はてなキーワード: フリートークとは
ある人間類型を眺めていて、一体何が起こっているんだろう、と考えている。
何人かいるのだ。「絶対的に自分が正しい」と他人を排撃する人間が。そして共通して、正しい、正しくない以前のところでバッティングしていることに気づかない。そのため、彼らの言葉は他者に受け入れられない。そして次々に居場所を失う。
どこがバッティングしてくるのか。自他の境界、他他の境界。そんな感じだろうか。
彼らの言動を観察すると、すぐに他者を括る。そしてそのカテゴリ内の人間の思考を同一視する。この段階では、自分と自分以外と言う形で、世界がくくられているのかな、と思っていた。
が、よくよく言動を追うと、違う。彼らは他者の思考を断定する。その断定の基準を見ていると、驚くほどこちらから見るその人物の思考基準のようなものにしか見えない。
サボりたいんでしょ?
有名人にでもになりたいの?
→まさにあなたの行動だよね?
ちやほやされたいんでしょ?
そうすると、彼ら彼女らの中には、そもそも「個々人の感じ方考え方は違う」と言う発想すら存在しないのではないか、と思えてきた。
思考の内容はともかく、思考をなすルートは自他で同一。自分だったらどう思うか、のみが他者に対する判断基準となる。
となると、人間判断はこうなるだろうか。自分、自分にYESの他人、自分にNOの他人。あとは、自分を認識していない他人だろうか。彼らが自分を認識していながらYESもNOも抱かない他人をどう評価するのかはわからない。ただ「人間の発想方法が同一」という推論から引けば、ニュートラル、という評価は生まれづらそうな気もする。
なにがしかの議論を前に語り合うのであれば問題はないだろう。問題はフリートークだ。彼ら、彼女らの発想に自分が興味を示すことと、他人が興味を示すことの差異を、どれだけ見出し切れるのか。
そういった人たちの話に出てくるのは、とことんが自分のこと、自分のこと。他人の話は、「自分の意向に沿う」か「自分に拒否反応を示す」の両極端になる。真ん中を聞くことはめったにない。
他者の交流は、事前によほどのバイアスを受けない限り真ん中スタートとなるわけだが、彼ら、彼女らには、どうにも真ん中が見えていないのではないか。見えていないものは見ない。見れるはずがない。当たり前のことだ。だから彼らにとっては、会話の中で見えてくるYESやNO「だけ」が極大視されていく。
一方、見られていない人間にとっては、自分の関心の外の話をされても、YESもNOも言えない。そうなんですかととりあえず相槌を打つか、興味ないですと断じるか。そのどちらかしかない……いや、知的好奇心の高い方であれば、「お、そうなんですか?」と食いついていけるかもしれない。
そしてこれは、順番に「小YES」「小NO」「特大YES」と認識されるだろう。基本的にはすべてニュートラルな反応に過ぎないのに。
彼らは、「見聞きしたYES/NO」(本当はどちらでもない)に基づき、こちらにさらなる話を展開してくる。YESであれば自分の味方なのだ。NOはこちらに対する敵対行為なのだ。このくらい単純化されているのかもしれない。
彼らは概して、語る場数を踏む。躊躇しないからだ。それは特有の雄弁さを生む。テーマトークでさえあればいいのだろうが、フリートークにおいても話題が彼ら自身と、彼らに対してのYES、彼らに対してのNOしか手札がない。つまり彼らの言葉には、どこまでも「彼ら」しかいない。聞き手たるこちらは存在しない。できない、とすら言っていいのではないか。
故に彼らの批判がこちらの芯を食うことは、ほぼない。彼らにとって聞き手とは「彼らの方を見る鏡像」であり、その鏡像を彼らは「他者」として認識する。聞き手たる自分は、以上のように彼ら、彼女らの語る内容を認識せねばならないように思う。
批判は自己紹介乙である、と言う。ならば彼らをこう語る自分自身の他者を見る目も、少なからず勝手に鏡像を押し付けて語っているのかもしれない。やらないでいられるのか? 自信を持ってうなずけるはずがない。彼らがこちらに彼らの鏡像を押し付ける、と言う考え方は、そのまま自分がまさしく彼らに自分の鏡像を押し付ける振る舞いに他ならないのだ。
次に出会う「彼ら」には、これまで出会ってきた「彼ら」とは少しでも違った対応を取れるようになりたいものだ、と思う。そのための端緒をテキストにあらわした。では、どう振る舞おう。そこをさらに考えていきたい。
透明ディスプレイの使い方が上手い。映像が宙に漂っているよう。
2年前のOPムービーは良かった。コロナ禍の影響で出演者は別撮りにするしかないにしてもああいう路線はできないものなのか。
番組に客観性を持たせるという意味でサブちゃんが顧問的位置に座ってるのは個人的に賛成。でもサブちゃん話してるとき加藤一二三みたいだななんか。
いきなり三連ちゃんは各スタジオのPAの調子が実際に放送してどうなのか確認したかったからか?
