はてなキーワード: ピッキングとは
飲み会にでる。
自治会にでる。
挨拶する。
聴力検査はしたほうがいいけど、ヘッドホンは捨てる。携帯オーディオプレーヤーは難聴になるだけ。また移動中にスマホは見ない。現実を見て現実を聞く。空気を知る。
ただ自分で発達障害言うやつは単なる言い訳で迷惑なやつしかいないみたいだ。
最初からそうやって決めつけてばかりだとそっち系かと疑う。その場合は方法はない。今のアドバイスは全てマイナスになるから忘れてください。そもそも答えが決まっているし。
まず決めつけをやめて規則正しい生活を送り相手に敬語を使う。そして、大事なことはネットを捨てる。ネットに発達障害の救いはありません。なぜなら自分に都合がいいことだけピッキングしてしまうから。それは意味がない。
もう二十年も前
やすいパンだけを食べて、甘いものがほしいから砂糖をなめて生活してた。
それで数千円
働いて移動とご飯で消えるくらい少ない
それでも家を追い出されないように手元にある現金を切り崩しながら生活していた。
次の仕事を見つけないといけないし、しかしその時間は生きるために労働力に変えないといけないし、そして働いたとしてもパンと砂糖で暮らすしかない。
計算していけば数カ月先に家賃は払えなくなる。なんとしても延命して仕事を見つけないといけない。
有限の時間を生きるために安売りした。
軽自動車でも数百万する1万円を手に入れるのすら苦しいのに、なぜこんなに乗用車が溢れているんだろう。
なんで僕は買えないんだろう
いや、なんでみんな買えるんだ。車を買う金の一部を僕に回してくれればいいのに…
スーパーに行きパンや砂糖を買っている横で、たくさんのお菓子や肉を買う人を見ても思うようになった。
そもそもこんなに商品が余っているのになんで僕は買えないんだろう。余れば捨てられるのに…そう思えば万引きすら正義のように思えてきた。
僕は早めに家に帰ると電気代がかかるので駅の明るいところで時間を潰していた時だった。さっきいた人が忘れたんだ。酔っ払って一休みでベンチ座って、そして家に帰るために駅から出ようとしていた。
どう見ても財布が入ってそうだ。
数千円でも生活費の足しになる。あいつは余剰のお金を使って酒を飲める身分だ。その分を僕が使っても悪くはない。大丈夫だ。あいつは戻ってこない。僕の持ち物と装って駅を出ればいい…
ずっとそんなことを考えながらちょっと離れたベンチで考えていた。改札から最も遠く、次の電車が来るまで長いので幸い周りに人はいなかった。
でも5分くらい経ってからだろうか、持ち主が戻ってきてカバンを無事回収して帰っていった。
あのとき僕は、惜しかった、もうちょっと早く決断していれば…と思った。
その数ヶ月後仕事は見つけられ、初給与まで一旦金は底をついたが仕事があるということで金も借りれて何とか立ち直せた。
今は、ちゃんとした給与の会社に勤めて、あの頃の念願だったスーパーでお菓子も買えるし、車も買えた。
あのとき僕は盗めなくて惜しいと思ったけど今思えば異常だったなと思うし、盗めなくてよかった。
ジェーンスーが昼帯でやっているTBSラジオの「生活は踊る」内の「相談は踊る」について、これまで好きでよく聞いてきたんだけど、最近だんだんキツくなってきた。
昔はジェーンスーの自虐を交えた、日常生活や恋愛やダイエットに関する軽く笑い飛ばせる相談も多かったが、最近はバリバリ働いている女性のキャリアについての悩みとか、老親との関係の悩みとかばかりで、昼のラジオで取り上げるにしては重い相談が多い。
重い相談を取り上げることが多い一方で、「お金がない」「まともな仕事がない」というレベルで悩んでいる人は全く出てこない。恋人や家族も普通にいることがほとんどで、いわゆる非モテの人は男女ともに全く出てこない。仕事が安定してお金に困っていない人が、その上で抱えている「贅沢な」悩みしか取り上げられていない。相談自体が軽いことが多かった頃はほとんど気にならなかったが、お金も仕事も恵まれて結婚もしている人の悩みを深刻なものとして聞かされることが続くと、やはりモヤモヤする。
9割女性の悩みを取り上げて、最大限寄り添ったコメントをするのはいいとして、1割取り上げている男性の悩みの取り上げ方が非常に厳しい。男の目から見ても明らかにダメなものピッキングしているように見える。「正論だけど、そんな言い方したら男は自殺しちゃうよ」と感じるものもある。しょうがないけど、男性の心情に対するジェーンスーの解像度はあまり高くない。
期間工だけれど、ていうか何なら出勤前だけれど期間工経験したことのない連中に一応言っておくと自動車製造業は身長は低い小柄な方が非常に有利
逆に体格良くて高身長な人は腰痛になる可能性が高く、むしろ自動車製造業で高身長さが求められる工程なんてひと握り
身長の低さは床をかさ増しすりゃ何とかなるんだけど、身長の高さは工場の床を掘るわけにもいかないのでどうにもならんのだ
