はてなキーワード: パートナーシップとは
血縁無しに法律上の家族になる制度が今のところ婚姻と養子縁組しか無いからな。
セックスする関係には縁組より婚姻の方が適切。縁組は何人としても良いし。
それならパートナーシップ制度を別途作れと思うかもしれないが、法効果が同一のものを別途作る必要もないし、婚姻と別の制度にして実質的な重婚関係を可能にする必要も無いし、婚姻そのものを使うことによるデメリットも無い。
「両性の合意のみに基づいて」の「のみ」は、婚姻を異性婚に限るという意味ではなく、婚姻をする2者以外の意志の介入(端的には家制度下による両者親族の意向など)に歯止めをかけるために入れられた文言である、というのが、24条1項の立法者意思についての一般的理解。そもそもこの憲法が誕生した時代に、「同性同士が結婚する」というアイディアは、法曹界だけでなく当時の同性愛を実践する当事者にとっても全く現実的なものではなかった。
このことから、立法者意思説に立った場合も法律意思説に立った場合も、24条1項は、同性婚を積極的に禁止しているわけではなく(人間と法は、その時点での想定の枠外のものを「禁止」しない)、同性婚を「想定していない」(未規定)という解釈が一般的である。2021年の札幌地裁判決に始まる各地での同性婚訴訟の判決も、このような解釈に基づいている。その点で、https://anond.hatelabo.jp/20240316113208 の増田が書いている「憲法は同性婚を想定していない、というのは憲法学会の通説であり」は100%正しい。
ただし、同じ増田が追記で書いている「両性の合意がない以上、それに準ずる制度は作れたとしても憲法上の婚姻には該当しないって理屈付けしなきゃ無理」のほうは間違っている。「憲法で同性の婚姻が保障されていない状態のまま、民法戸籍法において規定された婚姻を同性に拡張すること」自体は法律論的には問題がない。憲法上では未規定だった対象や事項を下位法で包摂するというのは、憲法24条以外の憲法条文でも当然存在する。たとえば肖像権・プライバシー権は憲法上では想定されていなかった未規定の権利だが、第13条の幸福追求権という抽象的な包括的人権から敷衍される具体的権利性のひとつととらえることにより、後に民法で規定され保護されることになった。そこは、増田も引用している高橋和之先生がこのように書いている通りである。
「日本国憲法は、人権をそこで列挙した個別的人権類型に限定したのではなく、時代の変化に応じて生ずる個人の新しい必要・要求が具体的人権として個別化されることを認めている」
なお、ここで元増田に都合の悪いことも書いてしまうと、元増田が引用している高橋和之氏の「立憲主義と日本国憲法」 の
婚姻の自由については憲法24条が保障しているが、近年議論され始めた同性間の結婚まではカバーしていないというのが通説である
という部分は、実は2020年発行の第五版では「通説であった」と改められている。このことは国会質疑でも取り上げられている。https://twitter.com/P_reDemocracy/status/1597644240489701377
それはともかくとして、2021年札幌地裁判決では、少なくとも同性カップルに対して権利保護の仕組みを一切立法しないのは国会の裁量範囲を超える違憲状態であり、このような違憲状態を解消するうえで、実際に現行の民法戸籍法が規定する婚姻を同性に拡張することで解消するか、それとも海外のシビルユニオンやPACSのような、婚姻と似たような形で同性間にもパートナーシップの法的保護を保障する、別建ての法律を新たに創設することで解消するかは、国会の広範な裁量に委ねられる、としていた。以後の各地域での同性婚訴訟の基本的な流れも基本的にはこの立場にあった。「同性間に結婚を許してもいいし、同性向けに(あるいは同性も含めて)結婚みたいな別制度を作ってもいいから、とにかく何かやりなさいよ」ということだ。