やっぱりはじめてことで混乱してるところがあるのかも。
いつもいい曲あてがって貰ってる。衒いがないけど耳に残ってきれいにまとまったポップス。
平野紫耀はピッチが甘い(違和感あるほどではないけど)が声質で誤魔化されてる。ハスキーボイスに細かいビブラートが混ざってくる感じが初期の森進一ぽい。
実は弱ペダに出てた人が一番上手いのではないか、コーラスパート担当だったけどうまく溶け込んでる。
メインボーカルの男の子が変声期できつそう。でも当てふりにすると空々しいだけだから歌うしかないのか。
ワイプ芸でアイドル連中が賑やかしになってた。こういう時にジャニーズは勝手がいい、だから重宝されるのか。
氷川きよしの大幅な路線変更で後釜っぽい見られ方してるんだろうな。
「肌が合う」と生々しく歌った後で「惚れたねほの字だねほっほー」とぶりっ子かますの、ファンからはどう写ってんだろう…
SMEが推してる若手実力派女性歌手ってAimer、milet、Uru辺りだと思うんだけど、なんで他2人と比べてキャリア浅いmiletなのかな?と思ってしまった。
今年のAimerは「SPARK-AGAIN」が、Uruは「あなたがいることで」が結構ヒットしたのに、miletが披露したのは去年リリースされた曲だしなあ。
AimerもUruもミステリアスなキャラでテレビ出演は慎重だし、キャリアがある分序盤の枠だと声掛けづらいとかそういう事情なのだろうか。
ただ観客がいないだだっ広いホールの真ん中でレーザーに照らされながら歌う様はMVの再現のようでなかなか見応えがあった。
オリンピックと大河/朝ドラに全フリしたような人選。しゃべりは芸人に任せてる。
今回はサブちゃんと徹子にどう相手するかが一つの課題だったのか。
南キャン山ちゃんがチコちゃんに恐々と相手してるのじわじわ笑えてくる。
審査方法は今回データ連動を利用した視聴者投票のみ、視聴時間に合わせて投票数が変わる仕組みで大泉洋も言っていたがよく考えたものだ。
アイドルオタクは推しのために興味のない演歌もちゃんと見ろということだ。
「今年は踊らないの?」って件をウッチャンがめんどくさそうにあしらってるのが一番印象に残った。
ああいう、場の勢いでやってみたら上手く行っちゃって後々ややこしくなることってままある。
今年はNiziUと坂道グループが対比される構図だったけど、振り付けとか曲そのものの難易度はそんな大差ないように見えた。ただちょっとNiziUのほうが丁寧。
秋元康の歌詞ってイケイケどんどんで人を励ますような描写が少ない。AKBや坂系に限れば「働け、進め、若くて可愛い子に惚れた」ということしか歌ってない気がする。
「イントロがあってAメロがあってBメロで溜めてサビがきて、で、それぞれ律儀にキーやリズムパターン変えてて」っつうJ-Pop特有の歌劇調のスタイルが通用しなくなってきたなと思う。「夜を駆ける」も「香水」も「Make You Happy」も実はループミュージックの構造を成していて、リズムパターンやコード進行を大きく変化させないクラブやヒップホップミュージックの方法論に従っている。ダンスが身近になったりSNSの拡散が馬鹿にならなくなった今だとそういったどこを切り取ってもさまになるスタイルがどんどん主流になりつつある。J-Popらしいコテコテの曲は「紅蓮華」のような映像作品とのタイアップか、デートの雰囲気作りにちょうどいいバラードでしかみられなくなり、そのうち今の演歌のような「中高年向け音楽」という扱いになるかもしれない。
スカートの裾を振り上げる振りは衣装が独特な造りだから出来ることで、こういう衣装の意匠と振り付けが連動していたりするのがかっこいい。
サビの「No!no!no!」の裏で被せられてるシャウトの声は誰なんだろう。いい声してる。
