はてなキーワード: パトライトとは
思い出補正は多分にあるし、直撃世代ではないことを踏まえての話。
重厚でクールなタカ、軽妙で洒落の効いたユージのイケメンぶりに痺れた。
だいぶ後で知ったことだが、この2人の中の人は、「何を演っても舘ひろし」「どんな役にもなりきる柴田恭兵」という、役者としては完全に対極に位置する2人だったのだ。
2人のアイテムも一々洒落ていて、挙げ出したらキリないが、個人的には刑事ドラマで絶対必須な、拳銃と覆面パトカーのチョイスに目を奪われた。
なにこれ素敵としか言いようがなかった。
どちらも国家権力、或いは役所のお堅さの象徴とも言うべき小道具で、かつそれまでの刑事ドラマでは男の汗が染み込んだツールでもあったのに、この小洒落た感はどうなんだ、凄すぎる。
というのも同じ.357マグナムリボルバーでは、シティハンター冴羽獠でお馴染みのコルトパイソンと、ルパン三世の次元大介愛用のS&W M19が、名銃としてあまりに有名過ぎるからだ。
しかしあぶデカでは、M29でダーティハリー的本気のハードボイルドを踏襲するでもなく、M36のようなミステリー寄りの小道具とするでもない、「暴力犯捜査のプロフェッショナルが醸し出すダンディズム」として絵になる、最高の起用となった。
更に背中に隠し持ったバックアップのM49で、実戦的な「二丁拳銃」感まで出しちゃうのが恐ろしくクールなのだ。
一方ユージの愛銃コルト・ローマンMk-IIIは従来の刑事ドラマで頻出だった銃の中から、盗犯捜査のプロであるユージの身軽さ・しなやかさに合ったものを選んだ手堅さが対照的。
「もっと」でパイソンになるけど、飽くまで2.5インチのコンパクトなモデルで、イメージを損なわない変更に留まっている。
そしてユージといえば銃以上に、覆面パトカーのF31レパードとの絶好のマッチングが一番カッコイイ所である。
昭和末期、'80年代後半のバブル時代における、良い意味の明るさと余裕を醸し出す紳士の1台というのだろうか。
ちなみに当時このジャンルではZ20ソアラの方がイメージを牽引していたけど、ハマの2人にはシャンパンゴールドor紺のクーペでしょ!というハマり具合で(ハマだけに?)、赤いパトライトを煌めかせながら横浜の街を疾走するのを、ただ見ているだけでも飽きなかった。
そんな彼らを写すカメラワークというのだろうか、素人なのでよく分からないのだが、とにかく刑事ドラマらしからぬお洒落さがあって、ともすると色気すら漂ってくる映像が印象に残っている。
アニメで言うと、OVAの逮捕しちゃうぞに通じるかも。あっちも素晴らしい画作りで、その時の監督は後にるろ剣を手がけ、こちらも志々雄編くらいまで存分に堪能させてもらった。
いや、良い思い出だった。
「もっとも」までは。
完全に主観なのだが、結果的に、逮捕がTV版以降全然アレな内容になったのと同じくらい、'90年代以降のあぶない刑事はイケてないまま、昨年その歴史に終止符を打った。
'96年の映画の時から「あれ…?」という感覚を禁じ得なかったので、次こそ期待と思っていたのだが、遂に「次」は来なかった。
本当に、「どうして?なんで?」という気持ちがずーっと拭えない。
個別に見ていくと、まず課長役の中条静夫氏が亡くなった穴は大きかった。でもこれは仲村トオルが「大馬鹿者!」を引き継いだ辺りから払拭された。というか「大馬鹿者!」のシーンを見て、仲村トオルは賢い動物では言い表せないレベルの大物役者になったんだと実感させられた。
タカの銃がマグナムからガバメントに変わったのは別にいい。歳を重ねたジェントルマンの、静けさの中に本気を秘めた、スキがない佇まい的には多分こっちのが正解。銭形のとっつぁんに通じる渋みもある。
でもユージの操るクルマがアルファマセラティGT-Rだったのはいただけないし、これは結構象徴的かも。
アルファもマセラティも、「色気を振りまくバイタリティ」が前面に出過ぎていて、レパードの「綺麗に片付いていて、それぞれのパーツは小洒落た程度なんだけど、トータルパッケージでそこはかとなくエロい」感と比較すると、気が利いてないというか、ともするとそんな刑事いないよ感さえある。
GT-Rに至っては「スーツを着た元体育会系のおっさん」臭で小洒落感より「巡査長たる巡査(=現場一筋の叩き上げ系名誉職)」的本気が頭をよぎってしまう。
だったらせめてアルシオーネSVXとかユーノス・コスモ辺りを選んで欲しかったなあ…このジャンルの日本車は今世紀になってからほぼ絶滅に近いけど。
そんなクルマの事も含めて、なんだか全体的に妙にわざとらしくて、勘違いもありそうで、ケバさと安っぽさのサラダボウル感があって、でもクールさ、アツさ、カッコ良さが入ってない。
何が変わったんだろう?
