はてなキーワード: ブロマンスとは
時間 | 記事数 | 文字数 | 文字数平均 | 文字数中央値 |
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00 | 82 | 9694 | 118.2 | 40 |
01 | 46 | 2594 | 56.4 | 30.5 |
02 | 47 | 5415 | 115.2 | 45 |
03 | 24 | 3406 | 141.9 | 54.5 |
04 | 31 | 3826 | 123.4 | 54 |
05 | 16 | 5036 | 314.8 | 67.5 |
06 | 18 | 1444 | 80.2 | 48.5 |
07 | 73 | 7273 | 99.6 | 51 |
08 | 57 | 7456 | 130.8 | 47 |
09 | 109 | 11354 | 104.2 | 46 |
10 | 130 | 15670 | 120.5 | 64 |
11 | 86 | 6873 | 79.9 | 48 |
12 | 151 | 15998 | 105.9 | 40 |
13 | 220 | 18113 | 82.3 | 40 |
14 | 157 | 12245 | 78.0 | 39 |
15 | 175 | 14192 | 81.1 | 28 |
16 | 193 | 12990 | 67.3 | 33 |
17 | 214 | 18499 | 86.4 | 37.5 |
18 | 177 | 18468 | 104.3 | 47 |
19 | 137 | 10722 | 78.3 | 38 |
20 | 168 | 16565 | 98.6 | 36 |
21 | 172 | 11050 | 64.2 | 42 |
22 | 139 | 17466 | 125.7 | 37 |
23 | 149 | 25322 | 169.9 | 47 |
1日 | 2771 | 271671 | 98.0 | 40 |
ササニシキ(6), リッピング(7), ターフ(12), 独創的(4), ホモネタ(5), タイガーウッズ(3), FTM(6), ベーグル(6), ブロマンス(6), まっすー(5), グラマラス(3), BL(57), ダブスタ(17), 接待(10), 工作(13), 外人(12), 証言(7), 見せつけ(8), ガイ(13), 啓蒙(8), 育休(8), 腐女子(59), ツイフェミ(20), 抜く(10), ゲイ(22), 男性向け(13), AV(18), いじめ(32), 発達障害(20), 原作(21), 偏見(15), エンジニア(23), スター(15)
■ツイフェミを観察して大まかな生態が分かってきたので記したい。 /20210223230157(42), ■取り返しのつかない我がエンジニア人生よ /20210223235037(42), ■テレビゲーム以外の家遊び(小学生低学年の男児) /20210223214407(29), ■(追記あり)「いじめを見て見ぬふりをすることはいじめと同じ」←これやめろ /20210224154916(26), ■面白い人間であることを証明し続けることに疲れた /20210223223958(13), ■傲慢になったお気に入りのカフェが悲しい /20210224095605(12), ■姪っ子の存在がまじで無理 /20210224222117(12), ■anond:20210224122545 /20210224124520(11), ■変な日本語コレクション /20210223202919(9), ■anond:20210222173846 /20210223024907(8), ■女の価値は「若さ」だと思う本当に /20210224101537(7), ■『えんとつ町のプぺル(1984年公開版)』 /20210223182635(7), ■理解ある彼くんの家庭に生まれる子供 /20210224103548(7), ■結局腐女子って筋肉質で骨ばった女が好きなだけじゃね? /20210224152448(7), ■anond:20210223230157 /20210224094914(6), ■同人誌の電子書籍化 /20210224125425(6), ■ /20210224230851(6), ■人間関係の最適化 /20210224043714(6), ■墾田を永年に私財にしたい /20210224173528(6), ■ゲームで凶暴化した /20210224204450(6), ■義姉が理解できない。 /20210224012108(6), ■子供の頃から働き続けて疲れた /20210224104957(6)
作品について、時には大嫌いな作品についてあれこれ考察したり粗探ししたりお給料出てるんですか?と言わんばかりの働きっぷり。
きっと仕事もテキパキできるんだろうな…皮肉ではなくこれは心からの羨望。
私は難しいことはあまり考えない上にのんびりしているから無理。仕事できない。
あとこれは最近何件かあった気がするやつなんですが、数量限定販売コラボものが発売されたとき鬼のように連絡しまくって受注生産を勝ち取った!という話。誇らしげなの何なんだろう。受注生産が決まった途端公式アカウントにお疲れ様でしたとか言ってるの、恐ろしい。恐喝みたい。
何よりそこまでするのがすごすぎる。周りを巻き込んでみんなで連絡するなんてすごい。
でもあれ、対応してる企業側ものすごく大変なんじゃない?きっと帰れてない。やるべきだった業務に手をつけることすらできなくて向こう1ヶ月は病みそう。
あとこれは全速力関係ないですけど、なんで当たり前のように推しをゲイにしてアブノーマルなことさせるんだろう。ゲイって言及されてたっけ?
