はてなキーワード: プレゼンテーションとは
寄生獣の作者が描いた歴史漫画『雪の峠』。あれこそTHE歴史漫画だよなぁ、と思う。
『雪の峠』は関ヶ原の戦いの後の佐竹家で、新しい城はどこに建てるのが相応しいのか、若手チームとベテランチームがプレゼンテーション対決する漫画。
「戦国時代は終わった。貿易に有利な港の近くに城を建てるべき」と主張する主人公が属する若手チームに対し、「まだ戦国時代は終わってない。山の上に強固な城を建てるべき」と主張するベテランチームが立ち塞がる。この対立は結局のところ新旧の価値観のぶつかり合いで、どちらの認識がより正確に時流を捉えているのかで揉めている。
最初この漫画を読んだ時は、古い価値観を引きずるベテラン家老に立ち向かう主人公チームに共感してたんだけど、歳を重ねてから読むと、ベテランの家老たちの気持ちもちょっと分かるようになってきた。
この時代にいる人たちは、今が戦国時代のド真ん中なのか、終盤なのか、既に終わってるのか分からない。それは時代が完全に移り変わって後から振り返って初めて明らかになる。
この漫画は「戦は終わった」と主張する主人公チームが「わしらは武士。商人にはなれぬ」と古い生き方にしがみつき価値観をアップデートできないベテランチームに引導を渡して結末を迎えるのだけど、漫画の外にもう一つオチがある。
Wikipediaでこの漫画の主人公について調べてみると、この漫画のエピソードの約10年後に大坂冬の陣で主人公は戦死している。戦はまだ終わってなかったのだ。
以下の記事読んだが、ばかみたい。
大企業になればなるほど、政治のしがらみやサポート体制のしがらみで身動きとれなくなる。
こんな中途半端なサービスにとびつくのはら○てんモバイルの無料に飛びつくやつの次にあほ。
こんだけ多彩なMVNOがフットワーク良く存在してるんだから、よくよく調べれば最適解はみつかる。
ちなみにワイは3つのMVNOを組み合わせてるがトータルでアホモ以上のクオリティだが5Kもいかない。
確かにahamoは、他社のサブブランドや楽天モバイルに対抗するプランとして大きなインパクトを与えたことは確かですが、その内容を見るとどうしても疑問を抱いてしまうのが、ahamoがNTTドコモとは異なるサブブランドではなく、あくまでNTTドコモの料金プランの1つと位置付けられていることです。
実はahamoはドコモショップでの契約やサポートが基本的に対象外という以外にも、いくつか他のプランとの明確な違いが見られます。具体的にはキャリアメールが提供されない、他のプランからahamoに移るとドコモ回線継続利用期間がリセットされる、家族と契約していても「ファミリー割引」が適用されないだけでなく、ファミリー割引の対象人数としてもカウントされない……などです。
そしてこれだけ決定的な違いがあるにもかかわらず、ahamoを「ギガホ」「ギガライト」などと同列の料金プランと位置付けたことで、今後大きな混乱が出てくる可能性が高いのではないかと筆者は見ます。特に気になるのがドコモショップでのサポートです。
例えばahamoが「安心のドコモブランドで安い」という理由から、仕組みをよく分からない人が店頭で「ahamoを契約させろ」と言ってくる可能性は十分考えられるでしょう。またどんなにスマートフォンのリテラシーが高い20代とはいえ、「端末をなくした」など急を要する場面に出くわしたahamoユーザーが、やはりNTTドコモのサービスだからという理由でドコモショップにサポートを求めることも容易に想像できます。
しかしながらドコモショップはあくまでahamo以外のプラン契約者のお金で運営されており、ある意味サポート分のお金を払っていないahamoユーザーを手厚くサポートしてしまえば、特に日々のサポート業務に忙殺されているショップスタッフから不満が噴出することにもなりかねません。こうした点について井伊氏は、ahamoユーザーの店頭サポートに関して「駄目ですという応対はないと思う」と答え、どのような方策を取るか今後検討するとしています。
なのであれば最初から別ブランドとして体制を明確に分けてしまえば良かったのでは?と思ってしまうのですが、それができなかった理由を考えると浮かんでくるのが武田良太総務大臣の存在です。
武田大臣は2020年11月20日の会見で「多くの利用者が契約しているメインブランドについては、全くこれまで新しいプランは発表されていないんです。これが問題なんです」とメインブランドの料金引き下げを求めるかのような発言をしたことが話題となりました。その後もサブブランドへの移行にかかる手数料を問題視するなど、従来の姿勢を一変させサブブランドでの料金引き下げに批判的な姿勢を取るようになってきました。
そうした大臣の声を受け、本来サブブランドとして展開予定だったahamoを料金プランの1つとして展開せざるを得なかったのではないか……と、どうしても推測してしまうのです。実際今回の発表会の内容を見ると、料金プランであるはずなのに「わかりやすい1プラン」との表現がなされていたり、プレゼンテーション資料のスマートフォン画面に「ahamo」のアンテナピクトが表示されていたりと、サブブランド展開をしたかったNTTドコモの本音も見え隠れしていました。
以下の記事読んだが、ばかみたい。
大企業になればなるほど、政治のしがらみやサポート体制のしがらみで身動きとれなくなる。
こんな中途半端なサービスにとびつくのはら○てんモバイルの無料に飛びつくやつの次にあほ。
こんだけ多彩なMVNOがフットワーク良く存在してるんだから、よくよく調べれば最適解はみつかる。
ちなみにワイは3つのMVNOを組み合わせてるがトータルでアホモ以上のクオリティだが5Kもいかない。
確かにahamoは、他社のサブブランドや楽天モバイルに対抗するプランとして大きなインパクトを与えたことは確かですが、その内容を見るとどうしても疑問を抱いてしまうのが、ahamoがNTTドコモとは異なるサブブランドではなく、あくまでNTTドコモの料金プランの1つと位置付けられていることです。
実はahamoはドコモショップでの契約やサポートが基本的に対象外という以外にも、いくつか他のプランとの明確な違いが見られます。具体的にはキャリアメールが提供されない、他のプランからahamoに移るとドコモ回線継続利用期間がリセットされる、家族と契約していても「ファミリー割引」が適用されないだけでなく、ファミリー割引の対象人数としてもカウントされない……などです。
そしてこれだけ決定的な違いがあるにもかかわらず、ahamoを「ギガホ」「ギガライト」などと同列の料金プランと位置付けたことで、今後大きな混乱が出てくる可能性が高いのではないかと筆者は見ます。特に気になるのがドコモショップでのサポートです。
例えばahamoが「安心のドコモブランドで安い」という理由から、仕組みをよく分からない人が店頭で「ahamoを契約させろ」と言ってくる可能性は十分考えられるでしょう。またどんなにスマートフォンのリテラシーが高い20代とはいえ、「端末をなくした」など急を要する場面に出くわしたahamoユーザーが、やはりNTTドコモのサービスだからという理由でドコモショップにサポートを求めることも容易に想像できます。
