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2023-06-09

anond:20230609121930

フランス人権宣言(1789)

第4条 自由とは他者を害しないすべてをなしうるということである。したがって、すべての人の自然的権利行使は、同じ諸権利の享有を社会の他の構成員にも確保するということ以外には、限界をもたない。この限界は法によってのみ決定されうる。

2023-02-10

anond:20230210120011

フランス人権宣言

前文 

国民議会として構成されたフランス人民の代表者たちは、人の権利に対する無知忘却、または軽視が、公の不幸と政府の腐敗の唯一の原因であることを考慮し、人の譲りわたすことのできない神聖自然的権利を、厳粛な宣言において提示することを決意した。この宣言が、社会全体のすべての構成員に絶えず示され、かれらの権利と義務を不断に想起させるように。立法権および執行権の行為が、すべての政治制度目的とつねに比較されうることで一層尊重されるように。市民要求が、以後、簡潔で争いの余地のない原理に基づくことによって、つねに憲法の維持と万人の幸福に向かうように。こうして、国民議会は、最高存在の前に、かつ、その庇護のもとに、人および市民の以下の諸権利承認し、宣言する。

2022-07-16

anond:20220716143929

権力への警戒感は米仏革命でそんなに差はないと思う。

違うのは宗教のものというより、宗教代表される中間団体への警戒感だと思う。

信教の自由と、集会結社の自由は隣り合わせの概念だ。

フランス場合カトリックというのは国際的組織でもあるし、何しろ個人」というものを析出させるためにはキリスト教否定が急務だった(もっと政教分離自体20世紀に入ってからだが)。

例えばフランス人権宣言には「集会結社の自由」がない。

これが憲法に加わるのは20世紀に入ってからだった気がする。

一方の合衆国場合ピルグリムファーザー神話以上に、やはり開拓歴史からくる強烈な「自治志向があり(銃所持が「権利」と憲法に明記されるのもこの歴史あってのこと)、そこから中央政府に対してはまず分権的・州権的な立場存在する。

フランスに見られるような中間団体への警戒感は薄い。

銃所持が明記されたのと同じく、合衆国憲法制定からわずか4年後に修正1条で「宗教集会の自由」として制定されている。

ちなみに銃所持の権利修正第2条。

2022-06-15

anond:20220615143628

女性であるお前は自分自身の肉体を性的に見せることで、女性全体の尊厳毀損している!」と考える人は、少なくともリベラリストではない。

リベラリズム単位はまず個人で、個人には別の個人を害しない全てのことが認められる。

フランス人権宣言 第4条 

自由他人を害しないすべてのことをなしうることにある。

2021-12-24

anond:20211223171928

自分はたぶんどっちかというと死刑廃止派で、だけど自分の大切な人がむごい殺され方したら「犯人を殺したい」と思うはず、という人間です。


日本における死刑議論において、当然のように前提となっているのが「司法復讐の代行機関(たるべし)」という考え方です。


しかにそうであれば胸がスカッとするかもしれませんが、果たしてそうなのでしょうか?