同性愛者とも異性愛者とも言われてないんならブロマンスくらいじゃダメですか?ダメですか…。
なんですぐ民度民度言うんだろう。外野からしたら皆一様に民度低いんじゃない?
Twitterですぐトレンド入りするのは全速力のオタクがTwitterに集うからですよね。
よく眠り、あたたかいものを食べ、おひさまを浴びる。今では原作のみを読んだり見たりして、自分なりの解釈をして楽しんでいる。
ガソリンが切れてしまった私はオタクのビッグウェーブに乗ることができなくなった。
数年前は徹夜してTwitterで偉そうに長文ツイートして愚痴垢覗いていたのに。
久々にたくさん喋ったら疲れた。
あたたかい鍋が食べたい。
○ご飯
朝:朝マクド。昼: ナスとピーマンとハムとスパゲッティとケチャプを混ぜて焼いたやつ。夜:ご飯、白菜と大根とニンジンの味噌汁。納豆。間食:ランドグシャ。
○調子
むきゅーはややー。お仕事はじゅうれんきゅー二日目。
昨日のリベンジで散歩を2時間半ほど。やっぱ散歩最高だなって。
トリックスターズシリーズでライトノベルとミステリを高い次元で融合させてみせた久住四季の怪盗もの。
怪盗チームのベタながら燃えるやりとり、素人だった主人公が覚醒する明らかに映画ならBGMが変わる瞬間、ド派手な潜入アクションに、あっと驚く文章表現での「騙し」など、映画化した時に映えるシーンが多かった。きっと騙しのシーンは高速で巻き戻す演出が入るだろう。
物語部分を支えているのが、トリスタ以降近年の久住四季らしさとも言うべきブロマンス要素も男同士のいい距離感が表現されているだけでなくサービスシーンなどもありいい感じ。
ミステリか否かという価値で評価するとあまり言葉がないけれど、とにかく痛快な小説で読んでて楽しかった。
是非とも、中島裕翔と織田裕二のダブル主演で映像化して欲しい。(それはもうあるやつだよ)
殺された被害者自身が探偵となり全てを知っている閻魔さまの娘に推理を披露し正解すれば生き返ることができる、という特殊設定をベースにした短編集。
霊界のルールで生前に知らなかった知識を死後教えることはできないため、被害者が殺害され霊界パートが始まる時点で所謂読者への挑戦状が挟まれたのと同じ、ここまでの情報で推理可能だというフェアプレイの精神がある作品。
確かにフェア/アンフェアというのは本格において重要な点であるが、今一つこの作品が本格らしくないのは、人間を書こうとしているからだろう。
パズラー的なロジックにまつわる描写もあるにはあるのだが、文量の多くを死を経験した人間がなにか教訓を得て変わるような展開に費やしている。
それはそれで、ミステリーズ的と言ってしまえばそれまでだが、ほんわかした暖かい読後感があり嫌いにはなれない。
だけれども、人間をかけていないアレやコレやは、人間以上に大切な物を書いていたのであり、この作品がそれらに並ぶほどの何かなのかは、シリーズものみたいなので続きを読んで確かめようと思う。
○グラブル
これ。
リバは左右入れ代わりする肉体関係があることが前提(ABの軸とBAの軸の2つの世界軸を持つ人もいる)だし、それだとブロマンスが近いのだろうがあれは友情関係を表す言葉だと思うので肉体関係無しの恋愛を表す言葉とはちと違う気もするし、でな…。
左右固定派はカップリングに左右の明記をしないことは食品にアレルギー物質を明記しないことに等しいとかそんな過激なことも言っているが、AB表記なのにBがAに挿入しているとかならともかく、「逆リバの可能性」すら排除したいというのが私にはあまり理解できない。左右を明記してないものは左右が無いんだ。わかってくれ。
別に肉体関係がある作品が嫌いなわけじゃないしむしろ読みたいが、自分の解釈でそのカップリングを書くときには肉体関係が無いのだ。