しかしながらドコモショップはあくまでahamo以外のプラン契約者のお金で運営されており、ある意味サポート分のお金を払っていないahamoユーザーを手厚くサポートしてしまえば、特に日々のサポート業務に忙殺されているショップスタッフから不満が噴出することにもなりかねません。こうした点について井伊氏は、ahamoユーザーの店頭サポートに関して「駄目ですという応対はないと思う」と答え、どのような方策を取るか今後検討するとしています。
なのであれば最初から別ブランドとして体制を明確に分けてしまえば良かったのでは?と思ってしまうのですが、それができなかった理由を考えると浮かんでくるのが武田良太総務大臣の存在です。
武田大臣は2020年11月20日の会見で「多くの利用者が契約しているメインブランドについては、全くこれまで新しいプランは発表されていないんです。これが問題なんです」とメインブランドの料金引き下げを求めるかのような発言をしたことが話題となりました。その後もサブブランドへの移行にかかる手数料を問題視するなど、従来の姿勢を一変させサブブランドでの料金引き下げに批判的な姿勢を取るようになってきました。
そうした大臣の声を受け、本来サブブランドとして展開予定だったahamoを料金プランの1つとして展開せざるを得なかったのではないか……と、どうしても推測してしまうのです。実際今回の発表会の内容を見ると、料金プランであるはずなのに「わかりやすい1プラン」との表現がなされていたり、プレゼンテーション資料のスマートフォン画面に「ahamo」のアンテナピクトが表示されていたりと、サブブランド展開をしたかったNTTドコモの本音も見え隠れしていました。
以下の記事読んだが、ばかみたい。
大企業になればなるほど、政治のしがらみやサポート体制のしがらみで身動きとれなくなる。
こんな中途半端なサービスにとびつくのはら○てんモバイルの無料に飛びつくやつの次にあほ。
こんだけ多彩なMVNOがフットワーク良く存在してるんだから、よくよく調べれば最適解はみつかる。
ちなみにワイは3つのMVNOを組み合わせてるがトータルでアホモ以上のクオリティだが5Kもいかない。
確かにahamoは、他社のサブブランドや楽天モバイルに対抗するプランとして大きなインパクトを与えたことは確かですが、その内容を見るとどうしても疑問を抱いてしまうのが、ahamoがNTTドコモとは異なるサブブランドではなく、あくまでNTTドコモの料金プランの1つと位置付けられていることです。
実はahamoはドコモショップでの契約やサポートが基本的に対象外という以外にも、いくつか他のプランとの明確な違いが見られます。具体的にはキャリアメールが提供されない、他のプランからahamoに移るとドコモ回線継続利用期間がリセットされる、家族と契約していても「ファミリー割引」が適用されないだけでなく、ファミリー割引の対象人数としてもカウントされない……などです。
そしてこれだけ決定的な違いがあるにもかかわらず、ahamoを「ギガホ」「ギガライト」などと同列の料金プランと位置付けたことで、今後大きな混乱が出てくる可能性が高いのではないかと筆者は見ます。特に気になるのがドコモショップでのサポートです。
例えばahamoが「安心のドコモブランドで安い」という理由から、仕組みをよく分からない人が店頭で「ahamoを契約させろ」と言ってくる可能性は十分考えられるでしょう。またどんなにスマートフォンのリテラシーが高い20代とはいえ、「端末をなくした」など急を要する場面に出くわしたahamoユーザーが、やはりNTTドコモのサービスだからという理由でドコモショップにサポートを求めることも容易に想像できます。
しかしながらドコモショップはあくまでahamo以外のプラン契約者のお金で運営されており、ある意味サポート分のお金を払っていないahamoユーザーを手厚くサポートしてしまえば、特に日々のサポート業務に忙殺されているショップスタッフから不満が噴出することにもなりかねません。こうした点について井伊氏は、ahamoユーザーの店頭サポートに関して「駄目ですという応対はないと思う」と答え、どのような方策を取るか今後検討するとしています。
なのであれば最初から別ブランドとして体制を明確に分けてしまえば良かったのでは?と思ってしまうのですが、それができなかった理由を考えると浮かんでくるのが武田良太総務大臣の存在です。
武田大臣は2020年11月20日の会見で「多くの利用者が契約しているメインブランドについては、全くこれまで新しいプランは発表されていないんです。これが問題なんです」とメインブランドの料金引き下げを求めるかのような発言をしたことが話題となりました。その後もサブブランドへの移行にかかる手数料を問題視するなど、従来の姿勢を一変させサブブランドでの料金引き下げに批判的な姿勢を取るようになってきました。
そうした大臣の声を受け、本来サブブランドとして展開予定だったahamoを料金プランの1つとして展開せざるを得なかったのではないか……と、どうしても推測してしまうのです。実際今回の発表会の内容を見ると、料金プランであるはずなのに「わかりやすい1プラン」との表現がなされていたり、プレゼンテーション資料のスマートフォン画面に「ahamo」のアンテナピクトが表示されていたりと、サブブランド展開をしたかったNTTドコモの本音も見え隠れしていました。
追記はしないつもりでいた。
でも、ある1人だけにコメントを返させてもらう。
https://anond.hatelabo.jp/20201001022747
衝撃を受けた。
ここまであなたの心を傷つけるとは思ってもみなかった。
でも、あなたにだから正直に言わせてもらうけど、辞めたことは後悔していない。
5年以上が経ったとは言いつつ、もっともっと、かなり昔の話なので当時の感情を思い出すのは難しいけど、それでも転職という答えが幸せになるための道だったんだよ。
日記は2つともすべて読ませてもらった。
文系の学部出身で、事務職で応募して、もの凄く面倒くさいエントリーシートを書いて、何度かの面接の後に採用された。
企画部門への配属だった。生産管理を希望していたけど通らなかった。
増田でこんなことを書いている以上は察してもらえると思うが、俺は失敗した側の人間だ。
任天堂は素晴らしい会社だ。世界に誇ることができる。でも、考えが甘かった。俺には適合しなかった。
気持ちの整理はついている。別に1万字とか書き殴るとかではないので、もし暇だったら読んでほしい。
大学3年の秋になって、いよいよ就職活動を始めることになって、大学のフリースペース(名前は忘れた。インターネットができる端末とか、調べものができる書棚が置いてある広い建物だった)で四季報を読みながら応募先を決めていた。
どこに応募するかを決めるにあたって、色々と考えた。
