はてなキーワード: ファスト風土とは
離島とか山陰あたりの漁村とか行くと風景が根本から違うよな。誰かが賢しらにデザインしたのではない、生活上の要請から出来上がった建築様式。カッコつけた言い方だと「ヴァナキュラーな意匠」とか言ったりする。
基本的に第一次産業しかなく、つまりみんな同じ暮し方で、同じ材料と技術で作られることによる統一感。美しい。
そういう辺境に残るヴァナキュラは、ほんの少し前までは日本中にあった。
それがメーカーハウスやロードサイドの吉牛やブッコフの看板の「ファスト風土」に塗りつぶされてしまった。けしからん。残念だ。……みたいなことをいう「専門家」がいて、その浅薄な論をさらに単純化した俗論に行政や一部一般ピープルが踊る昨今だ。
土地ごとの伝統や個性を大事にしようとかいって京都ではローソンのカラーをシブくしたり倉敷では公共建築をやたらなまこ壁柄にしたりする。そんなの単なるハリボテだよね。
「生活上の要請による様式」を、生活が変わったのに形だけ保存することには意味がない。
ベッドタウンやロードサイドの光景だってリアルな人々の暮らしの反映であって、見方によれば美しいとすら言える。
さらに言えばベッドタウンや団地自体がいまや高度成長時代の歴史遺産になりつつある。
消えつつあるものだ。
風景は人の都合でどんどん移ろうものだし、どのように変わってもそれは基本的に「いいもの」だ。人間の暮らしがそこにある限りは。鳥の巣やアリの巣がどっかおもしろいように人の巣はおもしろいし、正しい風景とか間違った風景なんかないんだよ。
その気になれば東京に行ける距離ではあっても、よっぽど発達のいい子供か、親が上手く動機づけしてくれるかじゃないと行けないんだよな。「東京がそこにある」ということを認識できないから。元増田は俺よりもずいぶん精神の発達が早かったようで、郊外の家しかない街が嫌なんだと自己認識して東京に行ってみたりバイトしてみたり色々したのは凄いことだな。
俺は自分が郊外を嫌だと感じていることすら大人になるまで認識できなかった。ただずっと言語化できない何かを渇望していただけだった。言語化できていなかったから、色々やってみてそれなりに文化的な体験をしたりもしたけど、本質にたどり着くのには随分時間がかかった。
「ファスト風土」で有名な三浦展の「首都圏大予測」という本の中に書かれていることを読んだときに俺は膝を打った。
“純粋な戸建て住宅地は異物を排除しがちである。静かな環境を求めてきた住民は、住むこと以外の生活を住宅地に入れたがらない。静かに音楽を聴いて、読書をして、食事をして、寝て、という家族だけの平穏な暮らしを乱されたくないと考え、むしろ家庭を外の社会から隔絶させることを大事にするからだ。”
これだ。俺が生まれ育った郊外の住民はこういう連中だった。俺の実家は戸建ではなくニュータウン系のマンションだったが、全く同じだった。それぞれがそれぞれの「家庭を置く場所」としての街を求めているだけで、それ以上に何も求めていなかったんだ。だから家庭以外の商売や活動は、住民がそれを求めていないのでビジネスとして成立させることができず潰れる。せいぜい子供関係の集まりくらいだ。それもお仕着せのようなテンプレートな子ども会みたいなものだけだった。取り敢えず型通りやっとけばいいだろという感じだった。今ほど情報が行き渡ってない時代だったので、仕方がなかった面もあるだろうけど。
郊外にもショッピングモールができて十分便利だろとか、銀座にダイソーがあるくらいなんだから東京だって大して変わらんとかコメントがついているが、全くそういうことではないと思う。そういった通り一遍の「生活」以外の要素が存在する余地のあることが重要なんだ。郊外にはそれがない。やればできなくはないが、住民がそれを求めていないので広がっていかない。彼らは庭付一戸建て(あるいは柏の葉やおおたかの森や海浜幕張の駅近マンションや豊洲・晴海のタワマン)に住んで公園とイオンモールに行ければそれで十分満たされていて、そこに渇望はないのだ。彼らの子供たちには渇望があるだろうが、子供なのでかつての元増田や俺のようにどうしていいのか分からず燻るだけだ。
「都市の会社に勤めて郊外の閑静な住宅街に住み自然豊かな環境で伸び伸びと子供を育てる」というのは高度成長期から平成に掛けての「物語」だったのだろうと思う。社会が拡大していく時代はそれで良かったんだろう。「都市」が拡大し「郊外」を取り込んでいくという期待があったから。