とは言っても今の腐女子界隈でそんな理屈受け入れられることがないのはわかっているので、もう雑食注意とプロフに最初から書いて完全左右固定の方に避けてもらっている。その完全左右固定者にたまにブロックされて作品が読めないことがあるのがとても残念だがこれは相手のために仕方がないことだ。世界観を一つしか持たない人もいるのは、考えればこれは全然おかしいことではない。人生は一人一つなのが普通で、フィクションだからといって私のように複数の世界観が同時に頭の中に存在することが許せるのは冷めた見方なのかもしれない。
その二人は公式でカップルと明言されたわけではないのだが、ほぼそれに近い関係性だ。
彼等が関係性を深めていく話が物語としてよくできていたのもあって、私は二人の関係性を好きになった。
ここで終わればよかったのだが、オタクとしての性でつい他の人の感想や創作が見たくなってしまった。
問題にぶち当たった。
カップリングにおける左右ってなんなんだ。
私は男女のカップリング(後に本当にカップルになったが)を好きになったことがあったのでカップリング文化についてはわかっていた。
この二人のカップリングはこう、と名前が一つに決まっていたのでそういうものだと思っていた。
なのに、男二人のカップリングだと名前が二つもあってどうやらそれは同じものではないらしいのだ。
私はすぐに定義について調べて、さらにショックを受けてしまった。
もちろんカップルならそういうこともするだろう(全てのカップルがそうだとは限らないが)。
それはわかる、わかるのだが。
しかもその左右はとても大事なことで、どちらか決めなければいけないというのだ。なるほど。
わからなかった。
そもそもその二人が情事をしているときが全く想像がつかないのだ。
というか興味がない。
私は二人が公式でしているような心の交流の範囲で十分であって、そっちの方はどうでもいいのだ。
男女のカップリングでもそちらの方をよく好んでいる人がいたが、別に見なければいいだけの話だった。
そう悩んでいるとアドバイスを貰った。
リバがいいんじゃないか、と。
私は意味を調べた。
違う、そういうことじゃない。
だけど「どっちでもいい」ではなく「どっちもなんか違う」のだ。
現在ブロマンスは、一般的なホモソーシャル行為と歴史的な恋愛的友情の2つに【 区別 】される。アリストテレス(※※※※※女性ではない※※※※※)による友情に関する記述では、【 しきりに 】ブロマンスの原型について取り上げられている。彼が 【 紀元前300年ごろ 】に書いた文で、「友人のために、友人のことを考えることを強く望む者同士は真の友人である。何故ならお互いの愛情が彼らを定義し、そしていかなる付随する特性によるものではないからだ」とある。
たまたま自分がジェンダーについてこの年になってやっと考えられるようになったおかげでスルーしてた事象が目につきはじめたからって間違ったうえにデカイ主語で語るのやめろ。
腐女子かつフェミニストって立場には何の疑問もないけど、腐女子かつホモソーシャル否定・ホモソすなわち悪って立場はマジで全く理解できない。煽りじゃなくどう両立させてるのか聞いてみたい。
ヘテロ以外のロマンスが当たり前のものとして描かれるようになるのは喜ばしいし「腐」女子の隠れるべき趣味だったBLが市民権を得るのも嬉しいし、日々マチスモ滅べ!と思ってるのに、ロマンティックラブに興味が薄くてフィクションでは同性間コンプレックスや歪んだホモソ関係に惹かれてしまうジレンマ
人間と人間の巨大感情とディスコミュニケーションが見たい→男女だと恋愛になりがち、でなくともジェンダーの壁が色濃い→女同士だと男を巡るキャットファイト、現在のトレンドだとポジティブな連帯に→男性ホモソ
って感じかな……人間同士→"無徴"として描かれやすいのが男、というのもあるかも
や、でも「無徴」の部分は怪しいな。女性キャラクターだと、たとえフィクションでも自分との違いやリアルな身の回りの女性達との違いが目についてしまう。男性キャラクターの方が、自分とは違う生き物(こういう表現したくないが……)として消費しやすいのかも。
歪んでいない、優しいブロマンスやロマンシスも好きだし、連帯の物語には救われるけど、shipperとしての劣情は掻き立てられない
という事らしくて要約すると