何で身長は低い方が有利なのかと言えば車内へ乗り降りしたり、高架された車体の下で作業する際に高身長であればあるほど腰を曲げなきゃならんからだな
だから実際のところ自動車の構造自体は大柄な男よりも小柄である場合の多い女のほうが本来向いているはずなんだよ
じゃあなぜ女がタクトタイムに間に合わないか?という疑問が起きるわけだけど、元増田が言うように工具や部品が重いからだと思われる
どこの工場か知らんけど今の自動車製造工場は職人芸のような技術を求められることは無いとは言わないがそこまで多くないはずだから扱う物が軽くなれば女でも間に合う様になるんじゃないか?逆にタクトタイムが伸びても同様だと思う
でもそれはコストが増えることを意味するし今の車の作り方だと女が主流になると車の販売価格は増えるだろうね
話は変わるけど元増田頑張ってると思うぞぉ?見たこと無いしな子持ち女が副ラインで組んでるの
俺の配属工場は見渡す限り男・男・男って感じでたまに見る女は清掃員のおばちゃんだよ
本当に極稀に女の子居るなぁと思ったらピッキング工程の子っぽいな、ピッキング工程って他のラインで使うボルトとか部品とかを必要個数まとめて箱に入れることやってる部隊、その箱は輸送部隊が各々のラインへ運んでいき、その輸送部隊も大半が男
そんな中でギリギリとは言えついていっている元増田はすげぇ母ちゃんだなって心から尊敬するわ
ブコメみたらさ戦時中の工場はとか言ってるやつ居るけど当時の日本の兵器って直ぐぶっ壊れるし不動が多いんじゃなかったっけ?
つまり当時の女だけで回していた工場って品質が担保できてなくて現代の品質主義的な感覚で言えば、その工場は回ってるって言えないんだわ
その辺を無視して戦時中の工場はって言うのは女を擁護していることにならないんじゃね?俺は言う気なかったけどそういうおかしなフォローすると女が作るものはクソだって言われるぞ
女が主体だった工場って縫製工場とかだったと思うけど縫製工場は確か座り仕事だったはず
ギターを昨年夏に40歳近くになって始めて、いまでは毎日触っています。
最初はアコギでやっていましたが、最近はエレキギターも買ってしまいました。
ギター沼は恐ろしいことがわかりました。エレキギターはピンキリなのに、エフェクターどれもむっちゃたっか!でもあの音も出したいこの音も出したいという欲求がでてくる。でも中古で安いオーバードライブを一個だけ買って、中古のアンプも買って毎日楽しんでます。
音作りよりも演奏技術上げるほうが優先なので、もう少しうまくなったらPCにつないでPCをエフェクター代わりにしようかと思っています。
最近は、比較的ギターパートがシンプルなバンド(アジカンとか)だったら最初から何曲か最後まで弾くことができるようになりました。
パワーコードはもちろん、オクターブ奏法もなんとかできるようになりました。
プリング、ハンマリングはピッキングを伴わないでテンポを維持しなければならないので難しいです。
それよりもギターができるようになるにつれて妻が若干不機嫌に…
最近妻がカリンバという小さなオルゴールみたいなピアノみたいな楽器を買ってきて、僕もいつも弾いている曲をこれでやってみようかと試みたら、「触らないで!!」って怒られました。
なお、放送のチャイム「ピンポンパンポン」を演奏するのは許してくれたので、単に楽器を触ることを怒っているわけではなさそうです。
どうやら昔ギターを数ヶ月で挫折したことがあるらしく、カリンバも追い抜かれるんじゃないかとライバル意識を持っているんじゃないかと思っております。
もう長いことフリーターやニートを行ったり来たりしている。仕事に就いても長続きせず、職を転々とする日々。もうかれこれ十社以上職を転々としてきただろうか。就いた職業の多くは施設警備や物流倉庫でのピッキングなど責任の伴わない仕事ばかり。コミュニケーションの得手不得手以前に、人と関係を結んで生活していきたくないと考える。人に指示を出すのも嫌だし、人の上に立って何かを行うことも好まない。集団の中において自分は空気のような存在でいたい。そういうわけで人間と関係を維持することもままならない。まさか自分が将来このような生活を送るとは想像もしていなかった。子供の頃は学校を卒業したらどこかの会社に就職してバリバリ仕事に精励するものだと思っていた。それがこのありさまである。未来と言うのは本当に不確かなものだ。
陽キャと陰キャの二元論で物事を語るのは好きではないが、今日はそれについて語りたい。学生時代の自分は割とスクールカーストの上位の方にいて、やんちゃで明るくてクラスでもみんなの中心となるような人物に囲まれて学生生活を送ってきた。といっても自分から進んでそうした人たちとコミニケーションをとって親睦を深めたわけではない。何というか気づいたら仲良くなっていただけのことに過ぎず、自分の意思で関係を構築していたわけではなかった。