だんだん大泉洋に対するウッチャンの態度がやさぐれてきてるけどどうなるんだこれから。
演歌歌手でもないのに往年の代表曲歌わせられるのは陰りが見えてきたサインかもしれないんだよな…
「Ultra Music Power」歌うときの知念の声が年々伸びなくなってきてるのが切ない。
八乙女光ってEXIT兼親に似てるよね?入れ替わってもしばらく気付かれなさそう。
こういう若い女の子が集まってるグループで1人欠席があったりするとなんか不穏な気持ちになる。
SnowManは欠場。いつ誰がコロナに感染してもおかしくないからNHKのプロデューサーはこの2、3ヶ月肝を冷やしてたんだろうな。
篠原ともえには悪いけど、Perfume(ライゾマ)の演出とかに見慣れちゃった今はただでかいだけじゃ白けるんだよな。
もう普通に歌わせてあげたって。
尼崎のヤンキー数原くんはこの王子様衣装をどう思ってんだ。衣装合わせのときに「キンプリと間違えてんのか?」って愚痴ってそう。
無観客ライブでエア握手してる紹介VTRからして可笑しすぎる。
良心的存在であるウッチャンですら吹き出してしまう衣装のセンスはどうにかならなかったのか。
元SMAPメンバーですらドアップきついときあるのによくこんな煽ったカメラワークをやるな。
洗練されたコードや譜割に独創的な詩世界。シンプルな衣装と舞台演出が曲の完成度やパフォーマンスを際立たせていて良かった。だからこそ最初の寸劇は蛇足に感じたけどこれはご愛嬌か。
坂本冬美はかっこいい老け方してる。ツンデレな温泉宿女将とかやたら頭のキレるベテランパートみたいな役どころでドラマに一回出てほしい。
10年前くらいの洋楽でよくあったEDMみたいだけど、もはやキスマイはそういう歌を歌う集団って僕は納得してる。
中継主体であることで民放特番ではよくある局内を練り歩く演出が今回採用されたのは面白かった。
何歌うかとか演出がどうだとか本調子かどうかとかそんなこと関係なくただ出てくれるだけで満足できるか?そういう安心感があるか?っていうのが大御所か否かだと考えている。
その中でも今回トップクラスにホッとしたのは天童よしみの出演シーンだった。
もう天童よしみが歌うならば知らない曲でもジャニーズのねじ込みがあってもなんとも思わない。
さだまさしがライブ後にNHKの生放送でフリートークするのを見てる人意外といるよね。
さだまさしの歌を聞くと毎回「力抜いててこうも声が通るものなのか」と感動する。中音域ちょっと歪むのもかっこいい。
やっぱりJ-Popらしい転調をだんだん耳が受け付けなくなってる。音像はがっつりサブベース聴かせてて海外のメインストリームと混ぜても聴き劣りしないレベルだと思うんだけど、なんだろう。
小室哲哉に全く触れられてないのがどうしようもないけど悲しい。
鈴木雅之を嫌いな人ってあんまいないだろうけど、かぐや様から入って「夢で逢えたら」とか「ロンリーチャップリン」知らない層もやっぱり一定数いるのかな。
意外とジャスチャー激しい人だったのに今更気が付く。
毎年恒例の子ども向けの配慮コーナーだけど当の子どもに支持されてるかは疑問。
歌ってるときの二階堂ふみのすごく努力したのはわかるし見応えあるけど本職の人にはやっぱり敵わない感じ、歌手になる夢に挫折する「エール」の役どころにはまってたな。
いずれは誰かに歌い継いでほしい。
後半に続く。
空気階段の踊り場で話題に出て、何がなにやらよく分からなかったのでネットで検索、そこで大体の概要と水川かたまりが美形だということでパロディ元の2.5次元ファンの心をうっかり掴んでしまったところまで把握した。動画も何点か見た。
結果、女オタクで黒髪長髪好きの私も案の定「キリが好きだなー」ってちょっと色めきだった。
Google画像検索でサラッと調べただけでも女オタクらしい絵柄のファンアートがぽつぽつと見つかる辺り、本当に女オタクからの支持をある程度得ているのだろう。