結論から言うと、歴史的経緯からは「NO」です。このあたりの話はこちらのエントリがよくまとまっているので、一度読んでみてはどうでしょうか。

https://kihamu.hatenadiary.org/entry/20071206/p1

https://kihamu.hatenadiary.org/entry/20080707/p2

https://kihamu.hatenadiary.org/entry/20080816/p1


もう一つは、西洋における死刑歴史を紐解かなければいけません。


西洋に限らず、アニミズムに端を発する文化圏ではしばしば生贄という慣習がありました。

これは自然や不運という「命を奪いに来る制御しがたいもの」に対し、あらかじめ命をささげておくことでそれを鎮めるという狙いがありました。

なので、何らかの理由を持って定期的に人を殺害するというのは文化的には自然なことであり、その標的となるのは罪人や余所者であることが多いのも納得しやすいでしょう。


また西洋における近代法人権の考え方として、国家権力というもの暴走し、それを個人市民)がけん制しなければならないというものが基礎としてあります

フランス人権宣言以降、西洋の法というのは個人を縛るものであると同時に国家を縛るものでもあります


よって、西洋諸国家には国家あくまで法に則して虐殺恣意的死刑執行した歴史があり、その反省として死刑廃止トレンドになっているという経緯があります

日本でもたまに、政府高官不審死することがあるでしょう。あれも広義の国家権力暴走による死刑です。

冤罪だったらどうする」論もこの辺に含まれものと考えていいでしょう。つまり裁く側の権力が間違ってたらどうする?って話なわけです。


ここで困るのは、そうした西洋近代法の成立に通底する思想と、天下り的にそれを”輸入”した日本人の仇討ち感覚との間で、死刑けが異質なものとして浮き上がってしまっているのです。

刑法論には「応報刑論」と「目的刑論」というものがあり、簡単に言えば「刑罰犯人に同じだけの苦痛や損害を与える」というのが応報刑論で「刑罰でその犯罪を思いとどまらせる」というのが目的刑論です。


例えば次のような命題がそろっているなら、論理的に考えて死刑廃止に賛成する人がいてもおかしくないはずです。

・「司法歴史的に見て復讐を代行する機関として成立したものではない」

・「法律Hackして悪さをする権力者が出るかもしれない」

・「死刑があるからといって凶悪犯罪を思いとどまる奴は少ない」(目的刑論)


しかしこれは日本では受け入れられないでしょう。

司法歴史的に見て復讐を代行する機関として成立したものではない

 ⇒知らねーよ輸入したんだからこちとら150年前まで仇討ちやってたんだよ。

法律Hackして悪さをする権力者が出るかもしれない

 ⇒法律って市民が悪いことしないようにするもんじゃないの?

死刑があるからといって凶悪犯罪を思いとどまる奴は少ない

 ⇒でも犯人殺してすっきりしたいじゃん?(応報刑絶対正しいマン


これは日本人が法律に疎いと言っているのではないですよ。

日本には死刑廃止に至る十分なロジックがないということなのです。


私も親や配偶者子供を殺されたりレイプされたら、それ以上の苦痛を与えてやりたいと思う程度には俗な人間ですが、でもそれって俺の感情であって司法のあるべき姿とは限んないよな~とも思います

光市母子殺害事件なんかで遺族の男性が会見している風景テレビでよく見ていました。

非常に痛ましい事件ですが、あのあたりから「遺族の感情司法に反映すべき」みたいな意見が増えて、なんかモヤっとしていました。

そして裁判員制度までもを輸入した日本ですが、上のような議論を経ずに来ているので変なことになっているなと思います


「うるせぇ、俺は加害者殺して気持ちよくなるんじゃ!」とクールジャパン法整備をしてもそれはそれで結構なんですが、外国から「お前の国って法学無くなったん?w」って笑われるのがオチだと思います

2019-10-16

フランス人権宣言wwwww

お偉いさんの言葉を引っ張ってきて自分も賢くなったつもりかね、片腹痛い

anond:20191016230745

表現の自由が、誰かを害することがない限りという前提のもとであると考えます

フランス人権宣言が好きなので引用します。

自由とは、他人を害しないすべてのことをなしうることにある。したがって、各人の自然的権利行使は、社会の他の構成員にこれらと同一の権利享受を確保すること以外の限界をもたない。これらの限界は、法律によってでなければ定められない。」

2019-09-20

anond:20190920105823

やあ、フェミニズムを飯の種にしてる増田だよ。

まず最初に、こちフェミニスト業界では、昨今の性教育関連エントリの各所でのプチブームを、大変嬉しく思っていることをお伝えしておくよ。

本当は、性教育を語るには、セクシュアル・リプロダクティブ・ヘルスライツ(性と生殖に関する健康権利から入らなきゃいけないんだけど、ちゃんと書くとそれだけで元田が眠くなるくらいの長い記事になるので、ここでは簡単に触れるだけにするよ。