でも現代ではもうその「物語」は終わってしまった。人口は減っていくことが確実になり、拡大の期待に依存することはもはやできなくなった。これからは集積の時代になると思う。人口が減っていくからこそ人々が寄り集まり、スケールメリットを活かしつつ新しいものを生み出していかなければならないと思う。集積を都市に任せ、互いに隔絶された「家庭」の集まりとしての「郊外」を存在させておく余裕は無くなっていくのではないか。家庭も生活も仕事も文化も全てが一体となって存在する、かつての下町のような社会になっていかなければならないのではないか。何より、俺が生まれ育った千葉のニュータウンのような街なんかより、その方が面白みがあって楽しいからね。
そう思って俺は都心に狭いマンションを買ったよ。千葉には帰りません。
不思議なのはさ、例えばアメリカは「大いなる田舎」と呼ばれているように、NYCなどのごく一部を除いて、日本人にも名の知れてる街でもまあ田舎なんだけど、ある程度の街はちゃんと街ごとに文化があって小さくても面白みがあるんだよね。Googleがあるマウンテンビューとかさ。街のサイズとしては多摩より遥かに小さいし大した歴史もないんだけど、住宅だけじゃない文化がある。歴史がないゆえに(スタンフォード大学を除いて)新しいものばかりだけどね。だから東京の郊外の街も原理的にはできるはずなんだよ。でも現実にそうなっていないのは、やっぱり住民の価値観のせいなんだと思う。そこが嫌。
↓
・デートにはコードがあるのでそれをきちんと守れないと嘲笑の対象です。
↓
↓
どれだけハードルあるの?って思うよ。
1「異性と意志の疎通が取れる・相手のことを考えて行動出来る」という人でも
2「デートコードを踏まえてスマートなエスコートが出来る」で引っ掛かるって人が少なくない数居る。
バルだのなんだの自分が普段行きもしない店を調べて予約するという嘘くさいツクリをするのも限界がある。
食事なんて気の置けない男同士の雑談か仕事の会食しかしたことないのに
ほぼ初対面の異性をエスコートして話を繋げなんていきなり言われても無理に決まってるし
それを80点以上でこなせなければ相手に内心失望嘲笑されて意地が悪ければ吹聴される。
無理だ。
そもそもとして
その文化圏に属してない非モテからすると実はあんまり同意出来ない。
けれども世間の人は2を大事にして2で威嚇してマウンティングして参入障壁敷いて
その結果相当数のスマートでない男を交流の場から排除したし機会は毀損されたと思う。
言い方は悪いけど田舎のなんとか風土の人達がみんな結婚してるのは
デートの行き先に選択肢が少ないので定番や相場が完全に固定していて
拡張性は乏しい代わりに相場さえ守ってれば馬鹿にされないからではないか。
都心部に住んでいてある程度収入や選択肢があるとかえってデートコードは難解になる。
自分の周りは30代後半に入り半分が結婚してるけど半分はもう結構しなさそう。
結婚できた奴はコミケで知り合ったとか出会いが先にあって相手が厳しくデートコードを要求しないでくれたケースばっかり。
死ね!
みんな何度も失敗するんだよ。何十年経っても時折思い出しては「うがー!」と奇声をあげるような失敗をね。だけどそれは赤の他人と寄り添い共に歩んで行くためには必要な学びなんだ。 11 clicks
ああ、こういうしばき上げ主義ね
非婚少子化が問題なのはわかるけどちょっと待ってくれと言いたい。結婚すべきでない人間が周りの空気や圧力により結婚してしまうという不幸もあるだろうし社会全体より個人を重視した場合その不幸の方が問題だと思う
わかります
都市部(というか東京)なら、シティホテルのランチで問題ないと思うのだが、なんかまずいのかな。ニューオータニのサツキでカツカレー食べながら、安倍首相を退陣させなければならない理由を二時間話せばバッチリ。
冗談はともかく最近はいきなり政治の話振ってくる人が多くてびびる 俺がノンポリじゃなかったらどうする気なんだ
これは友達というより自分の話をするけどそもそも飯屋に興味が無い人間もいる
バブル期のアッシー君、ミツグ君等が加速させ、バブル崩壊以降「失敗が許されない」雰囲気で、より厳しくなった感がある。「女性の我が儘全部叶えろ」的な? 低コスト女性がいいんだが、そんなものはいないw
こういうのは脳の社会性を司る部位である前頭葉が大きく発達する思春期に、トライ&エラーをして経験値を積むのが一番だと個人的には思うんで、
死ね!