「将来、どういう人生を送りたいのか?」
そして、考えがまとまった。
趣味が大事な人間だった。おっさんと呼ばれる年になった今でも続けている。
それで、四季報やインターネットを見て、そういう雰囲気の会社を見つけては説明会に申し込んだ。
なぜ、任天堂を選んだのかというと、上の条件を満たす可能性のある会社だと思ったからだ。実際にそんなことはなかったのだが。
後は、当時所属していた学際サークルの先輩が、任天堂に入りたいと豪語していたけど普通に落ちていたからだ。その先輩は、サークルの中でも指折りの実力者だった。
京都大学に現役で合格して、4年間の学生生活を謳歌して、サークル活動では常に頼られていて、住友商事に内定して、同志社大学のサッカー部のキャプテンが当時付き合っていたチアリーダーの子を口説き落として、数年後には結婚して、今では新しい家のブランドを作る仕事をしている。
そんなレベルの超人が一次面接でお祈りされるなんて、どんな会社なんだろうと思った。
俺が通っていたのは一流の大学ではなかったけど、それでも受けてみようと思った。
採用試験の内容は述べない。俺の体験談は面白くないと思うし、年を経て記憶がだいぶ怪しくなっている。インターネットで、採用試験がどんなものかを紹介しているページがあるけど、まさにそんな感じだった。
書類選考で勉強のできない人を落とした後で、『創造性』がありそうか?というのをつぶさに見る。
本題に入る。
俺はプロの世界を嘗めていた。仕事にかける情熱が同期と比べて明らかに低かった。社会人として生きる覚悟が足りていなかった。
プランナーというのは、ファミコン時代のマリオで例えると…土管はここに置くとか、空中のブロックをどこにするとか、1UPのキノコは右に流れるべきか左に流れるべきか、みたいなことを考える。
大体の会社ではそうだと思うが、新入社員に任される仕事は“形”や“答え”のあるものだ。俺が最初に任された仕事は、企画部門の中でも相当に定型的なものだった。
超すごい人達がゲームのデザインをして、レベルの高い人たちが上記のプランニングを済ませて、さあ開発だ!となる辺りの段階だ。
ぜんぜんダメだった。ダメ過ぎて上司や先輩に怒られ放題だった。お前情熱を感じねーんだよ、みたいなことをよく言われた。その度にムカついたけど、知能も知性も知識も足りなさすぎて、黙って耐えるのがやっとだった。
たぶん同期にも馬鹿にされていた。なんであんなのが入ってきたの?って言われていた可能性が俺の中では90%くらいある。
任天堂の社員にはどんなイメージがある?キラキラしているイメージだろうか。
実際に見てみればわかる。総合商社とか銀行員とかコンサルとか、そういうのとは異なる人種だ。一応は製造業なので、見た目は大人しめな人が多い。
でも、中味は違う。元気があって、溌剌としていて、自分の意見をはっきり言えて、他人の意見を受け入れる力があって、何より頭がいい。俺みたいのもいるけど少数派だ。
2年目、3年目も同じような仕事内容だった。いわゆる“答え”のある仕事。レベルの高い同期は本格的な企画の仕事に進んでいた。みんなが知っているようなゲームタイトルの制作会議に20代の若者が出て行って、父親くらいの年齢の社会人と侃々諤々の議論をしていた。
当時の俺は、今のよくない状況を肯定的に考えていた。むしろ喜んでいた。
なぜかって、このまま永遠に形のある仕事、答えのある仕事をしていれば、企画を出す仕事をしなくてもいいからだ。当時の俺は、自分のアイデアが世の中に出ることに関心はなかった。ただ、毎日定時に帰って、それなりの額の給料をもらって、土日祝日に趣味を楽しんで…そんな生活に満足していた。
毎年のように事務系の部署に異動希望を出して、「いつかは通るだろう。俺のような者を企画に置いておくはずがない」とアホみたいなことを考えていた。
先輩がひとり、またひとりと消えていき、気が付くと俺は中堅社員になっていた。ある年の4月、初めて企画らしい仕事を主担当として任されることになった。
実力が足りていなかった。あるゲームの操作画面や説明画面、設定画面なんかを手掛けることになった。今風の言葉で言うとユーザーインターフェースだ。
ゼロの状態から仕様書と設計書を作るだけの力はなかった。それでも、今まで自分が作ってきたやつをツギハギして、どうにかしたつもりだった。
上司や先輩から、「ここわかりにくくない?俺はこっちの画面に行ってしまうよ」と言われても反論できなかった。自信がなかった。自信がないから上司を押し切ることができない。上司の方も、そんな奴の意見をそのまま通すことはできない。
それで悟った。これまで俺は、上の人たちが作ってくれたパーツを組み合わせてただけなんだって。自分では何ひとつ創造していないんだって。再確認させられた。
今までパズルをやっていたのだ。任天堂が作らないといけないのはパズルそのものなのに。
結局、納期をオーバーした。上司はそれでも俺を諦めることはなかった。最後まで作らせてくれた。もしこれを読んでいるあなたの記憶の中に、あのゲームの操作画面はわかりにくかったというのがあれば俺のせいかもしれない。個人的に謝罪する。
今度こそ、本気でゆっくりまったりしている会社を探そうと思った。地元である京都がいいなと思ったのでリクナビに登録したものの、ぜんぜんうまくいかなかった。
ゲーム会社からは100通以上のメッセージが来る一方で、志望していた機械系メーカーや化学系メーカーの事務職のオファーは少なかった。応募しても書類選考で落とされる。15社に応募したけど、結局ぜんぶ書類選考で落ちた。
今ではわかる。中途採用なのに、事務職として必要な経験が全くなかったのだ。部品調達はやったことがないし、社会保険の手続きもできないし、法律に詳しいわけでもない。
もういい年だし、一流の大学を出ているわけでもない。
それから何か月もかけて、年収が低くてもいいので“ゆっくりまったり”を実現できるかもしれない会社を見つけた。どうやったらそこに入れるかを考え、情報収集をして、研究と対策を重ねて、3度の試験の後に採用通知を受け取ることができた。転職活動を始めて1年後のことだった。
退職を告げた時の、上司や先輩からの引き止めの言葉を覚えている。
「せっかくモノになりかけてるのに」
「ストレスに耐える力は一人前だから、もっと時間をかけてみれば」
「あと1年だけでも働こうよ」
一言一句は合ってないが、おおよそこんな内容だった。手帳に書き留めていたから、そこまで違ってはいないだろう。
社交辞令なのか、それとも本気で言っているのか判断がつかなかった。
あの会社で働くだけの資質が俺にはなかった。創造的な仕事を馬鹿にしていた。もうその時点でゲーム会社にいる資格はない。
あの頃の俺は会社を冒とくするだけでなく、一緒に働く仲間も含めて冒とくしていたのだ。子どもだったから気が付くことはなかった。
最後に、これを書くにあたってヤフー知恵袋などを読んでいたところ、任天堂に入りたい人の疑問が予想外に多かったので、その辺りも主観をベースにちょっと書いてみる。
問.どんな人が内定を取れるのか?