一方、今回の札幌高裁判決は、この建て付けから一歩踏み込んで、現行民法戸籍法が同性間の婚姻を認めていないことは、憲法24条1項にも違反するとしており、ここまでの判決とは大きく意味合いが変わった。これは同性婚訴訟の当事者を支援する法曹にとっても予期せぬ判決で、驚き混じりの賞賛の声が出ているほどだ。ただし、その「違憲である現行民法戸籍法のあり方」に対してどのような立法的解決を図るかは、引き続き立法機関たる国会の裁量に任されていると考えられる。よって、憲法24条1項の定める「婚姻」の下位分類として、現行民法戸籍法の定める「婚姻」と、新たに民法で規定される「何か」(たとえばシビルユニオンやPACSのような婚姻類似制度)が併存する、という建て付けも可能であろう。その点では、札幌地裁判決に続く一連の判決での示唆と、求める立法的解決の形が激変しているわけではないと思う。
とはいえ(これまで保守派が「同性婚を禁止している」と認識していた)24条1項自体にもとづいて「現行民法戸籍法は違憲だ」という判決が出るというのは結構すごいことで、おそらくこの判決が出たことで「国会がどのあたりを落としどころにするか」というラインも変わってくると思う。おそらく自民党保守派も「婚姻制度が提供する法的保護のごく一部について最低限保障するようなショボいシビルユニオンを作れば違憲状態は解消され、保守派も何とか納得するだろう」だったものが、「同性パートナーシップを現行民法戸籍法の「婚姻」には絶対入れさせたくないが、そのためには、あるていど充実したシビルユニオン法案を提案せざるを得ない」という感じになるかもしれない。法相から以下のような物言いが出てきたのはその潮目の変化を表していると思う。
小泉龍司法相はこの日の定例会見で「国民生活の基本や国民一人一人の家族観にも関わる問題で、国民的なコンセンサスと理解が求められる」とし「われわれも、議論を進めるという意味では貢献できるところがある」
岸田首相「同性婚規定、なくても憲法に違反しない」 札幌高裁が「違憲」判決出したのになお後ろ向き:東京新聞 TOKYO Web
与党内でも、公明党はもともと同性婚推進派だし、自民党内で同性婚反対の論調をリードしてきた安倍派はいまズタボロの状態にある。外堀は徐々に埋まりつつある気がする。
同居している家族との関係が最悪だった時、当時の無職、手帳持ちの友人から一部屋空いているからうちに来るといいと言われ、そのままなし崩しにそいつの家に引っ越した
まず、その友人の親に挨拶すると、「そんなに仲がいいなら結婚すればいいのに」と言われ(友人と自分は同性)
友人はなぜか乗り気、そのままその土地のパートナーシップ制度などを調べ出す
「結婚ってこういうものなのか」などと頻繁に言い出すなど、なにか後戻りできない雰囲気に
結局パートナーシップ制度はお飾りの制度だったので、パートナーシップは結ばなかった
役所帰りに怒る友人を宥めながら喫茶店で奢っていたことを思い出す
セックスもしたけど、友人がアンアン言ってイクまで自分が責め続けるだけでなにも気持ちよくなかった
ちょっと面白くはあったけど自分がなんも気持ちよくないからすぐ飽きた
ただの作業だった
でもそれだけしても付き合うことはなかった
友人いわく、恋愛はしたくないらしい、そういうセクシャルじゃないとかなんとか
でも結婚願望(同性だから実際に結婚できる訳じゃないけど)はあるみたいで、かなりの頻度でほのめかしてきた
そいつの親も「増田さんがいてくれれば安心ね」とか言いまくるし
いよいよ後戻りできない雰囲気
無職手帳持ち友人は無職で手帳持ちなので家の掃除も金を稼いでくることもできない、家はゴミだらけで自分が掃除しなければいけなかった
生活の費用はほとんど自分で出した、友人の親に家賃まで払った、
正社員になろうと思ったけど友人が嫌がるからパートで、シフトを最大まで入れて頑張った
その間友人は他の異性の友人と遊んだり、うまくて高い飯を食いに行ったりしていた
毎晩ボイチャをし、デケー声で知らん人と喋りまくっていた
明らかに自分よりそいつらの方が好きそうだったし扱いも丁寧だった
そのうちセフレを100人作りたいとかナメた事言い出したからさすがにキレたら、
こいつが死ぬまで面倒みたらあとは野垂れ死ぬんだろうなと思っていた
パートナーシップ割引とかもらえないだろうか
純粋にフレーズだけ入力して解説せよ、とするとこうなったんだが、
どんなプロンプト入れたかわからんけど、もうちょっとやりようがあるでしょ。挟みとAIは使い方だよ?
