はてなキーワード: フォーカスとは
なぜそう思うかというと、女性の恋愛スタンスを考えると、まず受け身であるということだ。
待つということに意思の強さが関係するかもしれないが、彼女らは別に待つ必要もない。
もし、意志の強い女性がいるとすれば、この戦略に支障をきたすことになるだろう。
最初にアプローチしてきた男性を良く思い、待つ間に良い男性からアプローチされる可能性があり
それを意志の強さによって逃すことになるだろう。
男性は反対に良くアプローチしなくてはならない、それは意思の強さに関係してくる。
そう考えると、女性の漫画では、意思の強さは男性の漫画より弱くでる可能性がある。
もちろん、女性が男性を描くときに意思の強さを女性が持たないものとして描くのであれば、それは別であるが。
女性が漫画で伝えたいことがあると思うが、少年ジャンプでは昔から友情、努力、勝利と言われたと思う。
私は男性なので、基本的には男性向けの漫画を好んで読んでいるが、読んでいるなかでは、意思の強さを良好的に描いた漫画が多いように思う。
女性向けの漫画は、断片的にしか読んでいないので感覚で書くが、
意思の強さはあまり全面に出てこない。(というよりバトル漫画やファンタジー漫画がそもそも少ないように思うが。)
そこではつまりいかに決断すべきではないかということを長々と書いている。
男性が読めば、それは美徳ではないが、決断をしないための決断というのがループ構造で描かれる。
だがもちろん時間が進み、結果として何らかのストーリーが進行する。(それが良い結果か、悪い結果のどちらでもあっても、決断しないことによってもたらされたものだ。)
根本的な価値判断のレベルで、女性向け漫画は男性向け漫画と異なるのではないかということを思ったので書いている。
その中で、男性向け漫画は女性にも読まれるが、女性向け漫画は男性にはあまり好ましく読まれない。
(もちろん、女性に男性向け漫画が手放しで喜ばれているとは思っていないが。)
それは男性が思う美徳を、女性は美徳とは思わないという問題によるものではないかという点を想像したからだ。
ただその逆は成立しているのは、空想の世界であると認知するために使用されている可能性がある。
そう考えると、女性向け漫画にファンタジー作品の少なさにある可能性の方が高い。
何かが支障となって、意思の弱さをそのまま空想の世界に持っていけない。
女性向け漫画は受け身の漫画になってしまうため、ジャンルは考えないといけない。
時間によって外部との接触によって漫画が進行する作品が非常に相性が良さそうだ。その間はずっと主人公は決断できずにいるような漫画になる。
最終的な決断を私たちは待つことになるだろうが、女性向け漫画では恐らく決断しないことが最終回になり、それが良い漫画の証になるだろう。
(もちろんそれは打ち切りではない。男性から見えれば逃げであるが、女性から見れば完遂である。)
女性は恋愛については受け身の戦略をとるが、全てが受け身というわけではない。
衣食住については金を稼がなくてはいけない、子育てについてはもっと積極的にかかわる必要があるかもしれない。
そうなってくると意思の強さは美徳となっていくのかもしれない。
もちろん、これは反対にも言える、つまり何を美徳とするかは現時点でどのような境遇にいるか、どのように利益を享受しているかによってくる。
これらに悩み苦しむなかでふと「俺には気合が足りないのでは?」と思った。
そして辛いと思った瞬間には「気合いだ!」と叫ぶ(人前では心の中で叫ぶ)ようにした。
それ以来、仕事が忙しくても、体調が悪くても、女性に振られても、ハゲても、全て「気合いだ!」と叫んで何事もなかったように振る舞うことで乗り切れるようになった。
嫌われてた上司からも「人が変わった」って褒められて配置希望も聞き入れてもらえた。
大手と違い数年に一人認められるかどうかの社費留学も認められた。
気になった女性にガンガンアプローチして付き合えたし結婚もできた。
コロナ禍で生活が変わっても全く動じず社内のリモートワーク環境の構築を先導できた。
気合いの力は偉大。
気合いが否定され、スキルや効率性ばかりがフォーカスされる今の世の中で最も足りないのは気合いだと思う。
気合いがあれば全てを乗り越えられる。
あまりに憂鬱な話題ばかりなので成功事例をいくつか。最近の作品はあまり観てないので、全体に古いのは許して。最近の作品・小説原作・海外版とかは誰かにお任せ!
初回試写を観た藤子Fに、声に自信のなかった大山のぶ代が恐る恐る感想を訊いたら「ドラえもんってああいう声だったんですねぇ」と褒められたエピソードは有名。
もとひら了と芝山努監督の力量もあり、後期に絶妙なキャラ弄りや捻りを加えたオリジナルエピソードを連発した丸尾みほの脚本も最高。のび太の担任教師にフォーカスを当てた回まであった。
現在放送中の第2作第2期(わさドラ)はキャラを原作に過剰に寄せた作画、特にキャラの表情が個人的にはあざとく見えるが、声も含め原作や大山ドラへのリスペクトを感じるので、これは好みの問題。
なお、1973年に日本テレビ(日テレ)で放送された第1作については、藤子F(当時は藤本弘名義)が厳しく苦言を呈している。
アニメ化に使われた原作は〝てんコミ〟版全3巻が底本。実際には全40話ほど描かれていたが、アニメ放映時代にそれらは発掘されておらず、版元の小学館も把握してなかった。学年誌掲載の漫画原稿は雑に扱われる傾向にある。
長寿番組になったが、殆どがアニメオリジナルエピソード。多くの脚本家が手掛けたが、メインで書いてたのは、TVアニメ版サザエさんでの暴走が有名な雪室俊一。2ちゃん等では〝スノールーム〟と渾名が付けられるほど。
しかしファンの不安は杞憂に終わる。藤子Fもお気に入りで毎週楽しみに観ていた、というファンの間では有名な逸話もある。
〈TVアニメ(劇場版は割愛)/1986-1988/フジテレビ〉
初期は、高橋留美子の原作を丁寧に補完することに徹した。中期以降は原作にあった際どいネタを、アニメの方が自粛したこともあったが高橋は納得の上で快諾。