ねー
そういうのいっぱいあったのになかった風にいうのずるいよねー
4℃って何かすらわかんないけど
もんじゃや居酒屋は払うお金に対するお料理のクオリティが低いと思うことが多くて余り楽しめない、トイアンナ氏と正反対な自分。フレンチはコスパいいとこがいいよ
自分も友達もわりとお金は余裕があるコスパは何でもいいんだけどこういう個々人のこだわりでひそかに不満ポイントためられてると思うとどこまでもめんどくさい
こういう増田にはそういうこと書く人ばっかり集まってくるけどさー
失敗したら終わりみたいな空気やメンタルのほうが問題な気がする。恋愛強者とされる人も最初は全員初心者。失敗以上の教科書ない。人間関係全般同じで相手が異性かは関係ないと思う。
なんでデートが出来ないっていうと人格的な説教されなきゃいけないんだろうね
あーこの人下手に出るとすかさずマウントする人だなとかそういうのはちゃんと見る
はあ いいですね
目的に出来るほどデートに興味ある人は普通にデートするんじゃ無いかな
サイゼリヤでも松屋でも会話が楽しかったらまた会いたいと思う。流行りのバルなんかは会話がつまんなくても内装と盛付けで間が持つのはあるかも。
面白い会話がしたいなら友達に会うか、趣味なんかで新しい誰かを開拓して会うしさ
私は五右衛門でもサイゼでも吉野家でも何ならコンビニでおにぎりとお茶買って立ち話でも問題ないよ。34歳非正規雇用女だけどね…
34歳非正規は全然かまわないんだけどなんかあんたもしんどそうだね
お互い頑張ろうな
失敗に学べと言うけど、チャンスそのものが少ない(努力によって増やせない)人間にとっては「今の1回」をどうしても失敗したくないんだよな。
もっとカスで申し訳ないけどそこまで興味が無いジャンルで何度も失敗して学べって言われるのはしんどい
仕事とか趣味ならいくらでも苦労も努力もするけど興味もなくルールもよくわからない世界はしんどい
ほんこれ
礼節を持って好きな相手と好きなところに行って、縁の有無を判断すればOK。デートコードなんてものはないし、それで評価する人間を相手にする必要はない
「礼節を持って」←わかる 「好きな相手と好きなところに行って」←どうやって?
まあそれは同感
よっぽど高負担か非常時なコードでもない限り、叩いてる人は嫉妬してんのかやらない自分を正当化してんのかよくわからないのばっかりだったと記憶してるが。あれに怯んで作らない、って本当にいるのか?
よっ お貴族様
辛いよね
どんだけ「バカにされる」ということを恐れてるんだよ…。自分が、そういうデートコードがどうこうとか言うの読んだだけで、行きたいとこ聞くことすら出来てないのに相手を馬鹿にしてるからそんな発想になるんだろ
あなたがバカにされても応えない人で、すぐ「相手を馬鹿にしてるからそんなんだ」と気軽に人を攻撃できる一なのだけはわかった
強くてうらやましい
異性に求めるデートコードとかデートに対する文句は守ろうとするとロクなことがない。異性(特に女)のアドバイスは聞くべきじゃない。
そこまでなってくると何がなにやら
「相手に聞け」「聞くとろくな事がない」
ちょっと特別感を出すぐらいでちょうどいいから、普段使う食事+1000円くらいの客単価の店に行けばまあいいんじゃね。普段松屋なら五右衛門カプリチョーザでドンピシャだ
えー 居酒屋?
私みたいに悪い方の百戦錬磨になると、逆にスマートなエスコートができる人は地雷なのでNGってなってくる。小手先の技術に惑わされちゃいかん。男女問わず好きな人とデートをするなら、単純に相手を思いやればいい。
こういうのって一見いいこと言ってる風のとこからワンステップで「お前らは相手を思いやることが出来ない」みたいに言って来るから身構えるよね
多かれ少なかれ接待じゃない?
今思ったけど営業の人は仕事の感覚でやればいいだけなんだろうな
どこ行きたい?何食べたい?って聞いちゃう。答えにこまってる相手は、そもそも「オレというオトコと一緒に行動したいとは思っていない」んだろうなと、基本諦めたよ。
真面目にかっけー
そうかなあ
そもそもの疑問で、デートって初対面の人とするの? 好きな人とするんじゃないの? 好きな人なら喜ばせたいし相手の好みに合わせたくならないの?
それなんだけどさ、
「喜ばせたい」と「俺との飯に誘う」って根本的に矛盾してない?
うん
アスペまでいかんでも「そんなこといわれてもなあ」って人は結構いっぱい居ると思う
(俺の周囲に似たのが固まり過ぎてるだけか?)
そういうのを真に受けるような人間が「お金がないと結婚できない」も真に受けてる傾向はあるのである意味真かなあ。作られた消費慣例を真に受けて地獄の餓鬼になった人達を見ると価値観を委ねる事の恐ろしさがわかる
自分は普段そういうの気にかけてなくても、相手が居ることはねえ
結局は、どうすれば相手が喜んでくれるかを考えれるしかない。それが相手のお気に召さないのであれば、そりゃご縁がなかったんだ。
具体的には?