セクシュアル・リプロダクティブ・ヘルスライツ(SRHR)とは、男性女性も、それ以外の性別の人も、同性愛者も異性愛者もそれ以外の性指向の人も、とにかくあらゆる人が性(性欲を満たすこと。以下、セックスとしよう)や生殖子どもを産み育てること、以下、出産育児としよう)に関して自分意思を持つことが許され、その意思尊重され、セックス出産育児についてのやり方を自分で決めることができる権利のことだ。

例えば、親や親戚、近所の人に「あん長男なんだから、はよ結婚して子ども産みなさいよー」って言われて無理やり見合い結婚させられるのは、SRHRの侵害だ。逆に、結婚して子どもを産み育てたいのに、「あんたには家事介護をして欲しいか結婚は許さない」とか、望まない妊娠(これ自体がまずSRHRの侵害だ)をした時に、産もうと決心した女性を無理やり中絶させたり、逆に中絶しようと思った女性法律や説得で無理やり出産させるのはSRHRの侵害だ。

セックス出産に関する体の部品男性なら主にペニス女性なら主に子宮)の使い方、政治家さんの好きな言葉を流用するなら「子どもを産む機械」は、持ち主である男女が自分意思自由に使い道や使い方(使わないことも含めて)を決める権利だ、と言ってもいいかな。

純潔も、淫乱も、本人の好きにすればいい。ただし、他人迷惑をかけない(他人の道具を相手同意を得ずに使わない)ことが条件だよ。ってことね。あと、好きに使うためのメンテ性感染症の予防や、妊娠出産に伴う医療リスクの軽減)ができる環境が、全ての人に与えられなければならない、っていうのが、SHRHの考え方だ。

そんでね、性教育っていうのは、この権利について学ぶ、人権教育なんよ。

元田も、多分これを読んでくれる多くの人も、日本で育っていれば性教育っていうのはほとんど受けたことがないと思う。保健体育でちょこっと生殖の仕組みについてやったり、性感染症について学んだり、あと女性なら初潮が来る頃に生理について学んで生理用品のサンプルもらうくらいかな。

でも、実はこれは国際的に見るとかなり遅れている。

国際的に、って言ったな。うん、言った。

実は、ユネスコが「性教育国際的ガイドライン」を出してるんだ。英語フランス語中国語などはここで見れるよ(これは2018年改訂版初版2008年に出されている)

https://unesdoc.unesco.org/ark:/48223/pf0000260770

無料じゃないけど、日本語訳もあるよ。

https://www.akashi.co.jp/book/b297731.html

性教育は、「性の認知感情身体社会的な側面を学ぶこと」というのが、ユネスコ定義だよ。これは通称包括的性教育」と呼ばれる。

日本でやることは、あくま身体面の、生物学的な性(というか生殖)についての教育しかないんだよね。でも、「包括的性教育」では、自分他人の体の仕組みを学び、それに自信を持つことから他人尊重すること(ここには、シスヘテロでない少数派の人たちの多様性理解し、尊重することも含まれる)、自分他人感情理解尊重することなども含まれる。当然、セックスの前の合意確認の仕方や、嫌なら嫌と言っていい(むしろ言うべき)っていうことも教わる。

この手の問題になるとよく「セックス同意書ないと安心してセックスもできない」と言い出す人達がいるけど、その発言自体日本包括的性教育が欠けているということの証明になってるわけだね。(日本では性犯罪構成条件が難しすぎて現実的無罪になりやすい、というのは、それとはまた別の問題だ)

そう考えると、男子生理を含む「女性生殖器の特性について知ること」と、女子勃起射精を含む「男性生殖器の特性について知ること」は、表裏一体なんだ。

同時に、男女それぞれが自分生殖器について理解し、例えば男性なら「仮性包茎問題ない」とか、女性なら「生理の辛さには個人差があるから必要なら産婦人科に診てもらう」とか、知識を持ってきちんと自己管理することを学ぶのも、性教育の大切な意義だ。