地上波ゴールデンタイムのアニメで「オナペット」という単語が使われたのは本作が最初で最後だろう(空飛ぶ飛行機の音を被せて聴こえにくくしてたが)。
脚本は3人がシーズンごとに交代。特に中期以降を脚色した回を量産した伊藤和典と高屋敷英夫の手腕が見事。伊藤は有名なので割愛するが、高屋敷も実力派。作品を検索すれば納得する筈。
ドラマ化に際し、原作・久住昌之が出した唯一の条件「音楽を担当させてくれ、そしてJASRACには登録しない」をテレ東が守った。
五郎役が発表され、原作ファンは不安しかなかったが蓋を開けたら……後は皆さんご存じの通り。
〈実写TVドラマ/2019、実写TVドラマS2/2023/テレビ東京〉
〈実写劇場版/2023/東宝(制作スタッフはTVシリーズと同じ)〉
個人的には、ここ数年で最も実写化に成功したレアケースだと思う。最近の作品なので詳細は割愛。
──────────
【追記。長文失礼!】
仕事で生活リズム崩れ中、寝る前にフワッと書いたのが起きたら伸びててビビった。炎上というのは、これに付いたブコメのような「他者から集まる意見」ほぼ全てが憎悪ってことだよね。そりゃ怖いわ。
だけど便乗というより、原作レ◯プ・クラッシャーの類例がここぞとばかり過去の怨恨と共に山ほど噴出してるので、せめて評判が良かった作品を思い出し、澱んだ気分に支配されぬようにと思ったのよ。
何だお前のオナニーかよ。そうかもね。それならほとんどの増田もブコメもSNSもオナ。
オリジナルも二次創作もオマージュも、それこそ映像化の監督脚本や役者による改変や解釈さえオナ要素はある。某漫画家が『シン・仮面ライダー』を「予算が潤沢な同人誌」と評してたけど、的を射てると思う。
定義ガバガバ、数が少なすぎ!ってのは自覚してる。個々の説明書いてたら眠くなっちゃったのよw
俺が藤子Fの原作・アニメ共に一番好きな『エスパー魔美』も入ってないし。実写ドラマは微妙だったけど。
成功の定義は、送り手も受け手も人それぞれ。視聴率や興行収入・作画や役者の評価・原作ファンからしても良改変という判断……。だからタイトルを
【〜成功した(とされる)〜】
という曖昧な書き方にした。それでもなお主観からは逃れられない。ドキュメンタリーと同じ。しかも今回はパッと思い付いただけの範囲。年代表記だけは調べたけど、あとは記憶で書いた。
「ドラマ面白かった!→原作読んでみよう→あれ何か違う?でも面白いな」
というケースもあるかもしれない。
コメに色んな意見や作品が溢れてて勉強になる。前述「魔美」みたいに、それ入れるの忘れてた!何で思い出せなかったんだよ俺!ってのも多く出てる。
何にせよ、一からオリジナルを作った原作者ってのは本当に凄いと改めて思ったよ。
書きたいことはまだあるけど、長くなるので一旦〆る。コメくれた皆、ありがとうね。
【追記ここまで】
あまりに憂鬱な話題ばかりなので成功事例をいくつか。最近の作品はあまり観てないので、全体に古いのは許して。最近の作品・小説原作・海外版とかは誰かにお任せ!
初回試写を観た藤子Fに、声に自信のなかった大山のぶ代が恐る恐る感想を訊いたら「ドラえもんってああいう声だったんですねぇ」と褒められたエピソードは有名。
もとひら了と芝山努監督の力量もあり、後期に絶妙なキャラ弄りや捻りを加えたオリジナルエピソードを連発した丸尾みほの脚本も最高。のび太の担任教師にフォーカスを当てた回まであった。
現在放送中の第2作第2期(わさドラ)はキャラを原作に過剰に寄せた作画、特にキャラの表情が個人的にはあざとく見えるが、声も含め原作や大山ドラへのリスペクトを感じるので、これは好みの問題。
なお、1973年に日本テレビ(日テレ)で放送された第1作については、藤子F(当時は藤本弘名義)が厳しく苦言を呈している。
アニメ化に使われた原作は〝てんコミ〟版全3巻が底本。実際には全40話ほど描かれていたが、アニメ放映時代にそれらは発掘されておらず、版元の小学館も把握してなかった。学年誌掲載の漫画原稿は雑に扱われる傾向にある。
長寿番組になったが、殆どがアニメオリジナルエピソード。多くの脚本家が手掛けたが、メインで書いてたのは、TVアニメ版サザエさんでの暴走が有名な雪室俊一。2ちゃん等では〝スノールーム〟と渾名が付けられるほど。
しかしファンの不安は杞憂に終わる。藤子Fもお気に入りで毎週楽しみに観ていた、というファンの間では有名な逸話もある。
〈TVアニメ(劇場版は割愛)/1986-1988/フジテレビ〉
初期は、高橋留美子の原作を丁寧に補完することに徹した。中期以降は原作にあった際どいネタを、アニメの方が自粛したこともあったが高橋は納得の上で快諾。
地上波ゴールデンタイムのアニメで「オナペット」という単語が使われたのは本作が最初で最後だろう(空飛ぶ飛行機の音を被せて聴こえにくくしてたが)。
脚本は3人がシーズンごとに交代。特に中期以降を脚色した回を量産した伊藤和典と高屋敷英夫の手腕が見事。伊藤は有名なので割愛するが、高屋敷も実力派。作品を検索すれば納得する筈。
ドラマ化に際し、原作・久住昌之が出した唯一の条件「音楽を担当させてくれ、そしてJASRACには登録しない」をテレ東が守った。
五郎役が発表され、原作ファンは不安しかなかったが蓋を開けたら……後は皆さんご存じの通り。
〈実写TVドラマ/2019、実写TVドラマS2/2023/テレビ東京〉
https://anond.hatelabo.jp/20240129120309
増田で引用されている某インフルエンサーはおそらくかなりの学歴厨で(何でこんなのがインフルエンサーなのか分からないけど)
こういうのは…その、本人は憎き暇空とやらに向かってだけ言ってるつもりなのかも知れないけど
同じ高校中退した立場の人間…例えば自分とかにも"刺さる"んだよね。棘の様な言葉が、グサグサと。
そこそこ良い偏差値の高校に合格して順風満帆だった筈が、運の悪い事にボス猿的な陰湿女がいて
私はそいつに目をつけられてイジメ抜かれて適応障害とチック症を発症して二年生に上がる前に中退する羽目になった。