「異性愛と違ってBLが隠れるべき趣味って扱いはおかしいし男らしさなんて大嫌いだけど、フィクションでは同性間のドロドロホモソとか大好きだし男は自分と違う生物だから消費しやすい、ドロドロしてない関係はカプ厨として萌えない」
って感じになるのかな。「ホモソはフェミニストとして本来否定すべき物だけどフィクションとして消費する上では大好きだから別腹」って事らしい。
フェミニストに限らず現実とフィクションを同一視する人はあまり多くないと思うの。その分、そうじゃない人が目立つのかもしれないけれど。
竜馬がゆくとか歴史小説を現実に重ねている人とかもしくはフィクションの出来事を現実に重ねて不祥事や有名人を批判する人は結構居るように思う…
学校で国語や道徳の時間に習うお話ってそれこそ「これを現実に重ねて考えてみましょう」って物が多いしね
フィクションが現実に与える悪影響を考えて創作物を取り締まろうとする動きが現実に起きてるし去年の宇崎ちゃん献血ポスターが批判されたのもそういう理由じゃなかったかな
「なぜ何でもセックスありきにしてしまうのかと思うこと山ほどある」
「単体萌えでカップリングもなくてもいい、必ず誰かとカップルにされるの理不尽」
男同士のキャラクターの、性愛が前提でない二次創作作品を求めてる人間がいるようである。
腐女子/腐男子界隈に対して性愛抜きの作品を求めてるやつは、そもそも「腐」の意味を理解してない。
「腐向け」とは、主に男性同士の恋愛をテーマとした「女性向け」作品、つまり腐女子(腐男子)向けの作品のことを指す。 男性キャラ同士の恋愛を扱った創作や二次創作がこれにあたる。
「腐向け」の作品は性的な描写がなくとも登場人物の性愛を前提としているのが当たり前。そういう作品が「腐向け」と定義されたのだから。
だから「腐向け」カテゴリで性愛抜きの関係性作品をマジになって探す方が的はずれなんだわ。
男同士の性愛前提の創作を好まない人間は「腐」の肩書きをおろして「関係性オタク」やシンプルに「○○推し」のように名乗ればいいのではないか。すでに肩書きをおろしてる人はお疲れさまです。
キャラ単体や性愛抜き男同士の二次創作作品が見たいなら、キャラ単独名やコンビ名、正規の作品タイトルのタグなんかから探すべきだ。キャラ単体なら夢分野にも何かしら琴線にふれるものがあるかもな。
プラトニックは知らん。全年齢対象の腐向け作品の中にあるんじゃないか。
オリジナル作品ならブロマンス系や同性の友情要素が強い傾向のジャンルを漁れ。
確かに原作によってはファンアート内の性愛前提二次創作(男男/女女/男女etc)比率が大きすぎるのは事実だろう。
その事実に対して自分好みのファンアートが少なすぎると苦言を呈するのは自由だが、そこに生産性はない。愚痴るだけで理想の推しキャラ作品が増えると思ってるならいつまでも愚痴っていればいいと思うが。
自分好みのものがないなら、はてなで愚痴る時間を使って好きなものが増えるよう努力しろよ。
自分のための作品を作れ、ゴキ腐りにならない範囲で語れ、お前の推しを布教しろ。
誰もそうすることを禁止してない。
以下は別のところに投げようとしてやめた文章を直したものなので脱線している部分もあるが許してほしい。
ワイはリバや逆カプは基本的に生産も消費も無理なROM時々二次創作小説を書いてる腐女子。歴は15年以上。
ここからはワイ個人の話をしてるのを留意して読んでほしいのだが、なんで左右or左or右固定派がリバ逆カプが無理かというと
これにより自分の中のキャラの解釈がぶっ壊れるからと思われる。
固定派の中でも攻めと受けは、お互いに対して何かしら思ってることがあるわけだ(これをカブ解釈やキャラ解釈と言っている気がする)
これがリバ逆カプの場合、わかりやすい露骨な例をあげると、元受けが元攻めにチンコを突っ込みたいと思うにいたるための解釈を固定派は追加しなければならなくなる。
このチンコを突っ込むために必要な解釈がそれまでしていた解釈と整合性が奇跡レベルに取れない限りはワイは許容できない(原作の読み込みや進行とともに整合性が取れてしまって最終的に逆カプや受けが攻めになってるカップリングに落ち着いたことも大昔にはある)