答.ホームページの採用情報に書いてある。あれは美辞麗句ではなくて、本当にそういう人を欲しいと思っている。つまり、以下の要素を持っていると判断されれば採用される。
①の創造性は、学生時代の実績を見られる。例えば、学生時代に部活をしていなくて、サークルに入っていなくて、でもゲームにのめり込んでいて~みたいな人は多分落ちる。
面接で、学生時代の実績についてガッツリ聞かれるからだ。創造的な活動とはどんなことかと言うと、正直何でもいい。自分の考えがあって、主体的に動いて、それでいて周囲と協調ができていればどんな活動でもいい(結果がいいのに越したことはない)。
自分の場合は、大学生や専門学生だけでプロの歌手やバンドを呼んでライブを実行する学際サークルで活動していた。はっきりって端役だった。分かりやすい例でいうと…今季アニメの「やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。完」で説明する。
卒業生のためのプロムパーティーを実施することになって、ゆきのんが実行委員長で、いろはすがイベント準備の統括的なポジションで、八幡が影の参謀みたいな役割だったと思う。
俺がやっていたのは、いろはすの下で働く生徒達だ。会場のセットをしたり、参加者の受付をしたり、集客用のフライヤーを撒いたりするような、そういう下働きのポジションで部分リーダーをしていた。
創造性といってもこのぐらいでいい。自分の考えがあって、主体的に動くことができて、その過程で他者を巻き込む経験をしていれば何でもいい。面接で何を聞かれても自分の言葉で話せるはずだ。
ただし、アピールは忘れないように。自分の経験が100かなと思ったら、頑張って膨らませて500にする。それ程度なら問題ない。あなたが受ける会社だって、自社の魅力が100だとしたら1000にしてアピールしている。
②のゲームへの情熱は言わずもがなだ。この業界は、ゲームへの熱い思いがないと生き残ることはできない。実際、俺は生き残れなかった。
想像してほしい。新しい案を立ててプランを作っていかないといけないのに、何も思い浮かばずに席に座っているだけの自分を。それでいて時間は流れていく。もうすぐ打合せだ!となって、何が何でも間に合わせようとするも、会議で恥をかくために資料を作っているとしか思えない精神状態になる。
そんな自分が嫌になって、ますます精神が追い詰められてうつ的な症状が出る。かつての俺だ。でも、情熱があればなんとかなることもある。情熱さえ生きていれば、アイデアが枯渇しても、他社や他人から少しだけパクッて、自分のアイデアとつなぎ合わせるなどして窮地を乗り切れる。
ゲーム業界に名を残すような人でも、ポンポンとアイデアが湧いてきて、企画会議も余裕でプレゼンテーションをしているかといえば、そんなことはない。あの人達も必死で藻掻いている。どんなに残業が少ない会社でも、社命が懸かった仕事に取り組んでいる人はとんでもない量の仕事をこなさないといけないし、土日祝日も関係ない。
夢というのは、一度叶えて終わりじゃない。死ぬまで叶え続けないといけない。
あなたが志望する会社に採用されて、志望するポジションになれたとする。「夢は叶った!めでたしめでたし」じゃない。
例えば、ゲームを作る会社で働いている間は、健やかなる時も、病める時も、ずっとゲームのことを考えなければならない。止めた時点で、あなたの夢は終わったことになる。あなたにとってのゲームはそこまでの存在だったということだ。
③の学習ができるというのは、新しいことを能動的な姿勢で覚えていけるということだ。特に、英語ができないと仕事で詰まることがある。事務系は英語の読み書きだけでなく、海外の販売会社等と電話でやり取りしないといけない場面がそれなりにある。
企画系だろうと、デザイン系だろうと、開発系だろうと、どの部門であっても「学習ができる」ことが必須だ。この業界は変化が早いので、去年まで使っていたソフトウェアが今年から全く新しい物に切り替わることもある。世間の変化に対応して、どんなゲームが人気になるのか、どんなゲームが社会の役に立つのか絶えずアンテナを張っている必要がある。なにより、他社がいいゲームを出してきたら研究しなければならない。他社のゲームをプレイできるのではない。プレイしなければならないのだ。
だから、学習ができる人でないと務まらない。知らないことでも、興味のないことでも、やりたくないことでも取り組んで、知識や技術を自らの血肉にする。そういう人を任天堂は(というかすべての会社は)求めている。
書き過ぎた。反省している。
今でも思うことがある。俺はあの会社に感謝しているが、果たしてどこまで感謝しているのか?確信を持てずにいる。
時間が経てば、感謝以外の本当の気持ちがわかるのかもしれない。
ここまで読んでくれた人に感謝する。
友達と久しぶりに会うと、だいたい最近のハマりものについて話す
某Youtubeチャンネルの話をしたら「うわーないわー!」と露骨な拒絶(でんでんででんでんの片割れ)
そんなにダメか?と聞いても「間違いが多すぎる」
毎回授業に使う本を紹介してるでしょ「選択が左に寄りすぎ」
(左に寄ってる著者だってよく知ってるな)
間違いがあるかもって言ってるし「だったらもっと調べてからやってほしい」
さらっとやって興味を持ったら自分でも調べてって言ってる「Youtubeの内容を鵜呑みにする奴らばかりだろ」
何となく自分と違う思想の有名人が、自分に都合の悪い事言ってるのが気に食わないのか?