途中から不登校になり、あれだけせめてクラスだけは別にしてくれって両親もお願いしたのに、普通に一緒のクラスにされてたからね。
「◯◯さんとは色々誤解がある様ですが仲良くして下さい」って…誤解があったらクラスにある事ない事噂流してハブる様に仕向けたり
私物をワザと壊されたり普通に盗まれたり奢りを強要させられて無理矢理連れて行かれたカラオケではパシリにさせられたり
タバスコぶっかけたジュースの一気飲みとか強要されても良いんだ?性的なイジメもされてるのにねって本当に理不尽で悔しかった。
さすがに心身ともに疲れ切って数ヶ月は引き籠もっていたけど、何であんな奴らの為に人生無茶苦茶にされなきゃいけないんだって思う様になって
元々成績は良かった方なので勉強をちゃんと頑張って高認に合格、現役でそれなりの大学に入った。
奇しくもインフルエンサーHの出身大学(GMARCH)よりも上位の大学であり、Hが煽りを繰り返す同じインフルエンサーHの経歴と(経緯は違うだろうけど)同様である。
大学は悪くないし余裕かと思ったが、就活の初期で馬鹿正直に高校中退と書いてしまい
面接には呼ばれるもののネチネチ中退の経緯を聞かれた挙げ句「やっぱり中退する様な人はねぇ…」などと圧迫ハラスメントも受ける羽目になった。
馬鹿正直に書いたのを後悔して以降は(多少心苦しかったものの)普通に高卒→◯◯大卒と書いて無事内定ゲット。
インフルエンサーHは同じく増田の引用元でバリキャリ女性の経歴を煽っていたりもしたけれど
基本的に社会人として仕事をしてからは「結果」の方を見られる。経歴とはあくまでも「経緯」でしか無いと痛感する。
(新卒の超優秀な学歴の人が使えない粗大ごみ扱いされて、実際仕事が出来ないので退職していく姿も目の当たりにしている)
しかし、中にはHの様に「経緯」をフォーカスしてその粗を殊更に弄り煽り中傷する人間が少なくない、のも事実だ。
増田やはてブの学歴厨なんかを見ていると本音の部分ではHみたいな人間が多いというのも同意してしまう
現在の結果だけ見ればHもMさんも大卒として社会で働きキャリアを形成していった社会人であり
色々言われている様に学歴の疑惑や卒業出来ない疑惑が事実ならただの高卒である。
そんな人間ですら、「経緯」に曇りがあると、その曇りを暴き立て唾を吐き踏みつけるのだから
少なくとも大学から知り合った友人にも、過去付き合った恋人にも、そして旦那にも話せていない。
一生心の闇の中に抱えて生きていくつもり。
松本人志が今日週刊文春に5億5千万の損害賠償訴訟を起こした。
裁判そのものは弁護士に手続きを任せるのだから、芸能活動をしながらでも大きな支障はないはずなのだが、休業宣言をした。
あえて休業を選んだ理由は、芸能界に最短で復帰するためなのではないかと思っている。
仮に休業しなかった場合、一部のレギュラー番組以外出演は叶わなくなるだろう。
活動を制限された状態に置かれ、下手したら実質休業状態になる恐れがある。
休業理由は「視聴者からのNo」ではなく「裁判に専念するため」に理由をすりかえることができる。
恐らく松本氏は最初から挨拶をするつもりだったのではないかと思う。
「高圧的にくるかと思ったら意外と自然体じゃん」
という視聴者からの好印象を稼ぎたい思惑があったのではないかと思う。
小賢しいと思うかも知れないが、テレビ視聴者はこういう小話やストーリーが大好物なので、
まぁ、世間からのNoが大きすぎて、小細工すら封じられてしまったのだが。
和解条件は非開示といういつもの煮え切らないオチになることはほぼ確定していて、
その後謝罪と謹慎がスタートする。が、謹慎もなにもすでに休業中なのである。
世間的には「裁判に専念なんて建前」という暗黙の決めつけがあるので、
期間のショートカットは軽く見積もって1、2年は稼げるんじゃなかろうか。
ワイドナショーに出演できていれば印象操作で更に1年くらいは乗ったかもしれない。
合わせ技で裁判終了即復帰ムードくらいは作れたんじゃないだろうか。
松本氏が一番恐れるのは芸能界から離れることでの影響力の低下で、
金銭的損失はさほど影響がないと考えているので、
この方を大雑把に「防災研究の第一人者」として、しかも御本人は「これから指摘することは、私の責任でもあります。」と述べているにもかかわらず見出しでは「初動に人災」「阪神の教訓ゼロ」とするのは、世論をミスリードしたい気持ちが見え見えで憤りを覚える。
記事を読んだとき、石川県の防災アドバイザーとしての自分自身の反省と読めたのでミスリードしているとは感じなかった。
室崎さん記事に対する一連の批判は、発災直後からの報道が、今回の地震津波の被害を想定外だとする世間の印象を色濃く反映しているように思える。
blueboy まったくトンチンカンだな。問題は初動でミスったことじゃない。初動のミスのあとで修正できなかったことだ。大量の一般車両が交通を渋滞させたのだから、車両の選別をして、渋滞を解消するべき。今も。
初動というのは、実のところ、災害時の緊急対応計画にかかれた想定シナリオ以外に動くのは難しい。発災直後の行政の状況というのは情報洪水であり、いちいち判断をしている人的・時間的な余裕はない。だからこそ計画が重要なのであり、初動は行政各部署が被害想定を部署別のタスクとして平素からいかに予習しているかにかかっているのだ。
したがって交通渋滞という点での初動のミスは、交通規制が計画にかかれていなかったことなのであって、あとで修正できたかどうかはほんとリーダーの資質によるという話でしかない。室崎さんの指摘は、現場での判断ミスではなく、計画の欠如という点にフォーカスしているということはまず抑えておきたい。そのうえで室崎さんは前例にないことが起こってしまったことに対する対処の提言をいろいろしている、というふうにみるべきじゃないかと思う。
例えば奥能登へは入らないように、としたが、石川県全体に入らないように受け止められたのではなかったか、もっと良い周知の仕方はなかったが、など。