エンジニア風に言うと、綿密なシステムの要件定義して実装もしたのに突然の仕様変更要求されて反発を覚える、という感じだろうか。
カップリングの左右が腐女子によって異なるのは、極端に言うと、年上は攻めvs年下は攻め、恵体は受けvs細身は受け、のような個人の性癖の結果みたいなところもある。
もちろん実際カップリング左右の決定までは見た目の属性プラス原作での言動などを踏まえるからもう少し複雑。
原作で表現された攻めと受け、ふたりのキャラクターそれぞれに対してフォーカスあててる場所が腐女子ごとに違うから、左右なり右なり左の固定派としては信じがたいカップリングが存在し、同カプでも解釈地雷ということがあるのだと思う。
逆カプほどのキャラクターの解釈変更をする必要がないので、ABとCB両方行ける、という人はそこそこいるという印象。けれどABとCBが両方行けると言っても、同一空間で一妻多夫状態の場合を許容できるかどうかは別れたりする。複雑。腐女子は一人一派。
だから逆に攻め受けのキャラ解釈が同じないし許容範囲ならリバ逆カプを許容するという腐女子も存在する。というかリバ逆カプが平気と言ってる人の多くはこのへんの腐女子では? と私は思っていたのだが元増田を読んで自信がなくなった。
性表現があるリバ逆カプも平気な腐女子はよくわからん。どっちでも行ける攻め受け解釈採用してるか、独立してる突っ込む突っ込まないという2つの解釈を臨機応変に切り替えてるのかね。……と思っていたのだが元増田を見るとキャラ解釈が全部違うそうなので、はい。
まず元も子もない話なのだが基本的にエロ要素がある方が閲覧数が伸びる。腐向けに限らないが。
そして推しカプというか二次創作全てはセックスの有無に関わらず、オタクのオナニー(比喩)のためのオカズだ。セックスやエロがあるほうが抜ける。
あとは腐向けがセックス前提なのではなく、セックスを前提としない作品を腐向けとは呼ばない、と言う可能性はある。ブロマンスとかキャラ単体タグとかA+B表記とか。
AB・BA・ABAの作品内におけるキャラクター解釈の傾向を書き連ねたが、「BAで多用されるキャラ解釈でセックスの時はAが攻め」の場合、カップリングタグはどちらをつけるべきなのだろう。
これも経験に基づいた話でなんの裏付けもないのだが、そういう作品にはたいていキャプションやワンクッションのページに注意書きがついている。
本番はA×Bですがそれ以外はB×Aにも見えるかもしれません、とか。何でも許せる方向け、心の広い方向け、というやつ。(この場合タグはABは必須でBAは界隈の傾向と内容踏まえた個人判断かなと思う)
カプ要素がなかったとしても(作者はAB派の腐女子)と注意書きをする人たちもいる。
素晴らしき腐女子の注意書き文化。ものによっては注意書きがないと叩かれるまである(実際に見た)
注意書きが書いてさえあれば注意書きを読んでない方が悪いので、なにか思うところがあるなら書いとくほうが安全。レンジに猫を入れないでくださいと同じ理屈。
特殊なプレイとかもそう。スカトロなんかは当然として、例えば攻めから受けへのフェラはR-18ついてれば個人的に注意書きなしでいいと思うが、注意書き必要不必要のアンケートをとっているツイートを見たことがあるので書いとくほうが後々面倒が起こることがない。
世の中既にこんな文章は大量に出回っているんだろうが、自分の思考を言語化する目的で表題について考えてみることにする。
冗長で長くなってしまったが、もし読んでくれる人がいればありがたい。
かなり幼い頃から自分は不細工だと認識していたし、運動もからきしだったためか、早々に自分は「男らしく」はなれないと気づいていた。
ほとんどの男子児童は小学校卒業までには一人称が「俺」になるが、自分は「俺」という一人称が野蛮に思えて「僕」という一人称を使い続けた(今もそうだ)。
ここまで明確に言語化はしていなかったが、人生の早い段階で「男らしさ」みたいなものに対する嫌悪感を明確に感じていた。