自分は公立の小中学校に通っていたが、公立の学校には実に様々な人間が存在する。所得水準の高い家柄に生まれて幼少の頃から様々な習い事に触れてきて教養がしっかりと身に付いている人もいれば、親の社会的地位が高く、幼い頃から多大な投資を受けてきたことにより校内でもトップクラスの成績を誇る者。またそれとは反対に、貧しいが故にろくに教育を受ける機会のなかった人や両親がやんちゃをしていたために子もそうした性質引き継いで不良の道へと突き進んでいった人などなど実に属性の種類は豊富である。自分はたまたま同じクラスにやんちゃなことをする人が多かったからなのか、なぜか彼らと共にいることが多かった。公立の学校というのは本当にいろんな人がいるので、たまたまそういう人たちが近所に住んでいたから仲良くなったのかもしれない。詳しい事は自分にもよく分からない。
彼らとは本当にいろんなことやってきた。定期テストをサボってゲーセンに入り浸って夜を明かしたり、ワックスで頭を塗りたくって度々生徒指導の先生にお叱りの言葉を受けたりといったようにやることと言えば平気で校則を無視してきたことばかりであった。そうしたことばかりしてきたので周囲の人間からも自分はいたずら好きな人間なのだと認識され、近寄ってくる人たちも自然と自分と近しい人達ばかりであった。
中学生活も終盤に近づいてくると高校受験という大きなイベントがやってくる。自分は一応塾に通っていたので高校受験の受験をするつもりでいたし、そのための準備もしていた。しかし、しばらくするうちに自分と彼らとの間に深い溝ができ始めていることに気がついた。それは彼らが、僕が受験勉強に励んでいるのを快く思っていないのではないかということ。想像するところによると、自分が高校受験に向かって勉強してるのがどうやら彼らにとって喜ばしいことではないらしいのだ。彼らの中でも自分はまだ比較的に経済事情が恵まれていたので、教育にお金を費やすことができた。だから高校受験もできるし、将来の選択肢もそれほど狭くはない。しかし、彼らはそうではない。経済的に貧しいが故に教育にお金をかけることができず、高校受験を受けると言う資格すら与えられていなかった。また受験できたとしても学業への意欲が湧かないことやどうやって勉強すれば良いのかわからないなどといった理由により、レベルの低い学校に行くかのいずれかしか選択肢がなかった。そうした中で自分だけ勉強して彼らのもとから離れようとしている。それは彼らにとっては喜ばしいことではなく、どこか心にわだかまりが残ることだろう。これはグループの一人が自分だけ集団から抜け出して別の道に進むことをイメージしてもらえればよい。ドロップの主人公が自分だけ輪の中から抜けることや、ビリギャルの主人公がグループの反対を押し切って難関大学の受験に挑むのと似たような状況である。結局、自分は難関校とは程遠い偏差値が50いくかいかないかくらいの自称進学校に入学した。もともと勉強とは無縁の人間で、定期テスト100点中30点位がほとんどだったので、これが自分にできる限界の学習であったと言えるので特に後悔はないのたが。
高校に入ってから彼らと連絡を取ることもなくなった。もうすっかり別の世界で生きているような感じだったし、実際に会うことも何度かあったが、会話を交わす事はなく、以前のように親しい感じで接することもなかった。そこには陸と島ほどの距離感があった。そこそこ勉強して高校に進んだからこそ、彼らは自分を自分達とは別の人間だと考えていたようだし、自分たちのような悪質な遊びをすることも好まないだろうと考えていたから昔のように悪ふざけをして遊ぶこともなくなった。
高校は高校で中学までの人とは別のタイプの明るい人達と仲良くなってそれなりに楽しく日々を過ごすことができた。それでもたまたま仲良くなったから仲良くしていただけで、自分からそうした人たちと仲良くしたいわけではなかった。別に友達など作らなくても、一人で何かに没頭するような事があってもよかったのだけど、生憎オタクのように何か一つのことに強い情熱を注いだこともない。自分は人生そのものに関心がなかった。
自分の性質に関心を向けるようになったのは大学生活も終盤に近づいてきた頃である。これまでの学生生活を振り返ってみて、自分はどうしてやんちゃなことばかりしてきたのだろう、どうしてクラスでも目立つような人間とばかり付き合ってきたのだろうというようなことばかりを考えた。彼らと自分はベクトルの向きが真逆の人間であるというのに。自分は目立つことが嫌いで、教室でも隅の方で目立たず静かに生活していきたいと考える人間だった。思えば、僕は自分から人に話しかけて友達を作ったことなどなかったような気がする。自分がどんな人間と仲良くなりたいかと言う考えも持っていなかったし、主体性を発揮して何かを行ったこともない。いつも周りに流されて生きてきて、自分の意思で自分の人生を生きているという感覚がなかった。昔から自分は一人が好きで、人と関わりを持とうとせずに、一人で何かすることを好んできた。つまり、昔から自分は自閉傾向のかなり強い人間だったのである。それでも何とか今までやってこれたのは環境の影響や周りの方から声を掛けてきてくれたことにより、そうした性質が隠蔽され、それが浮き彫りにならなかっただけの事に過ぎない。