と増田がいうように、情報発信に問題があったという指摘は重要だ。
石川県は能登方面への不要不急の移動は控えてといっているし、個人からの支援物資は、受け付けないといっているし、不通や片交だらけの道路で緊急車両の邪魔になるとわかって、一般車両の通行禁止が始まった、みたいなニュースもみる。こんな形で「やれないこと」ばかりを伝え、やれることを伝えない報道の仕方も、一般人にはできることはない、というムードを作っていると思う。この点では室崎さんの指摘に同意せざるを得ないと思ってる。
その一方で、増田が以下にいうように
ボランティアによる大渋滞は阪神・淡路大震災でも発生したが、それが大きな問題でありコントロールの必要があるとされたのは東日本大震災大震災以後。被災地に向かう車両に許可証を貼っていたのを覚えておられる方もいるだろうと思う。
これはその通りだと思う。また、数日前、鍵屋一さんもNHKで、一般の方々、今は待つときです、と強調していた。
しかし、では、肝心のボランティアのコントロールって、報道の側面ではどうですか。また行政はそれを明確に示してるだろうか。
どう活動すればいいか、があまり報道されないし、情報提供もされていないのが現状でしょう。
待つことばかりが印象づけられ、実際にいち早く現地入りして活動しているNPOなどもいるのにあまり報道されない。
1日の発生以来、自分がかつて泊まった宿などが心配で、関心を強く持っている一部地域の宿やお店などのSNSをずっとチェックし続けていたのだが、
一週間くらいすると、XXNPOの支援を受けて頑張ってます!みたいな投稿がちらほらみられ始めた。
なかには、発災から驚くべき速さで準備を整え、現地入りし、ニーズ調査を開始、物資を届けているNPOもあった。世の中には山岳救助なみの準備が必要とされそうな事態でも迅速に駆けつけるNPOがいると知ったのは個人的には希望だった。実績の多い「震災がつなぐ全国ネットワーク」や「RSY」だ。また被災者SNSで偶然「MAKE HAPPY」という団体を初めて知ったが、世の中、いざ鎌倉みたいに駆け付けられる団体がけっこうあることを心強く思った。
これらの活動はたまたま能登半島の特定の被災者(以前、北陸旅行で宿泊したことのある宿や酒蔵)に関心をよせていたから知りえたのであって、報道だけをみていたらわからないことだった。能登町や穴水町などで数多くのNPO支援団体の活躍が聞かれる一方で、奥能登まではまだまだ悪路でごくわずかの団体しかいけていない、という具合に、どのあたりに今現状、支援が進んでいるか、全く進んでいないかのぼんやりとしたイメージがみえてくる。
苦しんでいる被災者を目の前にして、「道路が渋滞するから控えて」ではなく、「公の活動を補完するために万難を排して来て下さい」と言うべきでした。
という室崎さんの考えは、災害対応のコントロールという観点からは暴論にみえるかもしれないが、一理あると個人的には思っている。情緒的な言い方をすれば、公けではない活動による突破、ブレイクスルーの側面を信じているし、実際そのインパクトは無視できない。
いや、むしろ日本の防災の理念というのは、法律上も公けというのは、自助、共助を補完するものなので、公助が整うまで待てという理屈は実はいびつだ。
ただ、室崎さんが指摘している処方箋が筋が悪いという指摘も確かだ。例えば
どんな被災地にも、スタンドプレーのように目立とうとする迷惑なボランティアはいます。そういう人たちに向けて、ブレーキとしてのメッセージが必要なのは分かります。
しかし、今回は「控える」の一色になったことで、被災者にとても厳しい結果を招いたと思います。交通渋滞の問題ならば、例えば緊急援助の迷惑にならない道をボランティアラインとして示す方法もあったのではないか、と思います。
というとき、このボランティアラインというのが、どうにもその場の思いつきっぽく響いてくるのも確かだ。
かりにも室崎さんが防災アドバイザーであったのなら、すでに計画の中において方法論が確立され、いざというときに判断をしなくていいように、ボランティアのコントロールを行政のタスクとして、緊急対応計画のタイムスケジュール表に記載すべきだったと思う。それを例示としてしか示せないのは計画性の欠如だと思える。
そもそも、阪神の教訓というのは、発災直後の、行政部署別の個々のさまざまなタスクのタイムラインがなんらかの被害想定をもとに明確に決まっていなかったから初動が遅れた、という問題意識だったはずだ。目標管理型のタスク管理、これが阪神以来、災害関連死が問題となった中越を経て、東日本・熊本へとずっと教訓として積み上げられてきたはず。膨大な情報洪水で忙殺される発災後のリーダーシップには限界がある。現場の判断に時間をとられ過ぎてはいけない。だからこそ、刻々と変化する現場のニーズに翻弄される前に、計画において予め想定する事態(ニーズ)とタスクと何日後までに達成するという目標を明確にする、というノウハウが蓄積されてきた。例えば避難場所のトイレ整備ひとつとっても、発注から目標個数まで細かいスケジュールをあらかじめ想定しているのが防災計画だ。
室崎さんが、インタビュー記事の数日前、自身のSNSで以下のような提言をしているのは、まさにそういうところだ。
支援あるいは復興では、「残心補填」で先を見ながら必要な資源の事前確保をはかることがかかせません。救命救助のニーズが一段落した段階で、大量の消防隊が1週間後の今になって投入されているが、後手に回っている典型例です。今、何をしなければならないのか、3日後に何をしなければならないのかを考えて、必要な人材や資源を早めに送り込まなければなりません。孤立を解消する活動、震災関連死を防ぐ対応、瓦礫撤去整理の活動、被害事態を明らかにする活動、住宅再建に向けた判定と相談業務などが急がれます。
