はてなキーワード: ヒーローとは
まったく問題ないと思うけどね。むしろ歓迎すべきことだろ。まず、コンテンツってのは誰でも楽しむ権利がある。男向けだろうが女向けだろうが、好きなものを楽しむのは基本的な自由だろ。筋肉ムキムキのヒーローが好きな女性がいて何が悪い?無駄にデカい銃が好きな女性がいて何が悪い?それを「男のロマンが台無し」とか言ってるのはただの偏見だ。
確かに、「女性ユーザーが増えるとコンテンツが変わる」なんて意見もあるけどさ、それって別に悪いことじゃないだろ。むしろ、もっと面白くなる可能性が高いんじゃないか?女性の視点が加わることで、新しいアイディアやストーリーが生まれるかもしれない。それに、最近のアクション映画に感情的なシーンが増えたとか言ってるけど、それって別に女性だけのためじゃないんだよ。男だって感情的なシーンを楽しむことがあるんだ。現実を見ろよ。
そもそも、「男のロマン」なんて言葉自体が古臭いんだよ。今の時代、そんな狭い視野で物事を見てたら置いていかれるだけだ。コンテンツは進化するもんだし、視聴者のニーズに合わせて変わるのは当然のこと。女性ユーザーが増えることで、もっと広い層に受け入れられるようになる。結果的に、コンテンツ自体も長続きするんじゃないか?
それから、コミュニティの雰囲気が変わるってのも、別に悪いことじゃないだろ。むしろ、多様な人々が集まることで、もっと豊かなコミュニティが作れるはずだ。ちょっとした冗談でも気をつける必要がある?それは別に女性が増えたからってわけじゃない。社会全体が進化して、もっと思いやりのあるコミュニケーションを求められるようになってるんだよ。それを「ストレス」だとか言ってるのは、自分の狭い世界に閉じこもってるだけだ。
結局のところ、男性向けコンテンツに女性ユーザーが増えることは、コンテンツの寿命が伸びて、コミュニティを豊かにするための一歩だ。男も女も関係なく、好きなものを楽しむ権利がある。古い価値観にしがみついてる奴らには悪いけど、時代は変わってるんだよ。これからのコンテンツは、もっと広い視野で楽しむべきだろ。
そういうお約束はそういうお約束がある作品、世界観ですって明示があるから受け入れられるんだよ
鳴潮の世界観でやるのがおかしい。戦闘のスピード感とも合っていないし、そもそも6幕は短時間にそれを詰め込みすぎだ
それはプレイヤーが"察せる"情報を繫げただけであってストーリーで明確に主人公の意志として描かれているわけじゃないだろ
あんだけ主人公がしゃべるのに目的の部分に関しては匂わせどころか漂ってるだけレベル
それに目的がなんであれ、主人公が自主的になんか考えてるんじゃなくて周囲のキャラが異様な”察し”の良さで主人公にあれしたら?これしたら?って提案してしかも全部お膳立てしてくれて
すごくなろう、オレツエー作品の系譜の都合の良さでゴリ押してるだけ
普通に友人の故郷が危機に晒されてて戦う力があるから戦う、とか夢の化け物通して記憶を追うためとか複数理由見つけられるやろ。
ここはストーリーというかゲームのレベルバランスの問題もあるけど、鳴潮はサブクエストやってなくても音骸集めを進めるだけでガンガンレベル上がってメイン進められるせいでキャラクエストをやってないプレイヤーにとっては思い入れない
これはメインストーリー進めるのに前提任務を設定するかクエスト進行前に注意書きするだけで変わる部分だが、それもない。これが処女作でもないのにストーリーの導線が投げっぱなしなんだよ
あとこれは多分すぐ直せる部分だとは思うけど会話に対して主人公の選択肢がめちゃくちゃ食い気味に表示されるのでプレイヤーが細心の注意払ってないと会話のケツが勝手にスキップされていくのでもう内容云々の問題じゃない
そういう場合、貴方が人助けするヒーローとしていい気分になってる間、対称的に彼女は「行動できなかった臆病者」「自分だけデートに浮かれてた脳天気なやつ」(誇張)みたいな感覚になる。
https://anond.hatelabo.jp/20240531110922
デパートのトイレで吐きまくるベトナム人女性を介抱し、駅の階段で転倒したおばあちゃんのために人を呼び集め、テーマパークのショーで見知らぬお子さんに最前を譲り、インバウンドファミリーの道案内に応じ、その全てで同行女性を激怒させてきた俺の前で……
正直元増田の気持ちはかなりわかる。困ってる人を見たら助けになりたいし、何より初デートというウキウキの状況では、彼女に少しでも「コイツ良い奴だな」と思われたい……彼女の前だからこそよりカッコつけたい下心が十二分にある!