周りに流されて生きてきて自分の性質を客観的に見る機会を持たない人間は本来の自分がどういう人間なのか分からなくなる。人間の人格形成には遺伝的要因と環境的要因の二つが大きく関わっているけれど、子供の頃はそうしたことに頭を悩ませることもない。
結果として今では陽キャのようなアクティブな遊びを好んでみんなでワイワイ仲良く時間を過ごすこともなければ、アニメオタクやアイドルオタクのようにある一つの対象に過度に没頭してコミュニティを形成し、そこでのコミュニティーに強い仲間意識を持って生活することもない。陽キャにも陰キャにもなれず、中立的な立ち立場にいて、どこにも属さずに社会から孤立しているのがが自分である。
もっと早いうちから自分の性質や人物像を客観視しておけば後の人生もまた変わったものになったのかもしれないが、当時はそうしたことも難しく、後から結果論として物事を論じるしかない。それが人生というものなのだろう。
もう長いことフリーターやニートを行ったり来たりしている。仕事に就いても長続きせず、職を転々とする日々。もうかれこれ十社以上職を転々としてきただろうか。就いた職業の多くは施設警備や物流倉庫でのピッキングなど責任の伴わない仕事ばかり。コミュニケーションの得手不得手以前に、人と関係を結んで生活していきたくないと考える。人に指示を出すのも嫌だし、人の上に立って何かを行うことも好まない。集団の中において自分は空気のような存在でいたい。そういうわけで人間と関係を維持することもままならない。まさか自分が将来このような生活を送るとは想像もしていなかった。子供の頃は学校を卒業したらどこかの会社に就職してバリバリ仕事に精励するものだと思っていた。それがこのありさまである。未来と言うのは本当に不確かなものだ。
陽キャと陰キャの二元論で物事を語るのは好きではないが、今日はそれについて語りたい。学生時代の自分は割とスクールカーストの上位の方にいて、やんちゃで明るくてクラスでもみんなの中心となるような人物に囲まれて学生生活を送ってきた。といっても自分から進んでそうした人たちとコミニケーションをとって親睦を深めたわけではない。何というか気づいたら仲良くなっていただけのことに過ぎず、自分の意思で関係を構築していたわけではなかった。
自分は公立の小中学校に通っていたが、公立の学校には実に様々な人間が存在する。所得水準の高い家柄に生まれて幼少の頃から様々な習い事に触れてきて教養がしっかりと身に付いている人もいれば、親の社会的地位が高く、幼い頃から多大な投資を受けてきたことにより校内でもトップクラスの成績を誇る者。またそれとは反対に、貧しいが故にろくに教育を受ける機会のなかった人や両親がやんちゃをしていたために子もそうした性質引き継いで不良の道へと突き進んでいった人などなど実に属性の種類は豊富である。自分はたまたま同じクラスにやんちゃなことをする人が多かったからなのか、なぜか彼らと共にいることが多かった。公立の学校というのは本当にいろんな人がいるので、たまたまそういう人たちが近所に住んでいたから仲良くなったのかもしれない。詳しい事は自分にもよく分からない。
彼らとは本当にいろんなことやってきた。定期テストをサボってゲーセンに入り浸って夜を明かしたり、ワックスで頭を塗りたくって度々生徒指導の先生にお叱りの言葉を受けたりといったようにやることと言えば平気で校則を無視してきたことばかりであった。そうしたことばかりしてきたので周囲の人間からも自分はいたずら好きな人間なのだと認識され、近寄ってくる人たちも自然と自分と近しい人達ばかりであった。
中学生活も終盤に近づいてくると高校受験という大きなイベントがやってくる。自分は一応塾に通っていたので高校受験の受験をするつもりでいたし、そのための準備もしていた。しかし、しばらくするうちに自分と彼らとの間に深い溝ができ始めていることに気がついた。それは彼らが、僕が受験勉強に励んでいるのを快く思っていないのではないかということ。想像するところによると、自分が高校受験に向かって勉強してるのがどうやら彼らにとって喜ばしいことではないらしいのだ。彼らの中でも自分はまだ比較的に経済事情が恵まれていたので、教育にお金を費やすことができた。だから高校受験もできるし、将来の選択肢もそれほど狭くはない。しかし、彼らはそうではない。経済的に貧しいが故に教育にお金をかけることができず、高校受験を受けると言う資格すら与えられていなかった。