次にラジオでKOUGU維新の話題を耳にしたのは三四郎のオールナイトニッポンだ。小宮も仲間になったとのことだった。その時の小宮のフリートークの締めで、私は違和感を覚えることになる。
「全くウケなかったけど反響は今までテレビに出演した中で1番大きかった。こりゃきつねも真剣になるわけだ(概要)」
全く笑えはしないのに反響は大きい。それってひょっとして、お笑いではなく2.5次元舞台的な見方をしている視聴者からの反響では?
あれをお笑いとして受け取らないということ。パロ元の2.5次元舞台と同じ受け取り方をして楽しむということ。つまり、KOUGU維新は半分架空のキャラクター群として人気を得ているのではないか。
事実、私はキリが好きだと言ったが中の人のトムブラウンにはあまり興味がない。キリというキャラクターにしか興味がない。彼を本業のお笑い芸人としてはあまり捉えていない。
あー、これ芸人にとっては危ういなー、と思った。
もちろんKOUGU維新ファンの中には完全にあれをお笑いのネタとして捉えている人、中の人込みで好きな人もいるだろうけど、私のような受け取り方をしている人も絶対にいるはずだ。そして、そういうファンはKOUGU維新が終わったり、終わらなくてもコンテンツに飽きたらあっさり離れていく。
もちろんKOUGU維新をやっているお笑い芸人も、その手の受け取り方をするファンが生まれたのは予想外だっただろうが把握はしているだろう。でも、そのお笑いファンと2.5次元ファンの割合を見誤ってしまったら、彼らの今後が難航するであろうことは想像に難くない。
8月15日の放送から、「オードリーのオールナイトニッポン(ANN)」の「チン!」のコーナーのテーマが「グッドトゥース・バッドトゥース」になった。
「こんなリトルトゥースは素晴らしい」というグッドトゥースと、
どうやらANN内のノリや用語が乱用されていることを受けてのものらしい。深夜ラジオのノリや用語がリスナーに乱用されること自体は比較的よくあることで、いままで聞いてきたほかのラジオ番組でも経験してきたし、オードリーのANNの周辺でも今回の問題の前から多少はあった。しかし、日向坂の冠番組(現「日向坂で会いましょう(ひなあい)」)のMCをオードリーが務め、さらにANN内のノリがひなあい内でも多く使われるようになり、たくさんの日向坂ファン(おひさま)がANNリスナー(リトルトゥース)に加わったことで、ANN外でのノリや用語の乱用が増え目につくようになった。
確かにANN内のノリや用語はふさわしい場面で使えば面白い。だからこそひなあいのスタッフはANN内のノリを台本に加えたのだろうし、実際それで番組はより面白くなったと思う(すべてがふさわしい場面で使われていたかは少し怪しい)。(加えて、自分だって、なれるものなら若林(さん)になってひとを笑わせたりアイドルといい距離感で仕事をしたりしたい。)ところが、ANN内のノリや用語がふさわしい場面は意外と少ないし、あったとしても使えば使うほど減っていく。ひとを不快にすることだってある。
後出しの「グッドトゥース」アピールのようになってしまうが、ノリや用語の乱用には辟易していたし、ANN内での若林の発言を聞いてからはひなあいを観ても気が気でないことが多かった。それでも傍観しているしかできなかったが、たどり着いた先がこんな結末でとても悲しい。
芸人はラジオを大切にするひとが多いと聞く。これは完全に想像だが、若林はとくに、10周年全国ツアーへの懸け方やInstagramのプロフィール
を見ても、よほどラジオを大切にしているのだと思う。そう思うと余計に悲しい。
すべてが悲しい。
最近好きな人はICE BAHNとブライアンとBlumio。日本語ラップって数か月前まで全く興味なかったけど、面白いんだね。かっこいいラップはかっこいい。