デートコードというより抽象的にいうとマスコミやネットメディア筆頭に無価値感や恐怖感を煽る情報が多く流通して、失敗・リスクを感じさせて心理的ハードルを上げまくってる面がないとはいわない。
そういうのはずっとあったよね
女に恥をかかせちゃいけないけど男は恥かいて成長しなきゃならないのね。なるほどね。
しんどいよね
『デートコード』が何たるものかが分からないのは、男も女も同じやと思うで。むしろそうした『典型的な恋愛像』みたいなものが衰退したことが非婚化を進めたんじゃないのかな。
ね
こういう話すると「お前らは特殊事例」って感じで鼻息荒くマウントしてくる人が必ず要るけど
そんなこと気にする人に会ったことないので実際どのくらい存在するのか疑問……と思ったが「好きな作家が百田尚樹だったらその時点で無理」みたいな人は複数思い当たるので文化圏の違いか
百田尚樹なんて読んだことないけど好きあらば政治の話する人嫌い
リアルでも増えてる気がするんだよなあこういう人
俺が反対陣営だったらどうする気なんだ
僕のぬえのような表情を勝手に「こいつは同陣営に違いないな」と読み取ってるのか
ね
うちの嫁はすき家とかラーメン屋とか行ったことないので連れてくと喜んでたよ。そういうローコストな女を探せ、と言いたいところだが、いい店行き飽きてるのでここぞというところでハッタリ効かなくて寂しい。
なぷさくさんの隙あらば自分語り嫌いじゃないよ
リアルでも上機嫌で自慢話する人って実は付き合いやすいんだよね
人の話ばっかするよりいい人なこと多い
なんかそれはそれでやらしい話になって行くよね…
私、人間て自由恋愛捨てて生きるのが一つの生存戦略だったんじゃないかと思ってるわ。自由恋愛には闘争が付き物だから身内で殺し合わない様に恋愛をしなくなったんじゃないかって。
関係ないよ。結婚する気があるかないかだけだよw デートをたくさんしている男女の方が婚期をのがして、根気がなくなると、結婚したくてもできないんだなぁw 結婚したいなら、先に結婚顔しておけば?w
どんな顔だよ
相手に気に入られようとするんじゃなくて自分のデートコースで「ええやん」ってなってくれる女に出会えるといいよね、私ももんじゃ焼きとか居酒屋派だからフレンチとか初デートだとビクつく。
ケッ
性淘汰ってやつ
それ言い出したらそもそもデートの必要あるのけ? って前から疑問なんだよなあ
そういう人が居たとして、自分の企画したデートという物に自分の人格は反映されてないと思うので
それを喜んでくれた相手というのは付け焼刃を喜んでくれた人なわけで
まあ別にそこに異存や不満は無いんだけど
正直人の好みって物にそこまで価値を見出せないのはある
だよね
アプローチの初手でとりあえず食事に誘えとか言ってる連中は本当にゴミなんだよなあ。洒落た店には気の置けない相手と行きたい。お見合いみたいな空気出してるテーブルとか痛すぎて視界に入れたくない
割とハイアークラスの女性の方々、自分のコミュニティ以外の出会いの場だと少々のミスや違いでも許さんよ。普通の階層の方だとそれなりに許容してくれるけど。
まあハイアークラスの女性に興味があるわけじゃないんですけどね
デートコードとやらに文句言ってる人は実際にコードで弾かれた経験をしたのではなくネット記事を見て恐れおののいてるだけだろう。誰だってデートでの失敗の1つや2つあるのに完璧なデートをしなきゃと思い込んでる。
ああうんざり
消しました
狂気のゲリラ的バブル型住宅高騰が発生している横浜市は、地価の高騰が社会問題になっている川崎市と隣接している。その川崎市に隣接しているのが東京都。再開発&地上げラッシュが起きている地域だ。通常では考えられない問題が、奇しくも同時期に、近所で起きている。
都市部と地方の格差拡大問題はすでに多くの人に取り上げられてきたが、ここにきて、大きな問題として浮上しているのが、都市問題である。見えてくるのは「負のバブル化する東京圏」という問題だ。
東京圏というと、日本の中心とか、観光地のすがすがしさや、文化情緒などをイメージするものだ。そしてそういう豊かさもあれば自然も文化もあるような、勝ち組の豊富さにひかれた人々が集まった結果日本国民の20%が住む人口の規模に発展を成し遂げたのも事実だ。
ところが、そういう魅力のあった時代は、どれも2011年より前に偏っている。東京都内だって、2012年以降はハッキリ言って無機質な再開発が進むだけで、池袋にせよあるいは下町の極北として知られる23区東部にせよ、その時代は昔に偏っている。
東京圏には街ごとの序列意識がある。実際には、地価も安く店舗や交通網の多い郊外や下町地域の方が住むにはいい場所で、むしろ山手線の内側や中央線沿線の西側は治安リスクとインフラ事情の貧弱さによる問題や何より高齢化の問題を抱えているのだが、東京圏はとにかくそのような事情を無視するのである。
私は2011年以降を「東京圏の黒い時代」と名付けている。都市圏との境目までは延々と個性ある光景が広がる。境界線から都市側に行くと、ある段階で急にその流れが終わる。神奈川県を抜けたら、山手線周辺に入ったら、埼玉県や千葉県を抜けたら、急に、歴史ある土地柄とは思えないファスト的風景や無機質な風景になるのである。