この段階で、「一般」の定義が上から目線でされているのが気になるのですが、「緊急部隊の邪魔になるので、一般支援者やボランティアお断り」というメッセージが、声高に叫ばれています。その結果として、劣悪な避難所の支援や隅々まで物資を届ける活動が疎かになり、再建や復興の相談に乗ることも疎かになっています。ようやく、昨日から自衛隊の食事の提供が始まりましたが、避難所のケアや被災者の相談を自衛隊や消防隊にしていただけるのならいいのですが、・・。
保健衛生、瓦礫撤去、物資配送、被災相談などの対応をはかるには、経験や技能を持った専門的ボランティアを積極的かつ戦略的に受け入れる必要があります。いまこそ緊急援助隊のみ優先の発想を切り替える必要があります。
この点では、初動の遅れ、というのは計画が必要なタスクを想定不足だった、ということだ。緊急対応計画の不備という問題に跳ね返ってくる。
室崎さんが阪神の教訓がゼロになった、と自省するとき、それは室崎さんが指摘する初動における情報収集体制のみならず、ボランティア活動のコントロールについて計画面での想定の甘さも検証される必要があるのだろうと思う。しかしながら、指摘されていることは至極真っ当なことだし、経験に裏打ちされたことばかりだ。
しかし、問題は室崎さんの自省として書かれたからどうだとか、室崎さんが第一人者かそうでないか、なんてことではない。
死ぬほどどうでもいいことだ、と思っている。ああこれはないな、とおもうところはあっても室崎さんの言葉から光るエッセンスをくみ取れば十分なんだよ。
これはいいけど、なんとなく入力が反映されてない気がすることがある。
そこで一旦フォーカスを外そうとデスクトップをクリックしてみる。
すると全ウインドウが隠れるからもう1回デスクトップをクリックして戻す。
鬱陶しい。
設定でデスクトップクリックでウインドウが隠れないようにはしたけど、
余計な機能つけたなという感じがする。
新年だし新しいことでも始めてみようかと思ってる君たちへ贈る
https://zebrack-comic.shueisha.co.jp/title/243
自律型囲碁ロボットが1/5囲碁の日から、高島屋、囲碁サロン樹林で先行予約開始
https://twitter.com/SRobot90498/status/1740263218130682256
棋士も自分の対局日をよしろーさんのTwitterから知ることもあるのだとか
https://twitter.com/yoshiro_kaba
囲碁の別名
信長・秀吉・家康に仕え信長より名人の称号を授かる。本能寺の変で信長の首を算砂が持ち出した説もある
最高が7段だった時代に実力13段と言われた。現代でも歴代最強の声もある棋士。段位制度の開祖
秀策がよく打っていた「秀策のコスミ」は、江戸時代と違ってコミのある現代碁ではぬるいとされ廃れていたがAIによって評価され復権した。
秀策曰く「この先どんなに碁が変化しても碁盤が19路である限りこの手が悪手になることはないだろう」
家元制の本因坊としての最後の跡目本因坊。終身名人制の最後の名人。
当時世界最強棋士・李昌鎬との意見会で李昌鎬含めアマチュアが見ても、どう見ても白のほうが良さそうに見える場面、李昌鎬が「黒は投了レベル」とまで言った局面を「黒のほうがいい」と断言。
33年経ったいまAIにかけてみるとたしかに藤沢秀行の感覚が優れていたことが判明した。
https://youtu.be/KRnedlmloqo?t=1964
中韓棋士を熱心に育成したため、中国には藤沢秀行記念館がある。
読売新聞が中国から連れてきた天才棋士。読売の嘱託棋士として紙面の対局企画で日本棋院棋士たちを次々と破った。
木谷實とともに「新布石」を生み、それまでの碁を一変させた。
棋戦中継
韓国の囲碁チャンネル。仲邑菫の対局は今後こっちで見れるようになる
1月2日~4日には🇯🇵仲邑菫(14)VS🇨🇳呉依銘(17)VS🇰🇷金恩持(16)の日中韓天才少女対決の新春特別企画が行われた
https://www.youtube.com/watch?v=qhz7ix0nGgo
藤沢里菜がタイトル挑戦常連の余を破りベスト8まで進んでいる、ベスト4になれば女性初
実は現代は囲碁の歴史上かつてないほど覚えやすい環境が揃っている
普通の囲碁(日本ルール)を覚えるならこれがオススメ。無料で広告もなし
なんとこのアプリ、開発費2000万を囲碁篤志家の全額負担によって作られた
https://www.asahi.com/articles/DA3S15626082.html
囲う囲わないという言葉に混乱してる人は純碁から入るのがいい。
囲碁は純碁の石で埋める過程を省略しているだけだというのがわかる
結構しんどかった
いわゆる携帯小説のたぐいだった
太平洋戦争の時代へタイムスリップして特攻隊員に恋する話なんだけど
あとヒロインの性格や悩みも良くわかんなかったし、どう惚れたのかもよくわかんなかった、男の方はちょっと不気味だった
それでも若者には受けてるみたいなので、俺が間違ってるんだろうなと思った
多くの違和感の正体は、原作が小説であり、主人公が中2であるためだった(映画では18歳、女優は25歳)
主人公の発言が言ってしまえば幼稚なんだ、偏差値35の女子高生ならこんなかな?とも思うが、設定では頭がいいことになっていたので違和感がすごかった
元が中2なら納得だ
もしこれがちゃんと中2主人公で、戦時下の難しい話や価値観の違いは脇に置いといて、愛にフォーカスを当てた文章がイラスト付きであったら、しっくり来る内容だと思う
あと展開の改変も多かったようだ
小説の方では波乱があり、盛り上がる場所もあるようだが、映画ではごっそりだ
(一応ネタバレはしないが、あらすじをちょっと調べるだけでだいぶ削ぎ落とされたことがわかる)
でも実際若者には受けているようなので、そのチューニングは正しいのかもしれない、わからないけど
個人的にはちゃんと原作通りの内容をアニメかなんかでやったら泣けたと思う
ところで、ゴジラ-1.0でも正直戦中戦後の描写は微妙だなとか、邦画特有の臭さとか、偽物感とかあったんだけど
ゴジラが出てきて全部ぶっ壊しちゃうから、「ああこれはファンタジーだ」と割り切れた面があると思う
ショックだったのは、若者にとってアレが不気味の谷ではないということで