また受験できたとしても学業への意欲が湧かないことやどうやって勉強すれば良いのかわからないなどといった理由により、レベルの低い学校に行くかのいずれかしか選択肢がなかった。そうした中で自分だけ勉強して彼らのもとから離れようとしている。それは彼らにとっては喜ばしいことではなく、どこか心にわだかまりが残ることだろう。これはグループの一人が自分だけ集団から抜け出して別の道に進むことをイメージしてもらえればよい。ドロップの主人公が自分だけ輪の中から抜けることや、ビリギャルの主人公がグループの反対を押し切って難関大学の受験に挑むのと似たような状況である。結局、自分は難関校とは程遠い偏差値が50いくかいかないかくらいの自称進学校に入学した。もともと勉強とは無縁の人間で、定期テスト100点中30点位がほとんどだったので、これが自分にできる限界の学習であったと言えるので特に後悔はないのたが。
高校に入ってから彼らと連絡を取ることもなくなった。もうすっかり別の世界で生きているような感じだったし、実際に会うことも何度かあったが、会話を交わす事はなく、以前のように親しい感じで接することもなかった。そこには陸と島ほどの距離感があった。そこそこ勉強して高校に進んだからこそ、彼らは自分を自分達とは別の人間だと考えていたようだし、自分たちのような悪質な遊びをすることも好まないだろうと考えていたから昔のように悪ふざけをして遊ぶこともなくなった。
高校は高校で中学までの人とは別のタイプの明るい人達と仲良くなってそれなりに楽しく日々を過ごすことができた。それでもたまたま仲良くなったから仲良くしていただけで、自分からそうした人たちと仲良くしたいわけではなかった。別に友達など作らなくても、一人で何かに没頭するような事があってもよかったのだけど、生憎オタクのように何か一つのことに強い情熱を注いだこともない。自分は人生そのものに関心がなかった。
自分の性質に関心を向けるようになったのは大学生活も終盤に近づいてきた頃である。これまでの学生生活を振り返ってみて、自分はどうしてやんちゃなことばかりしてきたのだろう、どうしてクラスでも目立つような人間とばかり付き合ってきたのだろうというようなことばかりを考えた。彼らと自分はベクトルの向きが真逆の人間であるというのに。自分は目立つことが嫌いで、教室でも隅の方で目立たず静かに生活していきたいと考える人間だった。思えば、僕は自分から人に話しかけて友達を作ったことなどなかったような気がする。自分がどんな人間と仲良くなりたいかと言う考えも持っていなかったし、主体性を発揮して何かを行ったこともない。いつも周りに流されて生きてきて、自分の意思で自分の人生を生きているという感覚がなかった。昔から自分は一人が好きで、人と関わりを持とうとせずに、一人で何かすることを好んできた。つまり、昔から自分は自閉傾向のかなり強い人間だったのである。それでも何とか今までやってこれたのは環境の影響や周りの方から声を掛けてきてくれたことにより、そうした性質が隠蔽され、それが浮き彫りにならなかっただけの事に過ぎない。
周りに流されて生きてきて自分の性質を客観的に見る機会を持たない人間は本来の自分がどういう人間なのか分からなくなる。人間の人格形成には遺伝的要因と環境的要因の二つが大きく関わっているけれど、子供の頃はそうしたことに頭を悩ませることもない。
結果として今では陽キャのようなアクティブな遊びを好んでみんなでワイワイ仲良く時間を過ごすこともなければ、アニメオタクやアイドルオタクのようにある一つの対象に過度に没頭してコミュニティを形成し、そこでのコミュニティーに強い仲間意識を持って生活することもない。陽キャにも陰キャにもなれず、中立的な立ち立場にいて、どこにも属さずに社会から孤立しているのがが自分である。
もっと早いうちから自分の性質や人物像を客観視しておけば後の人生もまた変わったものになったのかもしれないが、当時はそうしたことも難しく、後から結果論として物事を論じるしかない。それが人生というものなのだろう。
はてなーの質の低下がいよいよ来る所まで来てるんですよね。
誤読に継ぐ誤読、文盲を繰り返すことへの慣れ、単語だけをピッキングして自分のしたい話に繋げるために文脈無視し続ける人達。
まず最初にあるのは「俺は凄い」「故に他の奴は馬鹿」「でもどうしても勝てないやつは褒めよう」「褒めるってことは俺の仲間と認めるということ」「つまり俺は凄いから凄い奴は仲間と認める」「俺が仲間と認めた界隈を馬鹿にするな」「俺は凄いということを否定するな」「俺が俺が凄いと認識するためにもっと褒めろ」「俺の凄さを証明するものはお前らの称賛だ」といった無根拠でありながら肥大化しそれでいて常に不安に怯えている他者依存性の高い自己肯定感から来る党派性。
これに凝り固まってしまうともう世の中にある物事を「自分が凄いとアピールするために利用する」「相対的に上に立つために踏みつける」といった目でしか見れなくなる。