と感じて、あまり話を広げずに終わらせたけど……
自分自身としては話のまとめ方とか話術とかプレゼンテーション能力とかエクストリームな部分が好きで見てるけど、それを間違えた思想と切り捨てられたのが中々のショック
偏ってると気付かずに観ていた事と友達に自分の興味を否定されたことも
うざすぎるので一回見た。みんなは負けないでくれ。
盲目のホームレスが道端で「私は盲目です、お金を恵んでください」って書いて物乞いをしていたらだれもお金を恵んでくれなかったが
あるときに通りがかった女性が「It's a beatutiful day and I can't see it」と書いたらみんなが小銭を恵んでくれるようになった。
以上。
元ネタの動画は2300万再生されている話でこれも実はではなく創作CM。
言葉の力を教えてくれるショートフィルム「The Power of Words」を分析する | 戦略的プレゼンテーション講座
言葉の力ってすごいだろ? 言葉の力を教えるPDFを配ってるから読んでくれっていう情報商材のCMである。
CMをやってるのは元ネットワークビジネスをやっていて、
海外のダンケネディやヤニク・シルバーといった情報商材屋の情報商材を輸入・翻訳して販売代理店として情報商材ビジネスをやっていた小川という人人物。
現在ではダイレクト出版という情報商材専門の出版社をやっている。
一時期はてなでも互助会でアクセスを集めてダイレクト出版の情報商材をアフィしようとする人間がわんさかわいた時期があった。
今はこうやって堂々と出てくるんだな。
この小川という人物に限らず、あなたは百万人に一人の動画に当選しました。みたいな古典的詐欺動画が普通に流れたりするときもある。
kawangoのことは好きではないが、少なくともkawango時代はこういうことはなかった。
プロフィール文なし
旨そうに撮れているがinstagramと間違えてるぞ。
お前の目的はなんだ。なんのために生きてる。
鍋の話がしたいです。とか、鍋を食べてセックスしましょう。とか、鍋料理にまつわるストーリーを教えてくれ。頼む。
(盛りまくった自画像)
タバコ苦手です(;o;)
お前はただこれだけを表明するためにせっせと写真を盛ったのか。
どうせもっといっぱい苦手なもんがあんだろ。酢豚のパイナップルとか、階段の上り下りとか、苦手なもん全部書け。
こんにちは、普段は自宅と会社の往復ばかりで出会いがなく、新しい出会いのきっかけになればと思い、登録してみました☆
〜省略:退屈な自己紹介〜
〜省略:退屈なポエム〜
良き出会いがあらんことを☆
お前の話は前置きが長い。
恋人にせよセフレにせよ、手っ取り早く出会い系で相手探したい連中が集まってることを認識しろ。文脈を読め。
自宅と会社の往復ばかりで出会いがないとかどうでもいい。そこ言い訳するならライフスタイルを見直せ。
祈るな。
(退屈な自画像)
まだ始めたばかりで使い方がよく分かってません(T ^ T)
〜省略:退屈な自己紹介〜
お前は誰に何を言い訳してるのか自分でも理解できていないだろう。
いい歳をしたお前は戦場で弾丸が飛び交う中「銃の使い方よく分かってなくってぇ〜」と人に甘えるのか。
ほぼ全てのアプリには「使い方」とか「ヘルプ」というページがある。まずそれを探して自分の人生を考え直せ。
(可愛く盛れた自画像)
〜省略:退屈な自己紹介〜
だからお前は本番に弱いと言われるんだ。
卑屈になるな。自信を持て。ぶっつけ本番で勝てるようにお前の刃を研ぎ澄ませ。
お前はこの戦場で生き残る準備ができていない。
ふるいにかけられた結果、誰でもいいからやりたい男からしか連絡が無かったことを自覚しろ。
盛るつもりがないなら、個性を出せ。プレゼンテーションの本を3冊読んで再出発しろ。
(花の写真)
〜省略:退屈なポエム〜
お前は投稿するところを間違えている。
商工会のカレンダーとか、地元のカルチャークラブでその才能を発揮しろ。
Dental Hygienist
そうだな。
(美味しそうなケーキセット)
上条春菜と眼鏡は切っても切り離せない存在である。彼女はかつて視力が下がったとき、眼鏡をかけることで世界は明るくクリアなものだと再認識する体験をした。眼鏡に救われた彼女は、眼鏡が持つマイナスイメージを変えるためアイドル事務所の門を叩き、アイドル活動を始めた。現在の彼女の野望は、視力など関係なく誰もが眼鏡をかける社会である。実際に彼女は至るところで眼鏡をプレゼンテーションしているし、それは時に普段はコンタクトをしているアイドルにも及んでいる。
でもちょっと待ってほしい。それって、目的のための手段として正しいのだろうか。
「眼鏡のマイナスイメージを払拭する」ことだけが完全に達成されたとしたなら、訪れる結果は「誰もが眼鏡をかけてもいいし、かけなくてもいい」(眼鏡フリーと呼ぶことにする)社会である。つまり、彼女の望みは「眼鏡のマイナスイメージを払拭する」を通り越し「眼鏡は素晴らしいものだと広める」に及んでしまっている。それは眼鏡は野暮ったい、ダサい(裸眼主義)、という価値観を、眼鏡は素晴らしい(眼鏡主義)、という価値観で上書きする、ということだ。
だが、眼鏡主義と裸眼主義は、ひとつの価値観を強要しているという点で同じである。上条春菜は現状に眼鏡フリーをもたらすつもりで、眼鏡主義を持ち込もうとしてしまっているのだ。もはや「眼鏡はイケてない」と言う人と何も変わらない。
彼女はまだ18歳である。自分の行動の意味に気づかないまま突き進むのは仕方のないことだし、その一途さは彼女の強みでもあるから、それは上条春菜の落ち度ではない。だが、どんな個性でも許容されるシンデレラガールズという世界で、彼女が抱える問題を指摘してくれる人はいない。
かくして上条春菜はひたすらに眼鏡を広めようとする存在になってしまった。それは上条春菜というキャラクターの舵をこの方向に切ってしまった運営の責任である。
だがまだ間に合う。彼女自身が気づいて、方向転換すればいい。掛けたい人は掛ける、掛けない人は掛けない。気分に合わせて、時には別の手段を使い分ける。眼鏡至上主義とは違う、真の眼鏡フリーを目指すのだ。その中には四六時中眼鏡を掛けるという選択肢だってあるのだから、彼女のアイデンティティが無くなることもない。
彼女にとって大きな転換点になるはずだ。上条春菜の次の一手として、どうですか運営さん。
まぁでも、上条春菜というキャラクター自体が眼鏡主義の象徴みたいな面を持ってしまっているから、今更は無理なのかな。上条春菜が「眼鏡を掛けなくてもいいんです」って言っただけで解釈違いで映画のヒトラーばりに怒り狂いそうな人、いるしな。
私と生活を共にしている人は、人を見下す癖のある人。プライドが高く、自分は人とは違う特別な人間だと思っている。
普段から街を歩けば「かっこいいひといない、あの人ブス」と他人を勝手に評価。自分のことは棚に上げて汗水流して働いてる人を「労働に対して報酬が見合ってないのによくやるね」と見下す。
仕事から帰宅後、突然始まるプレゼンテーションは頭が痛くなる内容だった。
ネットワークビジネス、今はみんなやっているしお金も簡単に稼げるし、頑張れば幹部になれるんだ、と笑顔で語る顔が本当に不快だった。胡散臭い、根拠のない効能を謳ってサプリメントを購入させ、数に応じて報酬がもらえる所謂マルチ商法。ピラミッドの上の人だけがおいしい思いをする構造なのが明確なのにもかかわらず、それでもやりたいと言っていた。
頭おかしいんじゃないの?