「アタオカはいらない、お金がいる」というフレーズは、女性が直面する問題に関する日本の社会的な議論を反映しているようです。この文脈で「アタオカ」とは「お世話になる男性」を指し、「お金がいる」とは、女性が経済的自立を求める現代の傾向を表しています。
このフレーズは、伝統的なジェンダーロールと現代の社会動向との間の緊張を示しているかもしれません。日本の社会においては、長い間、「男性が働き、女性が家庭を守る」という役割分担が一般的でした。しかし、経済のグローバル化、女性の教育水準の向上、そして女性の労働市場参加の増加などにより、この伝統的な役割分担は変化しています。
この変化により、多くの女性が経済的自立を目指すようになりました。結婚やパートナーシップにおいても、従来の「男性が経済的に支える」役割に頼るのではなく、自分自身の経済力を重視する傾向が見られます。このことは、「アタオカはいらない、お金がいる」というフレーズに象徴的に表れていると言えます。
この現象は、女性の社会進出やジェンダー平等に向けた進歩の一環として捉えられる一方で、日本のように伝統的な家族構造や社会規範が強い国では、新旧の価値観の衝突や世代間の意見の相違を生じさせることもあります。これにより、働く女性への社会的支援や育児・家事分担の公平性など、さまざまな社会問題が浮き彫りになっています。
したがって、「アタオカはいらない、お金がいる」というフレーズは、日本社会における女性の地位や役割、そして経済的自立に関する重要な社会学的課題を示していると言えるでしょう。
chatGPTちゃんに攻撃的な表現を穏当なものに整えてってお願いしたら文意自体変えやがるから、見出しは変えずに本文部分だけ調整してってお願いしたら心が壊れてるみたいな内容になった。
経済的な安定は、将来のパートナーとの共同生活において重要な要素です。特に東京では年収800万円、その他地域では600万円が目安とされています。これらは一般的な基準であり、安心して生活できる最低限のラインと捉えましょう。
パートナーシップの中で、生活スタイルについては互いに合意形成することが大切です。共に話し合い、お互いが納得し、支え合える関係を目指しましょう。
相手を尊重し、お互いの価値を認め合うことが、健全な関係構築の基礎です。互いの強みを生かし、支え合う姿勢が重要です。
自信を持つことは重要ですが、相手を尊重し、等身大の自分を見せることで、真の信頼関係が築けます。お互いの長所を認め合い、高め合う関係を目指しましょう。
健康を維持し、自己管理を徹底することは、自己魅力を高める上で非常に重要です。健康的な生活は、自信にもつながります。
出会いの幅を広げ、多くの人との関係を築くことは、理想のパートナーを見つける上で有効です。ただし、すべての関係に真摯に向き合い、相手に敬意を持って接しましょう。
出会いの中での失敗は、成長の機会です。一つの経験から学び、前向きに次のステップへ進みましょう。
関係を深める上で、お互いのコミュニケーションと理解が重要です。互いの意志と同意のもとで、関係を進展させることが大切です。
関係を深めるための努力と投資は、将来の豊かな関係構築につながります。無理のない範囲で、お互いにとって価値のある時間を共有しましょう。
人生のさまざまな経験は、若いうちに積むほど、豊かな人生につながります。積極的にチャレンジし、多くの経験を積み重ねましょう。
こういう主張で自民党議員と公約締結している神道政治連盟じゃない?
同性愛は「後天的な精神の障害または依存症」であり「治療可能」と主張
「伝統的な家族制度の崩壊につながりかねない選択的夫婦別氏(姓)制度の導入に反対し、その対処策として、旧姓の使用拡大に努めます」と自民党議員と合意
「各自治体におけるパートナーシップ制の制定等の動向を注視するとともに、民法で定める法律婚を大事にしてその意義啓発に努めます」と自民党議員と合意
この辺の人ね。 https://toyokeizai.net/articles/-/667833?page=3
同じく、超美人年下年収バカ高の高嶺の花と同居してます!!!!!!!
ある日「男と結婚するくらいならあなたと暮らしたい」って泣きながら電話きて
その後酔っ払いながら「阿佐ヶ谷姉妹みたいに仲良く女と暮らして年取るのもよくない?」と言われたり
パートナーシップが認められる国ならあなたとなってもいいなぁと言われたり
でも私は同性愛者、相手はノンケ、という状態でそこからも友情が何年も続き
ある引っ越しのタイミングに「てかマンション買うのもありだと思うんだよね」といいだすので「いいじゃんいいじゃん犬飼えるし」っていってたら
翌週には内見、翌月には契約、3000万円の3LDKをさいたまのはずれに購入していて
私も相手も完全在宅仕事なのでアクセス悪いところでも全然生きていけるんだけど
一番狭い部屋にはなっちゃうけど…ベッドルーム余ってるんだよね、家賃4万でどうだろう…と同居に誘われる。
嬉しい~~~~~喜んでーー!!!
