はてなキーワード: ビデオ屋とは
ところ変わって兄貴のほうはバイトを終え、仕事仲間と共に帰路の途中だった。
「やれやれ、サンタのコスプレなんてガラにもないことやるもんじゃないな」
「ところで、お前はクリスマスどう過ごすんだ? やっぱり映画でも観るのか?」
「そんなに自分って分かりやすい人間に見える? まあ、その通りなんだけれども。ビデオ屋の店長が在庫処理で譲ってくれてさ」
「『家にボッチ』、『エクセレントかも、人生?』……パッケージが如何にも古いって感じだな」
「知らなくて悪いかよ。そうやって知識でマウントとろうとする姿勢、お前の悪い癖だぞ」
「無知なのにマウント取ろうとする奴よりはマシだろ。それよりもホラ、割と珍しいものもあるよ。この『ええクリスマス物語』とか、この国では未公開なんだ」
「なんでそんなの店長が持っているんだ」
「……さあ? まあ自分の話はこれくらいにして。マスダは今日どう過ごすつもり?」
「特にないな。明日は家族と過ごすけど、今日は父さんと母さんが夫婦水入らずのディナーを楽しむから。弟の子守りのために留守番」
「ふーん……あ、そんな話をしていたら、ちょうど弟くんが」
ドッペルが家から出てこないので、仕方なく公園でくすぶっていたのだろう。
俺は木陰に隠れながら、チャンスを伺う。
あいつに気づかれれば、さっきのように俊足で逃げられるのがオチだ。
そして、そのチャンスはすぐにやってくる。
ツクヒが俺のいる木陰とは真逆の方を向いた。
俺はそれを見逃さず、全速力で距離を詰める。
けど、俺の逸る気持ちが足音に出てしまい、ツクヒとの距離を満足に詰められないまま気づかれてしまう。
俺が隠れていた木陰と、ツクヒがいた場所までかなり距離があったのも痛かった。
この公園が、俺たちの町では『缶蹴りに向かない広場』なことで有名なのを実感する。
そして、ツクヒはまたもその俊足でもって俺との距離をどんどん離していった……。
これではさっきと何も変わらない。
もちろん、そんなことは分かっていたし、こうなることも分かっていた。
違うのは、今の俺は一人じゃないってことだ。
「兄貴、そっちにいったぞ!」
ついさっき出会った兄貴たちに、公園の外を見張ってもらっていた。
俺はツクヒを捕まえるために走ったのではなく、あくまで誘導役だったのだ。
「人違いだ」
ツクヒは慌てて方向転換し、逃げようとする。
けど、もはや逃げることも、捕らえられるのに抵抗する体力も残っていなかった。
煮込んでからしばらく経ったので、野菜をスプーンで軽くつついてみる。
やわらかくなってきたので、ひとまず味見だ。
うん、大分マシになった。
あとは、もう油を入れればいいか。
センセイによると、人間というものは油が好きなように出来ているらしい。
この不出来な野菜スープも、オリーブオイルあたりのイメージ的に良さそうなものを入れれば帳尻は合うだろう。
そうして周りを探してみるが、オリーブオイルはなかった。
まあ、我が家の食卓でオリーブオイルを必要とする料理がないから当たり前ではあった。
タイナイとかは料理好きだから、きっと常備してあるんだろうが。
だが、幸か不幸かなぜかゴマ油は見つかった。
量はほとんど減っていない。
こういった調味料を使いきろうと思ったら、よほどのことがない限り難しいのだろう。
だったらなぜ買ったのかとか、なぜ残したままにしているのかとか、そういったことを気にしている場合ではない。
せめて俺が手向けに使ってやるべきなのかもしれないが、とてもじゃないが使う気にはなれなかった。
そして卵を割り入れる。
人間は卵が好きなように出来ていることを、俺はビデオ屋の店長から学んだ。
しかし割り入れた卵は、映像とか写真とかで見たような綺麗な造形にはならなかった。
スープ全体に淀みが発生し、それと同時に俺から食欲を奪っていく。
仕方がないので、俺は胡椒をパッパラ振りかけた。
他にも何か細々と加えた気もするが、加えていないような気もする。
俺はおもむろにカレーのルゥを放り込んだ。