つまり太平洋戦争というものが、ナーロッパや時代劇のような、ディティールを誰も知らないファンタジー舞台に近づいたということだ
例えばアニメ「薬屋のひとりごと」ではファンタジー中華が舞台なわけだが、アレは私にとって不気味の谷ではない
Z世代、α世代にとって戦中というものもそうなっていってるということなんだろう
むしろ制作者がそれを見越して若者向けにチューニングしているんだとすれば、それはそれですごいなと称賛するところかもしれない
(ちなみに小説とは展開が違うが、漫画とは近いらしいので、チューニングした人は漫画の編集かもしれない)
___
それにしてもゴジラでも感じたけど、今回もすごく舞台用の構成に見えた
あの子昔から艶がありすぎるから、助けてくれる男が下心あるようにしか見えなくなるんだよ
あと棒立ちで話すシーンが多すぎたんだけどこれは元が小説だからだよね
もう少し動きをつけられなかったのかな
あと軍用の食堂という設定なのにメインメンバー以外が全然出てこないの違和感あるしもったいない
たぶんこれも小説で描かれてなかったからだろうけど(それか予算不足か)
先に何人かが特攻に行ってしまう描写があるだけで結構違うのにな
親との喧嘩の内容が雑すぎ
なんで親と和解できたのかも謎
「溺れた子を助けて亡くなったお父さん」のフックも回収してなくてモヤモヤした
違うなら違うでいいが、じゃあどんな闇よ(二度目)
闇と深みは違うということが書きたいだけの横増ならそこだけにフォーカスするけど
闇は光を定義できないと書けないんだね
"未だ生を知らず、焉くんぞ死を知らん" (まだ生についてよくわかっていないのに、どうして死のことがわかろうか)
と同じ話なのでフツーに深い話ですね
幽遊白書の実写が許せなかった
Netflixで配信されている幽遊白書を見たが、許せない点が複数あった。
実写のネタバレを含むので注意。
1点目はたった5話(約250分)で終わっているところ。そりゃあんな出来になりますわ。
私が漫画を読んでいて感じた桑原は、器用ではなく色男でもなく間抜けで、決して強くはないが、
それでも妖怪に立ち向かい友達思いで泥臭く熱い男である。簡単に言うと単純で真っ直ぐだ。
実写ではなんかカッコいい見た目で見せ場が微妙でモブかよと思ってしまった。※演じている人が悪いとは全く思わない。配役と脚本考えろよと思った。
いやいや、桑原1人で幽遊白書の実写が許せないとかと思う人がいるのも分かる。
私の中の幽遊白書は浦飯幽助、桑原和真、蔵馬、飛影の4人で完成している。誰一人欠けてもあの名作は生まれなかった。
浦飯幽助は伝え方は下手くそだか、うちの思いは熱い真っ直ぐ人。The 主人公なので良くも悪くも個性はあんまりない。
蔵馬は女性っぽい見た目でイケメンでクールで頭も良い。志尊淳という、その人がいたか!と納得させてくれる配役で、妖狐も私的には似合っていた。
飛影は子供っぽい一面もあり、中二臭いカッコ良さで自己中心。本郷奏多も合っていた。欲を言えばもう少し中二臭さが欲しかったが前述した5話で終わるのを考えると仕方ないかなとは思った。
そして桑原である。前述の3人に足りていないおバカでカッコ良くない点を補うキャラだ。
カッコ良くはないが、その真っ直ぐさがカッコいいキャラ。浦飯も頭は良くないがおバカではないと思っている。
実写では不器用なところだけフォーカスされて、おバカでもなく、なんかカッコいい、そして見せ場も微妙。
なんで5話にした!!!なんで桑原を中途半端にした!!!蔵馬、飛影だけじゃないんだぞ!桑原いてこそ主人公含めて際立つんだよ!!!
5話で戸愚呂編を無理矢理終わらせようとしたのは何でだよ。
幽遊白書で一番面白い部分の戸愚呂編が序盤を入れて5話で終わると思った人は何なんだ?金が無かったのか?
Netflixで実写化した今際の国のアリスはめっちゃ面白くて、2部作で合計16話(約880分)もあった。
漫画で今際の国のアリスは18巻。幽遊白書は19巻。戸愚呂編完結までは13巻。
なんで13巻が5話で終わると思ったんだよ!5話で面白さ伝えられると思ったんだよ!実写の最後らへんの氷泪石のくだりも雑なんだよ。ちゃんと伏線だせよ、出さないならなんだよあれ。
何回も読み直した好きな漫画だけに凄くあの出来は悲しいよ。しかも配役も悪くない。
見る前は戸愚呂弟(綾野剛)は微妙かと思ったけど、大きくなるのを上手く表現できる配役だったし、なにより綾野剛が合っていた。ごめん。
5話で終わらせられると思った奴、まじで許せない。5話なら配役良くてもあんな出来になるだろ、凄く悲しい。
ちなみに今際の国のアリスは漫画は見ていない。実写(Netfilx)だけ見た。それでも面白かった。幽遊白書も実写だけならおもろいのかな。
みんなも見てくれ、そして私の悲しさを感じてくれ。違うと感じたなら、違うと反論してくれ。
一応カスタム命令に人となりとかビッグファイブの情報とか入力済みではあったんだけど。
自分自身を表現する信念って漠然とは考えてたんだけど、大昔にちょろっと考えたっきりメンテナンスしないで適当に適当にしてたもんだから、久しぶりに考えてみようって思った。
話の始まりとしてはChatGPTに「他人の目を気にせず自由に過ごすためにはどうしたらいい?」って気軽に聞いたことだった。
特に何も考えないで、いつもみたいに思いついたことを適当に打ち込んだんだよ。そしたら「自分の信念に従っていれば自身を持って行動できる」とかいう眩しい回答をぶつけられたもんだから、信念、信念ってなんだろう?振り返らないこと?みたいな気持ちになった。
こういう流れの中で信念を考えて決まりました。『平衡・調和・革新』に決まりました。おめでとう。
なんかふわふわしてた精神のフォーカスが言語による縛りによって、ビシッと成立した、ブレがなくなったような、芯が一本貫いたような、シャッキリポンな気分になったので、オヌヌメ。