地域性がハッキリしているのが日本の都市とは言われている。阿佐ヶ谷や亀戸のように、駅名だけでイメージがつく。八王子なら高尾山の風光明媚さ、立川なら公園みたいに。しかし、東日本大震災以降の、「東京圏の黒い時代」は、はっきり言って、似たり寄ったりのものが増え続けているのである。
私は東海道線で横浜から東京に行くたびに、電車を降りて駅を出て歩いたときに見かけるあの「同じ都市風景」に、思うことがあった。赤羽でも、秋葉原でも、新小岩でも、渋谷でも、練馬でも、そして東京都の外の川崎や横浜でさえも、既視感のある風景。特別な理由があるわけでもないのに妙に没個性化していて膨大な人や金が凝縮される感じ。
「たまたま職場に近かったから」「たまたま学校に出やすいから」「たまたま住みやすい家があるから」「たまたま生活に便利だから」という、都会人の生活に至る中継点としての、半端な利便性、関係性を抜きにすればあまり成立しないところに、いびつな成長を遂げた姿があるのである。
こういう場所で、このような社会問題が連鎖して起きているということが、私にはとても気がかりなのである。昭和の裏社会もののようなイメージもあるバブル期ではなく、アベノミクス時代の方が実は事態が深刻で、市民が悲鳴を上げていて、頻繁にクローズアップされる現実は、日本人として見過ごせない。
大阪などよりは景気がよく、おまけに賃金水準が日本でもトップクラスで、多様性もある。その代割り、それ以上の価値はあまりないという場所に生きる日本人たちは、いったいどのような意識を形成するのだろうか。私とその家族も、あなたたちも、ほぼ同じ環境にいるはずだ。
しかし、2010年代くらいになると、地方にしかなかったファスト風土的光景が一気に都市部に広がり、凝ったチェーン店や文化はより高次のニーズを満たす街中のそれらに客を奪われる形で潰れ、貧困の高齢化、多文化共生などのあおりを受け、都市部の繁栄の広がりは陰りをみせてきた。
オタクだったら池袋と秋葉原の関係。池袋の方が本来は規模が小さいが、力をつけている池袋側のオタク文化に歴史や多様性以外なにもない秋葉原は負けてしまう。オタク系企業も西に移っている。そして西側の方が多様化が進んでいて成長が著しい。結果秋葉原文化は6年ちょっとでどうなったか。もう、電気街さえ。
じゃあ池袋がいいかというと、多摩地域と同じで一定のインフラ群はあっても、妙にひっそりしていて、千葉の都市部をもっとオーラを悪くした感じなのである。昭和時代に無機質に造成された建物がくすんでいる。人口も減りかけているだろう。
限られた都会の極地以外は、過去のように「勝手に集まって勝手に増えて勝手にぎわう」流れは通用しないでいる。とにかく輝きといえるような流れも何一つない。
しかし、大阪と違うのは外からの「東京圏は人口が最も多く、資源に富んでいて、日本の中では一番豊かで洗練されていて上等な部類に位置している」というイメージはあるということで、やはりギャップに葛藤するのである。不都合な現実、分断、ゆるやかな荒廃。こういうのを一番痛感するのが私たちだ。
でもこの「東京圏の黒い時代」にこそ、社会の急激な流れを感じる人が多い。現在では過酷なセクハラが常態化し「セクハラされた男社会4ね」という女性の叫びがネット上に飛び交う。
この「東京圏の負のバブル化」を本気で考えなければいけないのが、今の東京圏の現状だと思う。これらの場所がオーラを改善させ、2000年代までのような自・他ともに認める固有の性質を各地が確立でき、いびつな偏りのない競争が起きるくらいまで調整する役割を、私たちは放棄してはいけない。
私はとっくの昔にSNSのまとめで私鉄嫌いを(事実上ではあるが)ほぼ全面撤回した。だから、私鉄含めて鉄道は左程嫌っていない。
しかし、最近の一般市民による日本の民営公共交通、特にいわゆる「私鉄」に対するバッシングは理解できるよ。
だいたい、私鉄なんぞ昭和の終わることにはとっくの昔に公営化できた。しかし、日本人はそれをしなかった。
何故だろうか?それは、私鉄が事実上の特権産業になっていたからだ。
東京でも郊外の片隅に行くと、私鉄地本が根強かった時代の名残が残っている。
例えを言えば都市開発。現在でも東京の都心を少し離れただけで、私鉄資本の都市開発地域が残っている。
当時は、私鉄線とその会社が同一の建物しか建っていなくて、地方よりもむしろ私鉄社会の郊外のほうが、この地域には○○資本の店がないという地域が多かった。
2000年代までは私の住んでいた地域(2014年に一身上の都合で引っ越したが、引越し距離がたったの1km強なので住んでいるでもかまわないと思うが)も身近にその風土が残っていた。
しかし、2010年代になるとその流れが止まる。理由は言うまでもなく、近頃の新設鉄道は第三セクターが主流になったからだ。
理由を考えてみたが簡単だった。公共交通は公共の財産であり、最大限その利益が公共に還元されるべきという社会意識が高まったからだ。
新自由主義が経済に浸透すると、私鉄社会の根強い郊外にも外資系やファスト風土系列の建物が進出するようになり、音を立てて私鉄と一体化した郊外の風景は崩壊していった。