それまでは、パラッパラッパーは好きでかなり聞いていたんだけど、何となく日本語ラップは興味持てなかった。
そもそもガチのラップで好きだったのはパラッパラッパーくらいで、ラップもやってます的な中でもgroup_inouやレッチリが好きだった程度。
それで、最初はフリースタイルダンジョンが面白いのでよく見ていた。
最初はACEやR指定のフリースタイルがかっこいいと思ってた。
で、次にいろいろ好きなラッパーも知るようになってきて、呂布カルマもかっこいいなってなった。IDは好きじゃないけど、バトルの強さはすげえなと思う。
mu-tonかっこいいけど何言ってるかわかんねえ。
Authorityがアウソリティって呼ばれてるのが何でかよくわからない。
それでたまに見るforkって人も認識できるようになってきた。
で、なんか「越冬」っていう曲も聞いてみたけど、まあよく分からなかった。
のだが、zeebraのyoutube動画で越冬の韻を解説するっていうのがあって、それ見て高度な韻踏みすぎてやべえなって思った。https://www.youtube.com/watch?v=luBM9f4TAeg
それでもう一度聞いてみたら、かっけえってなった。なんでだ全然なりやまねえ!
そこからforkが属するICE BAHNをいろいろ聞いてみたが、韻が固いから聞いていてすげーかっこいいんだよね。
kitって人の「kitだぜい」ってうのもかっこいい。
R指定すごい有名で聞き始めのころは音源もまあいいんじゃないかと思って聞いていたが、今は彼の曲はなんか浮ついてると思う。まあICE BAHNと比べたらかもしれんが。
なんかね、ギャグっぽいところがかっこよくないと思う。ふざけたところでふざけた声のラップになるところ。あと、さびっぽいやついるの?パラッパラッパーもレッチリもふざけた内容だけど、全員テンションはシリアス。なんかcreepy nuts(R指定が属するグループ)の音源からはhip hopを感じない。popなら感じる。
もちろんICE BAHNはラップのテンションも内容もかっけえって感じ。
書いてて分かったが自分はパラッパラッパーやICE BAHNみたいな固いラップが好きなんだな。こういう表現で合ってるか分からんけど
もちろん、R指定はバトルで最強だと思うし、テレビでのフリートークも上手だと思う。
ICE BAHNは良いですね。
ダンジョンライブしてたT STONE意外とかっこよくてびっくりした。
ブライアンのあの挑発ラップすごいと思う。韻の踏み方が多様だし、最後の方の「教えてやるよラップのワンツースリー」の「ワンツースリー」で踏んでるところのリズムが独特で面白いと思う。ブライアンに返事してるラップの中で、ライムがある人もいるけどブライアンほど面白くて多様なリズムの人はいない気がする。https://www.youtube.com/watch?v=XCty81AzUlU
Blumio、インタビュー動画でドイツ育ちということが分かったのだが、そのときの「hey mr nazi」という曲がかっこよすぎる。https://www.youtube.com/watch?v=c9jld_SUhiE このインタビュー見てほしい。
あとは、鎮座dopnessというか鎮座DOPENESS×環ROY×U-zhaanの三人でやってるやつは音楽的に良い。これとか https://www.youtube.com/watch?v=Ir8xLSoz8VI
呂布カルマの音源は、よく聞いて見るとかっこいいんだよね、渋い。パラッパラッパーやIVE BAHNみたいな分かりやすさがないから、渋い。
パラッパラッパーは、玉ねぎ先生と、鶏の人と、ハンバーガーの人が好き。
どうなんでしょうね。
