はてなキーワード: パクリとは
...アイデア等が類似するにとどまるものが大量に生成されること等の事情が、法第30 条の4との関係で「著作権者の利益を不当に害することとなる場合」には該当しないとしても、当該生成行為が、故意又は過失によって第三者の営業上の利益や、人格的利益等を侵害するものである場合は、因果関係その他の不法行為責任及び人格権侵害に伴う責任の要件を満たす限りにおいて、当該生成行為を行う者が不法行為責任や人格権侵害に伴う責任を負う場合はあり得ると考えられる。
さすがにね
どう見てもアウトだったからね
作っては度々投稿している。
それに「いいね」がつくかどうかで一喜一憂し、他のAIイラストレーターの作品を見ては多く「いいね」がついているとぐぬぬとなる。
そうしたAIイラストっていうのは他のAIイラストと比べて特別秀でているわけでもなく、如何にも「AIで描きました」といった見栄えの可愛いイラストだ。
こうした量産型の絵、似たり寄ったりのものにたくさんの「いいね」がつくのは不思議だった。
だって個性がないというか…人気キャラに実写風のボディをつけたキメラも度々よく見かける。
疑問は「そういった絵が人気なのはどうしてか?」というよりも「そういった絵が飽きられずに人気なのはどうしてか?」と考えた時、そこに昨今のAIイラスト問題の根本的な原因があるように感じたんだ。
結論を先に言えば、それはつまり「見る側」の問題なんじゃないかってこと。
そもそもAIイラストっていうのは楽して高品質なものを出力しようとすると、どれも似たり寄ったりの絵になりがちだ。
だからこそAIイラストにおいても凝ったものを出そうとすれば色々と工夫が必要となる。
このような工夫こそが差異化につながり、その差異化によって個性が際立つまでになれば、そのAI絵師独自の絵を生成することだって不可能じゃない。
そしてオリジナリティ溢れるAIイラストを作ることが出来れば、昨今のAIイラスト叩きで言われる「ただのパクリ」と呼ばれることも少なくなるのではないかと思う。
だって、差異化による個性化は一概に「パクリ」とは呼べない作品を作り出すことなのだから。
しかし現状、そうはなっていない。
安易なAIイラスト絵に「いいね」を押して支援することでAI絵師側も一定のクオリティで満足してしまう。
なら別にこれ以上工夫しなくてもいいやとなってパクリAIイラスト絵を淡々と投稿し続ける。
そしてそれに「いいね」をするという繰り返し。
この負のスパイラルを止めるには安易なAIイラスト絵に「いいね」するのをやめればいい。
結局のところ現状のパクリともとれるAIイラストの氾濫を許容し、促しているのは「見る側」であり、鑑賞する側も実は大きな責任を担っていることを自覚することこそが、今後のAIイラストに対する認識と、AIイラストの存在が許容されるまでの流れには重要になってくるのではないかと思う。
東日本大震災のあったこの年、カオスラウンジのメンバーである梅ラボが
画像掲示板のふたばで作られた「キメこな」を丸パクリしたことが発覚
リーダーの黒瀬陽平が「ネットの画像は好き勝手に使わせてもらう」と明言したことで
pixivを巻き込んだ大炎上となったことで一躍有名となった。
当時のカオスラウンジは
アート業界からは村上隆、オタク業界からはpixiv、言論業界からは東浩紀という
三業界からの強力なバックアップを受けた一大プロジェクトであった。
しかし、この炎上が原因となり、村上とpixivはカスラジとの関係を断ち
以降は東浩紀率いるゲンロンのバックアップの下で活動していくことになる。
当時、東浩紀は「福島もチェルノブイリのようにダークツーリズムで客を集めよう」との考えから
https://togetter.com/li/609484
また、2015年には「ゲンロン カオス*ラウンジ 新芸術校」を開設。
「表現の不自由展」で有名になったあいちトリエンナーレ2019には
2020年、当時カオスラウンジ社員の女性が黒瀬のセクハラ、パワハラを告発し告訴。
後に「調査した結果そのような事実はなかった」として女性側を逆告訴した。
2022年に「セクハラはあったがパワハラはなかった」と判決が下ったが、女性側は控訴している。
なお、黒瀬は本件の責任を取りカスラジを退任。後任は藤代嘘となった。
2011年の炎上の当事者である梅ラボは、本件には無関係で被告にもなっていない。
本人曰く「黒瀬らと被害女性との話し合いの仲介をしていたが、裁判を避けられなかった」として