最近は、よく訳のわからない事故が多くなり、東京あたりでも鉄道以外の公共交通利用などが増えているらしい。
それに、私は最近の安い有料駐車場や有料駐輪場の増加について疑問を抱いていたが、その謎が解けた。
余った土地を有効活用しようというのが一番わかりやすい回答だが、やはり最も現実的なものは、最近駐車場や駐輪場の需要が増えたかららしい。
話を聞くに、鉄道交通が(定時率の低下で)あまりにも使い物にならないために、バスの交通機関にもあふれた人間が車やバイクや自転車を使うようになったというのが多数なのだが、私はその真相を知らない。
いずれにせよ、嘗ては街の誇りでもあった私鉄社会が今では街の恥さらしとして認識されつつあることは間違いがないだろう。
自分のベスト100選んで、「またかよ」って思われそうなタイトル抜いたらいいぐらいの数になったので書くよ。
※試し読みとかあるのはできるだけリンク貼ったよ。
・ぷらせぼくらぶ(1巻完結)
http://sol-comics.shogakukan.co.jp/solc_dtl?isbn=9784091886385
大橋博之のアシスタントをしてた奥田亜紀子のデビュー作。題材としては『桐島、部活やめるってよ』的なスクールカースト。
主人公であだ名が「毒まんじゅう」の岡ちゃんと、イケてる「向こう側」の人とのなんとも言い難い関わりを、綺麗なトーンワークで描いている。
「自分で始まり自分で終わる岡ちゃんの恋は、クライマックス以外のバリエーションが無い」という掴みから引き込まれてしまう。
・ケンガイ(3巻完結)
http://sol-comics.shogakukan.co.jp/solc_dtl?isbn=9784091847904
レンタルビデオ屋を舞台にした、フラグの全く立たないラブストーリー(仮)。
主人公で普通のイケメン・伊賀君が惚れたのは、映画を観ること以外のことに興味を持てない、バイト内で「圏外女」と言われてしまうような白川さん。
自分も映画観て勉強したり努力するんだけど、一緒に映画観てても全然いい雰囲気になる気配はなく。
好きな人に映画のチケットあげたら「伊賀くんはあたしを買収して何がしたいの?」「SEXですか?」「します?」って死んだ目で言われるの、キツすぎる。
あと、この漫画読むと映画観たくなる。(自分は『エレファント・マン』を観た)
・たまりば(2巻完結)
http://maoh.dengeki.com/tamapon/
「溜まり場」である「多摩リバー」を舞台に、女子高生・美和とアラサー会社員・ハルオの恋を描いた作品。
女子高生の「青春」をいい年こいた人間が奪っていいものか、という問いかけ。
これをヘビーに味付けすると緑のルーペ『こいのことば』になるのかなあ。
・さきくさの咲く頃(1巻完結)
http://www.poco2.jp/comic/sakikusa/
『ぼくらのへんたい』でプチブレイクしたふみふみこの、奈良に暮らす幼馴染3人の不器用な関係を描いた作品。
ビターな恋愛。ふみふみこはセリフに無駄がなくて、感情をえぐり取るのが上手い。
https://viewer.yondemill.jp/?cid=1196&u0=3
『椿荘101号室』でハマったウラモトユウコの作品。高野文子っぽいタッチのいい線を描く。
本作は女性の身体のパーツに関するオムニバスで、個人的には『キミの脚』という話が好み。
フェティシズムを刺激される。↑の試し読み読んでほしいんだけど、服を脱ぐ描写にこだわりを感じる。
ほんとにいい線だ。
http://mag.kawade.co.jp/mama/pdf/%E3%83%9E%E3%83%9E%E4%BA%BA1-1x.pdf
自分が子育て経験ないもので、端から端まで目から鱗、というか自分の想像しようのない部分を埋めてくれた。
同作者の『母がしんどい』も秀作。
・誰も懲りない(1巻完結)
https://note.mu/nakamuraching/n/n5680094105e2
『羣青』の中村珍作品。一見「理想的」な家庭の裏で何が起こっていたか。
どこまでが実話なんだろう?となるほど、表現がリアルで肉薄してくる。
ほんと誰も懲りなくてどうしようもねえな、とタイトル通りの感想。
読んだら1日は活力奪われるほど重くて苦しい。
http://www.shodensha.co.jp/sayonaragirlfriend/
(こんなちゃんとした特設サイトあるぐらいには期待作だった)
今年初めに出たばっかりの新鋭の作品。山内マリコの『ここは退屈迎えに来て』が好きな人はぜひ読んでほしい。
いわゆるファスト風土の話。
自分が地方出身都会住まいなこともあって、作品全体を覆う閉塞感のようなものにすごくシンパシーを感じた。
・宇宙を駆けるよだか(2巻続刊)
http://www.s-manga.net/omf/omf_978-4-08-845351-4.html
美人で性格もいい主人公と、ブスで性格の悪い同級生の身体が入れ替わってしまう。
設定的には松浦だるま『累―かさね―』に近いかもしれないんだけど、これを少女漫画の文脈に落とし込んだのが尊い。