カレーライスにしようとも思ったが、今から米を炊く気も、炊くまで待つ気にもなれなかったので、これで良しとしよう。
今でも同じビデオ屋で働いている。
俺の意気消沈ぶりから、周りのバイト仲間たちは事情を察していたらしく、変な距離のとり方をしてくる。
「おい、マスダ。そこ棚が違う」
自分で思っていた以上にダメージが大きかったようで、つまらないミスをしてしまう。
指摘されてやっと気づくとは、我ながら呆れる。
やばい。
ここでの給料すら減らされる。
「て、店長、このミスは取り返すので、時給減らさないでください」
「何をテンパってんだ。取り返さなくても、ちょっとしたミスくらいで別に減らしたりはせんよ」
俺のその時の顔はかなり強張っていたらしい。
ただ事ではないと感じたが、いつも以上に店長は口調を穏かにして話した。
「なあ、マスダよ。確かにオレんところは、2倍頑張ったからといって2倍の給料を貰えるってわけじゃない。
だがな、0.5倍頑張ったら0.5倍になるわけでもないんだ。
お前より優秀な人間がいても、お前が必要以上に頑張らなくても、多少の個人差があっても時給980円なんだ。
調子が悪くて、平均以下のパフォーマンスしかできない時でも、よほどのことがない限り時給980円なんだ。
それは確かに“相応の報酬”ではないけれども、案外悪いことじゃないってのを分かってくれ」
まあ、俺は社会をそんなに俯瞰して見ることも、そのつもりもない。
別に頑張りを認めて欲しいわけではなく、お金が貰えればそれでいいんだ。
けど、このバイトの時給980円の重さを、俺は軽んじていることは改めようと思った。
もし、それが当たり前の世の中になったとき、自分の給料は今より増えると無邪気に喜べるだろうか。
実際問題、その“頑張り”を正当に評価できるかなんてことは分からない。
でも、仮にできたとして給料が増えるかどうかはまた別の話だ。
下手をしたら減るかもしれない。
しかも、その原因は自身の頑張りだけではなく、他人の頑張りも相対的に加味されて、配分されているとしたら。
他の人たちはどうだろう。
それとも俺みたいに減る方?
まあ、いずれにしろ、それは“相応の報酬”ではあるんだけどね。
貼り付けられたチラシを一通り見ていくが、応えてくれるようなものは中々見つからない。
学生の俺でもできるバイトは、時給がどこも似たり寄ったりであった。
それは相場を合わせているからなのだろうけれど、見方を変えれば形態と給料を見て設定しているわけではないということ。
それでは二の舞である。
俺は相談窓口に行くと、担当のタケモトさんに他にいいものがないか尋ねた。
「はあ……頑張れば頑張るほど給料が増えるやつ、ねえ……」
タケモトさんは俺の要求を聞くと怪訝そうな顔をしたが、一応は探すそぶりをしてくれている。
「一応あるけどな……これとか」
給料の項目には、「働きに応じて」と書かれている。
「お、これです。これにします!」
「え、本気か……まあ、若いうちに勉強しとくのもいいかもしれないな」
タケモトさんの言い方が少し気になったが、俺は二つ返事で問い合わせた。
俺は早速そこで働き始めた。
タケモトさんの気になる言い方からブラック企業か何かかと思ったが、実に真っ当な労働形態で問題なく働けた。
嫌な上司や同僚がいるわけでも、特別厄介なトラブルがあるわけでもない。
そろそろビデオ屋のほうのバイトはやめて、こちらに専念してもいいかもしれないな。
そしてしばらく時が経ち、初めての給料日。
お金を稼いだという実感を得るため、ナマで受け取るのが好きなのだ。
うきうきしながら中身を見てみる。
「……んん?」
少ない気がする。
数えてみる。
やはり少ない。
念のため、俺は自分がこれまで働いた総時間と、貰った給料を時給で換算してみる。
時給980円、近所のビデオ屋。
欲望とは際限のないもので、俺は自分の給料に不満が出てきたのだ。
閉店間際、俺はそれとなく店長に打診することにした。
「そうだなあ、頑張っている。すごいと思うぞ」
このままでは、馬鹿な会話をしたただけで終わる。
俺は痺れを切らして、思い切って話を進めた。