しかも40万かけて全室霧ヶ峰をつけてくれた。世界一かわいい犬つき。
コンロは3つで料理が死ぬほど捗る!追い焚きできるリノベしたてのお風呂、ウォーターサーバーに大きな冷蔵庫!神かな。4万でいいの?ほんとに?
ユニットバス築30年家賃28000円に住んでたっていうのに突然こんなことある!?
先日ようやくカミングアウトもして、全然外に恋人をつくってもいいとのこと。やったー!!
ただ、死ぬまで一緒に暮らすつもりで家買っちゃってるので、突然出ていかれちゃうのは寂しいし、売却したり自分の婚活も再検討しなきゃだから
半年前には相談がほしいとのこと。それは人としてもちろんです!!!!
なんかね、別に恋愛関係にならなくても、お互い恋愛対象外でも(お互いに性的魅力を一切感じない)
この人と協力して生きていきたいなあって思ってもらえると
いいえ、子あり世帯の収入状況の把握と比較をしたいなら最低限でも
anond:20231124131426に書いた程度の情報はないと無価値なのは単なる事実なんで
たとえば、50代子あり夫婦の世帯年収と20代子あり夫婦の世帯年収は常識的に考えて違いますよね?
まぁその常識を増田以外は疑わないので、現実では若夫婦世帯に限定した区民市営住宅応募枠ほか各種サポートがあるんですけど、
単純に子あり世帯は年収・所得が高いとしたら子あり世帯にいっさいのサポート要らなくなっちゃいますよね?
それから、『e-Stat とまともに睨めっこすればある程度の傾向は見れる』というのは、
e-Stat にanond:20231124131426 に書いた条件にピッタリ条件に一致する情報ではなくても、おそらく似たような情報なら落ちてるということを言ってます
ワイは男女厨ちゃんのためにe-Stat と睨めっこしたくねーのでしませんけど、
増田が本気で社会問題考える!!!!!ごっこをやりたいなら、ちゃんとe-Statと睨めっこして資料作ったらどうです?
その際、ワイは面倒(心底どうでもいい)ので、下記のように男女一緒にしたけど、それぞれ男女別にした方がいいかもしれません
なぜなら、貼り付けた給与所得の平均の通り、男女とも年齢が上がるごとにどの学歴でも給与所得は上がっているからです
どこでキャリアの中断ではなく断絶が起きているのか、キャリアの断絶が起きている世帯と断絶が起きていない世帯の違いは何か?を明らかにするのは、
いや子あり世帯はキャリアの中断は起きても、いっさい断絶は起きてねーんだよ!という結果が出るなら、それはそれで結構なことだと思います
そーいうの興味ないならやっぱ下記だと思います
それぞれ独立して暮らした方が経済・社会保障的に合理的だけど、2023年時点での日本の風俗文化(パートナーシップよりも結婚は素晴らしいという文化)の文脈で祝福されたいという目的を持っているなら結婚すればいいし、
毒親確定のメンヘラや異常に軽薄な人以外は、健康や経済力に不安があっても別に子作りしていいです。増田の人生に必要であるなら子ども作りましょう
それぞれ独立して暮らした方が経済・社会保障的に合理的だけど、2023年時点での日本の風俗文化(パートナーシップよりも結婚は素晴らしいという文化)の文脈で祝福されたいという目的を持っているなら結婚すればいいし、
毒親確定のメンヘラや異常に軽薄な人以外は、健康や経済力に不安があっても別に子作りしていいです。増田の人生に必要であるなら子ども作りましょう
理解できてるよ。
「結論ありきの頭の悪い調査である」って主張の論拠が「俺がそう思った」程度のレベルでしかないって指摘してるの理解できてるか?笑
その点についての反論が出来ないのであれば、馬鹿の妄言ってことでこの点は終わりな。
年収のデータだけでは主張してた内容の何もわからないってことでいい?