さらにいうと、男女問わず子ども性的なパーツを触られた時に、「それは犯罪であり、拒否する/拒否できなかった(暴行された)時は、大人に報告するべきだ」という理解を持つことに持つことにもつながる。

実際のところ、未成年性的虐待っていうのは、当初は「子ども自身おかしいと気づけないから」表に出ないっていうことがすごく多い。たまたま性について学んだことがきっかけで、気づいて病院訪問するケースが、かなり多いそうだ。

さて、ユネスコ定義に戻ろう。性教育とは、「性の認知感情身体社会的な側面を学ぶこと」だったね。

元田のいう(1)は、「性の感情面の理解」という文脈に含まれる。これは明確だからいいよね。

(3)は、身体面と社会面になるかな。例えばテクノブレイク都市伝説だし、AV男優ペニスの形が違う(=包茎)も大抵は問題ないし、手マンは爪を切って手を洗ってからやらないと膣を傷つけて女性が大変なことになるし、潮吹きAV女優側が水とかいっぱい飲んで頑張って出してるもの普通は起きない。そういうことをきちんと知ったり、あとは「女性男性に従うもの、好きなら生でセックスさせて当然」みたいな社会的規範おかしいというのも、当然教える前提になる。

(4)は、身体面だね。マスターベーション普通だし、テクノブレイクなんて存在しないし、女性だってオナニーしていい。オナニーって言い方がなんかやだったらセルフプレジャーって言おう、みたいな。

(5)は、社会面認知面かな。恋愛工学なんて典型的認知の歪み(自己中心性バイアス投影バイアス、多集団同質性バイアスあたりか)に基づく行動原理だしね。

さて、問題は(2)なんだけど、これは典型的権利自由)に関する問題だ。

日本人は自由を「無制限に好き勝手する権利」と考えがちなんだけど、実は自由というのは、近代では「他人迷惑をかけない範囲で、自分の好き勝手をする権利バカなことも含む)」だと定義されている。フランス人権宣言第4条とか、ジョン・スチュアート・ミル自由論とかが、この辺の定義として著名なソースだね。

そこに基づいて考えると、「他人自由を害さなければ、好きにセックスしたりオナニーしたりしていい」し、逆に「他人自由を害するならば、セックスオナニーをしてはならない」ってことになる。

こういう部分は当然、包括的性教育にも含まれるわけだけど、それ以前に「社会生活をする人間としての常識」なんだよね。

たとえば私は「SRHRは最終的にはKKOインセルも救うことを目的としている」と思っているんだけど、それは「KKOインセルに彼らの望む可愛い恋人をあてがう」という形では実現し得ない。なぜなら、それは「恋人としてあてがわれる個人」の自由侵害してしまうからだ。他人自由侵害する自由は、存在しないのだ。

彼らを救うには、「モテないことが悪いことではない」という認知を全ての人が持つように働きかけることや、相手感情理解合意の取り方を知ることで交際入り口をなだらかにすること、同時に他人尊重し、断る権利・断られたら(少なくともその時は)諦める責任を腹落ちしてもらうこと、などが必要だろう。

これらは全部、包括的性教育カリキュラムに含まれものでもある。

包括的性教育は、男性の性欲を管理するだけのものでも、女性の性欲を解放するだけのものでもない。これまで、日本を含む多くの社会男性の性欲に寛容・女性の性欲に抑圧的であったがために、一見そう見えるけれども、本来は「あらゆる人が、自分セックス出産育児について、自分決断できるようなライフスキルを身につけること」なんだ。

から増田意識しているものは当然のように含まれるけれど一部でしかない、ということと、そういうことを教えるためのノウハウ欧米諸国を中心にすごく普及しているよ、ということを伝えたくて、長々と書いちゃったよ。