でもそれをやる度にデート中の女性は皆、惚れ直してくれるどころか一様に不機嫌になり、その後どれだけ宥めすかしてもデート開始時のテンションは戻らなかった。なんでか。
最近思い至った答えとしては「初デートにやってくる女性は、お姫様になりに来ているから」である。
お姫様になりに来た女性にとって、デート相手の人助けは「世界で一番お姫様」のはずの自分を「ヒーローを支えるモブ市民」の座に貶める行為でしかない。お姫様-モブ間の認知的不協和こそ、彼女たちがブチギレる理由なのである。
初デートなら目の前の私が絶対的に最優先されるべきで、どんな理由であれ余所見は重罪という、そういう理屈が働いているのだ。
それをそのまま口には出さない、人助けを咎めることを躊躇うような理性ある女性ならなおのこと、不機嫌の理由を言えないことすら察せない相手に怒りが燃え上がる、そういう仕組み………こんな悲しいすれ違いはなかなかない。
この考え方は乱暴に言うと、「付き合っている相手が朝から晩までパチンコ三昧」と「見知らぬ子供を庇って暴走トラックの前に飛び出した」は、彼女たちにとっては何の区別もないということだ。なぜなら「彼女自身にとって直接の利益がない」点では全く差がないから。どっちも自分勝手で最低でわたしのことを全く考えないカス、こんなカス野郎と付き合わされたわたしは世界一不幸、そういうことなのだ……
私こと増田(バイ女性)は様々な女性のこの性質、公益を無視した強烈なプリンセス性を目の当たりにするたび心底驚いて、とてもじゃないが理解などし合える気がしなくて、女性と恋愛をするのは諦めた方がいいかもと思っているのだけど、やっぱり可愛くてフワフワで良い匂いがする女性を好きになってしまう。
どこかには自分とうまくやってくれる女性もいるはずだという希望と、もう全部や〜めたの狭間でどうしたらいいかわからん。助けて。
先日、ピッコマで「北斗の拳」が1日限定全話公開してたので読んでみたんだが、本編はもちろんのこと、時代を感じる部分があって面白かった。
一気読みなのでうろ覚えも多くてすまんが、平成生まれのオタクから見たジェネレーションギャップをまとめてみる。
・男女の区別がはっきりしてる
男とは!女とは!というカテゴリで括られていて「男に生まれたからには」「女としての幸せは」みたいな性別による話が多い。基本的に男が戦っていて、女は戦わないし、戦っても弱い。進撃の巨人とかキングダムみたいな強い女は出てこない。(ユリア実はめっちゃ強いかと思ってた)
基本的に「女子供」は絶対に殺してはならず、守るべき存在。殺すのは相当な外道というポジション。「女子供を殺す奴は人間じゃねえ」って主人公サイドが言ったり。「俺は女でも殺すぞ!」みたいな脅し文句を悪の象徴として使ったりする。鬼滅では老若男女が喰われているが、女子供を喰っていることだけに非難が集中するわけじゃない。子供に対する不可侵はまだありつつも、薄れてきている感覚かもしれない。
・男は守ってもらえない
ヒーローと一般人という区分よりも、男と女子供という区分が強いので、男である限り一般市民でもあんま守ってもらえない。妹を人質に取られると兄は必死になって助けようとするが、それが弟になると「あいつにも死ぬ覚悟ができている」とか言って助けないパターンになる。男に厳しい。悪役に殺されるモブも男ばかり。男が殺されて女子供が殺されそうになった頃に主人公が助けにくる。男も助けてくれ。ヒロアカで女子供しか助けてもらえなかったらすごい違和感ある。時代なのか?
