまで持ち上げた。
「新しいパパだよ」
かくして予言は成就し、わたしは持っていったもの以上を持ち帰ることになる。小さなモフモフと、モフモフの当面の生活に必要なモフモフ用品とを。
まずはこの子に、猫としてまっとうな名前をつけよう。このままだと、もし何かの拍子に迷子にでもなったら、「リムスキー=コルサコフ! リムスキー=コルサコフ!」と大声で呼びながら近所を捜し回らなくてはならない。獣医にかかるときだって、きっと問診票に名前を書く欄があるだろう。常軌を逸した飼い主だと警戒され、信頼関係を築くのに支障をきたすかもしれない。
しかし、猫に名前をつけるのは難しい――T・S・エリオットの Old Possum's Book of Practical Cats にもそう書いてある。クラシックの作曲家では大仰すぎる。ジャズ・ミュージシャンではどうだろう。わたしはCDとレコードの棚の前に立ち、名前の候補をピック・アウトしていく。チェット。論外である。マタタビに耽溺してばかりの猫になってしまいそうだ。ドルフィー。才能も人格も申し分ないが、早世の不安がつきまとう。ベイリー。デレク・ベイリーのCDを取り戻すまで、わたしはあとどれだけの道を歩まなくてはならないのだろう。
わたしは気づく。予言は成就していない。少なくとも完全には成就していない。人知を超えた力によって予言はねじ曲げられ、わたしは持っていったもの以上ではなく、持っていったもの以外を持ち帰ったのだ。新しい家の探検を終え、お腹を上にして眠る小さなモフモフよ、おまえのしっぽが曲がっているのも、運命のひとひねりのせいなのか?
[1] 実際にはEより少し高く聴こえる(テープの再生速度を上げているため)。
[2] これ以降、歌詞の引用は2小節ごとに改行を加えている。
[3] Bob Dylan. Chronicles: Volume One. Simon and Schuster, 2004. p. 122.
[4] Sam Shepard. Rolling Thunder Logbook. Da Capo Press, 2004. p. 78.
[5] https://maureenorth.com/1974/01/dylan-rolling-again-newsweek-cover-story/
[6] Interview with Ron Rosenbaum. Playboy, March 1978; reprinted in Bob Dylan: The Essential Interviews. Wenner Books, 2006. p. 236.
[7] 草稿では、第三スタンザは以下のように書かれたあと、大きなバツ印がつけられている。"She raised her weary head / And couldn't help but hate / Cashing in on a Simple Twist of Fate." 初めは娼婦として描かれていた点を重視することもできるし、その構想が放棄された点を重視することもできる。
[8] Interview with Jonathan Cott. Rolling Stone, November 16, 1978; reprinted in Bob Dylan: The Essential Interviews. Wenner Books, 2006. p. 260.
あまりにひどいと思ったので、こっちにも書く。ブコメで言ったけど誰も読まないし。こっちに書いても読まない可能性高いが。
肉を食べないことで地球環境を救えるのか、実際に計算するとこうなる
https://gigazine.net/news/20191012-vegetarianism-climate-change/
また、バージニア工科大学で畜産学を研究しているロビン・ホワイト氏とアメリカの農業研究事業団の研究者であるメアリー・ベス・ホール氏の共同研究でも「アメリカの食料生産システムから動物を除外した場合の総温室効果ガス排出量の減少はわずか2.6%」との研究結果が出ており、ベイリー氏の主張の裏付けとなっています。
yas-mal 2.6%って大きいな。肉を多く食べるとは言え、人口では世界の1/20程度の米国人だけを対象にしてそれって、相当じゃね?
wow64 アメリカ人が肉をやめても、"世界の"2.6%にしか影響ないって言いたいのか。アメリカ国内計算なら1割近く削減できるみたいだぞ。(1.4t / 14.9t) https://www.jccca.org/chart/chart03_02.html
yamada_maya これ2.6%って米国内じゃなくて地球全体の話だよね。米国の温室効果ガスの排出量は13.6%なんだけど、そこから2.6%も減ったらものすごい削減では。パリ協定の2割程度削減するって目標が一発でクリアできるじゃん。
こんな発言がみられて、それにいくつかのスターが付いてたりする。
一次ソースを読む限り、この2.6%ってアメリカ国内の総環境影響ガスの排出量に対する割合の話にしか見えないんだけど。
The modeled system without animals increased total food production (23%), altered foods available for domestic consumption, and decreased agricultural US GHGs (28%), but only reduced total US GHG by 2.6 percentage units.