そしてそれを繰り返し続ける界隈から受けたフィードバックによりそれを当たり前と感じるようになる。
「文章は読むものではなく単語をピックアップして自分語りかマウンティングをするもの」という認識を当たり前と思い込んだエコーチェンバーの行き着く先は誰もが文章を読めないインターネットだ。
そこにはもう秩序もなく倫理もなく知性もない。
俺はもういい加減限界を感じた。
ツイッターならばTLの構築で日本語の読める人間を集めることが出来る。
これ以上「日本語を読む必要なんてない。単語だけピックアップすればいい」の風潮に晒され続けてはいけないと本能が告げている。
文章の読み方が分からない癖に思い込みで喚き散らすような老人になる前に「文章の読み方なんて忘れても良い」と認識し始めている脳を覚ましておきたい。
この年になって0から読み方を学べる自信がない以上は、今覚えてるものを「不要なもの」として手放さないようにするしかないのだから。
殺害予告と取られかねない、つーか殺害予告未遂の話だから通報とかされたら怖いけど故人だし大丈夫っしょ、と思ったらまだ生きてんの?死亡確認されてないだけなの?わかんねーよ、世代の分け隔てなんて関係ねーよ
まぁ一応伏せ字にしとくか。
友達いないし、そもそも楽譜読めないし楽器も弾けないのにバンドとか音楽やろうとするバカっているじゃないですか。
それ俺ね。
で、運転中とかにメロディーとかフレーズがフッと浮かぶことがあって。
大体は昔聴いた曲の一部を思い出してるだけで、後から気づいて「フンフンフーン、フフフフフーン…ってこれ、devoのモンゴロイド~!」ってなったりするけど。
でもその時は違ってて。
というのも、
タンタンタン、タンタンタン(ピッキング)ダンダンダン!ダンダンダン(ストローク!)
っていう、リズムだけの何かが浮かんできて。
「安倍晋三○す…安倍晋三○す…(ウィスパー)安倍晋三○す!安ー倍晋三○す!(シャウト!)」
9文字だけの歌詞、コードも糞もない伴奏(ハンドルバンバン叩いて歌ってた)、それでいて静と動がハッキリしていて盛り上がりがあり(radiohead)
何より歌詞が殺害予告ってのが意味不明で危険でバカバカしくて反社会的で、すっかり気に入ってしまった
そもそも殺害予告だし、じゃあtor噛ませて匿名化しようにも、殆どのサイトでtorが規制されていたので諦めた。
そうこうしてるうちに、相模原の障害者殺人、ALS患者の殺人事件が発生した。
その影響もあり、安倍晋三○す、というフレーズは素晴らしいが、誰であれ、やはり殺すのは良くない、と考えるようになり、
ただ、どっちにしろ脅迫と取られそうなので発表の機会もなく、たまに鼻歌で歌う程度だった。
で、今回の襲撃な。死んでるか死んでないかしらんが、少なくとも殺され(かけ)たわけで。
うっかりtorでアップ出来ちゃってたら、今頃容疑者扱いされてたんかな~なんて。
死んでたら遠慮なく安倍晋三○すできるけどどうなんすかね~?
警察署「出かけるときは家の鍵はちゃんとかけましょう。啓蒙ポスター作りました」
セキュリティ有識者(以下S)「家の鍵なんてその気になればいくらでもピッキングできる。こんなのググればすぐに出てくること。いまだに時代錯誤の嘘情報を平気で流して、加害者の自覚はあるのか?」
S「啓蒙ポスターの問題点についてblogで解説記事かきました。このあと警察署に電凸します」
S「(電話)あのー○○区在住の一般市民ですけど、家の鍵はプロなら10分かからずピッキングできることは警察は認識してるんでしょうか?それでも啓蒙ポスターを作成したことについてどういうお考えですか?」
S「電凸の会話をblogで公開します。話になりませんでした」
一般人A「家に鍵をかけるのが無意味なら、じゃあどうすればいいの?」
一般人B「家に鍵をかけるのは一定の効果はあると思うけど……本当に意味ないの?」
S「それはお仕事のご依頼ですか? なぜ無料で情報を得ようとするのか。お仕事はDMにて受け付けていますのでよろしくお願いします」
S「続報。啓蒙ポスターの作成は一般公募で、作成者は小学生だと判明。ど素人が企画し、ど素人がポスターを作成する。どこかでだれかがストップをかけなかったのかよ…」
自分の経験も照らし合わせて、色々と言いたい事、思った事もあるので、ちょっと書いて行こうと思う。
因みにこの話は、あくまで「某通販会社の従事者」目線で書いていますが、決して被害に遭われた方を責めるつもりはありません。
ただビジネスシューズを、試着することなく、通販で買うという考え方には、ちょっと疑問を抱かざるを得ないけど。
あと、今の「便利」が手にできているのは、そういう犠牲があると思って貰えると嬉しいです。会社の体制がもっとよくなればいいとは思うけどね。
自分は、その問題行動があった某通販の、倉庫での作業に従事していた立場になります。
配送員の勤務実態がどうだったのかまでは知らないけど、まあ、ルールでガチガチな辺りは、倉庫作業と大差ないんだろうな、と思う。