口は達者な方だったので一対一なら女子にも口喧嘩で勝てたが、相手が複数になると大体泣かされて帰宅していた。
男子にも女子にもそれぞれ固有の嫌なところがあると思っていた。
やや特殊な環境で、中学は完全に男子校、高校は女子もいたが全体の10%前後だった。(見る人が見れば大体ある程度見当がつくかもしれない)
高校に入って共学クラスになった生徒もいるが、中高6年男子オンリーのクラスだったという生徒も多い(私もそうだ)。
そんな理由で、高校は男子校的な雰囲気と共学的な雰囲気が同居していた(前者のほうが強かった気もする)。
ちなみに女子生徒からは、当初はかなり困惑したがそのうち気にならなくなったという声を多く聞く(サンプルサイズは極小)。
私はやはり「男らしさ」みたいなものには馴染めなかったが、だからといって別に居心地が悪かったということはない。
恋人なんか端から諦めていて、「男らしさ」的なノリはあくまでネタとして捉えているオタクが自分の周囲に多く居心地が良かったからだろうと思う。
ただ、(おそらく悪気は全くないのだが)女子がいるという事実を忘れたかのように自分を男子校出身だとアイデンティファイしてしまう友人たちに微かに苛立ちを覚えてはいた。
「クラス対抗競技で女子がいるクラスには絶対に負けたくない」「◯◯さん女子なのに理数系強くて凄い」と無邪気に思ってしまう自分にも気づいていた。
総括すると、ややマイルドなホモソーシャル環境で中高時代を過ごしたおかげで、同性だけから構成される空間の良さと悪さを両方知ることが出来た。
男子校では「男らしさ」をやりたい人はやればいいし、「男らしさ」に馴染めなくても馴染めない人間同士で連帯することが出来る。
そして、「男らしさ」をやりたい人々もそうでない人々もお互いに仲が良かった。
そういう懐の広さが男子校の良さだった。
男子校が「男らしさ」を助長するというのは必ずしも正しくないし、むしろそれをやらなくても楽しく生きていけることを教えてくれる。
ただ、同時に異性に対してかなり排他的である、あるいは個人の中で排他性が強化されるというデメリットもある。
一定の人々は、そういう排他的な感覚を異性の前で隠すということを覚えないまま大学生になり、社会人になってしまうのかもしれない。
もちろんこれは明確に欠点なのだが、男性のみの集団だけでなく女性のみの集団でも同様のことは言えるように思う。
さて、ツイッターという悪い遊びを覚えた私は大学に入学する頃にはジェンダー意識をすっかりこじらせていた。
社会のメジャーな領域において女性が男性よりも不利な立場にあることは理解している。
しかし実感として別に自分が楽に生きているとは思えないし、男がこんな社会を作ってきたのだと言われても自分のことではないのでどうしようもない。
日常において性差別を行っていると言われても、そもそも異性と雑談のような会話をする機会がほとんどないので身を振り返りようがない。
男性全体のあり方と自分のあり方を勝手に分離してしまうのが厚かましく思えて、謂れのない批判を日々受け続けているような気がしている。
だから、メジャーな領域における女性の不利さへの鈍感さに比してフェミニストのわずかな瑕疵やオタクへの攻撃に対して非常に敏感になってしまう。
女を生きることの苦しみに思いを馳せつつも、特に炎上しているような話題ではフェミニストを批判するツイートのほうが論理的だと感じることが多かった。
多分これはフェアな態度ではないなと思い、ある時期から意識してツイッター上でフェミニストをフォローするようになった(体系的に学習しないのは単に私が怠惰だからである)。
そうすると、「女であるが故の連帯」ということを明に暗に唱える人々がいることに気がついた。そういう人ほど男性のホモソーシャルを攻撃していることにも。
第一に、一部のフェミニストにとってフェミニズムとは男女同権主義ではなく、女権拡大主義でしかないのだと考えた。
私のフェミニズム的思考の源流は、身体的に男性であるというだけで「男性」と括られることへの違和感であった。