動物を使用しないモデル化システムでは、総食料生産量が増加し(23%)、国内消費可能な食料が変更され、米国の農業GHGが減少しましたが(28%)、米国のGHG総量は2.6パーセント単位だけ減少しました。(機械翻訳)
ってここまではっきり書かれてるのに、なんで世界のGHG排出の割合で2.6%だと思ったんだろう?
なんか新聞の記事とかで論文にアクセスできるようにURLとか貼れってブコメをよく見るから、気になった部分があったらソース確認するのかと思ったけど、ほとんどの人はそうじゃなくて、都合よく解釈して、好き勝手言うみたいだし、そのことをおかしいと思わないらしい。
一々、ソース確認したりするのは面倒なのは分かるけど、疑問すら持たない自信はどこから来るんだろう。
この手の論文に対して、「○○が抜けてる」とか「計算の信憑性が」とか色々文句つけるなら君がモデル化してシミュレートして欲しい。
研究って不完全なものを色んな人が埋め合わせたり、次の人に託したりして成り立ってる。それに対して「○○がないからダメ」みたいに切って捨てる人は楽で良いなと思う。
やらない人は知らないだろうけど、適切なパラメータ探すのも、モデル変更すんのも一苦労するんだよな。問題の種類によるけど計算量の話も出てくるとそっちはそっちでクソ大変だし。
参考にしたサイト:http://lelang.sites-hosting.com/naklang/fallacy.html
相手の主張を一部分だけ引用したり、極端な形に言い換えたりして、反論しやすいかたちに改変してから論破してみせること。
多くのデータの中から、自分にとって都合の良い例だけを取り出してきて、都合の悪い例は無視すること。
そっちこそどうなんだ主義。
自分の行動が批判されたときに、それ自体には反論せず、「お前も同じことをやっているじゃないか」と相手の過ちをあげつらう論法。
「最近の漫画がつまらないのは出版社のせいだと思うか?」という質問は、「はい」と答えても「いいえ」と答えても「最近の漫画はつまらない」という前提を認めてしまうことになる。
最近の漫画を面白いと思うなら、そもそも前提が間違っているということを指摘しなければならない。
実際には他にも選択肢があるにもかかわらず、0か100かの極端な選択肢だけを提示し、相手を回答不能にさせること。
滑り坂論法。
いちどでも要求を認めれば、次々と要求を認めなければいけなくなるので、最初の要求を認めてはならない、という詭弁。
たとえば「いちどでも賃上げ要求に屈せば、どんどん給料は吊り上がって、会社は倒産してしまうだろう」といったようなもの。
迫害を受けたガリレオが結果的に正しかったように、私が批判されているのも私の主張が正しいからだ、といった論法。
ガリレオの代わりにセンメルヴェイスやヴェーゲナーが引用されることも多い。
複数の仮説のなかで、間違っているという証拠があるものを除外していき、最後に残ったものが(どんなに信じられなくても)真実である、という誤謬。
言い換えると「間違っているという証拠が見つかっていないから真実だ」と言っているに等しい(未知論証)。
「ad nauseam」はラテン語で「いやになるほど」という意味。
何度も何度も何度も何度も同じ主張を繰り返すことで、批判者を疲弊させて撤退に追い込み、第三者にはそれが真実であるかのように刷り込む。
「嘘も百回繰り返せば真実になる」。
ある主張に反対するために「子供たちのことを考えろ!」というフレーズを用いること。
ここでいう「子供たち」は主張者に都合の良い架空の存在である。
インターネットでの議論が長引くほど、ヒトラーやナチスを引き合いに出した不適切な比較が行われやすくなる、という法則。
あるいは、ヒトラーやナチスと比較した時点でそれを言った側の負けだ、といったルールのこと。
ヒトラーとの不適切な比較は「ヒトラー論証」と呼ばれる詭弁であるが、ゴドウィンの法則自体にも「適切な比較すら封殺する」という批判がある。
常識的な主張と過激な主張を使い分け、過激な主張を批判されれば「私が本当に言いたいのは常識的なことだ」と弁解し、常識的な主張の同意を得れば「過激な主張が立証された」と強弁する論法。