同時に「契約違反があった」としてカオスラウンジを提訴しているが、違反の内容や裁判の結果は明らかになっていない。
2013年8月にキュレーターとして「お分かりでしょうけれど、私は画家であることをやめていません。」展を開催した。
プリセットとネットで見たセッティング丸パクリで漫然と使っていたマルチエフェクターに出来立てほやほやの中本をぶち撒けた。動転しすぎて水洗いしつつ、乾くのを待つ間泣きそうになりながら部屋の掃除をした。シールドとかヘッドホンのとか諸々のコードが絡まってた所にぶっかけて、なんかベタベタが取れない。泣きはしなかったけど、せめて辛旨オイルを入れる前にこぼしていたら、いやそもそももっと部屋を整理していれば、いやそもそも中本を机のキワに置かなければ、とか考えてたら発作的にマジの絶叫が出た。マルチは壊れた。
バラして油取り除けば直るかなと思って分解してみたけど肝心の基板にネジ外すだけじゃ辿り着けないし、その奥でどっかが外れたっぽくてカラカラ言ってる。事態が余計悪化した。
少し冷静になったあとZOOMのサポートページで修理について調べたけど、一回バラしちゃってるし不具合の理由にカップ麺ぶち撒けましたと書くのも恥ずかしい。保証効くのか分からんけど保証書もどっか行った。
仕方なくアンプの埃を払って今となっては物足りない音のギターを弾いている。つまみを捻ってカッティングにはこのカリカリ感が良いかなとか試しつつ、ワウを踏みたくて仕方がない。
エフェクトが恋しくなって、Youtubeで色々と調べた。自分は今恐らく歪みとワウと、出来ればディレイとリバーブを欲している事が判明した。
ここまで分かったからコンパクト買い揃えて並べたい気もするし、金ないからまたマルチ買って安く抑えたい気もする。大枠の欲求は分かっても種別ごとのモデルの違いがほぼ分からんから何を選んだら良いかも判断しかねるし。ワンランク上げてGT-1買っちゃうか、いやそれならコンパクトをずらりと並べるか。
大切なものゎ失って初めて気がつくんだょ、、、
「ジャンプルーキー!」っていう漫画投稿サイトがあって、そこでは「連載争奪ランキング」ってのがある。
「連載争奪ランキング」で人気1位になった作品はジャンプラで「インディーズ連載」枠として連載できる。
このシステムの成功例としては『ラーメン赤猫』とか『幼稚園WARS』があるが、そういう一部の成功例を除けば作家はアマチュア中心なので、そのクオリティも粗挽きなことが多い。
ジャンプラの読者層とも違うため、ルーキーではウケたものの連載時には鳴かず飛ばずってことも多々ある。
しかし『群青幽霊』の問題点はクオリティではなく、その内容がルーキー時とかなり異なっていたこと。
その作品が人気で連載権を得たのに、連載するのは違う作品ってのは、アリなんだろうか。
編集部が内容の確認をするって規約にも書いていて、それでこの作品が連載しているんだからアリってことなんだろうけど、ルーキー時からその作品を追っていた読者(連載権獲得に貢献した人たち)からすれば期待外れだろうね。
そうして“満を持して”連載された本作は1話から閲覧数が少なく、物議を醸すほど注目されてもいないんだけどね。
いわゆる「なろう系」と呼ばれるジャンルってアマチュア発のレーベルなこともあって、ある作品の設定や物語構造が流行ると皆それに乗っかって、検索で引っかかるよう関連付けして閲覧数を伸ばすって潮流がある。
結果、先駆け作品を表面上だけなぞったような、似たり寄ったりな作品が蔓延する。
まあ、これはなろう系に限った話ではなく、ジャンルや構造が同じなら似てる部分が多くなるのは当然で、その括りでパクリだなんだっていうのはナンセンスだと思うけれども。
それに、その程度のことは些末な問題だとメインの読者層も理解しているので、大半は“なろう系の手あか”を気にしたりしない。
でも、それが手垢まみれになると『田んぼで拾った女騎士、田舎で俺の嫁だと思われている』という作品ができる。
これの序盤がね、『俺んちに来た女騎士と田舎暮らしすることになった件』って作品と似すぎてるんだよね。
それぞれ原作とコミカライズ版があって、どちらとも『俺んちに来た女騎士と田舎暮らしすることになった件』の方が先にでている。
特にコミカライズ版は絵がついたことで、余計に似ている部分が顕著になっている印象。
両作品とも序盤の数話は無料で読めるんで、気になる人は検索してみるといい。
フォローしておくと、似ているのは序盤だけで以降は独自のストーリーを展開していくので、頭のてっぺんから足の爪先まで“やってる”とまではいわない。