「店長……俺は別にワーカーホリックではないですし、労働に承認欲求だとかを求めているわけでもないんです」
「ほう、では何のために働く?」
「有り体にいえば金のためです」
店長の予想通りの答えだったのか、フッと笑って見せる。
俺が給料アップのために話をし始めたのは最初から分かっていたようだ。
にも関わらず、店長は意味もなく遠回りなやり取りを好む節がある。
「マスダよ。お前のそういう正直なところは嫌いじゃないが、お前が2倍頑張ったところで給料は2倍にならんぞ」
「なぜ!?」
さすがの俺でもそんな理由で納得はしない。
「いや、店の利益が2倍にならないからといって、その利益がそのまま俺の給料になるわけじゃないんですから」
「労働力以外にも金を使うんだよ。避けるリソースには限りがあるんだ」
「その『以外』からもう少しこちらに回すことは可能なのでは、と言っているんです」
「その『以外』にリソースを割いた方が、お前に給料2倍分の働きを期待するより利益に繋がるんだよ」
その言い分には、いくら俺が働くことに矜持がないからとはいってもムッとする。
「そんな……実は自分が好きに使う分にも回しているんでしょ」
「当たり前だろ」
「えっ」
「何で意外みたいな顔されなきゃならんのだ。慈善事業でやっているわけでも、金をばらまくために雇っているわけでもないんだ。コンプライアンスの範疇で雇用主の得を優先したからといって、咎められる謂れはない」
「主張は理解しましたけれども、頑張りが給料に直結しないって、すごい不当に感じますよ」
「お前には難しい話かもしれんが、お前の頑張りに関係なく給料が同じままってのは案外悪いことじゃあないんだ」
店長はそう言うが、俺にはそれが良い事にはとても思えなかった。
いずれにしろ俺の時給が上がらない以上、その事実は揺らがない。
「誤解しないで欲しいが、労働力を軽視しているわけじゃない」
説得力皆無。
今のままではダメだ。
俺はタイムカードを切った。
映画ってのはどう観るのが正解か。
ひとまずベターな答えは「正解なんてない」ということになるのだろう。
じゃあ、正解がなければ間違いもないのか、あったとしてそれは誰が決めるのか。
そして、そんな不確かな状態で人々はなぜ夢中になれるのか。
今回はそんな話だ。
けれどもスマホのように人々が便利なものに依存し続けるように、俺にとって便利なものがお金だというだけの話さ。
同い年だが、俺の通っている所とは別の学校で、そこはこのビデオ屋から近いとはいえない。
だが、それでもここで働くのは別に給料がいいとかそんなことではなく、この店のピンキリなラインナップに見惚れたかららしい。
棚の整理をしながら、俺たちは何気ない話をしていた。
「なあマスダ。いま話題の『アレ』、今週からだけど観に行った?」
確かパンチだかキックだかして集めたお金で作られた核兵器が生物化し、その生物とヒロインとの戦禍の中での日々を描いた物語を、失恋ものや短編アニメで有名な監督が手がけた意欲作らしい。
「うーん、なんか面倒くさそうなんだよなあ」
「あー……まあな」
放映前から注目された作品なのだが、オリジナルでは主要人物が男ばかりのはずだったのに全員女性になっていて、原作ファンから非難轟々の状態だった。
まあ、元から俺にとってはそこまで興味のないジャンルだったので、どちらにしろ観に行かないけれども。
「観に行けばいい」
店長は割り込むようにそう言った。
「そういうもんですかね?」
店長の言葉が意図するところは分からなかったが、オサカまで健全だというのは違和感があった。
俺が「面倒くさい」といったのは、そういう意味合いもある。
「まあ、今だからこそ見えてくることもある。話題だから、みんな騒いでいるからとケチをつけるよりは有意義だろう」
別にケチをつけた覚えはないのだが、或いは別の店員がそんなことを話していたのだろうか。
「まあ、なんだかんだ気になってたし、バイト帰りに観に行こうぜ」
とはいえ、映画に関わるとオサカは羽振りがよく、色々と奢ってくれることを期待して俺は軽く頷いた。