楽しげに語っていた彼は仕事もせず私の収入に頼り切りの状態。初期費用10万だのなんだのかんだのいっていたけど、それも全て私の財布から出そうとしていた。普通という言葉はあまり好きではないけれど、普通はそんなことしない言わないやらない。こんなに想像力のない人だったんだと呆れた。
初期費用も出さない、許さない。今すぐ実家に帰るか、辞めるかどちらかにしなさいと話をした。人の弱みにつけ込んで稼いだお金なんて要らないし、そんな人と一緒にいたくないと告げた。いつか生まれる子供にも顔向けできなくなるよと伝えた。私が初めて反論したことで彼は驚き、そこまでいうなら辞めるといって足を踏み入れずに済んだ。
のだが。
今度は月収300万のアフィリエイトに手を出すらしい。呆れてものも言えない。法に触れない、真面目なアフィリエイトやってる人が月300万なんて稼げるわけがない。これも 普通 に考えればわかる話だ。Twitterのプロフィールに「夢は必ず叶う。やるかやらないか決めるのは自分。今日から人生を変えれるかは自分次第」とかなんとかいかにも胡散臭い、自己陶酔激しい内容をつらつら並べたアカウントとLINEを交換し、東京まで会いに行って(もちろん私の金である)私との予定をドタキャンした。
ただひたすらに、なんでこんなに想像力が無いのかと。もはや笑いすらこみ上げてくる。
怪しく無い、悪いことはしてない、ちゃんとした仕事、でも内容は良くわからない、やらなきゃわからない。って、内容は良くわからないのに怪しくないちゃんとした仕事と言い切れる根拠はどこに???
今時ネットワークビジネスもアフィリエイトもインフルエンサーもちゃんとした仕事だし、それを否定するのは時代遅れ、と反論される。
私はインターネットでやることができるビジネスを否定してるわけではなく、誇大広告、著作権侵害、情報弱者を食い物にする悪徳な方法で高額報酬を得ている人間を否定している。
私の倫理観では許せない事。愛してると言葉を紡ぐ口で人を騙して収入を得るなんて反吐が出る。
これって、私の頭が固いだけなのかな。
私と生活を共にしている人は、人を見下す癖のある人。プライドが高く、自分は人とは違う特別な人間だと思っている。
普段から街を歩けば「かっこいいひといない、あの人ブス」と他人を勝手に評価。自分のことは棚に上げて汗水流して働いてる人を「労働に対して報酬が見合ってないのによくやるね」と見下す。
仕事から帰宅後、突然始まるプレゼンテーションは頭が痛くなる内容だった。
ネットワークビジネス、今はみんなやっているしお金も簡単に稼げるし、頑張れば幹部になれるんだ、と笑顔で語る顔が本当に不快だった。胡散臭い、根拠のない効能を謳ってサプリメントを購入させ、数に応じて報酬がもらえる所謂マルチ商法。ピラミッドの上の人だけがおいしい思いをする構造なのが明確なのにもかかわらず、それでもやりたいと言っていた。
頭おかしいんじゃないの?
楽しげに語っていた彼は仕事もせず私の収入に頼り切りの状態。初期費用10万だのなんだのかんだのいっていたけど、それも全て私の財布から出そうとしていた。普通という言葉はあまり好きではないけれど、普通はそんなことしない言わないやらない。こんなに想像力のない人だったんだと呆れた。
初期費用も出さない、許さない。今すぐ実家に帰るか、辞めるかどちらかにしなさいと話をした。人の弱みにつけ込んで稼いだお金なんて要らないし、そんな人と一緒にいたくないと告げた。いつか生まれる子供にも顔向けできなくなるよと伝えた。私が初めて反論したことで彼は驚き、そこまでいうなら辞めるといって足を踏み入れずに済んだ。
のだが。
今度は月収300万のアフィリエイトに手を出すらしい。呆れてものも言えない。法に触れない、真面目なアフィリエイトやってる人が月300万なんて稼げるわけがない。これも 普通 に考えればわかる話だ。Twitterのプロフィールに「夢は必ず叶う。やるかやらないか決めるのは自分。今日から人生を変えれるかは自分次第」とかなんとかいかにも胡散臭い、自己陶酔激しい内容をつらつら並べたアカウントとLINEを交換し、東京まで会いに行って(もちろん私の金である)私との予定をドタキャンした。
ただひたすらに、なんでこんなに想像力が無いのかと。もはや笑いすらこみ上げてくる。
怪しく無い、悪いことはしてない、ちゃんとした仕事、でも内容は良くわからない、やらなきゃわからない。って、内容は良くわからないのに怪しくないちゃんとした仕事と言い切れる根拠はどこに???
今時ネットワークビジネスもアフィリエイトもインフルエンサーもちゃんとした仕事だし、それを否定するのは時代遅れ、と反論される。
私はインターネットでやることができるビジネスを否定してるわけではなく、誇大広告、著作権侵害、情報弱者を食い物にする悪徳な方法で高額報酬を得ている人間を否定している。
私の倫理観では許せない事。愛してると言葉を紡ぐ口で人を騙して収入を得るなんて反吐が出る。
これって、私の頭が固いだけなのかな。
猪瀬元知事の暴言はこれでは終わらなかった。スタジオで、立候補ファイルの問題の記述〈この時期の天候は晴れる日が多く、且つ温暖であるため、アスリートが最高の状態でパフォーマンスを発揮できる理想的な気候である〉が紹介され、コメンテーターの杉村太蔵が「温暖」(英語版ではmild and sunny)という表現について、「温暖ではなく酷暑、嘘をついて招致したのでは」と突っ込むと、猪瀬氏はこう言い放ったのだ。
「夏の温度は出してあると思います。mild and sunnyと書いてあるの? ハハハ。それは、そのくらい。プレゼンテーションってそんなもんでしょ」
笑いながら、「プレゼンテーションなんて嘘つくもの」と開き直ったのである。
その後も「夏に開催するのは当たり前なんで」「国立競技場もエアコンが全部入っていることが前提なんで、マラソンといくつかは外に出るよ。でも基本的には各競技場は全部空調効いているわけですよ。近代的設備で乗り越えられることができるという確信に基づいてプレゼンテーションをしているわけで。全然問題にならないわけです」と、“クーラーが効いている”論を、主張し続ける。
と、MIT メディアラボ修士課程修了生の Daniel Schultz (現在は School Director at Cheltenham School District) が教えてくれました。
(MIT メディアラボの)学生の研究を中傷する記事を書いたやつ、お前らのジャーナリズムは邪悪で、お前らは後悔するべき。
メディアラボはプロトタイプを作って夢見る場所。そこの学生たちは、何が可能かのぎりぎりを探求している。初期段階のイノベーションは、要はすべてトリック手品 (smoke and mirrors) だ。
それは明日できることは何かを問うものであり、今日の手段で可能性を追求するものだ。
その追求が、課題、フィードバック、反復、ひらめきをもたらす。
メディアラボのデモを偽とか誤解を招くと指摘することは、なぜメディアラボがあるかをまったく理解していないことを示している。