ただ誤解を招きたくはないけど、アメリカの会社だからと全部が悪いとは思わない。
日本の会社にだって「ブラック企業」って言葉が広がったように、ひどい体制の会社は多いと思う。(というか、大半はそういう会社だとも言われるけど)
個人的な感覚として結論だけ言うと、その通販会社に従事するという事は、「アメリカ企業と日本企業の、徹底的にダメな部分を、徹底的に煮詰めて凝縮した状況」に置かれる事になります。
その辺については、実際に目にした求人サイトの求人内容から、順を追って説明した方がいいと思う。
前提として抑えて欲しいのは、倉庫作業の運用や、倉庫作業員の募集は、その通販会社本体ではなく、その下請けの派遣会社が行う事になるという辺り。
勤務時間
8:00~17:00
9:00~18:00
10:00~19:00のそれぞれ実働8時間、休憩時間1時間(午前午後1回ずつ、昼食休憩)あり
8:00~19:00
9:00~20:00
10:00~21:00のそれぞれ実働10時間、休憩時間1時間15分(午前午後1回ずつ、昼食休憩)あり
複数の派遣会社があって、そのいずれもこういう募集を出してるわけです。
因みに、8時間労働の場合、実際は午前の休憩はありません。ある倉庫もあるらしいけどね。
この「求人の嘘」は、後々に地獄労働の悪夢を産むことになりますので、覚えておいてください。
さて、諸々の説明会やら研修やら済ませて、実際の勤務に入ると、色々と不思議な事が起きます。
既にご存じの方もいらっしゃると思いますが、その某通販会社は、「超最新AI制御」を売り物にしている会社です。
本当に「超最新AI」で、全ての運用を制御しているのなら、起こりうる筈がないバグです。
例えば、棚入れやピッキングに従事している人のところに、「梱包に従事する人が足りないので、誰か挙手しろ」と、上の人から言われます。
実際に挙手して、梱包の部署に行ってビックリする事になります。なんと、方々の部署から集められた黒山の人だかりが、その梱包エリアに密集しているのです。
その光景を目にすると、そのエリアを取り仕切ってる人(トレーナーとかリーダーとかと言う)に「流石に人多すぎなので、俺戻りますね」って伝えて戻ろうとします。
ところが、元居た場所には二度と戻れないという、その会社ルールがあるみたいです。というか、抜けたところに次々と穴埋めにように、人を入れていくやり方なんですね。
入って1~2か月くらいの間は、そういう事が何度も繰り返されるようになります。
そうなると当然、「人が足りない部署があるから」と声をあげられても、手を挙げる人は、入ってすぐの人ばかり。
「超最新AI」とは、まだまだ発展途上な代物で、人の流れを制御するまで進化していないという事なのでしょうか?
残念ながら不正解です。この手の「人の運用」は、全部人の手によって行われているのです。
入って3か月くらいになると、更に不思議な状況を目にする事になります。
その間でも、常に毎日のように、入社希望の説明会やら研修やらが行われていて、毎日のように新しい人が入ってきます。
ところで、ここでその倉庫の休憩システムについても説明したいと思います。
昼食休憩は、11:00から45分ごとに割り振られ、最終組は14:00に昼食休憩に入る事になります。
上の方で、出勤時間は8時、9時、10時と分かれていると記しました。
普通に考えたら、8時出勤が11:00~12:45までに昼食休憩に入り、9時出勤が13:15、10時出勤が14:00に休憩に入る、そういう風に理解されると思います。
所が、その考えは「某通販会社の倉庫ルール」としては甘いのです。それらの休憩時間は、全て8時出勤者にも適応されます。
ここで思い出してください。「8時間勤務者は、午前の休憩はない」
つまり、8時出勤者が14時に休憩に入るとしたら、6時間ぶっ通しで働く事になるのです。ちょっとしたパートタイマーだったら、1日分の勤務時間です。
しかもその通販会社の食堂も売店も、14時になったら食事の大半が売り切れになってる事もザラにあります。
8時出勤者は、昼食どころか、朝食の準備も出来ないような早朝に出勤しているのにも関わらず、です。
その件について、エリアのリーダーに苦情を言ったら、「俺らはずっとそのやり方でやって来てるんだよ!」としか言えません。
外資系企業の従事者の言い分じゃありませんね。モロに悪しき日本企業にどっぷりつかった、社畜の言い分です。
因みにそのリーダーは、割と好きな時間に職場を抜け出して、喫煙所に顔を出しているような人物です。
そのようなシフトを、超最新AIが組むわけがありません。モロに人の手による事がバレバレです。
それが、「超最新AI制御を謳ってるけど、実際は人の手によって運用されてる」と確信した理由です。
では、何故そのようなゴミのような勤務体系になっているのか?