「主導権は常に外見が優れた人間にある」「あんたら美形はいいわよね キレイごと並べてればそれが正義になるんだから」
http://comic.pixiv.net/works/790
BL作品。自分はノーマルなのでいわゆるイチャラブ系のBLや百合は読まないのだが、これは凄くよかった。
http://blog.livedoor.jp/aki22two/archives/1802123.html
このブログを読んでみてほしい。ちなみに百合でいうと「私の世界を構成する塵のような何か。」が好きです。
ギャグマンガ家・地下沢中也のSF作品。全ての事象を予測できるオーバーテクノロジーのコンピューターが開発され、それが人類の滅亡を予測してしまったら?という話。
こう書くと平凡な印象を受けるかもしれないけど、ストーリーテリングが秀逸なのです。
いがらしみきおの『I』といい、ギャグマンガ家の描くSFって独特の雰囲気があって好き。ただ次の巻がいつ出るか未定で、もう4、5年生殺しを食らっている。
見ての通り息切れしてきたのでこのへんで終わりますが、↓のもおススメなので興味あったら読んでみてください。
故・青山景の作品。「よいこの黙示録」が未完なのが本当に惜しい。日本は貴重な才能を失ったと本気で思う。
・まちあわせ(1巻完結)
http://kc.kodansha.co.jp/product?isbn=9784063770209
・68m(1巻完結)
http://csbs.shogakukan.co.jp/book?book_group_id=9362
http://morning.moae.jp/lineup/451
ノワ―ル時代劇。道を踏み外す怖さ。
http://csvt.tank.jp/img/rtk/rtk1.html
・変身のニュース(1巻完結)
http://morning.moae.jp/lineup/376
つげ義春、華倫変の系譜に連なる宮崎夏次系のデビュー作。これが一番トガってる。
当時どのくらい有名だったのかわからないのだけど。
http://afternoon.moae.jp/lineup/187
とても切なくて、とても綺麗な話。
・男の操(1巻完結)
http://www.shogakukan.co.jp/books/09186865
妻を亡くした演歌歌手が歌い続けて、売れて、そして死ぬまで。ギャグなんだけど、最後は泣くしかない。
・名勝負数え唄(1巻完結)
http://sokuyomi.jp/product/meishoubuk_001/CO/1
・星のポン子と豆腐屋れい子(1巻完結)
http://www.moae.jp/comic/hoshinoponko
小原愼司とトニーたけざきの素晴らしいタッグ。1巻でよくまとまってるSFってだけで自分の中での評価が上がってしまう。
・透明なゆりかご(2巻続刊)
http://kc.kodansha.co.jp/product?isbn=9784063409574
仕方ないんだけど、なんかヴィレヴァンっぽいラインナップになっちゃった。
反応あってうれしい。
→訂正しました。偉そうに言ってて恥ずかしい。
・サブカル臭がキツい
→冒頭でも書いたように今回は「またかよ」系(明らかな名作であったり、こういう類の記事で頻繁に上がるもの)の作品を除いて書いたので、人によってはサブカルっぽく感じても仕方ないかもです。
『NARUTO』とか『HUNTER×HUNTER』のジャンプ系も100には入ってましたし、『ギャングキング』とかも。『プラネテス』、『惑星のさみだれ』も。
皆さんのおすすめも聞いてみたいです。『弾丸ティアドロップ』は未読でした。
寝て起きたらけっこう読まれてた。
ブコメで上がってる中だと、
http://kc.kodansha.co.jp/product?isbn=9784063806786
http://kc.kodansha.co.jp/product?isbn=9784063842906
『ネムルバカ』
『不死身ラヴァーズ』
http://kc.kodansha.co.jp/product?isbn=9784063949261
あたりは100に入ってました。
既にそこそこ有名かと思って外してました。線引きが雑でしたね。
http://anond.hatelabo.jp/20151018015453
というのがありましたけど、本当に不遇ですよね。もっと知られて然るべきだと自分も思います。
MARCHの1つに通う高校時代、よく一緒にいた奴ととっても高音質で汚い息遣いもよく聞こえるFaceTimeオーディオで話した。お互い顔は見たくないからオーディオだ。
自分と同じように彼もあまり受験はうまくいかなかったから、今通ってる大学と日東駒専の1つしか受からなかった。
彼と高校時代一緒にいた理由は、彼が優しくて自分を相手にしてくれたことと、趣味が合ったことと、彼が酷くブサイクだったから自分が引け目を感じなかったことだ。
都内で季節ごとに一回は会っているから、なんとも思わないけど、最近電話をした時は彼も大学生活は華々しくないんだなと感じた。
MARCHも自分の通っているJR東海が関東でゴリ押しする観光地のアホ大学も変わらないかんじだ。