言っておくが横断歩道は名前こそ「歩道」とついているが歩道ではない。車道だ(もし横断歩道が交通法規上も歩道だったなら、車はすべての横断歩道の手前で一時停止する義務がある。が、もろちんそんなことをする車はいないし、しなくても違反にはならない)。横断歩道のあるエリアは、本来は車道だが歩行者の便宜と安全のために横断してもいい場所を定めているにすぎない、そういう場所なのだ。歩行者が好きなように使っていい場所ではない。まずそこをわきまえてほしい。
上のブクマカのような者(や、それにスターをつけているような者)は、交通の安全と便宜のために設けられている保護義務や優先関係を「優遇」と履き違えて、あるいは勝手に都合よく解釈して図に乗っているが、勘違いも甚だしくまことに愚かしいことである。度し難い。
いつから保護される側が偉くなった? たとえば大人は子供を保護しなければいけないが、それは子供が偉いからではない。子供が弱いからだ。強い者が弱い者を保護するのは当然のことだから車は歩行者を保護しているのだ。
たまに弱者であることを笠に着て役所でえばり散らしている社会的弱者を見ることがあるが、上のブクマカも同類だ。社会的弱者だろうが交通弱者だろうが、与えられているのは正当な保護を受ける権利だけであって、怒鳴ったり威張ったり迷惑をかけたりする権利までは与えられていないのだ。保護されるべき場面以外ではお互い様だということをしっかりと理解するべきだ。
いつから優先される側が偉くなった? 交通法規や交通規制における優先関係は、単に優先関係を明確化するために設定されている。進行方向が交差する時にどちらが譲り・どちらが進むかを当事者同士にその場で判断させると危ないから、ケース別に優先順位を決めてあるに過ぎない。偉い人が優先されているわけではない。
たとえば狭い山道の対面通行ですれ違いが難しい時は、登り側が優先とされている。これは再発進が難しいほうを優先としているだけで、上に向かっている人が偉いからではない。
こういった交通秩序も理解できずに「歩行者は偉い」などという傲慢な勘違いに到達してしまうやつがいるから、いつまでたっても交通事故が減らない。
データを探せばわかると思うが、自動車対歩行者の交通事故の原因は、横断歩道上で実に3割、横断歩道ではないところでは7割の事故について歩行者側に法令違反がある。しかし、結局賠償を負わされるのは自動車のほうだ。過失相殺で減額があったとしても差し引きすれば自動車側の賠償額のほうがどうしたって大きくなるからだ。いい迷惑である。
歩行者も自動車も、道路という公共の共有物をひとつのルールの元でシェアしているという点で立場はイーブンだ。
ルールでは保護の義務と優先順位が冷徹に定められているだけで、そこには「自動車ふぜいは歩行者様に楯突くな、かしずけ」などという歩尊車卑の考え方はない。横断歩道では車側に歩行者を保護する義務があるだけで、歩行者側には「渡る」以外には何の権利も与えられていない。好きなだけ待たせていいわけでもなければ、交差点の円滑な通行を故意に妨げていいわけでもない。むしろ、暗黙のうちにおのおのにできる範囲でさっさと渡り切ることが求められている。
都合が悪いからか完全にスルーされた箇所を再掲。可能であれば回答してほしい。
原文ではフィラーを除くと「Colaboの皆様を含め、もっと言えば、視聴者の方全員に対して、大変申し訳なかった」となっている。その後、Colabo側に頭を下げている。(が、増田の引用文では何故か、「もっと言えば」が削除されている)
以上から、通常人の理解であれば、まず関係者たるColaboへの謝罪があり、次に視聴者全般への謝罪もある、という順序関係があることがわかる。
元増田はおそらく敢えて「もっと言えば」の部分を削って引用(悪く言えば、都合良く改変)しており、Colabo個別に謝罪の意図があったというフォーカスを消している。意図的にやったのでないなら訂正すべきと思う。
動画の17:52、仁藤氏の「今回は謝罪に来ていただくということでしたので」に対して、NHKセンター長はマイクが拾うくらいには大きな声で「うん、うん」と相槌。否定する様子はなく、その後間髪入れずに取材対応と謝罪に繋げている。説明しかしないのであればこの時点で、いえ、すみませんが、などと断りを入れたりできたはずだが、そうはしていない。さらに謝罪を強要されることもなく、お互い(譲り合って?)黙った後にNHKセンター長の方から謝罪を始めているので、やはりNHKは説明だけしたかったのに謝罪を強要されたのだ、とするのはかなり無理があると思う。
ブコメでは主にColabo擁護者が「NHKは謝罪して当然」としていたが、当のNHKにはそのつもりはなかったのかもしれない。
取材に全面的に協力して貰ったけれど、放映できなかったからその説明に訪問した、というスタンスだったのであろう。そもそも相手側は直接の被害者ですら無いのだし。
Colaboには協力してもらったが放映できず、無駄な労力を使わせてしまった、程度の「謝罪」の意思ならあるかもしれないが。その点で一般視聴者と違い、個別に説明に訪問するのは不思議ではない。
説明と言っていたから謝罪ではない、なのか、説明とは言っていたけれど迷惑かけてごめんねくらいの謝罪の意思はあった、なのか、どちらかはっきりしてほしい。
Colaboには協力してもらったが放映できず、無駄な労力を使わせてしまった、程度の「謝罪」の意思ならあるかもしれないが。その点で一般視聴者と違い、個別に説明に訪問するのは不思議ではない。
これはそれこそ多くの暇アノンが指摘していたことだが、取材に協力したけれど放送されず無駄な労力を使わせてしまった件はマスコミ界隈では死ぬほど発生している。その際、マスコミはいちいち「説明」にすら伺ったりしない。せいぜい電話があるくらいである。なので、Colaboにわざわざ説明に行った今回事案は明らかにColaboを特別扱いしている。
この点、元増田はColaboと一般視聴者を同じレベルとしており、それこそ何故一般視聴者である元増田の家には説明に来ないのかの説明がつかない。