まず第一に、「9時出勤者、10時出勤者を募集してない(集められない)」こと。
第二に「倉庫作業の運営会社が、とりあえず形だけでも数字を出すために、酷いのをわかってて、そういう勤務体系を強要している」こと。
大体この二つだと思います。
それを押し通すのだとしたら、「超最新AI」なんか、モロに邪魔でしかありませんよね。
AIは優秀ですから、「上が望む数字」よりも、「勤務者のQOL(生活や人生の質)を壊さない事を前提にした勤務体系」を優先させます。
当たり前です。(だからこそ、AI万能論とも言われるわけだし)
ただ、特定の時間帯に人数が足りないのなら、その時間帯に来れる人を集めればいいだけの話。
「今その時間帯は人が多いので募集していません。この時間帯なら空きがあります」と言えばいいだけの話なんです。
ところが、募集する派遣会社も、某通販会社からは「採用する人数のノルマ」だけが課され続けているのでしょう。
そのノルマを達成する為には、応募する側の希望を融通し続けるしかない。
おそらく通販会社からは、「人数のノルマ」はあっても、「時間帯のノルマ」は指定されてなかった。
それからも「人が余ってる時間帯」に、どんどん人が集められ続ける始末です。
しまいには、残りの1時間半を休憩室で待機しろ、なんてハメになった事もあります。
そしてその間にも、毎日のように説明会や研修が続けられ、新しい人は入ってきています。
「人が足りないところに行ってくれ」と言われて向かったら、14時休憩に回ってくれと言われて、ブチギレてリーダーとケンカしたこともあります。
まあ、他にもその倉庫では色々あったわけですが、俺が経験したことはとりあえず以上かな。
その通販会社の、配送員の暴言のニュースを聞いて、倉庫の方でもダメな部分は多かったけど、配送の方も似たような事が多いのかな、って思いました。
勿論、末端作業員がそういうダメ行動をしていい理由にはならないわけですが。
ただ皆さんに知って貰いたい事は、皆さんが受けてる「便利」の多くは、そういう「日本とアメリカの、ダメさ加減を煮詰めて凝縮した環境」と、その犠牲で得ているものである
ただそれだけだったりします。以上です。
よく話が盛り上がるっていう表現があるけど、俺は話を盛り上げることができない。
何かを聞いても「へえ、そうなんだ」以外の感想が出てこないので、「へぇー!」「そうなんですね!」「そうなんだぁ」「なるほど」「〇〇(復唱)ですか」「××さん(会話相手との会話に出てきた共通の知人)も□□しそうにしてましたよ!」のレパートリーでほとんど会話している。
自分の話をするのが大好きなお喋り好きな人相手なら、これだけでエンドレスに会話が続くが、俺の話を聞きたい人との会話が全く続かない。口下手なので話を構成する力もないし滑舌も悪い。
俺には好きな物も語れるものもないし、働かずに天気のいい日に散歩して寝るだけの生活をしたくてエネルギーがあまりない人間なので、会話の中で俺のそういう本質を見抜く人がいる。そのときに、気まずい間が流れる。相手も大人なので、不快感を露わにするわけではないが、うっすらと俺に対するつまらなさに気づく。
俺は面白い人間になりたいわけではないが、相手に気まずさを与えない人間になりたい。
お互いが快適に過ごせる程度のコミュ力が欲しい。
そんなことを思いながら、久々に会った親戚に、仕事は何をしているのか聞かれて、はがきの仕分けをしたり倉庫でピッキングしてますと答えて、(こいつまだバイトを?)みたいな表情と気まずい空気が流れた。
迷惑な男性客がいるなら被害を受けないように警戒するのは当然だ。
ただ、その警戒は等しく客全員に向けるべきなのだ。少なくとも表面上は客の属性によって警戒心の濃淡をつけてはダメだ。
悪い男性客が増えたと考えるのではなく、客全体の平均的な治安が悪化したと考えるべきだ。
女性にも警戒のポーズをとってそっけない接客になり売り上げが落ちるなら、それは正しい社会を作るための正当なコストだ。
中国人窃盗団のピッキング被害が多いなら、建物に立ち入る中国人にのみ入館記録簿へ記帳させるのではなく、訪問者全員に書かせるのが正しい。
属性による差別を仕方ないと正当化する考え方もあり得るが、その場合当然逆の差別もなくならない。キャリア形成や給与待遇で差別をこの先も受け入れることと表裏一体だと認識するべきだ。