(ちなみに私はシスのストレートであるし、それに関して疑問を持ったことはない。セックスするだけなら男性とも出来る気はしているが恋愛感情は女性にしか持ったことがない)
つまり身体性から離脱すること、「男に生まれても女に生まれても生き方が変わらないこと」が目標だった。
だから、「この世の中は女にとって辛いものなのだから、女しか持っていないものはガンガン活用していくべきだ」という態度は理解は出来ても共感できない。
私が勝手な期待だったのだけれど、スタンスがはっきり違うことを改めて意識して裏切られたような気持ちになった。
第二に、女性だけが持っているらしいポジティブな「シスターフッド」みたいなものが心底羨ましくなった。
私は先程男子校の懐の広さについて書いたけれど、これは恐らく「同性のみからなる集団」のメリットである。
そうした「同性のみからなる集団」の特質に加え、どうやら女性には女性だけが持つ「シスターフッド」なるものがあるらしい。
何度も言われていることだが、男性の多くは馬鹿話と趣味の話と仕事の話は出来ても辛さを共有することは出来ない。
弱みを見せたくないというのも無くはないが、どうせ真面目に共感されることはないとわかっているからというのが大きい気がする。
実際、自分だって男性から何か弱さを打ち明けられても「うーん大変だねえ」くらいのことしか言えない気がする。
相手が女性となれば話が変わってくる。多分、親しい同性よりもそれほどではない異性のほうが親身になって話を聞くだろうし、共感を示すだろう。
性欲由来の優しさだなんて言いたくはないけれど、恋愛対象でも性的対象でもない人間の辛さを親身になって聞くことは自分にはかなり難儀なことだ。
男性の多くはセルフケア能力も性的に興味がない他人をケアする能力も欠けているし、それを改善する方法も全く思いつかない。
基本的に男性は他の男性に興味がなく、馬鹿話と趣味の話と仕事の話が出来る相手を望んでいるだけなのだと思う。
だから、お互いをケアできる人間同士の「シスターフッド」という関係がとても羨ましい。
もちろん、ケアをする能力というものを女性一般が持っているとは思わないし、前述のような理由で辛いことは男性に相談するという女性も多いのだろう。
それでも、多分ブラザーフッドに比べればシスターフッドはかなり現実的だ。
しかし、結局はシスターフッドだって別に女性万人が適用できるものではないし、そんな良いものではないんじゃないかという冷笑的な気持ちになることもある。
男子校は心地よかったけれど、誰かが私と肩を組もうとするたびに私は反射的にその手を跳ね除けていた。
自分が女に生まれていて女子校に入ったとしても、多分ベタベタしたことは出来なかっただろう。
結局ブラザーフッドにせよシスターフッドにせよ、自分が男/女であることにためらいも屈託もない人間だけのものでしかないのだ。
自分は明確に男/女であるが、男にも女にもなりたくない卑屈な人間として、ブラザーフッド/シスターフッドを嘲笑してやろうと思っている。
少し話が変わるが、感覚としてBLを愛好する男性はGLを愛好する女性に比べて遥かに少ない。
ストレートの人間に限って言えば、女性が好きな女性に比べて男性が好きな男性というのは少ないのだろう。
男性から見れば、ブロマンスなど女性にとって都合が良いファンタジーでしかない。
男は無徴だなんて言うと怒られそうだが、実際身体感覚として男性同士で共有できる「徴」みたいなものは思いつかない。
あるとして、「男はつらいよ」は「女のほうがつらいよ」によってポリティカルにインコレクトで不健全なものにされてしまった。(ここにもやるせない怒りはある。もうどうしろと...。)
愚痴ばかりでは締まらないので、身勝手でも現状の希望を書いて終わりたい。
私はやっぱり異性の恋人が欲しい。
生きているだけでしんどいこの世の中で、なんとかお互い傷を舐めあえる恋人が欲しい。
何とか自分に与えられた分以上は与えるように努めたい。
大学では何とか異性と話せる程度にはなったし、卒業したころには(私の思い込みでなければ)ごくわずかながら友人も出来た。