以上から、一般常識に照らせば、NHKセンター長はColabo個別に謝罪の意思があり、それは単に迷惑をかけただけでなく、前代未聞の内部犯による情報流出の当事者としてしまったことに対する謝罪であると解するのが自然と思う。
原文ではフィラーを除くと「Colaboの皆様を含め、もっと言えば、視聴者の方全員に対して、大変申し訳なかった」となっている。その後、Colabo側に頭を下げている。
以上から、通常人の理解であれば、まず関係者たるColaboへの謝罪があり、次に視聴者全般への謝罪もある、という順序関係があることがわかる。
元増田はおそらく敢えて「もっと言えば」の部分を削って引用(悪く言えば、都合良く改変)しており、Colabo個別に謝罪の意図があったというフォーカスを消している。意図的にやったのでないなら訂正すべきと思う。
そも、「説明」か「謝罪」であるかは傍に置くとして、NHKは視聴者である元増田の家にも私の家にも「説明」に来ず、一方でColaboにはわざわざ対面個別で「説明」に行き「謝罪」したわけであるから、その意味でもNHKはColaboと一般視聴者を同列に見ていて特に前者に謝罪したわけではないのだと強弁するのは厳しい。なぜその一点に拘泥するのかも理解し難い。
報道史に残るレベルのこの不祥事でわざわざ個別「説明」に行くレベルの関係者に「説明」だけして「謝罪」はしない、というのは一般的なコンプライアンス感覚からすると考えづらいが、どうか。
一方で、NHK側が自身が取材されることを事前に聞いていないように見えるのは映像や発言から明らかで、この点は私も報道当初と受ける印象は変わった。
俺も去年くらいまでは鍋したいけど一緒にしてくれる人もいないしな~なんて思っていた。
しかし今年の俺は違う。ぼっち鍋の楽しさを知ってこの冬。全開で鍋を楽しんでいる。
楽しんでいるっていうかもはや週3鍋である。
ぼっち鍋はいいぞ、俺のぼっち鍋最高生活は無印良品の「深型ホットプレート」を手に入れる事から始まった。
まあ別にこの商品じゃなくてそれっぽいホットプレートとかコンパクトな卓上カセットコンロでもOKだ。
大事なのは鍋本体のサイズ感だ。これが大きすぎるとなんていうか、切ない気持ちになりやすい。
なのでここは徹底して「一人分にちょうどいい大きさ」の器具を用意することが望ましい。
俺は以前ならぼっちで鍋したい時は大きめの鍋に3~4人分とか作って何食かに分けて食べたりしてた。
これはこれでコスパは良いんだが正直ちょっとした侘しさみたいなのも感じていた。
しかし明らかにお一人用ですよねこのサイズは、って鍋でやると、急に粋な感じがしてくるのだ。
だから「寒いし、一人用の鍋をちゃちゃっとね」みたいなノリでいけるのがベストだ。
実際、そういう需要があるから色んな家電メーカーがコンパクトなカセットコンロやホットプレートを出している。
ただ俺はそういう商品がたくさん生まれてるのを全然知らなかったので、無印のそれを見た瞬間「ああ、求めていたのはこれなんだ!」とちょっとした衝撃を受けた。
なんかとても人気商品らしくレビュー動画とかもたくさん上がってたわ。でも確かに良い商品だと思う。とにかくサイズ感がちょ~~ど良いのだ。
デザインもシンプルで主張が少ないのも良い。ほんと気分的な話なんだけど「別にはりきって鍋とかしないっすよ、ちょこっとあったまりたいくらいなのよ」
みたいなムードにピッタリ合うのだ。あと個人的にカセットコンロはなんかあんまり好きじゃないってのもあるけど。
なんのスキルも下準備もいらない。野菜とか切る手間があるじゃないかって?それくらいは大したことないだろう。
いや、それすらも面倒くさい人もいるだろう。人によっては包丁、ないわ家、みたいな人だって珍しくはない。
でも大丈夫だ最近は便利なもんがある、最寄りのスーパーでも100円ローソンでもいい、カット野菜の鍋用のやつが売っている。
それと食べたい肉のパックでも買うだけで、もはや包丁いらず、スーパーの袋からダイレクトに鍋にぶちこめばいいのだ。
スープだって選び放題だ。ただここはひとつ難を言えば、レトルトパックで売ってるスープはだいたい2~3人前とか3~4人前の容量で売られてるものが多い。
余った分を保存もできるが、お財布と相談しながらキューブタイプのと使い切りのやつなんかも検討しよう。
しかし実のところ、鍋ってのは粉末の鶏ガラスープの元とか、めんつゆとか、なんかそういうので適当に薄味つけるだけでも全然美味しいのだ。
具材が勝手に旨味を出してくれるので、ぶっちゃけそれだけでも旨い。
鍋系の定番レシピのひとつである白菜と豚バラのミルフィーユ鍋とか、白菜と豚バラから出る味だけでも旨いのでスープなんてほんと薄味の塩っけとかだけでもいける。
まあでもとりあえずスーパーとかで色んな種類のが選べるからまずはそのへんでお手軽にやればいいのだ。
ちなみに俺はそういう鍋用のスープとかはちょっと味が濃い場合が多いし量的に保存が面倒なので、各種調味料も徐々に増えていってはいる。
塩胡椒、鶏ガラスープ、味の素、めんつゆ、この辺だけでもあっという間に美味しい寄せ鍋はできる。あと個人的にはごま油とかあるといいと思う。ぐっと香り立って最高に旨くなる。
定番のキムチ、チゲ鍋なんかもいいな。こっち系はもやしとの相性がいいので安いもやしでかさ増しできるのも良いですよね。
あとだ、ぼっち鍋は卓上でコンパクトに調理できるんで、しゃぶしゃぶなんかにもピッタリだ。
一人で自堕落にだらだら食べるしゃぶしゃぶとか最高だぞ。くつくつ湧いてる鍋に食べたいもんなんでもくぐらせて、のんびり晩酌できるぞ。
でもって、さんざん楽しんだ最後に麺なりご飯なりぶちこんでの雑炊だ。米も麺も適当なパックやつでいい、コンビニのおにぎりなんかもいいね。
煮込まれた色んな具材から出た出汁が染み込んだ麺や米の味は、思わず笑ってしまうくらい旨いよな。
コンビニ飯?Uber?高い高い。鍋ならアレンジし放題だし安くすませられてしかもめちゃくちゃ旨いんだぞ。
鍋にフォーカスしたが当然焼肉してもいいしラーメン作ってもいい。とにかくコンパクトに卓上で使える機材さえあれば可能性は一気に広がる。