だったら何をアップデートすべきだったんだろう?
残念な疑問は尽きない。
https://togetter.com/li/1096750
これ見て思いだした。
自分は結構やり返す方だったせいか、不良みたいなのから狙われても、あまりイジメが長引くことはなかった。「あいつはつまんねえ」みたいな感じだったのかも。それでも、狙われてたときの辛さは未だに腹立たしいし、悔しいし、思い出したくもない。
地元は狭い世界だから、未だに中学生くらいの人間関係で生きている連中が大勢いる。それこそ、爆サイの地元のスレッドを読めば、これあいつのことだな、とわかるような書き込みが結構な頻度で見つかる。内容は誰のほうが強いとか、あの女はやらせてくれるとか、やっぱり中学生の頃と同じ。
そんな奴らと二度と関わりたくないが、一回だけと思って、お盆の帰省中に地元の同窓会に出たことがあった。
そこで繰り広げられていたのは、中学時代そのままのヒエラルキーに基づいた「いじり」という形のイジメそのものであった。一気飲みの強要やセクハラが加わってる分、余計に胸糞が悪い。イジられる側は来なきゃいいのにと思ったが、気弱なカズオによると家も未だに近所だし、聞くとまだ昔のような上下関係が続いているらしい。俺の中で何かが弾けた。
次の年、俺はまた同窓会の場にいた。
ヴィトンの鞄と、ロレックスを身に着け、会場のつぼ八的な店にBMWで乗り付けた。(前の年に、飲み会だというのにクルマで来る輩が少なからずいるのには唖然とした)
すると連中の目の色が変わった。俺は自分の今は明かしていなかった(SNSの類も一切やってない)ので、せいぜい「東京で働いてる」くらいの情報しか持っておらず、羽振りの良さに驚いたのだろう。いじめっ子の取り巻きだった女性陣からはLINEの交換要望と、彼女はいるのかという質問がひっきりなしで、そのストレートさには閉口した。
男たちは、冴えないガリ勉だったはずの俺がちやほやされるのに苛立っていたようで、酔いが回って夜も遅くなり、残ってるのが元いじめっ子のクズ野郎たちだけになった頃には案の定、因縁をつけてきた。
女たちが、やめなよ、と言うのを聞いてますます激昂した奴らをなだめるように、俺は「まあまあ、もう大人なんだし」とスカして見せた。
するといよいよ引き下がれなくなったのか、土下座して飲み代を全部払え、と言ってきた。
俺は窓から外を見て、パトカー的な赤色灯が光るのを確認してから、
「お前らダセえんだよ!いつまで中学んときと変わらねえ、クソガキやってんだ!」
と、つぼ八的な店に響き渡る声で叫んだ。
俺が突然豹変したのと、普段は通らないパトカーが登場した(つぼ八的な店に駐車場があるのも、地元警察となあなあでやっている話なのは暗黙の了解)ので、連中は混乱して完全に固まってしまった。
「これが最後だ……二度と!俺の前に出てくんな!」
自分から同窓会に来といて何たる言い草かと思うが、まあ劇的な絶交宣言というのをやりたかったわけだ。警察がいるのに喧嘩を始めるほどのバカ達ではなかったのが幸いし(執行猶予中の奴もいた)、固まっている連中を尻目に、俺は幹事の男(スネ夫的ポジション)の胸ポケットに万札をねじ込むと、つぼ八的な店を後にした。
店を出てBMWの助手席に乗り込むと、運転席のカズオが車を出した。タイミングがどうだったかと気にするカズオ。
都合よく来たパトカーなんてものはなくて、正体は俺からの着信に合わせてカズオが点けたパトライト(前の日にドンキホーテで購入)だ。
あいつら帰れんのかな、全員酔っぱらいなら言い逃れ出来ないから、パトカーが来てると思ったら店から出られないぜ。店にも迷惑かかるなあ。
カズオはお人好しだ。
