はてなキーワード: ヘイト本とは
この話題が出るたびに混乱する人が出てくる。
今までROM専だったけど、もうストレスに耐える余力がつきた。
私が決着をつけたいと思う。表現の自由は2つに分けて考えるべきだ。
フェミは県警に性的強調するなとアドバイスしたけど、これは県警の表現の自由を侵してない。
アドバイスも表現の自由だから。Vも県警も、取り下げるのは表現しないという表現の自由を使っただけなので、これも表現の自由を侵害してない。
トランスヘイト本を出版するなとクレームを入れるのも表現の自由だし、KADOKAWAが出版停止するのもまた、彼らの表現の自由だ。
誰も権利侵害されてない、ただアドバイスされて表現しない自由を選んだだけ。
『表現の自由権』は侵されてない。
もはや公共広告では女性の乳袋表現はできないし、ゲームの歴史を書くなら精密に下調べしなくちゃならなくなった、気軽に書けなくなった。
『表現の選択肢』はキャンセルカルチャーで確実に狭まっていく。
表現の自由権と表現の選択肢を取り違えると、「表現の自由レイヤーの問題って言っても、ただクレームを入れただけじゃないか???」のような沼に落ちるので注意。
あなたは頭がいい。
高度の情報化された現代社会では、その速度の差が絶版や出版停止につながるだけ。
もっと話題性のあるセクマイのヘイトでは出版停止になる、それだけ。
下に引用した増田だけでなく、Xやnoteで、トランス支持はウヨ!と主張しているTERFをよく見かけるが、この認識はどこから来たんだろうね?
現実の右派は、「自民党・女性を守る議連」に集まった保守政治家だったり、この議連や「女性スペースを守る会」のデモを好意的に取り上げる産経新聞だったりと、反トランスで動いていて、
逆に左派は、『あの子もトランスジェンダーになった』はトランスヘイト本だと批判するリベラルな出版関係者だったり、「女性スペースを守る会」にカウンターデモをかけたしばき隊だったりと、トランス支持で動いているのだが。
どうしてTERFはトランス支持=右派というひっくり返った世界で生きているのだろうか?
「身体的に優れたトランス女をぶつければ女に"わからせ"ができる」「いわゆる女枠は身体男性に占めさせ、シス女は生む機械に専念すれば良い」として右派とトランス支持の強固な結びつきが発生していたりする
なんでこうなるのか、TERFの奇妙な頭の中を自分なりに一生懸命シミュレーションしてみた。
・TERFは元々がウヨ嫌い・自民党嫌いのリベサヨで、共産党や社民党がトランス支持になり失望した今でも、大嫌いなウヨ(自民党)の側には付きたくないので、現実の方を歪めてウヨがトランス支持ということにしている。
・TERFがXで敵対しているネトウヨ兼女叩きアルファアカウントが「女性差別には反対するのに、シス女性よりもマイノリティのトランス女性差別には賛成するフェミw」と当て擦りをしてくるのがムカツク。トランス支持はやっぱりネトウヨでトランス女性はミソジニーの先兵!とエコーチェインバーの中で凝り固まった。
増田にいるTERFは実際のところ、どう思ってるの?
1.日本ではクリスチャンは1%弱とされる。ユダヤ教とイスラームはそれよりも少ない。
よって、日本では同性愛者の方がマジョリティなのだからアブラハムの一神教徒による同性愛者へのヘイトは存在せず、従って聖書とコーランはヘイト本ではない。Q.E.D.
1.聖書やコーランには『同性愛は神の意志に背く罪であるから罰せられるべき』ということが述べられており、同性愛者へのヘイト本であると言うに十分である。
このような本が出版されていることによって感化され、同性愛者に危害を加えようとする人々が出てくることに恐れを感じる当事者のこともちゃんと想像するべきだ。
2.また、これらの本を聖典とする宗教に影響されて実際に同性愛者差別が起こり、数多くの同性愛者が死んだことも明らかである。
以上1.,2より、ただちに聖書とコーランの出版は取りやめられるべきである。
何も我々はヘブライ語の聖書やアラビア語のコーランを個人で輸入し、自ら言語を学んだ上で読むことまで禁止は求めない。従ってこの要求は表現の自由を侵害するものではない。
角川はヘイト本は出版しないという方針で、抗議があったので調べたらヘイト本だから出版止めますという話じゃなかったか?