私たちは想像力を刺激するためにデモをつくる。デモだ。売りに出せる製品を見せてるんじゃない。
MIT メディアラボのプレゼンは、研究発表ではなく、手品。現実ではなく、夢。ノンフィクションではなく、フィクション。Fake it till you make it. だまされたと指摘する方が野暮だってことなんでしょう。
その記事は、The Epstein-funded MIT lab has an ambitious project that purports to revolutionize agriculture. Insiders say it's mostly smoke and mirrors. (BUSINESS INSIDER)
告発されたのは、個人で水耕栽培を行うプラスチックの箱「パーソナル食糧コンピュータ (PFC)」プロジェクト。誰でも簡単に野菜を育てることができ、ブロッコリーなら通常の4倍のスピードで育てられると主張している。告発では、PFCで育てていない植物をプレゼンや写真でPFCに入れて紹介し、PFCで植物が育つように見せかけて投資家をひっかけたトリックや、中学、高校でのパイロットプロジェクトで、ほとんどが枯れて、PFCが使い物にならないことなどが伝えられている。
2016年9月には、伊藤穣一司会のNHK Eテレのスーパープレゼンテーション(次世代のデジタル農業)で紹介され、2017年11月には、伊藤穣一氏がホストの The New Context Conference 2017 San Francisco にゲストスピーカーでプロジェクトリーダーを呼ぶほど、伊藤穣一氏が認め、推しているプロジェクト。MITメディアラボの助教を務めたスプツニ子!氏は、NHK番組内で、このプロジェクトをメディアラボらしいと評しているが、手品であることは秘密にしている。
日本語の説明は、GIZMODO(空中で3倍早く育つ。エアロポニック野菜とは?)や IRORIO(誰でも、どこでも野菜が作れてしまう「フードコンピューター」が話題に)がある。2019年のプレゼンテーション動画 Food Computers Are Here and They’re About to Revolutionize Agriculture は告発後、非公開になった。
GIZMODOはこの告発を受けて、MITは植物版Theranosを作ったという紹介記事を書いている。
スプツニ子先生は、東京大学准教授兼、東京藝術大学准教授。MITメディアラボ所長である伊藤穣一氏が性犯罪者からの資金調達で不正処理を行っていたとき、同ラボで助教だった。伊藤穣一氏司会のNHK Eテレのスーパープレゼンテーションの共演者を2年間務めた。
https://www.instagram.com/p/B2IeLrZjkjU/
メディアラボにジェフリーエプスタインがかかわっていたことを知り、悲しくなりました。そういった人からの寄付は決して受けるべきではありません。エプスタインが犯した罪の被害者に対する悲しみが私の心を締め付けます。
優れた同僚と過ごした4年間は、私に多大な良い影響を与えました。そして、ラボにおける情熱と創造の文化に対する敬意を育んでいました。
すべての必要な調査が行われることを望むとともに、求められれば、必ず前向きに調査に協力します。こういった過ちは決して繰り返されてはいけません。そして、私の心は被害者の皆さんとともにあります。
https://twitter.com/LHSummers/status/1164490326549118976
"ここジャクソン・ホールにやってきて、経済学者は重要な問題に取り組んでいます。中央銀行は、これからの10年も、これまで私たちが考えてきたように、産業社会のマクロ経済の安定化ツールであり続けることができるでしょうか?アンナ・スタンズブリーと執筆中の論文で、私たちはそれは疑わしいと論証しています。"
"今や利下げの余地はほとんど残されていません。1970年代以来、アメリカ合衆国でリセッションが発生するとFedは常に500ベーシスポイント以上の利下げを実行してきました。そして多くの場合、実質金利は中立金利よりも400ベーシスポイント以上低かったのです。今や最大限可能な利下げ幅は200から300ベーシスポイント、実質金利は中立金利より150から250ベーシス下でしかありません。"
"わずかこれだけしか利下げの余地がない、これがアメリカ合衆国の現実です。だがこれでも先進国の中では最も金利が高いのです。ヨーロッパと日本においては状況はより深刻です。"
"これまで大規模な量的緩和としっかりしたフォワード・ガイダンスが試みられてきました。今、私たちはポスト量的緩和・フォワードガイダンスの世界に生きています。ある政策の説明をあれこれ言い換えてみたり、記者会見のタイミングを変えてみたり、見通しに関するプレゼンテーションの方法を変更してみたり、もはやそんなことでなんとかなるとは考えられません。"
"私たちはジャネット・イエレンの意見にはたいていは賛成しています。でも彼女が2016年にジャクソン・ホールで講演をしたとき、金融政策にはまだツールキットが残っているという彼女の楽観主義はまちがっていると思っていました。10年債の利回りが150ベーシスに落ち込んでいる現在ならなおさらのこと。"
"金融経済のブラックホール、私はゼロ近辺で固まってしまった利子率、そこから抜け出す見込みもない状態をこう呼ぶのですが、10年債の実質利回りがゼロないしマイナスのヨーロッパと日本のマーケットでは、それはもはや将来にわたって確信となっています。アメリカ合衆国も不況ひとつで彼らの仲間入りです。"
"先進国ではどこでも、失業率の急上昇のリスクはインフレ率の急上昇のリスクよりもはるかに大きい。マーケットの期待インフレ率が2%にはるかに足りないというのに、です。"
"金融当局は、金融政策を通じて、長期にわたり、望むだけのインフレを創り出すことができる、世界中の経済学部の学生は、それが公理だと教えられてきました。だがもはやその命題は大いに疑わしい。"
"多くの人は、その後におきた出来事で、アルヴィン・ハンセンの長期停滞論はまちがいであることが証明されたと信じています。でも事実は逆で、大恐慌から復活するのに第二次世界大戦が必要だったという事実は、彼が正しかったことの証明なのです。膨大な軍事支出がなければ「流動性の罠」がもたらすデフレシナリオは、しつこく続いたことでしょう。"
"「ブラックホール問題」、「長期停滞」、「日本化」、なんと呼ぼうといいのですが、この一連の事象が世界の中央銀行を悩ませているのです。"
"私たちはポスト・ケインジアンがずっと強調していたこと、最近ではトーマス・パリーが唱えていたことに賛成しなければならないようです。経済変動において、ある特定の要素の摩擦、不適合が果たす役割は、根本的な総需要不足に比べれば、あまり強調される問題ではない、ということです。"
"今度発表する論文で、私たちは、最近のコンセンサスのように、現在の状況を、単に中立金利の下落、低いインフレ率、名目金利の実効的な下限という観点から捉えることは、苦境を過小評価してしまうと主張しています。長期停滞はより深刻な問題なのです。"