学校によってレベルのばらつきもあるでしょうし、講師それぞれでも多少レベルのばらつきはあるので。
あとこれ言っちゃうとバレるんだけど現地のトップ大学の学生が集ってる場所だったので、会話の内容もかなりハイソサエティでした。例えばフリートークのテーマが教育のcommercialismだったときにトマ・ピケティの本読んだ?あれどう思う?みたいな会話を1時間くらいずっとしてて、ああこれは日本でダラダラ英会話教師やってる低所得者層とは出来ない会話だわと思いました。
この夏も息子か娘かどっちか連れて、他の学校に1週間親子留学に行ってみようと思っています。それで全体のレベルが高いのか、学校が良かったのかがわかるんではないかと。
今日Container Runtime Meetupという勉強会に参加させていただいたのだが、KubernetesにContainerに詳しい第一人者による神々の集いに目がくらみそうになった。
ここにいる人たちを除いたら、日本でどなたがContainerに詳しいといえるのかわからない感じの人たちが一堂に揃っている。技術書典で池袋ジュンク堂でGitHubのissueで名前を見たことがある人たちがいる。
Organizerにいらしゃったので来るかもしれないと期待していたgVisorの中の人たちがいないのが寂しいくらい。
そんな人たちによる登壇者の話がrunc runのから始まったのはまだいい。予告があったり、自分は途中でinit処理にわけわからなくなった下地があったので。少なくともその後について腑に落ちたのだ。
だが、そこからいきなりnsexec.cに行ったのは突き放された感じがしてひたすらうなづくしかなかった。
Kushwahaさん。goのimportで定義されることにより本文が呼ばれる前にプリ実行されるCライブラリで名前空間を作成している、そのライブラリの処理の解説が行われた。
https://github.com/opencontainers/runc/blob/master/libcontainer/nsenter/nsexec.c
もうここで、unshare?unshare what?という気持ちになって、あー空のnamespaceを作成できるコマンドかと腑に落ちる暇もなくSudaさん。
ライブラリの実装と呼び出し方法について実際に処理を書いた人が、直直にケースごとのnamespace()の使い方の解説をするのだ。
こんなの後にも先にも一生聞けないだろう。聞き逃すまいと望んだが、MountNSの話は正直セキュリティ懸念があるのね、だから実装=サポートも積極的にされてないということしかわからなかった。
ファイル、ディレクトリ一つ一つのアクセス権限の付与をプロセスIDごと振り返る必要があって、それを高速にできるfsがsysfsという認識であってるのだろうか...自分でも何を言っているのかメモを見返しても呪文にしか読めない。
その後もsd_notifyをruncから呼んでいることに端を発したコンテナ起動待ち処理をどう実装するかという議論やら、某ベンダーさんによるruncをガチ運用している環境下でftraceを使ったデバッグの実演やらもうこの夜ここでしか聞けないような話ばかりで。
祭りが終わった後、ほとんどの人が帰らずに、会場となった台所みたいな食卓を囲んでフリートークを交わしていた。
Cloud Controller Managerを自社内向けに実装する話の相談をしていたり、先ほどの登壇者が同じPCの画面を前に肩を並べてruncのソースコードリーディングを始めたり好き勝手にしてる。
それは正直自分みたいに浅い知識を持った人には、RHTechExchangeで聞いた英語の雑談よりも遥かに遠い世界だった。
当時のF先生は教師になってからまだ1年目か2年目の若い男の先生だった。