の翻訳。執筆者はステットソン大学の心理学教授、クリストファー・J・ファーガソン。
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2020年に起きた比較的マイナーな(トランプ大統領や新型コロナと比較して)炎上ニュースの中に、ジャーナリストのアビゲイル・シュライアーの『あの子もトランスジェンダーになった SNSで伝染する性転換ブームの悲劇(Irreversible Damage)』をめぐる論争があった。
本書は、みずからのトランス男性として認識するティーンエイジャーの「女子」の急増は、性別違和やトランスジェンダリズムが原因ではなく、社会から疎外されたアイデンティティが社会的な影響によって、本来他の精神疾患を持っている少女たちが誤って自分をトランスとして認識しているためだと主張している。
この本に自分の家族や娘を重ね合わせ、娘たちが直面している現実の問題を語っていると考える親もいる。(原注:シュライアーの見解を反映し、生物学的性別のみを反映することを意図しているため、ここでは「娘(daughters)」という用語を使用する。) しかし、多くのトランス活動家たちは、この本をトランスフォビックであり、敵対的であり、より広くトランスの人々にとって有害であるとして非難している。そのため本書への販売反対運動も広まっている。*1
私は最近この本を読んだので、ここに感想を述べておきたい。はじめに言っておくと、これは複雑で微妙な問題だと思う。しかし、現代の言論は、感情的な議論のどちらの側にも、ニュアンスや複雑さを認めることはめったにない。
基本的に以下のふたつの状況は傍から見てほとんど区別がつかないことは、残念ながら確かだ。a)トランスであると自認する青少年を含むほとんどの個人は本当にトランスであり、医学的な移行から恩恵を受けるであろうということ、b)青少年としてトランスであると自認しているが、境界性パーソナリティ障害やその他のパーソナリティ障害、自閉症スペクトラム障害など、アイデンティティの混乱を引き起こすような他の精神的健康状態にあり、これらの個人は医学的な移行からあまり恩恵を受けないかもしれない、ということ。
第一に、「ジェンダーは社会的構築物である」というスローガン(シュライアーがその大部分を支持している)に反して、ジェンダー・アイデンティティは視床下部に存在し、そのようなものとして、ほとんど不変であることが神経生物学的証拠から判明している。端的に言えば、トランスジェンダーは、ある性別の身体を持ちながら、別の性別の脳を持っているということだ。そのような個人は、尊敬と思いやりに値し、嫌がらせやいじめから解放されるべきであり、自分の好む代名詞や名前が尊重されるべきであり、恋愛、結婚、子供を持つこと、養子をとることも自由であるべきなのだ。
同時に、境界性パーソナリティ障害は、多重人格障害(解離性同一性障害)や双極性障害など、他の有名な精神疾患と併発したり、誤診されたりすることが多いという証拠もある。したがって、トランスであると自認する人の一部(すべて、あるいは大多数ではないことは確かだが)が、アイデンティティの混乱というより広範な問題を抱えている懸念もあるにはある。
本書を読んでいて、私はいくらか批判的にならざるを得ない点があった。その主なものは、シュライアーの科学への関心が、時として表面的であるという懸念であった。もちろん、これは本書に限ったことではないが、このようなセンセーショナルなトピックでは、科学的議論のいくつかにもっと精妙な検証が要求される。シュライアーは、この分野の学者たちのデータや意見を掲載し、リサ・リットマンの「急速発症型性別違和」*2と呼ばれる物議を醸した研究(過去にはこの研究自体が議論の対象となったが、研究の是非はともかく、科学的には嘆かわしいものであった)など、重要な(しかし是非の多い)研究をいくつか取り上げている。
ジェンダー・アイデンティティが生物学的なものに基づいているという考えを、それを示唆する証拠が豊富にあるにもかかわらず、シュライアーが平気で否定するのには呆れた。ある時、シュライアーはこう書いている。「XX染色体が刻印された女の子の脳が男の子の体に宿るというのは、生物学的にナンセンスだ」。染色体とは関係なく、子宮内でのアンドロゲン暴露が視床下部の発達に影響を与え、性自認に影響を与える可能性はある。そのことを理解していないこの見解に、私は顔面蒼白になった。
もちろん、この見解はシュライアーの創作とは言い難く、第二波フェミニズムにまでさかのぼる〈ジェンダー・クリティカル〉なフェミニスト(一般的に、この非常に論争的な議論においてトランス活動家と対立する側)を反映している。実際、この論争で興味深いことのひとつは、伝統的な右派と左派の対立というのではなく、左派を標榜する2つのグループの間の感情的な蔑視がしばしば反映されていることだ。
シュライアーはまた、インターネットに時間を費やしすぎることが少女たちにトランスであるという認識を抱かせる原因になっている、という考え方に奇妙なほど執着している。彼女は、ソーシャルメディアが精神衛生にどのような影響を与えるかについて、ジャン・マリー・トゥエンジ*3の研究を引き合いに出すが、トゥエンジの主張の多くがかなり徹底的に否定されていることを読者に知らせない。彼女がこの種のモラル・パニックにしばしば戻るのは気が散るし、急速に発症する性別違和という概念自体がモラル・パニックなのではないかと思わせられた。