舞台は世紀末だけど性暴力的な言動や描写がほぼない。美人キャラ捕まえた悪役がいうセリフも「美人を捻り殺すの好き」みたいな感じで「俺のものにしてやるゲヘヘ」みたいな感じじゃない。誘拐しても無理やり襲わない。最近の方がそのあたりはエグい。
ビンタしないし文句言わないし口数も少ない。平成の暴力系ツンデレヒロインとは違う。多少の反抗はありつつも基本は受け入れていく姿勢で寛容。ユリアは母性が強く、みんながそこに惹かれている設定なんだが、それを大々的に語られていることが衝撃だった。周囲に「母性に惹かれてる」って思われるのってあの時代的には普通なのか?恥ずかしくないのか?「あの人、ユリアの母性に夢中なんだね」って言われるんだよ。性癖みんなに把握されてるようで自分なら取り乱す。
・命より誇り
かっこよく死ぬ!というスタンスというか。命よりも誇りを取る。掟とか伝統もかなり大事。美学に命かけてる感じ。昨今の作品はわりと命を大事にしている。主人公サイドは特に「掟を守って死んだら元も子もないねーだろ!?」みたいな型破りが多い気がする。北斗の拳ではかっこいいやつほど命をかけてるので、メインキャラがばんばん死んでく。死ぬペースも速い。
・親子の親は死亡フラグ
父親はだいたい死ぬ。母親もときどきしぬ。親が死んでも、子が受け継ぐみたいな価値観が強そう。親子キャラだから死なないだろ、主人公が助けてくれるはず!みたいな前提で最初は読んでたけど、最後の方は子がいるってことは死にそうだなと思うまでになった。最近の漫画や映画は子どもを一人残して死なないパターンが多いかも?
・ラスボス系が子孫を欲しがる
カイオウが「子をなす」ことを望んでいるのが意外だった。DIOとかヴォルデモートとか鬼舞辻無惨とか、ラスボス系は不老不死になって自分が永遠になる!みたいな思考が多いので。子供を作って受け継ぐみたいな人間的な営みを望むのが意外。上記の親子の価値観と近いところがあるのかも。
結局のところこれに尽きると思うんだ
俺だったら申し訳ないけど嫌だし、避けられるのであれば避けて欲しいと願ってしまうな
子供は俺自身じゃないとは言え、だからと言って自分が嫌と思うことでも他人にならしてもいいと思える人種でもない限り、普通に無理なんじゃないかと思うわ
パートナーが欲しがるからという理由なら、それは自分自身が望んだものでない以上、能動的な選択の結果でない分、なにかあれば投げ出す可能性だって大きくなるだろう
出来てさえしまえば我が子が可愛くて仕方なくなるみたいなこと言って誤魔化す人もいるが、それってどこまでも自分の都合の良いように物事捉えてるだけで、子供のことなんて実はこれっぽちも頭の中にない考え方の代表だと思う
結果論的に子供が自身の生まれに満足したケースのみが大きくフィーチャーされるばかりで、子供が満足しなかった場合、満足させられなかった場合、その責任を親は取ることが出来ない
せいぜいが悲劇のヒーローやヒロインぶって、自己満足の「それでも子供の幸せのため一所懸命頑張ります」ロールをやるぐらいで、なんならあわよくばその自分の愛にいつか子供が気付いてくれたら、とか思ってそうでもある
ていうか最悪、虐待とかに発展していっても、なんの不思議もないしな
自分が嫌なことでも、他人になら平気でそれを押し付けることのできる人間なわけだし
そんな風に自分に酔い痴れる前に、そもそも自分が自分の子供なんて嫌すぎるという考えがあったのならば、そのような状況に陥る可能性が高いことぐらい見えていたはずなわけで、そのリスクをそもそも何故犯したんだって話に究極的にはなる
意図せず子供が出来てしまうことはあると思うが、それが自身の迂闊さ故である場合は、あまりにも見通しが甘すぎて、子供が自身の生まれに満足しない未来に怯え続けて、結果的に子供が満足してくれることをひたすらに願って行動するしかできなくなる
子供が出来てさえしまえば論の正体は結局のところこれで、恐怖によって無理矢理に笑顔を作らせて幸せを演出させることに他ならない
もちろん、これは表題の通り、もし自分が自分の子供なら嫌だと考える人の話で、そうでないならこの考えが当てはまらないことは分かっている
だから、結局のところこれに尽きると思うんだ
考えて欲しい