公式のBLは素晴らしいと思うが、個人的には非公式のBLが大好物である。公式カプという暖かな焚き火を平和に囲むより、火のないところに煙を立てて勝手にキャンプファイヤーをするのが大好きである。
友情というかブロマンスというか、決して恋愛感情ではない強い絆で結ばれた男達が好きなのである。あるいは、互いに嫌悪し顔を合わせる度に命を取り合うような男達が好きなのである。原作ではどう考えても結婚しない、肩は組んでも手は繋がない男達を二次創作であれこれウフンアハンさせるのが好きなのである。
で、好きがこうじた私は、ありがたいことに作家になれた。
私が腐女子であることは誰も知らず、あくまで健全な男達の友情を描き、これも大変ありがたいことにそこそこの人気が出た。
ファンレターもいただき、皆とても清廉というか純粋というか、腐女子の腐の字も感じさせない……ちょっとは感じるかな、でも「A×B萌えです」などとはっきり言う方は存在せず、届く前に抜いてくれているのかもしれないが誹謗中傷もなく、本当にありがたい環境にある。
が、きっとあれでしょう?作者には言わずとも裏では萌えてくださっているご婦人方がいらっしゃるでしょう?と邪推をし、私はpixivを見た。Twitterも見た。すると、出るわ出るわA×BにC×D!甘酸っぱい初恋からドロッドロのR指定まで!ウッヒョーありがてえ!……と思ったのだが、ふと気付く。いくら探しても推しカプが出てこない。検索方法が悪いのか?略称が違うのか?特別な呼び方があるのでは?と考え得るあらゆる可能性を検索バーに叩き込んだが、推しであるA×Cが一向に見付からない。代わりに出てくるA×BとC×Dの山……っ!いや分かる確かにそこもオイシイ細かいところまで拾って広げてくださりありがたい、しかし何故だ、何故なんだ……誰か一人くらいA×Cにも萌えてくれていたってバチは当たらないだろう、もう自分で描くか?布教するしかないか?とネームをいや駄目だ危ねえ、そんなことしてる場合でもねえし増田やってる場合でもねえけど何故だ!!
ええと、皆様いつも本当にありがとうございます。「公式」としては燃えていないのが私の好みでありますし皆様もきっとその筈なので、推しカプが「そう」見えていないのは狙い通りではあるのですが、もし……もしもね、いつかA×Cにも萌えてくださる方がいたならば、ここに同志がおります。一生名乗り出れないけど、私がここにいることを何かの時に思い出してください。いや待って、作者が実は腐女子だったとか言われたら私なら倒れるからやっぱり忘れてください。
彼女達の百合心ってその大半がリリアン女学園のスールという限られた関係性の中でのみ息づくものでしかない
もちろんリリアンを離れても友情は永久に続くと信じてるけど(百合豚心)
ガチレズっぽいのはガチレズ濃厚の聖様周りの人物を覗いて殆ど見当たらない
こういう女子校という特異点の中で育まれる特殊な関係性を百合として見ると儚いのよね
以前うちの母親が、「思春期の女生徒の中には自分がレズだと勘違いする(もしくはそういうロールを演じる)人がいる」と言っていた
中にはきっと霊感少女と同じ類いの中二病患者も含まれるんだろう
実際僕の記憶でもやけに同性のクラスメートにベタベタしてる女生徒はいた
かくいう僕もファッションホモ野郎だったので他人のことは言えないが
マリみてにおける百合描写は女生徒同士の特別な友情に近いものなんじゃねーかな
一部むしろ女性のホモソーシャルに近い異性排他的な描写も見受けられたし
近年は「同性愛は一過性のもので最終的に抗うすべなく異性愛に回収されまーす」的な描写は(ポリコレ的にも)好まれない傾向にあると風の百合豚に聞くが、マリみてでは特段世間的な異性愛を引き合いに出して作中人物達が想いを確かめ合うような描写はなかったのでこれには当てはまらないだろうな
しれっと子供作ってるし可南子は感動してるしで流石にあの回だけはビックダディ系大家族が醸し出すついていけない感に近い心的な隔たりを感じてしまった
可南子、強く生きて