F先生の自宅にはメガドライブがあったりだとか、F先生の作る学級便り(当時は手書きだった)がRPG風の物語として構成されていたりだとか、感性の若いF先生は、先生と言うより少し年上のお兄さんみたいな存在として特に男子生徒から慕われていた。
客観的に見て顔も爽やかなイケメンだったので、自分はてっきり女子もF先生のことを慕っているのだろうと勝手に思い込んでいた。しかし三学期の後半ごろだったか、ほとんどの女子がF先生のことを蛇蝎のごとく嫌っているらしいことを偶然知った。男子はみんなF先生のことが大好き。でも女子はみんなF先生のことが大嫌い。当時の自分には不思議に思えた。
今思えば、思い当たる節がないこともない。
F先生は授業中、生徒の集中力が途切れると、授業とは関係ないフリートークを始める事が時々あった。
これ自体はどの先生でもよくやることだと思うけど、F先生のフリートークには、なぜか性教育が含まれていた。
保健体育の授業でやるような内容を下ネタ風ではなく真面目に、算数や国語の時間に教えていた。
もしかしたらそういう事を要所要所で教えるガイドラインが小学校の先生にはあるのかもしれない。
しかし先生の教える性教育の中には、いくつか印象深い話があった。
・男性と女性が性行為をする事で卵子が受精し、子供が生まれる。ただし性行為を行わなくても子供が生まれるケースもある。
・女性は性的快感を感じると、いつもより身体が柔らかくなる。女性が股を大きく開いて性行為をするのは、この特性のお陰。
キリスト教的世界観でない限り、一つ目の話はおかしい。でも中学生くらいまでF先生の話を科学的な事実だと信じていた。
二つ目の話は、残念ながら自分には今でも事実なのかデマなのか分からない。そんな話F先生以外から聞いたことが無いが、女性の誰かに事実関係を問い合わせた事はなく、実験を試みたこともない。
冒頭でF先生の自宅にはメガドライブがあると書いたが、これはF先生の家にクラス全員で何班かに分かれて遊びに行くというイベントがあって知ったことだ。F先生の家にはゲームがたくさんあった。
推しの声優がやっているラジオが2本(どちらもそれぞれ別の相方と二人でやっている)あるんだけど、
もう片方もたまにつまらない回はあるけど番組スタッフ側がちゃんとしていて都度改善されているように感じる
その面白くないラジオは、他にも色々声優ラジオを手掛けている某番組制作会社のラジオの一つだけど、
基本的に方針として「キャストを泳がせてキャストのコンテンツ力で笑いを取る」みたいなところがあるように思える。
個人的な感覚としてはヘキサゴンがおバカタレントを売りにしていたのに近い。
おそらくその方針で大きく当たってしまった番組が数本続いたからそれでやっているんだろう。
基本二人とも真面目だからそれもまた空回っていてなんかもうただ疲れる
あと明らかに趣味とかが一致していないのでフリートークも掛け合いにならず、片方が喋ってもう片方が聞き役になって話が広がらない。
俺はダウンタウン信者だ。いつもダウンタウンを見ていた。フリートークが大好きだった人間だ。ガキ使のお便りコーナーより、まっちゃんが近況を話す前説の方が好きだ。
ところで、最近の松本人志が面白くない。オヤジギャグが多い。松本人志はオヤジギャグが好きと昔に語っていたが、最近のギャグは本当にただのつまらないオヤジギャグだ。
お笑いセンスがじいさんのそれになってる。結婚したから丸くなったというより、単純な加齢によるものだと思っている。なんか、昭和なのだ。今を生きていない。
じいさんの漫才やコントは笑えない。それはお笑いの技術が未発達だからと思っていた。しかし、若い娘はミニスカをはき、ババアはヒョウ柄のスカーフを身につけるように。若い娘はタピオカを飲み、ババアは錠剤を飲むように。年齢相応のお笑いがあるのかもしれない。