もしかしたら、アホ大学の方が田舎からのファスト風土的な何も個性もクソもないただの馬鹿を吸収しまくっているかもしれないけど、まぁ大学生なんか顔のいいやつとセックスしか考えていないのは分かった。
また、彼は「付属校からの奴は隔離してほしい」と言った。同感だった。
MARCHも自分の通うアホ大学もお顔の良いセックスに困らない女の子がトップで、キモメンの僕たちは不可触民である。世の中全部そうだったか。
僕は彼に「セックスに困らない、授業中喋って、アホそうだけど顔のいい女が何も困らないで優雅に大学や社会を過ごして悔しくないか?」と聞いた。
ブサイクな彼は「考えないようにしている」といった。
僕は「考えないで、ただその波に飲まれていくのも負けな気がするじゃないか」と彼に強い口調でいった。
「それはそうだけど、こじらせたくない」と彼は言う。
確かにそうだった。考えたところで、男は一部の容姿のいい女を取り合い、女は一部の容姿のいい男を取り合うというどうしようもないルールは変わらなかった。
また、僕達がミスキャンで選ばれた女の顔をバットで潰したとしても、僕たちはいい顔になれない。バットで潰して良い顔になれるなら全国の酷い姿のみんなはどんなに救われたことか。
とりあえず、顔のいい女とセックスを頑張ってやろうとすることはやめておく。
ファスト風土やイオンのような、全国でほとんど同じサービスが受けられるものをとても嫌う。
ジャンプとかファミコンもよく思っていない。テレビにも否定的である。
田舎者がそのときどきの流行を浅ましく追い続けるから東京から、日本から多様性が失われる。
こういった理屈で自分の気に入らない世の中の動きをすべて田舎者の責任にしているわけだ。
しかし、実際に田舎者が多様な文化を失わせている犯人かと言ったら、無茶があるだろう。
定住にしろ一時的滞在にしろ、田舎からの流入者も東京の多様性を担う一部だ。
日本全国に様々な文化があるから、我々は多彩な食物や質の高い製品を簡単に手に入れられる。
しかし人は、少なくとも現代人はその土地の文化だけでは生きていけない。
田舎者にだって文明的生活を享受する権利と、享受している現実がある。
それらは東京で漫然と暮らしているだけでは見えてこないのだろう。
一方で、少し思いを馳せてみたら小学生にだって見えてくる背景だ。
マイルドヤンキーは半径5キロの世界で生きていると分析する人もいる。
ところが実際にそれをしているのは、短絡的に田舎者を嫌っている人ではないのか。
自分が享受する文明がいかに自分の見えていない部分で支えられているかに思考が及ばない。
はてなホッテントリに「年収1000万円のレベル感」という勘違い連載がスタート。
しばらくはこの勘違い連載で楽しめそうだな。
ということで、連載2回目にしてツッコミ。
★どうも広告代理店系の人種は、強引にペルソナを一本化する傾向にある。
直近では博報堂がファスト風土住民を一律で「マイルドヤンキー」にペルソナ一本化したような事例があるが、
このブログ主も「年収1000万円プレーヤーのペルソナ」を強引に一本化しているところがイタイ。
実際には
で、ペルソナは全く違う。
「自営経営者か、サラリーマンか、ライセンサーか?」だろうな。
★ブログ主は港区辺りの外資系金融に勤務と思われるが、自身の周囲のペルソナを、
強引に「年収1000万円のペルソナは皆こうだ!」と決めつけている点が、実にイタイ。
★連載2回目にして痛さ爆発。
「独身1000万円プレーヤーは、皆港区に住んでる」ような書きぶり。
断言しよう。都内独身1000万円プレーヤーのうち、港区在住は1割もいない(但し妻子持ちだと違う)。
★そもそも
「独身1000万円プレーヤーの半数以上は、親が首都圏にいる」ことをブログ主は忘却している。
実家が八王子や横須賀のような「奥地」なら兎も角、実家が三鷹とか松戸なら、
1000万円独身プレーヤーも港区に家を探すようなことはせず、普通に実家から通ってる。
勿論「港区に家を借りようと思ったら、借りられる」のであるが、
「わざわざ借りなくても、親の家から通えばいいじゃん、家賃が浮くし」と合理的に考えるのが、1000万円プレーヤーである。
それをわざわざ家を借りる(買う)のは、よほどの見栄っ張りか、親に勘当されたか、である。
★では「地方出身の1000万円独身プレーヤーが港区に住んでるか?」といえば、それも違う。
外資系金融はいざ知らず、日本の大企業や官庁なら寮・社宅・官舎がある。
で、社宅等はまず港区なんかにはない。目黒区世田谷区杉並区辺りにある。
★また、
「大学時代に高井戸のアパートに入居したから、社会人になってからも、そのまま高井戸のアパートに住む」的な人もいる。
外資系金融業界人か、テレビ・広告代理店業界人か、限られたセカイなんだが、ブログ主にはその自覚がない。
★あと、単身者だと、年収1,000万円なくて年収600万円程度なのに港区に拘って住もうとする人も、中にはいる。
むしろ年収1,000万円クラスの人の方が、住む場所にはそんなに拘ってないような気がする。
共働きは時間がないから港区に住む。専業主婦は田園都市線に住む。
キッカケその2は「子供が出来た」。