というか金があっても複合施設行ったらフードコートで飯食うしKFCくらい行くぞ笑
『貧乏だと結婚できない』ではなくて、しない方が得です、単純に
それぞれ独立して暮らした方が経済・社会保障的に合理的だけど、2023年時点での日本の風俗文化の文脈で祝福されたいという目的(パートナーシップよりも結婚は素晴らしいという文化)を持っている
そもそも増田は何度も書いてるe-Statがなんであるかについては理解出来てるか?
e-Stat とまともに睨めっこすればある程度の傾向は見れるんでしょうけど
とりあえず増田の世界では、上級国民や高所得がガストやサイゼやフードコートいくってことは理解した
どーでもいいけどうち年収1500万くらいあるけど普通にフードコート行くわ
もっと収入多いであろう上司とフードコートで出くわした事もあるし
(その上司はとっくに子供も成人済みで夫婦だけでいたからこんな所使うんだ!と思った)
(https://anond.hatelabo.jp/20200103005933#)
関連増田:「世帯年収600万以上でもサイゼリアには行くしケンタッキーは好きだろう。美味しいもん。 」
通常、高所得の人って自己選択や教育のとか色々ツッコミたいことは無限♾️にあるが、不毛なので置いておいて、
増田の主張のキモって、『貧乏だと結婚できない』、『子ども作れない』って主張だと思うので、そっちに言及するね
結婚は時代遅れで終わった制度云々以前に、結婚をセーフティネットかなんかではありません
世帯収入増えたり・扶養義務生まれたら社会福祉が受けられなくなるからね
不合理かつ生活難易度あがるけど、子どもを作る予定がある場合、2023年時点では子どものお気持ちを考えたら、この選択も仕方ないかもしれません
公費でベビーシッターやヘルパーなどのサービスを利用したり、生活保護を受けることを検討すればいいだけ
公的な支援制度や社会的なサポートは、子育てを支えるために設けられているし、低所得家庭に限れば学費も無料か大幅減額がある
残念ながら英語オンリーですけど無償でMBAやCS(コンピュータサイエンス)の学位が取れるオンライン大学も存在します
先進国であれば IN が少なくても認知能力に特別な問題が無ければ(メンヘラじゃなきゃ)子どもを育てられます
なので先進国に移民した一世が IN が少なくても子ども作るのは至極当然の話なんですね
増田もそうしてください
もう少し詳しく説明すると、このような図式になる。地下に埋まった塊茎を手に入れるために、人類となるべき一族は掘削棒を発明した。大型動物を待ち伏せして狩るようになり、スピード、持久力、武器が殺しのカギを握るようになった。このことは、歯、腕、脚の変化だけでなく、化石の傷のパターン、洞窟で発見された食事や骨、そして生き残った現代のハンターがどのように大型動物を狩っていたかからもわかる。
競合する肉食動物すべてからヒトの系統を分けた画期的な点は、複合食と火を使って調理する食べ物だった。つまり、消化に使うカロリーがはるかに少なくて済んだのだ。リチャード・ランガムが論じているように、余分なカロリーは成長期の脳のために使われたのである。
待ち伏せ狩りは当てにならず、ハンターは1ヶ月に1度しか大きな獲物を仕留めないかもしれない。人類はそれに対処するために社会組織を変えた。食料は本拠地でグループ全体で共有するようになった。この変化は、全員が通常の肉を食べることを意味するが、肉のない日には、ハンターは塊茎や他の果物や野菜に頼ることができる。
霊長類の祖先や初期の人類は、この変化に2つの方法で対処していたようだ。第一に、おいしい食料をみんなで分け合うために、ハンター同士の競争を制限し、いじめっ子を懲らしめる方法を見つけた。
第二に、新しい育児スタイルを考案した。フェミニストの霊長類学者サラ・ハーディは、霊長類の幼児殺しのパターンについて、また男女関係における重要な変化として、母親が幼い子どもの世話を他の女性や男性に任せるようになった経緯について、幅広く書いている。もうひとつの変化は、霊長類の中で唯一、ヒトが男女ともに女性の閉経年齢を過ぎても生きるようになったことである。進化的な利点は、年寄りの専門知識が貴重であるということもあるが、年寄りが育児をするということもあるようだ。
これらの違いやその他のさまざまな違いによって、人類は他の類人猿よりも早く増殖することができた。そしてある時期には、世界中に急速に広まることができた。
この初期の歴史は、人類学者が世界中のほぼ同時代の狩猟採集民のグループから報告された社会の種類と一致している。その鍵は、富や余剰がないことである。