俺はいたって冷徹だ。こんなことしてなんになったのか。あんな縁切り宣言で俺が過去を断ち切れたというのか。
言いながら腕からデイトナを外して後部座席のヴィトンに放り込む。
と、カズオが笑いながら言う。翌月から県外で働くというカズオに、最後に連中になにかしてやろうぜ、と焚き付けたのは俺だ。店に来るときは後部座席に隠れててもらったりと、小細工に協力してくれた。
「付き合ってもらってありがとな」
その後、カズオとは会っていないが、結婚して子供が産まれたらしく、子煩悩な年賀状のやり取りが毎年続いていた。(近年はこっちが海外にいるのでさすがに途絶えてるが)
俺は、俺のほうが圧倒的に社会的成功を収めていて、収入が高く、気の利く美人な妻とかわいい子供に囲まれて、責任ある仕事を果たしている、と思っている。だから俺はアイツラより人として価値がある。俺のほうがあいつらより幸せになる権利がある。あいつらは俺と金輪際関係ないところで野垂れ死ねばいい。そのくらい思わないと過去に受けた仕打ちに対する俺の中の折り合いがつかない。
時折、爆サイやらを覗くのはあいつらがミジメに落ちるところまで落ちたという情報がないか探しているからだ。
イジメに端を発する、そんなどす黒い感情を隠して今日も生きている。(四六時中ではないが、フラッシュバックするときはいつも黒い思いが巡る)
少なくとも本は誰かに何かを伝えるために書かれるし、そうじゃない本はほとんど出版されないんだよ。
著者は誰かに何かを伝えることを期待して書くし、読者はそれを受け取ることを期待して読む。
読者から当然意見は届くし、読者が増えたり減ったりするだけでも、著者は色々考えて次の作品を書く。
俺はここにきっちり双方向のコミュニケーションが成立してると思う。
まず、お前は本が誰かに伝えたいという「何か」が「俺理論」であって悪い理由を何一つ書いていない。
その点でこの例では出版行為は立派に露出狂の例えに合致してしまう。相違点としては見せられた女子高生がキャーキャー言って喜んで「もっと見せて欲しい」とせがんでいるというところくらいか。
更に言えば、お前は「好きな作家」の本を買い支えるというがそれは好きなオナホを作ってる会社の商品を買って売り上げに貢献する行為と何ら変わらない。「新作は使用感が良かったです。もっとキモチイイのを作って下さい」とアンケートはがきを出すのと変わりはない。
それに応じて会社が新製品の路線を変えて打ち出すのは確かにコミュニケーションだろうがそれは使用者のオナホに対する態度が自慰であることを全く覆さない。
お前は反論してるつもりかもしれないが自分で出版がオナニーだという仮定を立ててなおかつそれを自分で擁護している。
馬鹿ここに極まれり、だ。
俺は単に、双方向的なコミュニケーションにおいて俺理論を開陳すると、詳細について説明したりツッコミに反論したりといったやり取りの中でゆがんだり変わったり発展したりと様々な方向に変質する可能性が圧倒的に高いので、自分で本を書いた方が邪魔が入らないという程度の意味で書いたのに。
それは女子高生の悲鳴がもたらす快感とすっきり感であったり警察のパトライトがもたらすスリルと緊張であったりはするだろうが、たくましい兄貴がヨダレたらして飛びかかってきて公園のトイレでアレコレであるということはまずないと考えられる。逆にそういう「リアクション」を期待しているなら女子高生の前で御開帳はしない。
つまりその「リアクション」への期待は非常に限定的であり、自慰においてオナホがもたらす「使用感」への期待と何ら異なるところは無い。よってそれはセックス或いはコミュニケーションにおけるリアクションとは別物。