とはいえ、彼女の論文を完全に否定する気にはなれない。実際のところ、トランスであると自認する女子の割合が本当に増えているのか、あるいは増えていないのかについて、きちんとしたデータは存在しないようだ。私の交友関係でも、伝聞的に、このようなことを耳にする機会が少しずつ増えてきているが、伝聞は証拠ではないし、もっと確かなデータが必要されている。
境界性パーソナリティ障害に加えて、性別違和も自閉症スペクトラムの思春期の女の子に多いという研究がある。この意味で、青少年が公言する性自認を、それ以上の診断的評価なしに医学的移行への動きとして受け入れるという肯定的アプローチには、明らかなリスクがある。これが、医学的移行に対するこのアプローチに懐疑的な最近の英国の裁判所の判決の背景にある理由のようである。
私たちは、どのような青少年が医療移行への迅速な移行から最も恩恵を受けるか、またどのような青少年がさまざまな介入からより多くの恩恵を受けるかについて、より良いデータが必要である。いずれも、トランスジェンダーの権利と福祉、そして彼らに課せられた敬意を損なう必要はない。学者には、急速に発症する性別違和が実在するかどうかを研究する余地が必要である。私は、査読と科学的再現性と訂正がこの問題を解明すると確信しているが、ツイッターの怒りに応じる形での科学的検閲は問題を混乱させるだけだろう。
結論として、ここには検討すべき有効なアイデアがいくつかあると思う。しかし、特にアイデンティティ・ポリティクスが激化している時代には、データの複雑さや困難な状況のニュアンスを考慮する意欲と、より多くの情報が必要であることを認める知的謙虚さを持った、より多くのデータに基づいた研究が必要である。
私は本書のどのような部分が論議を巻き起こしているかを理解するためだけなく。本書に反対する立場から検閲しようと努力する向きにも一読を薦めたい。しかし、科学について慎重かつ忠実な本を期待していたのであれば、この本がそうでないことは確かであり、その点で、本書がトランス・コミュニティで集めた否定的な反応はまったく理解できる。将来、質の高い、事前登録された、オープンサイエンス、インターネット検閲の努力から解放された科学的な取り組みが行われ、この複雑な問題をより明確に理解できるようになることを願うばかりだ。
*1……本書に対する販売反対運動が巻き起こったのは日本だけではない。
Amazonは同書のジェンダーの取り扱いに対するスタンスへの懸念から有料広告キャンペーンを打ち切ったものの、販売自体は行ったため、ヘイトに反対する従業員グループから販売中止の要請を受けた。結局Amazon社は「Amazonのコンテンツポリシーには違反していない」として、販売を継続し、その態度に失望した一部従業員はAmazonを辞めた。
また、大手量販店のターゲットではやはり論争を受けてオンラインでの販売を中止したが、翌日に再開し、三ヶ月後に再度中止した。
ここで興味深いのは、販売反対運動が出版社に対してではなく、販売プラットフォームに対してなされたことだ。日本でもヘイト本を扱っている書店に対する苦言などはたまに見られるが、反対活動によって販路を閉ざし実質上の販売中止させようという動きはあまりない。アメリカではAmazonが書籍販売について(日本より普及している電子版を含め)かなり独占的な勢力を占めていることなども関係しているように思われる。カナダでは図書館に対しても貸出の中止を求める請願が出されたという。
ちなみに出版元であるRegnery Publishingは保守系の老舗で、過去にはインテリジェント・デザイン説を擁護する書籍などを出し、そのたびに批判を受けてきた。『あの子もトランスジェンダーになった』で「エモやアニメ、無神論、共産主義、ゲイ」などが批判的な文脈で持ち出されるのもこうした文脈に沿っている。
*2……本書がサポートしている rapid-onset gender dysphoria (ROGD、急速発症型性別違和)はリサ・リットマンによって2018年に提唱された概念であるが、臨床的・科学的な証拠が不十分であるとして医学的診断としては認められていない。
*3……アメリカの心理学者。2017年に iGen という本で若年世代のナルシシズムとインターネットの関係を書いた。が、同書は多くの批判を受けた。
トンデモヘイト本も何も、トランスジェンダリズムこそがまさにトンデモだし女性ヘイトなんだよ…
トンデモ医療本と比較している人がいるが、トンデモ医療なのはトランスジェンダリズムに基づいて行われる方なので
それも罠に嵌められていると思う
https://www.tokuma.jp/search/g15474.html
なんというか、徳間レベルの大手出版社ですらヘイト本・ヘイト本を出さなければいけないほど追い詰められているんだなと悲しい気持ちになったな。もちろん売れるという事情もあるんだろうけど、それでも度が過ぎたのが多すぎて引く。
こういう本を出せば短期的には収益は上がるかもしれないけど、中長期的に見ると「あの出版社は変な本ばかり出す」って悪評がたって墓穴掘ってるようにしか見えんのよ。貧すれば鈍する。
とはいえまともな本も出しているということは付記したい。いやまともな本出している人にとってもいい迷惑だろうけど…
他の出版社だと、同じような批判を浴びせられる角川書店(※オタク系のは除外)と早川書房はそこまで露骨にどうしようもない本は出していない印象がある。
新聞社系(中央公論新社・朝日新聞出版・産経新聞出版など)は時々どうしようもないのをお出しになるけど、基本的には結構まとも。
左派系だと岩波の『世界(雑誌)』はなぜか極左通り越して半分トンデモな内容になっていて困惑しているが、それ以外の本はそこまで酷いのはない(たまにあるが)。