本来は「小高い丘(モット)に建てられた天守」と「平地を外壁(ベイリー)で囲った曲輪」で構成された城のことを指す。
No true Scotsman。「本当の○○は××しない」。
「スコットランド人はそんなことをしない」という主張に対し、「俺の知り合いのスコットランド人はそれをしていた」と反例を挙げられたとき、「その人が真のスコットランド人ではないからだ」と定義を変更することで反例を排除する。
相手の主張に対して根拠を要求し、それに回答があると、しれっと要求を変形させて「これでは根拠になっていない」と言う。
「醤油ラーメンがいちばん人気があるという根拠はあるのか?」「ラーメンの人気ランキングはこれだ」「俺は東京のラーメンについて聞いたんだ、東京に限ったランキングを出せ」といったもの。
専門家でさえリアルタイムでは答えられないような細かい質問を次から次へと投げかけて相手を回答不能に陥らせる手法。
ギッシュ・ギャロップを繰り出し、相手がひとつでも答えられなければ「彼はこの問題について無知である、よって議論に参加する資格がない」といった結論に持っていくコンボ。
以下、名前が見つからなかったけどネット上ではよく見かけるやつ。
「反対をするなら対案を出せ」というもの。
具体的な問題を解決しないといけないときに、出てきた対策に反対ばかりしている人に対しては成り立つが、余計なことを始めようとするときに現状維持を望むのは、それ自体が対案となる。
「TINA(There is no alternative)」と呼ばれることもあるが、TINAは「他に道はない」と言って押しとおすことなので、微妙に違う気がする。
何かを批判している人に対して、まったく別の領域の類似問題を挙げて、「これも批判しなければダブスタだ」と言うことで、際限なく戦線を拡大していき、相手が対応できなくなることを狙う。
Whataboutismの仲間か。
集団内でも意見が異なることはあるものだが、集団をひとつの人格とみなすことで、異なる意見が存在することを矛盾とみなす。
右翼Aが「天皇を守れ」と言った、右翼Bが「今の天皇は左翼だから退位させろ」と言った、それを見て「右翼は天皇を守ると言っていたのに退位させようとしている」と主張する、といったもの。
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オススメを教えてください
・割引されていて
お願いします
・死の鳥 (ハヤカワ文庫SF)
・ゴッド・ガン (ハヤカワ文庫SF)
です
短編ばかりなのは長編だと挫折するんじゃないかという懸念からです
ただオススメしていただいたものが長編であろうと読みやすいものならばためしてみたいです
「おまえそんなのも知らないのかよ」ってくらいの基本的なのも読んでません
この機会に試したいとも思ってますのでよかったらよろしくご教授ください
追記
・伝道の書に捧げる薔薇 (ハヤカワ文庫SF) Kindle版
ロジャー ゼラズニイ (著), 浅倉久志・峯岸久 (翻訳)
いきなりおもしろそうなのでもう買いました。ありがとうございます。
hideが好き
→ロックの古典、プログレ、とくにジャーマンプログレ、CAN、キャプテンビーフハート、ヴェルベットアンダーグラウンド
→サイケとか重いとかノイズとか形容されるロックならなんでも聞いてた。あと邦楽ロックが凄い盛り上がってた時期なのでそれも聞いた。モーサム、ゆら帝。くるり。坂本慎太郎は天才。
→グラインドコアとストーナー大好き。ブルータルトゥルース、カイアス。フリージャズと現代音楽も好きになる。デレクベイリー、アルバートアイラー、スティーヴライヒ、ジョンケージ。
→Ryoji Ikedaの+/-に衝撃受ける。ミポリンの彼氏のATAKもちょうど活動の最盛期でエレクトロニカにのめりこむ。Pan Sonic、Pole、SNDなど
→世界最古のエレクトロニカとかレコード屋で書かれてたのでダブを聞くようになる。Lee Perry、Max Romeo、Scientist