"超低金利環境における限られた名目GDPの成長は中立金利が大幅に低下した証拠だと解釈されてきました。だがそれだけではありません。"
"総需要に対する金利の影響が急激に低下し、金利が低下するにつれて限界影響、すなわち低下した金利毎の総需要に対する影響が減少することも、同じぐらい確かなのだと思います、"
"ある局面では利子率の低下が総需要を減少させることさえあり得るのです。その原因は、例えば貯蓄行動の目標への影響であったり、金融機関の利ざや縮小からくる仲介機能の低下現象、いわゆるリバーサル・レート効果だったり、リアル・オプション効果を考慮して埋没的、不可逆的投資は止めておこうとなることだったり、低金利の財政赤字に及ぼす勘定効果であったりします。"
"この点は、マクロ経済学のダイアグラムを使って示すことができます。ISカーブは急勾配になり、非線形になり、後ろに向けて曲がることすらあるのです。"
https://twitter.com/LHSummers/status/1164490361881931777/photo/1
"もしマクロ経済安定化の中心的な問題が中立金利の低下にあるなら、その立場は、たぶん"オールド・ニュー・ケインジアン"と呼ぶべきなのでしょうが、利子率をじゅうぶんに下げることができるのであれば、金融政策によって完全雇用は達成可能です。"
"対照的に長期停滞の視点からは、この立場をニュー・オールド・ケインジアンと呼びましょう、仮に可能な場合であっても、総需要に少々刺激を与えるのがせいぜいで、最悪の場合は、総需要を減らすことすらあるのです。"
"さらに利下げは将来の経済のパフォーマンスを阻害することもあるのです。以下その理由を述べます。"
"第1に、金融システムの不安定化です。金融危機の原因はバブルと過剰なレバレッジにありましたが、それは2001年の景気後退に対する需要下支えのための政策対応の結果として生み出されたのです。日本の1980年代末のバブルも1987年のブラックマンデー後の緊縮財政環境における低金利に原因がありました。"
"第2に、企業のゾンビ化リスクです。利払いの問題に直面していない企業は、テストを受ける必要がない学生のようなものです。彼らは勝手気ままにどうみても収益性がみこめない事業にもフラフラと乗り出してしまう。さらに低金利は寡占企業の強大化とダイナミズムの低下を生み出すでしょう。"
"第3に、銀行の破綻リスクです。低金利は銀行の収益を圧迫し、顧客基盤のようなフランチャイズ・バリューを低下させ、自己資本規制のレベルがいかなるものであれ、銀行をショックに対して脆弱にするでしょう。"
"第4に、金融政策の有効性のさらなる減少リスク。現在の利下げが将来の需要の先食い、つまり企業が将来の投資を、消費者が持続的に必要な消費今するというレベルにまで至ると、現在の低金利は、将来の金融政策の効果の減少を含意することになります。"
"マクロ経済学者が注目すべき重要な問題は、適切な総需要を管理することです。私たちは、中央銀行が管理できるのだ、あるいは現在の金融政策の各種ツールでそれができるだろう、と提案することは、危険だと思っています。"
"もっとも注目されるべきが財政政策であることはあきらかです。とりわけ低金利、ゼロ以下の金利が財政赤字の持続可能性を示している現在の状況下ではなおさらのこと。"
"しかしながら需要の水準は政治構造の影響も受けます。例えば、社会保障の給付を当期の租税や保険料で賄うべきとするpay-as-you-go方式、定年の延長、社会保険の改善、民間のインフラ投資への援助、高貯蓄の富裕層から流動性が制約されている、要するにお金がない貧困層への再分配などです。"
"1970年代の高インフレ、高い利子率はマクロ経済学の政治思想、政策、制度に革命をもたらしました。低インフレ、低い利子率とこの10年の長期停滞は現在も深刻な形で進行中であり、マクロ経済学の世界に同じぐらい大きな改革が求められています。"
"ジャクソンホールの「金融政策への挑戦」で、この点に焦点があてられることを願っています。まああんまり期待していませんが。"
https://twitter.com/paulkrugman/status/1164604703424090112
"ラリー・サマーズのスレッドがおもしろい。まあ僕はいくらか疑問点ももっているけどね。あのあらぬ方向に曲がったISカーブには納得していない。でも全体の方向性としてははっきり正しい。次の不況で中央銀行に何かできる力が残っていると信じる理由はほとんどない。"
"中央銀行はそうは言わないけどね。でも彼らの立場も考えてやれよ。ドラギやパウエルが「うちらもうお手上げですわ」って言ってみ?マーケットはパニックになっちゃうよ。何もできなくても自信があるふりしなきゃならないのさ。"
"さらに2点。僕には中央銀行はまだこれが一時的なポスト金融危機時代の姿で、将来「正常化」できるかのように語り、振る舞っているように見える。でもね、もうリーマンショックから11年だよ!"
"言い換えれば、これが21世紀のノーマルなんだよ。グレート・モデレーション・マクロエコノミクス、中央銀行は景気循環をコントロールし、財政政策は緊急措置、そんな時代は戻ってこない。"
"ラリーは1970年代のインフレがマクロ経済学思想の刷新につながったことにも触れ、僕らも同じことをしなきゃならないと言った。僕も、なぜ今までそれがおきていないのか、僕らは厳しく問い詰められなければならないと思う。"
"結局のところ、現時点まで超低金利と持続的な需要不足は、スタグフレーションの時代よりも長く続いている。1970年代の7~8年の不調がすべてを変えたのに、2008年以来の11年でなんでこんなに変っていないの?"
"僕の考えでは、社会学と政治学のミックスに答えがある。しつこくつきまとう長期停滞の害悪は、保守的なアジェンダを産み、経済学者を古典派に回帰させた。だがまだ対照的な方法が残っている。"
"ジャクソン・ホールでラリー・サマーズ以外にも持続的な財政刺激策を主張する人がいて、オリヴィエ・ブランシャールを呼んで財政赤字を騒ぎ立てることが見当違いだって言わせればおもしろいと思う。レポート求む。"
(訳は適当です。マクロ経済学の知識がない人も分かるようにことばの意味を補っている箇所もあります。)
(追記)
参考文献を紹介しておきます。
Robert J Gordon "Macroeconomics 12th Edition"
https://www.amazon.com/Macroeconomics-12th-Pearson-Economics-Hardcover/dp/0138014914
https://www.amazon.co.jp/dp/B07KWMYP13/ref=dp-kindle-redirect?_encoding=UTF8&btkr=1
ローレンス・サマーズ、ベン・バーナンキ、ポール・クルーグマンwithアルヴィン・ハンセン「景気の回復が感じられないのはなぜか-長期停滞論争」