本当は日本女性のSRHR、特にヘルスではなくライツの部分が世界でもかなりやばい状況にあるとか、そういう話もしたいんだけど、若干オフトピックなので今回はぐっと我慢するよ。

2019-06-24

anond:20190624170841

フランス人権宣言(1789)では女性の権利をうたいもしないし、そこから作られた法律参政権は当然のように男性だけだったが、女性活動家権利要求運動をやりまくってたようなんだよね

女性および女性市民権利宣言」、確かオランプさんだったかな?捕まって処刑されたけど

現代の「法律上」問題ないって状況と、

女性たちが「権利が足りてない」って激しく運動している状況と、

上流層が「えっちなのはいけないっすよ」って言う状況

今になんか相似してる気がするね。

2019-06-16

anond:20190616182804

一連の増田が同一人物だったと仮定しての確認なんだけど

君の立場として、女性差別はどの時点で解消したって考えているか教えてもらえないだろうか?

原始女性は実に太陽であった、つまり古代からなかった。って立場だったりするのか

男女雇用均等法ができた時点だとか、日本国憲法が発布された時だとか、フランス人権宣言の時だとかさ。

2017-10-05

anond:20171005123329

立憲主義立脚した憲法」って恐らく「立憲的意味憲法」のことなんじゃない。

一般に「立憲的意味憲法」はフランス人権宣言を援用して「人権保障権力分立が定められている憲法」のことを言う。

この「人権保障権力分立が定められている」というのはつまり憲法による権力制限権利保障」を軸とする立憲主義に等しい。

普通現代において憲法と言えば立憲的意味憲法を言うわけで、例えば刑法典の名前憲法と変えても形式上憲法だけど実質上は憲法に分類されない。

結局のところ、立憲主義に基づいた憲法がなければ「権力制限権利保障」を成し遂げる具体法がないのだから立憲主義は成立しない。

要するに立憲主義が成立するには「権力制限権利保障を謳った立憲主義に基づく憲法存在」(1)し罰則が無い場合も多いので「その憲法政治家尊重擁護する」(2)という2点が必要

まり憲法について立憲的と言う場合は(1)に近く

”立憲的=立憲主義立脚した=「憲法権力制限権利保障を軸とするのだ」という思想に基づいて作られた(=立脚した)”

そして、人や政治方針について立憲的と言う場合は(2)に近く

”立憲的=憲法立脚した=立憲的憲法立脚した=「憲法権力制限権利保障を軸とするのだ」という思想に基づいて作られた(=立脚した)憲法尊重した(=に立脚した)”

という意味として使われる。

これは、政治制度について民主的と言う場合

民主的民主主義立脚した=民が決定権を握り行使するべきだという思想に基づいて運用される(=立脚した)”

そして、人や政治方針の実際行動について民主的と言う場合

民主的民主主義制度立脚した=民が決定権を握り行使するべきだという思想に基づいて運用される(=立脚した)制度尊重した(=に立脚した)”

というような意味としても捕えることができるのとほぼ同じパターンなんじゃね。

正直書いてて自分でも混乱してきたがな!

2017-05-23

憲法被害者の声を!肉球新党改憲派

日本国憲法には犯罪者である刑事被告人権利については大量に書かれているが犯罪被害者については一切かかれていない。

犯罪者人権蹂躙された被害者はどうやって権利回復すればよいのだ!

被害者人権救済を新しい日本国憲法記載すべきなのだ

現在憲法国家権力個人対立でのみで考えられている19世紀時代遅れ憲法なのだフランス人権宣言啓蒙主義のまま進化していない!

先進諸国憲法が細かく改正されているのは個人個人問題にも憲法規定しているかなのだ

日本21世紀にふさわしい日本国憲法に変えるべき時に来ているのだ!

日本時代遅れ憲法学者の言うことなんて聞かなくていい。意味がない。新しい時代にふさわしい憲法日本人の手で作るだ!

肉球新党改憲派】は訴える!憲法改正し、日本国憲法被害者の声を!

 
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