人々は定期的に移動する。もう片方の腰に子供を抱えたまま、持てる以上のものを所有する者はいない。バンドには縛りがない。人々は常にグループを変え、誰もが他のいくつかのバンドに現実または架空の親族を持っている。食べ物やセックス、その他何かをめぐって緊張が高まると、誰かが移動する。つまり、女性も男性も囚われることはなく、こうした社会では、性別による不平等の規則的なパターンは存在しない。そして、いじめっ子を抑制する能力は、最近の狩猟採集民のもうひとつの重要なパターンである。
これは人類学者の証言からもわかる。しかし、類人猿の祖先からの解剖学的変化からの証拠もある。他のオスと戦うために使われていたオスの大きな犬歯は姿を消し、体格差も大きくなくなった。ヒトのオスはメスより約15%大きい。他の霊長類との比較によれば、これはオスの支配を意味するが、それほど大きなものではない。
男性の性器は多くの点で変化した。霊長類や他の多くの種では、睾丸の大きさは性的パートナーシップの独占度を示している。ヒトの睾丸の大きさはその中間に位置し、一夫一婦制の慣習が浮気によって変化したことを示唆している。
ヒトのペニスの変化は多岐にわたる。コーミエとジョーンズは、『家畜化されたペニス』という適切なタイトルの本の中で、これらの変化はすべて女性の選択による交尾相手の選択の結果であると主張している。
女性の性欲の変化はさらに著しい。他の霊長類では、メスは排卵のときだけセックスをする。ヒトのメスは一年中セックスをする。これは、より多くのセックスが可能であることを意味するが、性的に活発なオスとメスの比率が1対1であることを意味する。他の類人猿や霊長類では、2対1から40対1まで様々である。このことは、ペアの絆や男女平等が生まれやすかったことを示唆している。
霊長類学者で人類学者のクリストファー・ボームは、重要な論文と影響力のある2冊の本の中で、パズルの最後のピースを提示した。ボームは、狩猟採集集団の平等と共有は、文化的かつ意識的に達成されたものだと主張している。
彼によれば、私たちは、服従し、競争し、支配することを奨励する類人猿の遺産を保持している。しかし、人間が生き残るためには、自分の中に湧き上がる嫉妬、攻撃性、利己主義を抑え、他人の利己主義を抑えるために、意識的に協力し合わなければならなかった。
ボームの考えは、今では広く受け入れられている。これらはすべて、人が生まれつき平等主義的であったり、非暴力的であったりするからではない。私たちの中にその可能性があるからであり、その反対でもある。しかし私たちは、生き残るためには分かち合い、平等主義でなければならないことを理解していた。
ボームの理論は、私たちの大きな脳にも合致する。科学者たちは長い間、大きな脳は手や狩猟、武器や道具に関係していると考えていた。しかし、他の霊長類では、脳の大きさを最もよく予測できるのは集団の大きさである。
ほとんどの霊長類では、支配階層に立つかどうかは、複雑で絶えず移り変わる政治的世界で同盟を築く能力にかかっている。そしてオスが繁殖するチャンスは、そのヒエラルキーにおける地位によって決まる。社会的知性は非常に重要である。10人のグループでは、45の異なる人間関係を把握しなければならない。20人の集団では190通りの人間関係がある。200人の村では......計算してみてほしい。
そしておそらく、人間においては、いじめを抑制し、平等に生き、分かち合う能力が、社会的知性の決定的な成果だったのだろう。競争に使える頭脳は、協力にも使えるのだ。
まとめると、多くの分野の学者たちの研究によって、200万年かけて進化した特定の生態学的ニッチへの人間の適応が、約20万年前の人類の出現につながったという首尾一貫した図式を提示することが可能になったのである。しかし、サラ・ハーディとクリストファー・ボームとの簡単な意見の相違を除けば、グレイバーとウェングローは、この印象的な新材料の数々を無視することによって対処している。
実際、もしそれを受け入れていたら、彼らはこの適応の平等主義的性格と、それが特定の環境の物質的条件と密接に結びついている度合いの両方を受け入れなければならなくなるだろう。
自由な選択へのコミットメントにしがみつき、自分たちの政治的プロジェクトを無傷で維持するために、彼らの議論はひるんだり潜ったりする。
文章は緻密でありながら、華やかさと権威に満ちている。この本はすごいスピードで唸りを上げる。適当な図解は疲れるし、非連続的な言い回しや心のゆらぎを解きほぐすのは難しい。読者は、彼らの証拠の使用はしばしば信頼できないことを警告されるべきである。ハザ族、モンタナイス・ナスカピ族、シルック族、ヌエル族に会ったことのない無知な人は、細部に狂気を感じるだろう。